正信会は何 故 宗 教 法 人を 設 立しないのか が選ば れ、 賛 成、 反 対 に片 寄 ら な い で、 委 員 長 は 正 信 覚 醒 運 動 が は じ ま る前 か ら何 年 も住 職 を や って い る 人 を中 心 に、 法 律 に 明 るく弁 護 士 に コンタ ク ト の 取 り 易 い人、 布 教 所 を 設立 し て宗 教 法 人 を取 得 し て 担 当 の順 番 に当 って いた為 に、 た し か 一九 九 七年 と 月 に 一度 開 か れ る委 員会 に中 国教 区 の代 表 と し て、 今 か ら 五 年 前 ︵一九 九 八年 ︶、 私 は 正 信 会 の 一ヶ 場 も 地 域 も違 う 状 態 で、 委 員 会 の前 日と か、 委 員 長 を め まぐ るし く 経 験 さ れ て来 た住 職 。 委 員 の人 も い れば 委 員 でな い人 も い ると いう、 明 ら か に認識 も立 石寺 に寺 院 を明 け渡 さ な け れば な ら な いと いう 状 態 に住 職 に な って裁 判 を か か え、 住 職 が亡 く な れば 大 い る者 、 いな い者 、 正信 覚 醒 運 動 が は じ ま る少 し 前 九 八年 の 二年 間 出 席 し て いた。 正信 会 委 員 会 は、 議 道 長 を中 心 と し て合 議 制 で運営 さ れ て い る為、 出席 し の寺 院 と か委 員 の寺 院 と か で、 諮 問案 を文 部 省 に出 頼 て議 題 の提 出 順 に次 々と議 論 し、 決 定 出 来 る こと、 す と し た ら、 ど う いう 内 容 に な る か と いう所 迄 作 る 田 教 区 に持 ち 帰 って教 区 で議 論 し 次 の月迄 に意 見 を取 為 に何 度 も会 合 を し た。 廣 り ま と め て来 るも の、 と いう 具 合 に議 事 を進 め て行 人 三費 院 の設 立 認 証 を得 て い る の で、 こ の話 し が成 点 が何 か議 論 を煮 詰 め な け れば いけ な い ので は な い 的 な 青 写真 を作 って全 体 に提 示 し て、 具体 的 な 問 題 て来 た将 来 を見 す え て、 包 括 宗 教 法 人 の設 立 を 具体 か し い ので は な いか と私 個 人 は思 う に 至 った。 五年 前 の 一九 九 八年 頃 は、 今 ほど 正信 会 の中 に 具 る内 に、 包 括 宗 教 法 人 を 正信 会 は 取 得 し な け れば お 立 し ても流 れ ても、 別 に自 分 と し てど う でも い いや と いう 当 初 の気 持 であ った が、 何 度 も話 し合 って い 私 は、 平成 三年 六 月十 八 日 に随 分 苦 労 し て宗 教 法 く 内 容 であ り ま す。 こ の役 員 を担 当 し て いた時 期 一九 九 八年 頃 に、 正 か と いう 雰 囲気 が産 れ、 諮 問 機 関 と し て の委 員会 が 体 的 に 埋 め難 い考 え 方 の違 う 分 裂 を 予想 さ せ る様 な 信 会 と し て大 半 の寺 院 明 け渡 し の裁 判 の先 行 き が出 立 ち 上げ ら れ た。 こ の委 員会 の委 員 は十 人前 後 の人 -65- 考 え方 が疼 く のか、 宗 教 法 人 設 立 の提 案 は、 根 強 い は いな か った。 そ れ でも 心 の内 に漠 然 と抱 い て い る 意 見 はな か った。 本 山 復 帰 を 心 の内 に考 え て い る人 は いた と し ても、 それ を スト レー ト に 口に出 す 人 間 賛 成 の意 見 も 当 然 あ った。 ⑦ 正信 会 が 分 裂 し てし ま う。 だ いた い以 上 の様 な 反対 の理 由 であ った。 一方 、 て来 た運 営 の方 法 を、 明 文 化 さ れ た規 則 さ え も 無 法 人 があ れば 税 金 上 も大 変 楽 に な る。 ◎ 一一 十 年間 正信覚醒 運動 を実際 にや って来 て、 や っ ⑦ 土 寸院 ︵ 別院 。布 教 所 が土 地 を新 た に購 入 し て寺 院 を建 立 す る︶ を建 立 す る にあ た って、 包 括 宗 教 反 対 の逆 風 に ま っす ぐ ぶ つか る様 な感 覚 を持 った。 そ の主 な 理 由 は ① 一 不教 法 人 を 取 得 す れば 正信 会 は独 立 し た こと に な る。 式 見 解 と な り、 個 々 の意 見 が東 縛 さ れ、 中 心 にな 全 体 で取 得 す ると な ると、 正信 会 の発 言 は全 て公 が 取 得 す れば 、 自 己 矛盾 と な る。 ③ 個 々 の布 教所 の法 人設立 はし かたな いと し ても、 ではな い。成仏出来 な いと主張 し て来 て、今 にな っ 大 石寺 の主 張 す る法 門 は 日蓮 大 聖 人 の本 来 の法 門 て来 たと 同じ ではな いか。 大 石寺 を否定 し破 折 し、 き であ る。 ⑥ 独立 と いうけれど も、実 際 二十 年間独立 し てや っ いと いう こと のほ う が異 常 な のだ か ら、 取 得 す べ る者 の考 え方 、 多 数 決 の意 見 が信 仰 上 正 し いかど て独 立 にな る か ら と いう のはお かし い。 じ ゃあ 今 ② 創 価 学 会 の宗 教 法 人 設立 を批 判 し て来 た 正信 会 う か、 ま ち が った時 ど の様 に対 処 す る か、 現 時 点 迄 は何 だ った んだ 。 取 得 し て、 違 いを 明確 にす べ 戒壇 本 尊 ︵ 楠 木 の物 体 ︶ 絶 対 か ら脱 却 す る 日 が く るも自 由 で、 本 当 に大 石寺 が貫 首 ︵ 生 き仏︶ 絶 対、 う と いう も の では な く、 解 散 も、 包 括 に 入 るも 出 ○ 法 人 を 設立 し た ら身 動 き がと れ な く な ってし ま きだ 。 で そ の解 決 策 が見 出 せな い。 ④ 帰 山 出 来 な く な る。 い つでも帰 山 出 来 る よ う に し てお か な け れば いけ な い。 ⑤ 法 門 的 に 取 得 す る こと は 間 違 って い る。 ︵ どう いう 法 門 な のか聞 き 及 ん で いな い︶ ⑥ 信 者 が動 揺 し、 正信 会 か ら離 れ てし ま う。 -66- れば 、 そ の時 は解 散 し て合 流 す れば 良 い で は な い カ ⑥ 行 政 が宗 教 法 人 に求 め るも のは、 財 産 の管 理 運 営 、 役 員 の選 出 等 のガ ラ ス張 り の、 法 律 に 則 った 運 営 を し てく れ と いう も のであ って、 国 の管 理 下 に お か れ、 拘 束 、 強 制 さ れ るも ので は な い。 宗 教 活 動 を社 会 の中 でし て いる のであ るな らば 、 宗 教 法 人 と し て登 録 す る こと は当 然 の義 務 であ る。 ⑥ を 小教 法 人 法 に 対 し て偏 屈 な 考 え 方 を持 って い る 私 は、 正信 会 に所 属 す る人達 に、 少 し でも 理解 を 深 め て貰 いた いと 思 い、 担 当 者 と し て 以下 の文 章 を 作 成 し た。 ◇ Q、 法 人 機 構 を 急 ぐ よ り も、 法 門 と教 義 の確 立 を 急 ぐ べ き では な いか 。 正信 会 は、 ﹁ 我 ら こ そ 富 士 の本 流 ﹂ と の ス ロー ガ ンを立 て、 プ ライ ド を持 つ以上 は大 石寺 に 日蓮 、 日 興、 日日、 三祖 の教 義 と信 仰 のあ り方 を研鑽 探求 し、 ので は な い か。 改 め て勉 強 し ても ら いた い。 こ の様 な 反 対 意 見、 賛 成 意 見 が た く さ ん 出 た。 取 り 戻 し、 三祖 が立 てら れ た本 来 の清 い流 れ に し て いか な け れば いけ な い目的 と責 任 が あ り ます 。 少 な く と も、 歴 代 の貫 首 が、 日蓮、 日興 、 日 日、 委 員会 全 員 の共 通し た意 見 では、 賛 成 であ っても、 理 由 と な り、 も っと大 切 な、 全 員 に考 え 分 っても ら 三祖 よ り重 き を な す ワ ン マ ンな生 き仏 と な り、 法 門 賛 成 ⑦ の税 金 上 の問 題 で賛 成 だ と いう こと が主 要 な いた い事 柄 が忘 失 さ れ る な らば 、 法 人 設 立 は意 味 な の裁 決 者 に な るな ど と いう、 い つから か の時 代 に捏 造 さ れ た現 在 の狂 え る血脈 観 を破 折 破 棄 し て い か な し と いう考 え に ま と ま った。 布 教 所 と 同 じ様 に、 は じ め か ら大 寺 院 建 立 を 目的 創 価 学 会 の確 立 し た、 人数 、 権 力 、 金 力 に裏 付 け け れば いけ な い のであ り ます 。 を取 得 し、 大 寺 院 建 立 に着 手 す れば 解 決 出 来 る こと に し な い で、 物 件 を取 得 し、 実 績 を作 って自 ら 法 人 だ か ら、 そ の為 の包 括 法 人設 立 は お か し いと いう こ さ れ た、 と り あ えず 御 受 戒 や御 本 尊 を受 け さ せれば 良 い、 と いう 折 伏 観 、 広 宣 流 布 観 を破 折 破 棄 し、 常 と に な った。 -67- 治 し て いく 勇 気 を持 た な け れば いけ ま せ ん。 上 に揚げ た 三点 は、 あ く ま でも根 本 的 な 問 題 と し 不軽 菩薩 の ﹁ 我 れ深 く 汝等 を敬 う、 敢 え て軽 慢 せず 、 所 以 は何 ん、 汝 等 皆 菩 薩 の道 を行 じ て、 当 に作 仏 す てか い つま ん であげ ま し た が、 こ の他 に も た く さ ん の研 鑽 の上、 検 証 し て いかな け れば いけ な い問 題 を る こと を得 べし﹂ の経 文 に象 徴 さ れ る、 縁 す る森 羅 万象 の 一切衆 生 に妙 法 を伝 え、 何 物 に も絶 待 の平等 現 せば 、 日蓮 大 聖 人 は も ぬ け の殻 に な ってし ま う と 性 を 示 さ れ た本 尊 であ る にも 関 わ らず 、 こ の本 尊 を 象 徴 と し て示 し現 さ れ た、 一切 衆 生 の十 界 互 具、 仏 大 聖 人 の 一箇 に溶 け合 った中 に建 立 さ れ た、 法 魂 の 熱 原 法 難 の中 で、 熱 原 法 華 講 衆 と 日興 上 人、 日蓮 は依 法 不 依 人 の、 妙 法 を依 り所 と し て、 一切衆 生 成 を、 御 し難 く 持 って い る でし ょう。 し かし 最終 的 に が 凡夫 と し て十 界 互 具 の生命 、 自 分 の考 え と片 寄 り う に振 る舞 って生 き て いく のが信 仰 で は な く、 誰 も を持 って い る よ う に、 自 分 の心 を殺 し ロボ ット のよ 創 価 学 会 や大 石寺 のよ う に命 令 一下 全 員 が同 じ 考 え と教 義 の確 立 は信 仰 者 の永 遠 の テー マであ り ま す。 日蓮 正宗 は抱 え て い る のであ り ます。 こ の法 門 と教 義 の確 立 が成 さ れ た ら、 包 括 法 人機 いう よ う な、 戒 壇 の本 尊 を管 理 所 持 し て い る者 が絶 の仏 性 のあ る こと を伝 え て行 く、 本 来 の折 伏 観 、 広 待 の正義 であ り、 拝 物 す る事 が成 佛 の証 明 であ る と 佛 に叶 う、 個 人 や組 織 の都 合 でな い、 一切衆 生 平 等 宣 流 布 観 を 示 し実 行 し て行 か な く ては な ら な い ので 説 い て い る、 物 体 絶 待 の、 現 在 の大 石寺 の本 尊 観 を の仏 法 はど う あ る べき な のか を、 日蓮 大 聖 人 の遺 文 構 を考 え る べきだ と 主 張 さ れ る方 が います が、 法 門 破 折 破 棄 し、 法 魂 と し て の本 尊 。 一切 衆 生 に 示現 さ か ら はず れ な い信 仰 者 の集 いを築 い て い かな け れば と法 華 経 を中 心 と し て研鑽 検 証 し て探 り 出 し、 そ こ あ り ます 。 を持 た な け れば いけ な い こと を 正信 会 は色 々な 場 面 れ た 心 と し て逢 拝 す る本 来 の本 尊 観 に立 ち 戻 る勇気 宗 教 法 人 の機 構 を整 理 す る こと は 器 の役 割 であ り ま いけ な いと 思 います。 一番肝 心 な 心 が教 義 とす れば 、 正信 会 の人 々も、 過 去 の誤 り に染 ま って いた自 分 す。 我 々は こ の教義 を根 本 と し て こ のよ うな機 構 で、 を 通 し て訴 え てき ま し た。 を素 直 に認 め、 加 害 者 であ った 反省 と 過 去 の認識 を -68- こ のよ う に運 営 し て います と、 矛盾 せず 示 し実 行 し め と し て、 多 く の僧 俗 が尽 力 し て、 身 延 日蓮 宗 と信 い こと で はな い でし ょう か。 ち ら も 大 切 に、 平 行 し て行 って い かな く ては いけ な は な り えず 、 取 り合 わ れ な か った のであ り ます 。 昭和 二十 年 ︶ 十 二月 二十 八 日。 先 の 一九 四五年 ︵ そ れ に組 みす る者 も いた わ け であ り ます が、 主 流 に え て合 同 の回避 が な さ れ た のであ り ます 。 も ち ろん 宗 内 に は 小笠 原 慈 聞 師 のよ う な 異 論 を 唱 え る者 、 又 仰 の根 本 に お い て、 合 同 す る こと が出 来 な い旨、 訴 Q、 創 価 学 会 の法 人 設 立 を 責 め た 正信 会 が 、 包 括 法 現 人 神 思想 を支 え る為 に、 宗 教 全 般 に介 入 し て き た て い る事 を事 実 と し て示 し て いく こと も 信 仰 者 と し て大 切 な 事 だ と 思 います 。 ど ち ら が先 で は な く、 ど 人 を 設立 す る こと に 矛盾 は な い のか 。 一九 〇 〇年 ︵ 明 治 三十 三年 ︶ 四月 二十 六 日、 明 治 G H Q の指 導 のも と、 本 格 整 備 の繋 ぎ と し て、 宗 教 姿 勢 を抜 本 的 に改 め、 今 ま で の宗 教 団体 法 を廃 止 し、 法 人令 を公 布 し、 信 仰 の自 由 の確 保 を と り あ えず 示 同年 八 月十 五 日 の敗 戦 を期 に、 政 府 は今 ま で の天皇 け、 神 社 と寺 院 の信 仰 を別 のも のと し て管 理す る姿 政 府 は、 内 務 省 社 寺 局 を神 社 局、 宗 教 局 の 二 つに分 勢 を 示 し た のであ り ます。 蓮 宗 の属 宗 の様 な立 場 か ら、 分離 独 立 を 認 可 さ れ、 た のであ り ます 。 こ の様 に、 国 の方 針 に よ って宗 教 宗 教 法 人令 を廃 止 し、 現 在 の宗 教 法 人 法 が制 定 さ れ 六 年 後 の、 一九 五 一年 ︵ 昭 和 二十 六 年 ︶ 四月 三 日 し た の であ り ます 。 ﹁ 日蓮 宗 富 士 派﹂ と名 乗 り を上げ た のであ り ます 。 明 治、 大 正 と こ の法 律 のも と に、 大 石寺 独 自 の宗 行 政 は ク ル ク ル と変 化 し て今 日 ま で来 た わ け であ り こ の法 律 を受 け て、 同 年 九 月十 八 日大 石寺 は、 日 教 活 動 を し てき た のです が、 富 国強 兵 の侵 略 戦 争 を ロー ル し よ う と し て き た、 江 戸時 代 の檀 家 制 度 の国 ます が、 大 き な違 いは、 国 が支 配 下 に 置 い て コント 家 版 か ら、 戦 後 、 ま った く 手 放 し で信 仰 の自 由 の名 昭和 十 強 行 す る体 制 作 り の為、 政 府 は 一九 二九 年 ︵ 同 す る様 、 行 政 指 導 を強 め、 各 宗 の教 義 に も介 入 し の下 に宗 教 団 体 の自 己管 理尊 重 の方 針 へと転 換 し て 四年︶ 四月 八 日宗 教 団 体 法 を 公布 し、 類 似 宗 教 は合 てく る の であ り ます 。 こ の時 代 に、 時 の貫 首 を は じ ―-69- いう こと で 手 を 出 さ な い で管 轄 外 を 主 張 し、 ﹁ 羮に し て い ても、 ど の政 府 機 関 も宗 教 団 体 であ る から と 教 法 人 を取 得 さ え し て いれば 、 ど ん な社 会 犯 罪 を犯 いき、 今 日 のオ ウ ム真 理教 に代 表 さ れ る よ う な、 宗 ① 折 伏 し た 人 は信 徒 と し て各 寺 院 に所 属 さ せ る こ のであ り ます 。 部 に よ る、 宗 会 議 員 吊 し 上げ 事 件 が連 続 し て起 き た 来 な いと いう 項 目 を掲げ る事 に対 し て、 創 価 学 会 幹 法 人 を設 立 す る際、 二 つの法 人 に所 属 す る こと が出 ② 当 山 の教 義 を守 る こと。 二宝 ︵ 佛 ・法 ・僧 ︶ を守 る こと。 ③ 一 こ の三点 を付 帯 事 項 と し て、 拘 束 力、 罰 則 規 定、 レC。 係 の上 で正常 化す る為、 宗 務 院 は、 信 徒 団 体 ︶ の関 こ の混 乱 を、 大 石寺 と創 価 学 会 ︵ 懲 り てな ます を吹 く﹂ が如 く多 大 な被 害 者 を産 む よ う な結 果 にな ってし ま った のであ り ます 。 扱、 こ の宗 教 法 人法 制 定 に あ た って、 創 価 学 会 は 信 仰 の本 末 関 係 の上 で組 織 の立 場、 在 り 方 を考 え る の でな く、 利 益 あ り と考 え、 大 石寺 よ り も 早 く、 同 一宗 教 に宗 教 法 人 が 二団体 と いう、 信 徒 団 体 が持 つ と いう よ う な も ので はな く、 信 仰 上常 識 的 な も のと た の であ り ま す。 も と よ り こ の三項 目 の内 容 は規 制 必 要 が な い法 人格 を利 に さ と く、 取 得 す る のであ り ま す。 一九 五 二年 ︵ 昭和 二十 七年 ︶ 八 月 二十 七 日、 宗 教 し て、 宗 務 院 は当 然 と考 え て示 し たわ け であ り、 こ 監 視 規 定 も 何 も な い、 紳 士協 定 の形 で、 取 り交 わ し 法 人創 価 学 会 が設立 さ れ、 独 自 路 線 を打 ち 出 し て行 確 か に 正信 会 は、 正信 覚 醒 運 動 展 開 のな か で、 創 のであ り ま す 。 触 れ、 創 価 学 会 に と っては、 ま ったく 守 る気 持 ち な ど 無 い、 虚 構 の約 束 条 項だ った事 が 明 ら か にな った 資 料 が洗 い出 さ れ て、 は じ め て多 く の僧 俗 の耳 目 に の三項 目 が、 後 年 正信 覚 醒 運 動 に よ って過 去 の歴 史 く のであ り ます 。 昭和 二十 七年 ︶ 十 二 大 石寺 は、 同 年 一九 五 二年 ︵ こ の時 に、 創 価 学 会 が法 人 を取 得 す る のを 日蓮 正 月 二十 七 日、 四ケ 月遅 れ で宗 教 法 人 日蓮 正宗 を 設立 し た の であ り ます 。 宗 が 邪魔 し 認 め な か った と誤 解 し て いる 人 が世 間 に は多 い のです が、 現 実 は そ う で は無 く、 日蓮 正宗 が ―-70-― 価 学会 の宗 教 法 人 設 立 こそ が間 違 い の出 発 であ った 武 道 館 ︶ で、 創 価 こと を、 第 五 回法 華 講 全 国大 会 ︵ 学 会 の宗 教 法 人 即 時 解 散 を訴 え ま し た。 し か し、 こ の事 と、 正信 会 が近 い将 来 包 括 宗 教 法 Q、 本 尊 の定 義 を ど のよ う にす る のか 。 何 を 本 尊 と す る のか 。 日蓮 正宗 宗 制 第 一章 総 則第 二条 に は ﹁ こ の法 人 は宗 祖 日蓮 立 教 開宗 の本 義 た る弘 安 二年 人 取 得 に いた る経 緯 と、 自 ら の組 織 の独 自 性 と 利 益 先 に長 々と 述 べてき た よ う に、 創 価 学 会 の宗 教 法 派 の目的 を達 成 す る た め の業 務 及び 事 行 を行 う こと 教 化 育 成 し、 寺 院 及び 教 会 を包 括 し、 そ の他 こ の宗 を ひ ろ め、 儀 式 行 事 を行 い、 広 宣 流布 のた め信 者 を 遺 文 を所 依 の教 典 と し て、 宗 祖 よ り付 法 所 伝 の教 義 の戒 壇 の本 尊 を信 仰 の主 体 と し、 法 華 経 及び 、 宗 祖 し か考 え て いな い思想 と 運 営 、 三項 目 を ことご と く る こと で はな い のであ り ます 。 人 を 設立 し て い こう と いう こと と は、 決 し て矛盾 す 無 視 し た 活 動 の歴 史 と、 正信 会 が息 長 く 大 石寺 の貫 首 本 仏 論 に象 徴 さ れ る謗 法 を 是 正す る た め に組 織 の 今 日 の大 石寺 の戒 壇 本 尊 唯 物 絶 待 観 の考 え 方 は、 を 目的 と す る。﹂ こ のよ う に 示 さ れ て い る。 我 々は仏 法 を根 本 に こ の様 な 規 則 で こ の様 に行 って 日蓮 、 日興、 日日、 三祖 の法 門 と は言 え な い。 全 て い つか ら か の時 代 に捏 造 さ れ た 戒 壇 絶 待 、 貫 首 絶 待 体 制 を公 明 正大 にし、 い つ、 誰 が、 ど こから み ても、 います 。 と 示 せ る状 態 に し て いく事 と は、 同 質 でな い こと は 誰 の目 にも 明 ら か な事 であ り ます 。 正信 会 は、 宗 祖 建 立 の正法 の下 に、 古 来 から の富 し た慈 悲 の表 れ と し て本 尊 が現 さ れ てく る のであ り 宗 教 は衆 生 の色 心 を対 象 と し、 そ の救 いを 目 的 と へ改 悪 さ れ た御 都 合 思想 な のであ り ます 。 士 門流 が統 一さ れ る こと を念 願 す る も の であ り、 将 そ の為 に包 括 法 人 規 則案 第 C 5条 に 来 にお い て富 士 大 石寺 等 が富 士 門 流 本 来 の正法 に復 な い のであ り ます。 ます 。 そ の本 尊 を 通 じ て、 衆 生 の心 こそ が本 所 であ り、 本 尊 に 示 さ れ た 心 と し て理解 さ れ な け れば いけ し た暁 に は、 正信 会 は合 一を 目指 す も のと す る。 と、 運 動 の帰 結 を 示 し て いる のであ り ます 。 -71- でな く成 佛 出 来 ると いう珍 妙 な 論 法 が横 行 し て い る 物 自 体 が 心 と いう 本 尊 観 は、 ﹁ 日蓮 が魂 を 墨 に 染 め 流 し て書 き て候ぞ ﹂ の信 心 で は あ り ま せ ん。 日蓮 が魂 を本 尊 の本 所 と考 え て いな いか ら であ り ます 。 だ け な のであ り ます 。 故 に戒 壇 本 尊 に現 さ れ た法 魂 は大 石寺 にな く、 宗 う か。 あ り ま せ ん。 あ る のは貫 首 絶 対 の、 貫 首 が 認 め てく れ れば 謗 法 戒 壇 の本 尊 は、 日蓮 大 聖 人 が熱 原 の法 難 に際 し て 熱 原 の法 華 講 衆 が、 僧 職 にも な い、 あ てが わ れ た社 え り みず 、 妙 法 を貫 き 生 き た こと を 通 し、 そ こに 一 尊 を我 々が拝 し た時 、 我 々は 思 わず 合 掌 し ます 。 し 巣 窟 と な ってし ま って い る のであ り ます 。 讐 えば 、 他 宗 の寺 院 に あ る 日蓮 大 聖 人 御 真 筆 の本 教、 信 仰 を自 分 のた め に食 い物 にす る、 権 威 権 力 の 切衆 生 成 佛 の証 を確 信 確 認 さ れ、 日蓮 、 日興、 法 華 か し、 他 宗 の寺 院 で他 宗 の僧 俗 と 共 に信 心修 行 の場 会 、 身 分、 土 地 から離 れ て生 き る こと の出 来 な い名 も な い民衆 が、 ただ ひたす ら、 妙 法 の為 に 死 を も か 講 衆 相 ま って、 戒 壇 の本 尊 が建 立 さ れ た のであ り ま とす る こと は出 来 ま せん。 御真 筆 の本 尊 と いえど も、 本 尊 と いう 物 体 だ け で は本 尊 で は な い の であ り ま 捨 て或 は疵 を被 り若 は 又在 所 を追 放 せら れ 一分 信 心 尊 の正体 、 本 所 と す る の であ り ま す 。 日興 上 人 が ﹁ 士 一跡 門 徒 存 知 の事 ﹂ ︵ 富 全 一六 〇 六 P︶ に ﹁ 日興 の弟 子 分 に於 て は在 家 出 家 の中 に或 は身 命 を 正 し い信 行 学 が備 わ って こそ本 尊 であ り、 法 魂 を本 本 尊 と し て用 い る こと は出 来 ま せ ん。 つま り本 尊 は物 体だ け では本 尊 では な い。 そ こに す。 す。 本 尊 を拝 す る信 仰修 行 の存 在 と 一体 にな った時、 そ こに本 当 の本 尊 の当 体 が表 れ る の であ り ます 。 し か るに現 在 、 大 石寺 に戒 壇 本 尊 があ ろう と も、 大 石寺 に戒 壇 本 尊 の現 さ れ る機 縁 と な った信 仰 があ 大 石寺 に 日蓮 大 聖 人 の御 心 に重 な る貫 首 の法 華 経 る でし ょう か。 あ り ま せ ん。 の行 者 と し て の生 き様 が あ る でし ょう か。 あ り ま せ は な く、 本 尊 と は そ の様 な 志 の所 に こそ建 立 さ れ、 の有 る輩 に恭 く も 書 写 し 奉 り 之 を授 与 す る者 な り﹂ の御 文 は、 本 尊 下 附 の厳 し い条 件 を い って い る ので 大 石寺 に熱 原 法 華 講 衆 の信 仰 の姿 勢 が あ る で し ょ ん。 ―-72- 又存 在 す る のであ ると いう こと を 示 さ れ て い る ので あ り ます 。 を拝 す る こと に はな ら な い のであ り ます 。 日蓮 大 聖 人 の求 め た る所 を私 達 衆 生 も求 め る こと 本 尊 と拝 す る必 然 的 な方 法 であ った のであ り ます 。 壇 本 尊 は何 を機 縁 と し て現 さ れ、 何 を森 羅 万象 一切 と か、 復 帰 を願 う と か、 帰 山 を 願 う と か でな く、 戒 正信 会 は、 大 石寺 に あ る戒 壇 本 尊 に憧 れ逢 拝 す る が本 当 の信 心 であ り ます 。 そ こに は元来 、 物 体 絶 対 の本 尊 観 が 入 る隙 間 が あ って はな ら な い のであ り ま 古 来 、 戒 壇 本 尊 は御 宝 蔵 に納 め ら れ、 時 々 の内 拝 法 華 経 の行 者 の 一身 の当 体 の十 界 互 具 の仏 性 を指 衆 生 に伝 え ん と し て現 さ れ た法 魂 を 正 し く 拝 し、 理 と いう 形 で拝 し て いた のであ り ます。 こ の形 は、 他 し 示 し た も のが本 尊 であ り、 本 尊 の中 だ け に、 本 尊 す。 に 示 し た法 が、 そ の寸 法 、 そ の材 質 に厳 封 密 封 固定 解 し、 大 石寺 や妙 法 に縁 す る人 々並 び に 一切衆 生 に 宗 の各 地 に あ る秘 仏 扱 いと いう のでは な く、 法 魂 を さ れ た も ので はな い のであ り ます 。 世 の中 に本 尊 が 訴 え て いかな け れば いけ な い のであ り ます 。 目 を見 る こと も な か った け れ ど も、 今 改 め て宗 教 法 ◇ 何 千 万体 あ ろう と も本 尊 に現 さ れ た 法 は森 羅 万象 の 全 体 であ り、 森 羅 万象 の要 と な る 一つし か な い法 な の であ り ます 。 人 設立 に む け て委 員 会 を発 足 さ せ た と いう こと を 聞 あ な た方 の生 命 は こう な って い る んだ よ と、 仏 の 手 に よ って示現 さ れ た も のが本 尊 な のであ り ます 。 し か し、 そ の現 し た生 命 は 一つの生 命 を現 し て い る 五年 前 頓 挫 し てし ま った時 の文 章 であ る為、 日 の よ う に見 え て、 実 は森 羅 万象 一切衆 生 全 て の生命 の 繰 り返 さ れ ると し た ら、 あ の時 関係 し た 人間 と し て、 く に 及 ん で、 再度 、 偏 屈、 偏 狭 な ま ま、 同 じ議 論 が 御 宝 蔵 に納 め て見 え な く し て進 拝 す れば それ で正 ウ ンザ リ す る同 質 の時 間 を 又経 験 し な け れば いけ な い のか と 思 った為 に、 これ を 引 き 摺 り出 し て来 た わ 実 相 を現 し て い る のが本 尊 な のであ り ます 。 し いと いう のでは な く、 本 尊 は直 拝 し ても、 そ の内 証 法 魂 を逢 拝 す る信 心 の志 が な け れば 、 本 当 に本 尊 ―-73-― け であ り ます 。 私 は単 純 に、 包 括 宗 教 法 人 設 立 を賛 成 し て い る の に も 日達 上 人 ま では 正常 に 血 脈 は流 れ て来 て いた等 と いう 人 が います が、 要 法 寺 から 百 年 間 に 及 ぶ貫 主 を招 いた時 代 。 日精 上 人 に いた って は、 釈 迦 像 を本 上 人 を多 数 決 で引 き摺 りお ろし、 選 挙 で貫 主 を選び 、 尊 と し て拝 む な ど と いう謗 法 を犯 し、 又近 く は 日柱 た し か に行 政 は、 財 産 の管 理 運 営 、 役 員 選 出 等 の で は あ り ま せ ん。 こと を 主 に求 め、 そ れ が 一番 の目的 であ り 関 心事 で 所 に載 せ てあ り ます 。 大 石寺 の規 則 の中 に、 ﹁ 弘 安 二年 の戒 壇 の本 尊 を信 仰 の主 体 と し﹂ 私 は大 石寺 の規 則 、 前 に あげ た私 の文章 の︲ 7頁 の な け れば いけ な いはず であ り、 責 任 があ り ます 。 あ った は な い でし よう。 本 当 の血 脈 と は何 か を 示 さ 伝 え た のであ り ます 。 そ の上 で 日達 上 人迄 は清 流 で 力 づ く で貫 主 に な った と いう 日開 上 人。 正信 会 は 日 蓮 正宗 の歴 史 に あ った事 実 を全 部 皆 ん な に 開 示 し て あ り ます 。 し か し、 こ こは や は り宗 教 法 人 です か ら、 総 則 と して ﹁ 事 務 所 の所 在 地 ﹂ ﹁ 名 称 ﹂、 ﹁ 目的﹂ と いう も のがあ り ま す。 私 は、 宗 教 法 人 ﹁ 三費 院 ﹂ の規 則 を考 え る時、 大 石寺 の規 則 を何 度 も何 度 も読 み ま し た。 大 石寺 を 否 定 し な が ら、 同 じ 規 則 な らば 、 私 は大 石寺 を 出 る必 要 が な か った と いう こと にな り ます 。 規 則 は 同 じ で と あ り ます 。 し て の本 尊 自 体 が信 仰 の対 照 であ り、 そ の本 尊 が何 私 は宗 教 法 人 ﹁ 三費 院 ﹂ の規 則 を考 え る上 で、 弘 安 二年 の戒 壇 の本 尊 と は、 大 石寺 は楠 の木 の物 体 と 労働 条 件 が け と 言 わ れ た か ら 仕 方 な く 出 て来 た﹂ ﹁ 悪 い ので、 待 遇 改 善 の労 働 運 動 と し て組 織 の外 に出 を心 と し教 え と し て いる かと いう こと には頓着 せず 、 良 い んだ け れ ど も 出 た と いう な ら ば 、 ﹁ 阿 部 日顕 師 が 嫌 いだ った か ら﹂ ﹁ い た か った け れ ど も 、 出 て行 て訴 え て い る﹂ ﹁ 阿 部 日顕 師 が 死 ん で良 い人 が 貫 主 物 が全 て の信 仰 観 に立 って、 こ の規 則 が悩 む こと も な く作 ら れ た のだ な と 思 いま し た。 にな ったら帰 れ る﹂ 等 々 の理屈 にな ってし ま います。 私 は、 右 の様 な 考 え で は な いん です 。 正信 会 の中 -74- 私 は こ の所 を ﹁ 弘 安 二年 の戒 壇 の大 御 本 尊 に 明 か さ れ た法 魂 を信 でや って来 た のか、 これ から将来ど う いう考 え でや っ て いく のか、大 石寺 と 同 じ で良 いと いう のであ れば 、 う こと を忘 れ て、 楠 の木 の物 体 を祭 り 上げ 、 そ の法 り ま す か ら、 そ の法 魂 を拝 す る為 に本 尊 があ ると い 一切衆 生 の魂 を顕 わ し た物 が本 尊 であ 日蓮 が魂 。 成 な の であ り ます 。 か り考 え る節 目 に し た らど うだ ろう と いう 意 味 で賛 れ て、何 も具体的 に考 えな いでや って来 た人も、 し っ 私 が 正信会 は宗 教 法 人 を設立 す べきだ と いう のは、 今 こ こ で自 分 で自 分 の首 に 刃 を つき つけ て、 今 迄 群 こ の時 点 で大 石寺 へ帰 れば 良 いわ け であ り ます 。 魂 を考 え よ う と し な い大 石寺 に 見 切 り を つけ て、 私 仰 の主 体 と し﹂ と治 し ま し た。 は独 立 し た のであ り ま す 。 正信 覚 醒 運 動 が お き て 二十 五 年 や って来 ま し た。 今 迄 のや り方 、 今 迄 の考 え 方 で、 次 の 二十 五年 が続 い て開 か れ て行 く でし ょう か。 五十 年 、 百年 先 、 こ 他 人 が見 れば 大 差 のな い、 くだ ら な い違 い のよ う に 思 わ れ る か も 知 れ ま せ ん が、 私 に は 天地 雲 泥 の違 い であ り ます 。 のま ま の状 態 で や って行 き さ えす れば 、 令 法久 住 が 叶 う でし よう か。 続 け て行 かな け れば いけ な い こと、 続 け て は いけ な い こと が当 然 あ ると 思 います 。 こ の様 に、 正信 会 が法 人 を設 立 し よ う とす れば 、 信 仰 の主 体 は何 か と いう こと は避 け て通 れ な い こと な のであ り ます 。 行 政 側 は、 イ ワ シ の頭 でも マ ッチ あ り、 分 岐 点 に な る と 思 います 。 宗 教 法 人 設立 は、 そ の こと の大 き な 問 題 の提 起 で 棒 の先 でも 何 でも良 い の です が、 我 々 の側 か ら 言 え ば、 一字 一句 と し て蔑 ろに は出 来 な い のであ り ます。 さ あ こ こで、 正信 会 の 一人 一人 が、 ど う いう 規 則 のも と に 一致 す る のか、 分裂 す る のか、 今 迄 二十 五 年 間有 耶 無 耶 に し て来 た こと を じ っく り真 剣 に整 理 し 考 え て、 自 分 は何 を し て来 た のか、 ど う いう考 え ―-75-
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