Vol.36 2015.3.20 佐野智子 《花の風景》

Vol.36 2015.3.20
佐野智子 《 花 の 風 景 》
山 梨 県 立 美術館協力会 〒 400-0065 甲府市貢川 1-4-27
巻 頭 言
ニーセン山とフェルディナンド・ホドラーと私
山梨県立美術館協力会会長 古 屋 知 子
私が一目ぼれをした山…スイスのニーセン山(2,362
メートル)を描いたフェルディナント・ホドラーの回
顧展を見るために国立西洋美術館まで行ってきた。
2014年の7月から8月にかけて、ここ数年私の夏の
恒例となっている、ガールスカウトのインターナショ
ナルキャンプに参加してきた。今回は8名の少女を連
れスイスに行き、5か国100名のガールスカウトと交流
をしてきた。スイスのアデルボーデン村にあるガール
スカウトの施設に宿泊する。そこには世界中から訪れ
るガールスカウトのために、環境を活かしたプログラ
ムが用意されている。8日間、プログラム通りの生活
を送るので、のんびりする時間は皆無だ。日中は、ロッ
ククライミング、アブセイリング、ジップライン、そ
して、歩いて、歩いて、また歩いて…。日が暮れるの
が夜9時半のスイスの一日は長く、食後は、世界中か
ら集まった仲間との交流の日々。そんな毎日だった。
そのプログラムの中にニーセン山とトゥーン湖周辺
の散策の一日があった。2,362メートルのニーセン山へ
は登山口ミューレネンから急こう配の登山電車で行く。
森林限界を過ぎると眺望が開ける。約20分で到着。山頂
からは大展望が得られる。美しい山々に囲まれた風光
明媚な湖畔のトゥーンの街などのリゾート地が遙か下
方に見える。そして見事なベルナーオーバーラント地方
のアイガー、メンヒ、ユングフラウの3山の姿。山頂
からの眺望を楽しんだ後は、色とりどりの花が咲き乱
れる山を下り、今度はトゥーンの街からニーセン山を
見る。ピラミッド型をした独立峰で、形が綺麗なので
とても目立つ。山頂から見た景色
もすばらしかったが、トゥーンの
街から見たニーセン山の美しさに
私は一目ぼれをした。
帰国後、以前から気になってい
た画家、フェルディナント・ホド
ラーがこのニーセン山を描いた作
品に上野に行けば出会えると分
かった私は、迷わず出かけた。“もっ
とも強い幻想は、無尽蔵の啓発の
源泉たる自然によって養われた”
と言う彼は、海外に目を向けるこ
と な く、 ス イ ス 国 内 に 住 み 続 け、
スイスの自然を愛しながら、スイ
スの山々を描き続けたという。
ニーセン山を描いた作品の前でしばし佇む。ニーセ
ン山に一目ぼれした私は、その山を描いた画家フェル
ディナント・ホドラーの大ファンにもなってしまった。
1908年にホドラーはスイスの新紙幣のデザインを依
頼され、有名な《木を伐る人》を手掛けました。スイ
スの国民性を象徴する意匠を生み出そうとしたホド
ラーは、労働する人間の姿を
描いたのです。このイメージ
は、実際に50スイス・フラン
紙幣に使用され、
「国民画家」
としてのホドラーの地位を決
定づけることになりました。
初代協力会会長、高野本男(第17代高野孫左ヱ門)さんが残したもの
山梨県立美術館 学芸幹 向 山 富士雄
1977年の県ボランティア協会設立に始まって、初代
協力会長として県立美術館のボランティア活動の礎を
築いてこられた高野本男さんが、2014年9月30日に89
歳の生涯を閉じられた。思い起こせば、1978年の開館
記念式典で当時の山梨県教育委員長として、田邊圀男
知事と一緒にテープカットをされていたお姿が今は懐
かしい。以来32年の長きに亘り、美術館協力会の会長
として、ボランティアの育成と美術館活動の拡充に貢
献されながら大きな実績を残されてきた。
温厚な人柄に相応しい誰にも優しい笑顔が印象的な
高野さんは、一方ではグローバルな環境で仕事をされ
てきた経営者としての厳しい面と両方を併せ持った、
紳士と言う形容が最も相応しい方だった。芸術をこよ
なく愛し、絵画や古美術の蒐集をはじめとして音楽に
も造詣が深く、中でもクラシックが大変お好だったこ
ともあって 、 山梨交響楽団をはじめとする県内の音楽
団体の活動や育成にも大きな助成や貢献をされてきた。
個人でも度々海外にも出かけられ、例えばウィーンの
ザルツブルグ音楽祭を奥様とご一緒に旅された時の思
い出話は大変印象的だった。 また、協力会長の他にも美術館の協議会長や山梨メ
セナ協会長などの要職を歴任された高野さんは、ボラ
ンティア活動以外に様々な文化活動にも高い見識をも
たれており、館の相談役としても実に頼もしい存在だっ
た。そして、来館された折には決まって「美術館とは
育てるものだ」という話をいつも熱心にされていた。
1
それは、まさに高野さんが美術館に注ぎ続けた熱い思
いそのものであり、山梨県立美術館の将来を見据えた
ボランティア活動における理想的な高野さんの持論に
他ならなかった。
はじめは身障者を対象に始動したとも言える戦後日
本のボランティア活動は、70年代を境にして、以降は
いわゆる美術館建設ラッシュに呼応するかの様に、欧
米での先駆的活動を取り入れながら、内容においても
大きくその幅を広げて来たと総括して問題ないと思う。
その動きにいち早く呼応するかの様に、国内美術館で
最も早い時期から活動を始めた山梨県立美術館の協力
会は極めて先駆的であり、高野さんが理想に掲げた “地
方文化の一つの形” とも言い換えられるのではないだ
ろうか。同時に、高野さんが理想としたボランティア
精神とは、常にご自身の人生観そのものを重ねていた
様にも思えるのである。
2005年3月発刊の協力会報巻頭言には、次の様な言
葉が綴られている。
「山梨県立美術館が、単なる美術品
展示施設ではなく、山梨県民の文化の豊かさや慶びを
実感することが出来、山梨の文化を高める苗場として
の “オアシス” となる様磨き上げたいものです。」
古屋知子会長に次代のバトンを繋いだことで、今は
あの笑顔と共に美術館との思い出を胸に秘めながら、
静かにそして安らかな永久の眠りにつかれたのではな
いだろうか。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「生誕20 0 年 ミレー展」のこと 山梨県立美術館館長 白 石 和 己
2014年は、ミレーの生誕200年にあたり、また
昨年の5月中頃、作品の調査・出品交渉のため、
美術館の開館35周年でもあった。ミレーの美術館
向山学芸幹らとともにトマ=アンリ美術館を訪れ
として自他共に認めている当館としては、是非、
た。美術館は町の中心のロータリーに面した一等地
ミレー関連の展覧会を開きたいということで、早く
にあり、音楽ホールなども併設された複合文化施設
から企画を検討してきた。そして7月19日から8
の中にあった。先方の副市長、館長とお会いしたが、
月31日まで「生誕 2 0 0 年 ミレー展―愛しきものた
大変好意的な回答をいただいた。日本でのミレー展
ちへのまなざし―」を開催することとなったのであ
開催時期は、ちょうどトマ=アンリ美術館では改装
る。展覧会は府中市美術館、宮城県立美術館との共
工事を行っており、作品貸し出しについては、どの
同企画として行い、山梨のあと府中、宮城と巡回し
ようにでも対応できると言うことだったのだ。企画
た。オープンしてからしばらくは、近年にない猛暑
会社が予備折衝をしていたこともあり、時期的にも
の影響で入館者が少なく、一時はどうなることかと
幸運だと思った。
心配したのだが、会期半ば、気候が落ち着き始めた
ト マ = ア ン リ 美 術 館 は 小 さ な 美 術 館 で あ り、
頃から、急に人が増え始め、一日中駐車場が満車に
ミレーの有名な作品や大作を所蔵しているわけでも
なるほど多くの方々に来ていただいた。会期の前半
ないのだが、逆にあまり日本の人たちの目に触れて
と後半が、こうも極端だった展覧会は珍しいのでは
いない、初期の肖像画や古典作品の模写などをいく
ないだろうか。県外からの来館者も多く、「ミレー
つももっていた。それらはミレーの絵画の展開の様
展」を観るならやはりミレーの美術館でと言って、
子を知る上でも貴重なものも多かった。借用作品の
遠方から来られた方もいたということだった。広報
中に、ポーリーヌ・オノの肖像画が2点含まれてい
や案内、整理など様々な面で、協力会の皆様方にず
て、当館所蔵の肖像画を加えて、3点並べて展示す
いぶんご協力、ご尽力いただいた。お礼を申し上げ
ることができた。それぞれのオノは少しずつ異なっ
なければならない。
た健康状態、精神状態が表されており、ミレーの彼
ところで、この展示の中心の一つは、フランスの
女に対する深い愛情が感じられた。今回の展覧会の
トマ=アンリ美術館の所蔵品だった。この美術館は
見所の一つとして、話題になっていた。今回は農民
映画「シェルブールの雨傘」で有名な都市、シェル
画家としてのミレー以外の側面もご覧いただけたと
ブールにある。シェルブールは2000年にオクトヴィ
思う。
ルと合併し、今はシェルブール=オクトヴィル市と
なっているが、ミレー生誕の地・グリュシーにも近
く、ミレーの初期の作品を数多く収蔵している美術
館である。美術館の名前にもなっている、美術商で
画家だったトマ=アンリが、シェルブール市に公開
を条件に自分のコレクションの絵画や彫刻を寄贈し
たことが基になって設立された。若い頃ここで絵画
の勉強をしたミレーは、これらの作品を見て、模写
を試みるなど研究を重ねた。美術館ではその後も、
親族からミレーの若い頃の作品が寄贈されるなど、
コレクションを充実させて今日に至っているとのこ
とである。
トマ=アンリ美術館の仮設収蔵庫内の様子
2
特 集
H27企画特別展
「夜の画家たち―蝋燭の光とテネブリスム―」展
会期:平成27年4月18日(土)~6月14日(日)
テネブリスム(暗闇主義)は、暗黒画面の中でモ
を学び、油彩技術の試行錯誤を繰り返して夜の風景
ティーフに強い自然光をあてて明暗を強調したり、
を描きました。開国後、西洋へ渡った高官たちによっ
場面を夜に設定して蝋燭などの人工光によってモ
て本場の油彩画がもたらされ、画家たちは、むさぼ
ティーフをほのかに浮かび上がらせる表現方法と
るようにそれらを学び、本多錦吉郎とその門下の
して、17世紀のバロック期においてフランスのラ・
松本民次、自らもフランスへ渡り研鑽に励んだ山本
トゥール(1593-1652)やオランダのレンブラント
芳翠ら、明治洋画界の先駆けとなる画家たちがテネ
(1606-69)らによって流行しました。その後も西洋
ブリスムの感化を受けました。
絵画の伝統のなかで受け継がれ、やがて近代日本へ
もたらされることになります。
高橋由一 《中州月夜の図》
1878(明治11)年 宇都宮美術館蔵
一方、写真の普及で衰退した浮世絵は、小林清親
の登場で新たな人気を獲得しました。清親の描く風
景画は、光と影を効果的に描写した「光線画」と称
され、在りし日の江戸情緒と文明開化に湧く明治を
巧みに描き出しています。
明治後半以降になると、フランス留学から帰国し
た黒田清輝が指導にあたった東京美術学校から数
多くの近代洋画界を担う画家たちが輩出され、個性
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》
1646年 東京富士美術館蔵
© 東京富士美術館イメージアーカイブ/ DNPartcom
的な明暗表現による作品が描かれました。一方、日
江戸時代、司馬江漢や亜欧堂田善は、輸入された
物が独特な雰囲気で描かれ流行を見ました。以降、
西洋の書物などから西洋絵画の陰影法を学び明暗
昭和にいたっても夜景に魅了される画家たちは後
のある夜景を銅版画に描き、歌川広重や歌川国芳ら
を絶たず、テネブリスムは継承されています。
浮世絵師は、月夜や灯りを意識した斬新な構図で風
本展は、二つの文化の間で生まれたかつてない闇
景や美人画を発表しました。彼らによって、日本の
と光の世界の全貌を、着想源となったヨーロッパの
テネブリスムが始まったのです。また明治の始めに
巨匠ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品などと対
かけて、高橋由一や中丸精十郎らは、細々と輸入さ
比させながら明らかにしていくものです。
れた書物に載る石版画などをたよりに西洋の技法
3
本画においては、大正期におけるデカダンス(退廃
的)な風潮を象徴して闇夜に浮かび上がる風景や人
(学芸員 平林 彰)
印象派のふるさと ノルマンディー展
〜近代風景画のはじまり〜
当館の夏を彩る「ノルマンディー」展は、広いノ
ルマンディー地方の中でもセーヌ河沿いの地域、
ルーアンやル・アーヴルといった都市が位置する河
口付近までを中心にしたものです。1820年代から
現代までの期間にこの地域で制作されたイメージを
辿ることで、この地域が風景表現の展開に果たした
役割をご紹介する内容となっています。
第1章「ノルマンディーのイメージの創造」では、
1820年代ごろからこの地で制作したイギリス人画家
たち、そして彼らに影響を受けたフランスのロマ
ン主義の画家たちの作品をご紹介します。1815年
にナポレオン戦争が終わり、英仏の関係が修復して
以降、ノルマンディーには多くのイギリス人画家が
訪れます。風光明媚な自然景観と共に、中世の趣を
残した城や半ば廃墟と化した修道院が残っていたノ
ルマンディーの景色は、彼らにとって絵にするのに
ふさわしい、いわゆるピクチャレスクな景観として
評価されました。イギリス人画家たちの動向の影響
もあり、フランスにおいてもこのような景観を評価
する動きが生まれます。テイラーとノディエが出版
し た『 古 き フ ラ ン ス の ピ ク チ ャ レ ス ク で ロ マ ン
ティックな旅』は、フランス全土のピクチャレスク
な風景や廃墟となりつつ有る中世の建造物のイメー
ジを納めた、版画入りの刊行物です。1820年から
68年の間に全19巻が出版され、1巻、2巻はノル
マンディーを取り扱うものでした。大変人気を博し
たこの出版物の挿絵は、イギリス人画家のボニン
トン、またジェリコーやドラクロワといったロマン
主義の画家たちによって手がけられました。ピク
チャレスクの美学がロマン主義の風景画家たちに与
えた影響としては、中世趣味と共に、感興を起こさ
せる風景と出会った際に、すぐさま水彩絵の具など
のスケッチで生き生きと捉える制作態度が挙げられ
ウジェーヌ・ブーダン《ル・アーヴル、ウール停泊地》
1885年 エヴルー美術博物館
© J.P.Godais - Musée d’Évreux
会期:2015年6月27日(土)〜8月23日(日)
ます。このような態度は、写実主義、そして印象主義
へと連なっていくものと言えるでしょう。
1850年代には、新しくできた鉄道のおかげで、
豊かな自然景観を求める多くの画家たちがセーヌ
河口の地域に集まります。ヨンキント、クールベ、
ドービニーといった画家たちは、この地で一緒に戸
外制作をおこないましたが、このような画家コミュ
ニティーの中心にいたのが、ウジェーヌ・ブーダ
ンです。ノルマンディー地方のオンフルールに生ま
れ、青年時代にル・アーヴルで学んだブーダンは、
生涯をかけて雲を理解しようと努めました。コロー
から「空の王者」と称されるなど、ブーダンは画家
たちから高く評価される人物でした。また彼は、ル・
アーヴルで若き日を過ごしたモネに、戸外制作を勧
めた人物としても知られています。第2章から第4
章では、それぞれ自然景観、海辺の風景、近代化の
足音が聞こえる港など、主要モティーフによる分類
をしながら、ノルマンディーに集った画家たちの作
品を中心にご紹介いたします。
紙幅の関係で詳細をご紹介する事はできませんが、
本展ではこの他、ノルマンディーを中心に活動し
たポスト印象主義からフォーヴィスムに分類される
様式の作品を残した画家たちの画業をご紹介いたし
ます。中でも、ル・アーヴルに生まれ、セーヌ河口
の地域に生涯愛着を持ち続けたラウル・デュフィ
については、1つの章を設けてご紹介します。また、
19世紀、そして現代の作家により撮影されたノル
マンディーの写真作品も展示いたします。暑い日本
の夏を抜け出て、フランスの保養地として人気の高
いノルマンディー地方への小旅行気分でお楽しみい
ただければと思います。
(学芸員 小坂井 玲)
ラウル・デュフィ《海の祭り、ル・アーヴルへの公式訪問》
1925年頃 アンドレ・マルロー美術館、ル・アーヴル
Le Havre, MuMa – Musée d’Art moderne André Malraux
© Florian Kleinefenn
4
ルートヴィヒ・コレクション ピカソ展(仮称)
会期:2015年9月1日(火)~10月25日(日)
パブロ・ピカソは、西洋美術史上、最も華々しい
クション」を二本の柱としています。ピカソのコ
芸術家の一人であると言えるでしょう。特に西洋近
レクションは世界でも最大級と目されるほど充実し
代美術史を振り返る時、ピカソの名は必ずと言って
ており、その所蔵点数は、バルセロナとパリにあ
よいほど登場してきます。
るピカソ美術館に次いで第3位を誇っています。ピ
本展では、巨匠ピカソの魅力を多角的に紹介すべ
カソ作品のほかにも、シュルレアリスム、バウハ
く、油彩、ブロンズ、版画、陶器等の多岐にわたる
ウス、ポップ・アート、抽象表現主義、ミニマル・
ジャンルのピカソ作品を紹介します。
アートなど、20世紀美術の多様なコレクションを
有しています。
ピカソは1881年にスペイン南部のマラガで生ま
美術館名にもなっている「ルートヴィヒ」とは、
れ ま し た。1895年 か ら バ ル セ ロ ナ で 学 ん だ 後、
ペーターとイレーネ・ルートヴィヒ夫妻のことで、
1904年にフランス・パリのモンマルトルにあった
ライン地方の著名な実業家です。ルートヴィヒ夫妻
芸術家が集うアトリエ兼住居「洗濯船」に移住し
は芸術に造詣が深く、夫ペーターはピカソに関する
ます。第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦時に
論文で博士号を取得し、また妻のイレーネも夫と共
パリが占領された際にも、主としてフランスで制作
に美術史を学んでいました。夫妻は何十年もかけて
を続け、1973年にフランス南部のムージャンで亡
900点ほどの広範なピカソ・コレクションを形成し、
くなりました。生涯を通じて尽きることのない想像
ケルン市のヴァルラフ=リヒャルツ美術館に、1969
力と探究心を持ち続け、
「青の時代」
、
「バラ色の時
年より継続的に作品の寄託・寄贈を行いました。
代」
、そして「キュヴィスムの時代」
、
「新古典主義
そ し て1976年、 こ の 美 術 館 の 近 現 代 美 術 部 門 が
の時代」、「シュルレアリスムの時代」など様々な
ルートヴィヒ美術館の名で独立しました。
作風の作品を残しました。また大変多作な画家とし
本展では、ルートヴィヒ美術館所蔵のピカソの
ても知られており、約1万3500点の油彩や素描、お
油彩、ブロンズ、版画、陶器等を約70点展示する
よそ10万点の版画、300点ほどの彫刻や陶器を制
ほか、著名な写真家によるピカソの肖像写真を約
作したほか、バレエの舞台美術や衣装を手がける
30点展示し、天才と謳われるピカソの人間像にも
など、ジャンルを越えた旺盛な制作活動を行いま
迫ります。
した。
本展で出品するピカソ作品は、おもにルートヴィ
ヒ美術館のコレクションの中から選ばれたもの
です。ルートヴィヒ美術館は、ドイツのケルン市に
ある近現代美術を集めた美術館で、有名なケルン
大聖堂に隣接しています。その外観は、尖塔がそび
え立つゴシック様式のケルン大聖堂とは対照的に、
波打つような曲面が幾重にも繰り返された低い屋根
を特徴とする、現代建築の美術館です。所蔵品は、
ドイツ表現主義を中心とする「ハウブリッヒ・コレ
クション」と、パブロ・ピカソの作品やロシア・ア
ヴァンギャルドを中心とする「ルートヴィヒ・コレ
5
(学芸員 森川 もなみ)
「花の画家 ルドゥーテのバラ」展
平成27年11月3日(火)~平成28年1月17日(日)
ルドゥーテの肖像
ピエール = ジョ
本展では、植物画の正確さと芸術的豊かさを併せ
ゼ フ・ ル ド ゥ ー テ
持った『バラ図譜』全点に扉絵を合わせた170点と、
(1759年~ 1840年)
ヴェラムという高級な羊皮紙に水彩や鉛筆で描かれ
は、フランス王妃マ
た貴重な原画、そして関連作品の合わせて約180点
リー・アントワネッ
を展示し、ルドゥーテ・ワールドの魅力を余すとこ
トとナポレオン皇妃
ろなく紹介します。
ジョゼフィーヌに
会期中のイベントとしては、バラのフラワー・ア
仕えたベルギー出
レンジメントや、自分だけのバラの香りづくりを楽
身の植物画家です。
しむワークショップを企画中です。また、バラを素
代表作に銅版画集
材に親子で楽しむワークショップには、山梨県出身
『バラ図譜』や『美
の著名なバラの栽培家で、地元のロザ・ヴェール
花選』があります。
にてオールドローズとイングリッシュローズの栽培
彼の作品の大きな特徴は、スティップル・エング
と販売、ならびにバラ教室等を行う後藤みどり氏
レーヴィング(点描彫版法)という難度の高い技術
をお迎えする予定です。さらに、ルドゥーテ作品の
で花弁の一枚一枚までを正確且つ柔和に表現して
コレクターをお迎えして、ルドゥーテに対する熱
いるところです。彼は、当時の貴族や上流階級の
い思いを語っていただくトーク・イベントの企画も
人々に「花のラファエロ」や「バラのレンブラント」
持ち上がっています。レストランでは通常メニュー
とも称えられ、近年では、ボタニカル・アートの巨
にバラにまつわる特別メニューが加わり、ミュージ
匠として、多くの人々を魅了しています。
アムショップでは華やかなバラ・グッズが多数展開
ジョゼフィーヌ皇妃は、自邸であるマルメゾン城
される予定です。
の庭園に世界中から貴重な品種のバラを集めて栽培
本展では、作品鑑賞を楽しむだけでなく、イベン
させたことで知られています。ルドゥーテはおよそ
トに参加し、レストランやミュージアムショップを
250種類ものバラで溢れるその庭園に自由に出入
利用することで、魅惑的なバラの世界に浸っていた
りすることを許され、皇妃に捧げるために『バラ図
だきたいと考えております。
譜』の制作に没頭しました。
《ロサ・ケンティフォリア》「バラ図譜」より
(学芸員 髙野 早代子)
《バラのブーケ》1825年 グワッシュ・ヴェラム
6
ア・ラ・
カルト
平成26年度新収蔵品展
会期:2015年3月21日(土・祝)~4月12日(日)
山梨県立美術館が平成26年度に新たに収蔵した
は近代都市パリの様子を描きました。そのため、当
作品を紹介します。
時のフランス美術を多角的に理解する上で、また県
山梨県ゆかりの作家として、2013年に当館で回
立美術館の19世紀フランス美術のコレクションに
顧展を開催し、版画の他にも油彩、コラージュ、墨
一層の厚みを持たせるためにも、重要な作品である
彩など多様なジャンルの作品を制作した萩原英雄
と考えられます。
(1913~2007)による油彩や水彩、日本の戦後木版
書籍は、カール・ヴェルナーが1875年に刊行し
画の主要な作家の一人である河内成幸(1948~)
た『ナイル・スケッチ』で、水彩画をもとにした
による初期から近作に至るまでの木版画やエッチン
24点のリトグラフが含まれています。ヴェルナー
グ、河内成幸の妻で「自己の魂の観察」をテーマと
が、1862年から64年にかけてエジプトからパレス
する版画家・河内美榮子(1947~)による木版画、
チナへと旅行した際に見聞したものをもとに水彩画
1945年より山梨に在住し、重厚な建築物のある風
を制作し、3人の執筆者のテキストと合わせて刊行
景を特徴とする早川二三郎(1934~)の代表的な
したものです。19世紀の東西交流を考える上でも
油彩、山梨美術協会にて県内の芸術振興に力を尽く
大変貴重な資料です。
した小林一枝(1933~2011)の油彩、日本画家・
(学芸員 森川 もなみ)
川﨑小虎の次男である川﨑春彦(1929~)による
日本画、奈良県に生まれ山梨県の忍野村に移住、窯
業した陶芸家の松田冨彌(1939~2009)によるファ
エンツァ国際陶芸展出品作と晩年の重要作品を展示
します。
その他にも、神奈川県横須賀市に生まれ、39歳
でニューヨークに渡り永住権を取得し、
「都市の構
造と崩壊」をテーマに制作を続けた木村利三郎
(1924~2014)の版画が収蔵されました。本展では、
代表作である「city」シリーズを中心に紹介します。
山梨県立美術館協力会からは、19世紀フランスの
版画家シャルル・メリヨン(1821~68)による版
画3点と、ドイツの水彩画家カール・ヴェルナー
(1808~94)の稀覯本の寄贈を受けました。
メリヨンの版画は、『パリの銅版画』という銅版
画集に収められている作品です。この版画集はパリ
の様々な風景を描写したもので、当時のセーヌ県知
事オスマンが進めていた、中世の面影が残るパリを
近代的な都市にするための大改造計画の遂行中に制
作されました。メリヨンはバルビゾン派と同時代に
活躍した版画家ですが、バルビゾン派が主に都市か
ら離れた情景を描写したのに対し、メリヨンの作品
7
萩原英雄 作品名・制作年不詳
河内成幸《地下室の夢》1968年
小林一枝《神護寺近くの茶店》1982年
河内美榮子《春の香り》2010年
松田冨彌《ランドスケープ》1989年
木村利三郎《city SUBWAY N.Y.C》1970年
8
H26
特 別 展
生 誕 2 0 0 年ミレ ー 展
―愛しきものたちへのまなざし― 2014. 7. 19 ~ 8. 31
(解説) 岡 田 正 志
(案内・木曜日) 深 沢 みどり
普段、美術館には関心を示さない家人を「またと
特別展としてミレー展が開催されるのは当館が開
ない」ことだからとミレー展に誘いました。音声ガ
館して以来3回目になりますが、今回は美術館開館
イドに従い作品から作品へ。キャプションや解説パ
35周年、ミレー生誕200年という節目の展覧会にな
ネルを丁寧に読み、時にはのぞき込むように顔を近
りました。それにふさわしく内容は当館所蔵以外に
づけるその熱心さに驚きました。
国内外からのミレー作品約80点が、初期から晩年
鑑賞の満足に浸りながら、一階のアートアーカイ
までをプロローグから始まり4章に分かれた構成
ブ(レストラン)へ。案の定、満席でした。仕方な
で、折しも夏休み中だった子供達だけでなく幅広い
く美術館を出て、行き付けの店へ。珈琲の香り漂う
層の方達の心を強く動かす充実したものでした。
中、ミレーとの対面を尋ねると、
「袋をかかえたあ
何よりも私自身が緊張やストレスのない感動で心
の作品は暗かった云々」→超有名な《種をまく人》
身が少しだけ浄化された様でした。それは今回の
なんですけど?
テーマ「愛しきものたちへのまなざし」に通じる自
「《 落 ち 穂 拾 い 》 は 色 が き れ い で、 一 番 好 き だ
然や土と生きる農民や家族に向けたミレーのまなざ
云々」→「
《~・夏》」ですが?
し(=優しさ)が見る者をそうさせるのでしょう。
そんな素っ頓狂な感想の中で、
「奥さんの3つの
特に《編み物の手ほどき》のちょっと口をとがら
肖像画で、亡くなる前の奥さんの右手に2つの指
せ集中している少女の姿や《子供たちに食事を与え
輪。2枚目には1つ。最初の絵には無い。病の進行
る女》の幼女がエサをせがむヒナの様に伸ばした首
と余命を心配するミレーのやさしさを感じたわ!」
などは、今も昔も変わらぬ普遍的な家族の姿がそこ
→なるほど! オノの中指・薬指にかがやく指輪。
にありました。人間の思い通りにならない自然と向
口耳之学ですが、「薬指は、未婚・既婚を問わず
き合い過酷な労働の中でも素朴で何気ない日常が絵
願いをかなえてくれる指」とされているそうですね。
の中にあるから、大人は懐かしさを子供たちには新
婚約指輪は給料の3倍と謂われた頃の我が身を思い
鮮さを感じ優しい気持ちになる。ミレーの魅力のひ
出すとともに、駆け出しボランティアとして、作品
とつだと思います。
の見方は自由、お客様を作品の前にお連れすること
今回の山梨でのミレー展が終わったら府中(東京
が第一義なりと感じたミレー展でした。
都府中市)と宮城の美術館(宮城県立美術館)に巡
回されます。特に宮城ではそれこそ思い通りになら
ない自然の力に打ちのめされて被災され故郷を離れ
ている方もいます。ミレーはバルビゾンに移り住ん
でからも望郷の念から、故郷グリシューの風景や建
物をさりげなく描き込んでいます。ミレーの絵がそ
の方達の心に少しでも寄り添い癒すことはミレーも
望むことかもしれません。
(参考)観覧者総数 72,437人
9
キネティック・アート展 2014.4.26 ~ 6.15
(実技) 松 木 友 幸
展示室に一歩足を踏み入れると、抽象的な「形」、
かと思います。また、機械と友好関係を結び、
「機械
カラフルな「光」、芸術品にはあまり縁のない「動
と向き合いながら人間の感覚に訴える」作品を作ろ
き」
・・・
「キネティック・アート展」は、ミレーの
うとした姿勢は、工場の配管や煙突などの構造を美
牧歌的・伝統的な絵画の世界とはひと味違う、冒険
しいものとして鑑賞する「工場萌え」など、「無機
的な企画展だったと思います。
物を愛でる」感覚として、現在も息づいています。
キネティック・アートは、1938年、ブルーノ・
キネティッ
ムナーリが提唱した「機械主義宣言」に始まる「機
ク・アートから
械の君臨する世界にあって、人間が機械の奴隷にな
生まれた形態や
るのではなく、人間性回復の手立てとなるような芸
考え方は、実は
術」を目指した芸術運動です。しかし、一般的には
今でも身近にあ
難解と受け取られ、美術界においてもあまり顧みら
るものなのかも
れることがありませんでした。1960年代末には、
しれません。
「ポップ・アート」という大きな波に飲み込まれ、
このような
終焉を迎えます。しかし、見た目のインパクトは
「気づき」を促
インダストリアル・デザインに影響を与え、実験的・
してくれる企画
教訓的・哲学的な側面は、構成や色彩を重視する
展を、今後も期
抽象表現主義、
「概念」を作品とするコンセプチュ
待します。
アル・アートなどにもつながっていったのではない
「やまなしの戦後美術 ―四人の革新者たち」展 2014.9.20 ~ 11.3
(案内・土曜日) 田 中 實
『やまなしの戦後美術』展の会期中、キッズ・プロ
グラムとして「ふわふわギザギザ 五感で味わう不
思議なかたち」のワークショップが行われ、ボラン
ティアのメンバーとして参加しました。
陶芸作家・松田冨彌氏の奥様である松田由合子先生
から陶芸作品の説明を受け、まず、会場の作品を鑑
賞しました。松田先生の作品はオブジェ作品が主体
で あ り、 実 用 的 な
も の で は な く、 色
あざやかなものか
ら素材を生かした
も の ま で、 様 々 な
形とタイトルが楽
しめる作品でした。
陶器という硬い材
質のものを色と形
でやわらかく表現
し た も の や、 一 つ
の作品の中で硬さ
とやわらかさの表
現を同時に現わし
ているものなど、観る側に様々の想像力を喚起かせ
られる作品の数々でした。さらに、タイトルも楽し
いものばかり。『ぐにゅぐにゅ』、『ぼこぼこ』、『昼
下がり』のように、軽やかで、重量感を感じさせな
い陶器とは思えない作品でした。本来、陶器は実用
的なものが多い中で、ほとんどが非実用的な作品が
展示されていて、観ることの楽しさを味わえました。
これらの作品は実用的ではないけれど、日常生活
の中に存在していることを想像すると楽しくなれる
と思います。作家、松田冨彌氏が手記の中で『その
日常的な器に、人が気がつかぬよう非日常的なもの
を少しでも組み込めることが出来るかが課題』と
語っているように私たちも、日常生活のなかでいろい
ろな対象物に非日常性を感じることができれば、気持
ちが豊かになってきます。陶器にしても、書にして
も、又、絵画にしても非日常的な何かを感じることが
できればすばらしいと思います。
作品鑑賞の後、松田百合子先生の指導のもと、作品
の製作を行いました。いつもなら思いつかないような
形の作品が多く見受けられ、楽しいワークショップと
なりました。
10
佐伯祐三とパリ ポスターのある街角 2 014 .11.15 ~ 2 015 .1.18
(案内・日曜日) 有 井 涼 子
去る11月15日から「佐伯祐三とパリ」展が開催
ルも街角とは違う、ふわりと包まれるような愛情溢
された。大阪に生まれ、パリで短い生涯を終える佐
れる想いが伝わってくる作品である。《人形》は人
伯の作品は、パリの街角、ポスターの風景は言うに
形でありながら、佐伯がまるで生を吹き込んだ人物
及ばず、友人と訪れた田舎の町並、大胆でありなが
かのようだ。また《郵便配達夫》は病床に伏す時間
らも都会的で、洒脱で、何よりも異国を感じさせて
を割いてでの製作という。真直ぐな視線と力強さが
くれる ・・・ 大好きな画家の一人である。
伝わってくる。
若くしてあこがれのパリに渡り、画家としての活
晩年の作品に人
動を志すが、ブラマンクに酷評された事がきっかけ
物が描かれている
となり、パリの建物や壁を独自の画風で表現するよ
のは、作者が人恋
うになったという。精力的な製作活動をするも日本
しかったのだろう
へ一旦帰国する。しかし、
「自分の描きたいものは
か ・・・。
パリにある」という想いがつのり再びフランスに渡
激しく短い生涯
り活動をするようになる。屋外での製作活動に力を
を終えた「佐伯祐
入れるが無理がたたり、病に伏し心も蝕まれ、やが
三」という人物の
て短い生涯をとじることとなる。
人生とを重ね合わ
佐伯祐三というとパリの街角が代表作とされる
せながらの、より
が、
今回の展覧会で他の一面を見いだせた気がする。
一層興味深い鑑賞
それは人物である。
《彌智子像》は色彩もマチエー
となった。
ら
ら・ぷ ~す
中欧四カ国を旅して
(案内・火曜日) 神 津 克 彦
昨年春に中欧四カ国を訪れました。ナチスに蹂躙
住んでいる所を円形に外へ外へとつくっていく。プ
された傷跡やソ連に支配されていた歴史が、民の心
ラハの旧市街はそんな典型的な街なのでしょうか。
の中に生々しく残されている事に否応なしに気付か
美術館巡りではプラハの街角にあるミュシャ美
された旅でもありましたが、ハプスブルグ家の栄華
術館、ウイーンのベルヴェデーレ宮殿上宮のクリ
を辿り、数々の世界遺産に出会う貴重な旅になりま
ムトといった19・20世紀の作品群。美術史博物館
した。
ではブリューゲルの《雪中の狩人》などに代表さ
イタリアで圧倒された石像文化(文明)は勿論こ
れるハプスブルグ家の壮大な領土内から集められ
ちらでも素晴らしいに尽きるのですが、改めてヨー
た珠玉のコレクションの数々に触れることが出来
ロッパの都市
ました。
それも旧市街
添付した写真はラファエロの《草原の聖母》との
地の魅力に心
ツーショットです。そして楽しみにしていたフェル
底惹かれまし
メールの《絵画芸術の寓意》に出会いその前で釘付
た。まず広場
け。この旅のフィナーレはウイーンのオペラ座でド
をつくって教
ニゼッティのオペラ「愛の媚薬」鑑賞でした。
会を建ててそ
協力員としての最初の任期二年が過ぎようとして
の向かいに宮
います。常に本物と向きあっていられる幸せに加え、
殿 を 置 い て、
それから人の
11
「生誕200年ミレー展」に関わることが出来た喜び
は何ものにも代えられません。
憧れのシャガール に 逢 い に (案内・水曜日) 有 田 恵 子
梅雨入り間近の5月27日、案内水曜日担当は、新
を彷彿とさせる明るく透明感に満ちたみずみずしい
らたな仲間を迎え親睦を兼ねて、2年振りの研修旅
色彩は、リトグラフならではの作品でした。『20世
行に出かけました。
紀で最も美しい本』といわれているのも頷けるもの
目黒区美術館は、目黒駅より10分程坂道を下っ
でした。
た木々に囲まれた公園の中にありました。
《サーカス》(38点)は、陽気で楽しく見えても
通りの喧騒とは別世界の静かな佇まいの美術館で
の悲しい、郷愁を誘う、シャガールの心の奥底を覗
は、
「マルク・シャガール 版画の奇跡 無限大の
きこむような幻想
色彩」展が開催されていました。
的で哀愁を帯びた
和田先生(前山梨県立美術館学芸員)より版画と
心惹かれる作品で
いう技法、油彩画で絵の具を重ねることと版画で色
した。
を重ねることの違いを解説していただきました。
限 定270部 の 美
銅版画の《死せる魂》(96点)は、軽妙な線で描
しい豪華本は、一
かれたモノクロームの世界で表情豊かな作品でし
体どんな人達の所
た。又、20以上もの色を重ね、繊細な色の足し算
にあるのでしょう
によって、無限の色彩世界を生み出しているリトグ
か? せめて一枚
ラフ集。
だけでも・・・思
《ダフニスとクロエ》
(42点)は古代ギリシャの
い出深い楽しい研
詩人ロンゴスによる物語で、エーゲ海のきらめく光
修旅行でした。
感動したこと
(案内・金曜日)
清 水 清 美
今年の「blast」の演奏会で、賑やかなマーチング
マンス 、 踊る観客、終了はスタンディングオーベイ
演奏後、
風にうねる草原の映像にトランペットソロ、
ション。目も耳もくぎづけ、こんな感動の音楽舞台
一人の女性がスズランの花に似せた長い茎のベルを
は初めて経験。センチメンタルな曲でもなく演者も
もちゆっくり踊っていく中でおきたことです。
悲しい表情ではなかった。あの涙は、卓越した演奏
涙があふれ、後方から「なんで涙がでるんだ?」
とすべての演者から注がれたやさしい笑顔とアイコ
という沈んだ声に初めて周囲を見渡すと何人もが涙
ンタクトに癒されているというあたたかな気持ちが
をぬぐっている。涙があふれたのは私だけではな
あふれたのです。
かった。しばらくすると観客の反応を察知したよう
blast のプロデューサーは凄いなあと考えていた
に誰もいない舞台に一人のドラマーがとびだしてき
ころ、歌麿には蔦屋重三郎というプロデューサーが
て、コミカルに「タンタカタンノ・タンタン」とド
いたことを知り、再発見された《深川の雪》への美
ラムを叩き「いいかいくよー」と日本語でしゃべる
術関係者の言葉が耳に残りました。それは「目の満
ような仕草で、今度は「タンタカタンノ・」観客は
足感が得られますね」。
拍手で「タンタン」と返す、興が乗り笑顔でやり取
この言葉が使える新たな美術品に出会えるのを楽
りが続いた。
しみにしていきます。
美しく完璧なフォーメイションでの演奏やスネア
ドラムのぶつかり合い、休憩時間のホールパフォー
12
マイ・ミュージアム 芸術も地産地消で
(解説)
日比野 理津子
いつものように、美術館へ向かうアプローチを踏
いと思える作品と出会い、身近で見続ける事が出来
みしめて歩く、
朝。駐車場から入り口までの数百メー
る喜びは地元ならではの特権です。
トルは、日常生活から解き放たれ、四季を満喫しな
山梨で生まれ、暮らした画家の足跡を辿りながら、
がら心が深呼吸する貴重な一日の始まりの道です。
故郷の風景が画家に及ぼしたであろう心象風景に想
或る日、ギャラリー・エコーで、初めて秋山泉さん
いをはせてみるのも楽しいだろう。どれほどあるの
の鉛筆画を見ました。遠目では淡くぼんやりとしか
だろう、山梨の美術館。
感じられなかったが、その前に立った瞬間、ふんわ
まだまだ私の知らない宝物が、山梨には沢山隠れ
りと包み込むような気配に覆われました。どれも単
ているようです。
純なモチーフであるのに、しっかりとした存在感が
ジャン=フランソワ・ミレーですか!?…
満ちてくるようでした。ドキドキするような若い作
ミレーは別格です!
家さんとの出会いはとても楽しみですが、それ以上
一人の画家の絵をこれだけ長~く見続けている
に嬉しかったのは、山梨へ来て初めて多くの地元出
と、その人の成り立ちや画業などは知らなくても、
身の画家がいたと知ったことです。それは私の財産
他のどの画家よりも深い親しみと愛着が湧いてきま
になりました。
す。私も山梨ミレーファミリーの一員ですから。
望月春江、近藤浩一路、萩原英雄、増田誠そして
昔から好きだった深沢幸雄など… 心から素晴らし
谷さんを偲んで
(情報)
佐 藤 治 子
「佐藤さんはいいねえ…」ご自宅に電話を入れた
わいわいと皆が声髙におしゃべりに夢中になって
あの日、受話器から聞こえた言葉は今も耳に残って
いると、“ちょっと静かに” とやさしく包み込んで
忘れられません。谷さんは都内の自宅の他に北杜市
くださるのが谷先生でした。
での生活を大切にしたいと共に、美術館にもと、10
ミレーの絵は、谷さん宅にも飾られていて、美術
年に近いボランティア活動に、電車にバスに徒歩で
館へ通う動機でもあったのでしょうか。今年は、生
と、時間をかけて通って来られていました。
「夢のよ
誕200年のミレー展を経験し、今まで以上に館の中
うな谷さんでなければの暮らし方じゃないですか」
心となるコレクションの価値に気付かされた年でし
との私の問いに体力的に不安を持っていた彼から
た。ミレーを愛し、県立美術館に通ってくださった
は、後が続きませんでした。その前に谷さんへの便
谷さんの10年間に感謝しております。ありがとう
りで私の書いたのは、日帰りで美術館に行ったこと
ございました。
や館での講座に参加しての講師の先生の話位だった
のですが…。
北杜市の山荘にも何度か案内してくださいました。
春の桜の季節、
情報担当の有志誘っての花見の日は、
わに塚の桜を眺め、山高神代桜に真原の桜並木をま
わりました。途中、広げたランチの時間は充実した
かけがえのない楽しいものでした。そして、
「ここか
ら眺める山の姿が好きだ…」と紹介してくれましたね。
13
情報担当の皆さんと 右端が谷さん
秋色の美術館研修
何年か研修委員を続けています。委員がそれぞれ
に、近県の美術館の資料や展覧会の日程など持ち
寄り研修場所を話し合いの中で決定します。時と
して、なかなか決まらず何回か会議を開くこともあ
りました。
今年度は、昨年希望していた「軽井沢千住博美術
館」にスムーズに決まりました。もう1ヶ所は、近
くの「セゾン現代美術館」になりました。
秋晴れ秋色のとても穏やかな日曜日でした。
「セゾ
軽井沢千住博美術館
(ワークショップ)
山 本 かつ江
ン現代美術館」は、広い林の中にありました。迎え
てくれた作品はクレー、ミロでした。学生の頃グラ
フィックを学んでいましたので、カンディンスキー
やフォンタナなど懐かしさでいっぱいでした。また
外庭には現代彫刻も静寂の中に置かれてあり、ゆっ
くりと散策もできました。入場時に手渡された堤清
二氏の追悼本は、家でじっくりと読ませていただき
ました。多くの作家に慕われ尊敬されていたことを
改めて知りました。
千住氏のイメージは、私の中で羽田空港国内線第2
ターミナルの天井画が強くありました。興味はあま
りありませんでしたが、今回、美術館との出会いの
中で大ファンになってしまいました。ガラス張りの
斬新な美術館。「めまい」かしらと思う様な柔らか
な起伏ある床。その空間の中で振り返ると千住作品
が最初見た時と違って見える。美しい作品。素敵な
演出。時間を忘れてしまいそうな、「ザ・フォール・
ルーム」。カラーリーフガーデンも気になりました。
秋色に輝いていた二つの美術館それぞれに楽しむ
ことができました。さて、「来年は何処へ?」。
オルセー美術館展 印象派の誕生
オルセー美術館展開催中の国立新美術館へ行こう !!
さすが東京。土曜日と最後の10日間は8時迄開館
中、安心して午後3時過ぎにゆっくり出かけた。
目の前に最初に現れたのはパンフレットの表紙に
もなったマネの《笛を吹く少年》終わりもマネの円
熟期の作品で終わらせていた。少年は私の身長大の
画面に赤と黒の単調な色彩の衣裳で、リアルで写真
風に描かれていて観やすかった。全体が黒で縁取ら
れた描き方は日本の浮世絵の影響だそうだ。
山梨に縁の深いミレーの作品は《晩鐘》と《横た
わる裸体》の2作だけだった。
《晩鐘》の前は大勢
の人だかりだった。生活感が漂うどっしりとした重
みのある色彩の《晩鐘》は、山梨の《種をまく人》
と重なり、自分の美術館にいるような不思議な安心
感に満たされた。
次に目にとまったのはモネの《草上の昼食》だ。
モネ=睡蓮だった私だが、日本初公開ということで
興味が湧いた。本来一枚であった絵が長方形の物と
ほぼ四角形の物、2枚の中途半端なサイズに分割さ
れて展示という余りにも変わった展示方法だったか
らだ。理由は生活苦のため家賃代わりに手放した絵
が、手元に戻った時はあまりの傷みに形の違う2枚
(図書)
保 坂 愛 子
の絵に切り離さざるをえなかったとの事。にも拘わ
らず何の違和感もなく一枚の絵として大きな存在感
を放っていた。
冒頭でも触れた円熟期のマネの作品の一つ、黒い
ドレスに肩ひじをついて横たわる《婦人と団扇》は、
以前、世田谷美術館のボストン美術館展で観たモネ
の《ラ・ジャポネーズ》と重なった。あの時の大き
な絵姿の背景全体に団扇が乱舞していた事と。
マネ、モネその他の印象派を魅了し好んで取り入
れられた日本の美の
一つ、浮世絵に関心の
無 か っ た 私。 改 め て
ゆっくり見てみたい
と思った。
今回が3度目のオ
ルセー美術館展。所々
見覚えのある作品を
思い出しながら、程よ
い展示と程よい混み
具合で2時間程、程よ
い満足感でした。
14
トピック
芸術の森公園に
俳人飯田龍太文学碑完成
群馬県立近代美術館
ボランティア一行を迎えて
11月11日( 火 )、
笛吹市境川町出身
の俳人飯田蛇笏の
四男で俳人の飯田
龍太の文学碑が美
術館のある芸術の
森公園内に完成し、除幕式が行われました。文学
碑には龍太の代表句「水澄みて四方に関ある甲斐
の国」が刻まれています。
12月7日(日)、群馬県立近代美術館ボランティ
ア23名が研修の一環として、9年前の訪問につづ
く2回目の訪問をしました。当日は、当館協力員と
の交流会があり、熱心
な質疑が行われまし
た。その後、当館解説
員による作品の鑑賞や
ワークショップを参観
しました。
交流会の様子
表紙の解説
佐野智子 《花の風景》 1990(平成2)年 油彩・麻布 130.3×130.3㎝
「それと気づかなかったのに 何と造化の神は
神秘なのか それなりに調和し、美しいのか 花弁は陽に輝き、風に揺らぐ」(作家の言葉より)
本作は、花の画家、佐野智子が芥子の群生を描
いた作品である。赤い花びらが揺らめく炎のよ
うにも見える。まさに「花弁は陽に輝き、風に
揺らぐ」風景である。
1980年代半ば頃、佐野は、偶然、畑に咲く芥
子の花々を目にし、以降、繰り返し芥子の群生
を描くようになった。それまで取り組んできた
野原に代わって、芥子の花々が画業後半の主要
なテーマとなったのである。
佐野は、芥子の花々が密生するさまを、淡く
優しい味わいの色面が重なり合うひとつの塊と
して表現した。目につくのは、その上に散らさ
れた濃淡さまざまな赤―血のような赤からピン
クやオレンジがかった赤まで―である。それら
は、画面中央付近では厚塗りであり、他の場所
では薄塗りのところもあれば、ペインティング
ナイフで削り取られたところもある。花や葉・
茎の形を表わす輪郭線は、そのほとんどが省略
されている。佐野によれば、野生の芥子の花の
15
26
22
26
53
10
髙野本男協力会前会長
ご逝去のお知らせ
18
平成 年9月 日 協力会初代会長
髙野本男様がご逝去されました。
髙野前会長には昭和 年 月の協力
会発足から平成 年6月迄の長きにわ
たり会長として当会の発展に多大なご
貢献を頂きました。心よりご冥福をお
祈り申し上げます。
10
谷 信正情報担当協力員
ご逝去のお知らせ
平成 年 月 日 谷 信正様がご
逝 去 さ れ ま し た。 心 よ り ご 冥 福 を お 祈
り申し上げます。
26
色は、温室育ちの切り花とは違って、真紅に近
かったそうである。その色の強烈さ、人の手を
借りずに群れなして生え、花を咲かせる力強い
生命力、それらを何とか表現しようとした佐野
の試行錯誤が、色使い、そして描き方に如実に
表れている。芥子シリーズを代表する意欲的作
品と言える。
佐野は東京生まれ。女子美術専門学校(現、
女子美術大学)で洋画を学び、戦後、両親の郷
里である山梨県で教員として働きながら制作に
励んだ。創元会展を中心に、一時期は日展にも
出品して積極的に作家活動を行い、1964(昭和
39)年には安井賞展に入選した。一方、郷里で
は山梨美術協会展と個展で発表しながら、山梨
の女性作家のリーダー的存在として、女性作家
団体を組織したり、女性作家展を開催したりし
た。1993(平成5)には山梨県立美術館で回顧
展「郷土作家シリーズ10 佐野智子展 花宇宙
―自然を謳う」が開催され、画業初期から後期
までの代表的作品53点が紹介された。
(学芸員 髙野 早代子)
編集委員
青柳 咲 秋山よしみ 石川 恵子 工藤 雅子
功刀とも子 小林 邦子 島津久美子 都筑 美子
手塚 君子 新津 和子 藤田 毅 松田きよ子
(50音順) 美術館ホームページ
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/
県美協力会々報 第36号
発 行 平成27年 3 月20日
発行所 山梨県立美術館協力会
責任者 古屋 知子
印刷所 株式会社 少國民社