自彊前進 ると、海外からたくさんの外国人がやってくるようになります。外交官、商人、軍人、船 員たち、そしてその家族たちです。そうした日本にやってきた西洋人たちが一様に驚いた NO,3 平成27年8月25日(火) 附属新潟中学校 ※ ことのひとつが、日本人の多くが読み書きできたということです。ギリシア神話に登場す るトロイアの遺跡を発見・発掘したドイツ人考古学者シュリーマンも、そんな西洋人のひ 学校だより と り で 、「 ほ と ん ど の 日 本 人 は 読 み 書 き が で き る 」 と そ の 旅 行 記 に 驚 き を も っ て 記 し て い 自彊前進…自ら努め励み,前に進むこと(校歌3番の詞から) ま す 。あ る 研 究 者 に よ る と 、幕 末 あ た り の 日 本 人 の 識 字 率( 読 み 書 き で き る 人 の 人 口 割 合 ) は 、 男 子 で 45% 、 女 子 で 15% く ら い だ っ た そ う で す 。 同 時 期 の ロ ン ド ン が 30% 、 パ リ は 10 %くらいだったといいますから、かなり高い数字ではないでしょうか。 それでは、なぜそれほどまでに教育が普及したのでしょう。そこには戦争と平和という 問 題 が 関 わ っ て い ま す 。 1600年 の 関 ヶ 原 の 戦 い で 勝 利 し た 徳 川 家 康 は 3 年 後 幕 府 を 開 き ま すが、その後しばらくは冬夏二回の大坂の陣や、4万人近い犠牲者を出した島原・天草一 いく 揆 な ど 、戦 争 ・ 戦 さ が 続 き ま し た 。 し か し 、 こ の 島 原 ・ 天 草 一 揆 を 最 後 に 大 き な 戦 さ は 姿 を消していきました。戦国時代以来続いた戦いの歴史が終わり、ようやく平和の時代がや ってきたのです。待ち望んでいた平和、誰しも喜んだと思いきや、ひとりこれは困ったぞ と頭を抱え込む人たちが出てきました。それは武士、お侍さんたちです。武士は、戦争と いう舞台で「戦ってなんぼ」という生き方で社会の指導者、支配者の地位をかち得てきた 人たちです。それが「もう刀や槍は必要ありません」と言われることは、自分たちの存在 過去を振り返ることで,「いま」そ してこれからの私たちの歩みを考 えることが大切です。2学期,元気 にスタートを切りましょう。 を根本から否定されるようなものです。将軍様をはじめとした武士たちは、刀にかわる平 和の時代を生き抜くすべを探す必要に迫られることになったわけです。 その答えは意外に早く見つかりました。それは学問、そして学問を通して獲得できる文 化でした。つまり学問を身につけ文化を独占することで支配者としての地位を守ろうとし た わ け で す 。刀 に 代 っ て 、本 や 筆 記 具 が 武 士 に と っ て の 必 須 ア イ テ ム に な っ て い き ま し た 。 幕府が設立した学問所をはじめ、各大名家が競って藩の学校、藩校を設け、武士の教育に 2学期始業式 校長講話 校長 取り組みました。5代将軍綱吉や8代吉宗は武士の学問を盛んに奨励しています。 冨田 健之 さらに、武士たちの間に広まった教育・学問の風潮は、平和が続き、人口が増え、産業 が発展し、社会が豊かになってくると、町人や農民たちにもおよんできました。江戸や各 2015年 、 今 年 の 夏 は い ろ い ろ な 記 念 日 が あ り ま し た 。 1 学 期 終 業 式 で も お 話 し し ま し た 藩の城下町などには次々と寺子屋や私塾が開かれ、男子のみならず女子にも「読み書きそ 戦 後 70回 目 の 終 戦 記 念 日 、 そ れ か ら 御 巣 鷹 山 の 日 航 ジ ャ ン ボ 機 墜 落 事 故 か ら 30年 と い う 年 ろ ば ん 」の 教 育 が 普 及 し て い き 、文 字 を 読 み 書 き で き る 庶 民 が ど ん ど ん 増 え て い き ま し た 。 でもあります。誕生日などの個人的なものから社会全体に関わるものまで、様々な記念日 こうして読み書きができるようになった庶民たちに支えられた化政文化が花開くことにな がありますが、いずれも「いま」から過去を振り返ることによって生まれたものです。逆 ったわけです。 に見れば、過去の出来事は必ず「いま」につながっているということになります。それが 歴史というものです。 江戸時代の終わりに、日本社会の上から下まで教育が広く行き渡り、日本人全体の文化 度が高まったことで、海の向こうから流れ込んできた西洋文明をいち早く理解し学びとっ 少 し 例 を あ げ て み ま し ょ う 。 い ま か ら 100年 前 、 1915年 は ど ん な 年 だ っ た で し ょ う 。 前 ていくことができ、日本は短時間のうちに近代国家の仲間入りを果たすことができたわけ の 年 1914年 に 始 ま っ た 第 一 次 世 界 大 戦 の 真 っ 最 中 で し た 。 そ う し て み る と 、 併 せ て 1 億 20 です。しかし、近代国家となった日本は、教育や文化の大切さを忘れ、再び戦争の時代を 00万 も の 犠 牲 者 を 出 し た 二 度 に わ た る 世 界 戦 争 が 、 わ ず か 30年 足 ら ず の 短 い 間 隔 で 起 こ っ よ み が え ら せ て し ま い ま し た 。 そ の 結 果 が 、 1945年 、 70年 前 の 敗 戦 で す 。 た ん だ と い う こ と に 気 づ か さ れ ま す 。 戦 後 70年 と は こ の ふ た つ の 世 界 戦 争 を あ わ せ た 戦 後 と考えてよいように思います。 こ の よ う に 2 0 0 年 前 の 過 去 を 振 り 返 っ て み る と 、「 い ま 」 そ し て こ れ か ら の 私 た ち の 歩 みをじっくり考えることの大切さがわかってくると思います。みなさんも、歴史を単なる そ れ で は 、 200年 前 の 1815年 は ど う で し ょ う 。 明 治 維 新 ま で あ と 50年 と い う 時 期 で す 。 過去の出来事、暗記物だと片付けてしまわず、いまとのつながりを意識しながら教科書を 歴史の教科書にも載っていますが、当時の年号から文化文政時代とよばれ、化政文化とい 読んでみてはいかがでしょうか。歴史が生き生きみえてくるかも知れません。それでは、 う庶民文化が花開いた時代でした。歌舞伎や相撲、浮世絵や『東海道中膝栗毛』などの読 今日からはじまる2学期、それぞれの新たな思いを胸に元気にスタートしましょう。 み 物 が 人 気 を 集 め 、 貸 本 屋 と い う 商 売 が 流 行 り ま し た 。 そ ん な 200年 前 の 化 政 文 化 の 時 代 がいまとどうつながるのでしょうか。 1853年 の 黒 船 、 ペ リ ー 来 航 を 機 に 、 日 本 は 開 国 し 諸 外 国 と の お 付 き 合 い を 始 め ま す 。 す
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