日韓 1965 年体制を「鍛え直す」ために

【国際シンポジウム】
日本の韓国研究、韓国の日本研究と日韓国交正常化
50 周年:日韓 1965 年体制を「鍛え直す」ために
Contents
04
趣旨/プログラム
06
취지/프로그램
08
21
SESSION 1-2
「日本の韓国研究と日韓国交正常化 50 周年:
日韓 「1965 年体制 」 を「鍛え直す」ために」
木宮正史(東京大学)
40
「일본의 한국연구와 한일 국교정상화 50주년:
한일‘1965년체제’
를‘재단련’
하기 위해」
기미야 다다시(도쿄대학교)
49
54
東京大学大学院情報学環
現代韓国研究センター
URL:http://ut-ccks.net
Mail:[email protected]
「일본학회에서의 한국연구에 대해서」
기무라 칸(고베대학교)
35
45
発行:2015 年3月 14 日
SESSION 1-1
「日本の学会における韓国研究について」
木村幹(神戸大学)
75
SESSION 2-1
「韓国における日本研究の現状と課題」
陳昌洙(世宗研究所)
「한국의 일본연구 현황과 과제」
진창수(세종연구소)
SESSION 2-2
「日本研究について韓国日語日文学会から」
崔在喆(韓国外国語大学校) 「일본연구에 대해서 한국일어일문학회로부터」
최재철(한국외국어대학교)
【国際シンポジウム】
日本の韓国研究、韓国の日本研究と日韓国交正常化 50 周年 :
日韓 1965 年体制を「鍛え直す」ために
開催趣旨
日本の韓国研究、韓国の日本研究は、客観的に相手国のこと、相互関係を研究すること
を目的とするものであり、関係をどうするべきだとか、こうあるべきだというような規範的
な議論とは別次元であるべきだ。こうした見方も当然ありうる。他方で、社会科学であるか
らには、全くの価値中立性はあり得ないのであって、少なくとも、相互関係に関しては、何
らかの規範的な志向を持ってしかるべきだという考え方もあるだろう。
地域研究は、その地域のことや、その地域と自国との関係を理解することであり、それが
中長期的に見て、日韓関係の「進展、改善」に貢献してきたと言えるのかもしれない。しか
し、最近の状況を見てみると、相手を知ることによって逆に相手に「失望」し、相互理解を
諦めてしまうということもあるかもしれない。研究者が政治、外交を直接担うわけではない
ので、直接的な責任を負うことは難しいが、そうした研究という知的作業が、現実の日韓関
係にどのような影響を及ぼしてきたのか。これは、検証してみる必要はある。
日本の韓国研究の担い手として現代韓国研究センターは 5 年間いろいろなことを行ってき
たつもりだが、この 5 年間のうち、最初の 2 年くらいは、韓流ブームの名残もあり、それ
ほど関係は悪くはなかったが、2012 年以降は、ある意味では惨憺たる状況であった。一応
の 5 年の区切りとして、一体、こうした研究という知的作業が現実の相互理解や関係改善と
どのような関係性を持ってきたのか、もしくは持つべきであるのか。さらに、その結果、現
状をどのように診断するのか、などを、研究者の立場から考えてみたい。
東京大学大学院:現代韓国研究センター
4
<プログラム>
2015 年 3 月 14 日(土)09:50 ∼ 17:30 東京大学本郷キャンパス・福武ホール ラーニングシアター
主催:東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター
後援:Korea Foundation
10:00 ▲
09:50
開会式
開会挨拶 木宮正史(東京大学、現代韓国研究センターセンター長)
祝辞
吉見俊哉(東京大学、副学長)
柳興洙(駐日本国大韓民国大使館、特命全権大使)
尹錦鎭(韓国国際交流財団、交流協力理事)
▲
10:00 12:00 第1セッション:日本の韓国研究を問い直す
▲
司会 木宮正史(東京大学)
報告1 木村幹(神戸大学)
「日本の学会における韓国研究について」
報告2 木宮正史(東京大学)
「日本の韓国研究と日韓国交正常化 50 周年:
日韓 「1965 年体制 」 を「鍛え直す」ために」
討論 韓国研究者の立場から : 金元(韓国学中央研究院)
日本研究者の立場から : 鄭在貞(ソウル市立大学校)
12:00 13:00
(昼 食)
15:00
▲
13:00
第 2 セッション:韓国の日本研究を問い直す
司会 外村大(東京大学、現代韓国研究センター)
報告1 陳昌洙(世宗研究所)
「韓国における日本研究の現状と課題」
報告2 崔在喆(韓国外国語大学校) 「日本研究について韓国日語日文学会から」
討論 日本研究者の立場から : 三谷博(東京大学)
韓国研究者の立場から : 三ツ井崇(東京大学)
17:30 ▲
15:20
15:20 ▲
15:00
(休 憩)
第 3 セッション:ラウンドテーブル
司会
木宮正史(東京大学)
参加者全員(9 人)
日本の韓国研究、韓国の日本研究は、日韓関係にどのようなスタンスで臨
んできたのか。どのような意味で貢献してきたのか。もしくは、そうした
ことを考える必要はない、もしくは考えるべきではないのか。
日韓関係の歴史から見た現在 : なぜ、今、日韓関係なのか?
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 5
【국제심포지엄】
일본의 한국연구 , 한국의 일본연구와 한일국교정상화 50 주년 :
한일 1965 년 체제를「재단련」하기 위해
개최 취지
일본의 한국연구, 한국의 일본연구는 객관적으로 상대국, 상호관계의 연구를 목적으로
한다. 이러한 연구가 '관계를 어떻게 해야 한다, 이러해야 한다'와 같은 규범적 논의와는 별개의
차원에 있어야 한다는 견해도 당연히 있음직하며, 다른 한편으로, 사회과학이기 때문에 완전한
가치중립성은 있을 수 없으며, 적어도 상호관계에 관해서는 무언가 규범적 지향을 가지고 있어야
한다는 생각도 있을 것이다.
지역연구는 그 지역에 대한 것이나 그 지역과 자국간의 관계를 이해하는 것이며, 그것이
중장기적으로 한일관계의「진전, 개선」에 공헌해왔다고 말할 수 있을지도 모른다. 그러나, 최근
상황을 보면, 상대를 아는 것으로 인해 반대로 상대에게「실망」하고, 상호이해를 포기한다는
경우도 있을지 모른다.
연구자가 직접 정치, 외교를 행하는 것이 아니기 때문에, 직접적으로 책임을 지는 것은
어렵지만, 이러한 연구라는 지적 작업이 현실의 한일관계에 어떠한 영향을 미쳐왔는가, 이에
대해서는 검증해볼 필요가 있다.
일본의 한국연구를 짊어진 기관으로서, 현대한국연구센터는 5년간 다양한 일을 해왔다고
생각한다. 이 5년의 기간 중, 처음 2년 정도는 한류 붐의 흔적도 있어 그리 관계는 나쁘지
않았으나, 2012년 이후는 어떤 의미로는 참담한 상황이었다. 과거 5년간을 일단락하며, 도대체
이러한 연구라는 지적 작업이 현실의 상호이해나 관계개선과 어떠한 관계성을 가져왔는지, 혹은
가져야 하는 것인지, 더욱이, 그 결과로서 현재 상황을 어떻게 진단해야하는지 등을 연구자의
입장에서 생각하고자 한다.
도쿄대학교 대학원 : 현대한국연구센터
6
<프로그램>
2015 년 3 월 14 일 ( 토 ) 09:50 ~ 17:30 도쿄대학교 혼고캠퍼스 후쿠타케홀
주최 : 도쿄대학교대학원 정보학환 현대한국연구센터
후원 : Korea Foundation
10:00 ▲
09:50
개회식
개회인사 기미야 다다시(도쿄대학교, 현대학국연구센터센터장)
축사 요시미 슌야(도쿄대학교, 부학장)
유흥수(주일본국대한민국대사관, 특명전권대사)
윤금진(한국 국제교류재단, 교류협력이사)
▲
10:00 12:00 제 1 세션:일본의 한국연구를 되묻는다
▲
사회
기미야 다다시(도쿄대학교)
보고1 기무라 칸(고베대학교)
「일본학회에서의 한국연구에 대해서」
보고2 기미야 다다시(도쿄대학교)
「일본의 한국연구와 한일 국교정상화 50주년:
한일‘1965년체제’
를‘재단련’
하기 위해」
토론 한국의 한국연구자의 입장에서:김원(한국학중앙연구원)
한국의 일본연구자의 입장에서:정재정(서울시립대학교)
12:00 13:00
(점 심)
15:00
▲
13:00
제 2 세션: 한국의 일본연구를 되묻는다
사회
도노무라 마사루(도쿄대학교, 현대학국연구센터)
보고1 진창수(세종연구소)
「한국의 일본연구 현황과 과제」
보고2 최재철(한국외국어대학교) 「일본연구에 대해서 한국일어일문학회로부터」
토론 일본의 일본연구자의 입장에서:미타니 히로시(도쿄대학교)
일본의 한국연구자의 입장에서:미쓰이 다카시(도쿄대학교)
17:30 ▲
15:20
15:20 ▲
15:00
(휴 계)
제 3 세션:라운드 테이블の日本研究
사회
기미야 다다시 ( 도쿄대학교 )
참가자 전원 (9 인 )
일본의 한국연구, 한국의 일본연구는 한일관계에 어떠한 자세로 임해
왔는가 . 어떠한 의미로 공헌해 왔는가 . 혹은 , 그러한 것들을 생각할
필요는 없다 , 혹은 생각해야 하는 것은 아닌가 .
한일관계의 역사에서 본 현재 : 왜 , 지금, 한일관계인가 ?
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 7
▲
▲
▲
第 1 セッション報告①
日本の学会における韓国研究について
ー日本における韓国/朝鮮研究とその課題 1 ー
木村 幹
はじめに
議論を次のようなデータから始めてみよう。表 1 は、英語、中国語、そして日本語において
出版された著作の中で、その表題に、それぞれの言語にて「韓国/朝鮮」意味する語、具体的
には、Korea、朝鮮或いは韓国、を含む図書の数を、主要国の中央図書館の蔵書数から抜き出し、
時期毎に示したものである。
ここからわかる事は幾つかある。一つは、日本語の著作の数が突出して多い事である。例えば、
2000 年から 2009 年の間に出版された著作の中で、「韓国/朝鮮」を意味する語を含む日本語
の書籍は 8,000 冊以上に上っている。その数は英語の 4 倍、中国語の 8 倍以上に相当する。英
語の著作がアメリカやイギリスのみならず、世界各地で消費され、中国語の著作でさえ、膨大
な人口を持つ中国本国のみならず、台湾、香港、或いはシンガポールを含む中華圏で広く読ま
れているのに対し、日本語の著作はその圧倒的多数が日本国内でのみ消費されている。この事
を考えれば、日本国内における朝鮮半島に対する関心が、他国に比べて如何に大きく、そこに
巨大な市場が存在するかを知る事が出来る。つまり、朝鮮半島の二つの国を除けば、日本は朝
鮮半島に対して最も高い関心を持つ国なのである。
もう一つわかる事は、このような日本の朝鮮半島に対する高い関心が、長い歴史を有してい
る事である。19 世紀後半以降、日本の朝鮮半島に対する関心は明らかに他国より高い水準にあ
り、その高さは植民地支配期において圧倒的とまで言えるレベルに達している。そして、その
事は、日本が植民地としての朝鮮半島を失ってからも大きくは変わらなかった。戦争で経済や
社会が疲弊した第二次世界大戦直後の時期や、日本経済が低迷した 90 年代においても、朝鮮
半島に対する関心は高い水準に留まった。例えば英語での出版数との格差は、英語での出版数
が伸びているにも拘らず、90 年代以降、寧ろ、開く傾向にあり、日本における「朝鮮半島熱」
はますますその熱さを増しているように見える。
表 1 「朝鮮 / 韓国」を意味する語句を表題に含む書籍の数
-1879
1870-79
1880-89
1890-99
1900-09
1910-19
1920-29
1930-39
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
8
日本
3
15
61
122
225
2,272
561
813
423
1,411
1,197
2,323
2,143
3,327
8,204
アメリカ
2
0
5
16
55
38
50
37
100
376
457
700
816
972
2,199
中国
52
8
7
1
15
38
8
18
10
404
123
139
132
403
1,061
台湾
0
0
0
0
0
0
0
0
3
14
29
49
107
147
307
註: 日 本 は 国 立 国 会 図 書 館(http://
www.ndl.go.jp/)、 ア メ リ カ は 議 会 図
書館(www.loc.gov/)、中国と台湾は
それぞれの国家図書館(www.nlc.gov.
cn/、www.ncl.edu.tw/)のデータを使
用した。
(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
勿論、このような状況には理由がある。勿論その第一は日本にとって、朝鮮半島とそこにあ
る国々が自らの至近距離にあり、経済的、社会的、或いは安全保障の面でも常に重要な存在と
なって来た事である。世界の多くの国において、自らの生活に密接に関連する隣国に対する関
心が、そうでない国に対するものより高いのは普遍的に見られる傾向であり、その意味で日本
の朝鮮半島に対する高い関心は、ある程度当然のものだという事が出来る。
二つ目は、これまた言うまでもなく、1910 年から 45 年までの 35 年間、日本が朝鮮半島に
対する植民地支配を行った事である。イギリスのインドに対する関心や、アメリカのフィリピ
ンに対するそれに典型的に表れているように、植民地支配のような過去における特殊な関係の
存在は、相互の間のネットワークとその後の複雑な関係を生みだす事になる。例えば、日韓の
間に依然として横たわる歴史認識問題や、在日韓国・朝鮮人を巡る問題はその代表的なもので
あり、結果として、日本の朝鮮半島に対する関心を高い水準で引きとめる役割を果たしてきた。
本稿において重要なのは、このような日本における朝鮮半島に対する高い、そして長い歴史
を持つ関心が、研究に対する大きな受容とそれに見合った供給を生み出している、事である。
例えば、研究者の数を見てみるなら、日韓文化交流基金が 2007 年に出版した『日本における
韓国・朝鮮研究者ディレクトリ』2 には、792 名の朝鮮半島研究者に関する情報が掲載されている。
尤も、同著によれば、日韓文化交流基金がこのディレクトリ作成に当たって調査票を発送した
研究者の数は 1,180 名に登るとされており、この中には返答のなかった者、或いは、ディレク
トリへの自らに関わる情報の掲載を拒否した者が多数存在した、とされているから、実際の日
本における朝鮮半島研究者の数は 1,000 名以上に登ると看做して良いであろう。
研究者の数の多さは、学会の規模にも表れる事になる。例えば朝鮮半島に関わる人文学系の
研究者で構成される韓国・朝鮮文化研究会の名簿 3 には、2006 年の段階で 191 名の研究者が
掲載され、社会科学系の研究者で構成される現代韓国朝鮮学会には、2011 年 11 月の段階で
300 名以上の会員が所属している 4。この他に日本学術会議の調査によれば、主として歴史学
研究者で構成される朝鮮史研究会の会員数が 300 名 5、天理大学に拠点を置く朝鮮学会の会員
数も 600 名以上とされている 6。
勿論、このような研究者の多さの結果、日本では多くの朝鮮半島研究の成果も生み出されて
いる。例えばそれを学位論文の数で示すなら、表 2 のようになる。この表は、日本国内におい
て書かれた学位論文のうち、
「朝鮮/韓国」を意味する語をその表題に含む博士論文の数を、学
位取得時期毎に示したものである。明らかなのは、日本において書かれる何らかの意味で朝鮮
半島に関わる博士論文が膨大な量に及んでおり、今日においては、その量的規模は、英語圏全
体で書かれる博士論文よりも多くなっている事である。因みに、少なくとも国家図書館に所蔵
される博士論文のデータベース上においては、中国本国において中国語で書かれた博士論文の
うち、その表題に「朝鮮/韓国」を含むものは、全時期を通じて 175 本しか存在しない。こ
れと比べれば、2000 年代最初の 10 年間だけで、同じ論文が 763 本に達する日本の朝鮮半島
に関わる研究が、如何に多く、分厚いかを知る事ができる。
1
本稿に関わる議論については、拙著『近代韓国のナショナリズム』(京都:ナカニシヤ書店、2009 年)
をも参照の事。
2
日韓文化交流基金編『日本における韓国・朝鮮研究研究者ディレクト』(日韓文化交流基金、2007 年)
。
3
韓国・朝鮮文化研究会『韓国・朝鮮文化研究会名簿』韓国朝鮮文化研究会、2006 年。
4
2011 年 11 月に開催された、同学会理事会における報告による。
5
数字は概数であろう。科学技術・学術審議会学術分科会 研究環境基盤部会学術情報基盤作業部会「日
本学術会議―文部科学省協同による学術誌に関する予備調査について(中間報告)―」、http://www.
mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/002-1/siryo/__icsFiles/afieldfile/2011/07/19/1308123_
4_1.pdf、14 頁(最終確認 2012 年 1 月 21 日)。
6
「天理大学・朝鮮学会、http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 9
表 2 「朝鮮 / 韓国」等を意味する語句を表題に含む博士論文の数
日本語
語句
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
“中国”
4
24
77
48
90
653
1,939
英語
“韓国”
46
17
68
83
210
437
763
論文総数
11,232
37,097
62,699
56,581
77,117
127,022
161,959
“Korea”
8
33
115
270
567
829
669
註:中国の「朝鮮 / 韓国」の語を含む博士論文の数は今日までの総数で 175 本に過ぎない。日本語の博
士論文については、国立国会図書館・国立情報学研究所「博士論文書誌データベース」、http://dbr.nii.
ac.jp/infolib/meta_pub/G0000016GAKUI1、英語の博士論文については、ProQuest、http://proquest.umi.
com/、中国語の博士論文については、中国、台湾双方の国家図書館データベース(http://www.nlc.gov.
cn/、http://www.ncl.edu.tw/)を使用した。(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
しかしながら、そのような日本の朝鮮半島研究が、今日の国際社会において、その規模に見
合った評価を得ているか、といえば極めて心許ない状況にある。例えば、表 3、表 4 はそれぞ
れソウル大学とハーヴァード大学の両大学が所蔵する、各言語での朝鮮半島に関わる著作の数
を示している。データベースの関係上、ソウル大学のデータは、表題に「朝鮮/韓国」を意味
する語が含まれているものの数、ハーヴァード大学のデータは、同大学が「Korea」というキ
ーワードを付している書籍の数になっている。就中、ソウル大学において顕著なのは、日本の
朝鮮半島に関わる著作や研究の増加にも拘らず、この大学が購入する朝鮮半島に関わる日本語
の著作が、90 年代以降、先に紹介したような日本国内における出版数の急激な増加にも拘わら
ず、寧ろ減少している事である。この事は、同じソウル大学において朝鮮半島に関わる英語の
著作の所蔵が増えている事と好対照になっている。同様傾向は、ハーヴァード大学においても、
見る事が出来る。この大学においては、朝鮮半島に関わる韓国語書籍の所蔵が急増する一方で、
日本語書籍の方はさほど増えていない。
明らかな事は、これらの大学が次第に、日本語で書かれた朝鮮半島に関わる著作に関心を向
けなくなっている、と言う事である。ソウル大学の蔵書の状況がよく示しているように、今日
の朝鮮半島研究は韓国語によるものと英語によるものに二分されつつあり、その中で日本語に
よる研究は、急速に地位を失いつつある。数量的なデータでこそ示せないものの、この事は我々
が今日有する、経験とも合致している。例えば、70 年代以前の朝鮮半島研究に関わる、英語や
韓国語での著作を見れば、我々は比較的容易に、そこに日本語の著作の影響を見出す事ができ
る。注釈等において、日本語著作に対する言及が見られる事は頻繁であり、また、参考文献一
覧にも日本語の著作が数多並べられている。しかしながら、近年出版される、英語や韓国語で
の朝鮮半島研究に関わる著作を読んだ時、そこに日本語の著作の名を見出す事は難しい。
表 3 「朝鮮 / 韓国」等を意味する語句を表題に含むソウル大学の書籍数
日本語
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
10
268
82
257
595
932
712
493
英語
12
114
240
391
701
1029
1054
中国語
1
6
5
13
33
112
101
註:
「서울대학교 중앙도서관」(ソウル大学中央図書
館)
、http://library.snu.ac.kr/index.ax、より筆者作成。
(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
表 4 キーワードとして Korea を付せられたハーヴァード大学の書籍数
日本語
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
112
67
221
387
591
692
1064
英語
97
509
996
1418
1904
2845
5017
韓国語
中国語
278
1003
2916
5246
7537
11952
18445
8
63
77
102
202
388
482
註:Hollis、http://hollisweb.harvard.edu/、より筆者作成。
(最終確認 2012 年 1 月 21 日)。
一言で言うなら、日本における朝鮮半島研究は、その巨大な存在にも拘らず、急速に他国で
の地位を失いつつあると言える。流行の言葉を使うなら、
「日本における朝鮮半島研究のガラパ
ゴス化」とでも表現できる状況である。
それでは、日本の朝鮮半島研究はどうしてこのような状態になってしまったのか。また、こ
こから脱出する為には、どのような試行錯誤を積み重ねていけば良いのだろうか。以下、この
点について見て見る事としたい。
一、日本の朝鮮半島研究とその歴史 7
既に述べたように、日本の朝鮮半島研究は長い歴史を持っている。例えば、歴史研究におい
ては、その端緒は 1890 年代の白鳥庫吉らの研究に求める事ができる、とされる。朝鮮史研究
会発行の『朝鮮史研究入門』によれば、そもそも日本の近代歴史学は 1887 年、ドイツ人リー
スが帝国大学に招かれて以降に始められたものであり、その極めて早い段階から、朝鮮史はそ
の中に位置を占めていた。また、1907 年には、前々年に韓国政府学政参与官として渡韓した
幣原担が、党争に関わる研究を行った事が知られている。これが朝鮮半島に関わる本格的で近
代的な研究が、現地における資料探査を経て行われた最初の例となる。1908 年には、白鳥の
働きかけで、南満州鉄道が「満鮮地理歴史調査部」が組織的な朝鮮半島研究が開始される事と
なる。この研究は後に東京帝国大学文科大学に引き継がれ、津田左右吉、池内宏、稲葉岩吉等
による多くの研究を生み出していく事になる 8。
以上のような経緯からも明らかなように、初期の日本の朝鮮半島研究の最大の特色は、それ
が植民地支配への歴史と密接な関係を持ちながら行われていった事だった。つまり、この時期
の朝鮮半島研究は学術的なものであると同時に、植民地支配を円滑に行う為の基礎研究として、
より実用的な意味合いをも与えられていたのである。このような状況は、この時期の朝鮮半島
研究に二つの効果を齎した。一つは言うまでもなく、研究が植民地政策に資する方向に誘導さ
れていった事である。就中、そこで朝鮮半島社会の停滞性と、それゆえの日本による社会の指
導の必要性が繰り返し強調された。後に「植民地史観」或いは「停滞史観」と言われる見方である。
しかしながら、植民地支配との関係は、朝鮮半島研究にプラスの効果も齎した。つまり、当
時の朝鮮半島研究は、時の政府によって支配の為に必要なものと公式に認定され、故に、豊富
な資源が投入されたからである。その一つの表れが、早くも 1916 年に、東京帝国大学文科大
学に日本最初の朝鮮史講座が設置された事である 9。日本の大学序列の頂点を占める東京帝国大
学に早期に朝鮮史講座が設置された事により、以後、日本の朝鮮半島研究は歴史分野を中心と
7
本章については、拙稿「日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序(日本語版)」(日韓歴史
共同研究委員会編
『日韓歴史共同研究報告書(第 2 期)
:教科書小グループ篇』日韓文化交流基金、
2010 年)
をも参照の事。
8
朝鮮史研究会『朝鮮史研究入門』名古屋大学出版会、2009 年。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 11
して展開され、陸続と後継者が育成されていく事になる。日本における朝鮮半島研究の発展を
考える上で、もう一つ重要であったのは、植民地支配下の朝鮮半島において、多くの日本人研
究者が研究の機会を与えられた事であった。重要な機関は二つあった。即ち、一つは 1925 年
に設置された朝鮮史編修会であり、初期の朝鮮史研究の重要な資料発掘はこの委員会によって
行われる事になる。より広い範囲の朝鮮半島研究をカバーしたのは、その翌年、1926 年に設
置された京城帝国大学の諸講座であった。京城帝国大学は朝鮮半島で最初に設置された本格的
な近代的高等教育機関であり、この中で、今日もその著作を引用される、田保橋潔、田川孝三、
四方博等、この時期を代表する研究者達は、ここで研究を積み、また経験を重ねて行く事になる。
植民地支配との関係は、単にこれら公的機関における研究、教育にだけ影響を与えたのでは
なかった。例えば、民間における影響の代表的な例の一つとしては、1925 年の天理外国語学
校における朝鮮語部の設立を挙げる事が出来る 10。幕末に勃興した新興宗教の一つである天理
教は、1890 年代に入ると、国内でその布教活動に制限が加えられるようになり、これを埋め
合わせる形で朝鮮半島に「新天地」を求めていく事になる。植民地支配の開始を前にして、日
本の影響力が強くなりつつあった朝鮮半島は、新興宗教である天理教にとって、新たなる信者
獲得の場として格好の土地であると考えられ、彼等は自らの布教活動の為に、独自に朝鮮半島
における布教促進の為の制度を整えていく事になる。天理外国語学校朝鮮語部の設置は正にそ
のような要望に応えるものであり、そこには植民地支配下の独特な状況が存在していた 11。
加えて、初期の日本人による朝鮮半島研究には、大きなアドバンテージが存在した。それは
当時の日本人が朝鮮半島における「支配者」の位置にあり、それ故、朝鮮半島の各地に存在す
る一次資料に対して排他的にアプローチ出来た事である。事実、今日においても引用される事
の多い、田保橋潔の『近代日鮮関係史の研究』や、田川孝三の『李朝貢納制の研究』、更には、
四方博の『朝鮮社会経済史研究』等の研究の骨格を為す部分は、彼等が京城帝国大学の教員、
或いは、朝鮮史編修会の一員として、アクセスする事のできた資料により支えられている。彼
等が利用した資料の中には、今日その所在さえ明らかでないものが多数存在する事を考えれば、
当時の彼等の状況が如何に特異であったかを知る事が出来る 12。
重要な事は、仮に地域研究において、自らが居住し、自らがその一員である地域について研
究する「インサイダー」と、逆に自らが居住せず、その一員でもない地域について研究する「ア
ウトサイダー」の二種類の研究者が存在するとするならば、
「支配者」の一員として臨む事ので
きた当時の日本人研究者は、朝鮮半島にすむ朝鮮人以上に「インサイダー」のポジションを占
めていた事である。
「インサイダー」であるからこそ、彼等は国家が管理権を有する研究資源に
優先的にアクセスする事が出来、また同時にインサイダーであるからこそ、植民地支配を巡る
柵から逃れる事ができなかった。
9
「 韓 国 朝 鮮 文 化 研 究 室: 研 究 室 一 覧 」、http://www.l.u-tokyo.ac.jp/laboratory/database/32.
。
html?department=1(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
10
なお、我が国初の近代的な朝鮮語学習の為の機関としては、1880 年に設置された東京外国語学校(今
の東京外国語大学)の朝鮮語学科を挙げる事が出来る。同学科の源流は、元来、江戸時代に対馬藩が、
自らの担ってきた朝鮮半島との外交の為に設置した「朝鮮通詞養成所」に求める事ができる。この朝鮮
通詞養成所は、明治政府が朝鮮半島との外交に関する権利を対馬藩から回収した 1872 年に、
「外務省
厳原韓語学所」と改称され、更に翌 1873 年に、場所を釜山草梁公館(もと対馬藩の釜山草梁倭館)に
移して「外務省草梁韓語学所」を開設されたものが、最終的に東京に移されたものである。東京対馬館、
http://sympathy.blog.ocn.ne.jp/tsushima/2006/03/_1684.html(最終確認 2012 年 2 月 20 日)
。また、
中等教育機関の例としては、1879 年に設置された同心学舎(今の済々黌高等学校)に、朝鮮語学科が
おかれた事が知られている。共産主義者同盟(統一委員会)
、http://www.bund21.org/letter/letter10/
letter1003kumamoto.html(最終確認 2012 年 2 月 20 日)。
11
「天理大学・朝鮮学会」http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
。
12
12
前掲『朝鮮史研究入門』
。
ここではこうして生まれてきた彼等を朝鮮半島研究の第一世代 13 と呼ぶ事としよう。ともあ
れ、こうして日本における朝鮮半島研究の第一世代は、植民地支配を巡る特殊な状況から生ま
れてきた。そしてだからこそ、彼等の研究を取り巻く状況は、日本における朝鮮半島支配の終
焉と共に激変した。インサイダーとしての特権的地位を失い、朝鮮半島を離れ内地へ戻る事を
余儀なくされた彼等に待っていたのは、研究継続の為のポストさえ満足に存在しない、という
過酷な状況だった 14。そしてそれは当然の事だった。彼等の研究の多くは、そもそもが朝鮮半
島における日本支配に資する為のものであり、だからこそ、彼等はその研究の遂行過程におい
て、植民地当局からの便宜を多く受けた。だからこそ植民地支配の終焉は、彼等にとってそれ
までの研究の大前提が失われた事を意味していた。彼等が探さなければならなかったのは、生
きる為、或いは研究を続ける為に必要な大学等でのポストだけではなかった。同時に彼等は、
何故に朝鮮半島研究が必要であり、自らがそれをやらなければならないのかと言う事をも、同
時に探さなければならなかった。
例えばこのような当時の状況について、後に第二世代の朝鮮半島研究における中心的存在を
占める事となる旗田巍は、後に次のように述べている。
朝鮮という言葉が朝鮮人にとって不愉快極まる感じを與えた時には、朝鮮史を研究する
意欲も起きなかったと思う。同時に、この事は若い日本人に対しても朝鮮史研究への熱意
を失わせた。しかも朝鮮史研究を阻害した原因は現實の政治の面だけにあったのではなく、
學問の内容それ自身の中にもあった。日本人の朝鮮史研究の主力は古代史に注がれ、近代
史には乏しかった上に、その古代史研究は文献批判・クロノロジー・地名考証を特色とす
るものであった。
(中略)それは歴史学の一つの重要な前提ではあっても、それだけでは多
様な人間の歴史は盡され得ない。人間のない歴史学がつくられたのである。この事が朝鮮
史に対する若い世代の関心を削減した。そして日本の敗退によって朝鮮に対する支配が消
滅し、朝鮮史研究史研究者は国家の力を得られなくなった。そのためにこれまでの朝鮮研
究は一気に沈滞してしまった。15
旗田は、次のように続けている。
いまや朝鮮史の研究は新たな再出発の時期に臨んでいる。従来の成果を汲み取ると同時に、
それを乗り越え、新しい朝鮮史を開拓せねばならない。何よりも朝鮮の人間が歩んできた
朝鮮人の歴史を研究せねばならない。いま苦難の鉄火にまきこまれている朝鮮人の苦悩を
自己の苦悩とする事が朝鮮史研究の起点であると思う。16
こうして植民地支配終焉後、一部の日本の朝鮮半島研究者 17 は、それまでとは方向を一変し、
異なる立場からの朝鮮半島研究を構築して行く事となる。即ち、彼等は、それまでの日本の朝
13
ここで言う世代は、研究に対する姿勢やイデオロギーによる区別されている。従って、ある一定の時期
に複数の傾向を持つ有力な研究者がいる事や、「新しい世代」を構成する一部の人々の実年齢が、
「古い
世代」を継承する一部の人々のそれを上回る事は排除しない。また、前掲拙稿「日韓両国における歴史
観と近代、そして近代的法秩序」をも参照の事。
14
この点については、高吉嬉『
「在朝日本人二世」のアイデンティティ形成:旗田巍と朝鮮・日本』
(東京:
15
旗田巍『朝鮮史』(東京:岩波書店、1951 年)
、4 頁。
16
同上、5 頁。
17
植民地期に養成された研究者の全てが、植民地政策を批判する旗田等と同じ方向に転じて行った訳では
桐書房、2001 年)をも参照の事。
ない。例えば、田川孝三や四方博といった研究者は、植民地支配の擁護こそ行わなかったものの、第二
次世界大戦後も自らの研究の方向性を大きく変えずに維持している。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 13
鮮半島研究は、日本の朝鮮半島支配に資する為に行われ、それを正統化する役割を有していた、
と自己批判した。彼等はこのような従来の研究を「植民地史観」、或いは「停滞史観」に基づく
ものとして糾弾し、
その払しょくの必要性を強調した。その結果、彼等が行きつくのが、所謂「内
在的発展論」という視座である。彼等は歴史学の立場から而己ならず、経済学、社会学、更に
は政治学等の多様な分野からこの議論を展開した。こうした第二世代の朝鮮半島研究者の代表
的な人物としては、先の旗田巍と並んで、経済学者の梶村秀樹の名を挙げる事が出来る 18。
しかしながら、このような日本の朝鮮半島研究第二世代の研究は 80 年代に入ると、大きな
壁に直面するようになる。理由は大きく二つあった。一つは、彼等が議論の理論的拠り所とし
てきた、マルクス主義的、或いは従属理論的な前提が崩れた事である。内在的発展論の重要な
主張の一つは、朝鮮半島を含む世界各国のより良き発展は、外部からの影響ではなく、その内
部に存在する「発展の萌芽」によってのみ実現される、という事にあった。しかし、80 年代、
韓国を含むアジア NIEs 諸国が、彼等の想定とは全く正反対に、内部的な「発展の萌芽」ではなく、
外資やその技術力と言った外部的要因を有効に生かす事により、急激な発展を見せた事で、彼
等は深刻なディレンマに直面した。勿論、アジア NIEs の発展には多くの歪みも存在したが、そ
れによりそこに住む人々が発展を享受し、その生活水準を急速に向上させていた事は誰の目に
も明らかだったからである。
逆に、多くの内在的発展論者がもてはやした、北朝鮮やキューバは経済的に低迷し、世界は
彼等の予測を大きく裏切る形で変容する事となっていた。同時に、日本や韓国、更にはアメリ
カ等における朝鮮半島研究のゆっくりとした、しかし着実な向上は、結果として、内在的発展
論者に不都合な多くの事実をも明らかにする事となった。典型的な例は、第二世代の議論にお
いては、否定的な意味合いしか与えられなかった植民地支配下においても、相当程度の経済発
展が存在した事が明らかになった事だったろう。
何れにせよ、
「植民地史観」の打破と明確な目的を持って始められた第二世代の研究は座礁す
る事となる。朝鮮半島における実際の歴史や社会の現実は、彼等の想定より複雑なものであり、
その複雑さが明らかにされる事により、日本の朝鮮半島研究はその方向性を変える事を余儀な
くされた。こうして日本における第二世代の朝鮮半島研究は急速に衰退し、変わって、新たな
る潮流、第三世代の研究が生まれる事となる。第三世代の研究者に共通するのは、第二世代の
議論が有していた強いイデオロギー性から逃れる事を目標とし、また逃れる為の基盤を厳密な
資料分析による実証主義に求めた事であったろう。彼等が台頭する 80 年代は、韓国の研究機関
が再び日本人研究者の受け入れを開始するようになった時期であり、それまで外部の人間の利
用が困難であった一次資料へのアプローチが、急速に可能になった時期に当たっていた。こう
して貴重な機会を得た第三世代の研究者は、貪欲に研究資料を収集し、その研究水準を急速に
高めていった。第二世代の研究者の業績が、理論的には大きなメッセージを持つ一方で、実証
的には貧弱な内容しか持たなかったのに対し、第三世代の研究者の多くは、実証研究のパイオ
ニアである事を自負していた。こうして蓄積されていった彼等の研究は、必然的に第二世代の
抽象的な主張に様々な欠陥がある事を明らかにした。このような第三世代の代表的な研究者と
しては、歴史学においては、吉田光男や原田環、経済学においては堀和生らの名を挙げる事が
出来る。
同時期において注目すべきは、実証的な研究とは少し距離を置く形で、朝鮮半島の状況につ
いて、広く分析する、しかし非イデオロギー的な研究が生まれた事だった。見落とされてはな
らないのは、日本における朝鮮半島研究の歴史の中で、この世代が、事実上初めて、朝鮮語を
駆使して朝鮮半島研究を展開した人々だという事だった。言い換えるなら、それ以前の朝鮮半
島研究者は、一部の例外的な人々を除き、資料や論文こそ読めても、朝鮮語を「音」としては
理解せず、基本的に日本語の枠組みの中でのみ議論していた。これに対して第三世代以降の研
18
日本における朝鮮半島研究と内在的発展論の関係については、前掲拙稿「日韓両国における歴史観と近
代、そして近代的法秩序」をも参照の事。
14
究者は、そのレベルは様々であったにせよ、とりあえず朝鮮語をしゃべり、これを駆使して朝
鮮半島の研究者との交流をしながら研究をする事が可能であった。こうして彼等の一部は、広
範な人脈と情報も持つ事となり、新しいタイプのジェネラリストが生まれる事となる。言うま
でもなく、その代表的な人物はこの時代の政治学分野にて大きな存在を占めた小此木政夫に他
ならなかった。
しかしながら、90 年代の半ばにさしかかる頃になると、早くもこの第三世代の研究も大きな
曲がり角に差し掛かる事になる。その理由は明らかだった。問題は、脱イデオロギーを標榜し、
実証研究を目指した彼等の研究も、実は一定の方向性を持っていた事にあった。つまり、第三
世代の多くの研究者の初期の研究の方向性は、彼等に先立つ第二世代の研究者の議論を打ち壊
す方向に向けられていた。だからこそ、その研究はその多くが朝鮮半島の内在的発展を否定す
る方向に向けられる事となり、時にその事は彼等が「植民地史観」の再唱者なのではないか、
との疑いを、韓国の研究者をはじめとする一部の人々から持たれる事となった。そして実際厄
介な事に、彼等の一部の研究は急速に民族主義的な色彩を帯びる事にすらなっていった。結局、
問題はこうであった。本来、実証主義はそれのみでは、存在し得ないものである。何故なら、
実証主義が有効に成立するのは、彼等が取り組むべき問題が何かであるが定まっている場合の
みであり、何に取り組むべきかという問題は、実証主義そのものから与える事はできないから
である。だからこそ、第二世代の研究が権威を持って存在している間は、これに対する挑戦者
としての彼等の研究はその方向性が明確であり、その鋭さは輝いて見えた 19。しかし、目標で
あった第二世代の研究が力を失うと、挑戦者としての彼等の研究は急速に方向性を失っていく
事になったのである。
二、2000 年代の日本の朝鮮半島研究
こうして 90 年代以降、日本の朝鮮半島研究は、大きな壁に直面する事となる。厄介な事は
もう一つあった。つまり、80 年代、第三世代の研究者が競って韓国で資料収集を行い、それに
基づく実証的な研究で大きな成果を挙げ得たのには背景があった。それは当時の韓国における
研究の実証性が低かった事である。経済的な困難や、政治的な不自由、そして何よりも学術的
な蓄積の不足の為、80 年代頃の韓国における朝鮮半島研究には依然、様々な制約と限界があっ
た。
しかし、87 年の民主化と、それをまたぐ時期の急速な経済発展は、この状況を根本から変え
ていく事となった。加えて、見逃されてはならない事がもう一つあった。80 年代頃までにおけ
る、韓国の主要研究者は、その多くが植民地期に日本語で教育された世代に属していた。だか
らこそ彼等は日本語を容易に読み、日本語により展開される学問的議論にも容易に習熟する事
ができた。このような状況は、それが日本における学閥的な研究環境と連結する事により、日
本と韓国の研究者の間の特異な状況を生みだして行った。
だからこそ、80 年代頃までの韓国の研究の多くは、多くの分野において、日本の影響を受
けながら展開されていった。しかしながら、80 年代に入る頃になると彼ら「日本語世代」は
一斉に退場し 20、結果、韓国と日本の研究者の紐帯は急速に失われる事となっていく事になる。
変わって強化されたのは、アメリカの研究者との紐帯だった。経済発展の結果として、90 年代
以降、韓国における将来有望な若手研究者の多くがアメリカに留学し学位を取得するようにな
っていく。結果として、韓国の学問的雰囲気は急速変容し、その研究のスタイルもアメリカ的
な「科学試行的」なものへと変容する事となる。
類似した状況は、アメリカでも起こっていた。例えば、エズラ・ヴォーゲルや、ロバート・A・
19
この点については、拙稿「
『日韓歴史共同研究』をどうするか:当事者的観察」(『現代韓国朝鮮研究』
20
前掲拙稿「日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序」、293 頁以降。
第 10 号、2010 年)をも参照の事。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 15
スカピラーノといった 70 年代頃までのアメリカの北東アジア研究をリードした人々の多くは、
自らの研究を日本研究者として始めており、そこから中国研究や朝鮮半島研究にも手を広げて
いった人達に他ならなかった。スカピラーノの経歴が典型的に示しているように 21、第二次世
界大戦後の北東アジア研究者の多くは、第二次世界大戦に伴う需要により生み出された人々で
あり、それ故彼等の多くは日本語に習熟していた。だからこそ、北東アジアに関わる文献が少
なかったこの時代、彼等は日本語で書かれた資料を参照し、これを引用しながら、自らの研究
を行った事はある程度当然だった 22。
しかしながら、アメリカにおいても、80 年代に入ると北東アジア研究を巡る状況は急速に変
化する事になる。つまり、ヴォーゲルやスカピラーノのような「兼業朝鮮半島研究者」は、急
速に姿を消し、当初から朝鮮研究者として育成された人々が中心的な地位を占めるようになる。
先行する世代の研究者と比べて、日本語にハンディキャップを有していた彼等は、日本語の著
作に依拠するよりは、自ら直接朝鮮半島で一次資料を探索し、より実証的な研究をする事を目
標とした。
本稿において重要な事は、この結果、従来は日本を一つのハブとして、日本と連動していた、
韓国やアメリカの研究状況が大きく変化した事である。つまり、アメリカの研究が日本のそれ
を参照しなくなり、且つ韓国の研究がアメリカとの連動を強めた結果、日本の研究は急速に「ガ
ラパゴス化」して行く事になる。
とはいえ、アメリカとの関係を深めていったのは、日本も同様であった。こうして研究のハ
ブは日本からアメリカに移り、第四世代の新たなる研究動向が生み出されていく事になる。先
述のように、第三世代の研究者は第二世代の理論的な議論を嫌い、それを打破する為に実証的
な議論に依拠する傾向があった。これに対して、その後表れた第四世代の日本の朝鮮半島研究
者の特徴は、再び理論的な議論を重視するようになっていく。
第四世代の研究がこのような傾向をもったのには幾つかの理由があった。理論志向の強いア
メリカからの影響と並んで重要な役割を果たしたのは、韓国における実証研究の水準向上であ
ったろう。既に述べたように 80 年代においては、日本人研究者が韓国人研究者に先駆けて実
証研究を行う広範な余地が存在した。しかし、一旦、韓国において活発な実証研究が展開され
るようになり、日本人研究者の活躍できる部分は急速に小さくなっていく事になる。何故なら、
同じ条件で実証研究を行えば、朝鮮半島における地域研究のインサイダーである韓国人が、ア
ウトサイダーである日本人にアドバンテージを有している事は明らかであったからである。事
実、90 年代以降、朝鮮半島に関わる日本の実証研究は、次第に周辺的な位置へと追いやられて
いった。抽象的な議論の再発見は、このような第四世代の研究者が、自らの状況を打開しよう
として行われた結果だった。
抽象的、或いは理論的な研究への再着目には、恐らく、もう一つ理由があった。90 年代以降
の時期は、所謂バブル景気が終焉を迎え、日本が深刻な経済的低迷に直面する時期に当たって
いる。同時に訪れた少子化による若年層人口の減少と、時を同じくして行われた日本政府によ
る大学院の大幅な拡張は、結果として、研究者の需要と供給の極端なアンバランスを生みだし
た。
忘れてはならないのは、日本においては、大半の朝鮮半島研究者が、朝鮮半島研究に直結す
るポストにではなく、政治学や経済学、或いは社会学や教育学と言った、何かしらの学問的デ
ィシプリンの名を冠したポストにその職を見出さざるを得ない状況が存在する事だった。研究
者の供給過剰と、財政削減及び少子化に伴うポストの減少の結果として生まれた過酷な生存競
争は、当然の事ながら厳しい業績競争を生みだす事となり、業績競争は所謂レフリー付きジャ
ーナルへの掲載競争へと発展した。ディシプリンの名を冠したポストに就職する為には、やは
21
Robert A. Scalapino, ICAS Distinguished Fellow: Biographic Sketch , http://www.icasinc.org/bios/
。
scalapin.html(最終確認 2012 年 1 月 21 日)
22
16
例外としては、James B. Palais を挙げる事が出来る。
りディシプリンの名を冠した雑誌に掲載される必要があり、彼等は限られた資源を、理論的な
研究につぎ込んでいく事になる。
しかし、それなら彼ら第四世代の研究者は、より具体的には、自らの研究を巡る状況をどの
ようにして打開しようとしているのだろうか。次にこの点について、
「朝鮮半島研究をどうする
か」という表題を掲げて、2011 年 11 月に行われた現代韓国朝鮮学会における議論を手掛かり
に見ていく事にしたい。
三、現代韓国朝鮮学会における議論から
日本の朝鮮半島研究は今日大きな岐路に差し掛かっている。この意識は、日本国内の多くの
研究者に共有され、様々な試行錯誤が各地で続けられている。2011 年 11 月に神戸大学にて
行われた第 11 回現代韓国朝鮮学会年次大会 23 は、このような今日の日本の朝鮮半島研究が抱
える問題を正面から取り上げたものだった。大会では、一日目の 19 日に、政治研究、北朝鮮・
国際関係研究、経済研究、社会研究の 4 つの部会に分かれて、今後の朝鮮半島研究の目指すべ
き方向が議論され、これを受ける形で二日目の 20 日の最終シンポジウムでそれぞれの部会の
座長が、自らの分野を代表する形で、朝鮮半島研究の将来についての報告を行った。ここでは
主として、その最終シンポジウムの内容について紹介する事にしよう。
最終シンポジウムにおいて報告を行ったのは、政治研究の浅羽祐樹、北朝鮮・国際関係研究
の宮本悟、経済研究の高安雄一、そして社会研究の春木育美の 4 名であった。全て 1960 年代
から 70 年代に生まれ、90 年代以降に大学院にて学んだ第四世代の朝鮮半島研究者に分類され
る人々である。このシンポジウムにおいて 4 名が展開した議論はそれぞれ極めてユニークだっ
た。
最初に政治学者の浅羽は朝鮮半島研究を一つのケーススタディとして割り切り各々のディシ
プリンへと如何にフィードバックするべきかについて議論した。これに対して北朝鮮・国際関
係研究の宮本は、やはり同じく理論を重視する立場でありながら、寧ろ、理論的枠組みを受容
して、現状をよりよく分析する事の重要性を強調した。
これに対して経済学者の高安は全く異なる立場から、朝鮮半島研究の進むべき道の一つを提
示した。彼は高度に理論化が進んだ経済学において、朝鮮半島ケースから理論へのフィードバ
ックを行うのは困難だという前提の上に、寧ろ、朝鮮半島研究はそこから得られる示唆を如何
にして日本社会にフィードバックするかを考えるべきである、という議論を展開した。対して、
社会学者である春木は、主としてジェンダーの観点から、韓国の社会問題に言及し、これに対
して影響を与える為にこそ、研究を行うべきである、と強調した。
この一見無秩序に見える議論は、実は、現在の日本の朝鮮半島研究が進むべき道の、重要な
部分を全てカバーしている。重要なのは、朝鮮半島研究が研究として存在する為にその「聴衆」
が必要であり、どこに自らの「聴衆」を求めるべきかが、真剣に議論されなければならない、
という事である。論理的に考えれば、この「聴衆」の候補としては、次の二つが考えられる。
一つはそれが学術的な研究として書かれる以上、「聴衆」も学術的な所に求められるべきだ、と
いう考え方である。先の 4 者の場合は、該当するのは浅羽と宮本の主張である。そして地域研
究がある種のケーススタディである以上、ここでの戦略は二つ考えられる。一つはケースを新
しい理論を生み出す為の材料として用いる事であり、浅羽はこの立場に属している。もう一つ
の方法は、ケースを従前の理論の検証に用いる事である。宮本の主張はこれに該当する、とい
う事ができる。
しかしながら、朝鮮半島研究の「聴衆」は何も、学術的な所にばかりあるとは限らない。朝
23
この大会については、現代韓国朝鮮学会ホームページ、http://www.meijigakuin.ac.jp/ ackj/(最終確
認 2012 年 1 月 21 日)
、をも参照の事。また、
「特集:地域研究としての朝鮮半島研究の可能性(仮題)
」
(
『現代韓国朝鮮研究』第 14 号、近刊)
。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 17
鮮半島の国々が日本のすぐ隣にあり、そこに南北併せて 7,000 万人以上もの住んでいる以上、
その存在は我々にとって、常に大きな存在となって表れる。この意味において、高安の指摘は
示唆に富んでいる。彼が指摘したのは、日本と並ぶ東アジアの主要先進国の一つなった韓国が
我が国と類似した多くの点を有している事であり、それ故、その試行錯誤から日本は多くを学
ぶ事ができる、という事であった。つまり、彼が主張したのは、アカデミックではない、日本
のより一般的な人々を「聴衆」として設定し、韓国の例を持って経済がどのようなメカニズム
で動くかを説明する事により、日本をよりよき方向に導く事が出来ると主張したのである。
高安が「聴衆」を日本の一般の人々に求めたのに対し、春木は、
「聴衆」を朝鮮半島の中に求
めている。春木が強調したのは、アウトサイダーにはアウトサイダーにしかできない事がある、
という事だった。つまり、インサイダーはインサイダーであるが故に、社会の柵に縛られ、時
に自由に行動し、発想する事が難しい。対して、アウトサイダーには、観察対象である社会に
容易にアクセスできない事の見返りとして、その社会に縛られる必要がないというアドバンテ
ージが与えられている。だからこそ、春木はアウトサイダーこそ、自らの研究対象に対して積
極的に発言し、インサイダーと議論しつつ、観察対象となる社会をより良き方向へと誘ってい
くべき事が出来る、と主張した訳である。
勿論、議論がこのように分かれた背景には、各々の学問分野の特殊性があるように見える。
例えば、政治分野においては、基本的にアウトサイダーが影響を与える事は忌むべきものとさ
れており、春木が主張したような行動を起こす事は難しい。北朝鮮研究については、この事は
より明確に言える。日本人の研究者が北朝鮮の現状に影響を与える事は想定する事すら難しく、
加えて、情報量が圧倒的に不足するこの分野においては、理論的に高度な議論を展開し、フィ
ードバックする事も困難である。勢い、議論の方向が、限られた情報を如何にして効率的に処
理するかに向かう事は、必然である。だからこそ、浅羽と宮本は共に、学術的な方向へと聴衆
を求めながらも、一方が理論にフィードバックする事を目指し、他方は理論を受容する方向へ
と議論を展開したのだという事が出来る。
対して、理論が高度に抽象化された分野では、特定のケースのみを持ってして、ディシプリ
ンに影響を与えるような議論を行う事は難しい。だとすれば、理論的な方向に「聴衆」を見い
だせなければ、出来る事は一般社会にそれを見出す他はない。幸い、日本と韓国の経済には多
くの類似点があり、しかも、今日、韓国は日本以上に様々な冒険的な施策を実施しているよう
に見える。だとすれば、
「後追いする日本」は「先行する韓国」から多くを学ぶ事が出来る。実際、
実務分野では FTA 等の交渉において、韓国の例から学ぼうとする姿勢は強くなってきており、
高安の主張はこのような状況の延長線上にあると言える。
それではこのような議論を参考にしつつ、我々は今後の日本の朝鮮半島研究についてどのよ
うな展望を持つ事ができるのだろうか。最後にその点について触れて、本稿の筆を置く事にし
よう。
四、日本における朝鮮半島研究のアドバンテージとディアドバンテ―ジ
さて、以上のような議論から、我々は今日の日本における朝鮮半島研究とその課題について、
どのように理解する事が出来るのだろうか。
まず明らかなのは、日本の朝鮮半島研究には以前に存在した、インサイダー或いは疑似イン
サイダーとしての日本の研究者の優位は最早存在しないと言う事である。第 2 章の議論の枠組
みに従うなら、日本の朝鮮半島研究において、第一世代は明らかなインサイダーであり、また
第三世代は、韓国における実証研究の未成熟と制約を利用して、隣国の経済大国である日本を
ベースにして研究する事で、恰も、自らがインサイダーであるかのような立場から研究を行っ
てきた。
しかしながら今日、韓国の研究水準が上昇した事は明らかであり、ここに海外からの研究者
が割り込む余地は少なくなっている。だとすると、我々が出来る事は限られている。一つは単
18
純に「現地の人間ができない、或いは重要性を見出さない事」を研究する事である。あらゆる
社会にはタブーがあり、また、所与とされる「常識」が存在する。タブーや「常識」は、その
内部にいるものにとっては、時に抗い難いものであり、それ故、彼等がそれらに関わる事象に
ついて自由に議論する事は難しい。であれば、アウトサイダーが出来る事の一つは、朝鮮半島
の社会において何がタブーであり、何が無前提の「常識」であるかを見つけだし、これを一つ
一つ検討して行く事になる。これにより、我々は朝鮮半島の人々が見いだせなかった、或いは、
発言できなかった何らかの重要な事象を見出し、それにより新たな朝鮮半島社会の理解を開く
事が出来る。
では、そのような実証的な研究の糸口が見つからない場合にはどうしたら良いのだろうか。
この場合、方法は二つある。一つは、従前の「朝鮮半島においては既に確定している事実や説明」
を、より抽象的な説明と照らし合わせてみる事である。仮に、両者の間に齟齬が存在するなら、
それはどちらかが誤っているか、少なくとも再検討の余地がある事を意味している。仮に実証
の方がきちんとしたデータと分析に基づいているなら、その場合、変えるべきは理論の方だと
いう事になる。そうすれば、分析済みの朝鮮半島の事例を理論にフィードバックする事で、大
きな理論的な貢献をする事が出来る。
もう一つの方法は、
「朝鮮半島においては既に確定している事実」を「日本における常識」と
照らし合わせてみる事である。仮に前者がしっかりとしたデータと分析に基づいているのであ
れば、勿論、この場合も変えるべきは「日本における常識」の方である、という事になる。国
民国家に一定の意味が存在し続ける限り、
「日本における常識」を変える事は、日本と言う国家
の進路を変える事であり、それは即ち我々の将来を変える事をも意味している。
状況は若干異なるものの、逆に「朝鮮半島の外部においては既に確定している事実」を「朝
鮮半島における常識」と比べる事もできる。この場合は変化するのは、
「朝鮮半島における常識」
という事になる。もしも、それが一定の意図を持って行われるのであれば、それは即ち、ある
種の運動と言う事になる。先述のように、インサイダーにはインサイダーであるが故の様々な
柵が存在する。だとすれば、アウトサイダーが無責任な、しかし自由な立場から発言する事に
より、朝鮮半島における社会がより良きものになるように貢献する余地はあるのかもしれない。
ここで見落とされはならないのは、このような朝鮮半島研究の可能性を実現する為には、ど
のような準備が必要であるか、であろう。第一に明らかなのは、各々の目標において異なる「聴
衆」が存在する以上、我々はそれに対する「話法」を変えなければならない、という事である。
そして、それには大きく分けて二つのベクトルが存在する。一つは、アカデミックな話法を使
うか、それともより多くの人に理解される一般的な話法で議論するか、という事である。勿論、
アカデミックな話法を使えば、それだけ明確な議論が可能になるが、同時にこれを理解できる
人の数も少なくなる。逆に一般的な話法を使えば、より多くの人が議論を理解できるようにな
る一方で、その議論の焦点は大きく曖昧になる事となる。
もう一つのベクトルは、そもそも何語において発信するのか、という問題である。言うまで
もなく、
「聴衆」を日本国内に求めるのであれば、その著作が日本語で書かれるべき事に疑いは
ない。しかしながら、
それが朝鮮半島の社会に影響を与える事を期待するなら、その発信は当然、
朝鮮語において行われるべきである。他方、それがより広範な理論的な分野に影響を与える事
を期待するなら、その文献はより多くの共通する理論的問題に関心を持つ人々が理解できる言
語、即ち、英語により執筆されるべきである。
このようにして考えた時、明らかな事は、今日の日本の朝鮮半島研究が大きな問題を抱えて
いる、という事である。即ち、確かに日本は世界有数の「朝鮮半島研究大国」かも知れない。
第三世代による実証研究全盛の時代を経た、今日の第四世代の研究は、高度な実証性を持つの
みならず、嘗ては存在しなかった理論的示唆さえ持つようになっている。しかしながら問題は
それが彼等の伝えたい「聴衆」に届いていない事である。理由は勿論明確である。彼等は自ら
のメッセージをより有効に伝え得る方法にて伝えていない。韓国における実証研究の水準が向
上し、世界各国において朝鮮半島に対する関心が高まりつつある今日において、日本国外の誰
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 19
も知らないような雑誌に日本語で論文を掲載し、それが顧みられない事に不満を持つのは、筋
違いというべきである。重要なのは、研究者の責務は、研究をする事それ自身のみにあるので
はなく、貴重な研究成果をより多くの人に知って貰うべく様々な試行錯誤をする所までを含ん
でいる、事である。例えば、自らの著作が韓国社会に影響を与える事を期待するならそれを韓
国語にて書く事は当然であるし、逆に理論的フィードバックをするなら英語で書く事が大前提
となる。その為の試行錯誤さえせず、自らの研究が顧みられない事を嘆くのは、単なる身勝手
な自己弁護であるという他はない。
日本には確かに他国には存在しない、巨大な朝鮮半島研究の市場があり「聴衆」がいる。し
かしながら、だからこそ我々はこのぬるま湯のような環境の中、この貴重な研究成果を世界に
知らしめる地道な努力をする事を怠って来た。日本に多くの「聴衆」がいる事は確かだが、世
界にはより多くの、そしてより固有の視点から研究を続ける無数の朝鮮半島研究者が存在する。
その彼等に自らのメッセージを伝える事こそが重要だという事を確認し、本稿の筆を置く事と
したい。
[木村幹「日本における韓国/朝鮮研究とその課題」徐興慶編『近代東アジアのアポリア』(國立臺灣
大學出版中心、2014年)を転載]
20
▲
▲
▲
제 1 세션 보고①
일본학회에서의 한국연구에 대해서
―일본에서의 한국/조선연구와 그 과제1―
기무라 칸(木村 幹)
들어가며
논의를 다음의 데이터로부터 시작해 보자. 표1은 영어, 중국어, 그리고 일본어로 출판된 서적들
중에서, 그 제목에 각각의 언어로「한국/조선」을 의미하는 단어, 구체적으로는 Korea, 조선 혹은
한국을 포함하는 도서의 수를 주요국의 중앙도서관의 장서수로부터 확인하여 시기별로 정리한
것이다.
이로부터 알 수 있는 사실은 몇가지가 있다. 한가지는, 일본어로 된 서적의 수가 눈에 띄게
많다는 사실이다. 예를 들어, 2000년부터 2009년 사이에 출판된 서적 중에서,「한국/조선」을
의미하는 단어를 포함하는 일본어 서적은 8,000권 이상으로 증가했다. 그 수는 영어 서적의 4
배, 중국어 서적의 8배 이상에 해당한다. 영어로 된 서적이 미국과 영국뿐 아니라, 세계 각지에서
소비되고 중국어로 된 서적도 방대한 인구를 가진 중국본토뿐 아니라 대만, 홍콩, 혹은 싱가폴을
포함하는 중화권에서 널리 읽혀지고 있는 것에 반해, 일본어로 된 서적은 그 압도적 다수가 일본
국내에서 소비되고 있다. 이러한 사실을 생각하면 일본 국내에서 한반도에 대한 관심이 타국과
비교해 얼마나 높은지, 그리고 일본 국내에 얼마나 거대한 시장이 존재하는지를 알 수 있다.
즉, 한반도에 있는 두 국가를 제외하면, 일본은 한반도에 대해 가장 높은 관심을 가지고 있는
국가이다.
또 한가지 알 수 있는 사실은 이러한 일본의 한반도에 대한 높은 관심이 긴 역사를 가지고 있다는
것이다. 19세기 후반 이후, 일본의 한반도에 대한 관심은 확실히 타국보다 높은 수준이었고, 그
표1 「조선/한국」을 의미하는 어구를 제목에 포함하는 서적의 수
일본
미국
중국
대만
-1879
3
2
52
0
1870-79
15
0
8
0
1880-89
61
5
7
0
1890-99
122
16
1
0
1900-09
225
55
15
0
1910-19
2,272
38
38
0
1920-29
561
50
8
0
1930-39
813
37
18
0
1940-49
423
100
10
3
1950-59
1,411
376
404
14
1960-69
1,197
457
123
29
1970-79
2,323
700
139
49
1980-89
2,143
816
132
107
1990-99
3,327
972
403
147
2000-09
8,204
2,199
1,061
307
주: 일본은 국립국회도서관(http://www.ndl.go.jp/), 미국은 의회도서관(www.loc.gov/), 중국과 대만은
각각의 국가도서관(www.nlc.gov.cn/, www.ncl.edu.tw/)의 데이터를 사용했다(최종확인 2012년 1월 21일).
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 21
높은 관심이 식민지 시기에는 압도적이라고까지 말할 수 있는 수준에 도달해 있었다. 그리고
그러한 사실은 일본이 식민지로서의 한반도를 잃은 이후에도 크게 변하지 않았다. 전쟁으로
경제와 사회가 피폐해진 제2차 세계대전 직후의 시기와 일본 경제가 부진했던 90년대에도
한반도에 대한 관심은 높은 수준에 머물러 있었다. 예를 들어 영어로 된 서적의 출판수와의
격차는, 영어로 된 서적의 출판수가 증가했음에도 불구하고, 90년대 이후 오히려 차이가 벌어지는
경향이 있었다. 일본에서의「한반도열(朝鮮半島熱)」은 점점 그 뜨거움을 더해가는 것으로
보인다.
물론 이러한 상황에는 이유가 있다. 첫번째 이유는, 한반도와 그곳에 있는 국가들이 일본과 매우
가까운 거리에 있고, 경제적, 사회적, 혹은 안전보장의 면에서 항상 중요한 존재가 되어 왔다는
점이다. 세계에 있는 많은 국가들에서 자국의 생활과 밀접한 관련이 있는 인접국가에 대한 관심이,
밀접하게 관련되어 있지 않은 국가들에 대한 관심보다 높은 것은 보편적으로 보이는 경향이며,
그러한 의미에서 일본의 한반도에 대한 높은 관심은 어느 정도 당연한 것이라 말할 수 있다.
두번째는, 말할 것도 없이 1910년부터 45년까지의 35년간 일본이 한반도에 대한 식민지
지배를 했다는 점이다. 영국의 인도에 대한 관심이나 미국의 필리핀에 대한 관심에서 전형적으로
나타나 있듯이, 식민지 지배와 같이 과거에 있어서의 특수한 관계의 존재는 상호간의 네트워크와
그 후의 복잡한 관계를 야기하게 된다. 예를 들어, 한일양국 사이에 여전히 가로놓여있는
역사인식문제나 재일한국∙조선인을 둘러싼 문제는 그 대표적인 것이며, 결과적으로 일본의
한반도에 대한 관심을 높은 수준으로 유지하는 역할을 해 왔다.
본고에서 중요한 사실은 이러한 일본에서의 한반도에 대한 높은, 그리고 긴 역사를 가진 관심이
연구에 대한 큰 수요와 그것에 걸맞는 공급을 창출하고 있다는 것이다. 예를 들어 연구자의 수를
본다면 일한문화교류기금이 2007년에 출판한『일본에 있는 한국∙조선연구자주소록』2에는 792
명의 한반도연구자에 관한 정보가 게재되어 있다. 다만 본 책에 의하면, 일한문화교류기금이 해당
주소록 작성을 위해 조사표를 발송한 연구자의 수는 1,180명에 이른다고 되어 있고, 그 중에는
답신이 없었던 이, 혹은자신에 대한 정보의주소록 게재를 거부한 이가 다수 존재했다고 되어 있기
때문에 실제로 일본에 있는 한반도연구자의 수는 1,000명 이상에 이를 것이라고 간주할 수 있을
것이다.
연구자의 수가 많다는 것은 학회의 규모에도 나타나게 된다. 예를 들어, 한반도와 관련한
인문학계의 연구자로 구성되는 한국∙조선문화연구회의 명부3에는 2006년의 시점에 191명의
연구자가 게재되어 있고, 사회과학계의 연구자로 구성되는 현대한국조선학회에는 2011년 11
월의 시점에 300명 이상의 회원이 소속되어 있다4. 이 이외에 일본학술회의의 조사에 따르면 주로
1
본고와 관련한 논의에 대해서는, 졸저『근대한국의 내셔널리즘』(교토: 나카니시야서점, 2009년)을 참고할 것.
2
일한문화교류기금편『일본에 있는 한국∙조선연구자 주소록』(일한문화교류기금, 2007년).
3
한국∙조선문화연구회『한국∙조선문화연구회명부』한국조선문화연구회, 2006년.
4
2011년 11월에 개최된 동(同)학회 이사회에서의 보고에 의함.
5
숫자는 어림수일 것이다. 과학기술∙학술심의회 학술분과회 연구환경기반부회 학술정보기반작업부회
「일본학술회의-문부과학성 협동에 의한 학술지에 관한 예비조사에 대해서(중간보고)-」, http://www.mext.
go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/002-1/siryo/__icsFiles/afieldfile/2011/07/19/1308123_4_1.pdf, 14항
(최종확인 2012년 1월 21일).
6
「천리대학∙조선학회, http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html(최종확인 2012년 1월 21일).
22
표2 「조선/한국」등을 의미하는 어구를 제목에 포함하는 박사논문의 수
일본어
어구
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
“중국”
4
24
77
48
90
653
1,939
영어
“한국”
46
17
68
83
210
437
763
논문총수
11,232
37,097
62,699
56,581
77,117
127,022
161,959
“Korea”
8
33
115
270
567
829
669
주: 중국의「조선/한국」의 단어를 포함하는 박사논문의 수는 오늘날까지의 총수로 175편에 불과하다.
일본어의 박사논문에 대해서는, 국립국회도서관∙국립정보학연구소「박사논문서지 데이터베이스」,
http://dbr.nii.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000016GAKUI1, 영어의 박사논문에 대해서는 , ProQuest, http://
proquest.umi.com/, 중국어의 박사논문에 대해서는, 중국, 대만 각각의 국가도서관 데이터베이스(http://
www.nlc.gov.cn/, http://www.ncl.edu.tw/)을 사용했다(최종확인 2012년 1월 21일).
역사학 연구자로 구성되는 조선사연구회의 회원수가 300명5, 천리대학에 거점을 둔 조선학회의
회원수도 600명 이상으로 되어 있다6.
물론 연구자의 수가 많기 때문에 일본에서는 한반도연구의 성과도 많이 나오고 있다. 예를
들어, 이를 학위논문의 수로 나타낸다면 표2와 같다. 이 표는 일본 국내에서 쓰여진 학위논문 중,
「조선/한국」을 의미하는 단어를 그 제목에 포함되어 있는 박사논문의 수를 학위취득시기별로
나타낸 것이다. 명확한 사실은 일본에서 작성되어 다양한 의미에서 한반도와 관련되어 있는
박사논문의 수가 방대한 양에 이르고 있고, 오늘날 그 양적규모는 영어권 전체에서 쓰여지고 있는
박사논문보다 많다는 것이다. 덧붙여 말하면, 적어도 국가도서관에 소장되어 있는 박사논문의
데이터베이스 상에서는 중국본토에서 중국어로 쓰여진 박사논문 중 그 표제에「조선/한국」을
포함하는 것이 전시기에 걸쳐 175편밖에 존재하지 않는다. 이것과 비교해 보면, 2000년대부터
처음 10년 동안만으로도 같은 종류의 논문이 763편에 이르는 일본의 한반도와 관련된 연구
축적이 얼마나 많은 것인가를 알 수 있다.
그러나 그와 같은 일본의 한반도 연구가 오늘날 국제사회에서 그 규모에 걸맞은 평가를 받고
있는가라고 생각해 본다면 매우 불안정한 상황에 있다고 할 수 있다. 예를 들어 표 3, 표 4는 각각
서울대학교와 하버드대학이 소장하는 각 언어로 된 한반도와 관련한 서적의 수를 나타내고 있다.
데이터베이스의 관계상 서울대학교의 데이터는 표제에「조선/한국」을 의미하는 단어가 포함되어
있는 것의 수, 하버드대학의 데이터는 동 대학이「Korea」라는 키워드를 붙인 서적의 수로 되어
있다. 그 가운데서도 특히 서울대학에서 현저한 것은 일본에서의 한반도와 관련한 서적이나
연구의 증가에도 불구하고, 서울대학이 구입하는 한반도와 관련된 일본어로 된 서적이 90년대
표3 「조선/한국」등을 의미하는 어구를 제목에 포함하는 서울대학교 소장 서적수
일본어
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
268
82
257
595
932
712
493
영어
12
114
240
391
701
1029
1054
중국어
1
6
5
13
33
112
101
주:「 서 울 대 학 교 중 앙 도 서 관 」
、http://library.
snu.ac.kr/index.ax, 에 의해 필자 작성(최종확인
2012년 1월 21일).
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 23
표4 키워드로서 ”
Korea”
가 붙여진 하버드대학 소장 서적수
1940-49
1950-59
1960-69
1970-79
1980-89
1990-99
2000-09
일본어
영어
한국어
중국어
112
67
221
387
591
692
1064
97
509
996
1418
1904
2845
5017
278
1003
2916
5246
7537
11952
18445
8
63
77
102
202
388
482
주: Hollis、http://hollisweb.harvard.edu/, 에 의해 필자 작성(최종확인 2012년 1월 21일).
이후 앞서 소개한 것처럼 일본 국내에서의 출판수의 급격한 증가에도 불구하고, 오히려 감소하고
있다는 사실이다. 이것은 서울대학에서 한반도와 관련된 영어로 된 서적의 소장이 증가하고
있는 것과 대조된다. 이와 같은 경향은 하버드대학에서도 확인이 가능하다. 하버드대학에서는
한반도와 관련된 한국어 서적의 소장이 급증하는 한편, 일본어로 된 서적의 수는 그다지 늘고 있지
않다.
명확한 사실은 이 대학들이 점차 일본어로 쓰여진 한반도와 관련한 서적에 관심을 두지 않게
되었다는 것이다. 서울대학교의 장서의 상황이 잘 보여주듯이, 오늘날의 한반도연구는 한국어에
의한 것과 영어에 의한 것으로 양분되어 있고, 그 안에서 일본어에 의한 연구는 빠르게 그 지위를
잃고 있다. 수량적인 데이터에서는 나타낼 수 없지만, 이러한 사실은 오늘날의 우리의 경험과도
합치한다. 예를들어 70년대 이전의 한반도 연구와 관련된 영어나 한국어로 된 서적을 보면
우리들은 비교적 쉽게 일본어로 된 서적의 영향을 확인할 수 있다. 주석 등에서는 일본어로 된
서적에 대한 언급이 빈번하게 발견되며, 참고문헌에서도 일본어 서적이 다수 나열되어 있다.
그러나 근래에 출판되는 영어나 한국어로 된 한반도연구와 관련한 서적을 읽을 때 그 곳에서
일본어로 쓰여진 서적의 이름은 발견하기 어렵다.
한마디로 말해 일본에서의 한반도연구는 그 거대한 존재에도 불구하고 급속히 타국에서의
지위를 잃고 있다고 말할 수 있다. 유행하는 표현을 사용하자면,「일본에서의 한반도연구의
갈라파고스화」라고도 표현가능한 상황이다.
그렇다면 일본의 한반도연구는 왜 이러한 상황이 되어 버린 것인가. 또한 이러한 상황에서
탈출하기 위해서는 어떠한 시행착오를 거듭해 나가면 좋을 것인가. 아래에서는 이러한 점에
대해서 살펴보고자 한다.
1, 일본의 한반도연구와 그 역사7
이미 기술한대로 일본의 한반도연구는 긴 역사를 지니고 있다. 예를 들어, 역사연구에서의 그
단초는 1890년대의 시라토리 쿠라키치(白鳥庫吉) 등의 연구로부터 찾을 수 있다고 말해진다.
조선사연구회가 발행한『조선사연구입문』에 따르면 원래 일본의 근대역사학은 1887년에
독일인인 리스(Riess)가 제국대학에 초청된 이후에 시작되었고, 그 초기 단계부터 조선사는
7
본장에 대해서는, 졸저「일한양국에서의 역사관과 근대, 그리고 근대적 법질서(일본어판)
」
(일한역사공동연구위원회편『일한역사공동연구보고서(제2기): 교과서 소그룹편』일한문화교류기금, 2010년)
을 참조할 것.
24
이러한 학문 속에 지위를 점하고 있었다. 또한 1907년에는 1905년에 한국정부 학정참여관(学
政参与官)으로서 도한(渡韓)한 시데하라 타이라(幣原担)가 당쟁과 관련된 연구를 수행한 것이
알려져 있다. 이것이 한반도와 관련된 본격적이고 근대적인 연구가 현지의 자료탐사를 거쳐
수행된 최초의 예이다. 1908년에는 시라토리의 노력으로 남만주철도의「만선지리역사조사부」에
의해 조직적인 한반도연구가 개시되게 된다. 이 연구는 후일 동경제국대학 문과대학에 계승되어
쓰다 소우키치(津田左右吉), 이케우치 히로시(池内宏), 이나바 이와키치(稲葉岩吉) 등에 의해
많은 연구가 이루어지게 된다8.
이상의 경위로부터도 알 수 있듯이, 일본의 한반도연구 초기의 최대의 특색은 그것이 식민지
지배의 역사와 밀접한 관계를 가지면서 수행되어 갔다는 것이다. 즉, 이 시기의 한반도연구는
학술적인 것인 동시에 식민지 지배를 원만히 수행하기 위한 기초작업이라는 보다 실용적인
의미도 부여되어 있었다. 이러한 상황은 이 시기의 한반도 연구에 두가지의 효과를 초래했다.
한가지는 말할 것도 없이 연구가 식민지 정책에 이바지하는 방향으로 유도되어 갔다는 점이다.
특히 한반도사회의 정체성(停滞性)과 그러한 점 때문에 일본에 의한 지도의 필요성이 반복되어
강조되었다. 후일「식민지사관」혹은「정체사관」이라고 불리는 관점이다.
그 러 나 식 민 지 지 배 와 의 관 계 는 한 반 도 연 구 에 긍 정 적 인 효 과 도 초 래 했 다. 즉, 당 시 의
한반도연구는 그 시기의 정부에 의한 지배를 위해 필요한 것으로 공식적으로 인정되어 풍부한
자원이 투입되었기 때문이다. 그 한가지 결과가 일찍이 1916년 동경제국대학 문과대학에
일본 최초의 조선사강좌가 설치된 것이다9. 일본의 대학서열에서 정점에 있던 동경제국대학에
일찍부터 조선사강좌가 설치된 것에 의해, 이후 일본의 한반도연구는 역사분야를 중심으로
전개되고, 계속해서 후계자가 육성되어 가게 된다. 일본에서의 한반도연구의 발전을 생각할 때
또 한가지 중요했던 것은 식민지 지배하의 한반도에서 많은 일본인 연구자들에게 연구의 기회가
부여되었다는 것이었다. 당시 중요한 기관은 두 개였다. 하나는 1925년에 설치된 조선사편수회
(朝鮮史編修會)로서, 조선사연구 초기의 중요한 자료발굴이 이 위원회에 의해 이루어지게 된다.
보다 넓은 범위의 한반도연구를 다룬 것은 그 다음해인 1926년에 설치된 경성제국대학의 제(諸)
강좌였다. 경성제국대학은 한반도에 최초로 설치된 본격적인 근대적 고등교육기관이었으며, 그
속에서 오늘날에도 그들의 연구가 인용되는 타보하시 키요시(田保橋潔), 타가와 코조(田川孝
三), 시카다 히로시(四方博) 등, 이 시기를 대표하는 연구자들이 이곳에서 연구와 경험을 축적해
나가게 된다.
한편, 식민지 지배와의 관계는 이러한 공적기관에서의 연구나 교육에만 영향을 끼친 것은
아니었다. 예를 들어 민간에서 보여진 영향의 대표적 예의 한가지는 1925년 천리외국어학교에
조선어부(朝鮮語部)가 설립된 것을 들 수 있다10. 에도 시대 말기에 발흥한 신흥종교의 하나인
천리교는 1890년대에 들어서면서 국내에서 그 포교활동에 제약이 가해지게 되고, 그것을
보완하는 형태로 한반도에서「신천지」를 추구해 나가게 된다. 식민지 지배의 개시를 앞두고
일본의 영향력이 강해지고 있던 한반도는 신흥종교인 천리교에게 새로운 신자획득의 장으로서
알맞은 장소로 생각되었고, 그들은 스스로의 포교활동을 위해 독자적으로 한반도에서의
포교촉진을 위한 제도를 정비해 나가게 된다. 천리외국어학교 조선어부의 설치는 실로 그러한
8
조선사연구회『조선사연구입문』나고야대학출판회, 2009년.
9
「한국조선문화연구실: 연구실 일람」, http://www.l.u-tokyo.ac.jp/laboratory/database/32.
html?department=1(최종확인 2012년 1월 21일).
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요청에 부응하는 것으로, 거기에는 식민지 지배하의 독특한 상황이 존재하고 있었다11.
게다가 초기의 일본인에 의한 한반도연구에는 큰 이점이 존재했다. 그것은 당시의 일본인이
한반도에서「지배자」의 위치에 있었고, 그 때문에 한반도의 각지에 존재하는 1차자료에 대해서
배타적으로 접근이 가능했다는 것이다. 사실 오늘날에도 인용되는 경우가 많은 타보하시 키요시
(田保橋潔)의『근대일본관계사의연구』나 타가와 코조(田川孝三)의『이조공납제의연구』,
시카다 히로시(四方博)의『조선사회경제사연구』등의 연구의 골격을 이루는 부분은 그들이
경성제국대학의 교원, 혹은 조선사편수회의 일원으로서 접근가능했던 자료에 의존하고 있다.
그들이 이용한 자료 중에는 오늘날 그 소재조차 명확하지 않은 것들이 다수 존재하고 있음을
생각해 볼 때, 당시 그들의 상황이 얼마나 특수했었는지를 알 수 있다12.
중요한 것은 가령 지역연구에 있어서 스스로가 거주하고 그 일원인 지역에 대해 연구하는
「내부자」와 거꾸로 자신은 거주하지 않고 그 일원도 아닌 지역에 대해 연구하는「외부자」라는
두 종류의 연구자가 존재한다고 했을 때,「지배자」의 일원으로써 임하는 것이 가능했던 당시의
일본인 연구자는 한반도에 사는 한국인 이상으로「내부자」의 위치를 점하고 있었다.「내부자」
이기 때문에 그들은 국가가 관리권을 가지는 연구자원에 대해 우선적으로 접근하는 것이
가능했고, 또한 동시에 내부자이기 때문에 식민지 지배라는 틀에서 자유로울 수 없었다.
여기에서는 이러한 경위를 통해 나타나게 된 연구자들을 한반도연구의 제1세대13라고 부르기로
한다. 어쨌든 일본에서의 한반도연구의 제1세대는 식민지 지배를 둘러싼 특수한 상황으로부터
탄생해 왔다. 그리고 그렇기 때문에 그들의 연구를 둘러싼 상황은 일본에서의 한반도지배의
종언과 함께 격변했다. 내부자로서의 특권적 지위를 잃고 한반도를 떠나 내지에 돌아오지 않을
수 없었던 그들에게 기다리고 있던 것은 연구를 계속하기 위한 근무처조차 충분히 존재하지
않는다는 가혹한 상황이었다14. 그리고 그것은 당연한 것이었다. 그들의 연구의 많은 부분은
10
또한, 일본에서의 최초의 근대적인 조선어 학습을 위한 기관으로서는, 1880년에 설치된 동경외국어학교(지금의
동경외국어대학)의 조선어학과를 들 수 있다. 해당학과의 원류는 에도시대에 쓰시마번(対馬藩)이 자체적으로
수행해 온 한반도와의 외교를 위해 설치한「조선통사양성소」에서 찾을 수 있다. 이 조선통사양성소는
메이지정부가 한반도와의 외교에 관한 권리를 쓰시마번으로부터 회수한 1872년에「외무성 이즈하라한어학소」
로 개칭되고, 1873년에는 장소를 부산초량공관(이전의 츠시마번의 부산초량왜관)에 옮겨서「외무성
초량한어학소」로 개설되었던 것이, 최종적으로 도쿄로 이전되었던 기관이다. 도쿄쓰시마관, http://sympathy.
blog.ocn.ne.jp/tsushima/2006/03/_1684.htm l(최종확인 2012년 2월 20일). 또한, 중등교육기관의
예로서는 1879년에 설치된 동심학사(지금의 세이세이코고등학교)에 조선어학과가 설치된 것이 알려져 있다.
공산주의자동맹(통일위원회), http://www.bund21.org/letter/letter10/letter1003kumamoto.html(최종확인
2012년 2월 20일).
11
「천리대학∙조선학회」http://www.tenri-u.ac.jp/soc/korea.html(최종확인 2012년 1월 21일).
12
13
조선사연구회『조선사연구입문』.
여기에서 말하는 세대는 연구에 대한 자세나 이데올로기에 의해 구별되고 있다. 따라서 어떤 일정한 시기에
복수의 경향을 가진 유력한 연구자가 존재하고 있는 것이나,「새로운 세대」를 구성하는 일부 사람들의 실제
연령이,「과거의 세대」를 계승하는 일부의 사람들의 나이보다 많다는 사실을 배제하지 않는다. 전게(前掲)의
졸고「일한 양국에 있어서의 역사관과 근대, 그리고 근대적 법질서」도 참조할 것.
14
이 점에 대해서는 고길희(高吉嬉)『
「재조(在朝)일본인 2세」의 정체성 형성: 하타다 다카시(旗田巍)와 조선∙
일본』(도쿄: 桐書房, 2001년)도 참조할 것.
26
애초에 한반도에서의 일본에 의한 지배에 이바지하기 위한 것이었고, 그렇기 때문에 그들은
그 연구의 수행과정에서 식민지 당국으로부터 편의를 얻을 수 있었다. 그렇기 때문에 식민지
지배의 종언은 그들에게 그 때까지의 연구의 대전제가 없어졌음을 의미했다. 그들이 찾지 않으면
안되었던 것은, 살기 위해서 혹은 연구를 계속하기 위해 필요한 대학 등에서의 지위 뿐만이
아니었다. 동시에 그들은 왜 한반도연구가 필요하며 그들이 그러한 연구를 하지 않으면 안되는
이유에 대해서도 동시에 답을 찾아야 했다.
예를 들어 당시의 상황에 대해 후일 제2세대의 한반도연구에서 중심적인 지위를 차지하게 되는
하타다 다카시(旗田巍)는 다음과 같이 말하고 있다.
조선이라고 하는 단어가 조선인에게 매우 불쾌한 느낌을 주었던 시기에는 조선사를
연구하는 의욕도 생기지 않았다고 생각한다. 동시에 이것은 일본의 젊은 사람들로 하여금
조선사연구에의 열의를 잃게 만들었다. 더욱이 조선사연구를 저해한 원인은 현실정치의
면에서만 있었던 것이 아니라 학문의 내용 그 안에도 존재하고 있었다. 일본인에 의한
조선사연구의 노력은 고대사에 집중되고 근대사에 대해서는 부족했으며, 고대사연구는
문헌비판∙연대기∙지명고증을 특색으로 하는 것이었다. (중략) 그것은 역사학에서 중요한 전제
중 하나이긴 했지만, 그것만으로는 다양한 인간의 역사를 모두 담을 수는 없었다. 인간이 없는
역사학이 만들어진 것이다. 이것이 조선사에 대한 젊은 세대의 관심을 감소시켰다. 그리고
일본의 패퇴에 의해 조선에 대한 지배가 소멸하고, 조선사연구자는 국가의 힘을 얻을 수 없게
되었다. 그 때문에 그 때까지의 조선사연구는 단숨에 침체하게 되었다15.
하타다(旗田)는 이어서 다음과 같이 말한다.
바야흐로 조선사 연구는 새로운 재출발의 시기에 직면하고 있다. 종래의 성과를 이용하는
동시에, 그것을 극복하고 새로운 조선사를 개척하지 않으면 안된다. 무엇보다도 조선의
인간이 걸어온 조선인의 역사를 연구하지 않으면 안된다. 지금 고난의 상황(鉄火)에
처해있는 조선인의 고뇌를 자신의 고뇌로 하는 것이 조선사연구의 출발점이라고 생각한다.16
이렇게 하여 식민지 지배의 종언 후, 일본의 한반도연구자17의 일부는, 그때까지와는 방향을
완전히 바꿔 다른 입장에서 한반도연구를 구축해 나가게 된다. 즉 그들은 그때까지의 일본의
한반도연구가 일본의 한반도지배에 이바지하기 위해 이루어졌고 그것을 정통화하는 역할을
수행하고 있었다고 자기비판했다. 그들은 이러한 종래의 연구를「식민지사관」혹은「정체사관」
에 근거한 것으로 규탄하고, 그것의 불식의 필요성을 강조했다. 그 결과, 그들이 도달한 곳이
이른바「내재적발전론」이라는 관점이다. 그들은 역사학뿐만 아니라 경제학, 사회학, 정치학
등의 다양한 분야로부터 이러한 논의를 전개했다. 이러한 제2세대의 한반도연구자의 대표적인
인물로서는 앞서 기술한 하타다 다카시(旗田巍)와 함께 경제학자인 카지무라 히데키(梶村秀樹)
등의 이름을 들 수 있다18.
15
하타다 다카시『조선사』(도쿄: 이와나미신서, 1951년), 4항.
16
위와 동일, 5항.
17
식민지 시기에 양성된 연구자 모두가 식민지 정책을 비판하는 하타다 등과 같은 방향으로 전환해 간 것은 아니다.
예를 들어, 타가와 코조(田川孝三)나 시카다 히로시(四方博)와 같은 연구자는 식민지 지배의 옹호까지는 하지
않았지만, 제2차세계대전 후에도 연구의 방향성을 크게 바꾸지 않고 유지하고 있다.
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그러나 이러한 일본의 한반도연구 제2세대의 연구는80년대에 들어오면 큰 벽에 직면하게
된다. 이유는 크게 두 가지가 있었다. 하나는 그들 논의의 이론적 기반이 되어온 마르크스주의적
혹은 종속이론적인 전제가 무너진 것이다. 내재적발전론의 중요한 주장 중 하나는 한반도를
포함하는 세계 각국의 보다 나은 발전은 외부로부터의 영향이 아니라 그 내부에 존재하는
「발전의 맹아」에 의해서만이 실현된다고 하는 것이었다. 그러나 80년대 한국을 비롯한 아시아의
신흥공업경제국가들(NIEs)이 그들의 예상과는 완전히 정반대로 내부적인「발전의 맹아」가
아니라 외자와 그 기술력과 같은 외부적 요인을 효과적으로 이용한 것에 의해 급격한 발전을
보였기 때문에 그들은 심각한 딜레마에 직면했다. 물론 아시아의 신흥공업경제국가들의 발전에는
많은 부작용도 존재했지만, 그러한 발전에 의해 그곳에 살고 있는 사람들이 발전을 향유하고, 그
생활수준을 급속하게 향상시키고 있다는 것은 누가 봐도 명확했다.
반대로 다수의 내재적발전론자가 칭찬했던 북한과 쿠바는 경제적으로 정체했고 세계는 그들의
예측을 크게 벗어나는 형태로 변화하고 있었다. 동시에 일본과 한국, 그리고 미국 등에서의
한반도 연구도 점진적이지만 착실하게 향상됨에 따라, 결과적으로 내재적발전론자들에게 불리한
사실들이 다수 밝혀지게 되었다. 그 전형적인 예는 제2세대의 논의에 있어서는 부정적인 의미밖에
부여되지 않았던 식민지배하에 있어서도 상당정도의 경제발전이 존재했다는 사실이 밝혀진
것이었을 것이다.
어쨋든「식민지사관」의 타파라는 명확한 목적을 가지고 시작된 제2세대의 연구는 좌초하게
된다. 한반도에서의 실제의 역사나 사회의 현실은 그들이 상정했던 것보다 복잡한 것이었고,
그 복잡성이 밝혀짐에 따라 일본의 한반도연구는 그 방향성을 바꾸지 않으면 안되게 되었다.
이리하여 일본에서의 제2세대의 한반도연구는 급속하게 쇠퇴하게 되고 이를 대신해 새로운 조류,
즉 제3세대의 연구가 나타나게 된다. 제3세대의 연구자들의 공통점은 제2세대의 논의가 가지고
있던 강한 이데올로기적 성격으로부터 벗어나는 것을 목표로 설정하고, 또한 벗어나기 위한
기반을 엄밀한 자료분석에 의한 실증주의에서 구했다는 것이었을 것이다. 그들이 대두하는 80
년대는 한국의 연구기관이 다시금 일본인 연구자들을 받아들이기 시작했던 시기이며, 그때까지
외부인의 이용이 곤란했던 1차자료에 접근이 가능하게 된 시기에 해당한다. 이와 같이 귀중한
기회를 얻은 제3세대의 연구자는 정력적으로 연구자료를 수집하고 그 연구수준을 급속하게
높여갔다. 제2세대의 연구자들의 업적이 이론적으로는 큰 메세지를 지니는 반면 실증적으로는
빈약한 내용밖에 지니고 있지 못한 것에 반해, 제3세대의 연구자들의 다수는 실증연구의
개척자임을 자부하고 있었다. 이렇게 축적되어 간 그들의 연구는 필연적으로 제2세대의 추상적인
주장에 다양한 결함이 있음을 밝히게 되었다. 이러한 제3세대의 대표적인 연구자로서, 역사학에
있어서는 요시다 미츠오(吉田光男)와 하라다 타마키(原田環)를, 경제학에 있어서는 호리 카즈오
(堀和生) 등의 이름을 들 수 있다.
이 시기에서 주목해야 하는 것은 실증적인 연구와는 다소 거리를 두는 형태로 한반도의
상황에 대해 폭넓게 분석하는, 그러나 동시에 비이데올로기적인 연구가 발생했다는 것이다.
간과해서는 안되는 것은 일본에서의 한반도연구의 역사 속에서 이 세대가 사실상 처음으로
조선어를 구사해서 한반도연구를 전개했다는 것이다. 바꿔 말하면 그 이전의 한반도연구자는
일부의 예외적인 사람들을 제외하면, 자료와 논문을 읽을 수는 있어도 조선어를「음(音)」
18
일본에서의 한반도연구와 내재적 발전론의 관계에 대해서는 전게(前掲)의 졸고「일한 양국에 있어서의 역사관과
근대, 그리고 근대적 법질서」를 참조할 것.
28
으로서는 이해하지 않았고, 기본적으로 일본어의 틀 속에서만 논의하고 있었다. 이에 반해 제3
세대 이후의 연구자들은 그 레벨은 다양하겠지만 일단 조선어를 말하고, 이를 구사해서 한반도의
연구자들과의 교류를 수행하면서 연구를 하는 것이 가능했다. 이리하여 그들의 일부는 광범위한
인맥과 정보를 갖게 되고, 결과적으로 새로운 타입의 제네랄리스트가 생겨나게 된다. 말할 것도
없이 그 대표적인 인물로서는 이 시기의 정치학 분야에서 큰 존재감을 나타낸 오코노기 마사오(小
此木政夫)를 들 수 있다.
그러나 90년대 중반에 접어들게 되면 일찍이 이 제3세대의 연구도 큰 전환점에 다다르게
된다. 그 이유는 명확했다. 문제는 탈이데올로기를 표방하고 실증연구를 지향했던 그들의 연구도
사실은 일정의 방향성을 가지고 있던 것에 있었다. 즉, 제3세대의 많은 연구자들의 초기의 연구의
방향성은 앞선 제2세대의 연구자의 논의를 타파하는 것에 맞춰져 있었다. 그렇기 때문에 그
연구의 많은 부분은 한반도의 내재적 발전을 부정하는 방향으로 향하게 되고, 때때로 그것은
그들이「식민지사관」을 다시 주장하는 것은 아닌가라는 의심을 한국의 연구자를 비롯한 일부의
사람들이 하게 만들었다. 그리고 실제로 그들 일부의 연구는 급속히 민족주의적인 색채를 띠게
되기도 했다. 결국 문제는 다음과 같다. 본래 실증주의라는 것은 그것만으로는 존재할 수 없는
것이다. 왜냐하면 실증주의가 유효하게 성립하는 것은 그들이 몰두해야 하는 문제가 무엇인지
이미 정해져 있을 때뿐이며, 무엇에 몰두해야 하는가라는 문제를 실증주의 그 자체로부터 도출해
내는 것은불가능하기 때문이다. 그렇기 때문에 제2세대의 연구가 권위를 가지고 존재하고 있는
동안에는 이에 대한 도전자라는 연구의 방향성이 명확했고, 따라서 그 첨예함은 빛나 보일 수
있었다19. 그러나 제2세대의 연구가 힘을 잃게 되자, 도전자로서의 그들의 연구도 급속하게
방향성을 잃게 된 것이다.
2, 2000년대의 일본의 한반도연구
이리하여 90년대 이후, 일본의 한반도연구는 큰 벽에 직면하게 된다. 곤란한 일은 또 한가지가
있었다. 즉, 80년대 제3세대의 연구자가 앞다투어 한국에서 자료수집을 수행하고 그것에
기반하여 실증적인 연구로 큰 성과를 올릴 수 있었던 것에는 배경이 있었다. 그것은 당시의
한국에서의 연구의 실증성이 낮았다는 것이다. 경제적인 곤란과 정치적인 부자유, 그리고
무엇보다도 학술적인 축적의 부족으로 인해 80년대 무렵 한국에서의 한반도연구에는 여전히
다양한 제약과 한계가 있었다.
그러나 87년의 민주화와 이를 포함한 시기의 급속한 경제발전은 이 상황을 근본부터 바꿔갔다.
이와 함께 간과되어서는 안되는 것이 또 한가지 있다. 80년대 무렵까지 한국의 주요연구자는 그
다수가 식민지 시기에 일본어로 교육을 받은 세대에 속해 있었다. 그렇기 때문에 그들은 일본어를
쉽게 읽고 일본어로 전개되는 학문적인 논의도 쉽게 배워서 익숙해질 수 있었다. 이러한 상황은
일본의 학벌적인 연구환경과 연결되어 일본과 한국의 연구자 간의 특이한 상황을 만들어 갔다.
그렇기 때문에, 80년대 무렵까지 한국에서의 연구의 많은 부분은 다양한 분야에서 일본의
영향을 받아가며 전개되었다. 그러나 80년대에 접어들게 되면 그들「일본어세대」는 일제히
19
이 점에 대해서는 졸고「
『일한역사공동연구』를 어떻게 할 것인가: 당사자적 관찰」(『현대한국조선연구』제10호,
2010년)을 참조할 것.
20
전게(前掲)의 졸고「일한양국에 있어서의 역사관과 근대, 그리고 근대적 법질서」, 293항 이후.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 29
퇴장하게 되고20, 그 결과 한국과 일본의 연구자 간의 유대는 급속히 약화되어 간다. 이를 대신해
강화된 것은 미국의 연구자와의 유대였다. 경제발전의 결과로서 90년대 이후 한국에서 장래가
유망한 젊은 연구자의 다수가 미국에 유학하여 학위를 취득하게 된다. 결과적으로 한국의 학문적
분위기는 급속히 변화하고, 그 연구 스타일도 미국적인「과학시행적(科学試行的)」인 것으로
변하게 되었다.
유사한 상황은 미국에서도 발생하고 있었다. 예를 들면, 에즈라 보겔이나 로버트 스칼라피노와
같은 70년대 무렵까지 미국의 동북아시아 연구를 주도한 사람들의 다수는 그들의 연구를
일본연구자로서 시작했고, 이를 기반으로 중국연구나 한반도연구에 범위를 늘려간 사람들이었다.
스칼라피노의 경력이 전형적으로 나타내고 있는 것처럼21, 제2차세계대전 이후의 동북아시아
연구자의 다수는 제2차세계대전에 동반되는 수요에 의해 나타난 사람들이고, 그렇기 때문에 그들
중 다수는 일본어를 배우고 이에 익숙해져 있었다. 그렇기 때문에 동북아시아에 관련된 문헌이
적었던 이 시기에 그들이 일본어로 된 자료를 참조하고 그것을 인용하면서 연구를 수행했던 것은
어느정도 당연한 것이었다22.
그러나 미국에서도 80년대에 접어들면 동북아시아연구를 둘러싼 상황이 급속하게 변화하게
된다. 즉 보겔이나 스칼라피노와 같은「겸업 한반도연구자」는 급속히 모습을 감추게 되고,
당초부터 조선연구자로서 육성된 사람들이 중심적인 지위를 차지하게 된다. 앞선 세대의
연구자와 비교해서 일본어에 핸디캡을 가지고 있던 그들은 일본어의 서적에 의거하기 보다는
스스로 직접 한반도에서 일차자료를 탐색하여 보다 실증적인 연구를 하는 것을 목표로 했다.
본고에서 중요한 것은, 그 결과 종래에 일종의 허브로써 일본과 연동하고 있던 한국이나 미국의
연구상황이 크게 변화했다는 것이다. 즉, 미국의 연구가 일본의 연구를 참조하지 않게 되고,
동시에 한국의 연구가 미국과의 연동을 강화한 결과, 일본의 연구는 급속히「갈라파고스화」하게
된다.
그렇다고 해도 미국과의 관계를 심화해 가는 것은 일본도 마찬가지였다. 이리하여 연구의
허브는 일본으로부터 미국으로 넘어가게 되고, 제4세대의 새로운 연구동향이 발생해 나가게 된다.
앞서 기술하였듯이, 제3세대의 연구자는 제2세대의 이론적 논의를 싫어하고 그것을 타파하기
위해 실증적인 논의에 의거하는 경향이 있었다. 이에 반해 그 이후 나타난 제4세대의 일본의
한반도연구자는 다시금 이론적인 논의를 중시하게 되어 간다.
제4세대의 연구가 이러한 경향을 가지게 된 것에는 몇 가지 이유가 있었다. 이론을 지향하는
성격이 강한 미국으로부터의 영향과 함께 중요한 역할을 수행한 것은, 한국에서의 실증연구의
수준향상이었다. 이미 기술한 것처럼 80년대에는 일본인연구자가 한국인연구자보다 앞서서
실증연구를 수행할 수 있는 여지가 광범위하게 존재했다. 그러나 일단 한국에서 활발한
실증연구가 전개되게 됨에 따라 일본인 연구자의 활약가능한 부분이 급속하게 작아지게 되었다.
왜냐하면, 같은 조건에서 실증연구를 수행한다고 할 때, 한반도에서 지역연구의 내부자인
한국인이 외부자인 일본인보다 이점을 가지고 있는 것은 확실했기 때문이다. 사실, 90년대 이후
한반도와 관련한 일본의 실증연구는 점차 주변적인 위치로 밀려났다. 추상적인 논의의 재발견은
이러한 제4세대의 연구자가 스스로의 상황을 타개하고자 한 결과였다.
21
‘Robert A. Scalapino, ICAS Distinguished Fellow: Biographic Sketch’
, http://www.icasinc.org/bios/scalapin.
html(최종확인 2012년 1월 21일).
22
30
예외로써는, James B. Palais를 들 수 있다.
추상적 혹은 이론적인 연구에 다시 관심을 가진 것에는 또 한가지 이유가 있었다. 90년대
이후의 시기는 이른바 버블경기가 종언을 맞이하고 일본이 심각한 경제적 침체에 직면하는
시기에 해당한다. 동시에 찾아온 출생률의 감소에 의한 젊은층 인구의 감소와, 같은 시기에 시행된
일본정부에 의한 대학원의 대폭적인 확장은, 결과적으로 연구자의 수요와 공급의 극단적인
불균형을 초래했다.
잊어서는 안되는 것은, 일본에서는 대부분의 한반도연구자가 한반도연구에 직결되는
근무처가 아니라 정치학과 경제학, 혹은 사회학과 교육학이라고 하는 일정한 학문분야의
이름을 붙여 그 근무처를 찾지않으면 안되는 상황이 존재했다는 것이다. 연구자의 공급과잉과
재정삭감 및 출생률의 감소에 동반되는 근무처 감소의 결과로서 생겨난 가혹한 생존경쟁은,
당연하게도 치열한 업적경쟁을 야기시키게 되고, 업적경쟁은 이른바 일정한 평가과정을 거치는
저널에의 게재경쟁으로 전개되었다. 학문분야의 이름이 붙인 근무처에 취직하기 위해서는, 역시
학문분야의 이름이 붙은 잡지에 게제될 필요가 있었으며, 그들은 한정된 자원을 이론적인 연구에
쏟아붓게 되었다.
그러면 이러한 상황 하에서 제4세대의 연구자들은 그들의 연구를 둘러싼 상황을 어떻게
타개하려고 했을까. 다음으로, 이 점에 대해서「한반도연구를 어떻게 할 것인가」라는 표제를 걸고
2011년 11월에 실시된 현대한국조선학회에서의 논의를 단서로 하여 살펴보고자 한다.
3, 현대한국조선학회에서의 논의로부터
일본의 한반도연구는 오늘날 큰 기로에 서 있다. 이러한 의식은 일본 국내의 많은 연구자들에게
공유되고 있고, 다양한 시행착오가 각지에서 계속되고 있다. 2011년 11월에 코베대학에서
시행된 제11회 현대한국조선학회 연차대회23는 이러한 오늘날 일본의 한반도연구가 안고 있는
문제를 정면으로 다루었다. 대회에서는 첫째날인 19일에 정치연구, 북한∙국제관계연구, 경제연구,
사회연구의 4개의 부회로 나누어 앞으로의 한반도연구가 지향해야 할 방향이 논의되었고, 이것을
받아들이는 형태로 둘째날인 20일의 최종 심포지움에서 각각의 부회의 좌장이 그들의 분야를
대표하는 형태로 한반도연구의 장래에 대한 보고를 수행했다. 여기에서는 그 최종 심포지움의
내용을 소개하고자 한다.
최종 심포지움에서 보고를 한 사람은 정치연구의 아사바 유키(浅羽祐樹), 북한∙국제관계연구의
미야모토 사토루(宮本悟), 경제연구의 다카야스 유이치(高安雄一), 그리고 사회연구의 하루키
이쿠미(春木育美)의 4명이었다. 모두 1960년대부터 70년대 사이에 태어나 90년대 이후에
대학원에서 수학한 제4세대의 한반도연구자에 분류되는 인물들이다. 이 심포지움에서 4명이
전개한 논의는 모두 독특했다.
먼저 정치학자인 아사바(浅羽)는 한반도연구를 하나의 사례연구로 구분해 각각의 학문분야와
어떻게 피드백을 해야 하는가에 대해 논의했다. 이에 대해 북한∙국제관계연구의 미야모토(宮本)
는 동일하게 이론을 중시하는 입장을 견지하면서도, 오히려 이론적 틀을 수용해서 현상을 보다 잘
분석하는 것의 중요성을 강조했다.
23
이 대회에 대해서는, 현대한국조선학회 홈페이지, http://www.meijigakuin.ac.jp/~ackj/ (최종확인 2012년 1월
21일), 을 참조할 것. 또한,「특집: 지역연구로서의 한반도연구의 가능성(가제)」(『현대한국조선연구』제14호,
근간).
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 31
이에 대해 경제학자의 다카야스(高安)는 완전히 다른 입장에서 한반도연구가 나아가야 할 길을
제시했다. 그는 고도로 이론화가 진행된 경제학에서 한반도의 사례로부터 이론에 대한 피드백을
수행하는 것은 곤란하다는 전제 위에서, 오히려 한반도연구는 그것으로부터 얻을 수 있는 시사를
어떻게 일본사회에 피드백할 것인가를 생각해야 한다는 논의를 전개했다. 이에 대해 사회학자인
하루키(春木)는 주로 젠더의 관점에서 한국의 사회문제를 언급하고, 이러한 문제에 영향을 끼치기
위해서 연구를 수행해야 한다는 것을 강조했다.
이렇게 일견 무질서하게 보이는 논의는 사실 현재 일본의 한반도연구가 나아가야할 길의
중요한 부분을 전부 포함하고 있다. 중요한 것은 한반도연구가 연구로써 존재하기 위해서는
「청중」이 필요하며, 어디에서 그들의「청중」을 찾아야 하는가라는 것이다. 논리적으로
생각해보면, 이「청중」의 후보로서는 다음의 두가지를 생각할 수 있다. 하나는 그것이 학술적인
연구로서 쓰여진 이상,「청중」도 학술적인 영역에서 찾아야 한다라는 생각이다. 앞선 4인의
경우, 이에 해당하는 것은 아사바(浅羽)와 미야모토(宮本)의 주장이다. 그리고 지역연구가
일종의 사례연구인 이상, 여기에서의 전략은 두가지를 생각할 수 있다. 하나는 사례를 새로운
이론을 창출해 내기 위한 재료로써 이용하는 것이고, 아사바(浅羽)가 이러한 입장에 속해 있다. 또
한가지 방법은 사례를 종전의 이론의 검증에 사용하는 것이며, 미야모토(宮本)의 주장이 여기에
해당한다고 할 수 있다.
그러나 한반도연구의「청중」이 학술적인 영역에만 있는 것은 아니다. 한반도의 국가들은
일본의 근처에 위치하고 있고, 그곳에 남북한을 합쳐 7,000만명 이상의 사람들이 살고 있기
때문에, 항상 일본인들에게 큰 존재감을 보여 왔다. 이러한 의미에서 다카야스(高安)의 지적은
시사하는 바가 크다. 그가 지적한 것은 일본과 함께 동아시아의 주요선진국의 하나로 성장한
한국이 일본과 유사한 점을 다수 보유하고 있다는 것이며, 그렇기 때문에 한국의 시행착오로부터
일본은 많은 것을 배울 수 있다고 하는 것이다. 즉 그가 주장한 것은 일본의 보다 일반적인
사람들을「청중」으로 설정하고, 한국의 예를 통해 경제가 어떠한 메커니즘으로 움직이는가를
설명함으로써 일본을 보다 좋은 방향으로 이끄는 것이 가능하다는 것이다.
다카야스(高安)가「청중」을 일본의 일반사람들에게서 찾은 것에 대해, 하루키(春木)는「청중」
을 한반도 속에서 찾고 있다. 하루키(春木)가 강조한 것은 외부자에게는 외부자밖에 할 수 없는
것이 있다는 것이다. 즉, 내부자는 내부자이기 때문에 사회의 울타리(柵)에 구속되어 때로는
자유롭게 행동하고 사고하는 것이 곤란하다. 이에 반해 외부자에게는 관찰대상인 사회에 쉽게
접근하는 것이 힘든 대신에 그 사회에 구속될 필요가 없다는 이점이 부여된다. 그렇기 때문에
하루키(春木)는 외부자야말로 그 연구대상에 대해 적극적으로 발언하고 내부자와 논의하면서
관찰대상이 되는 사회를 보다 좋은 방향으로 유도해 가는 것이 가능하다고 주장했다.
물론 논의가 이렇게 갈린 배경에는 각각의 학문분야의 특수성이 있다고 보인다. 예를 들어,
정치분야에서는 기본적으로 외부자가 영향을 끼치는 것을 삼가해야 하는 것으로 되어 있기
때문에 하루키(春木)가 주장한 것과 같은 행동을 하는 것은 어렵다. 북한연구에 대해서는 이러한
것을 보다 명확하게 말할 수 있다. 일본인의 연구자가 북한의 현상에 영향을 끼치는 것은 생각하는
것조차 어렵고, 덧붙여 정보량이 압도적으로 부족한 이 분야에서 이론적으로 고도의 논의를
전개하고 피드백하는 것도 어렵다. 자연히 논의의 방향이 한정된 정보를 어떻게 효율적으로
처리할 것인가에 맞춰지는 것은 필연적이다. 그렇기 때문에 아사바(浅羽)와 미야모토(宮本)는
함께 학술적인 방향에서 청중을 찾으면서도 한쪽에서는 이론에 피드백하는 것을 지향하고, 다른
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한편에서는 이론을 수용하는 방향으로 논의를 전개했다고 할 수 있다.
이에 대해 이론이 고도로 추상화된 분야에서는 특정의 사례만을 가지고 학문분야에 영향을
끼치는 논의를 수행하는 것은 어렵다. 이 경우 이론적인 영역에서「청중」을 찾을 수 없다면
가능한 것은 일반사회에서 청중을 찾는 것이다. 다행히 일본과 한국의 경제에는 많은 유사점이
있고 더욱이 오늘날 한국은 일본 이상으로 다양한 모험적 시책들을 실시하고 있는 것처럼 보인다.
그렇다고 한다면「뒤따라 가는 일본」은「앞서가는 한국」으로부터 많은 것을 배울 수 있다.
실제로 실무분야에서는 FTA등의 교섭에서 한국의 예로부터 배우려고 하는 자세가 강해져 왔고,
다카야스(高安)의 주장은 이러한 상황의 연장선에 있다고 할 수 있다.
그렇다면 이러한 논의를 참고하면서 우리들은 앞으로의 일본의 한반도연구에 대해 어떠한
전망을 가질 수 있을까. 마지막으로 그 점에 대해 언급하면서 본고를 마무리하고자 한다.
4, 일본에서의 한반도 연구의 이점과 단점
이상의 논의로부터 우리들은 오늘날 일본에 있어서의 한반도연구와 그 과제에 대해서 어떻게
이해하는 것이 가능할까.
먼저 명확한 것은 일본의 한반도연구에는 이전에 존재했던 내부자 혹은 의사(疑似) 내부자로서
가졌던 일본 연구자의 우위는 더 이상 존재하지 않는다는 것이다. 제2장의 논의의 관점을
따른다면 일본의 한반도연구에 있어서, 제1세대는 명확한 내부자였고, 제3세대는 한국에서의
실증연구의 미성숙이라는 제약을 이용해 인접국의 경제대국인 일본에 거점을 두면서 연구를
수행함으로써, 마치 스스로가 내부자인 것과 같은 입장에서 연구를 수행해 왔다.
그러나 오늘날 한국의 연구수준이 향상된 것은 명확하며, 여기에 해외로부터의 연구자가
끼어들 여지는 적어지고 있다. 따라서 우리에게 주어진 선택지는 제한되어 있다. 하나는 단순히
「현지의 사람들이 하지 못하는 것 혹은 중요성을 발견하지 못하는 것」을 연구하는 것이다. 모든
사회에는 금기가 존재하고, 또한 주어진 것으로 되어 있는「상식」이 존재한다. 금기나「상식」
은 그 내부에 있는 사람들에게는 저항하기 어려운 것이고, 따라서 그들이 그러한 금기나 상식과
관련되어 있는 사실과 현상에 대해 자유롭게 논의하는 것은 어렵다. 그렇다면 외부자가 할 수 있는
것 중의 하나는 한반도의 사회에서 무엇이 금기이며, 무엇이「상식」인지를 발견해 내고, 그것을
하나하나 검토해 나가는 것이다. 이를 통해 우리는 한반도의 사람들이 발견하지 못했던 혹은
발언할 수 없었던 어떤 사실이나 현상을 발견해 내고, 그것에 의해 새로운 한반도사회의 이해를
열어가는 것이 가능하다.
그렇다면 그러한 실증적인 연구의 실마리가 발견되지 않는 경우에는 어떻게 해야 좋을까. 이
경우 방법은 두 가지이다. 하나는 종전의「한반도에서는 이미 확정되어 있는 사실이나 설명」을
보다 추상적인 설명에 비추어보는 것이다. 가령 양자 사이에 어긋남이 존재한다고 한다면, 그것은
어느쪽인가가 잘못되어 있든지, 적어도 재검토의 여지가 있는 것을 의미한다. 만약 실증이 제대로
된 데이터와 분석에 기반하고 있다면, 바꿔야 하는 것은 이론이 될 것이다. 그렇게 하면 분석이
끝난 한반도의 사례를 이론에 피드백함으로써 크나큰 이론적 공헌을 하는 것이 가능하다.
또 한가지 방법은「한반도에서는 이미 확정되어 있는 사실」을「일본에서의 상식」에 비추어
보는 것이다. 만약 전자가 제대로 된 데이터와 분석에 기초하고 있다면, 바꿔야 하는 것은
「일본에서의 상식」이 된다. 국민국가에 일정한 의미가 존재하는 한「일본에서의 상식」을 바꾸는
것은 일본이라는 국가의 진로를 바꾸는 것이며, 그것은 우리의 장래를 바꾸는 의미도 지니고 있다.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 33
상 황 은 약 간 다 르 지 만, 거 꾸 로「 한 반 도 의 외 부 에 서 는 이 미 확 정 되 어 있 는 사 실 」 을
「한반도에서의 상식」과 비교하는 것도 가능하다. 이 경우 변화하는 것은「한반도에서의 상식」이
된다. 만약 그것이 일정한 의도를 가지고 이루어진다면 그것은 일종의 운동이라는 형태가 된다.
앞서 기술했듯이 내부자에게는 내부자이기 때문에 발생하는 다양한 제약이 존재한다. 그렇다고
한다면 외부자가 무책임한, 그러나 자유로운 입장에서 발언하는 것에 의해 한반도의 사회가 보다
좋은 것이 될 수 있도록 공헌할 여지도 있을지 모른다.
여기에서 간과되지 말아야 할 것은 이러한 한반도연구의 가능성을 실현하기 위해서는 어떠한
기준이 필요할 것인가일 것이다. 첫번째로 명확한 것은 각각의 목표에서 다른「청중」이 존재하는
이상, 우리는 그 청중에 대한「화법」을 바꾸지 않으면 안된다는 것이다. 그리고 여기에는 크게
두 가지의 방향성이 존재한다. 하나는 학문적인 화법을 사용할 것인가, 그렇지 않으면 많은
사람들에게 이해될 수 있는 일반적인 화법으로 논의할 것인가라는 것이다. 물론, 학문적인 화법을
사용하게 되면 그만큼 명확한 논의가 가능하게 되지만, 동시에 이를 이해할 수 있는 사람들의 수도
적어지게 된다. 반대로 일반적인 화법을 사용하게 되면 보다 많은 사람들이 논의를 이해할 수 있게
되는 반면, 그 논의의 초점은 애매하게 된다.
또 한가지의 방향성은 애초에 어떠한 언어로 발신할 것인가라는 문제이다. 말할 것도 없이
「청중」을 일본 국내에서 찾는다고 한다면 그 서적이 일본어로 쓰여져야 하는 것에는 의심의
여지가 없다. 그러나 그것이 한반도의 사회에 영향을 끼치기를 기대한다면 그 발신은 당연히
한국어로 이루어져야 한다. 한편, 그것이 보다 광범위한 이론적인 분야에 영향을 끼치기를
기대한다면 그 문헌은 그 이론적 문제에 관심을 갖는 사람들의 다수가 이해할 수 있는 언어, 즉
영어로 집필되어야 한다.
이렇게 생각해 볼 때, 명확한 것은 오늘날 일본의 한반도연구가 큰 문제를 안고 있다는 점이다.
즉, 확실히 일본은 세계 유수의「한반도연구대국」일지도 모른다. 제3세대에 의한 실증연구의
전성시대를 거쳐 오늘날의 제4세대의 연구는 고도의 실증성을 가질 뿐 아니라, 과거에는
존재하지 않았던 이론적 시사마저 가지게 되었다. 그러나 문제는 그것이 그들이 전달하고 싶은
「청중」에 도달하고 있지 않다는 것이다. 이유는 물론 명확하다. 그들은 그들의 메세지를 보다
효과적으로 전달할 수 있는 방법으로 전달하고 있지 않다. 한국에서의 실증연구의 수준이
향상되고, 세계각국에서 한반도에 대한 관심이 높아져 가고 있는 오늘날, 일본 국외의 어느
누구도 알지 못하는 잡지에 일본어로 논문을 게재하고 그것이 읽혀지지 않는 것에 대해 불만을
가진다면 그것은 사리에 맞지 않다. 중요한 것은 연구자의 책무가 연구를 하는 것 뿐만이 아니라
귀중한 연구성과를 보다 많은 사람들이 알 수 있도록 다양한 시행착오를 감수하는 것까지
포함하고 있다는 것이다. 예를 들어 자신의 서적이 한국사회에 영향을 끼치기를 기대한다면
그것을 한국어로 적는 것은 당연하며, 거꾸로 이론적 피드백을 의도한다면 영어로 쓰는 것이
대전제가 된다. 그러한 시행착오조차 겪지 않고 자신의 연구가 읽혀지지 않는다고 한탄하는 것은,
제멋대로의 자기변호와 다르지 않다.
일본에는 확실히 타국에는 존재하지 않는 거대한 한반도연구시장이 존재하고,「청중」
이 존재한다. 그러나 그렇기 때문에 우리는 이 미지근한 물과 같은 환경 속에서 이 귀중한
연구성과를 세계에 알리려는 견실한 노력을 게을리 해왔다. 일본에 많은「청중」이 있는 것은
사실이지만, 세계에는 보다 더 많은, 그리고 보다 고유의 시점에서 연구를 지속하고 있는 무수의
한반도연구자가 존재한다. 그들에게 스스로의 메세지를 전달하는 것이야말로 중요하다는 것을
확인하면서 본고를 마무리하고자 한다.
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[木村幹「日本における韓国/朝鮮研究とその課題」徐興慶編『近代東アジアのアポリア』(國立臺灣大學
出版中心、2014年)로부터 옮김]
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第 1 セッション報告②
日本の韓国研究と日韓国交正常化 50 周年:
日韓 「1965 年体制 」 を「鍛え直す」ために
木宮正史(東京大学、現代韓国研究センター、センター長)
問題意識
東京大学現代韓国研究センター(副)センター長としての 5 年の経験(2010 年度∼ 14 年度)
当初の鳩山・菅民主党政権―李明博政権におけるある種の 「 期待感 」
リベラルな歴史認識を持つ民主党政権と pragmatic な外交を指向する保守政権の組み合わ
せ
憲法裁判所判決(2011 年 8 月)、従軍慰安婦問題の浮上、「 少女の像 」、野田・李明博首
脳会談@京都、慰安婦問題をめぐる水面下の交渉とその決裂、李明博大統領の 「 竹島上陸 」
安倍晋三(岸信介の孫)自民党政権と朴槿恵(朴正煕の娘)保守政権の組み合わせ
期待と憂慮の入り交じった出発
「 右傾化 」 安倍政権に対する不信、警戒、非難に満ちた韓国政府、社会の対応
「 告げ口外交 」 を展開し 「 日本を貶める 」 韓国朴槿恵政権に対する 「 失望 」、非難に満ち
た日本政府、社会の対応
慰安婦問題に関する 「 前向き対応 」 を首脳会談の前提条件に掲げる朴槿恵政権と、無条件
の首脳会談の構えを示しながら慰安婦問題に関しては 「 日本はもはややるべきことはない 」 と
いう立場を示す安倍政権
そうした政府間関係の葛藤が政府間関係のみならず、日韓社会の相互認識、特に日本社
会の対韓認識の悪化を帰結させる現状
そうした現状を前にして、この間、日本の韓国研究は何をしてきたのかという 「 自省 」
もちろん、日韓関係の改善を自明な目的と設定して韓国研究に取り組んできたわけではな
いし、日韓関係悪化の責任を 「 研究者 」 が担わなければならないというのも酷だと考える。
しかし、他方で、では、全く無関係であるのか、また責任なしということでよいのか。
この問題に関する明快な回答を提供するのではなく、この問題に関する 「 悩み 」 を共有す
ることを目的としたい。
Ⅰ 日本の韓国・朝鮮半島研究に関して:歴史的展開
拙稿
「日本の韓国研究の展開と現状:新たな可能性の模索」姜尚中・木宮正史編『日韓関係の未来
を構想する』新幹社、2013 年、pp.9-36
「일본의 평화연구와 한반도 : 평화연구와 한반도의 접점 모색 ( 日本の平和研究と朝鮮半島:平
和研究と朝鮮半島の接点模索 )」
『통일과 평화(統一と平和)』서울대학교 통일평화연구원(ソ
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 35
ウル大学統一平和研究院)3 집 1 호(第 3 巻第 1 号)、2011 年 6 月、pp. 3-26.
1 冷戦体制下、冷戦によって制約・分断された日本の韓国・朝鮮半島研究
朝鮮半島の南北分断状況においてどちらにより高い正当性を置くのか
分析者のイデオロギー立場と分断状況における判断との親和性
朝鮮半島、南北朝鮮との適度な距離感を持つ研究の不在状況が持続する。
但し、そうした中でも韓国に対するリアルな認識に基づく研究(梶村秀樹による 5・16
軍事クーデタ直後の不正蓄財処理に関する研究など)、イデオロギーではなく 「 人権(human
rights)」 という観点からの朝鮮半島に対するアプローチは存在したが、多数派ではなかった。
しかし、他方で
日本の韓国・朝鮮半島研究の 「 特権的地位 」:グローバルな無関心、韓国(北朝鮮)にお
ける 「 自国研究 」 の限界を与件とした、日本の研究環境の 「 比較優位 」
特に、近現代史の領域において日本の研究を参照することは、韓国の 「 自国研究 」 におい
ても必須という状況。「 少なくとも日本語の資料や論文が読めないと、近現代史の研究はで
きない 」 状況。(1980 年代の韓国における経験)
2 韓国の民主化、冷戦の終焉(南北体制競争の決着)に直面し、それに対応した研究へと
冷戦的制約から解放され、韓国、朝鮮半島の現実政治に 「 関与 」 するのではなく、適度な
距離を置いて客観的に分析することが相当程度可能にはなった。
これは、一方で、日本の韓国研究、朝鮮半島研究の質を高めたということができる。特に、
韓国の韓国研究やグローバルな韓国研究と比較した日本の韓国研究の特性を生かした研究の
進展:歴史研究の強みを生かした比較優位部分の確保
他方で、韓国の自国研究としての韓国研究や、グローバルな韓国研究が活性化する中で、
日本の韓国研究も、そうした競争関係に置かれるようになった。:韓国研究のグローバルな状
況の中での日本の韓国研究の 「 特権 」 の剥奪と比重の劇的な低下、日本の韓国研究が必ずし
も常に参照されなくなる。
3 日韓関係の構造変容(均衡化・均質化・多様化多層化・双方向化)に対応した日本の韓
国研究の模索
制約のない自由で多様な領域にわたる研究の噴出:政治・経済・歴史に集中した研究から
社会文化に注目した多様な研究へ、但し、「 歴史にこだわらない 」 研究も
日本社会における韓国比重の相対的上昇に対応した国内消費用 「 韓国論 」 の需要の高まり
「 韓国論 」 の 「 大衆化 」:専門と非専門との境界の曖昧化、多様な 「 韓国論 」 の可能性、
「 誰でも韓国専門家 」
Ⅱ 日韓関係の現状と日本の韓国研究
1 前提:研究と実践(政策、運動)との関係
研究と実践との区別:韓国研究は韓国に対する理解を深めることを目的とするが、それが
即座に日韓関係の実践にどのような影響を及ぼすのかは別の問題であって、日韓関係を良好
な関係にすることを目的として韓国研究に取り組む必要はない。日本における学問と政治権
力との関係を考慮すると、学問にそこまでの直接的な現実に対する影響力を期待するのは難
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しい。
しかし、他方で、地域研究者が日本とその国との関係の現状に関して、特に問題はなく良
好であればよいが、関係が悪化した場合に、何らかの問題意識を持つのは、ある意味では当
然と言えるかもしれない。「 韓国には関心があるが、日韓関係には関心がない 」 ということ
がどの程度通用するのか。さらに、日韓関係の悪化と日本における所謂 「 嫌韓論 」 の台頭(「
嫌韓本 」 の消費)は、どちらが原因でどちらが結果であるのか、判別が難しいが、前者に対
する後者の影響は無視できない状況にある。
但し、現実の状況に関するある種の 「 油断 」 があったことは否定できないだろう。日韓関
係、日本の韓国研究共に、ある種の 「 右肩上がり 」 であるという前提があり、それほど危機
感を抱くことはなかったのではないか。そういう状況下において、日韓関係が悪化し、さらに、
それに追い打ちをかけるように 「 嫌韓本 」 の消費が急増することは、日本の韓国研究者として、
ある意味での 「 無力感 」 を持つことを率直に吐露しなければならない。
「 巷に流通する韓国論 」 の誤謬を指摘することは必要である。日本だけではなく韓国でも
流通する 「 日韓関係を悪化させているのは韓国左翼・親北(朝鮮)勢力の陰謀 」 という見方は、
是正される必要がある。
2 日韓関係の構造変容とその 「 帰結 」
日韓関係の悪化の背景には、一方で日韓関係の構造的変容が作用する。その意味では、ど
のような政治指導者が担ったとしても、悪化を防ぐことを期待するのは難しいかもしれない。
水平化:韓国にパワーに応じた 「 責任ある対応 」 を求める日本(「 先進国 」 として韓国は日本
との間で一度合意した 「 約束 」 は守るべきだ)と、パワーに応じた発言力、交渉力増大を背
景に発言力増大を図る韓国(不均衡な日韓関係下では十分に要求できなかった対日要求を
均衡化された今こそ貫徹するべき)
均質化:市場民主主義という価値観を共有するはずの韓国が、それをあまり重視しないどこ
ろか、最近は、そうした価値観を本当に共有しているのか疑問を持つような行動(サンケイ
新聞ソウル支局長の事件など)を選択しているとみる日本と、歴史認識問題などに起因して
日本と価値観を共有しているとは言い難いと考える韓国
双方向化:相互認識の中でもかなり 「 突出した認識 」 が誇張されて相互の社会に伝達される
ことによって、相互不信がより一層増幅される。韓国に関心を持った途端、韓国の根深い 「 反
日世論 」 に直面して 「 驚愕する 」 状況。
中国の大国化をめぐって:価値観を異にする中国の大国化に対して、対米同盟を共有する韓
国が、それを警戒、牽制するどころか、むしろ 「 中国寄り 」 の 「 事大主義 」 的姿勢を露骨に
示すことに対する日本の不満、経済や対北朝鮮影響力を考慮して対中関係を重視しなければ
ならない韓国の立場を理解しようとせず、「 韓国は中国寄り 」 という言説を流布するのは日
本の 「 陰謀 」 ではないかと不信を強める韓国
以上、日韓関係自体の構造変容、日韓を取り巻く東アジアの構造変容に直面して、その中で
日韓がどのようにサバイバルするのかという状況において、相互の 「 競争関係 」 が殊更にク
ローズアップされる状況。
3 「 もう一つの日韓関係 」 の可能性
しかし、そうした構造から帰結されるのは一義的ではないはずである。それに代わる選択の
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 37
可能性もあるはずだ。
水平化:以前の不均衡な条件下で合意された 「 約束 」 を均衡化という条件変化に対応するよ
うに調整することで関係の深化を図るという選択も可能ではないか。たとえ、不均衡な条件
下で不満を持ってやむを得ず合意せざるを得なかった 「 約束 」 であったとしても、それを修
正する場合には、最低限、自らの過去の選択を十分に 「 自省 」 することを伴うという 「 責任
ある立場 」 で取り組むこともできるのではないか。
均質化:相互に自らの設定した価値観を普遍化して、そこに相手が合致していないことを嘆き、
「 諦める 」 のではなく、その価値観の共有部分を相互に認識し、それに基づいて、問題解決
を探ることも可能ではないか。慰安婦問題に関して、「 日本 対 韓国 」 という図式で設定
するのではなく、正真正銘に 「 戦時下における女性の人権侵害 」 という問題意識として共有
し、その解決をそれ以外の問題も含めて共同で取り組むというアプローチは可能ではないか。
「 日本が加害者で韓国は被害者である 」 という厳然たる歴史事実に基づくことは重要である
が、それを 「 正義 対 不正義 」 という問題として設定してしまうことは、そうした歴史事
実をむしろ 「 希釈 」 してしまうことを認識するべきではないか。
双方向化:情報の流通を規制することはもちろんできないし、するべきではないが、相互に
おいて、「 民主主義体制下における情報流通の自然淘汰 」 に信頼を置き、国境を越えた相互
のコミュニケーションをより一層密にすることによって、相手の情報が、自国だけで都合良
く消費されてしまうという状況を回避し、相互に発する情報が、相手国にどのように受け入
れられるのか、そして、そうした情報が流通することが、結果として、どのような効果を持
つのかを考慮するという相互戦略を public diplomacy の名の下に構築することも可能ではな
いか。
中国の大国化への対応:大国化する中国をどのように東アジア国際秩序に馴化させ、そのた
めに共有する対米同盟をどのように活用するのかに関して、日韓にはそれほど大きな利害の
乖離は本来ないはずである。問題は、そうした課題に日韓ともに単独で取り組むことが困難
であるということである。上記のような対応は、対中政策をめぐる日韓の協力が元来困難で
あるということを与件としているが、果たしてそうなのか。
以上のように、日韓関係の構造変容、日韓を取り巻く東アジアの構造変容は、一義的に、
日韓の競争を通した対立関係を帰結させるわけではない。そうした帰結は、日韓の協力の方
が困難であるという与件に基づいた選択である。その意味で、日韓の協力が他の選択よりも
より一層困難であるのかどうかを考えてみる必要があるだろう。
4 日本の韓国研究(韓国の日本研究も同様に)の役割
日韓関係の構造変容の力学、日韓を取り巻く東アジア秩序の変動力学を解明
そうした中で、どのような選択肢があるのかを示したうえで、そうした選択がどのような
帰結をもたらすのかに関する予測シナリオ
それぞれの選択肢がどの程度のリアリティがあるのかについての分析
そのうえで、どのような選択をするのかどうかは、政治指導者を中心とした政治過程に委
ねるということになる。
問題は、日本の韓国研究が、そうした知的作業をどの程度果たしてきたのかということで
あり、その点検は必要だろう。もし、不十分であったとすると、それはしなければならない
だろう。特に、「 巷にあふれる韓国論 」 の多くは、「 そもそも韓国の正体は∼である 」「 日韓
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は到底理解し合えない 」「 こうした日韓関係になるように陰謀を企んでいるのは韓国の左派、
親北(朝鮮)勢力だ 」 というような 「 決定論 」「 陰謀論 」 が横行しているだけに、より一層、
上記のような知的作業の必要性は高まるだろう。
Ⅲ 日韓 「1965 年体制 」 を 「 鍛え直す 」 とは
2015 年日韓国交正常化(1965 年)50 年を迎えて、「1965 年体制 」 がある種の 「 制度疲
労 」 を起こしていることは事実である。従来から、日本の植民地支配に対する 「 謝罪 」 や 「
清算 」 が不十分であるという理由で 「1965 年体制 」 に対する批判が一部から提起されてきた
韓国だけでなく、日本においても 「 その間、日本は韓国のためにいろいろな支援をしてきて、
その結果、韓国は経済発展を達成し、南北体制競争にも勝利することができたにもかかわらず、
それを韓国はあまり認識しようとしない。そうであれば、今まで日本がやってきたことはあ
まり効果がなかったことになる 」 というような、韓国とは異なる角度からの批判が提起され
ているように思う。
では、果たして、それでよいのか。そうした 「1965 年体制 」 の帰着先はどこになるのだろ
うか。それについて合意が形成されるのだろうか。
「1965 年体制 」 に代わる新たな枠組みに日韓が合意することができるのであればよいが、
どうも、それはより一層困難な作業であるように思われる。そうした見通しもないまま、安
易に 「1965 年体制 」 に代わるものをやみくもに探すよりも、今まで、「1965 年体制 」 に付
け加えてきたことを踏まえたうえで、さらに、それを 「 進化 」 させることが、現実的ではな
いか。日本の韓国研究は、一方で、1965 年の日韓国交正常化がどのような過程を経て成立
したのか、その政治力学と政治過程を解明し、日韓相互に何を犠牲にして何を優先させるこ
とを選択したのかを明らかにすることができる。さらに、その後 50 年の間に、残された諸
問題に対して、それを 「 放置 」 したのではなく、それにどのように取り組んできたのか、ま
た、65 年当時の関係に何を 「 付け加えて 」 きたのか、その軌跡を明らかにすることができる。
「1965 年体制 」 の 「 進化 」 過程に関する分析である。にもかかわらず、日韓関係の現状を考
察すると、依然として 「 進化 」 の余地があるということを意味するわけで、そうした分析の
上に、さらに新たに何を 「 付け加える 」 必要があるのかを考察することができる。以上のよ
うにして、「1965 年体制 」「 何を付け加えるのか 」、「 どのように進化させるのか 」 というこ
とを考察する上で、貢献することができるのではないか。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 39
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제 1 세션 보고②
일본의 한국연구와 한일 국교정상화 50주년:
한일‘1965년체제’
를‘재단련’
하기 위해
기미야 다다시(도쿄대학대학원 정보학환, 교수/현대한국연구센터, 센터장)
문제의식
・도쿄대학 현대한국연구센터 (부)센터장으로 있었던 5년간의 경험 (2010년~2014년도)
당시 하토야마(鳩山)와 간(菅)민주당정권-이명박정권에 대한 모종의‘기대감’
・리버럴(liberal)한 역사인식을 가진 민주당정권과 pragmatic한 외교를 지향하는 보수정권의
조합
・헌법재판소판결(2011년8월), 종군위안부 문제 부상,‘소녀상’
, 노다(野田)・이명박 정상회담
@교토, 위안부문제를 둘러싼 물밑협상과 결렬, 이명박 대통령의‘다케시마(독도)상륙’
・아베신조(安倍晋三) (기시 노부스케(岸信介)의 손자) 자민당 정권과 박근혜(박정희의 딸)
보수정권의 조합
・기대와 우려가 뒤섞인 출발
・
‘우경화’아베정권에 대한 불신, 경계, 비난에 찬 한국정부와 사회의 대응
・
‘고자질외교’를 전개해‘일본을 비방하는’한국 박근혜 정권에 대한‘실망’
, 비난에 찬
일본정부와 사회의 대응
・위안부문제에 대한‘긍정적 대응’
을 정상회담의 전제조건으로 내건 박근혜 정권과 무조건적인
정상회담에 대한 자세를 보이면서 위안부문제에 대해서는‘이제 일본은 더 이상 해야 할 일이
없다’
는 입장을 보이는 아베 정권
・이러한 정부간 관계의 갈등이 양국 정부 간의 갈등뿐만 아니라, 한일사회의 상호인식, 특히
일본사회의 한국에 대한 인식 악화를 귀결시키는 현상
・이러한 현상을 앞에 두고, 그동안 일본의 한국연구는 무엇을 해왔는가 하는‘자성’
물론 한일관계 개선을 자명한 목적으로 설정해 한국연구를 해왔던 것도 아니고, 한일관계 악화에
대한 책임을‘연구자’
가 짊어지지 않으면 안 된다고 하는 것도 가혹하다고 생각한다.
・하지만 한편으로는 이러한 것들이 전부 무관하다고 할 수 있을까, 그리고 책임이 없다고 하면
괜찮은 것일까.
・이러한 문제에 대한 명쾌한 답을 제공하는 것이 아니라, 이러한 문제에 관한‘고민’
을 공유하는
것을 목적으로 하고 싶다.
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Ⅰ 일본의 한국・한반도 연구에 관해서:역사적 전개
졸고
「日本の韓国研究の展開と現状:新たな可能性の模索」姜尚中・木宮正史編『日韓関係の未来を構想する』
新幹社、2013年、pp.9-36.
「일본의 평화연구와 한반도: 평화연구와 한반도의 접점 모색」
『통일과 평화』서울대학교
통일평화연구원 3집1호, 2011년, 6월, pp.3-26.
1. 냉전체제 하 냉전에 의한 제약・분단된 일본의 한국・한반도 연구
한반도의 남북분단상황에서 어디에 더 높은 정당성을 둘 것인가.
분석자의 이념적 입장과 분단상황에 의한 판단과 친화성
한반도, 남북한과 적당한 거리감을 가진 연구가 부재한 상황이 지속됨.
하지만 그러한 가운데서도 한국에 대한 현실적(real) 인식에 입각한 연구(가지무라 히데키(梶
村秀樹)에 의한 5・16군사 정변 직후 부정부패 처리에 대한 연구 등), 이념이 아닌‘인권’
(human
rights)이라는 관점에서 한반도에 대해 접근한 연구는 존재했지만, 다수파는 아니었다.
하지만, 한편으로 일본의 한국・한반도 연구의‘특권적 지위’
: 글로벌한 무관심, 한국(북한)의
‘자국연구’
에 대한 한계를 여건으로 일본의 연구환경의‘비교우위’
특히 근현대사 영역에 있어 일본의 연구를 조명하는 것은 한국의‘자국연구’에 있어서도
필수적인 상황. (1980년대 한국에서의 경험)
2. 한국의 민주화, 냉전의 종언(남북 체제경쟁의 결착)에 직면하면서, 이에 대응하는 연구로.
냉전적 제약에서 해방돼, 한국・한반도의 현실정치에‘관여’
하는 것이 아니라 적당한 거리를
유지한 객관적 분석이 어느 정도 가능하게 됨
이것은 한편으로 일본의 한국연구와 한반도 연구의 질을 높였다고 할 수 있다. 특히 한국의
한국연구나 해외의 한국연구와 비교한 일본의 한국연구 특성을 살린 연구의 진전: 역사연구의
강점을 살려 비교우위 부분 확보
한편 한국의 자국연구로서의 한국연구와 해외의 한국연구가 활성화되면서, 일본의 한국연구도
이러한 경쟁 관계에 놓이게 됐다. : 한국연구가 글로벌화 되어가는 상황 속에서 일본의 한국연구가
지니고 있었던‘특권’
의 박탈과 비중의 극적 저하, 일본의 한국연구가 반드시 늘 참조되는 것은
아니다.
3. 한일관계의 구조 변용 (수평화・균질화・다양화・다층화・쌍방향화)에 대응한 일본의 한국
연구의 모색
제약없이 자유롭고 다양한 영역에 걸친 연구의 분출: 정치・경제・역사에 집중한 연구에서
사회 문화에 주목한 다양한 연구로. 그러나‘역사에 얽매이지 않는’연구도.
일본사회에서 한국의 비중이 상대적으로 상승한 것에 대응한 국내 소비용‘한국론’
(韓国論)에
대한 수요가 높아짐.
‘한국론’
의‘대중화’
: 전문 및 비전문의 경계가 모호화, 다양한‘한국론’
의 가능성,‘누구나
한국 전문가’
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 41
Ⅱ 한일관계의 현상(現状)과 일본의 한국연구
1 전제: 연구와 실천(정책, 운동)과의 관계
연구와 실천과의 구별: 한국연구는 한국에 대한 이해를 심화하는 것을 목적으로 하지만, 그것이
곧바로 한일관계의 실천에 어떠한 영향을 미칠지는 다른 문제이며 한일관계를 우호적인 관계로
만드는 것을 목적으로 한국연구에 임할 필요는 없다. 일본의 학문과 정치권력과의 관계를 고려할
때 학문에 전술한 것과 같은 직접적 현실에 대한 영향력을 기대하기는 어렵다.
그러나 한편으로는 지역연구자가 일본과 대상 국가와의 관계 현상에 관해서, 특별한 문제
없이 양호하다면 다행이지만 관계가 악화될 경우, 어떠한 문제의식을 갖게 되는 것은 어쩌면
당연하다고 할 수 있을지도 모른다.‘한국에는 관심이 있지만, 한일관계에는 관심이 없다’
는 것이
어느 정도(까지) 얼마나 통용되는 것인가. 또한 한일관계의 악화와 일본의 이른바‘혐한론’
의
대두 (‘혐한 서적’
의 소비)는 어느 쪽이 원인이고 결과인지 판별이 어렵지만, 전자에 대한 후자의
영향은 무시할 수 없는 상황이다.
다만 현 상황에 관한 일종의‘방심’
이 있었음은 부정할 수 없을 것이다. 한일관계, 일본의
한국연구가 함께 일종의‘상승세’
라는 전제가 있어서 그만큼 위기감을 느끼지 못한 것은 아닐까.
이러한 상황 속에서 한일관계가 악화되고 여기에 불을 지피듯‘혐한 서적’
의 소비가 급증하는
것은 일본의 한국연구자로서, 어떤 의미에서는‘무력감’
을 가지고 있다는 것을 솔직하게 토로하지
않으면 안된다.
‘시중에 유통되는 한국론’의 오류를 지적할 필요가 있다. 일본뿐만 아니라 한국에서도
유통되고 있는‘한일관계를 악화시키는 것은 한국 좌익과 친북(한) 세력의 음모’
라는 시각은
시정될 필요가 있다.
2. 한일관계의 구조변용과 그‘귀결’
한일관계 악화의 배경에는 한편으로 한일관계의 구조적 변용이 작용한다. 그런 의미에서 어떤
정치 지도자가 담당하더라도 (관계)악화를 막는 것은 기대하기 어려울지도 모른다.
수평화: 한국에게 힘에 따른‘책임 있는 대응’
을 요구하는 일본 (‘선진국’
인 한국은 일본과 한번
합의한‘약속’은 지켜야 한다)과, 힘의 증대에 따른 발언력, 교섭력 증대를 배경으로 발언력
증대를 도모하는 한국 (불균형적인 한일관계 하에서 충분히 요구하지 못했던 대일(対日)요구를
(양국 관계가) 균형화된 지금 관철해야 함)
균질화: 시장민주주의라는 가치관을 공유하고 있을 한국이 그것을 중시하기는커녕 (가치관을)
정말로 공유하고 있는지 의문을 품게 하는 행동 (산케이신문 서울 지국장 사건 등)을 선택하고
있다고 보는 일본과 역사인식 문제 등에 기인해 일본과 가치관을 공유하고 있다고는 말하기
어렵다고 보는 한국
쌍방향화: 상호인식 중에서도 꽤‘돌출된 인식’
이 과장돼 상호 사회에 전달됨에 따라 상호 불신이
더욱 증폭된다. 한국에 관심을 가지는 순간, 한국의 뿌리 깊은‘반일 여론’
에 직면해‘경악하는’
상황.
중국의 대국화를 둘러싸고: 가치관을 달리하는 중국의 대국화에 대해, 대미 동맹을 공유하는
한국이 그것을 경계하고, 견제하기는커녕 오히려‘중국 편으로 기우’
는‘사대주의’
적인 자세를
노골적으로 드러내는 것에 대한 일본의 불만, 경제와 대북한 영향력을 고려해 대중관계를
42
중시해야 하는 한국의 입장을 이해하려 하지 않고‘한국은 중국편’
이라는 담론을 유포하는 것은
가 아니냐는 불신을 강화하는 한국.
일본의‘음모’
이상과 같이 한일관계 자체의 구조 변용과 한국과 일본을 둘러싼 동아시아의 구조 변용에
직면해 그 속에서 한국과 일본이 어떻게 생존하느냐는 상황에서 상호의‘경쟁 관계’가 특히
부각되는 상황.
3.‘또 하나의 한일관계’
의 가능성
그러나 그러한 구조에서 귀결되는 것은 일의적(一義的)이지는 않을 것이다. 그것을 대신할
선택 가능성도 있을 것이다.
수평화: 이전의 불균형한 조건 하에서 합의된‘약속’을 균형화라는 조건 변화에 대응하도록
조정함으로써 (양국)관계의 심화를 도모하는 선택도 가능하지 않을까. 비록 불균형한 조건 속에서
불만을 갖고 마지못해 합의할 수밖에 없었던‘약속’이라 할지라도, 그것을 수정할 경우에는
하는 것을 따른다는‘책임 있는 입장’
에 서야 하는 것은
최소한 과거 자신의 선택을 충분히‘자성’
아닌가.
균질화: 스스로 설정한 가치관을 보편화해 그것에 상대가 일치하지 않는 것을 탄식하며‘포기’
하는 것이 아니라 가치관이 공유되는 부분을 서로 인식하고 이에 따라 문제 해결을 모색하는
이라는 도식으로 설정하는 것이 아니라,
일도 가능하지 않을까. 위안부문제에 관해‘일본 대 한국’
라는 문제의식을 (문제의식으로) 공유하고, 그 해결을 이밖의
진정으로‘전시하 여성의 인권 침해’
라는
문제도 포함해 함께 고민하는 방식도 가능하지 않을까.‘일본이 가해자고 한국은 피해자다’
엄연한 역사 사실에 근거하는 것은 중요하지만, 그것을‘정의 대 부정의’라는 문제로 설정해
해 버린다는 것을 인식해야 할 것이다.
버리는 것은 그러한 역사적 사실을 오히려‘희석’
쌍방향화: 정보의 유통을 규제하는 것은 물론 할 수 없고, 해서도 안된다. 하지만 서로에게
‘민주주의 체제 하에서 일어나는 정보 유통의 자연도태’에 신뢰를 두고 국경을 넘은 상호
커뮤니케이션을 더욱 긴밀히 해, 상대의 정보가 자국에서만 편히 소비되는 상황을 회피하고
서로에게 발신하는 정보가 상대국에 어떻게 받아들여지는지, 그런 정보가 유통되는 것이
결과적으로 어떤 효과를 갖는지 고려하는 상호 전략을 public diplomacy이라는 이름으로
구축하는 것도 가능하지 않을까.
중국의 대국화에 대한 대응: 대국화하는 중국을 어떻게 동아시아 국제 질서에 순화(馴化)시키며,
그것을 위해 공유하는 대미 동맹을 어떻게 활용할지에 대해서는 한일 양국 모두 처음부터 이해가
크게 다르지 않았을 것이다. 문제는 이러한 과제에 한국과 일본이 동시에 단독으로 임하는 것이
어렵다는 점이다. 전술한 것과 같은 대응은 대중국 정책을 둘러싼 한일 협력이 원래 곤란했다는
것을 여건으로 하고 있지만, 과연 그럴까.
이상과 같이 한일관계의 구조변용, 한국과 일본을 둘러싼 동아시아의 구조변화는 일의적으로
한일경쟁을 통한 대립 관계를 귀결시키는 것은 아니다. 그러한 귀결은 한일협력이 어렵다는
여건에 근거한 선택이다. 그런 의미에서 한일협력이 다른 선택보다 한층 더 곤란한 것인지
어떤지를 생각해 볼 필요가 있을 것이다.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 43
4. 일본의 한국 연구(한국의 일본 연구도 마찬가지)의 역할
한일관계의 구조변용의 역학, 한국과 일본을 둘러싼 동아시아 질서의 변동역학을 규명
그러한 가운데 어떤 선택지가 있는지를 제시한 후, 그러한 선택이 어떤 귀결을 가져올지에 관한
예측 시나리오
각각의 선택 사항이 어느 정도의 현실성이 있는지 분석
그 후 어떤 선택을 하는지에 대해서는 정치 지도자를 중심으로 한 정치 과정에 맡긴다는 것이다.
문제는 일본의 한국연구가 그러한 지적 작업을 어느 정도 해왔느냐는 것이며, 이에 대한 점검이
필요할 것이다. 만약 불충분하다면 그것은 하지 않으면 안될 것이다. 특히‘시중에 넘치는
의 대부분은“원래 한국의 정체는 ~이다”
“한일 양국은 도저히 이해할 수 없다”
“이런
한국론’
라는 것이고, 이러한
한일관계가 되도록 음모를 꾸미고 있는 것은 한국의 좌파, 친북(한)세력이다”
‘결정론’
‘음모론’
이 횡행하고 있는 만큼 더더욱 위와 같은 지적 작업의 필요성은 높아질 것이다.
를‘재단련’
한다는 것이란
Ⅲ 한일‘1965년 체제’
가 일종의‘제도적 피로감’
2015년 한일 국교정상화(1965년) 50년을 맞아‘1965년 체제’
를 일으키고 있는 것은 사실이다. 종래부터 일본의 식민지 지배에 대한‘사죄’나‘청산’이
불충분하다는 이유로‘1965년 체제’에 대한 비판이 일부에서 제기되어 온 한국뿐만 아니라
일본에서도“그동안 일본은 한국을 위해 여러 가지 지원을 해왔고, 그 결과 한국은 경제 발전을
달성해, 남북체제 경쟁에서도 이길 수 있었음에도 한국은 이를 그다지 인식하려 하지 않는다.
그렇다면 지금까지 일본이 해왔던 일은 별 효과가 없었던 것이 된다”라고 하는 한국과 다른
각도의 비판이 제기되고 있다고 생각한다.
의 귀착지는 어디인가. 이것에 대한
그렇다면 과연 그것으로 된 것일까? 그러한‘1965년 체제’
합의가 형성될 것인가.
‘1965년 체제’대신 새로운 틀에 한국과 일본이 합의할 수 있으면 좋겠지만, 아무래도 그것은
를 대신할 것을
더욱 어려운 작업인 것처럼 보인다. 그러한 전망도 없이 섣불리‘1965년 체제’
에 더해왔던 것을 다시 되돌아보며 그것을 더욱‘진화’
무작정 찾기보다 지금까지‘1965년 체제’
시키는 것이 현실적이지 않을까. 일본의 한국연구는 1965년 한일 국교정상화가 어떤 과정을
거쳐 성립했는지에 대한 정치역학과 정치과정을 규명하고, 한국과 일본이 서로 무엇을 희생하고
무엇을 우선해서 선택했는가를 명확하게 할 수가 있다. 그리고 50년 동안 남겨진 여러 문제에
하는 것이 아니라, 이러한 문제들에 대해 어떻게 임해 왔는지, 65년 당시의 관계에
대해‘방치’
의‘진화’과정에 관한
무엇을‘덧붙여’왔는지, 그 궤적을 밝힐 수 있다. 이것은‘1965년 체제’
의 여지가 있다는
분석이다. 그럼에도 불구하고 한일관계의 현상을 고찰해 보면 여전히‘진화’
것을 의미하고 그러한 분석 위에 다시 새롭게 무엇을‘덧붙일’필요가 있는지를 고찰할 수 있다.
‘무엇을 더할 것인가’
,‘어떻게 진화시킬 것인가’
라는 것을 고찰하는
이상과 같이‘1965년 체제’
데에 공헌할 수 있지 않을까.
[번역: 박지혜(도쿄대학 대학원 종합문화연구과 석사과정)]
[교정: 김경옥 ( 도쿄대학 대학원 종합문화연구과 박사과정, 현대한국연구샌터 RA]
44
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▲
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第 2 セッション報告①
韓国における日本研究の現状と課題
陳昌洙(世宗研究所 )
序論
1)
2)
3)
研究テーマはどのように変化しているのか。
韓国における日本研究の特徴は何か。
他分野にも影響を与えているのか。理論的に貢献しているのか。
社会にどのように影響を及ぼしているのか。認識の変化に貢献しているのか。
1. 重層的な転換期を向かえる日本研究
1) 研究者の高齢化と偏った学問の分布
2)中国の浮上に従う北東アジアの秩序変化:重要さの下落
3)地域研究の危機
− 特殊言語の壁の相対的な低下
− 情報を獲得しやすい。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 45
− 事実の複雑さ:国際関係と国内政治の連動
2.地域研究として日本研究の流れ
1)戦後から1980年まで:人文学的な知識に基づく特殊的な印象論
−大学以外のジャーナリズムや在野学者
−大学では文学、語学中心の教育、社会の需要を満足できなかった。
−日本での文化論の影響
2)1980年以後:日本モデル
−日本の経済成長における成功モデル、日本帝国主義についての反感
−民間レベルでの活発な交流、市場からの要求:実務的な関心から日本を理解しようと
する動き
−学会の議論は孤立化して、社会特にマスコミが韓国での日本の認識を主導
3)1990年代から2000年中半まで
−日本で留学した研究者たちが韓国の学会に多数流入し、日本研究が飛躍的に成長、専
門分野が拡大
−研究機関の拡充:日本研究の量的増加
−日本の認識も多様性が現れる、社会に学会の認識も影響するようになる
4)2000年中半以後 −多様化、専門化が進行、量産体制に入る
−制度的な環境の変化:
韓国研究財団が導入した競争システム:人文韓国支援(HK事業)
大学と研究機関の人事政策にも影響
−社会の認識は妥協 3.各分野の争点
1)歴史学
−量的な変化による質的な変化
1980年代までは日韓関係史が中心:
1980年代以後:日本史についての研究が始まる
1990年代以後:日本留学派の活動が目立つ
関係史から日本史へ+前近代から近代へ
46
『歴史学報』
~ 1980
関係 日本
古代
1981 ~ 90
関係 日本
1
1991 ~ 2000
関係
日本
1
2001 ~ 10
関係
日本
3
1
近代
3
1
1
1
1
1
1
現代
4
1
5
3
1
4
5
2
7
1
11
1
2
3
16
6
22
4
4
4
8
総計
日本
8
0
8
0
2
2
1
2
2
4
1
20
7
27
2
2
3
5
2
近世
総計
計
関係
3
中世
計
2011 ~ 14
関係 日本
32
14
46
46
−韓国の日本歴史研究の意味が問われる
専門的な研究の目的はどこ(日本の学会)にあるのか、
学問的な意義は? 韓国の日本歴史研究の特徴は?
−植民地時代の研究が増加
2)経済、経営
−1980年代までは論文と研究成果は少ない
日本文化との関連性を強調、世界的な現象
−政府主導の日本の成長モデルに関心、日本的経営モデル
産業政策、労使関係、産業組織、為替政策、金融政策
日本の成長モデルは韓国に導入するには何が必要なのか。効率なのか
−1990年代から長期不況に関心
韓日経済協力、
−日本経済についての関心の衰退 −政策的な時事点に関心:政府からの要請、市場からの要請、社会の変化への関心:社会
のニーズよりも政府、市場からの委託研究 3)社会学
−1980年までは少ない。学位取得者中心
日本社会について理論的、現実的に関心が低い、社会の直接な研究対象にはならない。
1970年代からは発展の観点から研究を始める。
−1990年代:産業、環境、国家のテーマ
日本研究に関する専門家を排出、
−2000年から多様な分布:労働、地域、都市、東アジアなど関心が拡大
一方、家族、ジェンダー、多文化などへの関心が拡大
日本研究者ではなくても、韓日比較、東アジアとの比較が増える
−2000年の後半になると論文の数も下落、
−文化論から社会科学へ、実用的な関心の多様化(テーマの多様化)、関心の拡大(東アジ
アの観点、比較研究の増加)
4)政治(国内政治、対外政策)
−1980年代まで:自民党中心の研究、次第に革新勢力などの研究も増える。
日韓関係の分析が多い。1980年代には防衛政策が増える。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 47
−1990年代:産業政策の分析が多い、日本型政治経済システムについて肯定的な見方が
多い。後半になると改革、地方分権、などのテーマが増える。
脱冷戦期の対外政策。
−2000年代から改革のテーマが減少し、研究分野が多様化
< 韓国政治学会報 外交分野 , 1969-2014.9>
1969-1979
日本 対外政策
(安保 )
日本 対外政策
(経済 )
日韓関係
2
日米関係
1980-1989
1990-1999
2000-2009
2010-2014
総計
5
3
3
1
12
4
1
5
4
2
10
2
1
1
1
3
日中関係
0
日朝関係
東アジア
国際関係
1
1
1
1
2
5
韓国の対日関係
その他
1
総計
4
2
9
1
1
1
9
6
18
2
7
44
−社会の議論に影響され、右傾化論も出てくる。研究テーマの貧困(国内政治ないし、日
韓関係中心)
−政策の研究が盛んになっている。学術的な研究は少ない。
5)まとめ
①量的な成長に伴う質的な変化:多様な形で専門家を成し遂げる
−2000年代からは研究活動に対する制度的な改善:大学の人事システムの変化。研
究機関の拡大による研究の特化、韓国研究財団の支援と競争システム
②アメリカなどの地域研究との対照的な傾向:政策志向の研究が依然として多い
③安定的な停滞期:日本研究の衰退とともに、研究テーマと研究者は広がる(比較研究、
東アジア研究の中での日本研究、日本専門家以外の研究者も関心)
4.課題
1)高齢化による新規研究者の育成
2) 研究者の無力感:社会の認識をどのくらい変えられるか。
日韓関係の葛藤によって、研究動向も敏感に影響を受ける
社会の関心にどのように応えるか。
3)一般の学問とのバランスをとる研究
地域研究の宿命を超えられるのか。
4)新しい地域研究として日本研究の方法論:総合的なアプローチ *参考資料:陳昌洙「韓国における日本研究:多様化と専門化のジレンマ」
『立命館大学国
際地域研究』2012 年 10 月、第 36 号 (URL:http://hdl.handle.net/10367/4897)
[和文原稿は発表者本人が作成]
48
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제 2 세션 보고①
한국의 일본연구 현황과 과제
진창수(세종연구소)
서론
1) 연구테마는 어떻게 변화하고 있는가.
2) 한국에 있어서의 일본연구의 특징은 무엇인가.
타분야에도 영향을 주고 있는가. 이론적으로 공헌하고 있는가.
3) 사회에 어떠한 영향을 미치고 있는가. 인식의 변화에 공헌하고 있는가.
1. 중층적인 전환기를 맞이하는 일본연구
1) 연구자의 고령화와 치우친 학문의 분포
*첫번째 표 테마-일본연구자의 연령별 분포
주) 2012년도조사에서는 앙케이트에 응한 사람이169명, 한국연구재단의 데이터베이스 자료분석의
대상수가 908명이고, 합계 1077명이 분석대상이다.
출처) 세종연구소일본연구센터(2012)『2012조사자료:한국일본학의 현황과 과제』
*두번째 표 테마-일본연구의 대학 전공 분포
주) 어학, 문학:일본전공, 일본어전공,일본어학과,일본어학부,일어일문학과,일본어문학과
포함함. 2)교육:일본어교육과, 3)통역 번역관련:일본어통역학과, 4)일본학과:일어일본문화전공,
일본어일본문화학과, 일본학과 등, 5)비지네스, 관광: 관광일본어학과, 국제비지네스어학부,
일본어전공
출처) 세종연구소일본연구센터(2012)『2012조사자료:한국일본학의 현황과 과제』
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 49
2)중국의 부상에 따른 북동아시아의 질서변화:중요도의 하락
3) 지역연구의 위기
- 특수언어벽의 상대적 저하
- 정보를 획득하기 쉬움.
- 사실의 복잡함:국제관계와 국내정치의 연동
2. 지역연구로서의 일본연구 흐름
1)전후부터 1980년까지:인문학적인 지식에 근거한 특수적인 인상론
-대학의외의 저널리즘과 재야학자
-대학에서의 문학, 어학중심의 교육, 사회의 수요에 만족 못함.
-일본에서의 문화론 영향
2)1980년이후:일본모델
-일본의 경제성장 모델, 일본제국주의에 대한 반감
-민간레벨에서의 활발한 교류, 시장으로부터의 요구:실무적인 관심으로부터 일본을
이해하려고 하는 움직임
-학회의 의논은 고립화되어, 사회, 특히 매스컴이 한국에서의 일본인식을 주도
3)1990년대부터 2000년 중반까지
-일본에서 유학한 연구자들이 한국의 학회에 다수 유입해서, 일본연구가 비약적으로 성장,
전문분야가 확대
-연구기관의 확충:일본연구의 양적 증가
-일본의 인식도 다양성이 나타남. 사회에 학회의 인식도 영향을 미치게 됨
표 테마-국가별 박사학위 취득자의 추이
주) 한국에서의 일본연구자 중, 앙케이트에 응한 연구자와 한국연구재단의 데이터베이스자료의
연구자를 포함해서 815명을 모집단으로서 조사한 수치.
출처) 세종연구소일본연구센터(2012)『2012조사자료:한국일본학의 현황과』
4)2000년중반 이후 -다양화, 전문화가 진행, 양산체제에 들어감
-제도적인 환경의 변화:
50
한국연구재단이 도입한 경쟁시스템:인문한국지원(HK사업)
대학과 연구기관의 인적정책에도 영향
-사회의 인식과 타협 3. 각분야의 쟁점
1)역사학
-양적인 변화로 인한 질적인 변화
1980년대까지는 한일관계사가 중심
1980년대이후:일본사에 대한 연구가 시작됨
1990년대이후:일본유학파의 활동이 두드러짐
관계사로부터 일본사로+전근대에서 근대로
『역사학보』
~1980
관계 일본
고대
1
1981~90
관계 일본
1
1991~2000
관계
일본
3
2001~10
관계
일본
3
중세
1
3
1
1
1
1
1
현대
합계
총계
4
1
5
3
1
4
5
1
1
11
1
2
2
16
7
3
6
22
4
4
합계
관계
일본
총계
8
0
8
0
2
2
1
2
2
4
1
20
7
27
2
2
3
5
4
32
14
46
2
근세
근대
2011~14
관계 일본
8
46
-한국의 일본역사연구의 의미를 추궁하게 됨
전문적인 연구의 목적은 어디(일본의 학회)에 있는가
학문적인 의의는? 한국의 일본역사연구의 특징은?
-식민지시대의 연구가 증가
2)경제, 경영
-1980년대까지는 논문과 연구성과는 적음
일본문화와의 관련성을 강조, 세계적인 현상
-정부주도의 일본성장 모델에 관심, 일본적 경영모델
산업정책, 노사관계, 산업조직, 환율정책, 금융정책
일본의 성장모델은 한국에 도입하기 위해서는 무엇이 필요한가, 효율적인가
-1990년대부터 장기불황에 관심
한일경제협력
-일본경제에 대해서의 관심 쇠퇴 -정책적인 시사점에 관심:정부에서의 요청, 시장으로부터의 요청, 사회의 변화에 관심:
사회의 요청보다도 정부, 시장으로부터의 위탁연구
3)사회학
-1980년대까지는 적음. 학위취득자 중심
일본사회에 대한 이론적, 현실적인 관심 낮음. 사회의 직접적인 연구대상으로는 안됨. 1970
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 51
년대부터는 발전의 관점에서 연구가 시작됨.
-1990년대:산업, 환경, 국가의 테마
일본연구에 관한 전문가를 배출.
-2000년부터 다양한 분포:노동, 지역, 도시, 동아시아 등의 관심이 확대
한편, 가족, 젠더, 다문화 등으로 관심이 확대
일본연구자가 아니어도, 한일비교, 동아시아와의 비교가 늘어남
-2000년후반이 되어서 논문의 양도 줄어듬.
-문화론에서 사회과학으로. 실용적인 관심의 다양화(테마의 다양화), 관심의 확대(동아시아의
관점, 비교연구의 증가)
4)정치(국내정치, 대외정책)
-1980년대까지:자민당 중심의 연구, 점차 혁신세력등의 연구도 늘어남.
한일관계의 분석이 많음. 1980년대에는 방위정책이 늘어남.
-1990년대:산업정책 분석이 많음. 일본형 정치경제시스템에 대한 긍정적인 견해가 많음.
후반에는 개혁, 지방분권 등의 테마가 늘어남.
탈냉전기의 대외정책.
-2000년대부터 개혁의 테마가 감소해 연구분야가 다양화.
<한국정치학회보 외교분야, 1969-2014.9>
1969-1979
일본
대외정책 ( 안보 )
일본 대외정책
( 경제 )
한일관계
2
한미관계
1980-1989
1990-1999
2000-2009
2010-2014
총계
5
3
3
1
12
4
1
5
4
2
10
2
1
1
1
3
중일관계
0
일조관계
동아시아
국제관계
1
1
1
1
2
5
한국의 대일관계
그외
1
총계
4
2
9
1
1
7
44
1
9
6
18
2
-사회의 의논에 영향을 받아, 우경화론도 나옴. 연구테마의 빈곤(국내정치, 아니면 한일관계가
중심)
-정책의 연구가 활봘해짐. 학술적인 연구는 적음.
5)요약
①양적인 성장에 따른 절적인 변화:다양한 형태로 전문가가 생겨남.
-2000년대부터는 연구활동에 대한 제도적인 개선:대학의 인사시스템의 변화. 연구기관의
확대에 의한 연구의 특화, 한국연구재단의 지원과 경쟁시스템
②미국등의 지역연구와의 대조적인 경향:정책지향의 연구가 여전히 많음.
52
③안정적인 정체기:일본연구의 쇠퇴와 함께 연구테마와 연구자는 늘어남.(비교연구,
동아시아연구로서의 일본연구, 일본전문가 이외의 연구자도 관심을 가짐)
4. 과제
1)고령화로 인한 신규 연구자의 육성
2) 연구자의 무력감:사회의 인식을 얼마나 바꿀 수 있는가.
한일관계의 갈등으로 인해, 연구동향도 민감하게 영향을 받음.
사회의 관삼에 어떻게 응할것인가.
3)일반 학문과의 균형을 유지하는 연구
지역연구의 숙명을 뛰어넘을 수 있을까.
4)새로운 지역연구로서의 일본연구의 방법론:종합적인 어프로치 *참 고 자 료:진 창 수「 한 국 의 일 본 연 구 :다 양 화 와 전 문 화 의 딜 레 마 」
『리츠메이칸대학
국제지역연구』2012년10월, 제36호(URL:http://hdl.handle.net/10367/4897)
[번역:민동엽(도쿄대학 대학원 종합문화연구과 박사과정, 현대한국연구센터 RA)]
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 53
▲
▲
▲
第 2 セッション報告②
日本研究について―韓国日語日文学会から
崔在喆 / チェ・ジェチョル
(韓国外国語大学日本言語文化学部、教授)
1.韓国の学会の日本研究の概要
韓国での日本語教育は、1961 年韓国外国語大学に日本語科の創設以来であり、1973 年に同
大学院に日本語科の開設以来、韓国で日語日文学研究が始まったと言えよう。日語日文学専攻
で文学博士学位の初輩出は 1994 年 2 月の韓国外国語大学大学院日語日文学科文学専攻(近代
文学、正岡子規の写生論)の分野である。
1965 年の日韓国交正常化の 4 年前である 1961 年に韓国外国語大学に日本語科が開設され
たということは特筆すべきことである。この時期は、解放から 16 年の時点で、日韓関係や社
会の雰囲気は日本語を学習することが容易ではない時期であった。現在、韓国外国語大学日本
語科は日本語大学(学部)体制に昇格し、韓国外国語大学の日本研究所は学術誌『日本研究』
62 号(2014 年 12 月)を発行し、<日本研究叢書>シリーズを刊行している。韓国外国語大
学日本語大学は<市民人文講座>第 1 期:
「人文学を通じた日本理解」
(2013 年 9 ∼ 12 月)
と第 2 期:「人文学を通じた韓・中・日東アジアの疎通」
(2014 年 9 ∼ 12 月)を開設し、大
学での日本研究と教育のみならず、一般市民にも日本理解の深化と日・韓のために努力してい
る。
韓国で学会レベルでの日本研究は 1973 年の韓国日本学会(初代李栄九会長)
、1978 年の韓
国日語日本文学会(初代全基定会長)の創設から始まった。以降、日本関連の約 10 の学会と
10 ヶ所の研究所から発表された論文の数は 2005 年から 2014 年現在まで毎年 1,000 本余り
を超えるほどに増加した。
日本文学分野研究の現況については、主要登載学術誌に掲載された論文の数が 2005 年以来
2014 年現在まで毎年平均、日本古典文学 130 本程度、近現代文学 230 本余りである 1。
韓国学術誌掲載 日文学関連の論文本数(1968-1987)[表 - 1]
年度
1968
近現
代
69
1
古典
比較
70
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
1
1
1
1
1
1
2
8
8
9
16
20
23
39
43
47
33
255
46.4
1
1
1
2
5
7
3
13
7
3
13
13
24
26
26
8
153
28.2
1
1
1
3
3
5
2
3
9
7
11
5
18
13
13
4
100
17.9
1
2
2
3
2
1
8
8
8
4
1
41
7.5
3
8
11
17
15
25
49
89
90
90
46
549
100
1
1
1
2
3
3
1
25
27
44
崔在喆(他)
、
『2012 年日本研究の現状と課題 : 日本語学、古典、近現代文学、歴史』、2012 年夏国際
学術大会のシンポジウムプロシージャー発表要旨、韓国日語日文学会、2012.6.16. 参照。
1
54
%
72
その
他
計
計
71
本
1970 年代の日文学研究の本格化、各大学の日語日文学および日本学関連学科設置、大学付
設の日本関連研究所の設立、韓国日本学会および韓国日語日本文学会創立。
1987 年末現在、370 本に至る日文学関係研究論文(講演会の記録を含む)発表。
『日本学報』
19 集まで 88 本、
『日語日文学研究』11 集まで 70 本の研究論文および資料、講演会記録で収録。
分野別に見てみると、近現代文学分野では夏目漱石に関する論文が 46 本で最も多く研究され、
次に芥川竜之介(20)、森鴎外(13)
、樋口一葉(12)
、島崎藤村(12)
、川端康成(11)の順
である。古典文学分野では「徒然草」吉田兼好に関するものが 21 本で最も多く、
次に、
「方丈記」
鴨長明(12)、井原西鶴(11)、松尾芭蕉(10)
、
「源氏物語」紫式部(10)の順である。その他、
神話、能、和歌、説話文学に関するものもそれぞれ 7 本ずつ発表された。比較文学の分野では、
日韓開化期[開港期]の小説、政治小説に関するものが 8 本でもっとも多く、フランスと日本
の自然主義を比較した論文もある。
成果と提案 2
- 人的資源の確保と、これからのさらに中身のある研究のための基盤を構築、年間 100 本に
迫る研究論文が発表されているなど量的に成長。
- 学会は固有の機能の他にも日文学研究のための資料センターとしての機能ができる体制を
整えること。
- 共通の関心分野の研究者同士の共同研究を行うことができる体制を整えること。
- 文学教育に関する研究及び情報の交換をすること。
- 韓国語の文学研究書と翻訳書の出版にも努力を傾けること。
日本研究関連学会、最近 5 年間の論文掲載本数の現況 [表 -2]
学術誌
日本学報
日語日文学研究
日本語教育
日語日文学
日本歴史研究
日本語文学 1)
日本語文学 2)
日本文化学報
日本思想
日本語学研究
日本近代学研究
日本文化研究
日本言語文化
2007 年
107
143
41
92
14
100
95
87
15
37
57
88
39
2008 年
123
155
58
77
14
72
82
81
20
48
54
95
33
2009 年
89
169
64
83
11
91
76
73
24
49
54
88
39
2010 年
93
153
64
96
17
91
75
81
23
43
79
110
60
2011 年
83
154
63
92
14
95
55
78
21
57
86
124
87
*1)日本語文学会発行 2)韓国日本語文学会発行。
上記の表から分かるように、伝統的で先駆的な学会の学術誌の発行は変わらぬ不動の様相を
呈している。韓国日本学会と韓国日語日文学会の学術誌の発行は量的・質的面で安定的に成長・
発展していることが確認できる。
−地域を基盤にして誕生した全国規模の学会が発行する学術誌は掲載論文数が現状維持ない
しは急激に減少する傾向がある。
2
黄石崇「韓国での日文学研究の回顧と成果」『日本学報』(20)、1988、韓国日本学会、33-61 ページ。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 55
-「日本語教育」、「日本歴史研究」
、
「日本思想」
、
「日本語学研究」など専門学会の学術誌とし
てそれなりの役割を果たしている。
-2000 年以降に創立した新生の全国の学会学術誌「日本言語文化」
、
「日本文化研究」、「日本
近代学研究」の掲載論文の数が増加している。
今後、日本の研究関連学会が進むべき方向 3。
- 日本学研究全般の専門化と特性化を通じて実質的な成長を追求すること。
- 全空間・隣接学問間の研究の活発な交流が必要である。
- 学術大会開催と学術誌発行の国際化時代を開くこと。
日本研究関連の大学研究所の登載学術誌分野別の論文本数 [表 -3]
年度 / 分野
中央大 日本語学
日本文学
日本学
合計
2006
5
2
1
8
2007
6
4
1
11
2008
10
15
9
34
2009
15
11
9
35
2010
13
19
8
40
2011
14
17
10
41
合計 (%)
63 (37.28)
68 (40.24)
38 (22.48)
169 (100)
韓国外大
日本語学
日本文学
日本学
合計
25
27
12
64
27
25
12
64
36
31
14
81
35
29
19
83
40
31
19
90
38
22
17
77
201 (43.79)
165 (35.94)
93 (20.27)
459 (100)
高麗大
日本語学
日本文学
日本学
合計
10
12
7
29
6
18
4
28
6
9
11
26
3
3
28
34
8
21
19
48
8
8
28
44
41 (19.61)
71 (33.97)
97 (46.42)
209 (100)
檀国大
日本語学
日本文学
日本学
合計
17
11
16
44
23
27
13
63
23
18
20
61
18
27
23
68
23
17
21
61
17
29
17
63
121
129
110
360
(33.62)
(35.83)
(30.55)
(100)
上記の表を通じて見られる特徴は、最近 6 年間の全体論文本数 1,197 本のうち日本語学・文
学関連論文が 859 本で全体の 71.76% を占めており、日本学分野の論文数が相対的に少ないこ
とである。各研究所による研究叢書刊行が望ましい 4。以下は<日本語教育分野>の研究領域
別 4 つの学会誌の論文掲載の現況である。
日本語教育分野領域別の論文掲載の現況(1973-2011) [表 -4]
日本学報
日本語教育研究
日本語学研究
計
誤用分析
5
7
16
6
全体 (一般) 教育
12
9
3
14
38
13
10
17
10
50
発音、 音声、 聴解
56
日語日文学研究
34
作文教育
2
2
4
4
12
文法教育
11
13
6
14
44
漢字教育
4
3
10
9
26
会話教育
9
1
9
2
21
評価 (パフォーマンス ,OPI,)
11
5
7
14
37
教科書分析
20
6
6
12
44
学習、 授業
24
16
30
15
85
コンピューター活用、 インターネット
8
10
10
21
49
教授法、 指導法
2
2
4
17
25
表記、 外来語
6
4
8
3
21
その他 (通訳 ・ 翻訳、 教諭)
1
5
1
0
7
計
128
93
131
141
493
韓国における日本語教育の調査対象は、1973 年から 2011 年までに上記の研究誌に掲載さ
れた日本語教育関連の論文 493 編で、これを 14 項に分類した。その結果、第一に、「日本語
学習と授業」に関する論文は 85 編と最も多かった。実際の学習と授業を通して、研究を実際
の日本語教育に応用、活用しようとする試みの結果である。世界の日本語教育の流れにそった
研究の結果であるとも言える。第二に、
「発音と聞き取り」教育の研究が 50 編だった。多様な
道具を活かし、日本語教育に応用しているという手がかりである。第三に、
「コンピュータとイ
ンターネット」を利用した研究で、49 編だった。グローバル時代が進むにつれ、このような研
究は進んでいくだろうと予測できる。この他にも多様な研究の結果が見られる。韓国での日本
語教育研究の活性化の表れであると言える。これからの韓国の日本語教育の研究はより専門化
すると同時に複合的な研究まで広がる可能性が高い。また、韓国の日本語教育研究が東アジア
の日本語教育にまで影響を与える時期が間もなく来るだろう 5。
<韓国の日本史研究>は日本による韓国の植民地経験のため、他の地域の歴史研究とは異な
る独特な経路を経て発展した。まず、1945 年から 1965 年の韓日国交正常化までは日本史研
究の空白期であり、次に 1965 年から 1980 年くらいまでは模索期、そして 1980 年から本格
的な日本史研究の胎動期であると言えよう。空白期と模索期の日本史研究は、植民地時期に生
まれ、高等教育を受けた日本史学習者あるいは韓国史研究者を中心に展開された。胎動期を担
ったのは 1945 年前後に韓国で生まれ、高等教育を受け、日本とアメリカに留学し、日本史で
博士学位を取得した少数の研究者たちである。彼らが帰国し、研究者として教育と研究を始め
た。1990 年代半ば以降、日本史研究の発展期を迎えた。その担い手は胎動期の研究者から影
響を受けたり、教育を受けて韓国で日本史研究を開始した世代である。彼らは韓国で日本史研
究の課題を本格的で細密に提起し始めた。
韓国での日本史研究は、近現代の割合が最も高い反面、中世の割合が最も低い点が特徴である。
日本の歴史研究が志向するところは、日本そのものの問題、日本史研究であると言える。1 世
代に該当する金容徳の日本史研究に対する提言は、第一に、韓国の研究レベルが既存の史料と
業績の整理・紹介あるいは過度な推論段階に留まって学問的に優れた業績が多くない点を反省
し、十分な資料とこれを利用できる研究者の必要性を提起した。第二に、研究分野の不均衡性
を指摘し、前近代分野の弱さと近現代分野に偏っている現状に言及し、日本史全体の均衡と多
様性の確保が必要であると指摘した。第三に、日韓関係と関連する日本史は日本の学者を圧倒
する論理性と厳密な史料の解釈に基づいた研究の必要性を指摘した。第四に、韓国での日本史
研究は、日本史教育にも貢献しなければならない。対等な位置でお互いの歴史を理解するため
に日本史教育が必要であり、客観的な日本史像の把握にも日本史研究者の研究と業績が大きな
3
李ギョンギュ「日本研究関連学会の現状と課題」『日本学報』(91)、韓国日本学会、2012、89-96 ページ。
4
金鎔均「韓国での日本研究関連研究所の現状と課題」『日本学報』(91)、韓国日本学会、2012、97-110
ページ。
5
李ギョンス「韓国の日本語教育研究の現況と課題」『日本学報』(91)、韓国日本学会、2012、9-23 ページ。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 57
役割を果たすことになるだろう。第五に、韓国の多くの日本史研究者たちが学位課程を日本と
アメリカで受けている。これは日本史研究の客観化作業と研究の新しい方向を模索して広い視
野の確保に寄与し、韓国の日本史研究を世界的レベルに引き上げることができるようにしてい
る。これに加えて、同じ1世代である金ヒョングも韓国での日本史研究は東洋史の一部として
の見方、韓国史の一部としての見方(特に古代と近代の場合)
、日本そのものの歴史としての見
方という三つの側面から行われなければならないと指摘した 6。
<韓国における日本民俗の研究>は日本語と文学に比べると、あまり活発な方ではない。
1980 年代以降から現在に至るまで韓国での日本民俗研究の現況を把握し、展望と課題を見る
と次のようになる。
-20 年前に比べ、日本専門家が大勢登場。彼らは、日本留学の経験があり、民俗学の命とも
言える現場調査を通して研究に取り組んでいるという点が自国文化の延長線上で行われた過去
とは顕著な違いを示している。
研究テーマが偏っている傾向があるが、
口承の場合は神話と説話に、
特に神話は『古事記』と『日
本書紀』、『風土記』などの古代文献に限られており、中世の文献神話についてはひじょうに不
十分な状態であり、時間の民俗には歳時民俗と葬儀に、神と魂の民俗では妖怪に、祭りや遊び
の民俗には神楽と祭りに、衣食住では食べ物に、少数民族には沖縄に集中する現象を見せる。
- 研究方法論の不在と基礎的な内容把握に重点を置いている場合が多い。特に後者の場合は歳
時または神楽、祭り、少数民族などで目立つ。これは外国学としての日本民俗の研究であるため、
仕方がないと判断されるが、学問的成果に向けて理論的な開発が至急である。
- 日本国内の少数民族(在日韓国人、沖縄、アイヌなど)に対する研究も少しずつ行われて
いることは視野の拡大という点で肯定的に評価でき、これらを通じて日本の文化を照明するこ
とも極めて重要である。
- 自国との比較により日本民俗の特徴を見つけたいという試みが目立つが、特に神楽の場合は
研究者のほとんどが韓国民俗学者らが神楽が村の儀式(クッ)と類似していると判断して比較
研究を試みている。そして、口承の伝承においても、比較研究が活発に行われているという点
は非常に重要な部分であり、自国との比較を通じた日本民俗文化研究は、韓国人の長所であり、
日本の民俗研究にも大きく寄与するためである 7。
2. <韓国日語日文学会>の日本研究の現況
韓国日語日文学会は 1973 年 4 月創立以来、日語日文学分野(日本文化、地域学を含む)で
最も長い歴史と伝統を持ち、現在約 1,800 人の会員を保有し、年 4 回学術発表大会(年 261
人発表、2014 年度)と年 4 回の学会誌発行(年 138 本の論文掲載、2014 年度)に韓国を代
表する日本研究学会として成長した。
<韓国日語日文学会 2014 年の現況>
- 会員現況、総メンバー数:1,879 人。
(2014 年度新規会員数 :75 人)
(2014 年 12 月 31 日現在)
-2014 年度各学術大会期別発表者数 : 春季 53 人、
夏季 78 人、
秋季シンポジウム招請講演者 21 人、
冬季 104 人。年間総 138 人の論文発表。
58
6
金ジョンシク「韓国日本学研究で歴史研究の性格」『日本学報』(91)、韓国日本学会、2012、45-59 ページ。
7
ノ・ソンフヮン「韓国で日本民俗研究の現状と課題」『日本学報』(91)、韓国日本学会、2012、61-78 ページ。
学会誌『日語日文学研究』2014 年度の発行現況 [表 -5]
韓国日語日文学会シンポジウムのテーマ目録(2001-2014) (表 -6)
年月
2001.6
区分
シンポジウム
12
招請講演
2002.6
2004.6
12
2005.5
6
9
10
2006.4
6
同
同
同
同
シンポジウム
同
同
同
同
12
企画テーマ
2007.4
6
10
12
2008.4
同
招請発表
企画テーマ
招請発表
企画テーマ
6
招請発表
10
12
6
12
2010.4
6
10
同
同
企画テーマ
シンポジウム
同
同
招請講演
同
同
12
同
2009.4
主題
日本文学における虚構と記憶
社会言語学における多人数調査の問題 - ランダムサンプリングは
必要か -
本居宣長と上田秋成の論争 - 古文献とナショナリズム 21 世紀における日本研究の争点と課題
グローバルジャパンにおける日本研究の新しいパラダイム
情報化時代の海外における日本研究
日本文学と女性
日本語学研究の展望と課題
韓日間における文化交流と境界
日本語学研究の方法論をめぐって
東アジアの仏伝文学をたどる
日本人の日本語力―課題と施策―
中国における日本語教育と学会の現況
日本文学と宗教
日本語の敬語
日本文学と自然
日本語叙述類型論
日本文学と映像
福沢諭吉の朝鮮とのかかわり - 『脱亜論』 をめぐるイメージの独り
歩きを中心に -
日本語と漢字 - その歴史と現在 女性の文学としての 『源氏物語』 - 男主人公へのまなざし 日本文学と東洋
最近新たに発見された独島史料をめぐる韓日両国立場の証明
現代日本語の格助詞に関する再考
東アジアにおける説話と文化
中国の日本研究 - 日本語と日本文学を中心に 竜宮と冥界 - 『志度寺縁起』 を中心に-
台湾における日本語教育の現況と展望
言語の研究からコミュニケーションの研究へ-日本語研究の新し
い方向性-
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 59
2011.4
シンポジウム
人間と自然の共生 - 環境⋅言語⋅地域から見た日本文化 -
10
同
日本の格差問題ー身分差別、 階層差別、 地域差別ー
12
同
<廃虚>と<再生>をめぐる日本的想像力の系譜
2012.4
同
韓日間コミュニケーションのギャップを考える
6
同
韓 ・ 日両国の異文化受容と翻訳
10
同
危機状況と現代日本のナショナリズム
2013. 4
シンポジウム
6
同
日帝強占期、 日本文学と教育に関する再考
10
同
日本の儀礼文化の再照明
12
同
日本語の文法研究の現況と課題
2014.4
同
東北アジアの日本語教育の現状とビジョン
6
企画講演
10
シンポジウム
12
同
日本語教育の変化とビジョン
外国人と日本語 - 非母語話者の言語研究から何が分かるか 日本における 「歴史」 話法と交流の 「歴史」
- 「韓国との対話」 という未来志向的視点から -
テキストとコンテキストの融合 : 東アジアの文学と絵画の相関性
3. 韓国の日本近現代文学研究の現況と課題 8
1)2005 年韓国の日本近現代文学研究の動向の概観 9
(1)日本文学の研究動向 -2005 年現在―
まず、2005 年に調査した韓国の日本文学研究動向を概括し、2012 年の日本近現代文学研究
の現状と比較する。1960 年代の日本文学関連の論文は 7 本、1970 年代は 131 本、1980 年
代以降には毎年増加し、総計 890 本に至る。このうち、日本の近代・現代文学の論文が 580
本余り(約 65%)であり、日本文学研究者計 630 人余りのうち、近現代文学分野の研究者数
は 320 人余りで 50% 以上であった。
(* 統計は調査の時期・方法・範囲・選択基準によって差
があり得る。以下同様)近代作家としては漱石・芥川・鷗外・藤村・太宰・川端などに関する
研究論文が多く、韓国の主要 6 つの学会の日本近代文学の論文計 280 本のうち、上述した上位
5 人の作家の関連論文が 40% を占めている(2000 年 5 月)
。
(また、他の調査統計では漱石・
芥川・藤村・川端・太宰・啄木・鴎外の順)文学史で知名度が高い作家に対する研究が多いと
いうことを知ることができる。例えば、2004 年末まで鴎外研究の場合には研究論文は約 50 本、
研究者は約 20 人であり、漱石研究論文は 260 本余り(論文 1 編以上執筆者約 130 人)、単行
8
韓国日本語日文学会議の論文集『日本語日文学研究』第 83 集(2012.11)に[企画特集 :2012
年度日本研究の現況と課題 - 日本古典文学・近現代文学 -]として掲載された内容を一部修正・補
完した。この論文は 2012 年度世宗研究所日本研究センターと日本国際交流基金ソウル文化セン
ターの共同研究支援によって作成された。
「韓国の日本文学研究の現況と課題」(『韓国日本学の現状と課題』、ハヌルアカデミー、2007、
9
97 ∼ 110 ページ)の中で、「日本近現代文学」部分を中心と概括的に引用・紹介することによっ
て 2005 年と 2012 年の研究調査の結果を比較。
60
本は 11 冊であった。川端研究は一般論文 150 本、修士論文は 65 本で、作品論が 3 分の 2 を
占めている。
以上の統計のうち、近代詩歌文学やプロレタリア文学の研究は相対的に数が少ない。これま
でのプロレタリア文学の研究が行われてこなかったのは、韓国の南北問題と関係があると考え
られ、芥川龍之介と島崎藤村、有島武雄、遠藤周作に関する論文が増加しているのは、韓国に
キリスト教の人口が多いのと関連があると思われる。文学研究を文化論と関連づける方向の研
究が増えており、研究方法論などが留学出身大学の傾向を反映しているという点も特記に値す
る。
また、ノーベル文学賞受賞作家ではあるが、川端に比べ、大江健三郎の研究があまり行われ
ていないことは受賞してからまだ時間があまり経っていないということと、読みやすくない文
章のためだろう。近代詩歌文学分野の研究が啄木を除けば、数が少ないところで、萩原朔太郎・
高村光太郞・三好達治・宮沢賢治・正岡子規などの詩歌文学関連論文が徐々に増えていること
は歓迎すべきことだと思われる。
学会によって編纂された日本文学関連書籍では、韓国日本学会の『日本研究叢書』
(全 10 冊、
2001 年)のうち、
「新日本文学の理解」1 冊と韓国日本語日文学会議『日本文化叢書』
(全 6 冊、
2003 年)のうち、日本文学分野 2 冊(古典、近現代篇)などがある。そして、各学会でテー
マ別の研究で企画図書の発刊を推進しているのは望ましい方向であると言えよう。
(例:「日本
文学の中の女性」「日本近現代文学と恋愛」など)その他にも、各学会別に叢書などを刊行して
いるところで、博士学位論文を単行本の形で単純製作する場合があるが、学位論文と単行本の
著作は性格が異なるので、刊行する際にはその体裁を再整理して単行本としての完成度が要求
されていると言える。また、日本で日本語で書いた学位論文をそのまま韓国で日本語で出版す
ることは、あまりにも安易で意味が半減されるため、特別な理由がない限り、韓国語で翻訳し、
実状に合わせて修正補完後に刊行するべきだと思う。
専門分野別・ジャンル別の学会や研究会の活性化が要求される中、
「韓国日本近代文学会」が
設立(1999 年)され、専門分野の学術誌としては初めて『日本近代文学―研究と批評 -』を
2002 年に創刊し、年刊で 2005 年に第 4 号を刊行した。また、テーマ別の学術セミナーを開き、
特集(例:日本近現代文学の中の恋愛、あるいは家族など)を編み、叢書の出版を企画している。
作家別の研究会では「夏目漱石文学研究会」が学術発表会と単行本の刊行(
『夏目漱石文学研究』
の創刊号、2001)などの実績がある程度であり、その他にはまだわずかであるが、これからこ
のような動きは自然と増加すると期待される。一方、テーマ別の研究会では「日本キリスト教
文学研究会」が活動中であり、単行本を刊行したことがある。
比較文学分野では、神話・説話や古代歌謡、近世小説の韓中日比較研究などが行われているが、
本格的かつ実証的な研究の継続が期待され、近代文学の日韓比較研究については、すでに金允
植の『韓日文学の関連の様相』
(1972)以来、漱石と李光洙、有島武郎と金東仁、または廉想
渉との影響関係に関する比較文学的な研究や対照研究が行われている。また、日本文学の中の
韓国(人)のイメージに関する研究も増えており、在日朝鮮人の文学、
「日本語文学」などに関
する関心も高まり、様々な研究業績をあげているが、今後このような分野の研究がさらに増加
すると予想される。
(2)日本文学研究の課題と展望 -2005 年現在―
韓国の日本(文学)関連学会として代表的なものとしては、韓国日語日文学会と韓国日本学
会などがあるが、メンバーはそれぞれ約 1,000 人余り(重複多数)である。この他にも、日本
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 61
関連の学会が各地域または縁故を中心として約 20 あり、それぞれの学会誌を発刊している。
たいてい日本語、日本文学、日本学研究が中心であり、その体制と目的が大同小異の日本関連
学会が乱立しており、様々な問題が惹起されている。今からでも日本関連学会を日本学(政治、
経済、社会、文化)、日語日文学(日本語学、日本文学)
、日本語教育、日本史などの 3-4 つの
専攻別に統合し、各分野別、各地域別の支会(支部)活動を活性化させるべきだと思われる。
そして具体的な専攻分野別に学会が専門化され、研究をさらに集中し、深化させる必要がある
(例:韓国日本近代文学会など)
。類似する学会の乱立は会員(役員)や学会経費(会費)の重
複はもちろん、学術発表会の開催および学術誌の企画テーマの相互反復などで発生する時間と
経費、人的・物的・精神的負担を引き起こし、極めて非効率的であると言える。この点につい
て我々が深刻に検討し、解決策を早急に講じなければならない。
韓国の日本文学研究は、日本の場合と同様に研究者が日本文学史の各時代別の研究に分けら
れ、ジャンル別、作家別に研究者を区別しようとする意識が強い。研究方法においても、文献
学的・注釈学的・実証的な方法論が主に使われている。日本留学を終えて帰国した研究者は研
究資料や参考文献の不足など、国内の研究環境の不備に直面することになる。特に日本古典文
学分野は研究を共有できる一般読者と学生が少ないため、日本の研究方法論だけでは簡単に受
け入れがたい場合が多い。韓国の実情を考慮した方向を設定し、韓国人の観点から新たに照明
し、テキスト分析に重点を置きながらも、各時代やジャンル作家に共通するテーマに関する研
究などが必要である。特に研究を広く共有するためには、基本的に古典作品名のわかりやすい
ハングル翻訳の表記が重要だという認識を持たなければならず、人名と地名、年号、職制、文
化語(衣食住)などの固有名詞のハングル表記と原語に近接しながらも、韓国の場合と最もよ
く対応する適切な翻訳が必要不可欠であろう。そして、韓国の日本文学研究を発展させるため
に、韓国国内の先行研究を認知・渉猟し、適切に引用・批評する必要性がある。代表的な日本
の古典や名作を専門研究者が適切な注釈と解説を完備して翻訳することも課題の一つであり、
既存の翻訳に対する評価と誤訳に対する点検の必要性も提起されている。日本文学を翻訳する
際に難しい部分の一つは、定型詩歌文学、つまり、俳句などの短詩型文学の場合に 5・7・5 の
音数律をどのように生かすことができるかということである。
研究論文を日本語で書く場合は、日本語学分野(50% 占有)と日本古典文学分野に特に多い
が、部分的な理由は認められるとしても、韓国で日本研究の一般化と独自性を遅らせる結果に
なるため、特別な理由がない限り、なるべく韓国語で論文を書くべきだと思われる。アメリカ
や中国で、果たして日本語で作成された日本研究論文がどれくらいあるのかという問題ついて、
客観的な視点から正しく認識し、学問の基本的かつ普遍的な方法について考えてみる必要があ
る。韓国語で論文を書く場合は日本語の表記法、特に文学作品名などのハングル翻訳表記がば
らばらである場合が多いが、これを統一しなければならない。そして、語頭音を表記する際に、
原音の区別ができず長短の音を区別しない等、以前に制定して今は実情に合わない現行の教科
部教科書の編集資料である「日本語のカナのハングル表記法」を修正する必要がある。関連学
会と韓国専攻者たちがまず協議し、関連機関に対して表記法の改正を積極的に提案しなければ
ならない。
日本文学の論文は作品論が中心であり、今後は各々の共通テーマ別に通時的または公示的な
研究の必要性があり、日韓の文学の関連様相や比較研究の追求と学際的研究にも着目すべきで
ある。日本戦後文学の研究は徐々に増加傾向にあるが、近現代詩歌文学と戯曲の研究は依然と
して数が少ない。また、大衆文学研究にも本格的に着手しなければならないと思われる。
韓国国内の日本文学研究に独自の発展を図るとともに、国際的な学術交流も持続的に推進し
なければならない。そして、韓国の日本文学研究が、感性に直接的に訴え、人間理解の基本で
62
ある文学という効果的な素材を通じ、政治・経済・社会などの他分野で生じかねない対立を最
小化し、韓日相互理解を深め、善隣友好関係を維持発展させるのに貢献しなければならないと
言える。
2)2012 年韓国の日本近現代文学研究の現況
まず、2012 年に調査した韓国の日本近現代文学研究の現況概要をまとめると、次のように
なる。
韓国国内の日本文学研究関連学術誌計 18(登載誌 16 誌、登載候補誌 2 誌)に 7 年間(2005
∼ 2011 年)掲載された論文を調査した結果、下記[表 -7]と[表 -8]で確認できるように日
本近現代文学研究者(論文執筆者)数は計 493 人(韓国人 439 人、日本人他 54 人)で、掲載
論文は計 1,614 本(韓国人 1,502 本、日本人他 112 本)である。
* 日本近現代文学の論文数年度別統計(2005 ∼ 2011)
[表 -7]
年度
別
論文
数
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
論文総計
228
229
237
231
226
226
237
1,614 本
上[表 -7]で、年度別にみると、年平均 231 本掲載でおおよそ似たような数値であるが、
2007 年と 2011 年に掲載論文がやや多い方である。
* 内・外国人別の論文統計(2005 ∼ 2011)
[表 -8]
内 / 外国人数
論文本数
韓国人 /439 人
1,502
日本人 (他) /54 人
112
計 493 人
1,614
上[表 -8]を見ると、7 年間 493 人が平均各 3.3 本の論文を執筆、掲載したことになる。
*7 年間論文多数執筆者統計は以下の通りである。(* 共著者は主著者本数に含め、以下同)
29 本(年平均 4 本)
、執筆者 1 人(日本人)
21 本(年平均 3 本)
、執筆者 1 人(韓国人)17 ∼ 14 本(年平均 2 本以上)の執筆者 7 人
13 ∼ 7 本(年平均 1 本以上)の執筆者 60 人(外国人 2 人含む)など。
これを総合すると、日本近現代文学論文を毎年 1 本以上執筆した研究者は計 69 人で、この
69 人が韓国の日本近現代文学研究を持続的に追求、支えていると見ることができる。
(1)学術誌別の掲載論文の<年度別>統計(2005 ∼ 2011 年)
計 18 の日本文学関連学会や大学研究所の学術誌に 7 年間(2005 ∼ 2011 年)掲載した研究
者計 493 人の日本近現代文学関連論文 1,614 本の学術誌別・年度別統計推移を見ると、以下の
通りである。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 63
11 の学会、7 の研究所の学術誌 = 総 18 誌
研究者 = 計 493 人(韓国人 1 人当たり /3.4 本、日本人 1 人当たり /2.1 本、
内・外国人の含め、1 当たり /3.3 本)論文 = 計 1,614 本(7 年間、年平均 :231 本)
学会誌:1,305 本(年平均 186 本)研究所:309 本(年平均 44 本)
- 主要な 9 つの学会(研究財団登載)学術誌論文:1,291 本(1 つの学会平均 / 約 143 本、
年平均 /184 本)
- 主要な 4 つの研究所(研究財団登載)学術誌論文:270 本(1 つの研究所平均 / 約 68 本、
年平均 /39 本)この統計を通じ、研究所より学会誌に 4 倍以上の論文が掲載されているという
事実が確認できる。
* 主要学会・研究所の学術誌別日本近現代文学の研究論文の数
学会
『日本語日文学研究』
(韓国、日本語日本文学会):218 本
『日本学報』
(韓国日本学会)
:194 本
『日本語文学』
(日本語文学会):179 本
『日本文化研究』
(東アジア日本学会):168 本
『日本語文学』
(韓国日本語文学会):125 本
『日本文化学報』
(韓国日本文化学会):117 本
『日本語日文学』(大韓の日本語日文学会):113 本
『日本言語文化』(韓国日本言語文化学会):82 本
『日本近代学研究』(韓国日本近代学会):67 本など。
研究所
『日本学研究』(檀国大学日本研究所):83 本
『日本研究』(韓国外国語大学日本研究所):78 本
『日本研究』(中央大学日本研究所):56 本
『日本研究』(高麗大日本研究センター):53 本など。
* 日本近現代文学の論文掲載<学術誌別 / 年度別統計>(2005 ∼ 2011)
[表 -9]
学会 / 研究所
64
登載
可否
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
合計
学
日語日文学研究
登載
33
32
28
38
31
29
27
218
学
日本学報
登載
28
39
24
40
25
16
22
194
学
日本語文学
登載
29
36
27
19
23
21
24
179
学
日本文化研究
登載
34
15
23
20
27
29
20
168
学
(韓国) 日本語文学
登載
22
20
16
6
21
27
13
125
学
日本文化学報
登載
14
21
21
21
16
9
15
117
学
(大韓) 日語日文学
登載
14
11
23
16
13
20
16
113
学
日本言語文化
登載
10
16
9
7
7
13
20
82
学
日本近代学研究
登載
7
13
10
8
8
8
13
67
学
世界文学比較研究
登載
4
2
6
1
5
3
7
28
学
比較文学
登載
5
2
2
1
1
2
1
14
研
(檀大) 日本学研究
登載
6
4
12
14
17
11
19
83
研
(外大) 日本研究
登載
6
9
12
16
16
11
8
78
研
(中大) 日本研究
登載
9
2
3
12
7
11
12
56
研
(高大) 日本研究
登載
2
6
17
5
5
8
10
53
研
(外大) 外国文化
研究
登載
4
1
4
4
2
4
4
23
研
(東国大) 日本学
0
0
0
3
2
1
3
9
0
0
0
0
1
3
3
7
227
229
237
231
227
226
237
1,614
登載
研
(翰林大) 翰林日
本学
合 計
候補
登載
候補
* 韓国日本近代文学会、『日本近代文学―研究と批評 -』第 4 ∼ 6 号(2005 ∼ 2009 年):論文
合計 40 本は別途
上の統計[表 -9]から確認できるように、韓国で日本近現代文学研究が最も活性化している
学術誌は韓国日本語日文学会の『日本語日文学研究』であり、この 7 年間で 218 本(年平均
31 本 / 年 4 回発刊、
毎号平均 8 本)を掲載した。その次に『日本学報』
(194 本)、
『日本語文学』
(179 本)
、
『日本文化研究』
(168 本)の順になる。
(2)日本近現代文学<作家別>研究の統計
掲載論文の研究対象の中で日本人作家の数は計 184 人であり、彼らに関する論文は合計
1,266 本、韓国人と在日作家(日本語小説)、比較対象作家と西洋人などの約 60 人に関する論
文が約 160 本であり、残りはその他のテーマ関連論文などである。日本作家のうち、1.5 本(複
数の作家が関連した論文の場合は、作家数で割った数値である、以下同)以上の掲載論文の研
究対象となった 93 人の作家を扱った論文の本数で整理すると、次の[表 -10]のようになる。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 65
* 日本近現代文学<作家別>研究論文統計(2005 ∼ 2011)
[表 -10]
論文 10 本以上の作家 論文 3 ∼ 9 本の作家 論文 1.5 ∼ 2 本の作家
30 人:計 973 本 33 人:計 153 本 30 人:計 57 本
* 小数点以下は、複数の作家が関連した論文の場合に作家数で割った数値である。
66
上位 10 人(各 31 本以上)の作家を扱った論文が計 633 本で全体論文数の約 40% を占めて
いる。順位は芥川龍之介関連論文が 132 本で最も多く、2 番目は夏目漱石 112 本で 100 本以
上の作家が 2 人である。2005 年の調査では、漱石関連論文が最も多かったが、門下生の芥川
に 1 位の座を譲り、2 位になる。その次は、大江健三郎(3 位)
、川端康成、村上春樹、太宰治
(6 位)の順で各 59 ∼ 50 本である。
川端と太宰は 2005 年の調査とほぼ同じ順位であるが、春樹関連論文が人気度を反映するよ
うに増大し、大江に関する研究がノーベル文学賞受賞(1994 年)から時間を経ると共に次第
に増加している。その次の島崎藤村(49 本)の順位は以前と同様であり、谷崎純一郎(49 本)
が藤村の次の順位である 8 位に躍り出たのは意外であるが、それは谷崎を専攻する教授が集中
的に後進を輩出していることに起因していると思われる。9 位は志賀直哉であり、北村透谷が
10 位(31 本)に急浮上したのは、透谷を専攻する教授(日本人)1 人が以前 7 年間 29 本(年
平均 4 本以上)の論文を掲載したためである。
研究論文数 11 ∼ 20 位(関連論文 30 ∼ 14 本)の作家は三島由紀夫、宮沢賢治、萩原朔太郎、
遠藤周作、有島武郎、井伏鱒二、森鴎外、横光利一、田村とし子、三好達治の順である。そし
て、石川啄木から宮本百合子、安部公房、佐多稲子、高村光太郎、樋口一葉(関連論文 13 ∼
12 本)までが 21 ∼ 26 の順位である。
ジャンル別では依然として小説研究が圧倒的であり、詩歌文学の研究は少数である。特に、
主要作家関連研究(上位 10 位)が依然として強勢であり、芥川、漱石研究論文(合計 244 本)
が圧倒的に多数であり、大江、春樹、谷崎、詩歌研究論文の増加傾向が顕著であり、川端、太宰、
藤村研究はこつこつと行われている。この中でも、藤村(8 位)と賢治(12 位)
、そして朔太
郎(13 位)・三好(20 位)・啄木(21 位)などの詩歌文学関連研究が 8 ∼ 21 位に入っている
のは、専攻研究者たちの努力の結果として研究の多角化を追求することであり、持続的に詩歌
文学研究が広がることを期待できると思われる。
この 7 年間で 10 本以上の論文のテーマに関連した作家は 30 人であり、論文総数は 973 本
である。結果的に、この 30 人の作家に関連した論文が全体(1,614 本)の 60%(
[表 -10]の
10 位まで約 40%、11 ∼ 30 位まで約 20%)を占めている人気作家と言える。9 ∼ 3 本の作家
は 33 人(論文総 153 本)、2 ∼ 1.5 本作家が 30 人(論文計 57 本)などで、1.5 本以上の論
文関連作家は計 93 人である。そして、
[表 -10]には入れなかったが、1 本の論文の関連作家
は 73 人、1 本未満の論文関連作家が 18 人である。結論的に、研究対象である日本人作家の数
は計 184 人(論文計 1,266 本)で、普通の日本の近現代の作家がほとんど網羅されて韓国で研
究されていると言える。
一方、上記した作家別の論文統計表を参考にし、もっと研究する必要がある作家詩人グルー
プについて付け加えると次のようになる。まず、日本近代文学史的に知るべき部分が多い森鴎
外関連論文が 19 本(19 位)というのは不十分な方であるため、もっと研究しなければならな
いと言える。また、田山花袋(5.5 本)と永井荷風(5)、泉鏡花(4)、国木田独歩(4)、
徳冨蘆花(3.5)、坪内逍遙(2)、尾崎紅葉(2)、幸田露伴(2)、平塚らいてう(1.5 本)
など文学史において各文芸思潮上ある程度比重のある作家たちに関する研究も低調であるた
め、専攻者たちの関心がさらに必要な分野だと思われる。
一方、韓国の読者に人気のある現代作家である吉本ばなな(5 本)が研究対象論文の数では
春樹に比べて格段に差があるということも吟味すべき点であるが、女流作家の作品の単純さに
起因しているのか予想より研究が少ないため、今後、時間が経つにつれ、増減の幅に注目すべ
きだと言える。村上龍(4 本)が関心をあまり引いていないのも文体と作品の難しさのためか
も知れない。また、詩歌文学では与謝野晶子(2 本)
、中原中也(3)
、三木露風(2.5)
、室生犀
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 67
星(2)、西脇順三郞(2)なども研究をより進展させていくべき分野であると言えよう。現代
俳句や短歌に対する研究と宮本輝や谷川俊太郎のような現代作家、詩人については今後新たに
研究が行われることを期待する。
(3)日本近現代文学<テーマ / 素材方法別>研究統計
「日本近現代文学研究テーマ / 素材方法別の論文統計」
(下の[表 -11]
)を調査してみると、
テーマ別では<社会>、<苦悩>、<男女>のテーマが多数であり、<宗教(救済)>、<家
族>のテーマがその次の順位である。素材面では<表現>、方法的には<比較>論が多数であ
り、素材面では<在日作家 / 日本語作品>論が次に多く、
<総論>と<韓国(人)像>が後に続く。
全般的に見ると、<社会>(300 本以上)と<表現>、<苦悩>(各 200 本以上)の関連論
文が 844 本で、全体の過半数(52%)を占めている。続いて<比較>、<男女>、<在日作家
/ 日本語作品>、<総論>(各 100 本以上)など関連論文が 550 本(34%)で、以上の合計は
1,394 本であり、全体の 86% を占めている。
* 日本近現代文学研究<テーマ / 素材方法別>論文統計(2005 ∼ 2011) [表 -11]
テーマ別
テー
マ
社会
苦悩
男女
宗 教
(救済)
論文
本数
333
240
148
62
家
族
33
自
然
14
文
化
表
現
7
271
素 材 / 方 法 別
在日作
韓国
比
家/日
総
(人)
較
本語作
論
像
品
170
126
106
63
そ
の
他
合計
41
1,641
* 分類基準、範囲によって統計数値は変わりうる。
* テーマ別、素材方法別の研究現況の特徴
全般に研究論文数が大幅に増加した。<社会>関連のテーマの研究が 333 本として最も多く、
その次に<表現>関連の研究が 271 本で多い方であるが、これは日本文学の特徴を「表現」面
で見出せると考えたためであろう。そして、日韓比較文学の関連論文と在日作家・日本語作品
論、韓国(人)像などに関する研究が多いのは、韓国の日本研究という観点から当然のことで
あり、これとともにキリスト教文学のような宗教(救済)のテーマ研究の増加などは韓国人研
究者の関心を反映するものであると言える。これは 2005 年の調査の際の増加予想展望と一致
する。また、具体的な研究テーマが多様化し、研究内容が分化した。個別研究が増大する一方、
在日韓国人文学研究、キリスト教文学研究、植民地時期の日本教科書研究などの共同研究も活
発に行われた。
この他に、
「テーマ別企画特集」を構成した韓国日本近代文学会学術誌『日本近代文学―研究
と批評 -』(第 4 ∼ 6 号、2005 ∼ 2009 年、論文 40 本掲載)と同学会編<企画叢書 1 >『日
本近現代文学の中の恋愛』(2008 年、論文 15 本収録)をはじめ、韓国日本キリスト教文学会
編『日本文学の中のキリスト教』第 3 ∼ 8 冊(2005 ∼ 2011 年、論文 66 本掲載、主に芥川
と遠藤、太宰関連論文と藤村、内村、透谷、三浦関連の論文などを含む)などは上記の統計に
含まれていない。このような登録学術誌以外の論文を含めば、テーマ・素材方法別の論文の統
計数値がさらに増えるのは自明である。
2005 年の調査に比べ、研究者や研究論文の数が大幅に増加したのは、自然増加分を含めて
研究の活性化に寄与した部分がある。しかし、多くの部分が学術誌登載制度の導入と、各大学
68
の教員業績評価(採用、再任用、昇進、インセンティブなど)の基準が論文の実績を中心にし
た定量評価が基本になっているため、論文の量産体制に突入した結果であると言える。
(4)単行本の研究著述調査
日本近現代文学関連単行本の著述、出版は 7 年間で計 129 冊(年平均 18 冊)であるが、こ
の中の日本の研究者の著書の訳書(23 冊)と紹介・鑑賞・入門書(27 本)
、総論・文学史(25
本)などを除けば、研究書は 54 冊であり、この中にも共著と編著などが多く含まれている。
* 日本近現代文学の関連<単行本の全体>統計(2005 ∼ 2011)[表 -12]
分 類
研 究
54
単行本数
紹介 ・ 鑑賞
総論 ・ 文学史
27
研究書訳書
25
合計
23
129
* 国立中央図書館所蔵の図書基準
上[表 -12]の統計には、訳書 23 冊以外に共著・編著が 28 冊含まれており、単独著書は
78 冊である。主な単行本をテーマ別、作家別に再分類すると、次の[表 -13]のようになる。
* 日本近現代文学関連<単行本のテーマ / 作家別>統計(2005 ∼ 2011)[表 -13]
テーマ 別
テー
マ
作家
単行
本数
在日
作品
宗教
(キリス
ト教)
7 (1)
6 (
(編 5)
6)
編
作 家 別
日本語作品 /
植民地文学論
女
性
恋愛
翻
訳
そ
の
他
5 (1) (編 2)
5
(2)
4 (1)
(編 1)
2
2
春
樹
7
(5)
川
端
芥
川
4
3
漱
石
3
(1)
安
部
藤
村
小林
多喜二
2
2
2
(1)
*(): 訳書冊数、(編 1): 編著・共著冊数
テーマ別の単行本の分布は、論文のテーマ別編集の統計の一部とおおむね類似する割合を示
しているが、「在日作家の作品論」や「キリスト教文学論」
、
「日本語作品 / 植民地文学論」、「女
性」、「恋愛」などで蓄積された結果を出版した。作家別、単行本の分布面でも関連論文の本数
とおおよそ類似した割合であるが、川端(4 冊)と芥川(3 冊)に関する独自の研究書が多く、
その次に漱石と安部、藤村研究単独著書が各 2 冊であり、春樹に関連した単行本は主に日本の
翻訳書 5 冊が主流をなしている。このうち、安部公房(2 冊)と小林多喜二(2 冊 / 訳書 1 冊
を含む)関連研究書が複数に出版されたのは、論文本数の統計順位より高い割合である。
このほか、主テーマ別では「私小説」
、
「児童」
、
「モダニズム」
、
「文体」その他関連等の出版
があり、作家論では森鴎外と樋口一葉、志賀直哉、高村光太郎、谷崎潤一郎、中野重治、太宰治、
遠藤周作、佐多稲子、田中英光関連などの著書が各 1 冊である。日本の単行本の研究書の翻訳
23 冊は主に総論・文学史(11 冊)
、春樹論(5 冊)
、入門書などである。
テーマ別の単行本には、編著 ( 共著を含む ) が 14 冊を占めており、一つのテーマについて多
数の共同研究を集めて出版したものが多い。17 人の作家の研究単行本が計 26 冊に出版が増加
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 69
したのは、各作家を専攻する研究者の活発な著述と博士学位論文を修正・再整理して発表した
論文を集めて単行本として出版した場合などがある。一方、このように作家研究、単行本刊行
が増加したのは、学位論文の自費出版などが容易になったことの付随的な効果であると言えよ
う。
(5)作品翻訳書の調査
日本近現代文学作品の翻訳調査統計は多種多様であるため、いずれも扱いにくく、古典翻訳
と異なり、「ライト・ノベル」、「ロマンス」
、
「大衆・推理小説」など範囲が広く、別途の調査が
必要である。ここでは村上春樹の作品の翻訳を例に挙げてみよう。
村上春樹に関する研究論文が過去 7 年間に 54 本(年平均 7.7 本)が発表されたのは、春樹
に対する関心が増大し、作品の翻訳が継続的に増えたことにより現れた現象であると把握でき
る。春樹の作品の翻訳は、1988 年から 2004 年までの 17 年間で 73 冊(年平均 4.3 冊)が刊
行され、2005 年から 2011 年まで 7 年間では 42 冊(年平均 6 冊)が刊行されて、同一作品
の重複翻訳の出版を含めて計 115 冊(年平均 4.8 冊)が出版された。一人の作家の作品が短い
間にこのように多く集中的に翻訳刊行された類例はこれまで見られないものである。外国文学
翻訳の中で、日本の現代作家春樹の翻訳への偏重現象を懸念する声もあるが、国内に春樹の固
定読者が確保されていることの証左である 10。
一方、韓国文学作品の日本輸出の微々たる実績に比べ、文学翻訳部門でも貿易赤字が深刻化
していないかという疑問があり得よう。韓国の小説の日本語翻訳の例として、申京淑の『母を
お願い』(集英社、2011)などが挙げられる。いわゆる「韓流」とともに、韓国文学の日本語
翻訳は徐々に増える傾向はあるが、韓国における春樹のように日本で韓国人作家の作品が全面
的な支持を受けることはまだない状況である。これは作品に対する興味と関心の方向と関連し、
かつて近代化初期以来日本人たちが西洋文化と文学に関心が注がれているということと近代日
韓関係の歴史的な脈絡からその原因を見出すことができよう。これからは隣国により肯定的な
関心を持つことができるように相互努力が必要であると思われる。
3)日本近現代文学研究の課題と展望
上述した「2005 年の研究調査の課題と展望」部分で指摘した内容が、2012 年の研究調査結
果から依然として有効であると言える。例えば、ジャンル別には以前と変わらず、小説研究が
圧倒的であり、詩歌文学研究が萎縮した感がある。研究の多角化を図り、詩歌文学と戯曲関連
研究がより広がることを期待し、現代文学と大衆文学も研究者たちがもっと関心を持つべき分
野である。
作家別の論文の統計を見ると、日本近代文学史上重要度によってもっと研究する必要がある
作家としては、森鴎外をはじめ、花袋と荷風、鏡花、逍遥、尾崎紅葉などがある。また、詩歌
文学では明子、中也、犀星などと現代俳句・短歌ももっと研究すべき分野であると言える。今
後、現代作家の詩人として、例えば、宮本輝や谷川俊太郎などについては研究がさらに活発に
なると期待する。したがって、単行本の著述もこのような作家詩人の関連研究が蓄積され、偏
象が解消されて多様な作家論とテーマ別研究書が出版されなければならないだろう。
重現
単行本の研究書の刊行が増加しているのは、研究者の拡充と研究実績の蓄積による自然な現
崔在喆「村上春樹文学と韓国−テキストと翻訳、受容−」『日本研究』第 34 号、韓国外大日本
研究所、 2007、12、223 ∼ 231 ページ。
10
70
象であると言えよう。学位論文の出版が容易になったとして日本の大学に提出した学位論文を
そのまま韓国で安易に日本語で出版したり、内容と体裁を修正・補完せず、急いで出版するこ
とはなくすべきであると言えよう。斬新なアイデアと文章の表現、内容の質的深化の確保がカ
ギであろう。これからは、韓国の日本文学研究の独自的な方向を模索し、創意的な内容を含ん
だ本格的な研究書を目指すべきである。
作品の翻訳の分野では、すでに韓国研究財団とテサン文化財団などの古典名作の翻訳事業に
進捗があり、各出版社の名作翻訳シリーズ(ジマンジなど)が刊行されているのは鼓舞的なこ
とである。しかし、日本の代表的な古典や名作を専門研究者が適切な注釈と解説を完備して翻
訳するのは持続的な課題である。また、文学作品名の翻訳の一貫性と統一が必要であり、既存
の翻訳の評価と誤訳チェックも依然として残された課題であると言える。
また、韓国では日本語よりはできるだけ韓国語で論文を書き、日本語や英語で要旨文とキー
ワードを付ければ、海外の専攻者たちにも通用すると思われる。また、現行の「日本語のカナ
のハングル表記法」の合理的な改正に向け、関連学会が協力して持続的・積極的に推進しなけ
ればならない。
論文の過剰生産は現実的には評価制度にも問題があるが、研究内容の深化とテーマ・素材の
開発と多角化の追求、質的向上が求められる。しかし、各分野の研究者の蓄積と学会の活性化
は鼓舞的な現象とも言える。だが、依然として日語日文学、日本学関連の類似学会、研究所の
学術誌の重複乱立の問題解決は当面の課題である。この問題の解決のため、昨年 8 月、韓国日
語日文学会が、まず、日語日文学関連 12 の学会に送付した e メール書簡で提案した「学術誌
連携発行のための協議会の構成提案」に対する各関連学会の肯定的な返信と積極的な参加が切
実な時点である。
4. まとめ―韓国の日本研究の現況と方向
日韓国交正常化 50 周年を迎える今年、<日韓 1965 年体制を「鍛え直す」ために>を目的
として開かれた今回のシンポジウムの意義はひじょうに大きいと言える。この 50 年間、韓国
の日本研究者は飛躍的に増加し、およそ 1,000 人に達し、20 にもなる日本の関連学会や研究
所の学術誌で生産される日本研究には毎年 1,000 本に達している。このうち 70% 以上を日本
語学(日本語教育も含む)と日本文学関連論文が占めている。今回の報告では、韓国の日本研
究の概要を検討し、特に日本近現代文学研究について詳しく紹介した。
2012 年の日本近現代文学研究調査によって、研究者や研究論文が激増したという点を確認
した。11 の学会の登載学術誌と 7 つの大学研究所の登載学術誌(登載候補 2 誌を含む)計 18
の学術誌を調査した結果、前の 7 年(2005 ∼ 2011 年)の間、日本近現代文学の研究者の数
は 2005 年の調査と比べて約 320 人から約 490 人に約 170 人(約 50%)増加しており、論文
も約 580 本(調査方式によって数値は異なる)から約 1,614 本に約 1,000 本増加した。7 年間、
毎年平均 230 本ずつ(1 人平均 3.3 本)論文が掲載されたことになる。日本近現代文学研究が
最も活発な学術誌は『日語日文学研究』(韓国日語日本文学会)であり、毎年 1 本以上の論文
を執筆した 69 人が韓国の日本近現代文学研究を持続的に追求している。
作家別研究論文数は上位 10 位以内の主要作家の研究に勢いがあり、芥川と漱石研究論文が
絶対多数であり、大江、春樹など現代作家研究論文の増加傾向が著しい。研究対象である日本
人作家の数は計 184 人(論文計 1,266 本)で日本の近現代の作家がほとんど網羅され、韓国で
研究されていると言える。テーマ別では「社会」関連のテーマが最も多く、次いで、
「苦悩」と
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 71
「男女」、そして「宗教」、
「家族」の順である。素材方法の面では「表現」関連論文が最も多い。
また、「比較」、「在日作家 / 日本語作品」
、
「韓国(人)像」の関連研究などが目立って増加した
のは 2005 年に予想したとおり、今回の調査で確認する契機になった。
日本近現代文学の関連単行本の著述・出版は 7 年間で計 129 冊(年平均 18 冊)であるが、
このうち研究書は 54 冊であり、紹介・鑑賞・入門書(27 冊)と総論・文学史(25 冊)、そし
て日本の研究者の著書の訳書(23 冊)である。研究書の中にも共著と編著などが多数含まれて
いる。在日作家の作品論とキリスト教文学論などテーマ別の単行本には多数の共同研究を集め
た編著・共著(14 冊)が多い方である。川端と芥川など 17 人の作家研究、単行本が 26 冊に
増加したのは、各作家専攻研究者の活発な著述と博士学位論文の出版などが含まれているため
である。
このような統計調査を参考にし、今後、韓国の日本近現代文学に対する研究方向を見通して
研究対象の作家とテーマ、素材、方法の面で新しさを追求し、韓国国内の日本研究のレベルを
深化・発展させ、確立させていくべきだと言える。
現在の状況の下で、研究者の増加や業績の評価による研究の増加は学会研究活動を強化する
という点では肯定的な側面がある。しかし、単に実績にこだわって論文を量産する現象は再考
されなければならない。このような自己矛盾を解決するために反省の雰囲気が熟し、研究者全
員が合理的な方向を模索することができなければならない。
日本研究の各分野の中で日語日文学に関する研究者と論文の過剰問題を指摘する人がいるが、
これまで日本研究の裾野拡大に寄与した側面を見過ごすべきではなく、ある時点で自然に調節
機能が作動すると期待する。ひとえに学問研究に知の探求という自主目的性があるとすれば、
ただ好きで文学を読んで研究するものであると言える。このような肯定の上に対内外の環境の
変化に能動的に対処して適応していくべきだと思われる。
我々日語日文学日本学研究関連の学会がお互いに充実した統合を志向し、まず、学術誌の連
携発刊推進協議会を構成して積極的に実行に移すべきだと考える。また、一方では韓国国内の
文学や歴史、哲学など人文学分野 26 の学会が参加して「韓国人文学総連合会」
(略称「人・文・
総(H.A.K.)」)が創立(2012 年 10 月)し、発足を控えている。日本関連分野の意見を総合・
発表するため、「日語日文学・日本歴史文化・思想関連学会協議会」が構成されると、便利にな
ると思われる。このような国内人文学全体の流れに歩調を合わせ、研究の定量評価のくびきか
ら脱し、質的な深化を追求する学問研究動機の自発性により、心から納得できる良い研究を導
き出し、国際的にも認められる研究を生産するようにしなければならないだろう。新たなテー
マと素材の発掘、様々な個別創意・共同研究の推進などで今後の業績が期待され、他学問分野
と交流融合する学際的研究と韓日、東アジアの相互、東西洋の間の比較研究の活性化、そして
日本などの外国研究者、学会との積極的な学術交流、交際協力を持続的に進める必要がある。
日韓関係が時には政治、経済、社会面で一時的な部分的低迷期があっても、相互協力の基盤
が蓄積されており、隣国と交流せざるを得ないため、時間が経てば自然に回復すると思われる。
対内外的な環境が変化しても、基本に忠実でなければならないというのは常識であり、いかに
日韓間の懸案によって大小の摩擦があっても相互の文学を研究せざるを得ないだろう。文学は、
私たちの生活の表現であり、喜怒哀楽の歌は人間の人生そのものでもある。日露戦争の時まで、
日本人たちは一方でロシア語を習ってツルゲーネフやドストエフスキーのようなロシア文学を
読んで研究したということを想起する必要がある。ここで私たちがもう一つ付け加えたいのは、
韓国文学を読む読者と研究者が日本でもさらに増加することを期待しているという点である。
人文学の中心である言語文学が、政治、経済、社会的側面の葛藤を緩和させる効用性があり、
究極的に心・精神の理解を目指すというのはどの時代でも真であり、強みであると言える。
72
最近の日韓関係が以前と違い、日本語学習者が減少傾向にあり、就職にも影響が現れており、
日本語文学関連学科の統廃合や日本語講座数の縮小など、日本語・日本文学・教育と日本関連
研究者たちの環境は悪化していると言える。このような問題の改善には、もちろん、当事者の
自助努力も必要であるが、日韓関係の改善には両国政府の外交的努力のみではなく、政治家や
メディアの役割、民間・一般の好意的な関係維持に対する関心と具体的な努力による後押しが
不可欠だと思われる。隣国として相互協力と発展が必要であり、重要であるという認識の共有
が先行され、その共有する価値に対する信頼を持ち、友好増進に向けて日韓国交正常化 50 周
年を迎える今年は画期的な転機が訪れることを切実に望みたい。両国の指導者と一般人の心の
持ち方によってはそれほど難しい問題ではないと思われる。未来志向的な日韓関係の改善とい
う言葉がレトリックに留まることを終結させる良い機会であると言える。
時に周りの環境の変化と困難があるが、それにもかかわらずお互いに近く必要とする隣人で
あるため、意識してお互いに競争しながらも、韓国と日本の相互交流と研究は持続的に発展で
きると確信する。今後、韓国の日本研究は質的な深化とともに、日韓比較研究など、日本の学
者に刺激を与え、日本の同一学問分野の発展にもさらに寄与するだろう。このように研究者と
学術交流が活性化され、深みのある韓日相互理解が拡大され、両国の真の友好関係が成り立つ
ことを期待する。
<参考文献>
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権赫建 「 韓国の日本文学研究現象 」『日本學年報』(6)、1994.12(韓国語)。
金ジョンドク「韓国の日本文学研究の現況と展望」
『日語日文學硏究』(45)韓国日語日文学会、2003.5(韓
国語)。
兪玉姫(他)企画テーマ「韓国での日本文学研究の成果と課題照明」『2004 年度合同学術大会 Proceeding』
韓国日本学会、2004.11(韓国語)。
李ギョンギュ(他)
「韓国で日本研究の現状と課題」
(特集)
『日本学報』
(91)、韓国日本学会、2012(韓国語)。
崔在喆「韓国における外国文学研究 - 特に日本文学研究を中心に -」
『韓国学と生活文化』京畿大、1996.9(韓
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崔在喆「日本文学翻訳と表記の諸問題」、『日語日文学研究』(34) 韓国日語日文学会 、1999.6(韓国語)
崔在喆「韓國における日本文學硏究の狀況と展望」『論究日本文學』(81)、立命館大學日本文學會、2005.2。
崔在喆「韓国の日本近現代文学研究の現況と課題 -2005 年と 2012 年の研究調査比較」『日語日文学研究』
第 83 集、韓国日語日文学会、2012.11(韓国語)。
崔在喆(他)『日本の翻訳出版事業研究 ‒ 日本文学を中心に -』韓国文学翻訳院、2006.12、39-41 ページ(韓
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崔在喆「韓国の日本文学研究現況と課題」『韓国日本学の現況と課題』(2005 年日本研究調査、世宗研究所
主管)、ハヌルアカデミー、2007、97 ∼ 110 ページ(韓国語)。 崔在喆(他)『2012 年日本研究の現状と課題 : 日本語学、古典、近現代文学、歴史』2012 年 - 夏国際学術大
会のシンポジウム・プロシーディング発表要旨、韓国日語日文学会、2012.6.16(韓国語)。
崔在喆「韓国の日本近現代文学研究の現況と課題」[企画特集 :2012 年度の日本研究の現況と課題 - 日本古 典文学・近現代文学 -]『日本語日文学研究』(83)、韓国日語日文学会、2012.11(韓国語)。
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 73
『日本学報』韓国日本学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本語文学』日本語文学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本文化研究』東アジア日本学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本語文学』韓国日本語文学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本文化学報』韓国日本文化学会、2005 年∼ 2011 年。
『日語日文学』大韓日本文学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本言語文化』韓国日本言語文化学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本近代学研究』韓国日本近代学会、2005 年∼ 2011 年。
『日本学研究』檀国大日本研究所、2005 年∼ 2011 年。
『日本研究』韓国外大日本研究所、2005 年∼ 2011 年。
『日本研究』中央大日本研究所、2005 年∼ 2011 年。
『日本研究』高麗大日本研究センター、2005 年∼ 2011 年。
『世界文学比較研究』世界文学比較学会、2005 年∼ 2011 年。
『外国文学研究』韓国外大外国文学研究所、2005 年∼ 2011 年。
『日本学』(登載候補誌)東国大日本学研究所、2005 年∼ 2011 年。
『翰林日本学』(登載候補地)、翰林大日本学研究所、2005 年∼ 2011 年。
『日本近代文学―研究と批評 -』韓国日本近代文学会 2005 年∼ 2009 年。
『日本文学の中のキリスト教』韓国日本キリスト教文学会編、2005 年∼ 2011 年。
―他―
[翻訳 : 金瑄廷(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)]
74
▲
▲
▲
제2세션 보고②
일본연구에 대해서 한국일어일문학회로부터
최 재 철
(한국외대 일본언어문화학부 교수)
1. 한국 학회의 일본연구의 개요
한국에서의 일본어교육은 1961년 한국외국어대학교 일본어과 창설 이래이며, 1973년에
동 대학원에 일본어과 개설 이후 한국에서 일어일문학 연구가 시작되었다고 할 수 있다.
일어일문학전공으로 문학박사학위 첫 배출은 1994년 2월, 한국외대 대학원 일어일문학과
문학전공(근대문학, 正岡子規의 写生론) 분야이다.
1965년 한일국교정상화 4년전인 1961년에 한국외대에 일본어과가 개설되었다는 것은
특기할만한 일이다. 이 시기는 해방 이후 16년이 되는 시점으로 한일관계나 사회 분위기가
일본어 학습하기에 쉽지 않은 때였다. 현재 한국외대 일본어과는 일본어대학(학부) 체제로
승격하였고, 한국외대 일본연구소는 학술지『일본연구』를 62호(2014년 12월)를 발간하였으며
<일본연구총서>시리즈를 간행하고 있다. 한국외대 일본어대학은 <시민인문강좌> 제1기:
「인문학을 통한 일본 이해」(2013년 9~12월)와 제2기:「인문학을 통한 한・중・일 동아시아
소통」(2014년 9~12월)을 개설하여, 대학 안에서 만의 일본 연구와 교육이 아니라, 일반
시민들에게도 일본 이해의 심화와 한・일 소통을 위해 노력하고 있다.
한국에서 학회 차원의 일본연구는 1973년 한국일본학회(초대 李栄九 회장), 1978년 한국일어
일문학회(초대 全基定 회장) 창설 이래로 시작되었다. 이후, 일본 관련 10여개 학회와 10여개
연구소에서 발표되는 논문수는 2005년부터 2014년 현재까지 매년 1000 여편이 넘을 정도로
증가되었다.
일본문학 분야 연구 현황으로, 주요 등재학술지에 게재되는 논문 수는 2005년 이래 2014년
현재까지 매년 평균 일본 고전문학 130 여편, 근현대문학 230 여편이다.1
한국 학술지 게재 일문학 관련 논문 편수 (1968-1987) [표-1]
년도
1968
근현대
69
1
고전
비교
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
계
%
1
1
1
1
1
1
2
8
8
9
16
20
23
39
43
47
33
255
46.4
1
1
1
2
5
7
3
13
7
3
13
13
24
26
26
8
153
28.2
1
1
1
3
3
5
2
3
9
7
11
5
18
13
13
4
100
17.9
1
2
2
3
2
1
8
8
8
4
1
41
7.5
3
8
11
17
15
25
49
89
90
90
46
549
100
1
기타
계
1
1
2
3
3
1
25
27
44
편
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 75
1970년대 일문학 연구 본격화, 각 대학 일어일문학 및 일본학 관련 학과 설치, 대학 부설 일본
관련 연구소 설립, 한국일본학회 및 한국일어일문학회 창립.
1987년말 현재 370여편에 이르는 일문학 관계 연구논문(강연회 기록 포함) 발표.『일본학보』
19집까지 88편,『일어일문학연구』11집까지 70편의 연구 논문 및 자료, 강연회 기록으로 수록됨.
분야별로 살펴 보면, 근현대문학 분야에서는 夏目漱石에 관한 논문이 46편으로서 가장 많이
연구되었고, 다음으로 芥川竜之介(20), 森鴎外(13), 樋口一葉(12), 島崎藤村(12), 川端康成(11)
의 순이다. 고전문학 분야에서는「徒然草」吉田兼好에 관한 것이 21편으로 가장 많고, 다음으로「方
丈記」鴨長明(12), 井原西鶴(11), 松尾芭蕉(10),「源氏物語」紫式部(10)의 순이다. 그 밖에 신화,
能, 和歌, 설화문학에 관한 것도 각각 7편씩 발표되었다. 비교문학 분야에서는 한일개화기소설,
정치소설에 관한 것이 8편으로 가장 많으며, 프랑스와 일본의 자연주의를 비교한 논문도 있다.
성과와 제안2
-인적 자원의 확보와, 앞으로의 더욱 내실 있는 연구를 위한 기반을 구축, 년간 100편에
육박하는 연구논문이 발표되고 있는 등 양적으로 성장함.
-학회는 고유의 기능 외에도 일문학 연구를 위한 자료센터로서의 기능을 할 수 있는 체제를
갖추어야 함.
-공통 관심 분야의 연구자들끼리의 협동연구가 이루어질 수 있는 체제를 갖추어야 함.
-문학 교육에 관한 연구 및 정보의 교환이 이루어져야 함.
-한국어로 된 일문학 연구서와 번역서의 출판에도 노력을 기울여야 함.
일본연구 관련 학회 최근 5년간 논문 게재 편수 현황 [표-2]
학술지
일본학보
일어일문학연구
일본어교육
일어일문학
일본역사연구
일본어문학 1)
일본어문학 2)
일본문화학보
일본사상
일본어학연구
일본근대학연구
일본문화연구
일본언어문화
2007 년
107
143
41
92
14
100
95
87
15
37
57
88
39
2008 년
123
155
58
77
14
72
82
81
20
48
54
95
33
2009 년
89
169
64
83
11
91
76
73
24
49
54
88
39
2010 년
93
153
64
96
17
91
75
81
23
43
79
110
60
2011 년
83
154
63
92
14
95
55
78
21
57
86
124
87
* 1)일본어문학회 발행 2)한국일본어문학회 발행.
위 표에서 알 수 있는 바와 같이, 전통적인 선도학회의 학술지 발행은 변함없는 부동의 양상을
나타내고 있다. 한국일본학회와 한국일어일문학회의 학술지 발행은 양적・질적인 면에서
안정적으로 성장・발전 하고 있음을 확인할 수 있다.
-지역을 기반으로 탄생한 전국규모의 학회가 발행하는 학술지는 게재논문수가 현상 유지
1
최재철 (외),『2012년 일본연구의 현황과 과제: 일본어학, 고전, 근현대문학, 역사』, 2012년-여름
국제학술대회 심포지엄 프로시딩 발표요지, 韓国日語日文学会, 2012.6.16. 참조
2
黄石崇 「韓国에서의
,
日文学研究의 回顧와 成果」,『日本学報』(20), 1988., 한국일본학회 ,
76
내지는 급격히 감소하는 추세임.
-「일본어교육」
「일본역사연구」
「일본사상」
「일본어학연구」등 전문학회의 학술지로서의
나름의 역할을 하고 있음.
- 2000년 이 후 에 창 립 한 신 생 전 국 학 회 학 술 지「 일 본 언 어 문 화 」
「일본문화연구」
「일본근대학연구」의 게재논문수가 증가하고 있다.
향후 일본연구 관련 학회가 나아갈 방향. 3
- 일본학 연구 전반의 전문화와 특성화를 통해서 질적 성장을 추구해야 함.
- 전공간・인접학문간 연구의 활발한 교류가 필요함.
- 학술대회 개최와 학술지 발행의 국제화 시대를 열어야 함.
일본연구 관련 대학 연구소의 등재학술지 분야별 논문편수 [표-3]
연도 / 분야
중앙대
일본어학
일본문학
일본학
합계
한국외대
일본어학
일본문학
일본학
고려대
일본어학
일본문학
일본학
합계
합계
단국대
일본어학
일본문학
일본학
합계
2006
2007
2008
2009
2010
2011
5
2
1
8
6
4
1
11
10
15
9
34
15
11
9
35
13
19
8
40
14
17
10
41
63(37.28)
68(40.24)
38(22.48)
169(100)
합계(%)
25
27
12
64
27
25
12
64
36
31
14
81
35
29
19
83
40
31
19
90
38
22
17
77
201(43.79)
165(35.94)
93(20.27)
459(100)
10
12
7
29
6
18
4
28
6
9
11
26
3
3
28
34
8
21
19
48
8
8
28
44
41(19.61)
71(33.97)
97(46.42)
209(100)
17
11
16
44
23
27
13
63
23
18
20
61
18
27
23
68
23
17
21
61
17
29
17
63
121(33.62)
129(35.83)
110(30.55)
360(100)
상기의 표를 통하여 나타나는 특징은 최근 6년간의 전체 논문 편수 1197 편 중 어문학 관련
논문이 859편으로 전체의 71.76%를 차지하고 있고, 일본학 분야의 논문 편수가 상대적으로
적다. 각 연구소의 연구총서 간행은 바람직하다.4 다음은 <日本語教育分野>의 연구영역별 4개
학회지 논문 게재 현황이다.
3
이경규 ,「일본연구 관련 학회의 현황과 과제」,『일본학보』(91), 한국일본학회 , 2012,
4
金鎔均 ,「한국에서의 일본연구 관련 연구소의 현황과 과제」,『일본학보』(91), 한국일본학회 ,
2012, p.97-110.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 77
일본어교육 분야 영역별 논문 게재 현황(1973-2011) [표-4]
일본학보
일어일문학연구
일본어교육연구
일본어학연구
계
오용분석
5
7
16
6
34
전체 ( 일반 ) 교육
12
9
3
14
38
13
10
17
10
50
발음 , 음성 , 청해
작문교육
2
2
4
4
12
문법교육
11
13
6
14
44
한자교육
4
3
10
9
26
회화교육
9
1
9
2
21
평가 ( 수행 , OPI,)
11
5
7
14
37
교과서 분석
20
6
6
12
44
학습 , 수업
24
16
30
15
85
컴퓨터활용 , 인터넷
8
10
10
21
49
교수법 , 지도법
2
2
4
17
25
21
표기 , 외래어
6
4
8
3
기타 ( 통번역 , 교사 )
1
5
1
0
7
계
128
93
131
141
493
한국에서의 일본어 교육 연구의 조사대상은 1973년부터 2011년까지의 상기의 연구지에
게재된 일본어 교육 관련 논문 493편으로 이를 14항으로 분류했다. 그 결과, 첫째,"일본어
학습과 수업"에 관한 논문은 85편으로 가장 많았다. 실제의 학습과 수업을 통해 연구를 실제
일본어 교육에 응용, 활용하려는 시도의 결과이다. 세계의 일본어 교육 흐름에 따른 연구의
결과이기도 하다. 두번째는 "발음과 듣기"교육 연구가 50편이었다. 다양한 도구를 살려, 일본어
교육에 응용하고 있다는 단서이다. 세번째는 "컴퓨터와 인터넷"을 이용한 연구로서 49편이었다.
글로벌 시대가 진행되면서 이런 연구는 진행될 것이라고 예측할 수 있다. 이 밖에도 다양한 연구
결과가 보인다. 한국에서 일본어 교육 연구의 활성화의 표현이다. 앞으로 일본어 교육 연구는
보다 전문화하는 동시에 복합적인 연구에까지 확산될 가능성이 높다. 또 일본어 교육 연구가 동
아시아의 일본어 교육에까지 영향을 줄때가 곧 올 것이다. 5
<한국의 日本史 연구>는 일본에 의한 한국의 식민지경험으로 다른 지역의 역사연구와는 다른
독특한 경로를 거쳐 발전하였다. 먼저 1945년부터 1965년 한일국교정상화까지는 일본사 연구의
공백기이며, 다음으로 1965년부터 1980년 정도까지는 모색기, 그리고 1980년부터 본격적인
일본사 연구의 태동기라고 할 수 있을 것이다. 공백기와 모색기의 일본사 연구는 식민지 시기에
출생하여 고등교육을 받은 일본사 학습자 혹은 한국사 연구자를 중심으로 전개되었다. 태동기의
담당자는 1945년을 전후에서 한국에서 태어나 고등교육을 받고, 일본 과 미국에 유학하여
일본사로 박사학위를 취득한 소수의 연구자들이다. 이들이 귀국하여 연구자로 교육과 연구를
시작하였다. 1990년대 중반이후 일본역사연구의 발전기를 맞이하였다. 그 담당자는 태동기의
연구자로부터 영향을 받거나 교육을 받아 한국에서 일본사 연구를 시작한 세대이다. 이들은
한국에서 일본사 연구의 과제를 본격적으로 세밀하게 제기하기 시작하였다.
한국에서의 일본사 연구는 근현대의 비중이 가장 높은 반면에 중세의 비중이 가장 낮은 점이
5
이경수 ,「한국의 일본어교육 연구 현황과 과제」,『일본학보』(91), 한국일본학회 ,2012,
p.9-23.
78
특징이다. 일본역사연구가 지향하는 바는 일본 그 자체의 문제, 일본사 연구라고 할 수 있다. 1
세대에 해당하는 김용덕의 일본사 연구에 대한 제언은, 첫째, 한국의 연구수준이 기존사료와
업적의 정리・소개 또는 지나친 추론단계에 머물러 학문적으로 뛰어난 업적이 많지 않은
점을 반성하면서, 충분한 자료와 이것을 이용할 수 있는 연구자의 필요성을 제기하였다. 둘째,
연구분야의 불균형성을 지적하고, 전근대분야의 미약함과 근현대 분야에 편중된 현상을
언급하면서 일본사 전체의 균형과 다양성의 확보가 필요하다고 지적하였다. 셋째, 한일관계와
관련된 일본사는 일본학자를 압도할 논리성과 엄밀한 사료해석에 기초한 연구의 필요성을
지적하였다. 넷째, 한국에서의 일본사연구는 일본사 교육에도 공헌해야 한다. 대등한 위치에서
서로의 역사를 이해하기 위해서 일본사교육이 필요하고, 객관적인 일본사 사상(史像)파악에도
일본사 연구자의 연구와 업적이 큰 몫을 하게 될 것이다. 다섯 째, 한국의 많은 일본사 연구자들이
학위과정을 일본과 미국에서 하고 있다. 이것은 일본사 연구의 객관화 작업과 연구의 새로운
방향을 모색하고 넓은 시야의 확보에 기여하며 한국의 일본사연구를 세계적 수준으로 끌어올릴
수 있게 한다. 이에 더하여 같은 1세대인 김현구도 한국에서 일본사 연구는 동양사의 일부로서의
시각, 한국사의 일부로서의 시각(특히 고대와 근대의 경우), 일본 자체사로서의 시각이라는
세가지 측면에서 이루어져야 한다고 지적하였다. 6
<한국에서 日本民俗의 연구>는 일본어와 문학에 비한다면 그다지 활발한 편이 아니다. 1980
년대 이후부터 현재에 이르기까지 한국에서의 일본민속 연구현황을 파악하고 전망과 과제를
살펴보면 다음과 같다.
- 20년전에 비해 일본전문가가 대거 등장. 이들은 일본유학의 경험을 가지고 민속학의
생명이라 할 수 있는 현장조사를 통하여 연구에 임하고 있다는 점은 자국문화의 연장선상에서
이루어졌던 과거와는 현저한 차이를 보임.
- 연구테마가 편중되어 있는 경향을 보이는 데, 구승의 경우 신화와 설화에, 특히 신화는
『고사기』와『일본서기』,『풍토기』등 고대문헌에만 국한되어 있으며, 중세문헌신화에 대해서는
매우 미진한 상태이고, 시간(時間)의 민속에는 세시민속과 장례에, 신과 영혼의 민속에서는
요괴에, 축제와 놀이의 민속에는 카구라와 마츠리에, 의식주에서는 음식에, 소수민족에는
오키나와에 집중되는 현상을 보임.
- 연구방법론의 부재와 기초적인 내용파악에 중점이 가 있는 경우가 많다. 특히 후자의 경
우 세시 또는 카구라, 마츠리, 소수민족 등에서는 두드러진다. 이것은 외국학으로서 일본민속의
연구이기 때문에 어쩔 수 없다고 판단되나, 학문적 성과를 위해 이론적 개발이 시급 하다고 봄.
- 일본 내 소수민족(재일한국인, 오키나와, 아이누 등)에 대한 연구도 조금씩 이루어지고
있다는 점은 시야의 확대라는 면에서 긍정적으로 평가할만하며, 이들을 통해 일본문화를
조명하는 일도 매우 중요함.
- 자국과의 비교를 통해 일본민속의 특징을 찾아내려는 시도가 눈에 띠는데, 특히 카구라의
경우 연구자 대부분이 한국민속학자들이 카구라가 마을굿판과 유사하다고 판단하고 비교연구를
시도하고 있다. 그리고 구비의 전승에서도 비교연구가 활발하게 진행되고 있다는 점은 대단히
중요한 부분으로, 자국과의 비교를 통한 일본민속문화 연구는 한국인의 장점이자, 일본의
민속연구에도 크게 기여할 것이기 때문임.7
6
김종식 ,「한국 일본학연구에서 역사연구의 성격」,『일본학보』(91), 한국일본학회 , 2012,
p.45-59.
7
노성환 ,「한국에서 일본민속 연구의 현황과 과제」,『일본학보』(91), 한국일본학회 , 2012,
p.61-78.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 79
2. <한국일어일문학회>의 일본연구의 현황
한국일어일문학회는 1973년 4월 창립 이래, 일어일문학분야(일본문화, 지역학 포함)에서
가장 오랜 역사와 전통을 갖고, 현재 약 1800 여명의 회원을 보유하고, 연4회 학술발표대회
(연 261명 발표, 2014년도)와 연 4회 학회지 발간(연 138편 논문 게재, 2014년도)으로 한국을
대표하는 일본연구 학회로 성장하였다.
<한국일어일문학회 2014년 현황>
- 회원 현황, 총 회원수: 1879 명.(2014년도 신규 회원수: 75 명) (2014년 12월 31일 현재)
- 2014년도 각 학술대회 기별 발표자수: 춘계 53명, 하계 78명, 추계 심포지엄 초청연사 21명,
동계 104명. 연간 총 138명 논문 발표.
학회지『일어일문학연구』2014년도 발행 현황
[표-5]
한국일어일문학회 심포지엄 주제목록 (2001-2014) [표-6]
80
年月
2001. 6
區分
심포지엄
12
초청강연
2002. 6
동
2004. 6
12
2005. 5
6
9
10
2006. 4
6
동
동
동
심포지엄
동
동
동
동
12
기획테마
主題
일본문학에 있어서의 허구와 기억
사회언어학에 있어서의 다인수조사의 문제 - 랜덤샘플은
필요한가 모토오리 노리나가와 우에다 아키나리 논란 - 옛 문헌과
내셔널리즘 21 세기의 일본연구의 쟁점과 과제
글로벌 재팬에 대한 일본연구의 새로운 파라다임
정보화 시대의 해외의 일본연구
일본문학과 여성
일본어학 연구의 전망과 과제
한일간의 문화교류와 경계
일본학 연구의 방법론에 대해
동아시아의 전통문학을 더듬다
일본인의 일본어력 - 과제와 시책 중국인에 대한 일본어교육과 학회의 현황
2007. 4
6
10
12
2008. 4
동
초청발표
기획테마
초청발표
기획테마
6
초청발표
10
12
동
동
기획테마
2009. 4
심포지엄
일본문학과 종교
일본어의 경어
일본문학과 자연
일본어 서술 유형론
일본문학과 영상
후쿠자와 유치키의 조선과의 관계 -『탈아론』을 둘러싼
이미지의 독립을 중심으로 일본어와 한자 - 그 역사와 현재 여성의 문학으로서의『源氏物語』- 남주인공에 대한 시선 일본문학과 동양
최근 새롭게 발견된 독도 사료를 둘러싼 한일양국입장의
증명
현대일본어의 격조사에 관한 재고
동아시아의 설화와 문화
중국의 일본연구 - 일본어와 일본문학을 중심으로 용궁과 저승 -『志度寺縁起』를 중심으로 대만에 있어서의 일본어교육의 현황과 전망
단어의 연구로부터 커뮤니케이션 연구로 - 일본어연구의
새로운 방향성 인간과 자연의 공생 - 환경・언어・지역에서 본 일본문화 -
6
12
2010. 4
6
10
동
동
초청강연
동
동
12
동
2011. 4
심포지엄
10
동
일본의 격차문제 - 신분차별 , 계층차별 , 지역차별 -
12
동
< 폐허 > 와 < 재생 > 을 둘러싼 일본적 상상력의 계보
2012. 4
동
한일 간 커뮤니케이션 갭을 생각
6
동
한일양국의 이문화수용과 번역
10
동
위기상황과 현대일본의 내셔널리즘
2013.4
심포지엄
6
동
일제강점기 , 일본문학과 교육에 관한 재고
10
동
일본의 의례문화의 재조명
12
동
일본어 문법연구의 현황과 과제
2014. 4
동
6
기획강연
10
심포지엄
12
동
일본어교육의 변화와 비전
동북아시아의 일본어교육의 현황과 비전
외국인과 일본어 - 비모국어화자의 언어연구로부터 무엇을
알수 있을까 일본에 있어서「역사」화법과 교류의「역사」
-「한국과의 대화」라는 미래지향적 시점으로부터 텍스트와 콘텍스트의 융합 : 동아시아의 문학과 회화의
상관성
3. 한국의 일본근현대문학 연구 현황과 과제 8
1) 2005년 한국의 일본근현대문학 연구 동향 개관9
(1) 일본문학의 연구 동향 -2005년 현재먼저, 2005년에 조사한 한국의 일본문학 연구동향을 개괄해보고, 2012년의 일본근현대문학
연구 현황과 비교해보기로 한다. 1960년대의 일본문학 관련 논문은 7편, 1970년대 131편, 1980
년대 이후 매년 증가하여 총 890편이었다. 이 중, 일본근대 ・ 현대 문학논문이 580 여편(약
65%)이고, 일본문학 연구자 총 630 여명 중 근현대문학 분야의 연구자수는 320 여명으로 50%
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 81
이상이었다. (* 통계는 조사 시기・방법・범위・선택 기준에 의해 차이가 있을 수 있음. 이하
같음)
근대 작가로는 소오세키(漱石)・아쿠타가와(芥川)・오오가이(鴎外)・토오송(藤村)・다자이
(太宰)・카와바타(川端) 등에 관한 연구 논문이 많았으며, 국내 주요 6개 학회의 일본근대문학
논문 총 280편중, 위 상위 5명의 작가 관련 논문이 40%를 차지하고 있다(2000년 5월). (또 다른
조사 통계는 소오세키・아쿠타가와・토오송・카와바타・다자이・타쿠보쿠(啄木)・오오가이 순)
문학사에서 지명도가 높은 작가에 대한 연구가 많다는 것을 알 수 있다. 예를 들어, 2004년말까지
오오가이 연구의 경우에 연구논문은 50 여편, 연구자는 20명 정도이고, 소오세키 연구논문은 260
여편(논문 1편 이상 집필자 130 여명), 단행본은 11권이다. 카와바타 연구는 일반논문 150 여편,
석사논문은 65편으로, 작품론이 3분의 2를 차지하고 있다.
이상의 통계 가운데, 근대 시가문학이나 프롤레타리아 문학의 연구는 상대적으로 적은 편이다.
그동안 프로문학의 연구가 적었던 것은 한국의 남북문제와 관계가 있다고 생각되며, 아쿠타가와
류우노스케와 시마자키 토오송, 아리시마 타케오(有島武郎), 엔도오 슈우사쿠(遠藤周作)에 관한
논문이 증가하고 있는 것은 한국에 기독교 인구가 많은 것과 관련이 있는 것 같다. 문학 연구를
문화론과 관련짓는 방향의 연구가 늘어나고 있고 연구 방법론 등이 유학 출신대학의 경향을
반영하고 있다는 점도 특기할 만하다.
또한, 노벨문학상 수상작가이지만 카와바타에 비해 오오에 켄자부로의 연구가 그다지
활발하지 않은 것은 수상이후 시간이 많이 경과하지 않았다는 것과 읽기 쉽지 않은 문장 때문일
것이다. 근대 시가문학 분야의 연구가 타쿠보쿠를 제외하면 수가 적은 가운데, 하기와라 사쿠타로
(萩原朔太郎) ・ 타카무라 코오타로(高村光太郎) ・ 미요시 타츠지(三好達治) ・ 미야자와 켄지
(宮沢賢治) ・ 마사오카 시키(正岡子規) 등의 시가문학 관련 논문이 서서히 늘어가고 있는 것은
환영할 만한 일이다.
학회 편찬 일본문학 관련서적으로는 한국일본학회의『일본연구총서』(전10권, 2001년) 중
「신 일본문학의 이해」1권과 한국일어일문학회의『일본문화총서』(전6권, 2003년)중 일본문학
분야 2권(고전, 근현대 편) 등이 있다. 그리고 각 학회에서 주제별 연구로 기획도서 발간을
추진하고 있는 것은 바람직한 방향이라고 하겠다.(예, '일본문학 속의 여성’
,‘일본근현대문학과
연애’
등)
이밖에도 각 학회별로 총서 등을 간행하고 있는 바, 박사학위 논문을 단행본 형식으로 단순
제작하는 경우가 보이는데 학위논문과 단행본 저작은 성격이 다르므로 간행할 때는 그 체제
내용을 재정리하여 단행본으로서의 완성도가 요구된다고 하겠다. 또한, 일본에서 일본어로 쓴
학위논문을 그대로 한국에서 일본어로 출판하는 것은 너무 안이하고 의미가 반감되므로 특별한
이유가 없는 한 한국어로 번역하여 실정에 맞게 수정 보완 후 간행할 일이다.
전문 분야별 ・ 장르별 학회나 연구회의 활성화가 요구되는 가운데‘한국일본근대문학회'가
설립(1999년)되어, 전문분야의 학술지로서는 처음으로『일본근대문학-연구와 비평-』을 2002
년 창간하여 연간으로 2005년에 제4호를 간행하였다. 그리고 주제별 학술세미나를 열고 특집
8
한국일어일문학회의 학술지『일어일문학연구』제 83 집 (2012.11) 에 [ 기획특집 : 2012 년도
일본연구의 현황과 과제 - 일본 고전문학・근현대문학 -] 으로 게재된 논문 (「한국의 일본근현대문학
연구 현황과 과제」) 의 내용을 일부 수정 보완함 . 이 논문은 2012 년도 세종연구소일본연구센터와
일본국제교류기금서울문화센터의 공동연구 지원에 의해 작성되었음 .
9
최재철 ,「한국의 일본문학 연구 현황과 과제」(『한국 일본학의 현황과 과제 ), 한울아카데미 , 2007,
p.97-110) 중에서 ,‘일본근현대문학’부분을 중심으로 개괄적으로 인용 소개함으로써 , 2005 년과
2012 년의 연구 조사 결과를 비교해보도록 함 .
82
(예, 일본근현대문학 속의 연애, 또는 가족 등)을 엮은 후 총서 출간을 기획하고 있다. 작가별
연구회로는‘나츠메 소오세키 문학 연구회’
가 학술발표회와 단행본 간행(『나츠메 소오세키
문학연구』창간호, 2001) 등의 실적이 있는 정도이며 그밖에는 아직 미미하지만, 앞으로 이러한
움직임은 자연히 증가할 것이다. 한편, 주제별 연구회로는‘일본기독교문학연구회’
가 활동 중에
있으며 단행본을 간행한 바 있다.
비교문학 분야에는 신화 ・ 설화나 고대가요, 근세소설의 한중일 비교연구 등이 이루어지고
있는데, 본격적이고 실증적인 연구의 지속이 기대되며, 근대문학의 한일비교연구에 대해서는
이미 김윤식의『한일문학의 관련양상』(1972)이래, 소오세키와 이광수, 아리시마 타케오와
김동인 또는 염상섭과의 영향관계의 비교문학적 연구나 대조연구가 행해지고 있다. 또한,
일본문학 속의 한국(인)의 이미지에 관한 연구도 늘어나고 있고, 재일 한국인 문학,‘일본어문학
(日本語文学)’
등에 관한 관심도 높아져 여러 연구 업적이 나오고 있는데, 앞으로 이런 분야의
연구가 더 증가할 것으로 예상된다.
(2) 일본문학 연구의 과제와 전망 -2005년 현재한국의 일본(문학)관련 학회로 대표적인 것은 한국일어일문학회와 한국일본학회 등이 있는데,
회원은 각각 약 1,000 여명씩(중복 다수)이다. 이 밖에도 일본관련 학회가 각 지역 또는 연고를
중심으로 하여 20여개 정도로 각기 학회지를 발간하고 있다. 대개 일본어 일본문학 일본학
연구가 중심이며, 그 체제와 목적이 대동소이한 이들 일본 관련 학회가 난립하고 있어 여러 가지
문제가 야기되고 있다. 이제부터라도 일본관련 학회를 일본학(정치 경제 사회 문화), 일어일문학
(일본어학 일본문학), 일본어교육, 일본사 등 3-4개 전공별로 통합하고 각 분야별, 각 지역별
지회(지부) 활동을 활성화하는 방향으로 나아가야 할 것이다. 그리고 구체적인 전공 분야별로
학회가 전문화되어 연구를 더욱 집중하고 심화시킬 필요가 있다(예: 한국일본근대문학회
등). 유사한 학회의 난립은 회원(임원) 및 학회경비(회비) 중복은 물론, 학술발표회 개최 및
학술지의 기획 주제 상호 반복 등에서 발생하는 시간과 경비, 인적 물적 정신적 부담으로 대단히
비효율적이다. 이점에 대해서 우리가 심각하게 검토하여 해결책을 시급히 강구해야 한다.
한국의 일본문학연구는 일본의 경우와 비슷하게, 연구자가 일본문학사의 각 시대별 연구로
나뉘어 있고, 장르별 작가별로 연구자를 구별하려는 의식이 강하다. 연구방법도 문헌학적 ・
주석학적 ・ 실증적 방법론이 주로 동원되고 있다. 일본유학을 마치고 귀국한 연구자는 연구
자료나 참고문헌의 부족 등 국내의 미비한 연구 환경에 직면하게 된다. 특히 일본고전문학 분야는
연구를 공유할 수 있는 일반 독자와 학생이 적기 때문에, 일본의 연구방법론만으로는 쉽사리
받아들여지기 어려운 경우가 많다. 한국의 실정에 알맞은 방향을 설정하고 한국인의 관점에서
새롭게 조명하여, 텍스트 분석에 중점을 두면서도 각 시대와 장르 작가에 공통되는 주제의
연구 등이 필요하다. 특히 연구를 널리 공유하기 위해서는 기본적으로 고전 작품명의 알기 쉬운
한글 번역 표기는 중요하다는 인식을 가져야 하며, 인명과 지명 연호 직제 문화어(의식주) 등
고유명사의 한글 표기와 원어에 근접하면서도 한국의 경우에 가장 잘 대응되는 적절한 번역은
필수적이라고 하겠다. 그리고 한국의 일본문학연구를 발전시키기 위해서 국내의 선행연구를
인지하고 섭렵하여 적절히 인용 및 비평을 할 필요성이 있다. 대표적인 일본 고전 및 명작을
전문 연구자가 적절한 주석과 해설을 완비하여 번역하는 것도 과제중 하나이며, 기존 번역에
대한 평가와 오역 점검의 필요성도 제기되고 있다. 일본문학을 번역할 때 어려운 부분 중 하나는
정형 시가문학 즉, 하이쿠(俳句) 등 단시형 문학의 경우에, 5・7・5의 음수율을 어떻게 살릴 수
있는가가 관건이다.
연구 논문을 일본어로 쓰는 경우는 일본어학 분야(50% 점유)와 일본고전문학 분야에 특히
많은데, 부분적인 이유는 인정된다고 하더라도 한국에서 일본연구의 일반화와 독자성을 늦추는
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 83
결과가 되므로 특별한 이유가 없는 한 되도록 한국어로 논문을 써야 한다고 본다. 미국이나
중국에서 과연 일본어로 쓰는 일본연구 논문이 얼마나 되는지 객관적인 시각으로 바로 인식하여
학문의 기본적이고 보편적인 방법에 대해 생각해볼 일이다. 한국어로 논문을 쓸 경우 일본어의
표기법, 특히 문학 작품명 등의 한글 번역 표기가 제각각인 경우가 많은데 이것을 통일할 필요가
있다. 그리고, 어두음 표기시 원음의 구별이 안 되고 장단음을 구별하지 않는 등, 오래전에
제정하여 실정에 맞지 않는 현행 교과부 교과서 편수자료의‘일본어가나의 한글표기법'을 수정할
필요가 있다. 관련 학회와 우리 전공자들이 먼저 협의하여 유관 기관에 대해 표기법의 개정을
적극적으로 제안하여야 한다.
일본문학 논문은 작품론이 중심으로, 앞으로는 각 공통 주제별 통시적 또는 공시적 연구의
필요성이 있고, 한일문학의 관련양상이나 비교연구의 계속 추구와 학제적 연구에도 착안해야
하겠다. 일본 전후문학의 연구는 점차 증가 추세이나 근현대 시가문학과 희곡의 연구는 여전히
적다. 또한, 대중문학 연구도 본격 착수해야 한다고 본다.
국내의 일본문학 연구에 독자적인 발전을 꾀하는 한편, 국제적인 학술교류도 지속적으로
추진해야 한다. 그리고 한국의 일본문학 연구가, 감성에 직접 호소하며 인간 이해의 기본인
문학이라는 효과적인 소재를 통해 정치 경제 사회 등 타분야에서 생길 수 있는 마찰을 최소화하고,
한일 상호이해를 심화시키며 선린우호관계를 유지 발전시키는데 기여해야 할 것이다.
2) 2012년 한국의 일본근현대문학 연구 현황
우선, 2012년에 조사한 한국의 일본근현대문학 연구의 현황 개요를 정리하면 다음과 같다.
국내 일본문학 연구 관련 학술지 총 18개(등재지 16개, 등재후보지 2개)에 7년간(2005~
2011년) 게재된 논문을 조사한 결과, 아래 [표-7]과 [표-8]에서 보는 바와 같이 일본근현대문학
연구자(논문 집필자)수는 총 493명(한국인 439명, 일본인 외 54명)으로, 게재 논문은 총 1,614
편(한국인 1,502편, 일본인 외 112편)이다.
* 일본근현대문학 논문 편수 연도별 통계 (2005~2011) [표-7]
연도별
2005
2006
논문수
228
229
2007
237
2008
2009
2010
2011
논문 합계
231
226
226
237
1,614 편
위 [표-7]에서, 연도별로 보면 연평균 231편 게재로 대개 비슷한 수치인데, 2007년과 2011
년에 게재 논문이 약간 더 많은 편이다.
* 내외국인별 논문 통계 (2005~2011) [표-8]
내 / 외국인수
논문 편수
한국인 / 439 명
1,502
일본인 ( 외 ) / 54 명
112
총
493 명
1,614
위 [표-8]를 보면 7년간 493명이 평균 각 3.3편의 논문을 집필, 게재한 셈이다.
84
* 7년간 논문 다수 집필자 통계는 아래와 같다. (* 공저자는 주저자 편수에 포함, 이하 같음)
29편(연 평균 4편) 집필자 1명(일본인)
21편(연 평균 3편) 집필자 1명(한국인)
17~14편(연 평균 2편 이상) 집필자 7명
13~ 7편(연 평균 1편 이상) 집필자 60명 (외국인 2명 포함) 등,
이를 종합하면, 일본근현대문학 논문을 매년 1편 이상 집필한 연구자는 총 69명으로, 이 69
명이 한국의 일본근현대문학 연구를 지속적으로 추구, 지탱하고 있다고 볼 수 있다.
(1) 학술지별 게재논문 <연도별> 통계 (2005~2011년)
총 18개의 일본문학 관련 학회 및 대학교 연구소 학술지에 7년 동안(2005~2011년) 게재한
연구자 총 493명의 일본근현대문학 관련 논문 1,614편의 학술지별 연도별 통계 추이를 살펴보면
아래와 같다.
11개 학회, 7개 연구소 학술지 = 총 18 개
연구자 = 총 493 명 (한국인 1인당/ 3.4 편, 일본인 1인당/ 2.1 편,
내외국인 포함, 1인당/ 3.3 편)
논 문 = 총 1,614 편 (7년간, 연 평균: 231 편)
학회지 : 1,305 편 (연 평균 186 편)
연구소 : 309 편 (연 평균 44 편)
-주요 9개 학회 (연구재단등재) 학술지 논문 : 1,291 편 (1개 학회 평균/ 약 143편, 연
평균/ 184편)
-주요 4개 연구소 (연구재단등재) 학술지 논문 : 270 편 (1개 연구소 평균/ 약 68편, 연
평균/ 39편)
이 통계를 통해, 연구소보다 학회지에 4배 이상의 논문이 게재되고 있다는 사실을 확인할 수
있다.
* 주요 학회・연구소 학술지별 일본근현대문학 연구 논문수
학 회 =『일어일문학연구』(한국일어일문학회) : 218 편
『일본학보』 (한국일본학회) : 194 편
『일본어문학』 (일본어문학회) : 179 편
『일본문화연구』(동아시아일본학회) : 168 편
『일본어문학』 (한국일본어문학회) : 125 편
『일본문화학보』(한국일본문화학회) : 117 편
『일어일문학』 (대한일어일문학회) : 113 편
『일본언어문화』(한국일본언어문화학회): 82 편
『일본근대학연구』(한국일본근대학회) : 67 편 등.
연구소 =『일본학연구』(단국대 일본연구소) : 83 편
『일본연구』(한국외대 일본연구소) : 78 편
『일본연구』(중앙대 일본연구소) : 56 편
『일본연구』(고려대 일본연구센터): 53 편 등.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 85
* 일본근현대문학 논문 게재 <학술지별/ 연도별 통계> (2005~2011)
학 회 / 연구소
등재여부
2005
[표-9]
2006
2007
2008
2009
2010
2011
合計
학
일어일문학연구
등재
33
32
28
38
31
29
27
218
학
일본학보
등재
28
39
24
40
25
16
22
194
학
일본어문학
등재
29
36
27
19
23
21
24
179
학
일본문화연구
등재
34
15
23
20
27
29
20
168
학
( 한국 ) 일본어문학
등재
22
20
16
6
21
27
13
125
학
일본문화학보
등재
14
21
21
21
16
9
15
117
학
( 대한 ) 일어일문학
등재
14
11
23
16
13
20
16
113
학
일본언어문화
등재
10
16
9
7
7
13
20
82
학
일본근대학연구
등재
7
13
10
8
8
8
13
67
학
세계문학비교연구
등재
4
2
6
1
5
3
7
28
학
비교문학
등재
5
2
2
1
1
2
1
14
연
( 단대 ) 일본학연구
등재
6
4
12
14
17
11
19
83
연
( 외대 ) 일본연구
등재
6
9
12
16
16
11
8
78
연
( 중대 ) 일본연구
등재
9
2
3
12
7
11
12
56
연
( 고대 ) 일본연구
등재
2
6
17
5
5
8
10
53
연
외
대
(
외국문학연구
등재
4
1
4
4
2
4
4
23
연
( 동국대 ) 일본학
등재후보
0
0
0
3
2
1
3
9
연
( 한 림 대 )
한림일본학
등재후보
0
0
0
0
1
3
3
7
합 계
)
227
* 한국일본근대문학회,『일본근대문학-연구와 비평-』제4~6호(2005~2009년): 논문 합계
40편 별도
위 통계 [표-9]에서 보는 바와 같이 한국에서 일본근현대문학 연구가 가장 활성화되어 있는
학술지는 한국일어일문학회의『일어일문학연구』로, 지난 7년간 218편(연 평균 31편/ 연 4회
발간, 매호 평균 8편)을 게재하였다. 그 다음이『일본학보』(194편),『일본어문학』(179편),
『일본문화연구』(168편) 순이다.
(2) 일본근현대문학 <작가별> 연구 통계
게재 논문의 연구 대상 일본인 작가 수는 총 184명으로 이들 관련 논문은 합계 1,266편이고,
한국인과 재일 작가(일본어소설), 비교 대상 작가와 서양인 등 60여명 관련 논문이 160여편이며,
나머지는 기타 주제 관련 논문 등이다. 일본 작가 중에서 1.5편(복수의 작가 관련 논문일 경우
작가수로 나눈 수치임, 이하 같음) 이상 게재 논문의 연구대상이 된 93명의 작가를 논문 편수
순으로 배열하면 다음 [표-10]와 같다.
86
* 일본근현대문학 <작가별> 연구 논문 통계 (2005~2011) [표-10]
논문 10편 이상 작가
30명 : 총 973 편
논문 3~9편 작가
33명 : 총 153 편
논문 1.5~2편 작가
30명 : 총 57 편
* 소수점 아래는 복수의 작가
관련 논문일 경우에 작가수로
나눈 수치임.
상 위 10명(각 31편 이 상)의 작 가 관 련 논 문 이 총 633 편 으 로 전 체 논 문 수 의 약 40%를
차지한다. 순위는 아쿠타가와 류우노스케 관련 논문이 132편으로 가장 많고, 두 번째가 나츠메
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 87
소오세키 112편으로 100 편 이상 작가가 2명이다. 2005년 조사에서는 소오세키 관련 논문이
가장 많았는데 문하생 아쿠타가와에게 1위 자리를 내주고 2위로 물러나게 된 셈이다. 그 다음 3
위부터가 오오에 켄자부로, 카와바타 야스나리, 무라카미 하루키, 다자이 오사무(6위) 순으로 각
59~50편이다.
카와바타와 다자이는 2005년 조사와 비슷한 순위인데, 하루키 관련 논문이 인기도를
반영하듯 증대하였고, 오오에에 대한 연구가 노벨문학상 수상(1994년)이후 시간이 흐르면서
점차로 증가하고 있다. 그 다음 시마자키 토오송(49편) 순위는 이전과 비슷하다고 보며, 타니자키
쥰이치로(49편)가 토오송 바로 다음 순위인 8위로 뛰어오른 것은 의외인데, 타니자키 전공
교수가 집중적으로 후진을 배출하고 있는데 연유하고 있다고 본다. 9위는 시가 나오야이며,
키타무라 토오코쿠가 10위(31편)로 급부상한 것은 토오코쿠 전공 교수(일본인) 1인이 지난 7
년간 29편(연 평균 4편 이상)의 논문을 게재하였기 때문이다.
연구 논문 편수 11~20위(관련논문 30~14편) 작가순은 미시마 유키오, 미야자와 켄지,
하기와라 사쿠타로, 엔도오 슈우사쿠, 아리시마 타케오, 이부세 마스지, 모리 오오가이, 요코미츠
리이치, 타무라 토시코, 미요시 타츠지 순이다. 그리고, 이시카와 타쿠보쿠부터 미야모토 유리코,
아베 코오보, 사타 이네코, 타카무라 코오타로, 히구치 이치요(관련 논문 13~12편)까지가 21~
26 순위이다.
장르별로는 여전히 소설 연구가 압도적이며, 시가(詩歌)문학 연구는 소수이다. 특히, 주요
작가 관련 연구(상위 10위)가 여전히 강세로 아쿠타가와, 소오세키 연구 논문(합계 244 편)
이 압도적 다수고, 오오에, 하루키, 타니자키, 시가(志賀) 연구 논문의 증가 추세가 현저하며,
카와바타, 다자이, 토오송 연구는 꾸준한 편이다. 이런 가운데서도, 토오송(8위)과 켄지(12위),
그리고 사쿠타로(13위)・미요시(20위)・타쿠보쿠(21위) 등의 시가문학 관련 연구가 8~21위에
들어있는 것은 전공 연구자들의 노력의 결과로서 연구의 다변화를 추구하는 일이며 지속적으로
시가문학 연구가 확산되기를 기대해볼만하다.
지 난 7년 간 10편 이 상 의 논 문 주 제 관 련 작 가 는 30명 이 며 논 문 총 수 는 973편 이 다.
결과적으로 이 30명의 작가 관련 논문이 전체(1,614 편)의 60%(위 [표-10]의 10위 까지 약
40%, 11~30위 까지 약 20%)를 차지하는 인기 작가라고 할 수 있다. 9~3편 작가는 33명(논문
총 153편), 2~1.5편 작가가 30명(논문 총 57편) 등으로, 1.5편 이상 논문 관련 작가는 계 93
명이다. 그리고 위 [표-10]에는 넣지 않았는데, 1편의 논문 관련 작가는 73 명, 1편 미만의 논문
관련 작가가 18명이다. 결론적으로, 연구 대상 일본인 작가수는 모두 184명(논문 총 1,266편)
으로 웬만한 일본의 근현대 작가가 거의 다 망라되어 한국에서 연구되고 있다고 할 수 있다.
한편, 위 작가별 논문 통계표를 보면서 좀 더 연구할 필요가 있는 작가 시인 그룹에 대해
덧붙이자면 다음과 같다. 먼저, 일본 근대문학사적으로 알아야할 부분이 많은 모리 오오가이(森
鴎外) 관련 논문이 19편(19위)이라는 것은 미진한 편이므로 더 연구해야할 것이다. 또한, 타야마
카타이(5.5편)와 나가이 카후(5), 이즈미 쿄오카(4), 쿠니키다 독보(4), 토쿠토미 로카(3.5),
츠보우치 쇼오요(2), 오자키 코오요(2), 코오다 로항(2), 히라츠카 라이쵸(1.5편) 등 문학사에서
각 문예사조상 어느 정도 비중 있는 작가들에 대한 연구도 저조한 편이어서 전공자들의 관심이 더
필요한 분야라고 본다.
또 한편으로, 한국의 독자들에게 인기 있는 현대작가 요시모토 바나나(5편)가 연구 대상 논문
편수면에서 하루키에 비해 현격하게 차이가 나는 것도 음미해볼만한 점인데, 여류작가 작품의
단순함 때문인지 예상했던 것보다는 연구가 적은 편이라 앞으로 시간이 흐르면서 증감 폭을
눈여겨볼 부분이다. 무라카미 류(4편)가 관심을 그다지 끌지 못하는 것도 문체와 작품의 어려움
때문일지 모르겠다. 그리고 시가문학에서는 요사노 아키코(2편), 나카하라 츄우야(3), 미키
로후(2.5), 무로오 사이세이(2), 니시와키 쥰자부로(2) 등도 연구가 더 진척되어야 할 분야라고
88
하겠다. 현대 하이쿠(俳句)나 단가(短歌)에 대한 연구와 미야모토 테루나 타니카와 슌타로 같은
현대 작가 시인들에 대해서는 앞으로 새롭게 연구가 이뤄질 것으로 본다.
(3) 일본근현대문학 <주제/ 소재 방법별> 연구 통계
‘ 일 본 근 현 대 문 학 연 구 주 제/ 소 재 방 법 별 논 문 통 계 ’
(아 래[표-11])를 조 사 해 보 니,
주제별로는 <사회>, <고뇌>, <남녀> 주제가 다수이며, <종교(구원)>, <가족> 주제가 그
다음 순위이다. 소재면에서는 <표현>, 방법적으로는 <비교>론이 다수이고, 소재면에서 <
재일작가/일본어작품>론이 다음으로 많은 편이며, <총론>과 <한국(인)상>이 뒤를 따르고
있다.
전반적으로 볼 때, <사회>(300편 이상)와 <표현>, <고뇌>(각 200편 이상) 관련 논문이
844편으로 전체의 과반수(52%)를 차지한다. 이어서 <비교>, <남녀>, <재일작가/일본어작품
>, <총론>(각 100편 이상) 등 관련 논문이 550편(34%)으로, 이상의 합계는 1,394편이며
전체의 86%를 점하고 있다.
* 일본근현대문학 연구 <주제/ 소재 방법별> 논문 통계 (2005~2011) [표-11]
주 제 별
주제
논문
편수
소재 / 방법별
사
고
남
종교
가
자
문
표
비
회
뇌
녀
( 구원 )
족
연
화
현
교
333
240
148
62
33
14
271
170
7
재일
작가 /
일본어
작품
126
론
한국
(인)
상
106
63
총
기
합
타
계
41
1,641
* 분류기준, 범위에 따라 통계 수치는 달라질 수 있음.
* 주제별, 소재 방법별 연구 현황의 특징
전반적으로 연구 논문 편수가 대폭 증가하였다. <사회> 관련 주제 연구가 333편으로 가장
많았으며, 그 다음으로 <표현>관련 연구가 271편으로 많은 편인데 이는 일본문학의 특징을
‘표현’면에서 찾을 수 있다고 보기 때문일 것이다. 그리고, 한일 비교문학 관련 논문과 재일작가・
일본어작품론, 한국(인)상 등에 관한 연구가 많은 것은 한국의 일본연구라는 관점에서 볼 때
당연한 일이며, 이와 함께 기독교문학과 같은 종교(구원) 주제 연구 증가 등은 한국 연구자의
관심사를 반영하는 것이라고 하겠다. 이는 2005년 조사 시의 증가 예상 전망과 일치한다. 또한,
구체적인 연구 주제가 다양화되었으며 연구 내용의 분화가 이루어졌다. 개별 연구가 증대되는
한편으로, 재일한국인문학연구, 기독교문학연구, 식민지시기 일본교과서 연구 등의 공동 연구도
활발하게 진행되었다.
이 밖에,‘주제별 기획특집’
을 구성한 한국일본근대문학회 학술지『일본근대문학-연구와
비평-』
(제4~6호, 2005~2009년, 논문 40편 게재)과 동 학회 편 <기획총서1>
『일본근현대문학
속의 연애』(2008년, 논문 15편 수록)를 비롯하여, 한국일본기독교문학회 편『일본문학 속의
기독교』제3~8권 (2005~2011년, 논문 66편 게재, 주로 아쿠타가와와 엔도오, 다자이 관련
논문과 토오송, 우치무라, 토오코쿠, 미우라 관련 논문 등 포함) 등은 위 통계에 포함되지 않았다.
이러한 등재 학술지 이외의 논문을 포함시키면 주제・소재 방법별 논문 통계 수치가 더욱
늘어나는 것은 자명하다.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 89
2005년 조사에 비해, 연구자와 연구 논문수가 대폭적으로 증가한 것은, 자연 증가분을
포함하여 연구 활성화에 기여한 부분이 있다. 그러나 많은 부분, 학술지 등재제도의 도입과 각
대학의 교원 업적평가(채용, 재임용, 승진, 인센티브 등)의 기준이 논문 실적 위주의 정량 평가가
기본이기 때문에 논문의 양산 체제에 돌입하게 된 결과라고 하겠다.
(4) 단행본 연구저술 조사
일본근현대문학 관련 단행본 저술 출판은 7년간 총 129권(연 평균 18권)인데, 이중에서
일본의 연구자 저서의 역서(23권)와 소개・감상・입문서(27권), 총론・문학사(25권) 등을
제하면 연구서는 54권이며, 이중에도 공저와 편저 등이 다수 포함되어 있다.
* 일본근현대문학 관련 <단행본 전체> 통계 (2005~2011) [표-12]
분 류
연구
단행본
수
54
소개・
감상
총론・
문학사
연구서
역서
합계
27
25
23
129
* 국립중앙도서관 소장 도서 기준.
위 [표-12]의 통계에는, 역서 23권 외에 공저 및 편저가 28권 포함되어 있어, 단독 저서는 78
권이다.
주요 단행본을 주제별, 작가별로 재분류하면 다음 [표-13]과 같다.
* 일본근현대문학 관련 <단행본 주제/ 작가별> 통계 (2005~2011) [표-13]
주 제 별
주 제
작 가
단행본
재일
작품
종교
( 기독교 )
일본어작품
/ 식민지문학론
7 ( 1 ) 6( 편
작 가 별
여
연
번
기
春
川
芥
漱
安
藤
小林
성
애
역
타
樹
端
川
石
部
村
多喜二
2
2
4
3
2
2
5
4(1)
5(1)
(편 2)
수
(편 5)
6)
7
(2) (편 1)
(5)
3
2
(1)
* ( ): 역서 권수, (편1): 편저・공저 권수.
주제별 단행본의 분포는 논문의 주제별 편수 통계의 일부분과 대체적으로 유사한 비율을
나타내고 있는데,‘재일작가작품론’
이나‘기독교문학론’
,‘일본어작품/식민지문학론’
,‘여성’
,
‘연애’등으로 축적된 결과를 출판하였다, 작가별 단행본 분포 면에서도 관련 논문 편수와
대개 유사한 비율인데, 카와바타(4권)와 아쿠타가와(3권) 관련 단독 연구서가 많은 편이며, 그
다음으로 소오세키와 아베, 토오송 연구 단독 저서가 각2권이며, 하루키 관련 단행본은 주로
일본의 번역서 5권이 주종을 이루고 있다. 이중에서 아베 코오보(安部公房, 2권)와 코바야시
타키지(小林多喜二, 2권/역서 1권 포함) 관련 연구서가 복수로 출간된 것은 논문 편수 통계
순위보다 높은 비율이다.
이밖에, 주제별로는‘사소설’
‘아동’
‘모더니즘’
‘문체’기타 관련 등의 출판이 있고,
작가론으로는 오오가이(森鴎外)와 이치요(樋口一葉), 시가(志賀直哉), 타카무라(高村光太郎),
90
(1)
타니자키(谷崎潤一郎), 나카노(中野重治), 다자이(太宰治), 엔도오(遠藤周作), 사타(佐多稲子),
타나카(田中英光) 관련 등의 저서가 각 1권이다. 일본의 단행본 연구서의 번역 23권은 주로 총론・
문학사(11권), 하루키론(5권), 입문서 등이다.
주제별 단행본에는 편저(공저 포함)가 14권을 차지하고 있어, 하나의 주제에 대한 다수의
공동연구를 모아 출판한 것이 많다는 것을 알 수 있다. 17명의 작가 연구 단행본이 총 26권으로
출판이 증가한 것은 각 작가 전공 연구자의 활발한 저술과 박사학위 논문을 수정 재정리하여
발표한 논문을 모아 단행본으로 출판한 경우 등이다. 한편으로 이렇게 작가 연구 단행본 간행이
증가한 것은 학위논문의 자비출판 등이 용이해진 데 따른 부수적인 효과라고도 볼 수 있다.
(5) 작품 번역서 조사
일본근현대문학 작품의 번역 조사 통계는 다종다양해서 모두 다루기 어렵고 고전 번역과
달리,‘라이트노블’
,‘로만스’
,‘대중・추리소설’등 범위가 광범위하여 별도의 조사가 필요하다.
여기서는 무라카미 하루키의 작품 번역을 예로 들어보기로 한다.
무라카미 하루키 관련 연구논문이 지난 7년간 54편(연 평균 7.7편)이 발표된 것은 하루키에
대한 관심이 증대되면서 작품 번역이 계속적으로 늘어난 것과 비례하여 나타난 현상으로 파악할
수 있다. 하루키 작품 번역은, 1988부터 2004년까지 17년간 73권(연 평균 4.3권)이 간행되었고,
2005부 터 2011년 까 지 7년 동 안 에 는 42권(연 평 균 6권)이 간 행 되 어 동 일 작 품 중 복 번 역
출판 포함 총 115권(연 평균 4.8권)이 출간되었다. 한 작가의 작품이 짧은 기간에 이렇게 많이
집중적으로 번역 간행된 유례는 이제까지 찾아보기 어려울 것이다. 외국문학 번역 중에서 일본
현대작가 하루키 번역의 편중 현상을 우려하는 목소리도 있는데, 국내에 하루키 고정 독자가
확보되어 있다는 반증이다. 10
한편, 한국 문학 작품의 일본 수출의 미미한 실적에 비해 문학 번역 부문에서도 무역역조가
심화되고 있지 않은가 라는 반문이 있을 수 있다. 한국 소설의 일본어 번역 예로, 신경숙의
『엄마를 부탁해(母をお願い)』(集英社, 2011) 등을 들 수 있다. 소위‘한류’
와 더불어 한국문학의
일본어번역은 서서히 늘어나는 추세이기는 하지만, 한국에서 하루키처럼 일본에서 한국 작가의
작품이 전폭적인 지지를 받는 경우는 아직 없는 형편이다. 이는 작품에 대한 흥미와 관심 방향과
관련되며, 일찍이 근대화 초기 이래로 일본인들이 서양 문화와 문학에 관심이 쏠려있다는 것과
근대 한일관계의 역사적인 맥락에서 그 연유를 찾을 수 있다고 하겠다. 앞으로는 이웃나라에 보다
긍정적인 관심을 가질 수 있도록 상호 노력이 필요하다고 본다.
3) 일본근현대문학 연구의 과제와 전망
앞서 기술한‘2005년 연구조사의 과제와 전망’부분에서 지적한 내용들이 2012년 연구조사
결과를 보아도 여전히 유효한 경우를 볼 수 있다. 예를 들면, 장르별로는 전과 별다름 없이 소설
연구가 압도적이어서 시가문학 연구가 위축된 감이 있다. 연구의 다변화를 꾀하여 시가문학과
희곡관련 연구가 보다 확산되기를 기대하며, 현대문학과 대중문학도 연구자들이 더 관심을
가져야 할 분야이다.
작가별 논문 통계를 보면 일본 근대문학사상 중요도에 따라 좀 더 연구할 필요가 있는 작가로
모리 오오가이(森鴎外)를 비롯하여, 카타이와 카후, 쿄오카, 쇼오요, 코오요 등이 있다. 그리고
시가문학에서는 아키코, 츄우야, 사이세이 등과 현대 하이쿠・단가도 더 연구할만한 분야라고
10
최재철 ,「무라카미 하루키 ( 村上春樹 ) 문학과 한국 - 텍스트와 번역・수용 -」,『일본연구』제 34
호 , 한국외대 일본연구소 , 2007.12, 223-231 쪽 .
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 91
본다. 앞으로 현대 작가 시인들 예컨대 미야모토 테루나 타니카와 슌타로 등에 대해서는 연구가
더욱 활발해질 것으로 전망된다. 따라서 단행본 저술도 이런 작가 시인들 관련 연구가 축적되고
편중 현상이 해소되어 다양한 작가론과 주제별 연구서가 출판되어야 할 것이다.
단행본 연구서의 간행이 증가하고 있는 것은 연구자 확충과 연구 실적의 축적으로 인한
자연스런 현상이라고 하겠다. 학위논문의 출판이 용이해졌다고 해서 일본의 대학에 제출한
학위논문을 그대로 한국에서 안일하게 그냥 일본어로 출판한다든지, 내용과 체재의 별 수정 보완
없이 서둘러 출판하는 일은 없어야 하겠다. 참신한 아이디어와 문장 표현, 내용의 질적 심화의
확보가 관건일 터이다. 이제 한국의 일본문학 연구의 독자적인 방향을 모색하여 창의적인 내용을
담은 본격적인 연구서를 지향해야 할 것이다.
작품 번역 분야에서는 이미 한국연구재단과 대산문화재단 등의 고전 명작 번역 사업에 진척이
있으며, 각 출판사의 명작 번역시리즈(지만지 등)가 간행되고 있는 것은 고무적인 일이다. 그런데,
일본의 대표적인 고전 및 명작을 전문 연구자가 적절한 주석과 해설을 완비하여 번역하는 것은
지속적인 과제이다. 또한, 문학 작품명 번역의 일관성과 통일이 필요하며, 기존의 번역 평가와
오역 점검도 여전히 남은 과제이다.
그리고 한국에서 논문은 일본어보다는 되도록 한국어로 쓰고, 일본어나 영어로 요지문과
주제어(키워드)를 달면 해외의 전공자들에게도 통용될 것이다. 또한, 현행‘일본어가나의
한글표기법'의 합리적인 개정을 위해 관련 학회가 협력하여 지속적으로 적극 추진하여야 한다.
논문 과다 생산은 현실적으로 평가제도에도 문제가 있는데, 연구 내용의 심화와 주제
소재의 개발과 다변화 추구, 질적 향상이 요구된다. 그러나, 각 분야의 연구자 축적과 학회의
활성화는 고무적인 현상으로도 볼 수 있다. 다만, 여전히 일어일문학 일본학 관련 유사 학회,
연구소 학술지의 중복 난립의 문제 해결은 당면 과제이다. 이 문제 해결을 위해, 지난 8월
한국일어일문학회가 우선 일어일문학 관련 12개 학회에 송부한 e-메일 서신 제안한「학술지
연계 발간을 위한 협의회 구성을 제안하며」에 대한 각 관련 학회의 긍정적인 답신과 적극적인
참여가 절실한 시점이다.
4. 결론-한국의 일본연구의 현황과 방향
한일국교정상화 50주년을 맞이하는 올해, <日韓1965年体制を「鍛え直す」ために>를
목적으로 열린 이번 심포지엄의 의의는 매우 크다고 하겠다. 지난 50년간 한국의 일본 연구자는
비약적으로 증가하여 대략 1000 여명에 이르고, 20 여개 달하는 일본 관련 학회 및 연구소의
학술지에서 생산되는 일본연구는 매년 1000 여편에 이르고 있다. 이중에 70% 이상을 일본어학
(일본어교육 포함)과 일본문학 관련 논문이 차지하고 있다. 이번 발표에서는 한국의 일본연구의
개요를 살펴보고, 특히 일본근현대문학 연구에 대해 자세히 소개하였다.
2012년의 일본근현대문학 연구 조사를 통해 연구자와 연구논문이 격증했다는 점을
확인하였다. 11개 학회의 등재학술지와 7개 대학교 연구소의 등재학술지(등재후보 2개 포함) 총
18개 학술지를 조사한 결과, 지난 7년(2005~2011) 동안 일본근현대문학 연구자수는 2005년
조사 대비 320 여명에서 490 여명으로 170 여명(약 50%) 증가했으며, 논문도 580 여편(조사
방식에 따라 수치 다를 수 있음)에서 1,614 여편으로 약 1,000 여편 증가하였다. 7년간 매년
평균 230 여편씩(1인 평균 3.3편) 논문이 게재된 셈이다. 일본근현대문학 연구가 가장 활발한
학술지는『일어일문학연구』(한국일어일문학회)이고, 매년 1편 이상 논문을 집필한 69명이
한국의 일본근현대문학 연구를 지속적으로 추구하고 있다.
작가별 연구 논문 편수는 상위 10위 이내의 주요 작가 연구가 강세로, 아쿠타가와와 소오세키
92
연구 논문이 절대 다수이며, 오오에, 하루키 등 현대작가 연구 논문의 증가 추세가 현저하다. 연구
대상 일본인 작가수는 총 184명(논문 총 1,266편)으로 일본의 근현대 작가가 거의 다 망라되어
한국에서 연구되고 있다고 할 수 있다. 주제별로는‘사회’관련 주제가 가장 많고 이어서‘고뇌’
와‘남녀’
, 그리고‘종교’
,‘가족’순이다. 소재 방법면에서는‘표현’관련 논문이 가장 많다. 또한,
‘비교’
‘재일작가/일본어작품’
‘한국(인)상’관련 연구 등이 눈에 띠게 증가한 것은, 2005년에
예상했던 대로 이번 조사에서 확인하는 계기가 되었다.
일본근현대문학 관련 단행본 저술 출판은 7년간 총 129권(연 평균 18권)인데, 이중에서
연 구 서 는 54권 이 며, 소 개・ 감 상・ 입 문 서(27권)와 총 론・ 문 학 사(25권), 그 리 고 일 본 의
연구자 저서의 역서(23권) 등이다. 연구서 중에도 공저와 편저 등이 여럿 포함되어 있다.
재일작가작품론과 기독교문학론 등 주제별 단행본에는 다수의 공동 연구를 모은 편저・공저(14
권)가 많은 편이다. 카와바타와 아쿠타가와 등 17명의 작가 연구 단행본이 26권으로 증가한 것은
각 작가 전공 연구자의 활발한 저술과 박사학위 논문의 출판 등이 포함되어 있기 때문이다.
이와 같은 통계조사를 참고로 하여, 앞으로 한국의 일본근현대문학에 대한 연구 방향을
전망하고 연구 대상 작가와 주제, 소재, 방법 면에서 새로움을 추구하여, 국내의 일본연구의
수준을 심화 발전시키고 정립시켜나가야 하겠다.
현재의 상황 아래서, 연구자의 증가와 업적 평가에 따른 연구의 증가는 학회 연구 활동을
강화한다는 점에서는 긍정적인 측면이 있다. 그러나 단순히 실적에 연연하여 논문을 양산하는
현상은 재고되어야 한다. 이러한 자체 모순을 해결하기 위해 반성의 기운이 무르익어 연구자
모두가 합리적인 방향을 모색할 수 있어야 할 것이다.
일본연구 각 분야 중에서 일어일문학 관련 연구자와 논문의 과잉 문제를 지적하는 이들이
있는데, 그동안 일본연구의 저변 확대에 기여한 측면을 간과해서는 안 되며, 어느 시점에서 자연히
조절 기능이 작동되리라고 본다. 학문 연구가 오로지 지(知)의 탐구라는 자체 목적성이 있다고
한다면 그냥 좋아서 문학을 읽고 연구하는 것일 것이다. 이러한 긍정 위에 대내외의 환경 변화에
능동적으로 대처하고 적응해나가야 한다고 생각한다.
우리 일어일문학 일본학 연구 관련 학회가 서로 내실 있게 통합을 지향하며 우선 학술지의
연계발간 추진협의회를 구성하여 적극 실행에 옮겨야 한다고 본다. 또 한편으로 국내의 문학
역사 철학 등 인문학분야 26개 학회가 참여하여‘한국인문학총연합회(약칭,‘인문총(HAK)’
가 창립(2012년10월)된바, 출범을 앞두고 있다. 일본 관련 분야의 의견을 종합 개진하기위해
‘일어일문학 일본역사문화 사상 관련 학회 협의회’
가 구성되면 편리하리라고 본다. 이러한 국내
인문학 전체의 흐름에 발맞추어, 연구의 정량 평가의 굴레에서 벗어나 질적인 심화를 추구하는
학문 연구 동기의 자발성에 따라, 진정 스스로 만족스런 좋은 연구를 도출하고 국제적으로도
인정받는 연구를 생산하도록 하여야 할 것이다. 새로운 주제와 소재 발굴, 다양한 개별 창의・공동
연구 추진 등으로 향후의 실적이 기대되며, 타 학문분야와 교류 융합하는 학제적 연구와 한일,
동아시아 상호, 동서양 사이의 비교 연구의 활성화, 그리고 일본 등 외국의 연구자, 학회와 적극적
학술교류 국제협력을 지속적으로 진행시킬 필요가 있다.
한일 관계가 때로 정치 경제 사회면에서 일시적 부분적으로 침체기가 있을지라도 상호협력의
기반이 축적되어 있고 이웃나라와 교류하지 않을 수 없으므로 시간이 흐르면 자연히 회복될
것이다. 대내외적 환경이 변화하더라도 기본에 충실해야한다는 것은 어느 때나 상식이며,
아무리 한일 간의 현안에 따라 크고 작은 마찰이 있더라도 상호 간의 문학을 연구하지 않을 수
없을 것이다. 문학은 우리 삶의 표현이며 희로애락의 노래는 인간의 삶 그 자체이기도 하다.
러일전쟁 때조차 일본인들은 한쪽에서 러시아어를 배우고 투르게네프나 토스토에프스키 같은
러시아문학을 읽고 연구했다는 점을 상기할 필요가 있다. 여기서 우리가 하나 더 덧붙이고자
하는 것은 한국문학을 읽는 독자와 연구자가 일본에서도 더욱 증가하기를 기대한다는 점이다.
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 93
인문학의 중심인 언어 문학이 정치 경제 사회적 측면의 갈등을 완화시키는 효용성이 있으며,
궁극적으로 마음・정신의 이해를 지향한다는 것은 어느 시대나 참이며 강점이라고 하겠다.
최근 한일관계가 전과 달라, 일본어학습자가 감소 추세에 있고 취업에 영향이 나타나고
있으며, 일본어문학 관련 학과의 통폐합과 일본어 강좌수의 축소 등 일본어 일본문학 교육과
일본 관련 연구자들의 여건은 악화되고 있는 편이다. 이런 문제의 개선에는 물론 당사자들의 자구
노력도 필요하지만, 한일관계 개선에 양국 정부의 외교적 노력뿐 만아니라 정치가와 언론의 역할,
민간 일반의 호의적 관계 유지에 대한 관심과 구체적 노력이 뒷받침되어야 한다고 본다. 서로
이웃 나라로서 상호 협력과 발전이 필요하고도 중요하다는 인식의 공유가 선행되어 그 공유하는
가치에 대한 믿음을 갖고, 우호 증진을 위해 한일국교정상화50주년을 맞이하는 금년에는
획기적인 전기가 마련되기를 바라는 마음 더욱 간절하다. 양국 지도자와 일반의 마음가짐에
따라서는 그리 어려운 문제가 아니라고 판단된다. 미래지향적인 한일관계 개선이라는 말이 더
이상 수사에 그치는 일은 이제 종식시켜야 할 좋은 기회이다.
때로 주위 환경의 변화와 어려움에도 불구하고, 서로 가깝고 필요로 하는 이웃이기 때문에,
의식하고 상호 경쟁하면서도 한국과 일본의 상호 교류와 연구는 지속 발전되리라고 확신한다.
앞으로 한국의 일본연구는 질적인 심화와 더불어, 한일 비교 연구 등 일본의 학자에게 자극을
주고 일본의 동일 학문분야 발전에도 더욱 기여하게되리라고 본다. 이로써 연구자와 학술 교류가
활성화되고 심도 있는 한일 상호 이해가 확대되어 양국의 진정한 우호 관계가 이루어지길
기대한다.
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-외-
2015.3.14 現代韓国研究センターシンポジウム 95
国際シンポジウム
「日本の韓国研究、韓国の日本研究と
日韓国交正常化 50 周年:
日韓 1965 年体制を「鍛え直す」ために」
発行:2015 年 3 月 14 日
URL:http://ut-ccks.net
Mail:[email protected]