「恩返し」が台湾に留学する日本人対象の奨学金に

ウェブマガジン『留学交流』
』2016 年 3 月号
月 Vol.600
飲
飲水思源
源
‐元留学
学生の「恩返し」が台湾
湾に留学
学する日本人対象
象の奨学
学金に‐
Wheen You
u Drin
nk Wateer, Th
hink of
o Its Sourc
ce:
公益財団法人
公
人ロータリー
ー米山記念奨
奨学会学務・ 学友担当
武本
泰子
子
TAKEMO
OTO Yasuko
(Scholars
s and Alumnni Departme
ent, Rotary
y Yoneyama Memorial Foundation)
F
キ
キーワード:
台湾留学、奨
奨学金、ロー
ータリークラ
ラブ、海外留
留学
て日本に留学
学し奨学金を
を受けた元留
留学生たちが
が設立した奨
奨学金制度
1.かつて
「飲水思
思源」は台湾
湾の元米山奨
奨学生の合言
言葉です。元
元米山奨学生
生(以後「米
米山学友」と
と表記)とい
い
うのは日本
本留学時に「
「ロータリー
ー米山記念奨
奨学金」を受
受給した留学
学生のことで
です。彼らは
は台湾に帰国
し、台湾米
米山学友会と
という同窓会
会を組織して
ています。
「飲水思
思源」水を飲
飲めば、源を
を思う。今自
自分たちがあ
あるのは、日本留学の苦
苦しい時を物
物心両面から
支えてくれ
れた日本のロ
ロータリーの
のおかげ。そ
その思いが形
形になったのがこの奨学
学金「台湾米
米山学友会日
本人若手研
研究者奨学金
金」なのです
す。
「台湾米
米山学友会日
日本人若手研
研究者奨学金
金」は台湾の
の大学や大学
学院に正規に
に入学する日本人が対象
象
で、これか
から留学する
る方、すでに
に台湾に留学
学している方
方、いずれも申し込むこ とができます。
最大の特
特長は、奨学
学生ひとりひ
ひとりに米山
山学友がカウ
ウンセラー(
(相談役)と
としてつき、精神面のサ
サ
ポートをし
してくれるこ
ことです。台
台湾米山学友
友会の創立は
は 1983 年1月
月で、日本内
内外で 38 ある米山学友
あ
友
会のなかで
で最も古い歴
歴史を持ちま
ます。2002 年
年には台湾で
で社団法人1の許可を得ま
の
ました。社団
団法人の初
代理事長は
は徐重仁氏。台湾流通業
業界の父とし
して「国家傑
傑出経営者賞」最優秀賞
賞の受賞歴もある著名人
1
台湾米山 学友会の台湾での法人としての名 称は社団法人中華民国扶輪米山會で
です。
独
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です。台湾
湾の米山学友
友の数は 3,40
06 人(20155 年5月現在
在)で、中国
国、韓国に次
次ぐ多さです
す。最初の奨
奨
学生は 1960 年からの支
支援で、もう
う 55 年も前
前のことです
す。歴史があ
ある分、台湾
湾の米山学友
友はすでに台
湾で社会的
的に高い地位
位を確立した
た方が多くい
いるのも特徴
徴です。留学
学において、 企業の経営
営者や医師な
ど社会の第
第一線で活躍
躍する現地の
の実業人と知
知り合う機会
会を持つことは簡単では
はないでしょう。
この奨学
学金はそこが
が最大の魅力
力であり、普
普通の留学で
では出会えな
ない人々に出
出会え、味わ
わえない経験
験
が奨学生を
を待っていま
ます。これまでにこの奨 学金で支援した日本人留学生は 144 名。皆、米
米山学友たち
との出会い
いを通じて、多くのことを学んでい
います。この
の米山学友の中には帰国
国後ロータリークラブに
入会し、ロ
ロータリー会
会員になった
た方も多くい
います。
「この奨学金
第六期奨
奨学生の関口
口大樹さんは
は言います。
金でしか得ら
られなかった
た交流があり
ります。様々
な職業で、 台湾社会で
で活躍する方
方々のお話や
や体験を伺うことは、学
学校では学べ
べないことです。そして
同時にそう
うした方々に
に失礼のない
いように礼儀
儀や振る舞い
いを磨こうと努めること で、人間として成長で
きる気がし
します」と。米山学友たち
米
ちは彼を家族
族のように大
大切に見守り
り、台湾留学
学の成功を応
応援します。
米山学友
友たちにはロ
ロータリーの
の理想とする
る「奉仕の精
精神」が心に根付いてい
います。東日本大震災で
の多額の義
義捐金を始め
め、日本で受
受けた恩を返
返そうという思いが常に心にあるの
のです。
台湾米山学
学友会日本人
人若手研究者
者奨学金
応募資格
格:
① 日本国籍を持
持つ者
② 台
台湾の大学、大学院修士
士課程または
は博士課程に正規生として入学する 予定のある者。あるい
はす
すでに正規生
生として在学
学している者
者。
③ 355 歳未満
要項をご覧ください。)
(詳細
細は公益財団
団法人ロータ
タリー米山記
記念奨学会ホ
ホームページ掲載の募集要
hhttp://www.rotary-yon
neyama.or.jjp/taiwan-s
scholarshipp
奨学期間
間:
9月~
~翌年8月ま
までの 12 ヵ月
月
奨学金額
額:
月額 25,000 台湾ドル
補助費:
往復航空券(
(エコノミー
ークラス)と奨学金期間中の健康保
保険加入料の
海外往
※入学
学金、授業料
料、宿泊費は
は個人負担
実費合
合計(上限 50
0,000 台湾 ドル)
選考スケ
ケジュール:6月 30 日(申込書類必
必着:公益財
財団法人ロー
ータリー米山
山記念奨学会
会あて)
7月上旬書
書類審査、8 月初旬合否
否発表
選考方法
法:
台湾学
学友会の選考
考委員会にお
おいて、書類
類選考を行う。
採用実績
績:
合計 14 名
(2016 年は2名募
募集の予定です)
2009 年
年(第一期) 1名(国
国立政治大学
学大学院)
2010 年
年(第二期) 1名(国
国立台湾師範
範大学大学院
院)
2011 年
年(第三期) 2名(国
国立台湾大学
学、国立高雄
雄師範大学)
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2012 年
年(第四期) 2名(国
国立台北教育
育大学大学院
院、国立台湾
湾大学)
2013 年
年(第五期) 2名(共
共に国立台湾
湾藝術大学大
大学院)
2014 年
年(第六期) 2名(国
国立政治大学
学大学院、国
国立台湾師範
範大学大学院
院)
2015 年
年(第七期) 4名(国
国立政治大学
学、同大学大
大学院、東海
海大学、国立
立高雄第一科
科技大学)
タリー米山記
記念奨学会と
とは
2.ロータ
ロータリ
リー米山記念
念奨学会は日
日本の大学や
や大学院、専
専門学校など
どに留学する
る留学生に対
対し、ロータ
リークラブ
ブ会員からの
の寄付を原資
資にして奨学
学金を支給す
する団体です
す。1967 年に
に財団法人、2012
2
年に公
公
益財団法人
人の認可を得
得ています。
これまで
でに支援した
た留学生の数
数は 123 の国
国と地域から
ら 18,000 人を超えていま
ます。その起
起源は 19522
年まで遡り
り、その設立背
背景には第二
二次世界大戦
戦の終戦があ
ありました。
。戦後、東京
京ロータリー
ークラブで、
当時の会長
長古沢丈作氏
氏によって立案されたのが
が、日本に留
留学する留学
学生のための
の奨学事業、
「米山基金」
「
構想でした
た。
「米山」というのは、日本最初のロ
日
ロータリーク
クラブである
る東京ロータ
タリークラブ
ブを設立し、
「日本のロ
ロータリーク
クラブの父」と呼ばれる
る米山梅吉氏
氏の名前からとったもの
のです。
ロータリ
リー米山記念
念奨学事業の
の使命は、「将
将来、日本と世界とを結
結ぶ『懸け橋
橋』となって国際社会
で活躍し、 ロータリー
ー運動の良き
き理解者とな
なる人材を育
育成すること」です。二
二度と戦争の悲劇を繰り
返さないた
ために国際親
親善と世界平
平和に寄与し
したい。そのた
ために、海外
外から優秀な
な留学生を迎
迎え入れて、
平和日本を
を肌で感じて
てもらいたい
い。そんな当
当時のロータリー会員たちの強い願
願いがありました。
※米山梅吉氏
※
氏と東京ロー
ータリークラブについて
ては本記事の
の最後に記載
載
3.ロータ
タリークラブ
ブとは
ロータリ
リークラブと
とは、事業お
および専門職
職務に携わる
る人々
が世界的に
に結びあった
た世界初の奉
奉仕クラブ団
団体です。人
人道的
な奉仕を行
行い、あらゆ
ゆる職業にお
おいて高度の
の道徳的水準
準を守
ることを奨
奨励し、世界
界理解と平和
和を目指して
て尽力してい
います。1905 年、アメリ カのシカゴ
ゴで最初のク
ラブが誕生
生し、会合を
を会員の事務
務所で「輪番
番制」で開い
いたことからロータリー
ークラブと名付けられま
した。現在
在、200 以上の国と地域に 35,000 を
を超えるクラ
ラブがあり、120 万人以
以上の会員が
がいます。松
松
下幸之助や
やジョン・F
F・ケネディ、マーガレ
レット・サッ
ッチャーもロータリアン
ン2でした。
奉仕をす
するロータリ
リアン個人の
の集まりがロ
ロータリーク
クラブとなり
り、世界各地
地のロータリークラブの
の
連合組織が
が国際ロータ
タリーです。国際ロータ リーには「ロータリー財
財団」という
う基金が設立
立され、
「国
際親善奨学
学金」やポリオの撲滅な
などの様々な
なプログラム
ムが実践され
れています。
2
ロータリ ー会員のことをロータリアンと呼 びます。
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4.台湾米
米山学友会
飲水思源
源の言葉に従
従って、ルー
ーツを掘り下
下げて行きま
ましたが、ここで奨学金
金に話しを戻
戻します。こ
の奨学金の
の発案者であ
ある許國文氏
氏3はその提案
案について次
次のように話
話しています
す。
「台湾に
にも米山記念
念奨学会と同
同じように、『中華扶輪
輪教育基金会』がありま す。台湾のロータリア
ンの寄付に
による国内大
大学の修士課
課程、博士課
課程の学生の
のための奨学
学金ですが、 その対象は
は台湾籍の学
学
生に限定さ
されています
す。そして、私は元米山
山奨学生が、仕事におい
いてある程度
度成功した後
後、ロータリ
アンであろ
ろうがなかろ
ろうが、米山
山記念奨学金
金に感謝の心
心を持たなけ
ければならな
ないと思っています。そ
の思いから
ら、恩返しの
の気持ちを込
込めて、米山
山記念奨学金
金に倣い、外
外国人を台湾
湾留学に招き、台湾の文
文
化・風俗・ 歴史などを
を理解しても
もらい、国際
際交流と世界
界平和を促進
進したいと考
考えました。もちろん、
まずは日本
本から留学生
生を招こうと思いました
た。」
こうして
て日本人を対
対象とした奨
奨学金制度の
の原案が台湾
湾学友会総会
会4で発表さ れると、学
学友皆が賛成
成
し、2009 年
年9月、第一
一期奨学生1
1名の採用と
となりました
た。
当時の理
理事長(学友
友会会長)、阮允恭さん5 は言います
す。「企業に大
大きな寄付を
を頼めば基金
金は増える
が、それで
では私たちの
の気持ちが飛
飛んでしまう 。ひとりひ
ひとりが恩返
返しの気持ち で寄付を出し合い、実
現すること
とに意味があ
ある。徐々に
にその気持ち
ちを広げて、台湾全土に米山の花を
を咲かせたい
い。」
2015 年 12 月 19 日開催
日
台湾
湾学友会総会
会にて @台北
北
3
許國文氏(キョコクブン)中華民
民国扶輪米山
山會第五代理
理事長、財団
団法人羅許基
基金会羅東博
博愛病院 理
事長、羅東
東西ロータリークラブ設
設立メンバー
ー、05-06 年度
度国際ロータリー第 34490 地区ガバ
バナー
4
年に一度、台湾米山学
学友の集まる
る総会(同窓
窓会)が台北
北で開催され
れ、日本や中
中国からも参
参加します。
5
阮允恭氏 (ゲンインキョウ)中華民国扶輪 米山會第四代理事長、瑞鋼貿易(股
股)公司 総経理
総
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5.奨学生に
になって
この「台
台湾米山学友
友会日本人若
若手研究者奨
奨学生」にな
なると、台湾
湾学友会の理
理事会に出席
席し、そこで
で
奨学金が渡
渡されます。合格後初め
めて台湾学友
友会の役員に
に会う日本人
人奨学生は緊
緊張します。その緊張を
ほぐしてく れるのが、米山学友た
たちの笑顔と
と日本語です
す。そして、大きな名前
前入りの旗で大歓迎され
れ
ます。日本
本留学を経験
験し、台湾国
国内で
活躍する米
米山学友たち
ちは、日本人
人留学
生の気持ち
ちが分かりま
ます。人脈も
も豊富
で、研究のア
アドバイスも
もしてくれま
ます。
第四期奨
奨学生 名嘉百子さんは、親
子のように
に接してくれ
れる台湾の米
米山学
友との出会
会いについて
て次のように
に話し
ています。
「一人の
の人と出逢え
えば、また一
一人、
二人、三人
人と、石を投
投げた水面が
が波打つよう に、人との
の繋がりが広
広がります。 皆さんは親
親心のような
温かい気持
持ちで見守っ
ってくれます
す。また、社会
会人としての
のマナーや日台双方の常
常識も教えてくれます。
年を重ねる
るにつれ、親
親心をもって
て諭し導いて
て、チャンス
スを与えてくれる人の数
数は年々少なくなってい
きます。だ
だからこそ、台湾米山学
学友会を通じ
じて知り合うことができた方々は私
私にとってか
かけがえのな
い存在で、 そのお一人
人お一人との
の繋がりを大
大切にいきた
たいと思うのです。そし
して、いつか
か私のような
境遇の方が
がいれば、今
今度は私がそ
その縁を繋げ
げられるよう米山学友会
会での活動を
を是非ともお
お伝えしたい
と思います
す。」
彼女
女はこの言葉
葉通り、台湾
湾留学を目
指す後
後輩にこの奨
奨学金のこと
とを伝え、
その後
後輩はこの奨
奨学金に申込
込み、見事
合格、第七期奨学
学生となりま
ました。第
七期奨
奨学生のうち
ちのひとりの
の指導教官
は偶然
然にも台湾の
の米山学友で
です。ロー
タリー
ー米山記念奨
奨学事業から
ら生まれた
縁は次
次の縁につな
ながり、民間
間交流から
始まる
る国際親善に
に貢献してい
います。
台湾美化
化活動にも参加
加
もうひと
とり、第六期
期奨学生、三
三浦崇志さん
んからのメッ
ッセージ「こ
これから奨学
学生となるみ
みなさんへ」
をご紹介し
します。
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台湾米山
山奨学生とし
して選んでい
いただけた事
事は本当に幸
幸運でした。金銭面だけ
けではなく精
精神面におい
い
ても米山学
学友会の皆様
様や他の奨学
学生の方々に
に支えていた
ただき、十分
分な余裕をも って台湾での生活を送
送
ることがで
できているか
からです。台
台湾へ来る前
前、物価の違
違いから生活
活面において
て金銭面であ
あまり苦労し
ないと耳に
にしたことが
がありました
たが、それは
は少し違いま
ます。学生生
生活以外にも 大学院生は
は研究に必要
要
な費用、更
更に学外の活
活動に参加す
する義務があ
あります。そ
そのために台
台湾人学生は
は普段アルバ
バイトをして
大学院生活
活を営んでい
います。しか
かし我々日本
本人学生はア
アルバイトに割く時間は
はありません
ん。なぜなら
毎日勉強し
していてもテ
テスト前にな
なると時間が
が足りないと感じるほど
ど授業につい
いていくことが困難だか
らです。金
金銭面での援
援助があるということは
は台湾での生
生活が長くなるほどあり がたい事なのです。
奨学生と
として経験で
できることす
すべてが将来
来にとって大
大きな影響を
を持つことは
は間違いあり
りません。私
の場合、こ
この一年を通
通じてロータリークラブ
ブの活動に参
参加し多くの経営者の方
方々とお話しをする機会
を得てきま
ました。それ
れは、台湾社
社会で成功す
するためのよ
より実践的な知恵を学べ
べただけでなく、研究や
や
卒業後の計
計画をより具
具体的に設計
計できる大き
きなきっかけ
けとなってい
います。
第五
五期、六期奨
奨学生と第六
六代理事長家
家族とともに
に
6.支援の
の広がり
開始当初
初は年1名の
の採用でした
たが、第三期
期は2名とな
なり、第七期
期は4名の採
採用となりま
ました。
台湾の米
米山学友が「恩返し」を
を形にしたこ
この奨学金へ
への賛同の輪
輪は、台湾米
米山学友だけ
けでなく、日
本のロータ
タリアンや、その家族に
にも広がって
ています。
また、第
第七期(2015 年度)採用
用数の増加に
にはひとりの
の台湾人ロー
ータリアンの
の寄付が大き
きく影響し
ています。そのロータリアンは、
「日台間の親
親睦関係を一
一層深めるた
ためには、両
両国の新世代
代にお互いの
の
文化を理解
解させること
とが重要であ
ある」と言っ
っています。ロータリー
ーには新世代
代育成のプログラムがい
くつかあり
りますが、ロ
ロータリー米
米山記念奨学
学事業は日本
本のロータリー独自の事
事業です。
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米山学友
友ひとりひと
とりが、日本
本と世界とを
を結ぶ『懸け
け橋』となっ
って国際社会
会で活躍し、ロータリー
ー
運動の良き
き理解者とな
なるよう努力
力しています
す。また、海
海外にある6つの学友会
会(台湾、韓
韓国、中国、
タイ、ネパ
パール、モン
ンゴル)のうち、台湾と
と韓国を除く4つでそれ
れぞれの母国
国の学生を対
対象にした学
学
友による奨
奨学金支給実
実績がありま
ます。また、 台湾と韓国
国にもロータリーの奨学
学金制度があ
あり、多くの
学友がロー
ータリアンと
となってそれ
れを支えてい
います。
米山学友
友たちの「恩
恩返し」は日
日本のロータ
タリアンへだ
だけでなく、母国・地域
域の発展や次
次世代の人材
材
育成へ「恩
恩送り」とし
して実践され
れているので
です。
米山梅吉氏
氏と東京ロー
ータリークラ
ラブ
米山梅吉
吉氏(1868-
-1946)は、幼少にして
て父と死別し
し、母の手一
一つで育てら
られました。16 歳の時、
静岡県長泉
泉町から上京
京し、働きな
ながら勉学に
に励みました。20 歳で米
米国へ渡り、8年間の苦
苦学の留学生
生
活を送りま
ました。
帰国後、 文筆家を志
志して勝海舟
舟に師事しま
ますが、友人
人の薦めで
三井銀行に
に入社し常務
務取締役とな
なり、その後
後、三井信託
託株式会社
を創立し取
取締役社長に
に就任しまし
した。信託業
業法が制定さ
されると逸
早く信託会
会社を設立し
して、新分野
野を開拓し、 その目的を
を“社会へ
の貢献”とす
するなど、今日でいうフィランソロピ
ピー(Philan
nthropy)
の基盤を作
作りました。
晩年は財
財団法人三井
井報恩会の理
理事長となり 、ハンセン病
病・結核・
癌研究の助
助成など多くの社会事業
業・医療事業
業に奉仕しま
ました。ま
た、子ども
もの教育のた
ために、はる
る夫人と共に
に私財を投じ
じて小学校
(現在の青
青山学院初等
等部)を創立しました。
“
“何事も人々
々からして
ほしいと望
望むことは人
人々にもその
の通りせよ” これは米山
山梅吉氏の願
願いでもあり 、ご自身の生涯そのも
のでした。
“他人への思
思いやりと助
助け合い”の
の精神を身も
もって行いつ
つつ、そのこ
ことについて
て多くを語ら
なかった陰
陰徳の人でし
した。
三井銀行
行の重役だっ
った 1918 年、
、「財政調査
査団」メンバ
バーとして渡
渡米。テキサ
サス州ダラスでロータリ
ー運動に感
感銘し、ロー
ータリー精神
神と組織の研
研究に努めま
ましたが、当時の日本は
は、第一次大
大戦に連合国
側として参
参戦。ロータ
タリー精神が
が受け入れら
られる環境で
ではありませ
せんでした。 それでも米
米山氏の情熱
熱
によって 1920 年、日本
本で最初のロ
ロータリーク
クラブとなる
る東京ロータ
タリークラブ
ブが誕生しま
ます。関東大
大
震災では世
世界のロータリークラブか
から寄せられ
れた義捐金で
での大掛かり
りな社会奉仕
仕活動も実行
行しますが、
第二次世界
界大戦が勃発
発し、戦火が
が激しくなる
ると、アメリカ発祥のロータリーク ラブは日本
本国内で様々
独
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な誤解と批
批判を受けま
ます。1940 年9月
年
11 日
日「奉仕の理
理想の堅持」を胸に、東
東京ロータリークラブは
は
国際ロータ
タリーを脱退
退、解散しま
ます。
東京ロー
ータリークラ
ラブのメンバ
バーたちは解
解散後も会合
合を続け、戦
戦時中も傷病
病兵や留守家
家族の慰問、
孤児の救済
済といった奉
奉仕活動をし
していました
た。
1945 年8
8月 15 日、戦争が終結
結。国際ロー
ータリーへの
の復帰運動が
が始まります
す。復帰が認
認められたの
は 1949 年の
のことでした
たが、悲願で
であったその
の復帰を見る
ることなく、1946 年、米
米山梅吉氏は
は没します。
独
独立行政法人日本
本学生支援機構
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