靖国神社と御霊信仰の本質について

靖国神社と御霊信仰の本質について
考えてみれば、日本は実に妙な国である。歴史的にあれほど中国の伝来文化のお世話にな
りながら日本の文化を形成してきたにもかかわらず、現在、中国との関係が非常にいびつ
なまま良好な関係を構築できないでいる。さらに、靖国問題という戦前の問題を引きずっ
ていて、今なお解決できないままだ。靖国問題は基本的に国内問題であり、中国からいろ
いろ言われようと言われまいとそれとは関係なく解決しなければならない問題であるが、
靖国問題が中国との関係を悪化させる原因のひとつになっていることも事実である。靖国
問題は基本的に国内問題であるが、中国との友好親善のためにも解決しなければならない
日本の重要問題である。
私は今までに御霊信仰の歴史的考察を行っているが、御霊信仰の本質については、突っ込
みが足らなかったようだ。そこで、今回、御霊信仰の本質についてもっと明確な説明をし
たいと思う。
臼田乃里子の「供犠と権力」(2006年12月、白地社)という素晴らしい本がある。
「供犠」に付いてこれほど突っ込んだ考察をした論考を私は知らない。彼女は、 日本に
も「いけにえ」(供犠)の文化があったということ、怨霊は「供犠」であるということ、
そして御霊(ごりょう)という「神」は怨霊が変身したものであるということを、主張し
ているのである。谷川健一もその著「魔の系譜」の中で怨霊について縷々述べているけれ
ど、臼田乃里子の方がより深い考察を加えている。そこで、私は、怨霊について、臼田乃
里子の「供犠と権力」から、今まで私の書いてこなかった知見を皆さんにご紹介して、私
がかって書いた電子書籍「祈りの科学シリーズ(3)」「怨霊と祈り」の補足資料とする
こととした。しかし、その論文「怨霊と御霊信仰」は電子書籍「祈りの科学シリーズ
(3)」「怨霊と祈り」の補足資料とすることを目的としていたために、靖国神社に関す
ることはあえて触れなかった。そこで、今回は、靖国神社に焦点を当てて、臼田乃里子の
認識をもとに 御霊信仰の本質を説明したい。
臼田乃里子(うすだのりこ)の「供犠と権力」(2006年12月、白地社)の第9章
が「靖国神社」であり、御霊信仰の本質についていろいろと深い考察が行なわれている。
臼田乃里子は、「供犠と権力」(2006年12月、白地社)第9章「靖国神社」の中
で、 ジャン・リュック・ナンシーが「固有の歴史は永遠に有効であり、いかなる時にも
再建と再発見を保証するために、再び歴史を呼び戻すことができるのである。」と言って
いることを紹介した上で、次のように言っている。すなわち、
『 戦死者を神として祀る靖国神社の祭祀形態は、非業の死をとげた者の強い霊は鎮魂祭
儀によって国益に転換される御霊信仰の歴史を受け継いだものである。そして、その歴史
は「それと気付くことなく、その固有の意味から撤退することを許さない」ものとして存
在している。靖国の神々とは国家が強要した「生贄」であるにも拘らず、献身、受難、英
霊といった言葉が与えられ、招魂の儀礼を通して国家権力が欲する「狩猟者」へと転換さ
れてゆくからだ。』・・・と。
日本には怨霊信仰という固有の歴史がある。靖国神社は御霊信仰の歴史を受け継いだもの
であるが、それが故に、臼田乃里子の言うとおり、 その歴史は「それと気付くことな
く、その固有の意味から撤退することを許さない」ものとして存在している。臼田乃里子
のいう「その固有の意味」とは、非業の死をとげた者の強い霊は鎮魂祭儀によって国家権
力の欲するものに転換されるということであり、靖国神社が存在する限り、それは避けら
れないと彼女は言っているのである。また、彼女は、靖国神社に祀られている人たちにつ
いて、「英霊といった言葉が与えられ、招魂の儀礼を通して国家権力が欲する「狩猟者」
へと転換されてゆく」と言っているが、彼女の言う「狩猟者」とは、戦う人つまり軍人の
ことであろう。すなわち、臼田乃里子は、靖国神社は戦前の軍国主義の戻るための施設と
いう側面を持っていると言っているのである。その象徴が遊就館である。靖国神社の関係
者が意識するとか意識しないとかに関係なく、靖国神社は、本質的に、そういう軍国主義
回帰の側面を持っているのである。
靖国神社の本質については、 臼田乃里子も、「供犠と権力」(2006年12月、白地
社)の中で、御霊信仰が国家権力に回収される歴史について、次のようにも言っている。
すなわち、
『 政治が欲する御霊信仰の本質は善悪論ではなく、「力」による。これは供儀なの
だ。』
『 藤原氏全般の絶頂であった道長の時代に、北野天満宮の信仰は国家的になっていく。
すなわち、藤原氏に反対した菅原道真の霊の輝きが藤原氏の盛運と平行して増していった
という事実は、深く考えてみるべきところであり、そこに怨霊の持つ大きな歴史的意味が
あったと思われる。そうなのだ。御霊信仰は確かに反国家的な様相を見せていた。しか
し、それが持つ供儀的な正確ゆえに、国家権力に回収される歴史から逃れることができな
かったのである。』
『 国家権力の犠牲になった若者たちの霊は、祀られることによって国家が為すべき懺悔
を覆い隠し、権力に回収され、次の生贄を創出するメカニズムの担い手にならざるを得な
い。非常に悲しむべきことではあるが、私たちがどれほど祈ろうと、靖国神社が御霊信仰
の本質を捨てない限り、祭神たちは主体の死骸を抱いた他者にすぎない。この転倒された
現実は靖国護持論者たちによってあまりにも普通の言葉で語られてきている。』・・・
と。
臼田乃里子が「 私たちがどれほど祈ろうと、 それが持つ供儀的な正確ゆえに、国家権力
に回収される歴史から逃れることができなかったのである。」と言っているのは、「国家
権力は、万民の幸せのためではなく、国家権力のために生贄をささげるのだ」という意味
である。また、「 靖国神社が御霊信仰の本質を捨てない限り、祭神たちは主体の死骸を
抱いた他者にすぎない。 」と言っているのは、御霊信仰の国家権力的な本質に焦点を当
てて述べているのであり、その場合の祭神は霊的な存在ではないと言っているのである。
しかし、御霊信仰の本来そういうものではない。そもそも御霊信仰の始まりは古く、その
当初の段階では万民の幸せと結びついて御霊信仰があった。民衆に災害をもたらす原因の
ことごとくを祓除することができると考える、そうした霊的存在が怨霊である。御霊信仰
の代表的な神事が「御霊会」であり、疫病の広まりを抑えるために行なわれた。神泉苑で
営まれた祭典に始まり各地の神社に普及しいくのである。その後、御霊信仰は、国家権力
に利用され、変質していく。その変質した御霊信仰が靖国神社に受け継がれ、現在に至っ
ている。御霊信仰の歴史はそういう歴史であるが、「御霊会」の歴史があるということを
決して忘れてはいけない。
そのことに関連していえば、 臼田乃里子は、「供犠と権力」(2006年12月、白地
社)の中で、靖国神社が本来天皇を神とする宗教であったという東京大学教授・高橋哲哉
の考えについて、 次のように言っている。すなわち、
『 高橋哲哉はこの折口の言葉(折口信夫が靖国神社の招魂祭に出席した時の感想)を引
用し、靖国神社が、追悼や哀悼のための施設ではなく、顕彰の施設であったこと、そして
当時の靖国神社は、日本人の生と死そのものの意味を吸収しつくす機能を持っていたので
はなかったかと、問いかけている。生と死に意味づけをするものが、宗教というものであ
るならば、靖国神社はまさしくこの意味での「宗教」であり、本質的には天皇を神とする
宗教であったのだと。この宗教の本質には戦死者が「顕彰誰、遺族がそれを喜ぶことに
よって、多くの国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望するメカニズムが存在
しているのだと。そして高橋はこれを「感情の錬金術」と呼んだ。』・・・と。
高橋哲哉が言うように、本来、靖国神社は天皇を神とした時代の施設であって、多くの国
民が自ら進んで国家のために命を捧げようと思うようになるための施設であった。した
がって、戦後の天皇「人間宣言」の際に、マッカーサーは靖国神社の破壊命令を出すべき
であったのかもしれない。しかし、それを今更悔やんでもしかたがない。靖国神社は、臼
田乃里子が言うように、歴史的な御霊信仰を受け継いでいあるので軍国主義回帰の側面を
持ってはいるが、御霊信仰の本質はそれだけではない。民衆の幸せ祈るという「御霊会」
の伝統をも受け継いでいるのである。
どうも宇宙の原理というものは両義性を持ったものの生成と統合にあるらしい。私はそん
な予感を持ち、自然の原理と社会の原理を考えながら、「御霊信仰哲学に向けて」という
この哲学をいずれ書たいと思っているが、社会の原理も両義性を持った出来事の「習合」
にあるようだ。
靖国問題に関わる「御霊信仰」の問題については、御霊信仰の歴史的考察をした上で、宗
教哲学の赴(おもむ)きを見届けないといけないし、その中で、梅原猛の人類哲学ならび
に日蓮の立正安国論と関係して法華経をどう理解するかという問題も出てくるが、さらに
は、祈りと呪力に関する科学的な説明をどうするかという難問に突き当たらざるをえな
い。これら一連の問題を考える場合に大事なのは、どうやら宇宙の原理に対する基本的な
認識であるらしい。御霊信仰の歴史的考察を行う場合にも、社会の原理に対する基本的な
認識をどう持つかが基本的に大事であって、両義性を持った出来事の・・・「習合」とい
う社会的現象の認識の仕方が重要であるらしい。靖国神社は、軍国主義回帰の側面と「御
霊会」の側面という、両義性を持った存在である。天皇「人間宣言」によって、天皇の
「権威」というものが根本的に変わった現在、靖国神社も、天皇を神とする宗教施設とい
うのではなく万民の幸せを祈る宗教施設に変わるべきである。
国家の安泰を祈願すれば良いのである。私はそう考える。靖国神社は、英霊などという言
葉を使いながらかっての軍国主義を賛美するような人たちが境内を闊歩するような宗教施
設であってなならない。遊就館も不要だ。
義江彰夫の御霊信仰の本質に関する歴史的考察は、『怨霊信仰に触発されながら台頭して
きた王朝国家は、そのエネルギーを全面に放出させ、存分に跳梁させた上で、その成果を
すべて吸収して換骨奪胎し、それを通して自らの統治体制を完成の域にもっていったので
ある。』・・・というのがその骨子である。義江彰夫が言うように、王朝国家は怨霊信仰
に触発されながら台頭してきたのである。そういうことがなければ天皇の権威というもの
も完成しなかったと思う。
だとすれば、御霊信仰と天皇の権威というものは密接不可分に繋がっている。私は今まで
佐伯啓思の著書「正義の偽装」に基づいてわが国における民主主義のあり方や政治のあり
方を論じてきたが、天皇の権威に裏打ちされた日本の政治こそ世界に誇るべき統治形態で
ある。そのような日本のあるべき統治形態の大前提である天皇の権威というものが、御霊
信仰と深く結びついて成長してきたとすれば、これからの日本のあるべき姿を考える上で
御霊信仰に対する深い認識がなければならないことは当然であろう。
また彼は、換骨奪胎という言葉を使っているが、要するに、天皇を中心とする朝廷は、祇
園御霊会などの民間のエネルギーをすべて吸収し、「御霊会」というものを文化としての
カーニバル的祭りが行われるように仕向けてきたのである。
靖国神社は御霊信仰にもとづいて建立されたものであるが、これからの靖国神社のあり方
を考えた時、御霊信仰に関して歴史的に培われてきた日本国家としての知恵が生かされな
ければならない。「天皇の権威の文化化」を図らなければならない。それが怨霊信仰の歴
史が教えるもっとも重要な点である。