参加者の皆様へ 1、主催者は、歩行中の事故について傷害保険に加入している他 は応急措置以外の責任は負いません 2、途中、気分が悪くなった場合は早めに役員へお知らせ下さい。 3、時間のつごうでコースを変更することもあります。 1日目 塩田平(しおだだいら)は、長野県東信地方の上田盆地の信濃川左 岸にある河岸段丘である。ため池群 塩田平には年間降水量 900 ㎜ 塩田平 と全国有数の雨の少ない地域であり、耕作地は産川や浦野川の河岸 段丘の上にあるため江戸時代より塩田平 3 万石と言われる 900ha の 生島足島神社 (WC・スタート) 9:50~10:10 水田に大小合わせて 100 ヶ所のため池を作り、 灌漑に使用してきた。 2010 年(平成 22 年)3 月 25 日に「塩田平のため池群」として農林 水産省のため池百選に選定された。 」 ① 別所温泉駐車場 ゴール (バス乗車場所) 13:50~15:30 1.生島足島神社→中禅寺 2.中禅寺→別所温泉駐車場 4.5km 4.1km 伝説では景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたと言 常楽寺 (見学) われ、「日本最古の温泉」 ・「信州最古の温泉」の一つに挙げられて いる。『日本書紀』には天武天皇が「束間温湯」に行幸し入湯しよ ③ 池の土手 を歩く うとした際、皇族の三野王(美努王)に信濃の地形図を献上させ、 安楽寺 軽部朝臣足瀬らに命じて行宮の造営を計画したとの記事があるが、 (見学) この「束間温湯」が現在の別所温泉であるという説があり、北向観 北向観音 音山門前に「束間温湯」に関する解説板が立てられている( 「束間 ② 満願寺 温湯」については「束間」が「筑摩」に音通することから松本市の 塩田の館 昼食 バス待機 11:40~12:30 美ヶ原温泉か浅間温泉を指すものとする見解が通説となっている が、開湯時期がそれぞれ奈良時代、平安時代後期と見られるため、 3、別所温泉 天武天皇の時代には存在していなかった可能性がある。また神話に 山王山公園(WC) (バス待機) 11:10~20 駐車場→駐車場 開湯の由来がある扉温泉のことと考える説もある) 。平安時代に清 2.4km 少納言が随筆『枕草子』 前山寺 (能因本)において「湯は七久里、有馬の湯(兵庫県)、玉造の湯(島 あじさい小道 根県)」 (三名泉)と賞賛している「七久里(ななくり)温泉」が、 この別所温泉のことを指すという説がある。 平安時代末期には木曾義仲が入湯したとの伝説がある。鎌倉時代に は周辺の塩田平を本拠とした塩田北条氏建立による国宝八角三重 塔を有する安楽寺や北向観音が創建された。また信濃御湯として、 緊急時 石川 忠 名取御湯、三函御湯または犬養御湯とともに三御湯に数えられた。 勝又健治 090-7854-5431 080-2619-5762 順徳天皇の著作『八雲御抄』には「七久里の湯は信濃の御湯と同じ」 1 日目スケジュール という記述もみえ、これについては別所温泉のことを示していると 富士宮=双葉SA =岡谷IC =新和田トンネル =マルメロの駅 =平井寺トンネル =生島足島神社 する説が一般的である。戦国時代には上田城主・真田氏とその家臣 6:00 7:20~40 8:30 9:15~9:30 9:50~10:10 団が入湯していたという記録がある。江戸時代には上田藩主と家臣 ウォーク 生島足島神社 ~ 山王山公園 ~ 前山寺 ~ 塩田の館(昼食) ~ 満願寺 ~ 団が入湯。藩主の休息・湯治用施設であった通称「温泉屋敷」と庭 10:10 11:10~20 11:40~12:30 園などが「大湯」脇に一部現存しており、調査が行われている(現 在、温泉屋敷跡地は同地に開業した旅館の所有となっており、非公 別所温泉駐車場 ~ 別所温泉寺院見学 = ホテル圓山荘 13:50 14:00 ~15:30 16:10 開)。また「御湯坪」として記録されている藩主・家臣用浴室は現 在の「大湯」である。近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が 2日目「あぐりの湯」での昼食注文です 小諸特産の「白土ばれいしょ」のコロッケが人気です 1,かきあげそば 2,かきあげうどん 3,ざるそば 4,ざるうどん 5,コロッケ定食 6,さばの味噌煮定食 7,生姜焼き定食 温 冷 コロッケ1個付き コロッケ1個付き コロッケ1個付き 別所温泉は伝説では景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたと言われ、「日本最古の温泉」・「信州最古の温泉」 の一つに挙げられている。『日本書紀』には天武天皇が「束間温湯」に行幸し入湯しようとした際、皇族の三野王(美努王) に信濃の地形図を献上させ、軽部朝臣足瀬らに命じて行宮の造営を計画したとの記事があるが、この「束間温湯」が現在の 別所温泉であるという説があり、北向観音山門前に「束間温湯」に関する解説板が立てられている平安時代に清少納言が随 筆『枕草子』(能因本)において「湯は七久里、有馬の湯(兵庫県)、玉造の湯(島根県)」(三名泉)と賞賛している「七久 里(ななくり)温泉」が、この別所温泉のことを指すという説がある。 平安時代末期には木曾義仲が入湯したとの伝説がある。鎌倉時代には周辺の塩田平を本拠とした塩田北条氏建立による国宝 八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建された。戦国時代には上田城主・真田氏とその家臣団が入湯していたという記 録がある。江戸時代には上田藩主と家臣団が入湯。藩主の休息・湯治用施設であった通称「温泉屋敷」と庭園などが「大湯」 脇に一部現存しており、調査が行われている。近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様 子を鎌倉になぞらえ、「信州の鎌倉」と例えるようになった。
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