現実の問題の扱い方と配慮についてのメモです(PDF : 26 KB)

現実の問題・論争問題を取り上げる時の資料の扱い方と指導の配慮
8/19/15 杉浦正和
1.文部省の従来の主張
まず、有名な 69 通達で文部省がどのような見解をとっていたかを確認しよう。
「高等学校における政治的教養と政治的活動について」文部省初等中等教育局長通達 1969.10.31
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19691031001/t19691031001.html
(注:引用文の下線は全て引用者による。)
第一に、高校生を主権者として扱うことなく、政治的意思決定をさせようとしていない。
「政治的教養
の教育は、生徒が、一般に成人とは異なつて、選挙権などの参政権を制限されており、また、将来、国
家・社会の有為な形成者になるための教育を受けつつある立場にあることを前提として行なうこと。
」
教育基本法の精神を空虚に言葉だけで繰り返している。
「政治的事象を客観的に理解していくうえに必
要な基礎的な知識、たとえば民主主義の理念、日本国憲法の根本精神、民主政治の本質等について正確
な理解を得させるとともに将来公民として正しく権利を行使し、義務を遂行するために必要な能力や態
度を養うこと。
」公民としての現実の能力をその後ほとんど育てようとしてこなかった。
第二に、現実の問題に関して、
「現実の具体的な政治的事象の取り扱いについての留意事項」と項を立
てて論じている。
中立への配慮。
「(1) 現実の具体的な政治的事象は、内容が複雑であり、評価の定まつていないものも
多く、現実の利害の関連等もあつて国民の中に種々の見解があるので、指導にあたつては、客観的かつ
公正な指導資料に基づくとともに、教師の個人的な主義主張を避けて公正な態度で指導するよう留意す
ること。
」これは当然の指摘である。
次に、意思決定をさせるなという本音が出てくる。
「(2) …一つの見解が絶対的に正しく、他のものは
誤りであると断定することは困難であるばかりでなく、…国民…が種々の政策の中から自ら適当と思う
ものを選択するところに政治の原理があるので、学校における政治的事象の指導においては、一つの結
論をだすよりも結論に至るまでの過程の理解がたいせつであることを生徒に納得させること。
」当時の実
情から「納得」させろとまで丁寧に書き込んである。一体過程の理解とは何だろうか。
実はこれで終わりである。唖然とするくらいに何も考えていないことが分かる。主権者教育などやる
気がなかったのだから、この項でこの後に書かれているのは(3)「校長を中心に学校としての指導方針を
確立すること」と(4)「教師は、…特定の政治的立場に立つて生徒に接すること」の禁止、5)「教師は、
…教師としては中立かつ公正な立場で生徒を指導すること」という中立性のことの繰り返しだけである。
この通達は、生徒の政治活動の禁止が目的なので、主権者教育で現実の問題を取り扱う点での留意事
項に、これ以上の内容がない。最大の問題は、
「客観的かつ公正な指導資料」が何かが具体的に明らかに
されていないことである。ネット検索で文科省の文書に詳しい説明がないかを探してみたが、学習指導
要領などでもこの語句を繰り返す以上の説明が見つからないのである。
(これが日本に特有の現象である
ことに留意したい。語句の理解に多様性がないと盲信しているようだ。)
2.政治的中立のあり方
これも授業の具体的なあり方では詳しく論じられていないが、法律的に以下がポイントとなる。
教育基本法第 14 条第 2 項に「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための
政治教育その他政治的活動をしてはならない。」
特定の政党が有利になるような情報提供を学校が行なってはならない、という理解に反対する人は誰
もいないだろう。問題はそのレベルであるが、1953 年の教育二法施行にあたって、「教育公務員特例法
の一部を改正する法律及び義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法の施行
について」
(文部事務次官通達 1954.6.9、文初地第 325 号)の中で、
(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19540609001/t19540609001.html)
「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法について」の説明として以下
のように述べる。
(法律では「教唆、せん動」とあるのでその説明となっている。)
「特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育」を行うことを教唆、せん動すること。この教
育には児童・生徒を特定の政党等を支持し又はこれに反対する行動に駆り立てるような教育が含まれるこ
とはもちろんであるが、その程度にまで至らないでも、児童・生徒の意識を特定の政党等の支持又は反対
に固まらせるような教育は、これに該当する。単に、特定の政党を支持、反対させる結果をもたらす可能
性があるとか、それに役立つとかいう程度では該当しないが、必ずしも政党等の名称を明示して行う教育
には限らず、暗黙のうちに児童・生徒に特定の政党等を推知させるという方法をとる場合にも、該当する
場合がある。なお、特定の政治的な立場に偏し、教育基本法第八条第二項の趣旨に反する教育は、本法に
規定する党派的教育に限られるものでないことは特に留意せらるべきである。また、「教育」は、義務教
育諸学校における教育の一環として行われるもののすべてを含め、教課外活動・修学旅行等正規の授業時
間外や、学校の施設外で行われる活動も、学校の教育としてなされるものは含まれる。
特定政党が有利となる情報提供と言っても、法律上問題となるのは「特定の政党等の支持又は反対に
固まらせるような教育」という、かなり露骨な党派的政治教育であることが分かる。法律上の条文で問
題とされているのは「特定の政党への支持・反対」であるが、上の文部省の説明の中にあるように「特
定の政治的な立場に偏」するものも含めると解されている。つまり、この中立性は、社会で論争となっ
ている問題に特定の立場をとることと広く解釈するべきである。という前提で考察すると、以下のよう
なことがなければ政治的中立性が保たれることが容易に理解できる。
a)特定政党の意見や政策だけを一方的に説明し、理解させる
b)社会で論争となっている問題に関して、一方の立場だけを説明し、理解させる
の代わりに
A)各政党の意見や政策を全て示し、バランスよく説明し、それぞれを理解させる
B)社会的な論争問題に関して対立する多様な立場を、バランスよく説明し、理解させる
中立を保つ基準は難しくない。常識的なものである。問題は、現実の授業、教室という現場でどのよ
うな具体的扱いや配慮が、これに伴って必要となるかをより詳細に考察することである。この基準を意
識すれば、おそらく「客観的かつ公正な指導資料」の作成が容易になると思われるが、文科省から、現
状では具体的で詳細な考察が出てくることを想像できない。
3.授業の中で、現実の問題・論争問題を扱う様々な形態
まず、現実の問題を取り上げたり、社会的論争問題を取り上げたりすることが、授業でどのように行
なわれるのか、いくつかのレベルに分けて想像してみよう。
Ⅰa)時事問題として教師が話題として取り上げる、または生徒がスピーチで紹介するケース。
Ⅰb)授業で配布する資料に、時事問題が話題として取り上げられるケース。
Ⅱa)授業内の学習内容に関連した実例として、時事問題が説明されるケース。
Ⅱb)授業内の学習内容に関連した資料に、時事問題が取り上げられるケース。
Ⅲa)授業内の学習内容に関連して、生徒が時事問題や論争問題を話し合うケース。
Ⅲb)授業内の学習内容に関連した話し合いの資料に、時事問題や論争問題が取り上げられるケース。
Ⅳa)現実の問題を考え、論争問題を考えることが生徒の討論テーマに設定されるケース
いま注目されている問題は、この7形態の中のⅢa)やⅢb)、Ⅳあたり、つまりかなり時間をとって話し
合って内容を深めようとするケースで議論されている。しかし、現実の授業では中々こうした話し合い
まで持っていくこと自体が難しいのが現状である。
一応この7形態は、まず口頭で話される内容 a)と資料と配布される内容を区別してあり、もう一つは
ⅠからⅣまでの4レベルに分けてある。Ⅰは、授業の中で主要な学習内容としてでなく、時事問題に関
心を向けるために軽い話題や雑談として話されるケースである。Ⅱは、学習内容として最新の時事問題
に言及されるケースである。Ⅲは、現実の問題をテーマにして時間をかけて生徒の話し合いが行なわれ
るケースである。Ⅳは、現実の問題を論争問題として設定して、生徒が十分な時間をかけて討論を行な
うケースである。内容の質・量と生徒の関わりで言えば、ⅠからⅣにかけて論争問題への取組度が徐々
に深まっている。こうした諸形態を前提にして扱い方や配慮を考察しよう。
4.現実の問題の特殊性
69 通達の中で文部省は、現実の具体的な政治的事象について、内容の複雑さと評価の定まっていない
こと、意見が分かれていることを特徴としてあげている。しかし、こうした特徴を持つ事象は、別に「現
実の具体的な政治的事象」に限らず、過去の歴史的事象の中に多くあって、この特徴ではほとんど意味
をなしていない。社会科で通説として語られるもの全てが、学問的通説かどうかは疑問である。例えば
三権分立が、義務教育段階では憲法条文に示された三権の相互関係の図で説明されている。モンテスキ
ューに言及されてもその趣旨は説明されないし、憲法条文に元々三権分立の語句など全くない。また、
憲法の三大原則と言われているものも憲法条文上に何も書かれていない。つまり、これらは、学習指導
要領の中で通説化したと言った方が正確なのである。
「現実の問題」の第一の特徴は、教科書や授業のような認識上の枠組(教科・科目)と無関係なこと
であること。政治的事象といっても、政治だけでなく、経済や社会・文化、そして科学技術の問題と関
係する総合問題なのである。授業の学習では、科目としてある側面のみにしぼって解説すればすむが、
これを現実の問題として取り上げる場合、原則として全ての側面を見る必要が出てくるのである。解決
策がより複雑になる、そうした意味での「内容の複雑さ」がある。
第二の特徴は、歴史的な経過や背景を考慮せずに問題を理解し評価することができないことである。
そして、第三が、問題の評価や解決策に関して多様な意見が存在し、大きな対立のあることが珍しく
ないことである。
つまり、第三の特徴については常識的に分かっているが、総合的事象であることと歴史的背景につい
ては忘れられがちである。公民という科目の中だけで扱うのは難しい側面が多々あるので、教師にとっ
ても生徒にとっても、事前に基礎的知識を知ってしっかり理解することがきわめて重要となる。
5.資料の扱い方と配慮
ここでは、評価や意見の異なる事象に対する扱い方と配慮について考察しよう。
扱い方の第一は、資料に関して事実と意見をきちんと分別することである。
事実は、明確な根拠や論拠があって、評価や意見が異なることがほとんどないもの。事件の起こった
年月日や法律の条文、統計上の数値などである。意見は、事実を根拠や論拠にした推測や解決策、評価
など、人によって内容の異なるものである。少なくとも、単なる立場表名以上の、理由を含んで意思が
表明されたものである。
新聞記事の扱いについて議論されることが多いけれども、新聞は原則として事実を確認できる基本的
手段であり、現実の問題を扱う場合に不可欠な中心的素材である。見出しの書き方や事実選択が新聞社
によって異なるとしても、記事の大半が事実に関する情報提供である。残念ながら日本の新聞記事には、
断りなく推測が書かれることが少なくないので、その意味では新聞を資料として使う場合、特にこの事
実と意見の分別という作業が重要となる。
※メディア・リテラシーとは趣旨が異なるので、不適切な見出しをカットしてもよいし、事実選択に
問題があれば補足をつけることが重要である。したがって、使われた新聞社や紙数を問題にするこ
とは枝葉末節の配慮でしかない。
(競技ディベートでは、スピーチにおいて引用がきわめて重視される。しかし、実はその時事実と意
見が厳密に分別されたかどうか、あまり問われない点に危険な要素が潜んでいる。利点の推測の数
字が引用されても、単なる意見でしかないのに「事実」と扱われるケースが多い。)
第二は、基礎的知識となる事実情報を適切に入れること。
全体像と個々の重要特徴をそれぞれバランスよく揃えることが難しい。また授業の場合、生徒の知識
量や理解力を考慮した、適切な質と量の情報提供という配慮が重要であり、難しいところである。
4.で述べたように、様々な分野の情報と歴史的経緯・背景のどこまでを「基礎的知識」として生徒
に提供するかは、生徒の知識量や理解力の幅を正確に把握していることと、現実の問題の全体像をどこ
まで理解させるかという目標設定の難しさがあり、
「現実の問題」を扱うのに習熟した教師でないと中々
バランスよく適切に行なえない。ただ中立への配慮という点では、意見に関わる部分を捨てればよいの
でそれほど難しくない。
第三は、代表的な対立した意見をまとめ、対置すること。
これを個々の論点ごとに対比した形で示せればベストである(これを論点整理と呼ぶ)。意見を並べる
こと自体は、いろいろな資料を集めればさほど難しくない。最も難しいのは、そうした意見がそれぞれ
どんな事実を根拠にして、どんな論理で成り立っているかを理解することである。これが分かると、そ
れらの事実が基礎的知識の中に含まれている場合と、もっと詳細な知識が必要な場合とが分かる。でき
れば基礎的知識の範囲内でそれぞれの対立した意見が対置されるのが最もよい。つまり、第二の扱いと
第三の扱いは相互関連しているのである。
つまり、資料は、①事実と意見が明確に分別され、②全体像や重要な事実(重要意見の根拠となる)
をバランスよく含み、③代表的な対立した意見が対応した形で提示されることが必要なのである。
6.授業で話題とする形態ごとの配慮(2.の形態に関して)
まず、1.で紹介した文部省の「客観的かつ公正な指導資料」の条件とは何かを確認しよう。
「客観的」とは事実に基づいていることであり、事実と意見が分別されて、新聞記事の事実を示した
部分や資料集などで確認できる事実情報を活用することである。なお、世論調査は一つの事実であるが、
それが世論の傾向を示すとしても、世論自体として扱うことはできない。もう一つ重要なのが、総合的
事象であり歴史的経緯や背景があっての現状なので、基礎的知識としてそうした決定的情報が抜けて、
全体像が見えにくくなった場合は客観的と言いにくくなる。
「公正な」とは、問題の全体像を理解できる基礎的知識が与えられた上で、多様で対立した意見と、
それに関連した根拠や論拠が提示されていることである。生徒の知識量や理解度に配慮されていないと、
実質的に不公正となることもあるので、生徒状況を熟知した教員の関与と工夫が不可欠となる。
次に、資料に関する扱いの原則については5.で述べたので、改めて2.で述べた授業の形態ごとに
どのような配慮が必要かを考察しよう。
Ⅰa)時事問題として教師が話題として取り上げる、または生徒がスピーチで紹介するケース
Ⅰb)授業で配布する資料に、時事問題が話題として取り上げられるケース
Ⅰのケースは、新聞をほとんど読まない生徒が、現実の問題により深い関心を持つように指導するこ
とが不可欠であるため、時事問題を生徒自身に語らせたり、教師が解説を加えながら話題としたりする
ケースである。事件の内容を語るだけでなく、感想や意見を付け加えることが興味・関心を持たせるた
めには有効であるので、教師の積極的なコメントが望まれる。時間がないので中立的な配慮を行いにく
いが、感想や意見の根拠や論理を明示することが最も大切である。Ⅰb)のケースでは、時事問題の内容を
しっかり理解させることが最も大切である。全体像が分かりやすく適切な大きさの記事を選ぶので、も
ちろん複数紙の配慮など不要である。なお、日頃から現実の問題を考えるときは、正しい答えがなく様々
な意見があって、教師の意見もその一つでしかないと指導していることが不可欠である。
Ⅱa)授業内の学習内容に関連した実例として、時事問題が説明されるケース
Ⅱb)授業内の学習内容に関連した資料に、時事問題が取り上げられるケース
Ⅱのケースは、学習内容をより身近に考えてもらうために最新の事件を取り上げるので、学習内容自
体の中で意見対立などを示せばよく、学習内容との関連を理解してもらうことが最も大切である。Ⅱb)
のケースでは、学習内容との関連性が最も高い記事を選ぶので、もちろん複数紙の配慮など不要である。
Ⅲa)授業内の学習内容に関連して、生徒が時事問題や論争問題を話し合うケース
Ⅲb)授業内の学習内容に関連した話し合いの資料に、時事問題や論争問題が取り上げられるケース
Ⅲのケースは班の話し合いで、時事問題などについて生徒間の意見の違いを知り、問題について様々
な知識を確認するものである。生徒が自由に意見を言い合えるような雰囲気づくりが大切である。根拠
や論拠を明確にさせて論理的に意見をまとめさせたいが、この段階ではあまり無理な要求をしない方が
よい。どんな感想や意見でも、とにかく班の中で語り合うことが最も重要である。Ⅲb)のケースでは、多
様で対立した意見が出やすいように、それぞれの立場に配慮した資料作成が不可欠である。事実と意見
を分別し、多くの資料の合成が必要だろう。手元に新聞が一紙しかなければ意見部分に関して特に配慮
を要するが、複数入手できれば作成が容易となるだろう。もちろん資料の公正さは新聞紙数でなくて、
その内容のバランスで判断されるべきである。
Ⅳa)現実の問題を考え、論争問題を考えることが生徒の討論テーマに設定されるケース
Ⅳのケースは生徒が中心となって討論を準備するので、教師は事前の基礎知識を与える講義や、生徒
が入手しにくい資料の配布に配慮する。生徒が論争問題であることを認識し、目標がクラスとして意見
をまとめることではなく、個々の生徒が理解を深めて自分の意見を決めることであることを自覚させ、
それに即した配慮と指導が不可欠である。
ディベートのように、予め形式的に立場を決めて討論の準備をさせ、一つの政策をテーマ(論題)と
してその肯定と否定のチームで論争する方式は、対立した考え方を共に理解して自分の最終意見を決め
ることが目的である。勝ち負けを決めてもそれがスピーチの説得力についての判断でしかないので、個々
の生徒はディベートを聞いた/やった後に自分の意見をしっかりまとめることが重要である。説得力で
審査されるので、この中で根拠に基づいて論理だった意見を話すことが求められ、この点でⅢのケース
と違った高い学習の質を求められる。その意味でも、基礎的知識の事前講義が重要となる。
生徒の本音で語らせたい場合は普通の自由討論を行なう。クラス全体ですぐに始めるのは難しいので、
事前講義を行い資料に基づいて班で話し合った後にクラス討論に移行したい。討論を始める前に、個々
人が自分の意見をプリントに書く準備作業をとるのがよい。意見が出ない場合など指名して討論を続け
ることがやりやすい。そして、最も重要な配慮が多数決をとらないことである。生徒会としての議論で
はないので、議決をする必要がない。討論は各自の意見を深めるために行なわれ、最終的に各自で自分
の意見をまとめることが目的である。クラス全体の意見分布を確認してもよいが、それはあくまで全体
の状況を参考として知るためである。特に注意しなければならないのは、班討論をさせても班で立場を
議決しないことである。
7.意思決定をすることの意義と、オープンエンドであること
最後になってしまったが、現実の問題に関連して意思決定をすることにどんな意義があるのを明確に
しておこう。69 通達の問題がここに集中しているからである。
教育基本法の第 14 条に「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重」するとあり、
この政治的教養は、①民主政治上の各種制度についての知識や、②現実の政治の理解力と公正な批判力、
③政治道徳と政治的信念だと説明されている。主権者教育はまさにこの「良識ある公民として必要な政
治的教養」を養うものであり、そこで決定的に重要となる活動が意思決定なのである。
制度についての知識を学んでも、現実の問題に関心を持ち問題意識のある生徒は、そこから何か批判
的見方や必要な政策について考えられる。しかし多くの生徒は、様々なルートで知っている政治や社会
の問題点に関して不満を持っていても、それを批判的な意見や自分なりの政策的意見に結びつけること
が難しい。そこで、時事問題についてより多く知り現実の問題や論争を学び話し合う中で、生徒が多様
で対立する意見への理解を深めて批判や政策的考察へ踏み出してくる。この機会を与えることが重要で
ある。これは、デューイの教育哲学で言えば、現実の状況で問題に出会う中で思考活動が働くのであり、
その機会を与える方法は<意思決定重視の社会科・公民科教育>と言えるだろう。他の生徒の様々な意
見を聞く中で自分の意見・立場を決めることは、社会参加・コミットメント(責任をもって関わること)
であり、思考活動がより活発になるだけでなく、個々人の政治的価値観の深化へと繋がるだろう。
現実の問題を扱い、論争問題を生徒に考えさせる場合、生徒が自分の最終意見を深めることが目的な
ので、何か全体の意見分布をとってもそれは決定でないことを理解させる。目標は、論争問題に関して
どのような意見があるのか、論点整理をきちんとできることと、個々の生徒が自分の意見を持つこと/
意思決定をすることが最も大切なのである。そして、多様で対立した意見を参考にして自分の意見を紡
ぎ出した場合、もうこれで自分の考えは絶対だとは中々思い込まないはずである。その後もずっと様々
な情報や意見を参考にしながら、自分の意思決定の根拠や論拠と理由付けの論理を振り返り、自分の意
見を深めていくこと、見直し続けるオープンエンドの気持ちや姿勢を持つことになりやすいと思われる。
その意味でも話し合い・討論・論争の中での意思決定の機会を増やすべきである。