狭山ヶ丘通信 - 狭山ヶ丘高等学校

平成27年6月13日
狭山ヶ丘通信
第135号
狭山ヶ丘学園
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
引きこもりを作り出す本当の原因
校長
小川義男
私が小学校に勤務していた頃にも、ごく少数ながら「引きこもり」と言われる子ども達がいた。
恐ろしいのは、それらの「引きこもり」の中には、五十代に近づいて、なおそのまま、引きこも
りを続けている生徒のいることである。
精神疾患の場合は別として、私が小、中、高等学校で学んでいた時代には、このような傾向は
絶無であった。驚いたことに、世の中には、六十代を過ぎてなお「引きこもり」を続けている人
がいるようなのである。本人が定年を過ぎる年齢なのだから、親は勿論、定年を過ぎている。結
局、親の年金に依存して生活しているらしいのである。親も高齢だから、いつ何が起こるか分か
らない。「死ぬに死ねない」という辛さを抱えて生きているのではないだろうか。その切なさの
根底をなすものは、「老いたる我が子」への愛である。
愛とは、自分以上に相手を大切に思うことだと思う。だから愛は切ないし、生き甲斐にもなる。
自分だけのために生きている人間などいない。みな、自分以上に大切な誰かのために生きている
のだ。だから人生は生きるに値する。それだけに愛は切ない。
「引きこもり」本人も辛かろう。私は考える。多くの場合「引きこもり」本人は、働かない。
家事炊事の手伝いもしない。他人のために役立つことは、ほとんどしない。洗濯も母親にやって
もらう。部屋の掃除もしない。全部母親がやってくれる。考えて見れば、これほど楽な身分はな
い。これを生涯継続されたのでは、親や家族の立場は、根底から破壊されてしまう。引きこもり
とは、世間では、本人自身も被害者のように語られているが、私は引きこもりとは、「母親を奴
隷にする事」だと思う。その「奴隷」が、我が亡き後の、我が子の行く末を思って、枕を濡らす
のだから、これほど哀れで悲しい物語はない。
だが、多くのケースで、引きこもりとは、父あるいは母、またはその双方が作り出したものだ
と思う。責任は、親自身にあると思わねばならない。
過保護という言葉に、私は反発を感じる。子どもは、どんなに保護しても、保護しすぎるとい
うことはない。愛すれば愛するほど、子どもは健やかに育つ。
五歳で母に死なれた私は、どうも人間性に、いびつなところがある。また、幼子を残して旅立
つ悲しさは、どれほどのものだったであろう。妹は一歳だったのである。死ぬに死ねないという
のが、本当のところだったろう。
だが五歳までは母は、日夜私を撫で続けて可愛がってくれた。私が、人から充分に愛されたの
は、その五年間だけだったのではないだろうか。私が、厳しい環境に生きたにもかかわらず、大
きく人生を逸れなかったのは、幼き日の母の、この献身的な愛のおかげだったと思う。母を知ら
ぬ妹に対しては、兄として、もっと取るべき愛し方があったように思う。しかし、今となっては
もう遅い。
話が逸れたが、大切なのは、愛と厳しさだと思う。人は愛と禁止の連続の中で、何が許されて、
何が許されないかを、つかみ取って行く。
そのプロセスで、父も母も、底知れぬ愛で子どもを包むと共に、鬼のような厳しさで、我が子
を育成して行かなければならぬ。
今の親の少なからぬ部分は、ここでつまずいてしまうのである。朝食は、1日の始まりの儀式
でもある。そのセレモニーが、少なからぬ家庭で崩れてしまっている。早朝出勤の父が先ず食べ、
その後に子どもが食べ、子どもが学校に行ってから、母が食べるというような家庭が少なくない。
セレモニー性を失った食事は、豚に餌を食わせるのと変りがない。
朝食は、父の勤労、母の苦労の成果であり、万物の恵みを頂くのである。祈る心、感謝する心
を持って、食卓に向かわなくてはならぬ。母は食卓の主であり父がこれを後見する。作法は母が
躾け、父がそれに協力する。人間は、どのように生きねばならないかを躾けるのも、この、朝の
食卓なのである。
夕食に父が間に合うことは少ないかも知れぬ。そのような場合、母子だけの食事となろうが、
「お父さんがいなくてさみしいな」と感ずるような気配は残されていなくてはならぬ。母子、ま
たは父子の家庭もあろう。私の子ども時代がそうであった。しかし、今振り返って、父は偉かっ
たなあと思う。私が大きく逸れずに人生を生きて来られたのは、幼き日の、母の底知れぬ愛と、
父の深い心遣い、厳しさの故である。
セレモニーとしての食卓の崩壊、そこでの人間としての基本的な躾の崩壊、それが、引きこも
りの、ひとつの原因であったのかも知れない。
家庭生活にあっては、たとえ幼子であっても、負担させなければならぬ家事の一端は、負担さ
せなければならぬ。母に甘えることと、気軽に、手軽に、母を利用することの別は、幼い頃から
しっかりと躾けなければならぬ。「母親は、勿体ないが騙しよい」という川柳には、汲めども尽
きぬ、母の愛と賢さが、溢れているのではないだろうか。
我が子の面倒を、何から何まで徹底的に見れば、良い子が育つのではない。発達段階に応じて、
その折々に負担すべき責任を負担させて行く事から、子どもは耐える力や、許される事とそうで
はない事との別を、つかみ取って行くのである。
家事を分担させろ、そうでなければ、子どもは、母を好き勝手に利用するだけになり兼ねない。
まかり間違うと、昔の奴隷所有者のような姿勢で、母や父を見る人間に育ってしまうのである。
親は、子の全生涯のお世話をすることはできぬ。人はすべて、どこかで独り立ちして行かねばな
らないのである。
せめて子どもの部屋の掃除くらいは、子ども自身にさせろ。それもさせることができないよう
であれば、親は子どもの奴隷に化する危険が生まれるのである。
精神疾患の場合を除いて、怠惰を正当化する拠り所などない。世に言うではないか。愛するが
故に、親は子に厳しく接しなければならぬ。諺に言う。「働かざる者、食うべからず!」と。
これまですべての校舎、施設の拡充、整備を進めてきましたが、本年3月に新2号館校舎が完成したことで、
1号館、2号館、3号館、体育館、総合グラウンド等、生徒たちが中高6年間を過ごすにふさわしい充実した
環境を実現しました。
6月1日の創立記念日には、多くの来賓をお迎えして、全校舎 全施設 完成記念式を開催しました。ご多用
中、ご臨席賜りました入間市長、所沢市長の祝辞を掲載いたします。
入間市長 田中 龍夫 様
みなさんこんにちは、入間市長の田中龍夫と申します。
今日は狭山ヶ丘学園のすべての校舎、すべての施設がこのようにきれい
に完成しましたことを心からお喜び申し上げます。
小川校長先生を始め、役員の皆様の施設を造りかえるという決断には心
から敬意を表すと共に、その決断のおかげでこのように素晴らしい施設が
出来上がりました。心からお祝い申し上げたいと思っております。
この校舎の敷地には、昔、入間市立藤沢中学校がありました。人口増加
により移転させていただきましたが、その跡地に狭山ヶ丘高校ができても
う50余年が経ったのではないかなと思いますが、今や立派な学園に成長
されて、社会に貢献している多くの卒業生を出していただいております。またそれは入間市の自慢でもありま
す。心から感謝申し上げると共に敬意を表させていただきたいと思います。
「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、私はこの学園にはしっかりした魂が出来上がっていると感
じております。実は昨日、狭山ヶ丘学園吹奏楽部の38回目の定期演奏会があり、私も最初から最後まで聴か
せていただいたのですが、休憩時間に多くの方々が校長先生の所に来られ、にこやかに挨拶をされておられま
した。普通、校長先生にはなかなか近づきがたいものですが、普段から心が通じた教育ができているものと感
じました。
施設が出来上がりましたので、今までも生徒さんたちはがんばってきましたが、さらにがんばってほしいと
思います。高校時代は人生の基礎を作る時期です。これからもしっかりした基礎を作り上げ、さらなる躍進を
していただきたいと思っています。
今、人口減少の中で、なくなる可能性がある市や町があります。こういう時代ですので、それぞれの市町村
にいくつ自慢できるものがあるかが大事だと思います。私もこれから狭山ヶ丘学園は入間市の自慢としてあち
こちで話させていただきたいと思うし、入間市の自慢の一つにさせていただきたいと思っています。
以上を持ちまして、私からのお祝いの言葉に代えさせていただきたいと思います。本日はおめでとうござい
ました。
所沢市長 藤本 正人 様
ご紹介いただきました所沢市長の藤本正人と申します。
本日ここに学校法人狭山ヶ丘学園全校舎全施設完成記念式典が盛大に開催されるにあたり、一言お祝いの言
葉を申し上げます。
狭山ヶ丘学園は創立者である近藤ちよ先生の教えである「事にあたって意義を感ぜよ」を校訓とし、「親孝
行」を学校教育の根幹に据え、「自学自習の姿勢の確立」のため、全力を傾けておられます。平成22年に創
立50周年を迎えられた歴史ある学校でありますが、これまでに付属中学校の開校、総合グラウンドの完成、
新体育館の完成に引き続き今年3月には新校舎2号館が完成され、施設内容の充実も図っておられます。さら
に厳しくとも充実した授業を行うことにより、素晴らしい学習環境を作り出しておられます。
これもひとえに木下宏理事長、小川義男校長先生を始め、諸先生方や関係者の皆様のご努力の賜物であり、
心から敬意を表する次第であります。狭山ヶ丘学園の皆様におかれましては、校舎完成を機に、未来を担う人
材の育成にさらに取り組まれますとともに、地域のまちづくりに対しましても引き続きご支援ご協力を賜りま
すようお願い申し上げます。
実はこの4月に所沢市でも地方議会の選挙がありましたが、諸君の先輩である、狭山ヶ丘高校出身の石原た
かしさん(早稲田大学卒業後、地域の信用金庫に勤務)という方が、26歳で市議会議員になられました。所
沢市または近隣四市では皆さんの卒業生たちがたくさん活躍されておられます。どうぞ皆さんもしっかりがん
ばっていただきたいと思います。
結びに、学校法人狭山ヶ丘学園の益々のご発展とあまたの卒業生・在校生のご活躍、そしてご参会の皆様の
ご健勝を心より祈念いたしましてお祝いの言葉と致します。
◇第1学年
高尾山(5/22)
初めての軽登山を実施しました。相模湖からの険しい道を進み、小仏城山で昼
食を取り、その後、高尾山の山頂で集合写真を撮りました。苦しいときこそ励ま
し合い助け合うという経験を通じ、更に仲間意識を強めることができました。
2組
黒澤
舞子(入間市立豊岡小学校出身)
今日、初めて学校行事の「軽登山」に行き、たくさんの発見をしました。改
めて自然の恵みや大切さを感じ、美しさを知ることができました。人間が生き
ていくには自然がなくてはならないので、これからも大切にしていこうと思い
ました。山には、木・草・土、たくさんの匂いがしたり、直接肌で感じること
ができました。このような素晴らしく美しい自然環境を取り壊さずに、この先もずっと残していけるようにしてい
きたいです。
軽登山に行ったことで気持ちにけじめがつき、再びリセットされました。みんなで協力して1つの山を登りきる
達成感や、普通の生活では味わうことのできない山にしかない空気を感じました。中間考査も終わり、気持ちに区
切りがついたところでまた新たな、定期考査へ向けた勉強をしていく切り替えができました。自然はとても偉大で、
決して甘くはないことも分かりました。1日中歩き、疲れましたが、緑の美しさに心身共に洗われ、とてもよい経
験になりました。
◇第2学年
丸山 [芦ヶ久保](5/28)
今年度は、埼玉県横瀬町にある丸山で軽登山を実施しました。雨による延期があったので、一週間遅れでの実施でし
た。やや涼しい曇天のなか、芦ヶ久保駅を出発して、山頂の展望台で景色を眺めて、中央広場で昼食をとりました。夏
休みの宿泊研修に向けて、良い予行練習ができました。
2組 加藤 愛乃(入間市立豊岡小学校出身)
今回の軽登山は、2年生になって新しいクラスになってから初めてのこ
とでした。毎回の軽登山はとても大変だけれど、みんなで一緒のことをす
るイベン
トなので、少し楽しみな気持ちで電車に乗り、芦ヶ久保駅まで行きました。
駅周辺は緑であふれていて、私たちの住む町とは違う風景が広がっていま
した。
いざ登り始めると、最初は民家ばかりだったはずが、やがて木々しか見
えなくなって、急な坂が何回も現れました。やっと登り切ったかと思えば、また同じような坂があって、すっかり
疲れてしまいました。でも、ただ歩くばかりではなく、しりとりをしたり、歌ったりしながら楽しく登ったので、
友達の存在を実感できました。ようやく頂上に着いて、一面に広がった背の低い草の上で、みんなで食べたおにぎ
りは、とてもおいしく感じました。今回の登山を通して、友達の大切さを知るとてもいい機会になりました。
◇第3学年
子ノ権現(5/28)
今回は子ノ権現(627m)を目指して実施しました。今までの山に比べると標
高は高くありませんが、道は険しく難易度も高いものでした。それでも生徒たち
は力強く登りきることができました。
2組
岩本
京華(瑞穂町立瑞穂第三小学校出身)
私は今回の軽登山は、少し不安でした。なぜなら、最近足の調子が良くな
かったからです。でも、最初からあきらめていたら絶対に登れないと思った
ので、何があっても最後まで自分の力で歩こうと決めてがんばりました。途
中で何度も足がとれそうなくらい痛くなりました。でも車には乗らずに友達
と話をして気を紛らわせながら登りました。とても疲れ大変でしたが、帰りに電車に乗ったとき、自分に負けず、
登りきれてよかったと思いました。次の登山でもがんばりたいです。