チャペルヘの招き 2015 年 11 月 24 日 №458(2015-13 号) 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 (マタイによる福音書11:28) 四国学院大学 宗教センター www.sg-u.ac.jp メールアドレス [email protected] 時間 10:45~11:05a.m. 場所 清泉礼拝堂 社会学部週間 11月23日(月) チャペルアワーはお休みです。 総合教育研究センター週間 11月30日(月) 担 当 阪本麻郁(総合教育研究センター准教授) 題 目 雑草を抜きながら 聖 書 マタイによる福音書13:24-30 讃美歌 21-229 奏 楽 新宮久子(非常勤講師) 11月24日(火) 担 当 ムアンギゴードン(社会学部教授) 題 目 旅人はだれ 聖 書 マタイによる福音書25:40-46 讃美歌 420 奏 楽 新宮久子(非常勤講師) 12月1日(火) 担 当 田中千恵子(総合教育研究センター教授) 題 目 互いに学び合う 聖 書 マタイによる福音書25:14-18 讃美歌 21-229 奏 楽 野町太郎 11月25日(水) 担 当 山﨑和明(社会学部教授) 題 目 蛇のように聡く、鳩のように柔和に 聖 書 マタイによる福音書10:16 讃美歌 420 12月2日(水) 担 当 川又実(総合教育研究センター准教授) 題 目 他者との繋がり 聖 書 ヨブ記7:1-6 讃美歌 21-229 奏 楽 野町太郎 奏 楽 野町太郎 11月26日(木) 担 当 ベドローマイケル(社会学部教授) 題 目 なぜ? 聖 書 ローマの信徒への手紙8:20-22 8:38-39,8:28 讃美歌 420 奏 野町太郎 楽 12月3日(木) 担 当 北村易則(総合教育研究センター職員) 題 目 いま来たりませ-大きな喜び- 聖 書 イザヤ書9:1-6 讃美歌 21-229 奏 楽 野町太郎 11月27日(金) 担 当 山崎晶(総合教育研究センター准教授) 題 目 話すことからはじめよう 聖 書 ヤコブの手紙1:18-20 讃美歌 420 12月4日(金) 担 当 田中紘一(非常勤講師) 題 目 身近にあるもへの参加 聖 書 詩編1:2-3 讃美歌 21-229 奏 奏 楽 野町太郎 楽 野町太郎 ★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★ ★何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。これが、律法であり 預言者である。 ムアンギゴードン(社会学部教授) ★善良なキリスト者が、気の良いお人好しで、この世に遣わされた使命を果たせるのでしょうか。 山﨑和明(社会学部教授) ★There is a lot we don't know. There's a lot more we can't know. We can think about that. ベドローマイケル(社会学部教授) ★息子 4 歳。気に入らないことがあると「キライ」を連発します。彼とのやり取りを繰り返す中で 学んだことをお話しします。 山崎晶(総合教育研究センター准教授) ★私の一番の趣味は、雑草を抜くことです。この趣味は、高校時代にあるお坊さんに出会った ことがきっかけで始めるようになりました。そのエピソードと雑草抜きの極意をお話しします。 阪本麻郁(総合教育研究センター准教授) ★英語では、「才能のある」ということを gifted といいます。私たち一人一人にギフトされた 何かがあると信じて、育てて行きましょう。 田中千恵子(総合教育研究センター教授) ★「自己」と「他者」との関係について考えたいと思います。 川又実(総合教育研究センター准教授) ★秋が深まり冬が近づいてきました。もうすぐクリスマスです。 北村易則(総合教育研究センター職員) ★チャペルアワーや校内での各種講演、ノトス館での公演、香川県内の各種史跡などを身近な ものにする生活を。 田中紘一(非常勤講師) 「建学の精神を語る、そして、行う。」 (2015 年 10 月 13 日のチャペル・トークから) 末吉高明(学長) おはようございます。今日は、本学のユニバーシティ・モットー Vos estis sal terrae.(汝らは地の塩 である)をどのような文脈で私たちは考え理解すべきであるか、について話したいと思います。先日、ラグ ビー ワールドカップにおいて、日本は南アフリカに勝利をえて世界を驚かせました。私は、スポーツニュー スで試合の様子を見たのですが、そのときに解説者が語った言葉で印象に残っていることがあります。そ れは、ラグビーやサッカーで求められる技能で、もっとも難しく、重要なものは、「周りを見ることができる」 ことだそうです。同様のことは、私たちが、さまざまな事柄を理解するときにも、求められることです。私 た ちが、本学のユニバーシティ・モットーを理解するときも例外ではありません。 「汝らは地の塩である」とは、端的に「あなたがたは、この世界で、他の何ものにも替えることの出来ない、 必要不可欠な存在である」との宣言です。すなわち、私たち人間として生きる際の尊厳を表明したもの です。しかし、このように言い換えたとしても、「尊厳とは、何か。どのようにして、私たちは尊厳を獲得すべ きか。」といったことは不明です。「汝らは地の塩である」との人間としての尊厳を十分理解しようとするな らば、「周りを見る」必要があります。本日は、ユニバーシティ・モットーを正確に理解するときに必要とされ る「周り」のいくつもの重要な事項のなかで一つのことについて少し考えます。 皆さんはご存じのように、選挙法が改正され来年予定されている参議院選挙から、選挙年齢が 18 歳 に引き下げられます。大学生は、新入生から全員国政選挙で投票することになります。 ところで、現代の民主主義思想に多大な影響を与えたと言われるジャン=ジャック・ルソーが、250 年 以上前に選挙に関して注目すべきことを言っています。 「イギリス人民は自由だと自分では考えているが、とんでもない誤解である。彼らが自由なのも、議会の 構成員を選挙する期間中だけのことで、選挙が終わってしまえば、たちまち奴隷の身となり、なきに等し い存在となるのである。イギリス人民が自由を許されたこの短い期間中でも、その自由を行使するしかた を見ると、これでは自由を失うのももっともだと思われる。」(「社会契約論」) 当時のイギリスで行われていた議会政治に関して語った言葉ですが、現代社会に生きる私たちに対し て、語っているといっても不思議ではありません。ルソーによれば、選挙と選挙の間は、イギリス人は奴隷 であり、そして、たとえ選挙期間中であっても、その選挙権の行使の仕方を観察していると奴隷になるの ももっともなことだというのです。 皆さんは、おそらく自分が「奴隷」である、と思ったことはないでしょう。ところが、ルソーの人間観に従えば、 選挙の時に真剣に考えることなく投票し、日頃も、政治がつくりだす現実に参画しない市民は、奴隷と 同様で尊厳を喪失した存在です。 私たちは、選挙の時に、どれだけ深く真剣に考えて投票行動を行っているでしょうか。そして、選挙と選 挙の間に、どのように政治がつくりだす現実に私たちが市民として参加しているでしょうか。 本学のユニバーシティ・モットーが意味する「人間としての尊厳」には、私たちが、政治に関心を持ち、 真剣に国民として関わることによって保持される尊厳が含まれています。戦後、70 年の分岐点に立つ 私たちの歴史をみすえながら、もう一度、政治と私たちの尊厳について真摯に考えてみようではありませ んか。 宗教委員長 宗教センタースタッフ 金珍熙 嶋田美紀
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