詩人 木村迪夫 著作展

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2015 協賛
映 画 「無 音 の叫 び 声」 上 映記 念
詩人 木村迪夫
著作展
吉野弘の詩は、中学校や高等学校の教科書に教材として採用されています。
原村政樹監督のドキュメンタリー映画「無音の叫び声~農民詩人 木村迪夫の牧野村
物語」の上映を記念し、木村迪夫氏の著作を展示します。
戦争で一家の大黒柱である父親を失った 15 歳の木村少年は、小作農の家業に専念
するよう求める母親や祖母の反対を押し切り、夜間定時制高校に進学。級友や詩人・
真壁仁の影響を受けて「生活記録詩」を書いていこうと決意します。
そして、青年団や青年学級に関わり、農民運動や平和運動に参加しながら、ムラの
生活と農民の立場に立脚した作品を発表し続けます。
また、三里塚闘争を記録し続けていた小川紳介監督と知り合い、小川プロを牧野村
に招いて三里塚以後の映画製作を支援しました。このとき木村氏が小川監督に声をか
けなければ、山形国際ドキュメンタリー映画祭は存在していなかったでしょう。
詩人としての業績では、とくに円熟期に発表した詩集『いろはにほへとちりぬるを』
や『光る朝』などが高い評価を受け、全国的な賞を受賞しています。
この企画展では、詩集のほかエッセイ集も展示します。映画と合わせて「木村迪夫
の世界」に触れる機会としていただければ幸いです。
なお、10 月 11 日(日)に遊学館において「詩人・木村迪夫の世界を語る」
(仮
称)イベントを開催します。ご期待ください。(詳細は後日、HPにて公表します。)
【木村迪夫 略年譜】
1935 年
南村山郡東村(現上山市)牧野地区に、小作農の長男として生まれる。
1946 年
中国戦線に召集されていた父親が帰国寸前に病死。叔父の戦死も判明。
1950 年
県立上山農業高校定時制に、母と祖母の反対を押し切って入学。
週に3日だけ登校し、4日間は家業の農業に従事する。
1953 年
18 歳。級友の佐藤藤三郎、菅野健吉らと校内生活記録詩誌を創刊。
文化祭で詩人・真壁仁を講演に招き、強い印象を受ける。
1954 年
高校卒業後、自営農業に専念。生活記録詩を書いていくことを決意し、真
壁仁の門をたたく。
1956 年
21 歳。安食昭典・黒田喜夫らの詩誌「詩炉」に参加。以後、東京在住の
詩人・黒田喜夫と親交し、指導激励を受ける。
1958 年
23 歳。真壁仁主宰の農民文学誌「地下水」に参加。
1959 年
上山市青年団副団長となり、原水爆禁止大会参加、60 年反安保闘争、農
民運動に関わり、活動と学習に情熱を傾ける。また、青年学級の専任指導
員を委嘱され、農村青年の学習指導にあたる。
1962 年
季節労働者として出稼ぎに出る。十年にわたり、冬季に首都圏で土工や左
官の下働きの仕事に従事する。
1970 年
35 歳。米の減反政策が始まり、ここから長く減反反対運動に係る。
日本農民文学会会員となる。
1972 年
日本農村活動家訪中団の一員として、1 か月にわたり文化大革命下の中
華人民共和国を訪問。(1979 年『わが中国紀行』)
1973 年
出稼ぎをやめ、兼業として廃棄物収集業を始める。収集車には「人民服務
号」と書く。
1974 年
三里塚の成田空港建設反対闘争を記録してきた小川紳介が主宰する小川
プロダクションを地元の牧野地区に招く。
ブドウ、プラム、サクランボなどの果樹栽培を始める。
1978 年
叔父が戦死した北太平洋のウエーキ島で遺骨収集を行う。
詩集『わが八月十五日』出版(山形県詩賞受賞)。
1981 年
上山市民訪中団として再度訪中。文革後の変化と近代化に戸惑いを覚える。
1986 年
詩集『詩信・村の幻へ』出版(日本農民文学賞受賞)。
日本現代詩人会会員となる。
1989 年
上山市教育委員となる。
1991 年
詩集『まぎれ野の』出版(晩翠賞、真壁仁・野の文化賞、山形県芸術文化
会議賞を受賞。)
1993 年
詩誌「山形詩人」創刊。主宰者となる。
1994 年
牧野地区会長に就任。
1995 年
日本現代詩文庫『木村迪夫詩集』及び詩集『マギノ村・夢日記』出版。
2000 年
斎藤茂吉文化賞受賞。
2002 年
詩集『いろはにほへとちりぬるを』出版(現代詩人賞受賞)。
2005 年
詩文集『八月十五日』出版。
2006 年
山形県詩人会会長に就任。(2009 年度まで務める。)
2008 年
詩集『光る朝』出版(丸山薫賞、山形県詩人会賞特別賞受賞)。
2012 年
詩集『飛ぶ男』出版。
2015 年
ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』(原村政樹監督作品)発表。