マリ=アントワネットの肖像画

“アートにTRIP”資料館
エスカリエ特講 〜文化にみる当時の社会〜
世界史のしおり 2015年度2学期号付録 写真提供:ユニフォトプレス
マリ=アントワネットの肖像画
解 説
ロココの隆盛と終焉──マリ=
アントワネットの肖像画を通し
て
早稲田大学博士後期課程
江澤菜櫻子
廷における盛装であり,18世紀を通して宮廷に花
開いたロココ文化を映すものであった。とりわけ
授業
活用例
肖像画が語るイメージ戦略の光と影
─マリ=アントワネットと女流画家ルブラン─
まだ写真が登場していなかった18世紀,肖像画
福岡県立東筑高等学校
今林常美
化と政治の結合を考えさせる。
世紀後半になると,パニエはより大きくふくらみ,
は貴重なイメージ媒体であった。
今回,
取りあげる
アントワネットはブルボン朝王妃としては異質
髪はより高く結い上げられるようになり,奢侈か
肖像画はマリ=アントワネット自身が,母マリア=
の王妃であった。15世紀以来,フランス宮廷では
つ奔放な性格を強めていく。例えば,本作が描か
テレジアに贈るために同じ歳の若き女流画家ルブ
「公式寵姫」制度が認められ,
王妃につぐナンバー
しゃ し
れたのと同じ1778年には,アメリカ独立をめぐっ
ランに制作させたものである。この肖像画にまつ
ツーとはいえ,その美貌と才覚に裏づけられた存
フランス王妃マリ=アントワネットの23歳ごろ
てフランスがイギリスと戦闘を繰り広げていたこ
わるさまざまな話題に触れながら,革命直前のフ
在感は宮廷ではダントツであった。その分,宮廷
の姿を写した本作は,王妃の故郷であるオースト
とを背景に,巨大な軍艦を頭にのせるという奇抜
ランスの外交や宮廷社会,欧州ファッション事情,
への評価は「公式寵姫」に向けられ,王妃は彼女
リア宮廷に贈ることを目的に,フランス人女性画
な髪型が流行した。髪はウールや馬毛,ワイヤー
描かれた事物に宿る歴史との意外なつながりなど
を安全弁にしてその地位を安寧に保つことができ
家 エ リ ザ ベ ト=ル イ ー ズ・ ヴ ィ ジ ェ =ル ブ ラ ン
などで巨大に造形され,花やリボンで豪勢にかざ
を生徒とともに考察し,語っていくことにする。
た。生徒にはエスカリエp.132に掲載されたルイ
(Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755〜1842)
りつけられており,宮廷の女性たちは髪型がくず
ルブランが描いたアントワネット盛装の肖像画
15世の公式寵姫ポンパドゥール夫人を紹介し,彼
に制作を依頼されたものである。それまでルブラ
れないよう,籐や鯨のひげの輪枠と絹でできたお
は画家自身の模写も含めて7点ほどあったと伝え
女のアトリビュートを分析しながら,その美貌と
ンは王妃の肖像を公式に描いた経験がなかったに
おいをつけて髪を保護していた。
られているが,今回紹介する肖像画は正真正銘最
才媛ぶりを語りたい。アントワネットの場合,ル
一方,画面の細部を見ると,ルブランはフラン
初の一枚である。ロココ絵画に特有の優雅な微笑
イ16世が王妃以外に愛人をもたなかったため,宮
く気に入り,オーストリア宮廷に贈るのみならず,
ス宮廷の華麗さだけでなく,フランス王家の威光
み,モデルの性格もふまえた的確なデッサンにも
廷への評価は彼女に一身に向けられる傾向があっ
ルブランにレプリカを複数制作させて,ロシアの
をも描こうとしていたのではないかと思われる。
とづく共感あふれる描写は見る者を18世紀ロココ
た。当初,パリ民衆の歓呼の声が高かったことも,
エカチェリーナ2世に贈るほか,ヴェルサイユ宮
画面右側には,アントワネットの背たけよりも高
の世界に誘ってくれる。解説文にもあるように,
逆にのちに「浪費夫人」の悪評が高まったことも
殿にもかざることとした。以後,ルブランはアン
く台座がそびえ立ち,その上にルイ16世の彫像が
フランス王妃のあかしとしてのアトリビュートが
そのことが背景にある。ルブランが制作したアン
トワネットの肖像画を数多く手がけ,王妃の肖像
おかれている。台座前面には,右手にてんびんを
各所にちりばめられ,威厳と気品に満ちた王妃の
トワネットの肖像画にはそのことを意識したイ
画家として名をはせるとともに,当時の女性画家
持つ正義の擬人像とおぼしき画中画が描かれてお
絵姿にマリア=テレジアが大喜びしたのも当然だ
メージ戦略が見え隠れしている。
にとって非常に狭き門であったフランス王立絵画
り,さらにそのわきにはフランス王家の紋章が
ろう。
彫刻アカデミー入会を果たすなど,画家としての
入ったクッションがおかれ,クッションの上には
ここで生徒に絵の感想を聞いたあと,残り6枚
りとしたい。画中の王妃のドレスのなかにはドレ
地位を築いたのであった。
王冠が鎮座しているのである。こういったモチー
の絵の行方を説明し,このうち2枚がアメリカ議
スをふくらませるためのパニエとよばれるアン
もかかわらず,アントワネットはこの作品をいた
最後に本画にまつわるクイズを出して締めくく
このルブランの出世作ともいえる作品において
フが周到に配置されるなかで豪奢な衣装に身を包
会とロシアのエカチェリーナ2世に贈られたこと
ダースカートが着装されているが,このおもな素
何よりも目を引くのは,王妃アントワネットのは
むアントワネットの姿は,まさにフランス王家の
の意味を考えさせたい。手がかりにしたいのが原
材として考えられるものを次のなかから選ばせる
なやかなよそおいであろう。光沢を放つ白いサテ
富と権力を示しているのではないだろうか。
画制作年の1778年である。模写といえども時間は
ことにする。①馬のしっぽ ②鯨のひげ ③さめの
とう
ン地でできたドレスは,籐や鯨のひげなどでつく
しかし,宮廷人たちが発展させていったロココ
かかる。原画から1,2年間に制作されたものと
背骨…生徒にはかたいけれども曲げやすく折れに
られた輪枠が仕込んであるパニエ(アンダース
文化は,この肖像画が描かれてから約10年後,フ
すれば1779年から1780年,フランスにとっては微
くいもの,というヒントを与えておくことにする。
カート)で大きくふくらんでおり,金糸のふさか
ランス革命の勃発と王政崩壊を境に終焉を迎える。
妙な国際関係の時期である。当時,ルイ16世は
解答の正答率は30%くらいだろうか。解答後,そ
ざりで幾か所もたくし上げられることによって
革 命 の 原 動 力 と な っ た「 サ ン=キ ュ ロ ッ ト 」
1778年にアメリカの独立戦争を支援する同盟を結
の素材はどういう形で入ってきたのかを追加質問
いっそうボリュームを増している。さらに,背か
(sans-culottes)とよばれる民衆は,その象徴的
んでおり,実際に部隊をアメリカに派兵したのは
する。18世紀後半~19世紀にかけて,この素材と
ら画面左下にいたるまで引きすそが長くたれてお
な存在であろう。フランス語の “sans” は英語の
1779年であった。一方,ロシアのエカチェリーナ
鯨油を求めてアメリカの効率性高い捕鯨は最盛期
り,サテンがふんだんに使われていることが看取
“without” に相当し,
「…のない」という意味の前
2世はイギリスに対抗して武装中立同盟を提案し,
を迎えるが,18世紀後半の操業地は大西洋である。
される。胸もとや袖口には大量のレースがあしら
置詞であるが,彼らは貴族の男性たちが着用して
1780年にはスウェーデンなどと同盟を結んでいる
19世紀以降,アメリカはこの事業を太平洋で開花
われているが,このように数段重ねられたレース
いたキュロットと絹の靴下を身につけず,粗末な
のである。肖像画がいつ贈られたかは不明である
させることになり,日本とアメリカもこの捕鯨が
かざりは,当時きわめてぜいたくなものであった。
パンタロン(長ズボン)を着用することによって,
が,2枚の肖像画贈与がアメリカ独立戦争がらみ
らみで出合うことになるのだ。一見,つながりそ
また,高く結い上げた髪には,元来ヨーロッパに
絢爛なロココ文化を,そしてそれを支えていたフ
の外交戦略の一環であったことは間違いないだろ
うにない,ヨーロッパの宮廷を中心としたファッ
は生息していない希少なダチョウの羽根が何枚も
ランス王家と貴族たちを否定したのであった。
う。生徒には『明解世界史図説 エスカリエ 七
ション界と新興のアメリカ捕鯨,そして日本の動
訂版』
(以下,エスカリエ)巻末年表やp.129年表
きが“鯨のひげ板”で結ばれていくのである。生徒
から,1778年のフランスの対英宣戦布告や1780年
とともにモノが結ぶ歴史の縁の不思議さを味わい
のロシアによる武装中立同盟提唱を拾わせて,文
たい。
あしらわれている。
このような贅をつくしたよそおいは,アントワ
ネットだけが行っていたわけではなく,当時の宮
【主要参考文献】石井美樹子『マリー・アントワネットの宮
廷画家──ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』
(河出書
房新社,2011年)