中部地区市民館 市民館まつり 特別講演会 回 覧 ~道なき恋に生きながらも 玉糸に全てをかけた 「糸の街豊橋」の恩人『小 渕 志 ち』の生涯をひもとく~ ひとすじの糸 1847年に群馬県(現前橋市)で生まれ、15歳の 頃から製糸業に従事し、糸引き座繰りの技術をマス ターする。17歳で結婚するが、夫・斉藤米吉は酒 や賭け事に明け暮れたため離婚を余儀なくされる。 その後、仕事で知り合った中島伊勢松(のちの徳次 郎)と駆け落ち同然で出奔。旅先の豊橋二川町で 座繰りを教え始め、やがて従業員千人を超す大工 場の経営者となる。 一般女性として初めて大正天皇の拝謁を賜った女 性起業家第1号で、豊橋を「糸の街」に発展させた 「小渕志ち」の波乱万丈の生涯を語る。 《講 師》 二川宿「商家駒屋」事務長 ▲大岩町/岩屋山麓の小渕志ち銅像 と き 松 田 好 市 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11月14日(土) 午前10時~11時30分(1時間30分) ところ 中部地区市民館(☎53-0638/東松山町23) 大集会室 定 員 100名 (先着順) 事前申し込み不要 参加料 無 料 【共 催】 「ひとすじの会」 会長 宮下孫太朗 第一次世界大戦集結翌年の1920年4月、戦争特需の反動 で日本の景気は急降下。 まれた。 全国の数多くの企業が倒産に追い込 当時志ちは73歳、工場経営は子や孫に任せていた が、損失の話を耳にすると笑ってこう語った。 ◆「この工場がなぁ、立ち行かんで、もし人手に渡っても仕方はないが、 渡すときはこの工場は婆々つきで買ってもらうんだから、それは承知して おいてもらいたい。 私は飯と汁さえあればいい。 贅沢なことは言わん のだから・・・ 婆々つきの工場だからのう。」 ◆「泣けるのは未いまだ愚かなことだ。 一生懸命のときには泣くどころで はない。」 「自分の悲しみは自分だけの悲しみで、人の悲しみではない。 それを語ったとて何になろう。 人が我が悩みを手伝ってくれられるもので ないから、話すことは無用のことだ。」 気丈な性格で、周囲には愚痴一つ語らなかった。 働くこと を尊び、80歳を過ぎても製糸場内を見回り、自ら糸をひき、 経営者としての大きな財産と名誉を得ても質素な生活を貫いた。 《参考文献》ぐんまルネサンス
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