9 西域文化が花開いた敦煌と嘉峪関 - Travel Journal Gateway

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2015中国シルクロード観光年
西域文化が花開いた敦煌と嘉峪関
仏教芸術と万里の長城の起点を望む
世界に名高い莫高窟をはじめ、シルクロード文化の粋を極めた敦煌、
北京から続く「万里の長城」 西端の遺跡が残る嘉峪関。
東西交流と古代文明の夢の跡が残る、シルクロードのハイライト都市だ。
文・ブラックフィッシュ 写真協力・中国国家観光局駐日本代表処
河西回廊の最西端に位置する敦煌は、
た第158窟、莫高窟で最も大きな塑像
前漢の武帝が西域に置いた河西4郡(武
と雄大な壁画が有名な第96窟など、敦
威・張掖・酒泉・敦煌)の1つ。敦に
煌芸術の傑作が鑑賞できる。
は「大きい」、煌には「盛ん」という意
市街区に近い白馬塔村には、武威で
クなどのアクティビティーを楽しむこと
味があり、中国・インド・ギリシャ・
仏典の漢文訳に打ち込んだ西域の高僧・
もできる。
イスラムの文化がここで交わり、華やか
鳩摩羅什ゆかりの白馬塔がある。乗っ
敦煌北西の郊外には、古代シルクロー
な西域文化が生まれた。
ていた白馬がここで死んでしまったため、
ドの重要な関所だった玉門関がある。
敦煌の名は、世界遺産で中国三大石
白馬をしのんで建てられたというこの塔
ホータンから玉が運ばれるとき、この関
窟の1つ、莫高窟により一躍有名にな
は、 土レンガの9層 建て、 高さ12m、
を通ったことから、その名が付いたと
った。前秦時代の366年に掘削が開始
直径7m。周囲の木々や遠くの山々を
いう。唐代の詩人・王之渙が『涼洲詞』
され、その後約1000年にわたり、芸術
背景に堂々とそびえる、白馬塔村のシ
の中で「羌笛何ぞ須いん 楊柳を怨むを
的にも優れた塑像や壁画を擁する石窟
ンボル的存在だ。
春光度らず玉門関」の名句を詠んだこ
が造られていった。石窟は南北約1600
m、上下5層からなり、現存する洞窟
自然が生んだ名勝と新世界遺産
砂山と泉の絶景が望める「鳴砂山・月牙泉風景区」
とでも名高い。小方盤城という別名を
持つ、南北26.4m、東西24m、城壁の
は492カ所、禅窟、殿堂窟、塔廟窟、
敦煌の南約5km に位置する鳴砂山・
高さ9.7mの土の城で、荒涼とした風景
天井アーチ形窟、影窟などがある。西
月牙泉は、莫高窟と並ぶ敦煌観光の定
の中に当時の姿をとどめている。2014
魏時代の塑像と極彩色の壁画が美しい
番スポット。5色の粒状の砂が堆積して
年に世界文化遺産「シルクロード」の1
第249窟や、大型の涅槃像が収められ
できた砂山と、麓にある三日月型の青
つとして登録された。
く澄んだ泉が作り出す風景、砂漠を進
玉門関の南には、玉門関と並ぶ辺境
むラクダの隊商のイメージが相まって、
の要衝として知られる、陽関がある。
世界中から多くの観光客が訪れている。
漢代に造られた烽火台跡が見られるほ
現地では、キャメル(ラクダ)ライディ
か、陽関博物館には古代の貴重な文物
ングのほか、サンドスキーやサンドバイ
が展示されている。
9層建ての堂々たる「白馬塔」
漢代の西端の関所跡「玉門関」
「莫高窟」第249窟、西魏時代の塑像と壁画
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TRAVEL JOURNAL 2015.3.9
建設当時のまま残されている明時代の関所「嘉峪関」
急斜面に築かれた「懸壁長城」
万里の長城の第一墩
古代の景観を今に伝える嘉峪関
「魏晋壁画墓」の彩色画
嘉峪関国際グライダー基地
正方形の角錐体だったが、風雨に浸食
犬などの動物の岩画からは、当時の人々
されて一部の壁が崩れ、今はのろし台
の生活ぶりがうかがわれる。
酒泉からシルクロードを敦煌に向かう
だけがポツンと取り残されたように立っ
魏晋壁画墓のほど近くには、スポー
途中に、嘉峪関がある。
ている。
ツ用グライダーやパラグライダーなどの
ここではまず、市街区からも近い嘉
上記3つのスポットを巡り、万里の長
アクティビティーを体験できる嘉峪関
峪関の関城へ。世界遺産「万里の長城」
城西端の歴史に思いを馳せてみたい。
国際グライダー基地もある。ここでは、
の一部として登録されている嘉峪関は、
明の時代に建造され、長城沿いにある
壁画と岩画で昔の暮らしを思う
1000を超える関所の中で、最も保存状
嘉峪関の郊外には、古代の彩色画や
態が良いといわれる。現存する関城は
岩画を見られるスポットがある。
内城をメインに、面積2.5万㎡、城壁の
市街区の北東、約20㎞の砂礫の広が
専門のコーチやパイロットの指導の下、
空の上から大草原や祁連山が連なる美
しい風景を楽しむことができる。
敦煌・嘉峪関のグルメと土産
高さ10.7m、黄土とレンガでできた堅
る大草原の中に、1400余基の魏晋時代
敦煌や嘉峪関の人々は、麺を主食と
固なもの。
城内には遊撃将軍府・文昌閣・
(220 ~ 420年)の古墓、魏晋壁画墓が
しており、麺の作り方にも各家庭での
関帝廟・牌楼・戯楼などが、城壁の裏
ある。現在までに10数基が発掘され、
こだわりがある。
敦煌の手打ち 子麺は、
には箭楼・閣楼・水門の開閉扉楼など
一般に開放されている。家族式で数室
細かく切った肉を炒めて醤油を加え、
が保存されている。
に分かれたレンガ墓で、内部には多く
それを麺に載せたもので、日本人の口
嘉峪関の関城から北へ8㎞、石関峡
の層の彩色上絵が飾られ、その間には
にも合う。市街区の小吃一条街では、
口北側の黒山北坂には、懸壁長城があ
アーチ型の斜め傾斜式の墓道が通じて
いろいろな麺料理を食べることができる。
る。
明の時代、
1539年に築かれた長城は、
いる。各墓室の床面のレンガにはさま
また、醸皮子という小麦粉や米粉を使
急峻な山の背に沿って下降するウォー
ざまな絵や模様が、壁面のレンガにも
った辛くて酸っぱい蒸し料理や、四川
タースライダーのようで、長城が逆さに
彩色画が描かれ、
「地下の画廊」とも呼
風の辛味の強いファストフードも人気。
宙に浮かびながら石関峡の口を封じる
ばれた。見学できる墓室の中では、西
陽関東路の沙州市場などには、露店が
ように見えるそうだ。上に登ると、絶
晋の官吏の古墳である6号墓が保存状
たくさん出ている。肉料理では、
羊や鶏、
壁をよじ登るようなスリルが味わえると
態も良く、壁画や彫刻も美しい。
牛肉料理のほか、ラクダ料理も旅の思
いう。
市街区の北西、約20㎞のところには、
い出によいだろう。
また、嘉峪関の関城から南へ7km 移
黒山峡谷の断崖絶壁に描かれた黒山岩
土産物としては、オニノヤグラ・カン
動すると、万里の長城の第一墩(のろ
画がある。紅柳溝、磨子溝、石関峡口
ゾウ・オバナオウギ・トチュウなど漢方
し台)がある。明代の長城の西端の台
などを中心に、2000m以上の長さにわ
薬の生薬、嘉峪関の石硯、敦煌壁画の
墩(のろし台)の起点で、懸壁長城と
たる岩壁に153枚もの岩画が描かれてい
レプリカ、水晶、夜光杯、ろうけつ染
同じ1539年に築かれ、古代、軍事防御
る。
戦国時代から明代に及ぶ間のもので、
めの小物類などがおすすめ。敦煌市街
のために造営された66基ののろし台の
画風は素朴でユニークな構図も多い。
には、飛天商場や天馬商場、供鎖商場、
南路10基の最初に造られたもの。元は
猟や舞踏、馬に乗る人の姿、山羊や牛、
南関総合市場などのマーケットがある。
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