命 の 尊 さ と 地 域 の 〝 固 い き ず な 〟 を 考 え る

うな気がします。しかし最近は、ヒトという生き物の
従来、アタッチメントというと、それはどうしても
家庭内の親子関係の文脈で語られることが多かったよ
ることなのです。
既に多くのエビデンスをもって明らかにされてきてい
しているものを十分に補う潜在力を秘めていることは、
ものとして在ります。その視座からすると、おそらく、
保育者との関係は、時に家庭における親子関係に不足
近年は、アタッチメントにかかわる多様な研究が飛
躍的に進展し、前述でふれたような心の側面だけでは
本来の子育ての形態が「集団共同型子育て」であった
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ごいことなのです。
なく、脳や身体の発達にも、幼少期のアタッチメント
可能性が高いことが論じられ、その中で、実の親以外
の大人による養育、専門的にいえばアロペアレンティ
まれて在る「教育」の意味を再確認し、自身がその役
の質が大きく影響することが明らかになっています。
)に注目が集まってきています。
ング( alloparenting
そして、現代社会の中で、その最も主要な担い手と
なる人が保育者であることは、半ば自明のことかと思
割をしっかりと果たし得るという強い自覚をもって、
再三述べてきたように、少なくとも乳幼児期におけ
る「保育」と「教育」はかなりのところ、表裏一体の
示されてきているのです。そうした意味でも、アタッ
います。もちろん、先行する親とのアタッチメントが
先に述べたような子どもに対するケアの基本中の基本
例えば、1歳段階のアタッチメントが安定していた
個人は、不安定だった個人に比して、 歳過ぎに訴え
チメントを核として子どもをしっかりとケアすること
その後の家庭外の保育者との関係性にも影響をおよぼ
を、日々、ぶれずに実践し続けるということなのかも
保育者に一番に問われるべき専門性とは、「保育」に含
の中に、元来、組み込まれて在る、子どもの心身両面
すという可能性は否定できません。しかし、先にふれ
る身体症状が約4分の1に留まるというようなことが
に対する教育的意味の大きさを私たちはもっと見直し
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しれません。
鹿又勝次/北海道・夕陽ヶ丘保育園園長
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命の尊さと地域の〝固いきずな〟を考える
あの日、北海道でも不気味な揺れが続
き、テレビのニュースでは信じがたい映
像が次々と流れ、
“何?うそでしょ!”
“が実感でした。
被災地の方々のために何かできること
はないか…との思いをもちつつ、3年を
経て、一昨年6月の全国私立保育園研究
大会・岩手大会に夫婦で参加しました。
分科会では釜石市内や鵜住居地区を訪
れ、避難場所となった高台から釜石港を
眼下に、ボランティアの方から当時の地
震と大津波の被害状況について説明を受
けました。
市街地では復旧がすすみ、大震災の爪
痕を感じる場所は少なくなっていたもの
の、街並みであったはずのところが雑草
と建造物の土台やアスファルト道路だけ
という無残なところもあり、その凄さは
想像を絶するものでした。ビルの外壁に
は、 津波到達点 の青いプレートが張ら
れ、津波の巨大さと恐ろしさを訴えかけ
ているかのようでした。
釜石東中学校の生徒たちは、普段の訓
練どおりに鵜住居小学校の児童の手を引
いて避難の支援、そして鵜住居保育園の
保育士と一緒に園児を抱えて台車を押
し、高台への必死の避難で難を逃れた事
実を聞き、胸が熱くなりました。
また、大会終了後には宮古市を訪れ、
復旧再開した北リアス線にも乗車するこ
とができました。田老地区では、過去の
津波被害から“万里の長城”とも呼ばれ
る巨大防潮堤が築かれていましたが、残
念ながら大津波を食い止めることはでき
なかったとのことでした。
現地を訪れて当時の状況を見聞きし、
いつ・どこで発生するか予測のつかない
自然災害に備える対策の重要性、そして
命の尊さ、地域の皆さんどうしの“固い
きずな”等について、改めて強く考えさ
せられました。
2万4千人を超す死者・重軽傷者・行
方不明者、そして今なお避難生活を強い
られている方々が全国で18万人以上と
いう現実があることを忘れることなく、
被災地の復旧復興がすすみ、震災被害に
遭われた皆さんが心穏やかに生活できる
日が一日も早く来ることを遠方からも祈
り、応援し続けたいと思っています。
たペリー就学前計画を挙げるまでもなく、家庭外での
を忘れない
て然るべきなのかもしれません。
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応援メッセージ
私たちは
保育通信■No. 732 2016. 4. 1.
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