260回 和泉山脈を歩く

4月の探検行
第260
発行日2015.04.23
新緑の和泉山脈を歩く
4月の探検
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今年のサクラは如何でしたか?花を見損ねた人も多かったようで、雨・雨・雨
にたたられ、異様な低温の日もあり、花見が空振りにおわった人もおられたので
はないでしょうか。
和泉山脈は、ソメイヨシノのような一斉咲きではなく、実生から様々のサクラ
が生え、吉野山とは比べるべくもありませんが、花期の遅いものが見られ、仲々
の景観が期待されます。また、ツツジが見られるはずです。淡紅色の満開期にな
りますから、この時期のこのコースを選んだのは正解です。斜面の下草ではシャ
ガも見られるはずです。花期は4月下旬から5月にかけてですからたのしみです。
それから期待して頂きたいのは、野鳥です。ウグイス・メジロ・ホオジロ、谷
筋ではセキレイ・カワセミ・ヤマセミが見られます。したたる新緑の中での野鳥
の鳴き声を御期待下さい。
本日のコース:西国札所4番の槇尾山・施福寺は、札所で一番行きにくいコー
ス。帰路の、池上曽根遺跡は、関西一のスケールの弥生遺跡です。堺市に入って、日
主なコース
A 湊川神社前
71.0km
147km
B 槙尾山施福寺
18.1km
C 池上曽根遺跡
9.6 km
大仙古陵
D 土塔
土塔
6.2km
池上曽根遺跡
弥生文化博物館
E 大仙古陵
42.7km
A 湊川神社前
147 km
(全長往復)
施福寺
本最大の墳墓:大仙陵(仁徳陵)で、1番が4つ揃ったのは珍しいと思います。いずれ
も話題に事欠きません。
◎コースのあらまし
7:30湊川神社前発→湾岸道をつかい堺市を経て泉大津R480をつかい、槙尾中
学校前を経由、槙尾川沿いに槇尾山駐車場まで、近畿自然歩道は約1km上り道、
山門に至ります。山門から800段ほど石段があり、施福寺本堂です。参拝・昼食・
自然観察ののち下山、和泉市・池上曽根遺跡見学・弥生文化博物館見学。
バスは北上して、堺市へ。土塔見学の後、堺東駅にある市役所展望台へ。大仙
陵や履仲天皇陵を見学。あと、R34をつかい出島口から湾岸道に入り、神戸へ。
◎見どころ・寄りどころ
槇尾山施福寺:槇尾山(600m)の頂上より北東側にあり、バス道・自然歩道とも
に登り坂で、参道そのものが登山道となっています。施福寺(せふくじ)は
33所でも一番の難コースといわれていますが、昔は交通の手段がなく宿屋
をつかわないと行けなかった寺です。寺は欽明天皇の時代に創建され、山岳
修行の道場として知られます。役行者(えんのぎょうじゃ)が法華経を書写
し、巻尾を納めたことにより、「巻の尾」が山号となったものだそうです。
また、空海が修行・出家得度したことでも有名です。宝亀2(771)年の
開創の天台宗寺院。新緑と紅葉の名所で、野鳥観察スポットでは近畿地方有
数のものです。まさに深山幽谷の別天地で、和歌山・奈良の県境に近く、大
阪の奥座敷といったところです。(JRは和泉府中駅)
池上曽根遺跡公園:和泉市の信太山駅から700m程のところにある弥生遺跡で、近
畿地方最大のもの。静岡市の登呂遺跡(1943年発見)・福岡市の板付遺跡
にならぶもの。遺跡の総面積は60万㎡と推定され、その中に中心部は国の
遺跡指定を受けています。池上曽根弥生情報館と大阪府立弥生文化博物館が
あります。(0725-46-2162)
この公園内に復元された建造物は、いずれもスケールが大きく、大阪人の
文化財保護に対する気持ちのあらわれを感じます。南河内郡河南町の近つ飛
鳥風土記の丘とあわせて文化財学習の好テキストです。
土 塔:727年(神亀4年)行基によって大野寺が創建され、その際に土塔も築かれたと
されています。発掘調査によると土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十
三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたようです。平成21年4月復元整備によって
創建当時の姿が再現されました。
2
土塔から北西約160mには土塔に使われた瓦
の窯跡が2基見つかっています。約460m北方
には行基が天平13年(741年)以前に造った薦
江池(こもえいけ)ではないかと考えられる菰
池(こもいけ)というため池もあります。
周辺からは文字を記した瓦が1,300点出
土、大半は人名で行基と共に土塔を築いた人
たちと思われます。
非常に貴重な遺跡のため昭和28年(1953年)
土 塔
国の史跡に指定、全国的にも古代の文字資料がこれだけまとまって出土する遺跡は珍し
いといえます。
大仙古陵:日本人の祖先たちが、古墳づくりに情熱をかけていたのは、大体、3世紀後
半から7世紀にかけてで、大和政権の成立・発展と密接な関係があるとされてい
ます。古墳群といわれるものは大仙古墳群(堺市)・古市古墳群(羽曳野市)・
大和(おおやまと)古墳群(桜井・天理市)の3ヶ所で、大阪府・奈良県にあり
ます。中でも仁徳天皇陵と見なされている大仙陵をはじめ、全部で50基を超す堺
市内外のものが最大で、前方後円墳は墳長486mで最大のものです。南側に遥拝
所があるのですが、大きすぎて全体像が見えません。堺市役所の展望室からは、
何とか全貌 がつかめるかと思います。全国では古墳は北海道・沖縄を除いて見ら
れます。畿内を外れては岡山県吉備地方に大きいものがあります。
○和泉山脈の岩石相(地学講義)
和泉山脈は、わが国最大の断層線:中央構造線(メディアンテクトニックライン;単
にメディアンラインとも)の一部分で、低山ではありますが、全山、サ岩(和泉サ岩と
よばれるもの)でできています。細砂(粒径2㎜以内のもの)の堆積で、成立は中生代
(6000万年以前)と考えられます。
本州に地向斜(大きな凹地)があり、その浅海底に細砂が流入して出来た地層で、総
厚は7~8000mに達するものであると考えられています。淡路島の南にある諭鶴羽山地
や四国の阿讃山脈につながるもので、化石としてはアンモナイトの産出があり、風化土
砂地のタマネギや花栽培としてスイセン・スイトピー・カーネーションなど、共通のも
のがあります。
3
施福寺登山マップ
百舌鳥古墳群
1
仁徳天皇陵古墳
2 履中天皇陵古墳
3
4
ニサンザイ古墳
御廟山古墳
5 乳岡古墳
6 反正天皇陵古墳
4