水塚をもつ民家を調べる w9803 埼玉県大利根町旧小林家基礎調査・活用計画 1997 年 4 月、埼玉県大利根町の政策企画課長から水塚のある屋 敷の利活用について相談を受けた 。「かつて大利根町の旧家であっ た小林さんから、現在は都内にお住まいがあり、大利根の屋敷まで 管理できないので町に寄贈するとの申し出を受けた、ついてはアド バイスを欲しい」とのことであった。そこで 6 月に、学生と屋敷配 置、間取りの概略を調査した。母屋はまだまだしっかりしているう え、裏にはカサリーン台風時には数十人が避難したといわれる水塚 があり、この地域の典型的な屋敷構えをみせているので、本格的な 調査と利活用計画策定の必要性について提言した。 その結果、私が顧問、伝統技法研究会が中心となって基礎調査を 行ったうえで、利活用計画案をまとめることになった。そして、伝 統技法研究会の熱心な調査が終わり、議論を重ねたうえで、 1998 年 3 月に調査結果と利活用計画案を報告することができた。 1998 年度には住民参加の利活用計画策定がスタートする予定である。以 下に報告書前文「 文化遺産としての旧小林家 」と間取りを紹介する 。 前文「文化遺産としての旧小林家」 関東地方の農村を歩くと、先人が営々と築きあげてきた特徴的な 原風景を見ることができる。その一つは、主に微高地や台地に展開 する風景で、住まいは塊状に集積し、屋敷林がこんもりとした森を なす 。微高地や台地が選ばれたのは洪水から難を逃れるためであり 、 洪水と隣りあわせに暮らす住まい方は稲作を生業としてきた歴史に ある。水利が悪く、どうしても稲作が行えないところでは、畑地が 開墾された。延々と水路を導き、水路に沿って屋敷が並ぶ短冊形の 地割りが特徴で、屋敷の列、畑地の列、その向こうに平地林の列が 形成された。これも特徴的な原風景の一つである。 河川の氾濫が繰り返す低地ではどうか。河川はいつも同じ川すじ を流れるわけではなく、ときとして大氾濫をし、大きく流路を変え る。そのたびに、運ばれた土砂が川沿いに堆積し、自然堤防を形づ くる。村人は水利のよい立地を選びつつ、洪水の難を逃れるために 自然堤防に居を構えようとする。自然堤防は川すじに沿って蛇行し - 1 - ており、ここに立地する屋敷群も川の流れに規定され、前にならえ をしているように整然と並ぶ。いわゆる列村である。いつの間にか 川が遠ざかり 、自然堤防の面影が失われていることが少なくないが 、 地図を見ると 、旧家が整って並んでおり 、先人の知恵をしのばせる 。 これも農村を代表する原風景である。 もう一つ、広々とした水田に点在する屋敷も原風景にあげること ができる。水田の開墾は早くから行われてきたが、とりわけ関東地 方では江戸の発展にともない新田開発が奨励された。そして、洪水 常襲地でもある沼地や低湿地が開墾されるようになった。洪水常襲 地には住み難い。始めは本村に居を構え、出づくり小屋を設けて水 田を営んでいた人たちも、工夫を凝らし徐々に定住を始めるように なった。このときに生まれた知恵が水塚である。少しでも高いとこ ろを探して立地するため屋敷は点在することになる。いわゆる散居 である。 敷地全体を少しだけ盛土し、数年に一回程度の洪水対策とした。 ここには納屋を置き、農作業の便に応えた。母屋はもう少し盛土し た上に建てて、十数年に一度の洪水対策とした。そのうえで、大き な洪水のときに避難したり、よほど大事な食料・家財をしまう蔵を 建てるため相当に高い盛土を築いた。これが水塚である。低地農村 を歩くと、盛土を固め、また季節風を防ぐための屋敷林が大きく育 っており、遠望しても屋敷は見えないが、これこそが洪水常襲地で 編み出された先人の知恵である。 同じ関東地方でも、立地する微地形により異なった原風景が作り 出されるのである。地形を読み、知恵を重ね、それを技術として高 めた結果である。まさに、関東の歴史をいまに伝える文化遺産とい えよう。 母屋は典型的な田の字型平面をとり、ナンドを奥につきだした曲 屋としている。裏に数十人が避難できる水塚があり、鬱蒼とした屋 敷林でつつまれている。手前に庭と門があり、向かって左手、東側 にかまどのある付属屋が配置されている。大利根町を始めとするこ の地域にはこのような屋敷構えが散居を構成する。 このたび、文化遺産の典型である水塚をもった屋敷が大利根町に - 2 - 寄贈されることになった。当主は東京で財をなしているとのこと、 多くの場合不要になった屋敷は売却され、いつの間にか細かく分筆 されて分譲住宅になってしまう。今回は、当主のご好意によりその ままの姿で寄贈された。町ではご好意に応え、もって文化遺産を広 く町民に活用してもらうべく、基礎調査に着手したところである。 訪ねるとうっそうとした屋敷森(これを屋敷守ともいう)に抱かれ てしっかりした主屋が建ち、その背後に、カサリーン台風のときに は数十人が何日も避難したといわれる大きな水塚があって、先人の 思い入れに圧倒される 。この報告書は初年度の現況調査結果である 。 新年度以降、報告書をもとに、町民の英知を集め、活用方法を探っ ていただきたいと願っている。町民の英知の集積こそが、後世に残 る文化を創る礎なのであるから 。( 1998.3 記) 1997 年 6 月調査時点の外観写真・間取り 左写真:屋敷外観、屋敷奥が水 塚、右写真:西側屋敷林、左手 が水塚 左図: 1 階平面図 - 3 -
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