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当教室の基礎研究
はじめに
心的外傷後ストレス障害(PTSD)や社交不安障害のような不安障害やうつ
病などの精神疾患は 10 代後半∼20 代前半の青年期に好発する。その発症、治
療反応性、再発の有無には個人差が大きく、例えば地下鉄サリン事件による
PTSD 発症者は、被害者の一部に留まる。さらに、抗うつ薬や心理療法(認知行
動療法など)の治療は効果的だが、限定的な患者もいることは多くの臨床家が実
感する問題である。このような背景には、疾患の発症脆弱性(発症のしやすさ)
や治療反応性の個人差が関わっていると考える。
当教室では、その個人差を何がもたらしているのかを解明するために、4
つの観点から基礎研究を行っている。
***認知行動生理学教室の考える 4 つのポイント***
1)エピジェネティクス 2)性
3)環境因子
4)脳の反応性
1)発達期脳 DNA メチル化再編成のもたらす精神疾患発症脆弱性
DNA によって構成される個々人のゲノムは本来変化しない一方で、最近では
DNA に対するメチル化などの化学的修飾が DNA 転写産物(=タンパク質)の量を
調整していることがわかってきた。近年、外部からのストレスに応じて脳内神
経細胞の DNA メチル化がダイナミックに変動する可能性があることが示唆さ
れたことにより、精神疾患の発症脆弱性や回復の背景にそのような変化が関わ
っている可能性が探られている。特に、DNA メチル化は、その維持に必要な化
学物質の摂取が必要であり、虐待やネグレクト(育児放棄)、飢餓などは必要な化
学物質の摂取不足をもたらす可能性を持つ。
我々は、マウスの DNA メチル化の維持に働く栄養素(メチルドナー)が若年期
に不足した場合に、後年成体となったときの不安や恐怖といった情動面や社会
性、記憶などへの影響が精神疾患発症の脆弱性につながりうるかを検証してい
る。
<これまでの成果>
Ishii D, Matsuzawa D, Matsuda S, Tomizawa H, Sutoh C, Shimizu E.
Methyl Donor-Deficient Diet during Development Can Affect Fear and
Anxiety
in
Adulthood
in
C57BL/6J
Mice.
PLoS
One.
2014
Aug
21;9(8):e105750. doi:10.1371/journal.pone.0105750
Tomizawa H, Matsuzawa D, Ishii D, Matsuda S, Kawai K, Mashimo Y,
Sutoh C, Shimizu E. Methyl-donor deficiency affects memory and epigenetic
status in the hippocampus. Genes, Brain and Behavior 2015 Mar;14(3):301-9.
doi: 10.1111/gbb.12207
2)恐怖の獲得と消去、再燃に対する発達と性差の影響
パニック症、社交不安症、外傷後ストレス症(PTSD)などの不安症疾患は、思
春期青年期の若年での発症が多く、さらに女性での有病率が高いといった性差
も報告されている。発症脆弱性や治療反応性が発達段階や性の影響をどの程度
受けているかが判明することで、治療選択における個人への適応に対して精度
の良い予測が立ちうる可能性が考えられる。
本研究部門では、マウスを用いて、発達段階や性差による恐怖条件付けモデ
ルに対する反応性の違いを検証し、その要因を探求している。同時に恐怖条件
付けモデルは人における認知行動療法の中でも暴露療法の良いモデルだが、治
療時における援助者の存在の有無は、治療効果にどのように影響するか定かで
はない。基礎的実験から援助者の存在が認知行動療法にどのような影響をあた
えるかについても検証した。
<これまでの成果>
Tomizawa H, Matsuzawa D, Matsuda S, Ishii D, Sutoh C, Shimizu E. A
Transient Fear Reduction by Pair-Exposure with a Non-Fearful Partner
during Fear Extinction Independent from Corticosterone Level in Mice.
Journal
of
Behavioral
and
Brain
Science,
2013,
3,
415-421.
10.4236/jbbs.2013.35043
3)環境因子としてのビスフェノール A(BPA)の胎仔への影響
個体の発達期、ことに母体内における環境因子はストレスとして子宮内の胎
児神経発達への影響が大きいことが知られている。特に特定の化学物質が胎児
の成長に大きく寄与する可能性がある。BPA はプラスチック製品のコーティン
グ素材ですが、内分泌撹乱物質、いわゆる環境ホルモンで、女性ホルモン様の
作用を持ち、子どもの脳発達に対する影響が強く懸念されている化学物質であ
る。我々は母体からマウス胎仔への BPA 暴露の影響を、出生後の行動変化と脳
内神経伝達物質の面から探っている。
<これまでの成果>
松田真悟, 佐二木順子. ビスフェノール A 曝露マウスの不安様行動ならびに脳
内モノアミン濃度について―実験結果からみた精神障害のリスクとしてのビス
フェノール A― ちば県民保健予防財団調査研究ジャーナル 3:9-18(2014) Matsuda S, Matsuzawa D, Ishii D, Tomizawa H, Sajiki J, Shimizu E.
Perinatal exposure to bisphenol A enhances contextual fear memory and
affects the serotoninergic system in juvenile female mice. Hormones and
Behavior. 2013 63(5):709-716. doi:10.1016/j.yhbeh.2013.03.016
4)ヒト脳の感覚過敏性の恐怖反応へもたらす影響
我々の脳は、外部刺激に対して一定の応答をする。そのような脳の反応は誘
発脳波(事象関連電位)として記録される。聴覚を通じて起こる脳波変化を捉える
技法が聴性誘発電位であり、我々は感覚ゲート機構で知られる P50 や MMN(ミ
スマッチ電位)を測定している。これら聴性誘発電位に、恐怖や不安を誘発する
刺激がどのように影響をあたえるかを研究することで、我々は脳の持つ恐怖(不
安)刺激に対しての脆弱性を探ってきた。
同時に、そのような脳の反応に非侵襲的な電気刺激(経頭蓋直流電気刺激:
tDCS)が与える影響を探っている。tDCS は頭皮から直流電気刺激を与えるこ
とで、脳の可塑的な変化を促せることからうつ病をはじめとした精神疾患治療
や、認知機能の向上を図る為の装置として注目されている技術である。我々の
研究で tDCS が聴性誘発電位に影響することがわかってきている。
<これまでの成果>
Kurayama T, Matsuzawa D, Komiya Z, Nakazawa K, Yoshida S, Shimizu E.
P50 suppression in human discrimination fear conditioning paradigm using
danger and safety signals. International Journal of Psychophysiology.
2012;Apr;84(1):26-32. doi:10.1016/j.ijpsycho.2012.01.004
Kurayama
T,Nakazawa
K,Matsuzawa
D,Yoshida
S,Nanbu
M,Suto
C,Shimizu E. Alterations of Auditory P50 Suppression in Human Fear
Conditioning and Extinction. Biol Psychiatry. 2009 Mar 15;65(6)495-502.
doi:10.1016/j.biopsych.2008.09.011