解説 消費者裁判手続特例法

i
はしがき
2013年12月、
「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の
特例に関する法律」が成立し、2016年12月までに施行される予定である。この法
律は、かねて議論されてきた集団的な消費者被害の救済のための手続を定めるも
のであり、
「日本版クラス・アクション」などとも評されている。ただ、その手
続の実態は米国のクラス・アクションなどとは相当に異なり、従来の国内法制と
の比較においても、また国際的な同様の手続との比較においても、かなり新規な
ものになっている。本書は、この新たな手続の概要を紹介するものである。
本書は、6章から成る。第1章において、
「なぜ特別の訴
か」
、すなわち制度
手続が必要なの
設の理由について述べる。そこでは、消費者の財産的被害
回復の特徴に鑑み、既存の民事訴 等の手続の限界を示し、新たな手続の必要性
を論じる。
第2章においては、
「どのような経緯で新たな制度は導入されたか」、すなわち
制度
設の経緯について概観する。4つの時期に
けて、
「黎明期」としてクラ
ス・アクション導入論が展開された1970年∼1980年代の議論、続いて「停滞期」
として民事訴
法改正と司法制度改革の中でこの問題が取り上げられた1990年
∼2000年代の議論、その後「転回期」として消費者団体訴 の 設とその拡大に
より今回の立法の基盤整備がされた経緯を紹介し、最後に「実現期」として、本
制度が具体的に 設された経緯について述べる。
第3章においては、
「外国ではどのような手続があるのか」
、すなわち外国の制
度を紹介する。アメリカのクラス・アクションや欧州の団体訴 などの制度を取
り上げるが、近時のこの問題はいわば国際的な制度間競争の様相を呈しており、
上記の枠に収まらない様々な新たな制度も紹介する。そして、最後に、日本の制
度に大きな影響を与え、最も類似していると思われるフランスのグループ訴 に
ついて、日本との比較も えてやや詳細に検討する。
第4章においては、
「新たな手続はどのようなものか」
、すなわち本制度の概要
について説明する。本章が本書の中核をなすものである。新たな制度について、
まず手続の全体像について論じ、次いで、制度の基礎となる適用対象および当事
ii
はしがき
者適格の問題について検討する。その後、手続の流れに う形で、第1段階の共
通義務確認訴 、第2段階の簡易確定手続について順次検討した後、最後に、仮
差押え・強制執行について述べる。ここでは、条文に即して、できるだけ客観的
に制度の全体像を示すことを試みている。
第5章においては、
「新たな手続のポイントは何か」、すなわち本制度の理論的
な位置づけを試みている。この部 は、著者の主観的な理論的理解に基づき、本
制度を論じるものである。集団的権利保護の基本的な え方を踏まえて、本制度
が一種の片面的判決効拡張という消費者側に有利な制度を前提とするものである
ことから、事業者側の不当な不利益や制度濫用の防止のために様々な制度的工夫
を重ねているものであることを示す。
第6章においては、
「新たな制度の課題はどこにあるか」、すなわち本制度の将
来の課題を論じる。前述のように、本制度は国内的にも国際的にも新規性の強い
ものであるがゆえに、様々な制度上・運用上の課題が えられるところ、著者の
思いつく範囲でその課題を挙げ、制度の今後の展望について述べる。
以上のような本書の特徴ないし目的として、以下の3点が挙げられよう。
第1に、できるだけ客観的な立場から本制度の概要を示すという点である。条
文に即した形で、他の制度と比較しながら、客観的にこの手続の意義や内容を理
解できるものになるように努めた。ただ、かなり新たな面をもつ手続であり、解
釈の材料が乏しい場面では著者の主観的な解釈になっている部 もあると思われ
るが、客観性への配慮を努力目標とした。
第2に、国際的な観点からの制度比較という点である。今回の日本の立法は、
先行する多くの諸外国の立法を参 にしながら進められた。結果としては、日本
に独自の手続ができあがったが、随所に比較法的な知見の成果が認められる。そ
こで、日本法の理解にとっても、諸外国の制度の理解は有用なものと えられ、
やや詳細に紹介を試みた。
第3に、著者の理論的な観点からの制度の把握を示すという点である。前述の
ように、制度の概要紹介については客観性に配慮したが、その背後にある制度の
基本的な捉え方についてはやはり理論的な視点が必要であり、そこでは研究者と
しての著者の主観的な理論的理解が前提にならざるを得ない。そのような理解に
は当然異論もあると思われるが、批判の対象としてそれを明確に示すことにした。
はしがき
iii
本書が上記のような目的を十全に達しえているかは、挙げて読者の判断に委ね
られる。ただ、個人的には、本書は著者にとって思い入れの深いものである。約
四半世紀前の著者の研究者としての最初の論稿は、まさにこの問題に関するカナ
ダ・オンタリオ州の改正論議について紹介するものであった(山本和彦「カナ
ダ・オンタリオ州法からみたクラス・アクションの検討」ジュリスト842号156頁以下)
。
その頃には、まさか著者が研究者として活動している間に、日本でもこのような
法律が制定されるとは想像すらしなかった。しかるに、それが現実の立法課題と
なり、立案過程の各種の研究会や委員会において議論の機会を与えられた。それ
は、時に民事訴 法の根本問題に る多くの問題について えさせられる、著者
にとって貴重な時間であった。そのようにして最終的に成立した法律の解説の執
筆の機会を与えられたことには、まことに感慨深いものがある。
ただ、本書の内容は未だ十
なものではないことも事実である。脱稿時期の関
係で多くの重要な文献(特に、伊藤眞「消費者被害回復裁判手続の法構造―共通義務
確認訴 を中心として」法曹時報66巻8号など)を十
にフォローできなかったし、
今後、最高裁判所規則やガイドラインなどが整備され、多くの新たな文献が登場
することが想定される。もし可能であれば、時期を見て、それらルール整備や文
献のフォローを踏まえて、改訂版の執筆の機会をもちたい。
本書がこのような形で出版されるにあたっては、多くの方々のお世話になった。
特に、外国法の研究の関係では、集合的権利保護訴
研究会(代表:三木浩一慶
應義塾大学教授)の研究成果に負うところが大きいし、制度の概要の関係では、
消費者庁の加納克利消費者制度課長および須藤希祥氏に原稿をお読みいただき、
様々なご助言を受けた。本書にある誤りが全て著者の責任であることは言うまで
もないが、ここに記して深甚な謝意を表する。
また、弘文堂編集部の清水千香さんには、本書の企画の段階から全面的にお世
話になった。清水さんの適切な助言、我慢強い励まし、丁寧な 訂がなければ、
本書がこの時期にこのような形で日の目を見ることはなかったであろう。心より
御礼を申し上げる。
2014年11月
山本 和彦
iv
解説 消費者裁判手続特例法 ● CONTENTS
はしがき
i
第1章 なぜ特別の訴 手続が必要なのか
第1節
消費者の財産的被害回復の特徴
第2節
既存の民事訴
第3節
新たな手続の必要性・特徴と課題
…………………………………………
等の救済手続の限界
…………………………………
……………………………………
第2章 どのような経緯で新たな制度は導入されたか
第1節
黎明期
クラス・アクション導入論(1970年―1980年代)…………
第2節
停滞期
民事訴
法改正と司法制度改革(1990年―2000年代)……
1
民事訴
2
司法制度改革の議論( )
3
学説の取り組み( )
第3節
法の改正( )
転回期
消費者団体訴
制度の
1
消費者団体訴
制度の
2
消費者団体訴
の対象の拡大( )
3
暴力団対策法による新たな団体訴
第4節
実現期
設とその拡大
……………………
設( )
制度( )
集団的被害回復手続をめぐる議論の進展 …………………
1
内閣府研究会( )
2
消費者庁研究会( )
3
消費者委員会専門調査会( )
4
法案の成立および施行に向けて( )
第3章 外国ではどのような手続があるのか
第1節
アメリカ等のクラス・アクション
……………………………………
1
アメリカにおけるクラス・アクションの拡大( )
2
カナダ( )
目 次
第2節
欧州の「制度実験」 …………………………………………………………
1
欧州における団体訴
2
ドイツの制度( )
3
北欧の制度( )
4
オランダの制度( )
第3節
等の展開( )
様々な新たな制度の展開
1
ブラジルの2段階型訴
2
韓国の集団 ADR( )
3
中国の
第4節
v
益訴
…………………………………………………
( )
( )
フランスのグループ訴
…………………………………………………
1
フランスにおける従来の団体訴
( )
2
グループ訴
3
新たなグループ訴
4
日本の手続との類似点と相違点( )
第5節
(laction de groupe)制度導入の経緯( )
制度の概要( )
各国の制度のまとめ …………………………………………………………
第4章 新たな手続はどのようなものか
第1節
手続の全体像
…………………………………………………………………
1
対象事件( )
2
原告適格
3
2段階型手続( )
4
第1段階手続:共通義務確認訴
5
第2段階手続:簡易確定手続( )
6
保全・執行手続( )
第2節
適用対象
特定適格消費者団体( )
( )
…………………………………………………………………………
1
適用対象に関する基本的な
2
事業者が消費者に対して負う金銭の支払義務( )
3
消費者契約に関する請求( )
4
請求の類型( )
5
除外される損害(
6
個別事案に応じた除外事由(
7
経過規定(
)
え方( )
)
)
第1章
なぜ特別の訴
第1節
手続が必要なのか
消費者の財産的被害回復の特徴
⑴ 消費者の集団的被害の特徴
なぜ消費者の集団的な被害の回復について特別の訴 手続が必要となるので
あろうか。それは、集団的な消費者被害の回復のための手続の特性に基づくも
のと えられる。すなわち、被害の少額性、被害回復の当否についての判断の
困難性、被害の拡散性および被害者である消費者の特性による。
⑵ 少額性
まず、消費者被害の少額性という特徴がある。一般に、消費者被害は、その
1)
金額が大きくない場合が多い。たとえば、2012年度の消費者生活相談に関する
2)
事案の既支払額の平
は約58万円とされる。このような少額の被害を訴 手続
によって回復する場合、しばしば費用倒れになってしまう。訴 手続は、訴
費用や弁護士費用などを必要とし、一般に相当のコストを要するものであるか
らである。したがって、その回復を実効的に図っていくためには、既存の訴
手続の枠組みでは限界があり、特別の訴 手続がどうしても必要になってくる
と えられる。
⑶ 判断困難性
次に、被害回復の当否についての判断の困難性という問題が指摘できる。仮
に問題が被害の少額性という点だけにあるのであれば、民事訴 法にも少額訴
という制度があり、60万円以下の金銭支払請求については、簡易裁判所で原
1) 投資被害などの場合には被害額が多額に上るケースもあるが、そのような場合だけではない。
2) 一問一答1頁参照。
第1章 なぜ特別の訴 手続が必要なのか
則として1回の審理で判決まですることができる簡易迅速な手続が存在する。
しかし、この少額訴 の手続は、敷金の返還、 通事故の物損、未払賃金の
支払など比較的争点が明確で判断が容易な事件に、その利用が限定されている。
なぜなら、相手方はいつでも通常訴
に事件の移行を求めることができるし
(民訴373条1項)
、裁判所が困難な事件と判断したときは職権でも通常訴
への
移行が可能とされるからである(同条3項)。ところが、消費者被害の事案は、
(そのような単純なケースもなくはないが)しばしば困難な事実認定や法適用を必
要とするものである。その場合には、少額訴 のような既存の手続ではやはり
限界があり、特別の訴 手続が求められることになる。
⑷ 拡散性
さらに、被害の拡散性という問題もある。消費者被害は単に少額多数という
だけではなく、その被害が拡散しているという点にも大きな特徴がある。全国
一の大量消費の中で被害が生じるとき、被害者は地理的に広範囲に及び、ま
た被害者の間には通常、横の繫がりがなく、お互いの間に信頼関係を形成する
ことも難しい。したがって、被害者を糾合して共同原告の形で訴えを提起する
3)
ことは難しい場合が多い。そのため、実効的な被害者救済を図るためには、よ
り容易に被害者を統合できるような特別の手続が必要となる。
⑸ 消費者の特性
最後に、被害者である消費者の特性という点も挙げることができる。消費者
は、加害者である事業者との間で、情報の格差が大きい。実際には、自らが被
害を受けたことすら認識できていない被害消費者も多い。その場合は、当然そ
の回復を自ら求めるということにもならない。また、被害を受けたことを認識
4)
したとしても、消費者がその回復に向けて積極的に動くことは通常期待し難い。
3) 技術の発展によりインターネット等で被害者に呼びかけることは可能となっているが、集まる
原告は被害者全体のごく一部に止まることが一般的である。
4) 平成23年度の「消費生活に関する意識調査」によれば、被害を受けても、どこにも相談するこ
とも伝えることもしない消費者が36%を占めるとされ、
「泣き寝入り」に終わっていることも多
い。
第1節 消費者の財産的被害回復の特徴
特に少額の被害の場合には、被害に遭った自 が悪かったとして諦めてしまう
例も多いという。その結果、被害回復に向けて積極的にアクションがとられな
いことになる。
また、被害を受ける消費者の多くは様々な意味での弱者であることが多い。
高齢者や認知症の人、また資力の乏しい人も多い。その意味で、訴 による被
害回復のハードルが通常の場合よりもさらに高いことになる。そこには、情報
のハードル、費用のハードル、心理的なハードル等様々なハードルが高く聳え
5)
立っているのである。その意味で、実効的な救済を現実に可能にするためには、
被害者に代わって被害回復の手続を起動させる主体が必要不可欠になると え
られる。
⑹ 特別の訴 手続の必要
以上のような消費者被害の特性から、既存の訴 手続を前提とすると、消費
者被害が発生しても、訴 によって被害の回復を試みようとする被害者は一般
に少ないことが予想される。つまり、権利がありながら泣き寝入りに終わって
いる多数の被害者が存在し、その結果、加害者から見れば、違法な行為によっ
て得た利得の大部 を保持できる結果になる。これは、正義に反する事態であ
るとともに、将来の違法行為を助長するおそれがあることにもなる。社会にお
ける正義を確保し、将来の消費者被害を予防するという観点からも、何らかの
対応が必要になる。そして、そのような対応によって、消費の活性化による
全な事業者の発展や
正な競争、ひいては経済の成長を促すことも可能になる
6)
と えられる。以上のような点から、特別の訴 手続の 設の必要性が導かれ
るものである。
5) 司法アクセスに関するこのようなハードルについては、山本和彦「司法アクセスが抱える課題
と展望」月刊司法書士505号(2014)4頁以下参照。
6) 一問一答2頁参照。