2 優生の問題を考える

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表9−1ヒトにおける突然変異率
優生の問題を考える
タブー
優生学(Eugenics)はダーウィンのいとこで、生物統計学の創
始者の1人でもあるフランシス・ゴールトンの理想主義から生ま
れたものである。しかし、その後、ナチス・ドイツの非科学的で、
非人道的な民族主義政策に悪用され、すっかり面目を失墜してし
まった。その結果、現在では優生の問題はほとんどタブーのよう
になり、これを論ずる事すら悪であるかのような傾向が生じた。
しかし、生物進化の立場から、人間の遠い未来(1万年単位の)
を考える上で、これはさけて通れない問題である。
医学の進歩と淘汰の減少
優生の問題を考えるとき、すぐに頭に浮かぶのは、突然変異の
蓄積の害である。医学の進歩とともに死亡率が激減し、不妊が治
癒され、さらに家族計画が徹底してくると、異なった夫婦の間で、
次世代に寄与する子供の数の間に差が少なくなって、厳密な意味
での自然淘汰は次第に減少する事になる。このために、突然変異
の除去は次第に困難になる。たとえば生後1年以内の乳児死亡率
についてみると、日本では、1900 年に 1000 人あたり 150 であっ
たものが、1967 年にはその 10 分の 1 の 15 になってきている。
これは死亡率の方であるが、妊性についても、量的な研究から、
やはり自然淘汰の働く可能性は減ってきている。第5章の後半で
述べたクローによる全淘汰指数を用いた研究によると、アメリカ
では、1910 年から平均の子供の数は一時減ったが、1935 年頃か
ら少し増え、一方、自然淘汰の働く可能性を示す指数の方は結局
下がってきている。要するに、夫婦の間で残す子供の数が似てく
ると、淘汰が働く可能性が減ってくるわけで、全淘汰指数はこれ
を量的にあらわしたものである。
ところで、遺伝子突然変異を分子的にみると、DNA 塩基の置
換、欠失、転置、重複などを含むが、それらは中立的な場合を除
き、遺伝子の機能を高めるより低下させる傾向にあることは重大
である。その根本的な理由は、第4章で述べたように突然変異が、
分子レベルにおける偶然的なできごとで、4種の DNA 塩基を文
字として書かれた遺伝的命令文の情報量を減少させるからであ
る。遺伝子突然変異の害は、表現型的にはありとあらゆるかたち
で現れるであろうが、そのうちで最も憂慮すべきものは知能の低
下である。また染色体異常も突然変異の一種として知能低下その
ほかの好ましくない表現効果を持つ。たとえばダウン症候群は、
染色体不分離の結果、受精卵核中に小型の染色体が1本余分に入
ることによっておこることはすでに述べた。
表 9−1 は、ヒトの突然変異についての少数の例を示すものであ
るが、血友病とか白子の遺伝子突然変異率はだいたい遺伝子座あ
たり 10 万分の 3 くらいである。これは一見低い率だが、なにぶ
ん人類の細胞核はたくさんの遺伝子をもっているから、全体とし
て配偶子あたりに換算するとときにはこれを何千倍、何万倍しな
といけないわけである。それ以外に染色体異常があり、これは全
体としては、出産の1%くらいと推定されている。
これら遺伝子突然変異または染色体異常は(特に表現型効果の
はっきりしたものでは)、個体の生存にとって一般に不利である
ため、過去における長い人類進化の過程では、自然淘汰による除
去と突然変異による新生とが釣り合う状態で集団中に低い頻度
で保たれてきた。しかし、医学の進歩によってこれらの突然変異
による異常は表現型的に次第に治癒されるようになるであろう。
現に、フェニルケトン尿症については、出生児にこの異常を検出
し、フェニルアラニンを制限した食事を与えることによって知能
を正常に発達させることが可能で、この対策は実際に行なわれる
ようになった。このようなことは人道上喜ばしいことであるが、
突然変異遺伝子が次代に伝えられるという点で優生的には大き
な問題を含んでいる(長期的にみると治療法が進めば進むほど、
それを必要とする人の数が増えてくる)。もっとも、個々の遺伝
子については頻度の増加率はごくわずかなので、あまり心配する
必要はない。
遺伝様式
病名
率(1代あたり)
常染色体優生
軟骨異栄養症(四肢短縮症) 5
10−5
伴性
血友病
5
10−5
常染色体劣勢
白子
小頭
フェニルケトン尿症
5
4
3
10−5
10−5
10−5
染色体異常
ダウン症候群
そのほかを含む小計
1/700
出産の約1%
遺伝的命令文の退化
もっと重大なのは突然変異全体の問題であろう。すなわち、過
去には有害だった遺伝子の大多数が医学の進歩により淘汰に中
立になり、突然変異圧の下で中立進化を行ない集団中に固定する
ようになる問題である。こういう突然変異蓄積の害を、単に環境
の改善や表現型の修理(医療の大部分はこれに属する)、さらに
は発育の制御といった表面的対策だけによって解決することは、
一時的には可能でも、長期的にみると不可能で、いろいろな社会
的に大きな浪費にもなるだろう。
ここで「発育の制御」というのは、遺伝学者 J.レーダーバーグ
がかつてユーフェニックス(Euphenics)と名付けたものを指す。
これは発育をうまく人為的に制御して、遺伝的欠陥をもった人で
も正常な人と同等になれるようにする可能性である.もちろん、
今これができるというわけではないが、将来、遺伝子をいじるよ
りは、この方がうまくいくのではないかという考えから提唱され
たものである。
しかし、生物としてのヒトが、あらゆる人間存在の根底であり、
これが受精卵核中に存在する遺伝的命令文の翻訳されたかたち
であることを考えると、この命令文の退化を許すことは究極的に
は人類の退化をひきおこすことになろう。何万年も先の長期的な
話になるかもしれないが、人類が知能や労力や物的な資源の大部
分を、いろいろな表現型対策に使うかわりに、より建設的、発展
的な事業に使うためにはどうしても優生的な措置が必要だと思
われる。
消極的優生
優生には、消極的な面と積極的な面の二つがある。まず有害な
突然変異の蓄積をある程度以下に留めることを目標にする消極
的優生の問題にふれてみよう。
これにはいろいろな方法が考えられ、論じられてきているが、
保因者同士の結婚をさけるといった姑息な手段は、根本的には役
に立たない。ただし、すでに現在、いろいろな遺伝病について保
因者をヘテロ接合の状態で検出できるようになってきたから、そ
れらについては同一の劣性因子をヘテロにもつもの同士の結婚
を避けるようにすることができ、この方法はしばらくは効果も上
がるはずである。しかしそのうちに突然変異遺伝子が増えてくれ
ば、適当な結婚の組合せ自体が不可能になる。
結局、現実に有効なのは、平均より多くの有害遺伝子をもった
人が、何らかのかたちで子供の数を制限するか、あるいは有害突
然変異遺伝子をもっていることがわかっている受精卵を、発育の
初期に除去するかどちらかになると思われる。とくに染色体異常
を含む受精卵を発育させないのは、その個体自身にとっても社会
全体にとっても、好ましいことと考えられる。ごく最近になって、
いわゆる羊水検査の方法によって、染色体異常を出生前に検出し、
妊娠中絶によって除去することができるようになったのは、明る
いニュースであろう。アメリカの遺伝学者ベントリー・グラス
(Bentley Glass)は、「健康で生まれることは、各人が教育を受
ける権利を持つと同じように、ひとつの基本的人権と考えられる
ときがくるであろう」と言っている。
これに関連して付け加えたいことがある。現在でも遺伝学者の
中には、遺伝的変異の存在自体が人類にとって好ましいことを強
調するあまり、変異といっても正常な範囲内のものから劣勢致死
やひどい病気を起こすようなものまであり、すべてが一様に好ま
しいとはいえない点を忘れている人がいる点である。ただ単に変
異さえ大きればよいという考えは筆者にはとても同調できぬ考
えである。
遺伝的操作の危険性と限界
また、欠陥のある遺伝子を正常遺伝子で丸ごと取り換えたり分
子的微細手術を施す可能性については、現在のお遺伝子操作技術
の目覚ましい進歩から見て、比較的近い将来に一部の遺伝病では
このようなことが実現される可能性も無視できない。ただし、実
現可能になったとき考慮すべき危険は、現在の薬品の安全性の問
題とは比較にならぬほど重大なものとなるだろう。また一般的な
治療法としても、特殊な場合を除き、費用の点からも大きな限界
があると思われる。とくにこの方法が体細胞の遺伝子だけに行な
われ、生殖細胞に及ばなければ、効果は一代限りで、結局、表現
型対策と同じように、毎代繰り返す必要がおこってくる。
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積極的優生と人類の未来
多数の遺伝子の微妙な相互作用
次に、人類にとって好ましいと考えられる形質の増加を目指す
積極的優生の問題を取り上げてみたい。これに対する手段として
は、前節で述べた遺伝子の微細手術はあまり役に立たない。その
主な理由としては、積極的優生で問題にされている形質である一
般的な知能とか、健康、社会的協調性などは、多数の遺伝子の微
妙な相互作用に依存しており、個人差も大きく、これを改善する
ことは、特定の欠陥遺伝子を正常型に取り換えるといった方法で
は不可能だからである。
核内の DNA 塩基対を自由に取り換えることができる日が遠い
将来きたとしても、これによって、人類の遺伝的素質を時湯に改
善できると思うのは、早計である。これはちょうど紙と鉛筆があ
れば、どんな立派な機械の設計図でも作れると考えるのの同様で、
情報に関するより高い次元の問題があるのを忘れている。さらに、
人類がその脳によって自己の脳をどこまで改善できるかといっ
たむずかしい問題も存在する。
人間の本質に触れる問題
最近分子生物学その他の近代科学の基礎の上に、いわゆるバイ
オテクノロジーがはなばなしく登場してきたが、これは今後われ
われの生活に予想をつかぬ大きな変化をもたらすことになると
思われる。そのような流れを念頭におき、さらに、長期的な視野
に立って、これまでの積極的優生の手段として提唱されたことの
ある考えを2つほど紹介してみたい。
ここであらかじめことわっておきたいのは、以下に紹介する積
極的優生の手段はともに提唱と同時に多くの人たちから激しい
反対や批判を受けたもので、筆者もこれに全面的に賛成している
わけでは決してないことである。何分、人間の本質や人間性の核
心に触れる問題であるだけに、大きな論議を呼んだのは当然であ
ろう。中には、提唱者の真意を理解しようとすらせず、頭から全
面否定の論調を打ち出した評論家も少なくない。
しかし、何千年、何万年またはそれ以上の長期的な人類の未来
を考えようとすると、これらの優生手段は十分考慮に値するもの
と信ずる。それで、筆者はこの問題についての議論の基礎資料を
提供する意味で、社会的判断や評価はとりあえず保留した上で、
進化遺伝学的に重要だと考えられる提案を紹介してみたいと思
うのである。
マラーの精子銀行案
さて、第一の考えは、アメリカの遺伝学者 J.H.マラーが提
唱した精子銀行を利用する生殖質選抜の方法である。マラーとい
う人は今世紀が生んだ最大の遺伝学者という評判もあるほど偉
大な学者であるが、晩年には、人類を遺伝的に改善することに情
熱を燃やして、たくさんの論文を書いた。そして、この問題につ
いて多くの人から激しい反対や批判を浴びた。
マラーの案によれば、精子銀行を設け、ここに多数の人の精子
を冷凍貯蔵して、死後数十年たって、性格、健康、および特に業
績の判定が客観的に行なわれるようになった後で、その中から精
子を選び人工授精に用いるというものである。その最終的な決定
は、受ける側が行なうが、手始めとしてマラーは、夫が不妊のた
め子供ができない夫婦が、これを利用することをすすめている。
その場合、現在の社会通念と大きく違う点は、精子供与者の名を
隠さず、生まれたこの両親も公然と、むしろ誇りを持って、その
名を明らかにする点である。マラーの考えによると、もしこうし
て生まれた子どもが、平均してすぐれていることがはっきりすれ
ば、やがてこの方法が普及して、遺伝的効果も上がるというもの
である。
このマラーの案には、各方面から激しい反対があることはもち
ろんである。しかし社会道徳が絶対的なものでないことを考える
と、遠い将来これを受入れる社会が出ないとも考えられない。と
くに人類が将来、宇宙的な植民に乗り出し、太陽系を越え銀河系
に進出するようになれば、案外このマラー案は現実のものとなる
かもしれない。
種々な面を総合的に考えると、マラーの生殖質選抜の方法は、
人類の積極的優生の手段として、一般的知能とか健康、社会的協
調性といった形質の遺伝的改善を行う上で、科学的にはおそらく
もっとも安全・確実で長期的にも有効な方法といえるかもしれな
い。
しかし、この方法に対して、集団遺伝学の立場から筆者がぜひ
付け加えておきたい注意点が一つある。それは、精子供与者の集
団をあまり小さくとってはならないということである。あまり小
さいと、すぐ近親婚の可能性が生じる上に、集団の遺伝的変異量
が限られて、育種でいう選抜限界が低くなってしまう恐れがある。
ちなみに、選抜限界の理論は英国のロバートソン(A. Robertson)
が筆者の有限集団における遺伝子固定確立の理論を用いて発展
させたもので、どのように選抜したら長期的に見て有効な育種が
できるかを扱う理論である。この立場からも、極端にすぐれた少
数の天才的才能の持ち主(たとえばノーベル賞受賞者)だけを親
に選ぶのは、非常によくないと思われる。したがって、集団遺伝
学の立場から適当と思われる方法を考えてみると、実際の精子供
与者の集団の有効な大きさを。一代あたり相当大きくとり、(例
えば 100 万人)、精子供与者の集団の全体に対する割合は、あま
り小さくとらないことが望ましい。例えばこれを1%にとると、
集団の総個体数を1億とし、何らかの基準ですぐれたと思われる
人を 100 万人ぐらい選んで次の代を残すようにする方がよいと
思われる。もとろん、これはあくまでも理論上の計算であり、マ
ラーの方法が社会的に是認された場合の話であることを付け加
えておきたい。
ホールデーンのクローン人間
2番目に取り上げる積極的優生の手段は、J.B.S.ホールデ
ーンがずっと以前に発表した人の分枝系(クローン)を作るとい
う考えである。これは、すぐれた素質をもつ人の体細胞を発育さ
せて、遺伝的にまったく同一の個体をいくつも作るという考えで
ある。
この方法では生殖質選抜のように、長期的に集団の遺伝素質を
向上させることはできないが、細胞を個体に発育させる技術さえ
完成すれば、結果は確実であろう。クローン人間の作製は、遺伝
子の微細手術などと一緒に、ことによったら将来、生殖質選抜の
補助手段になることも考えられる。ただし、このクローン人間の
作製は、人間性の冒涜というか、個人の尊厳を侵すことになりよ
くないという意見を、すでに多くの学者が表明している点を強調
しておきたい。
筆者の考えでは、遠い将来、女性を妊娠、分娩の労から解放す
る目的で受精卵の体外培養が自然的な出産にかわって広く行な
われるようになれば、生殖質選抜を行なうことに対する心理的影
響も弱まってくるであろう。また卵の体外培養は優生的処置以外
に、発育後の臓器移植に備えて、免疫反応をコントロールする上
でも好都合になるかもしれない。
(木村資生
著
「生物進化を考える」
岩波新書、1988 年)