唯川恵 登場人物 ●千遥 愛人の援助を受け「セレブ」気取 りで暮らしていたが、フリーター の恋人・功太郎が公認会計士に受 かり、彼と婚約。幼い頃から辛辣 だった母に未だに怯えている。 ●亜沙子 文具メーカーのデザイナー。中学 生の時に父を亡くしてから、母と 二人暮らし。過干渉の母を重荷に 感じながら、母の勧める田畑と婚 約。しかし、彼のある性癖を知っ てしまう。 功太郎が結婚式の準備に乗り気で な い の で、 千 遥 は し ぶ し ぶ 母 と 二 人、 式 場 選 び に 出 か け る。 婚 約 破 棄 を 決 め た 亜 沙 子 は、 母 に 言 い 出 せ ず に い た が 、つ い に 、田 畑 の “ 秘 密”を母に告げる決意をする。 連載小説 啼かない鳥は空に溺れる 5 9 千遥 なかばやし ち はる こうた ろう タクシーに乗り込む仲林を見送って、千遥の肩からようやく力が抜けた。 「息抜きに、どこかで少し飲んでかない?」 テールランプが見えなくなってから、千遥は功太郎を振り向いた。 「今から社に戻らなくちゃならないんだ」 答える功太郎の声はどこか硬い。まだ緊張が残っているのかもしれない。 「帰り、遅いの?」 「たぶん。だから、今夜はあっちに帰る」 あっちというのは、功太郎の友人のアパートである。 「そう。じゃ、また連絡して。週末の式場探しもあるし」 「わかった」 駅前で別れ、千遥はマンションに戻った。 とにかく、顔合わせは無事に終わった。場所は仲林が指定した料亭である。意外だったのは、功 太郎が話を切り出したとたん、仲林が「マンションは使ってもらって構わないよ」と、答えたこと だ。予想していなかったので驚いた。どう答えていいのか戸惑っていると、ありがとうございます、 と、功太郎が頭を下げた。とても助かります。それで話は決まりだった。 その後の食事と会話は、和やかに進んだ。それでも、高級料亭の雰囲気と、父親ほども年齢差の いしゆく ある仲林を前にして萎縮したのか、功太郎はだんだんと無口になっていった。 風呂から上がり、パジャマ代わりのジャージを着た姿で、千遥はリビングのソファに身体を預け る。 どうであれ、ほんのしばらくの間だ。早ければ半年で社宅が空く。海外勤務になる可能性もある。 考えてみれば、その間、気に入っているこの部屋で暮らせるのだから、これは幸運と呼んでいいよ うに思えた。 そ の 週 末、 式 場 探 し に 出 掛 け る つ も り で い た の に、 電 話 口 で 功 太 郎 は「 行 け な い 」 と 言 っ た。 「仕事が立て込んでるんだ」 「休日なのに?」 「今、ちょっと大きな仕事に関わってて、時間が取れない」 「引っ越しはどうするの?」 「それも、仕事が一段落してからのつもりでいる」 「最近、帰るの、あっちばかりね」 「会社から近いし、どうせ寝るだけだから」 「ふうん」 「じゃな、会議が始まるから」 そそくさと功太郎は電話を切った。 236 啼かない鳥は空に溺れる 237
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