ペアリフトでの出来事 女子談話室から男子談話室へと移動すると、2年

■ペアリフトでの出来事■
女子談話室から男子談話室へと移動すると、2年埼玉男子と2年木更津男子が夜食を食
べ終え、くつろいでいた。
この春休み、男女ともに談話室はリニューアルされた。理科教諭と体育教諭が、在町生
徒を使い、数日がかりで快適な住空間に改装したのだ。特に、男子の談話室は応接セット
や会議机、さらには旧校長室にあったプレジデントチェアまで搬入され、衝立で仕切られ
た学習スペースも用意されている。空港のラグジュアリーサロンといった雰囲気である。
「どうだい。2年生になって、見える景色はやっぱり違うものかい?」
サロンとなった談話室でリラックスしていた、2年木更津男子に声をかけた。
「そうスね」
「今日明日で新入生も入ってくるから面倒をみてやってよ」
「ハイ」
実は愚輩には、2年木更津男子の語ったことで忘れられない思い出がある。
あれは卒業式前の如月2月、曇り空の日だった。日高国際スキー場のペアリフトに、愚
輩は偶然にも2年木更津男子と乗車した。ペアリフトは、降り場に到着するまでの5~6
分間、乗車している2人だけの一寸特別な空間となる。あの時もそうだった。雪解けが進
み始めたゲレンデを見詰め、2年木更津男子がポツリと独り言のように呟いた。
「もう、シーズンも終わりっスね」
「?」
「あっという間でした。この1年」
「1年間は早かった?」
「早かったですね」
「―――」
「―――」
「すぐにまた、新入生が入ってきて
バタバタと忙しい毎日になるさ」
「そうスね」
「―――」
「でも……」
「?」
「今度入ってくる1年生には、あんまり辛い思いはさせたくないっス」
2年木更津男子は少し足下に目線を落としながら、そう云った。憂いのある声だった。
「―――」
何か云ってやりたかったが、何も云えなかった。辛い思いをさせたくはない――辛い思
いを乗り越えてきた者の持つ重さと深さのある呟きに、愚輩は心をうたれた。
そんな出来事が、この2月にあった。
「そうだ。2年木更津男子に質問、210分の10を約分すると、いくつになる?」
「へっ!?」
突然計算問題を問われ、2年木更津男子の顔がハニワになった。
「約分だよ。210分の10、さあ、いくつ?」
「えっ、えっ、えっ?いや、ええと……『21』ですか?」
「アハハハ、引っかかった。落ち着いて紙に書いたら分かるよ。2年埼玉男子は分かる?」
「21分の1」
唇の端を上げながら、少しドヤ顔で2年埼玉男子が答えた。
「正解。簡単だけど、一瞬聞くと混乱するよね。この約分の問題、さっき女子談話室で一
寸話題になったンだ」
「そうなんですか」
「さて、一寸3年生の部屋に行ってくるかな」
談話室に2年木更津男子と2年埼玉男子を残し、3年山梨男子の部屋へ行った。
ノックして、部屋に入ると、部屋主の3年山梨男子と新寮長・3年秋田男子がベッドに
入りゲームに高じている。尾崎豊の唄を思い出した。軋むベッドの上で優しさを持ち寄り、
きつく躰を抱きしめ合った後、2人は目を閉じるのかもしれない。
「3年秋田男子は寮長だったよな?一寸話がある」
「ん、何?」
すると3年山梨男子が
「オレ、いない方がいい?どこか別の部屋に行く?」
と云ってきた。ほう、と思った。相手を気遣い席を外そうとするなんて、今時の大卒新入
社員でもそうした配慮が出来ない者はゴロゴロいるというのに。3年山梨男子も成長した
ものだ。
「いや構わない。むしろ3年山梨男子にも一緒に聞いていてほしい話だ」
「何ですか」
「うん。今日、もうすでに何人か新入生が入寮してきているけど、明日になったら殆どの
新入生が入寮してくることになる。君らも2年前を思い出してほしいンだけど、新入生
はいきなり知らない環境の中で、もの凄く不安だと思うンだ。だから、はじめのうちは、
寮長として理を持って指導してやってほしいンだ。いきなり、こうしろああしろと云っ
たって、右も左も分からない新入生では消化できないと思うンだ」
「ああ、分かってる」
「このことは、他の2、3年生にも通達してほしい。それは寮長としての役目だ。頼むぞ」
「うん。大丈夫」
3年秋田男子は、愚輩の顔から目線を逸らせて、そう云った。この男がわざとそっぽを
向くように返事した時は、話が通じているという証拠だ。秋田の裸族は、少しだけ面倒な
男なのだ。
話を終え室内を見渡すと、苫小牧に工場を持つ大手企業が販売する兎の写真で大ヒット
した高級セレブ・ティッシュが置かれている。
「お、3年山梨男子はセレブ・ティッシュを使っているの?」
「うん。他のやつよりも肌触りとかが全然違うもの」
「そうだよね。他のメーカーもローション入りのティッシュなどで工夫してるけど、やっ
ぱり、セレブ・ティッシュのようなブランドにはなっていないものね」
「これはホントいい」
「デザインとネーミングの力だよね。もともと、この商品は『モイスチャー・ティッシュ』
という名前で売り出して、ちっとも売れなかったンだ。それが今の商品名に変えて、デ
ザインも兎やアザラシの顔のアップにしたところ爆発的に売れたンだ。最初はヤギの写
真もあったんだけど『顔が怖い』と云われて敬遠されたンだよね」
「コーチョー、詳しいね」
「まあ、好きだからね。こういったウンチク話」
「セレブ・ティッシュって、甘いンですよ」
3年秋田男子が突然ティッシュペーパーの味について語り出した。
「甘い?」
「そ、甘いの。他のティッシュとは味が違うの」
「食べたの?」
「食べられるんスよ、セレブ・ティッシュは」
「嘘だあ。ホントに?」
「ホントす。今度食べてみてくださいよ」
ティッシュペーパーを食べてみろといわれて、ハイじゃあ食べますと云うほど愚輩は素
直ではない。
裸族だと思っていたら、3年秋田男子はどうやらヤギ民族でもあったらしい。
「それは兎も角、さっき話した件はよろしく頼むぞ。お邪魔した」
「了解シヤシタ」
次に扉をノックしたのは、先ほどの巡回で在室を確認することが出来なかった、3年栗
山富士男子の部屋だ。
「こんにちは」
「お、コーチョー。部屋点検ですか?」
「いや、そんなンじゃない。どうだい、新しい部屋は?」
「いいスよ。押し入れもあって」
「そうだね。キレイにしているね」
「きれいっスよ。オレの部屋」
「うむ」
「前から思ってたンですけど、コーチョーっていつからそんな風に変な考え方になったン
ですか?コーチョーになってからですか?」
「変?言葉の使い方が違うだろう。柔軟な発想力とでも云ってくれ給え」
「いや変ですよ。考え方が、かなりひん曲がってますよ。普通より160°くらい」
こんなところで3年栗山富士男子は数学的表現力を発揮した。
「しかし、君らには苦にはならンだろう」
「いや、コーチョーは今のままでいいス」
17歳の少年に、あなたはそのままでよいと褒められたのは、はじめてである。ダメだ
と云われたって、今更性格なんておいそれとは変えられるものか。
さらに3年静岡男子の部屋を覗いた。
「コーチョー!どうしたんですか?」
「いや一寸、様子を見に来ただけ」
「またホームページに面白可笑しい文章を書くンですか?」
「書くかどうかはまだ分からない」
「いやぜひ書いてください。あれ、結構笑えて楽しいです。ウチの親も喜んでました」
「あんなものを書いて、保護者は呆れたりしないだろうか」
「全然しません。もっと書いてください」
「ふむ」
「それより、オレ、コーチョーの数学の授業受けてみたいデス」
「数学の授業?どうして?」
「前、コーチョーの講習受けた奴が『判りやすい』って云っていたんです」
「ほほう」
「今度教えてください」
「今度教えて進ぜよう」
変な校長は変な校長なりに、生徒達からは受け入れてもらっているようだ。