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ポリオ経験者の外科麻酔時の注意事項
Selma Harrison Calmes, MD
0live view UCLAメディカルセンター麻酔科(元)部長、Sylmar,CA
Second Time Around, Vol 16. No6, p7~9, 2013 (翻訳:武田美千代 選定:向山昌邦)
麻酔には全身麻酔、局所麻酔、監視下管理麻酔(monitored anesthesia care; MAC)
の3種類があります。全身麻酔は主に大きな手術のときに使われ、患者は完全に眠ります。
通常、吸入麻酔薬(麻酔ガスの吸入)と、静脈麻酔薬と筋弛緩薬(静脈注射による投与)
により麻酔が実施されますが、その際に手術中の呼吸管理を容易にするために口から気管
内へのチューブ挿入(気管挿管)が行われます。局所麻酔では感覚がなくなるのは体の一
部だけですが、一般に鎮静薬が使用されるので患者は目覚めていたことを覚えていない場
合が多いです。脊髄くも膜下麻酔と硬膜外麻酔は典型的な局所麻酔で、下半身だけを麻痺
させます。手術が限られた範囲で行われる場合は局所麻酔が使用されます。前立腺の手術
には局所麻酔を用いる場合が多いようです。この麻酔では使用される薬剤は数種類だけで、
全身麻酔ほど複雑ではありません。 MACでは外科医が、手術する箇所に局所麻酔を行い、
その一方で麻酔科医が静脈注射で鎮静薬を投与して手術中の患者の安全を確保し、心地よ
く手術を受けられるようにします。白内障の手術は一般にMACが用いられます(わが国で
は、白内障の手術は一般に局所麻酔のみで行われることが多く、高血圧症や心臓病等の合
併症がある患者ではMACが用いられています)。
今日では麻酔は安全であることはわかっていますが、麻酔中にポリオ経験者がどのよう
な状態にあるのかの研究データはありません。手術中、患者が安全な状態にあるかどうか
は麻酔科医が患者の病歴を知っているか、適切な麻酔計画を選択しているか、患者の障害
を良く理解したうえで、手術中に起こるかも知れない事態を想定して対策を立てているか
否かにかかっています。ポリオ経験者は事前に、そして術前の問診のときに麻酔科医に人
工呼吸器の使用や睡眠時無呼吸、体位の問題などについて知らせておくことが重要です。
麻酔科医が必要な情報を入手できれば、適切で安全な麻酔法を選ぶことができます。この
ような意思疎通により、ポリオ経験者は麻酔や手術を恐れる必要はなくなります。麻酔科
医がこれまでにポリオ経験者に麻酔を施した経験があればそれが役に立つことは言うまで
もありません。
ポリオ経験者が麻酔を受けている最中にトラブルが起こることがあります。術後に睡眠
時無呼吸が悪化するかもしれません。胃が空っぽになっていないと、麻酔中に嘔吐する可
能性があります。一般的な麻酔薬の量を投与すると血圧が低下しすぎる人もいるでしょう。
全身麻酔の場合、どの患者でも肺の状態に変化がみられます。そして術後48時間ぐらいは
肺の機能が低下します。ポリオ経験者がどれほどの問題に直面するかは、手術前の肺機能
の状態次第です。場合によっては術後に人工呼吸器の装着が必要になることもあります。
ポリオ経験者が最も直面するリスクは全身麻酔のときに生じます。ポリオ経験者は運動
神経が障害されているため、筋弛緩薬に敏感に反応するのです。健常人には一般的な投与
量であっても、ポリオ経験者にとっては過剰となる場合があります。もう一つのリスクは、
呼吸筋が関わる手術の場合、術後に呼吸機能が低下する可能性があるのです。これは麻酔
による肺機能の変化によるもので、一時的なものです。
手術中に筋弛緩薬がどれほど効いているかの判定は通常、麻酔科医が定期的に、神経を
刺激する装置を用いて筋弛緩の状況をモニターして行われます。筋弛緩薬を注意深く投与
し(通常一般の投与量の半分)、注意深くモニターしていれば、ポリオ経験者も問題なく
麻酔できるはずです。以前から使用している筋弛緩薬を使って、ポリオ経験者が麻酔を受
けた場合の反応をみた研究が一つだけ報告されていますが、それによると、ポリオ経験者
は一般の人々より2倍、筋弛緩薬に敏感になっていることがわかりました。ですから推奨
される量は一般向けの半分量です。臨床的にみて、その推奨量は適切だと思います。術前
に患者が嘔吐し、電解質の値(血中のナトリウムやカリウムなど)が異常な場合、投与量
を半分よりもっと少なくする必要があるかもしれません。電解質の値は嘔吐や下痢をした
後は低くなり、電解質の値が低下すると筋弛緩薬の効果が長く続くことになります。
筋弛緩薬によりすべての筋肉は麻痺しますが、その程度は様々です。筋肉の感じやすさ
は筋肉の大きさと、他の要因によって変わってきますが、どういう要因が関わっているの
かについてはまだ十分理解されていません。一般に眼の筋肉は筋弛緩薬に最も感じやすく、
呼吸筋は最も感じにくいといわれています。ですから筋弛緩薬を投与した場合、呼吸筋が
最後に麻痺するのです。
すべての筋弛緩薬の麻痺作用は最終的には消失します。それらの薬剤は神経接合部から
他の組織に再分配され、稀釈され腎臓から排出されるか、或いは血液や肝臓の酵素によっ
て分解されます。もし麻痺が長く続くようなら、麻酔科医は患者が自分で呼吸できるよう
になるまで人工呼吸器を使います。おそらく1時間くらい使うことになるでしょう。手術
の後に人工呼吸器を使用することは珍しくありませんので、深刻な副作用が発症したと思
わないでください。
クラーレは最初に使用可能になった筋弛緩薬です。アマゾン産の自然界の植物が原料で、
多くの副作用が知られています。たとえば皮膚の紅潮、血圧低下などです。クラーレが最
初に導入されたときは、副作用に対処できる薬があるかどうかわかりませんでした。1950
年代後半にクラーレが導入されて以来、製薬会社はよりよい筋弛緩薬の合成を試みてきま
した。そしてこの数年でその成果があがってきたのです。今日では、多くの良質な合成筋
弛緩薬が使われており、クラーレはあまり使用されていません(クラーレは国内でも以前
使用されましたが、2000年9月に販売終了となっています)。
よく使われる筋弛緩薬はベクロニウム、パンクロニウム、ミバクリウム、ロクロニウム、
アトラクリウム、シスアトラクリウム、スキサメトニウムです( 現在、国内で使用されて
いる筋弛緩薬は、ベクロニウム、ロクロニウムとスキサメトニウムです。パンクロニウム
は2012年1月に製造中止になり、またミバクリウム、アトラクリウムとシスアトラク
リウムは国内では取り扱われていません)。とくにミバクリウムやアトラクリウム、そし
てシスアトラクリウムが好まれますが、それには理論的理由があります。これらの薬剤の
作用は酵素の分解によって終了し、薬剤が神経接合部から他の組織に再分配されることに
頼っているわけではありません。ポリオ経験者に対して、これらの薬剤がどのように作用
するかの情報は見当たりませんが、理論的にみて、過剰投与の可能性は少ないと思います。
もし過剰投与しても、その影響は長続きしないでしょう。
麻酔によく使用され、短期的に作用する筋弛緩薬は、ロクロニウムとスキサメトニウム
です。これらの薬剤は全身麻酔のはじめに行われる気管挿管の時に使用され、筋肉を弛緩
させることにより、気管挿管を容易に行うことができるようになります。ただ、スキサメ
トニウムを使用したときには、筋肉が弛緩する前に収縮が起こります。この筋肉の収縮に
よりポリオ経験者では、術後早期に動き回ると非常にきつい筋肉痛を生じることがありま
すので注意しましょう。なお、最近は気管挿管の代わりに新しい気道確保装置としてラリ
ンジアルマスクという新しい器具が使われるので、筋弛緩薬は必要なくなってきています。
しかしラリンジアルマスクを用いる場合、患者が胃の中のものを戻して肺に吸い込んでし
まう(誤嚥の)可能性があります。私の経験では多くのポリオ経験者はこの誤嚥のリスク
が高いと思います。ポリオ経験者は胃食道逆流や、食道裂孔ヘルニアを患っている場合が
多く、ラリンジアルマスクはそういう人たちには安全とは言えないのです。気管挿管は重
篤で致命傷になりうる誤嚥を防いでくれます。
全身麻酔がポリオ経験者にもたらす害を考えると、その手術を(可能ならば)局所麻酔
かMACで行う方が良いでしょう。その方が体に対する侵襲性が少なく、使用する薬剤の
数も少なくてすみます。硬膜外麻酔はポリオ経験者がすでに受けた神経の損傷をさらに悪
化させるリスクが少ない麻酔法であり、脊髄くも膜下麻酔や全身麻酔に代わる良い方法で
しょう。一般の人たちと同様に、ポリオ経験者も、緊急でない手術は可能な限り最善な健
康状態で手術を受けましょう。風邪や気管支炎を患っていては好ましい状態とは言えませ
ん。喫煙者は手術が必要だとわかった時点で禁煙を始めるべきです。体重管理をし、術後
はタンパク質の豊富な食事をとり、できるだけ筋肉を最善の状態に維持しましょう。
手術を受ける場合、あなたがポリオに罹患した既往があるため筋弛緩薬に敏感になって
いる可能性があるので、筋弛緩薬への反応をモニターしてもらいたいことを麻酔科医に伝
える必要があります。事前に麻酔科医と話をする機会がない場合、その手術が緊急を要す
るものでないならば、話ができるまで手術を延期するべきです。麻酔科医の中には個人の
診療所において、また病院では麻酔科外来において、手術の何日か前に患者とそこで話を
することが可能です。もし手術が緊急を要する場合でも、麻酔科医と話をすることが可能
ならば、手術前に話をしてください。或いはあなたの特別な状況を理解している家族に麻
酔科医と話をしてもらってください。もしあなたが麻酔科医の返事に満足できない場合、
別の麻酔科医に相談しましょう。これらの事柄に詳細に注意を払えば、安全に手術ができ
るでしょうし、良好な健康状態を術中、術後を通して維持できるでしょう。
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北里大学名誉教授(麻酔科学)渡辺
厚く御礼申し上げます。
敏
先生にご校閲いただきました。