大いなる岩の顔 千古高風 3 ある日の午後、太陽はすでに沈みかけていたが、一人の母親と幼い男の子が田舎 家の戸口に腰を掛け、「大いなる岩の顔」の話をしていた。二人はちょっと目を上 げるだけで、「大いなる岩の顔」を見ることが出来た。遙か遠方ではあったが、そ の姿を夕陽がはっきりと照らし出していた。 いったい、「大いなる岩の顔」とは何であったのか? アメリカの小説家ナサニエル・ホーソン(1804~1864)の小説『The Great Stone Face』 (大いなる岩の顔)の冒頭部分である。 高い山々に抱かれた大きな渓谷に巨大な岩がそそり立ち、それは人間の顔に似ていた。 家の戸口に腰を掛け、母と話していた男の子の名前はアーネスト。母の話は、いつの日か この渓谷に一人の子供が生まれやがて当代随一の偉人となるが、その顔は「大いなる岩の 顔」と瓜二つになるという伝説であった。アーネストは、その人物に出会うことを心から 願い、母の話を思い出し、一日の労働が終わると何時間も「大いなる岩の顔」を眺めてい た。 やがて、「大いなる岩の顔」によく似ているという噂の男が三人、時を隔て渓谷にやっ て来る。最初は巨万の富を築き上げた商人、次は名高い将軍、最後は大統領候補になった 雄弁な政治家であった。人々は彼等をもてはやしたが、いずれも期待はずれに終わり、ア ーネストは深い溜息をつくのであった。 その間、アーネストは少年から青年・中年を経て白髪の老人となっていた。アーネスト は身分は低かったが、「人類のために何か大きな善となるものを求める」という世俗離れ した希望のために彼の生涯最良の時間の多くを費やし、やがて「道」を説く人となった。 多くの人がアーネストの話を聞きに来るようになり、彼等に感銘を与えた。アーネストの 思想には現実味と深みがあり、その言葉は力のこもった「生命の言葉」であったからであ る。 ある日の夕方、アーネストが近隣の人々の集会で講演をしている時に「大いなる岩の顔」 を夕陽が照らし出し、物語はクライマックスを迎える。そこには、アーネストと精神の高 みで共鳴しあった同郷の天才詩人も出席していた。 遙か彼方に、黄金色に輝く夕陽の光を浴びて、「大いなる岩の顔」が空高くはっ きりと姿を現していた。岩の周囲にたなびく白い雲は白髪に似て、その慈愛に満 ちた眼差しは全世界を包み込むかのように思われた。(略) ……その詩人は両手を高く挙げて叫んだ。 「見ろ!見ろ!大いなる岩の顔とは、アーネストその人ではないか!」 その時、人々は一斉に見て、この詩人の言葉が真実であることを知った。しかし アーネストは講演を終えると、詩人の腕をとりゆっくりと家路をたどるのであっ た。自分よりもっと賢くもっと良い人が、「大いなる岩の顔」に瓜二つの姿で現れ ることをなおも望みながら。 ……◇…… 今から160年以上前、ペリーの黒船が浦賀に来航した頃の小説である。古めかしくは あるが、時を越えて今の時代に大切なことを語りかけてくれる。大いなる理想を掲げ一日 一日をしっかりと生きるということ、生涯をかけて「人を磨く」ということ……。 高校における部活動や進路決定は人生における大事である。しかし、最終の目標ではな い。生涯をかけて「人を磨く」ことの喜びを知り、そして大切にしてほしいと思う。 「大いなる岩の顔」は私たちの身近にもある。気高く堂々と聳える名山・岩木山である。 本校の会議室に掲げられた扁額(へんがく)がそのことを伝えている。 「名 山 出 名 士」 いだ 名山 名士を出す くがかつなん 日本近代ジャーナリズムの先駆け・陸羯南(弘前市出身)の漢詩の一節である。名山(す ばらしい山)のある所から名士(すばらしい人物)が現れ出る……本校のグラウンドから 岩木山の泰然とした姿を眺めると、羯南の言葉が説得力を持って迫ってくる。 ○参考 洋版ラダーシリーズ『The Great Stone Face ソン短篇小説集』 -1- 大いなる岩の顔』、岩波文庫『ホー
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