平成27年2月10日 狭山ヶ丘通信 第 131号 http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/ 狭山ヶ丘学園 し や こ う 「宗教に藉口したテロ」との関わりについて 校長 小川義男 我が国は、アジアばかりでなく、アフリカ、アラビア、中東の解放、独立にも相当大き な 影 響 を 及 ぼ し た 。 大 東 亜 戦 争 の 招 い た 責 任 を 忘 れ て は な ら な い が 、 こ の AA 解 放 に 及 ぼ した影響も忘れてはならない。 しかし我が国は、世界における様々な「宗教戦争」から、ほぼ完全に関わりのない時代 を生きてきた。 宗教問題を考える上で忘れてならないのは、パレスティナ問題である。言い換えればイ スラエル問題だ。あの場所には二千年ほどの間、パレスティナ人が住んでいた。この土地 は、多くの植民地と同様に、英国の「委任統治領」になっていた。一次大戦に敗北したト ルコから奪ったものである。そう言えば、マーシャル群島は、一次大戦の勝者側にいた日 本の、委任統治領であった。 この地域に、一次大戦後、バルファオ宣言に基づいて、国家建設を目指すユダヤ人達が 入 植 し 始 め た 。 1947 年 、 国 連 は パ レ ス テ ィ ナ 地 方 を 、 ユ ダ ヤ 人 国 家 と ア ラ ブ 人 国 家 に 分 割する「分割決議」を採択した。当然「ユダヤ人地域」に住んでいたアラブ人は出て行か なければならない。これがパレスティナ問題の始まりである。軍事的に優勢なイスラエル は 、 現 在 パ レ ス テ ィ ナ 地 方 の 80 パ ー セ ン ト を 支 配 し 、 約 100 万 の パ レ ス テ ィ ナ 人 は 難 民 となって流浪している。これがいわゆるパレスティナ問題である。 「イスラム問題」の背景には、宗教ばかりでなく、この「パレスティナ問題」が潜んで いる。だから難しい。その解決には、今後千年を費やしても、足りないのではないだろう か。 パレスティナ問題、ユダヤ教、イスラム教の問題に、幸か不幸か我が国は、無関係とは 言わないが、深くコミットしたことがない。我が国の大きな利点とも言える。 私 は 国 連 の 分 割 決 議 は 間 違 っ て い た と 思 う 。 し か し 、 イ ス ラ エ ル も 、 こ こ に 建 国 し て 70 年 を 過 ぎ る 。 歴 史 的 正 当 性 は 別 と し て 、 こ の 70 年 を 無 視 す る こ と は で き な い 。 ユ ダ ヤ 人 に も 生 き る 権 利 が あ る 。 双 方 理 解 で き な い も の か と 思 う が 、「 砂 漠 の 宗 教 」 の 持 つ 厳 し さ が、和解、協調を妨げるのであろう。 -1- 日本人は異なる宗教に対して寛容であり、彼らの苛烈極まりない一神教を理解すること ができない。 ならば日本は、イスラム圏にあまり深くコミットせず、極力、局外的立場を堅持すべき だと思うのだが、間違っているだろうか。 八 月 十 五 日 に は 、 か つ て の 「 国 連 軍 国 家 」 United States が 、 盛 大 に 「 戦 勝 祝 賀 式 典 」 を 催す。そして、かつての日本を厳しく非難する。戦争に勝ったのだ、無理もあるまい。だ が 私 は 思 う 。 我 々 の 安 倍 総 理 は 、 開 戦 ど こ ろ か 、 敗 戦 の 1945 年 に も 、 生 ま れ て さ え い な かったのだ。非難も、そろそろよろしく頼む。国連憲章の「敵国条項」は、今も生きてい る。そんなわけだから、我々は粋がらず、紛争からは、できるだけ遠い所で生きたいもの だと私は思う。イスラムにもユダヤにも、あまり肩入れするのは、荷が勝ちすぎる。 だが「イスラム国」なる身代金誘拐集団、殺戮集団、法令、人倫無視集団の専横は、こ のような我が国の自制をも、危うくするものである。 殺害された写真記者、民間軍事会社の経営者の軽率は、充分に非難に値する。しかしこ れを身代金目的で拘束したり、政治目的で殺害したりするのは、世界の残虐な歴史にも珍 しい。ヨルダンのパイロットは、捕虜であるから、本来は戦時国際法の保護を受けるべき ものである。しかるに、ハーグ条約どころか、彼らは捕虜を檻に入れてネズミのごとく焼 殺した。 イスラム教では、火刑はアラーの神だけが、あの世での審判の後に行うものとされてい る。ユダヤ教、イスラム教、共に現在よりは死後を重しとする信仰だと聞くが、この犯人 達は、実はアラーを信ずる、本当のイスラム教徒では、ないのではないか。 ヨルダンが報復攻撃を行った。ヨルダンは小国だが、その戦いは国内の結束を固めるで あろう。世界の多くの国々も「イスラム国」なる殺戮集団対策に、一層結束を固めるであ ろう。 結果として、このテロ集団、殺戮集団は、深刻な孤立の中で滅び去るものと思われる。 少し言い足したいことがある。モハメッドを冷笑するような表現の自由は、許してはな らない。他人が大切にしている花園を踏みにじる権利は、いかなる富豪にもない。自分の 父、自分の母を侮蔑する者に対しては、若者のすべてが立ち上がるであろう。私は、シャ ルリーの、宗教に対する嘲笑は、表現の自由を超えていると考える。 二人の日本人被害者の殺害された映像は、テレビには流されなかったが、ネットには流 されたらしい。それを記録して、友人達に流した馬鹿者がいる。そのような愚かさが、瞳 のごとく守らねばならぬ「表現の自由」を押しつぶしてしまうのだ。 我が国は、イスラム、ユダヤの葛藤からも、抑制的中立を維持しやすい立場にある。 安倍総理の、今回の事件についての怒りは十分に理解できる。しかし、いかにも「青年 血気」という印象を否定し難い。総理は青年団長ではない。一億の大国国民の運命を預る 身である。我が国は、極東における我が国の安全を維持しなければならぬ。世界、中東と 無縁で存在することはできぬが、あらゆる智恵を尽くして、避けられる紛争からは遠ざか らなければならぬ。それが可能な政治的、歴史的位置は、我が国家、民族の宝である。ア フリカ、アラビア、中東の人々の、英知ある戦いに敬意を表すると共に、我々が第一に守 ら ね ば な ら な い の は 「 日 本 の 息 子 」「 日 本 の 娘 」 た ち な の だ と 言 う こ と を 銘 記 し た い 。 ( 藉口 -2- 口実をもうけて言うこと) 大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科 4年 徳原 宗一郎 ( 平 成 2 3 年 3 月 本 校 卒 業 、入 間 市 立 野 田 中 学 校 出 身 ) 1月2、3日に行われた第91回東京箱根間往復大学 駅伝競走に大東文化大学の6区(山下り)として走りま した。また、昨年は教育実習生としても本校には大変お 世話になりました。私事ではありますが、高校時代から のことを振り返って書かせていただきます。 高校時代は今のⅣ類のクラスで3年間過ごしました。 中学時代は野球部に所属しておりましたが、高校からは 本格的に陸上競技の長距離種目を始めました。当時の私 には2つの夢がありました。1つ目は大学に入学して箱 根駅伝で走ること。2つ目は体育教員になること。どちらの夢も実現するには走るだけで なく学業もしっかりやらなければいけません。部活動と勉強を効率よくするためにはどう したら良いのか考えた結果、当たり前のことではありますが、授業中に学習した内容を徹 底的に理解することでした。そうすることによって、帰ってからはノートを見るだけで済 み、部活動のための睡眠確保もできるからです。正直なところ成績はそこまで優秀ではな く 真 ん 中 く ら い で し た 。部 活 動 の 成 績 と し て も 最 終 学 年 の 時 に は 埼 玉 県 総 体 で 1500m は 7 着 、 5000m は 8 着 と 関 東 大 会 に す ら 進 め な い レ ベ ル で し た 。 し か し 、 縁 が あ り ま し て 大 東 文 化 大 学に進学することができました。陸上部の顧問である石田和久先生にはとても感謝してい ます。 大学生活はというと箱根駅伝を目指して4年間取り組んできました。今年の箱根駅伝で 2年連続のシード権を獲得しましたが、ここまでくるには苦しい経験も多くありました。 その一つとして入学して1年目は3大駅伝(出雲、全日本、箱根)全てに出場できなかっ たことが挙げられます。こういった経験が今に繋がっているのではないかと思います。箱 根を目指す傍ら教員になるための勉強もしていました。部活動に専念しながら勉強するの は正直、高校時代に比べて大変でした。しかし、自分の夢のためなので高校と同じく効率 よくするために日々考えて勉強していました。高校時代にきちんと勉強していたからか思 いのほか大学でもある程度の成績を修めることができました。 教育実習は本当に緊張の連続でしたが、母校で実習できたことは幸せなことだと思って います。実習中、3つ印象に残ったことがあります。1つ目は、担当クラスだった2年 A 組が体育祭で準優勝したことです。生徒と一緒に喜び合い、胴上げされたことがとても嬉 しかったです。2つ目は、2年 G 組での研究授業です。クラスのみんなに本当に助けられ た授業だったと思っていますし、感謝しています。3つ目は実習初日が私の誕生日だった ので3年生のあるクラスで歌を歌ってもらったことと、実習最後の授業では胴上げしても らったことです。凄く嬉しい思い出です。沢山の生徒とコミュニケーションがとることが できた充実した教育実習でした。 4年目にして箱根駅伝を6区(山下り)として走り、夢を叶えることができました。私 自身の成績としては必ずしも納得のいくものではありませんが悔いはありません。シード 権を獲得したメンバーとして走れたことはこれからの自分の財産になり、人生の糧となっ ていくものであると思います。夢を叶えることができたのはずっと支えてきてくれた家族 のおかげであり、恩師をはじめとする今まで関わってきた沢山の応援してくださった方々 のおかげです。中でも一番私に力を与えてくれたのは教育実習中に関わってきた生徒たち で す 。 教 育 実 習 で 沢 山 の 生 徒 か ら 「 箱 根 走 っ て ね 」、「 応 援 し て る ね 」 と 言 わ れ た こ と を 常 に思い出しながら頑張らなければいけないと奮い立たせていました。生徒たちの応援があ ったからこそ頑張れたのだと思います。ありがとうございました。 最後になりますが、生徒のみなさんには勉強や部活動も含め、今打ち込んでいることを 諦めないで継続して欲しいと思います。諦めたらそこで終わりですが、諦めなければ必ず 誰かが手を差し伸べて助けてくれます。そして自分の夢に向かって頑張ってください。応 援しています。ありがとうございました。 -3- 高等部1年 F組 平野 光希(東久留米市立東中学校出身) 本校に入学し、もうすぐ1年が経ちます。私にとってこの1年は自分に強くなれた1年 だと思います。 中学生のときには、英語に対して苦手意識を持っていて、英語を勉強することが嫌いで あまり勉強していませんでした。しかし、高校に入学して授業以外でのゼミや講習に参加 することで、英語への関心が高まり理解できるようになりました。また、分からない部分 を友達や先生に聞いて理解することで、疑問点を減らしていけるようになり、英語への意 識が変わりました。他の教科でも予習・復習をできるだけ繰り返し、授業についていける ようにしています。 勉強面だけではなく部活動の面では、気持ちを強く持てるようになりました。私はテニ スの試合や大会で、自分に自信を持ってプレーすることができていませんでした。部員や 監督の先生の言葉に勇気づけられて、試合や大会の数を重ねるごとに自分のプレーに自信 を持てるようになりました。今では、常に「勝つ」という気持ちも持てるようになりまし た。週3日という多くはない活動ですが、1回1回の練習を大切にし、上を目指してがん ばっていきたいです。 高校生活も1年が終わりますが、残りの2年間も勉強、部活動に励み、毎日が笑顔でい られる高校生活にしていきたいです。充実した学校生活を送れるのは、両親や先生方など 周りの人からの支えがあるからだということ、また、それに対する感謝の気持ちを忘れず に生活していきたいです。 中等部1年 2組 橋本 大樹(日高市立武蔵台小学校出身) 中間、期末考査の1週間前から考査当日にかけて毎日始発に乗って学校に登校していま す。これは入学当初に自分で立てた目標でした。始発で学校へ来ることによって得られる ことがたくさんあります。まず、始発で登校すると学校に着くのは6時なので、ホームル ームまでの約2時間をテスト勉強に費やすことができます。また、他の生徒はまだ登校し ていない時間帯なので、静かな教室で集中して勉強に励むこともできます。 始発の電車で登校することは、私一人でできることでは決してありません。始発の電車 に乗れるように起床しなくてはいけませんし、母に弁当を作ってもらったり、駅まで送っ てもらったりなど、家族の支えが必要不可欠です。そして学校に着いてからも先生に教室 を開錠していただくなど、色々と気を遣っていただいて成り立っていることです。このよ うに家族や先生方の助けがあったからこそ、目標を実行に移すことができたのだと思いま す。そのため、入学してから今まで一度も欠かしたことはありません。一つのことを最後 まで成し遂げられない者は何をやっても上手くいかないと思っています。また本校に入っ た ら 、 何 か 一 つ で も 最 後 ま で 成 し 遂 げ て み よ う と い う 思 い が 入 学 当 初 か ら あ る の で 、「 定 期 考査期間は始発で登校する」ことを高校卒業まで続けたいです。そしてこの目標に見合っ た成績をとれるように努めていきたいと考えています。 今、学校生活を有意義に過ごすことができるのは、協力してくれている両親や先生方の おかげだとこの1年で実感しました。この感謝の気持ちを忘れないように今後も頑張って いきます。 -4-
© Copyright 2024 ExpyDoc