り世の顰蹙を買った位だからアラビヤンナイト物語を地でいくような成金王族は桁 違 いの 豪勢 さだ った ら しい。 一方、占領されたクウェ-ト国内では数多くのフィリッピン女性が出稼ぎにきて おりメイドとして働いていたが、逃げ場を失いイラク兵の餌食になってしまった。 また ロン ドン 発ク ウ ェ-ト 経由 マ レ- シア 行き BA149 便 ( BOAC ) は占領 を知 ら ず にク ウェ -ト 国際 空 港に着 陸 、乗員 、乗客 全 員が イラ ク軍に よ って 捕ら えら れた 。 占領 下の 国際 空港 に 着陸し たの は この 1 機だ け で他 は 全て引 き返 すか 、 他の 国の 国際空港に緊急着陸し無事であった。 捕らえられた乗客、乗員のうちアメリカ、イギ リス等イラクと敵対すると見なされた欧米人はク ウェ-ト国内在住の人達と共にバクダットへ移送 され「人間の盾」にされた。この際、客室乗務員 はイラク兵の集団暴行を受け、後に国際問題にな って明るみに出たが、集団暴行に加わった兵士全員が逮捕・銃殺された。またこの 飛行機に乗って帰国したクウェ-ト王室の一人は即座に銃殺された。 また別のル-トで帰国したジャ-ビル三世の異母弟で、クウェ-ト、オリピック 委 員 長 の シ ャ イ フ ・ フ ァ ハ ド 殿 下 は 宮 殿 に 戻 っ た 直 後 、 RG と 銃 撃 戦 が 始 ま り 、 宮 殿護衛隊と共に銃撃戦を行い射殺された。 国際連合は緊急安全保障理事会を招集し、イラク軍の即時撤退を要求する共同決 議案を全会一致で可決したが強制力はない。 1990 年 8 月 4 日 、「 クウ ェ -ト 共和 国」 の樹 立 を宣 言、し か し国 際社 会が これ を 承認しなければ意味がない(かって、我が国は「満州国樹立宣言」をしたことがあ るが、世界は無視、または承認しなかった) 8 月 8 日 、イ ラ ク 革 命 指 導 評 議 会 は ク ウ ェ - トの 併合 を 決め、 イラ ク 19 番 目 の 県「カズィマ県」という名称を一方的に決めでイラクの一地方とした。 この後、湾岸戦争に突入するが、その際、ペルシャ湾岸から石油の恩恵を蒙って い る ア メ リ カ を 筆 頭 と す る 諸 国 が 多 国 籍 軍 ( 34 ヶ 国 ) を 編 成 、 ク ウ ェ - ト 解 放 戦 争・湾岸戦争になるのだが、最も恩恵を蒙っているはずの我が国はアメリカからの 強い要請があったが不参加を表明、世界からは非難が集中、国内からは不参加が当 然 と す る 勢 力 が 大 半 を 占 め 、「 石 油 は 絶 対 に 必 要 、 し か し 国 際 協 力 に は 絶 対 に 加 担 しない」と唱え日本人特有の国際感覚のなさ、身勝手さがモロにでて、政府はオロ オロ狼狽するだけ、どう対処していいのか判らないうちに、編成された多国籍軍は 作戦行動開始(砂漠の剣作戦)し瞬時にしてクウェ-トを奪回、退却するイラク共 和国軍の車列を包囲待ち伏せし、徹底した残敵掃討に発表を躊躇うほどの凄まじい 一方的な殺戮であったらしい。だがイラク国内は空爆したが地上軍は攻め込まなか った。 - 25 -
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