まえがき その一方でこの間,植物図鑑や野生草本の知見はさまざまな進歩を遂げている。美しい細部拡大 −雑草図鑑の系譜と本書の成り立ち− 生育地単位のすぐれた図鑑,地域博物館による自然誌研究活動を集積した地域植物誌,多年生雑草 写真を多用した山と溪谷社の図鑑群, 外来種の増加とそれを反映した帰化植物の専門図鑑や分類群・ の地下部生態に関する研究の蓄積,遺伝子情報の解析による分類体系の再編などである。 本書は,雑草 の図鑑である。 人間の生活圏内に“勝手に”自生する草本が 雑草 と見なされる。人間はこれまでも,そしてこ れからも否応なしに雑草と付き合い続ける。付き合う以上,その相手の特性を知る必要がある。知 るための手引も時代に応じて引継ぎ,発展させる必要がある。 21世紀初頭の日本では,数多くの野草,雑草図鑑類が出版されている。溢れている,といって よいほどである。それぞれに季節ごと,場所ごと,花の色別など,見やすさ,使いやすさに工夫が 凝らされている。しかし,それらは根本では同工異曲で,散策での自然観察の手助けとして,花の 咲いた状態で名前を知り,それについての若干の古典的な生物学あるいは文化的薀蓄で味付けをす る,というつくりになっている。 雑草の名前がなかなか覚えられない,その大きな理由のひとつは,生育段階に伴い草姿が変化し てゆくことである。小型の図鑑の,少数の写真でこれを表現することは難しい。しかし,雑草を覚 える,付き合うということは,その種の生活史全体を理解することである。 農地や緑地など,土地管理や植物調査に関わる技術者らの要望に応えられる,雑草の生活史全体 を捉えた雑草図鑑は長らく出版されていなかった。 昭和20年代,敗戦直後の食料生産復興と,当時の産学官挙げての除草剤の普及を軸にした科学的, 組織的な雑草防除研究が日本で船出した。その後約20年の研究の蓄積により,ほぼ同時期に2冊の 雑草図鑑が刊行されている。 笠原安夫著 「日本雑草図説」1967年 (以下 「図説」と略す) 沼田真・吉沢長人編 「日本原色雑草図鑑」1968年(以下「原色図鑑」と略す) 両書はともに当時の日本全体の主要な雑草(農業上の重要性の高い草種から,人里に広く普通に 生育するが,害が小さいために生物としての実態がほとんど知られていない種まで)の生活史を網 羅することを意図した総覧的図鑑である。ともに刊行以降,日本注)の雑草をほぼ収録した不可欠 な資料として広く使われ,何度も版を重ねてきた。その後刊行された廉価な雑草の図鑑類やハンド ブック類は,基本的にはこの2冊の内容を引用したものが多い。 私も学生時代にこの2冊と保育社の野草図鑑などをあわせて片っ端から雑草を覚えていった。当 時すでに,新たな外来種の移入,定着など,多くの部分で両書は時代の要請には答えられなくなっ ていた。 注)沖縄がアメリカ軍の占領統治から日本に返還されたのが1972年である。図説,原色図鑑ともに初版刊行 当時の沖縄は占領下で,両書には南西諸島に特有の雑草はほとんど収録されていない。その意味では,本書 が初めて沖縄地方も含めた「日本の雑草」を網羅することに挑んだ書籍である。 さらに,web による情報伝達も急速に進歩している。日本のある地点で採集,撮影された植物 の画像がその日のうちに全国に伝達される。種名や学名を入力して画像検索をして同定することは もはや常識的である。パソコン上で世界各国の植物誌や基準標本を比較することも可能となってい る。 このような,新たな図鑑類や資料を組み合わせて「図説」 「原色図鑑」の不足を補いながらも,21 世紀にあわせた網羅的な雑草図鑑を編纂する必要性を次第に強く感じてきた。本書はこれらの進展 を,両書の系譜に取り込み,引き継ぐことを目指して企画を進めた。 京都大学大学院農学研究科雑草学研究室による雑草生物学研究の伝統。岡山大学資源植物科学研 究所野生植物研究室による雑草種子収集事業。農林水産省農業研究センターの耕地雑草防除研究と 日本各地の問題雑草を積極的に収集,栽培してきた水田雑草,畑雑草見本園の維持管理。さらに農 業研究センター等と(公財)日本植物調節剤研究協会による除草剤委託試験事業の連携網。加えて 2011年から始まった, (独)農研機構の生態的雑草管理プロジェクト による雑草生物情報データベー ス(http://weedps.narc.affrc.go.jp)の構築。そして本書の出版元である(株)全国農村教育協会が支 えてきた出版を通じた積極的な普及啓蒙活動。こうした,日本の雑草研究において重要な役割を果 たしてきた拠点の先達が蓄積してきた研究資産を, 「図説」 「原色図鑑」の系譜に再構築することで本 書が成り立った。 雑草の“生き物としての姿と振るまい”の多様さに関心を惹きかつ,図鑑の本質である“眺める楽 しみ”にも応えるという構成を心がけた。大鑑の名を冠した本書が,雑草に関わる多くの方々が, さらに深く雑草を識り,学び,伝える手引として活用され続けることを期待している。 2014年11月 著 者
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