阪神・淡路大震災時に配置された教育復興担当教員 -何故最終報告ができなかったのか- 歴史情報論講座 修士2年次 8514202 辻本 愛 本研究の目的は、教育復興担当教員(以下「復興担」と略す。 )の実像を探ることである。 1、復興担創設の経緯 復興担とは、阪神・淡路大震災後に被災校に配置された加配教員のことである。1995(平 成7)年度から 10 年間、兵庫県内の小中学校に配置された。配置数は 10 年間で延べ 1,593 名である。 まずは、復興担創設の経緯をみていきたい。震災後、一時転出した児童生徒により教職 員配当がなされると、教職員が余る事態となる。そこで兵庫県教職員組合と兵庫県教育委 員会が国に働き掛け、転出した子どもの対応や心のケアを行うための加配教員を措置する ことが決まった。これが復興担である。 2、復興担配置の動き では、復興担は被災校にどのように配置されたのだろうか。 『神戸市教育職員録』 を基に、 神戸市立小学校の復興担述べ 427 名を把握した。すると、亡くなった児童数が多い区を中 心に配置されていることがわかった。 さらに、復興担の平均年齢は 44 歳で、働き盛りの 40 代を中心に配置されていたことが わかった。復興担は余った教員が担ったのではなく、学校の次世代を担うメンバーが任さ れたことが推測できる。 3、復興担の活動について、報告書ではどのように書かれているのか 復興担の活動について、報告書や研究書にはどのように評価されているのだろうか。兵 庫県教育委員会が出した『教育復興担当教員中間報告書』では、復興担は「大変効果があ った」とまとめられている。しかし、10 年間をまとめた総括報告書が出されていないこと が現状である。 4、10 年間の具体的な活動 復興担の活動を詳細にみていく必要がある。教育委員会が示した職務内容では、第一に 「心のケア」をするとされている。筆者が具体的な活動を見るために行った方法は、聞き 取り調査と資料の収集である。聞き取り調査では、 「心のケアを十分にした」と話してくれ る復興担経験者はほとんどいなかった。また、 それぞれの学校の活動の特徴を提示すると、 活動内容は様々であることがわかる。 復興担を任された教員は、 心のケアをどのようにすればいいのかそれぞれで悩んでいた。 研修会の場で「教員が心のケアなんかできない」と訴えた復興担もいた。しかし、心のケ アの具体的な方法も教えてもらえず、復興担に任せっきりの状態であったようである。そ のためにそれぞれで活動が異なることになったことが考えられる。 5、10 年間の総括 復興担は、 新潟県中越地震や東日本大震災の際にも配置する動きがあり、 「効果があった」 とされている。しかし、阪神の時の 10 年間の活動内容がバラバラであったため、最終的に まとめることができなかった。そのため、10 年間の経験とノウハウを生かすことができて いないことが現状である。
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