藤株遺跡の概要 藤株遺跡は

藤株遺跡の概要
藤株遺跡は、秋田県北秋田市脇神にありJR奥羽本線鷹ノ巣駅から約3㎞南
東 の 段 丘 に 位 置 し て い ま す 。 発 掘 調 査 は 、 平 成 24年 6 月 か ら 10月 ま で 一 般 国 道
7 号 鷹 巣 大 館 道 路 建 設 事 業 に 伴 っ て 実 施 し ま し た 。 調 査 は 、 国 道 10 5号 線 を 挟
んだ西側をA区、東側をB区としています。今回の報告会では、藤株遺跡の過
去の調査成果も盛り込んで報告します。
藤株遺跡は、縄文時代晩期の遺跡として有名で、明治時代から亀ヶ岡式土器
が出土する遺跡として多くの研究者に注目されてきました。昭和2年の調査で
は、竪穴建物跡、環状列石、土偶、土板などが見つかっていることが報告され
て い ま す 。 昭 和 55年 に は 、 国 道 1 05 号 線 の バ イ パ ス 建 設 工 事 に 先 立 っ て 秋 田 県
教育委員会が大がかりな発掘調査を実施しました。
こ の 調 査 で は 、 縄 文 時 代 前 期 ・ 後 期 ・ 晩 期 な ど の 竪 穴 建 物 跡 24棟 の 他 、 晩 期
の 土 坑 墓 が 数 多 く 見 つ か り 、 遺 物 は 後 期 か ら 晩 期 の 土 器 が 20 0個 体 余 り 、 石 器
の 数 は 2 ,00 0 点 に も 及 び ま し た 。 そ の 中 で も 、 火 葬 さ れ た 状 態 で 頭 部 の な い 遺
体が発見されて注目されました。また、この時には眉と鼻が連続し目や口も彫
刻された岩偶の他に、多くの垂飾品(ペンダント)や玉類がやじりや石斧と共
に出土しました。
報 告 の 中 心 に な る 平 成 24年 の 調 査 で は 、 縄 文 時 代 の 早 期 か ら 晩 期 の 竪 穴 建 物
跡、フラスコ状土坑、土器埋設遺構、石器製作跡などの生活の跡や、土器や石
器もたくさん見つかりました。早期では、B区から撥形の石器を伴った竪穴建
物跡が見つかっています。中期では貯蔵用に利用したフラスコ状土坑も確認で
きました。特にA区では、狭い範囲に円形の竪穴建物跡が9棟集中して見つか
り、そのれらの壁沿いに小さな柱穴がたくさん巡らされていました。この中に
は、同じ建物を何度も改築している珍しい例も見つかっています。
この調査では縄文時代後期が中心で、この時期のたくさんの土器や石器が出
土しています。土器は深鉢と呼んでいる煮炊き用のものが多くを占めますが、
祭りで使用したと思われるキノコ形の土製品や土偶の破片、脚が3つ付く三脚
石器も出土しました。また、やじりや石斧、万能ナイフと呼ばれているスクレ
イパー、木の実を磨りつぶした石皿など、たくさんの石器も出土しました。
今回の地域報告会は、発掘調査の成果が報告書としてまとまったことから、
地域の方々に遺跡の内容を報告することが目的です。藤株遺跡の重要性を少し
でも理解していただき、これらの遺産を地域の方々と共有し後世に正しく伝え
ていけるように、今後も努力していきたいと考えています。
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