ラ と希 望 と 現実 十 一回 ︵ 社 会 ・環境 づ く り を 早 く進 め て欲 し い も のです 。 頑 張 れ 、頑張 れだ け では何 も 出 来 ま せ ん。 頑張 れ るだ け の環境 を 。 整え ること が肝要 ではな いでし ょう か ティ ︵ 伊 ︶等 々と 一緒 に写真 に納 ま っ 、 た り サ イ ンを も ら つた り と 夢 の世 界 、 の中を 漂 って いた こと が 若 き 日 の忘 。 れ得 な い思 い出 にな って いま す 次 世代 を 担 う 若 い人達 が感 動 か ら刺 、 、 激 を受 け 将 来 への夢 と希 望 を 持 ち 日 々それ に向 か って精 進 出 来 るよう な 同窓会 会長 佐 々 木 東 日 本 大 震 災 後 一年 半 が 過 ぎ ま し 。 た 遅 々と し て進 ま な い被 災 者 ・被 災 。 地 への対 応 の遅 さ に心痛 め て いま す 、 ク 国 や自 治 体 と も に い っと き スピ ー デ ィク に対 応 す ると 云 った 言葉 が何 と も 虚 しく感 じ る今 日 こ の頃 です 。 、 そ んな 中 で ロンド ンオ リ ンピ ツク 。 が開 催 さ れま した 東 北出身 ア スリ ー ト達 の活 躍振 り に、大き な感 動 を受 け 、 ま し た 。彼 ら のプ レイ は 共 通 した表 、 ク 現 で云え ば ま さ に 前向 き で スピ ー 、 デ ィク で 為 政者 の傍観 的対 応 と 比 し 、 、 た時 勝敗 に関係 な く スポ ー ツの素 、 。 晴 ら し さ 一途 さを 見直 しま し た メ 、 ダ リ ストも素 晴 ら し いです が 敗 者 の 。 姿 にも感 動 を受 け た大会 でした 、 思え ば 戦後 復 興 の日本 の姿 を 世 界 、 に⋮と いう こと で 東 京 オ リ ンピ ツク 、 が 開催 さ れた のは 一九 六 四年 のこと 、 。 でし た 当 時 学 生 だ った私 は 代 々木 選手 村 で選手 接 応 の アルバイ トを手 中 、 に納 め 選手 村 への写真 入 り 通 行 証を 。 首 にかけ て歩 き 廻 り ま した 柔 道 のア ント ン ・ヘー シ ンク、陸上 百米 のボ ブ ・ 、 ー ロ マ五輪 二百米 覇 者 ベ ル ッ ヘイズ さ らな る 飛 韓 を 目 指 し て 、 子 、 、 ます 。生 徒 保 護者 私 ども 教 職 員 、 は 学 都 仙 台 を 代 表 す る上 中 の歴 史 と伝 統 の重 みを 感 じ な が ら 、 そ の 一 、 員 と し て 学 べる こと や働 け る こと への誇 り と喜 び を 実 感 し て いる毎 日 。 です 、 歌 声 が響 き 緑 と 花 と絵 のあ る学 、 、 校 を 目指 し 教 職 員 一同 心 を 一つ にし て ﹁上 杉 山 わ れ ら の中 学 ﹂ の 。 発 展 に向 け て全 力 で頑 張 り ま す ど う ぞ よ ろしく お願 い申 し上 げ ま す 。 , 上杉 山中学校 校 長 須一 統膝 田 四月 に仙 台 市 西 部 にあ る南 吉 成 中 。 学 校 か ら転 任 し てま いり ま し た 上 、 、 中 は 都 心 に位 置 し ており ま す が 、 、 敷 地内 には 杉 や ヒ ノキ ケ ヤ キ イ 、 、 チ ョウ 桜 ヒ マラヤ杉 な ど の樹木 も 数多 く あ り 、と ても 緑 に恵 ま れ て 、 。 いま す ま た 西 側 には 愛 宕 上 杉 線 のイ チ ョウ並 木 と 農 学 部 の緑 地 帯 が 、 、 続 き 南 隣 の明善 寮 には ヒ マラヤ 、 杉 や ヒ ノキ の大 木 が そ び え 立 ち 梅 、 台 原 丘 陵 の面 影 が 田川 の北 側 には 文 武 両道 を 目 標 に 様 々な 。 残 る緑 地 ︵ 台 原 風 致 地 区︶が 広 が り 、 四季 折 々 の美 し さ を 伝 え て いま 、 、 。 す さ ら に梅 田川 には 近 年 自 鳥 、 や鷺 な ど の野鳥 も 飛 来 す るな ど 都 会 の中 のオ アシ ス的 な 恵 ま れ た 環境 、 の中 で 全 校 生 徒 四九 〇名 ︵ 十 五学 、 、 学習 や 級︶は 部 活 動 に全 身 全 霊 を さ さげ 面 で優 れ た 結 果を 残 し てお り ま す 諸 先 輩 方 が学 ば れ た 総 二階 の木 造 、 校 舎 や モダ ンな体 育 館 は 既 に存 在 。 は し ており ま せ ん し か し校 庭 や周 、 辺 の木 々は 当 時 の様 子 を 確 か に伝 、 え て いま す 。加 え て 何 事 にも 全 力 、 、 で取 り 組 み リ ーダ ー性 を 発 揮 し さ ら な る 飛 躍 を 目 指 す と いう 校 風 、 現在 ま で脈 々と 継 承 さ れ ており は 登校風景 ∼校地内の並木に添 つて∼ 毎博 ‐1会 軽輔 ■ ■■‐ 軍農砕申印 19窮鬼0郷 ω 発 ■行‐ ■競■ ■│ 仙台市青繁区土杉6‐7‐1 1上杉出中学校闘窓会 │ 発行費任者 佐 々本 1簿 県駅 伝大会 3位 ∼ 東 北大会 へ 出場 ∼ 第 5号 上杉山中同窓会報 (1)平 成 24年 (2012年)10月 20日 十 九 回生 を 代 表 し て杉 山重 への寄稿 。 依 頼 を受 け てしま った どう し よう か 、 なあ と は思 った が 昭和 四十 三年 三月 に上 中第 十九 回生 と し て卒 業 し た我 々 の同期 会活 動 を 中 心 に書 か せ て頂き た 、 。 い 元来 が無 責 任 で勝手 な 人 間故 文 章 の中身 も そ の通 り の仕 上 がり が 予想 、 さ れ るが 今 年 の同窓会 幹 事 であ り 還 、 暦 を 迎え る訳 で よ くも ま あ 六十歳 を お迎 え にな って︱と 笑 ってお許 し 下 さ 。 い 、 、 四十歳 前 後 に あ る会 合 で 幼 稚 園 か ら高 校 ま でず う っと 同級 生 だ った男 に偶 然 出会 った 。高 校卒 業 以 来 初 め て 会 った訳 でそ れ な り の懐 か し さ が こみ 。 上げ ては来 た 無 論 上中 でも 一緒 だ っ 、 聞 けば 彼 のク ラ ス三年 十 組 では たが 毎 年 ク ラ ス会 を 開 いており ﹁ 今 度 のク ラ ス会 にゲ スト出 演 しな いか ?も う そ ろ そ ろ ク ラ ス会 の垣 根 を 取 っ払 いた 。 い﹂ と お誘 いを受 け た 丁度 そ の年 頃 に差 し掛 か って いた のか ﹁ 上 中 同期 生 のみ んな に会 ってみ る のも 悪 く な い﹂ 。 そ の思 いか ら参 加 さ せ て頂 いた そ し 、 て十 組 のク ラ ス会 に 同 じく 他 ク ラ ス か ら 誘 いを 受 け た 数 人 と 参 加 し た の 、 が 自 分 にと っては十九 回生 同期 会 に 。 関 わ って いく導 火 線 だ った そ の後 は ク ラ ス会 の垣根 を 取 っ払う 、 べく 初 の同期 会 開催 へ向 け て 幹事 を ︶ ︵ 募 り体 制 を整 え て何 と か走 り 出 し た 十 九 回生 雅 大浦︶ 宿田 姓 良 では強 く 意 識 し実 感 し て いる 百 回行 く か な ?﹂ どち ら が 言 い出 し た 、 か定 か では な いが 還 暦 を 迎 え る現在 。さ ど ほ 階 か ら何 回も 会 って話 を し た が ﹁ あと 何 年 続 く のか ?あ と何 回会 え る のか ? 毎 年 行 う 東 京 で の関東 地 区 同 期会 や仙 、 台 で の年 数 回 の幹 事 会 そ し て四年 に 一度 は全 体 の十 九 回生 同期 会 を 開 く ま 。 で に至 った き っかけを 作 ってく れ た 、 生徒 会 長 ・菊 地 信 一君 と は準 備 段 男 岡 男 前 とも 思え ぬ会 長 さ ん の顔 が愛 お し テル仙台 平 成 23年10月15日 仙台市立上杉山中学校同窓会 KKRホ 平成24年 (2012年)10月 20日 (2) 上杉山中同窓会報 第 5号 く感 じ るか ら 不 思議 だ 。 上 中十 九 回生 、 同期会 が 仕事 や家 族 ・家 庭 を ひ っく るめた自 分 の人生 にお け るあ る種 の ア ク セ ント と 彩 に な って いる の は 事 実 。 上 中 と いう 同 じ空 間 で同 じ時 間を だ 史 上 最 響 共 有 し た 同 級生 ・同期 生 が今 後 増 え る 。 事 は あ り 得 な い だ か ら こそ 上 中 十 九 、 回生 同 期 会 が ﹁ あ と 何 年 続 く のか あ と 何 回 み んなと 会 え る のか﹂ そう 思 っ つ。 てしま ヽ 。 です し か し意 志 統 一が さ れ て 、 なく 意 見 の相 違 な ど でた く さ ん ぶ つか り あ う 場 面 が あ り ま し 、 た が そ れを 乗 り 越 え ら れた こ 、 と で 充 実 し た毎 日 を 過 ご す こ と が でき ま した 。 三年 部長 佐々木 絵 理 、 私 たち 吹奏楽 部 は 史 上最響 を モ ット ー に日 々練 習 に取 り 組 、 み 多 く の人 に感 動 を 与え る音 。 楽 を 目指 し活 動 し てき ま し た つら いこと も たく さ んあ り ま し 、 仲 間と 一緒 だ った か ら こ たが 制 と な った 上 中 吹 奏 楽 部 は これ 新体 そ乗 り 越 え る こと が でき た のだ と 思 いま す 。 か らも いく つも の壁 に ぶち あ た ると 思 いま す 。 け れ ど 仲 間と 支 、 え 合 い協 力 し 夢 を あ き ら めず 。 に頑張 り 続 け てほ し いです こ 、 私 た ち 三年 生 が 入 部 した 時 は 十 七 人 だ った部 員 数 が 三倍 以 上 、 に増 え 三十 八 人 にな り ま し 、 。 夢 のよう な 人 数 で 今 年 の 見 守 って下 さ るよう お願 い致 し ます 。 れ か ら も 上 中吹 奏 楽 部 を 温 か く 私 た ち 三年 生 が引 退 し た 夏 の コンク ー ル では初 の大 編 成 、 で東 北 大 会 に出 場 し 銀賞を い 。 き 大 ただ く こと が でき ま し た な舞 台 で演 奏 す ると いう 成 果も 。 練 習 は 私 たち を 裏 出 せま し た 切 ら な いと いう こと も 実 感 しま した 。 、 吹 奏 楽 は 個 人 競 技 では な く、仲間 で合わせ る こと が重要 平 成 二十 三年 十 月 十 五 日 、 上杉 山 中 学 校 合 唱 部 の生 徒 たち の清 々し い 、 歌 声 が響 いた 同 窓 会 が 無 事 終 わ り ま し た 。 企 画 ・運 営 に携 わ った 私達 、 、 は K K R ホ テ ル の会 場 を 後 にし 。 東 照 宮 へと向 か いま し た 、 午 後 三時 さあ いよ いよ ﹁還 暦 を 、 。 祝 う 会 ﹂ の始 ま り です 最 初 に 同 、 期 生 でも あ る東 照 宮 の宮 司 さ ん に の会) 仙台市立上杉出中学校 第 18期同期会 (還暦祝 しヽ 第 5号 上杉山中同窓会報 (3)平 成 24年 (2012年)10月 20日 十八回生 里小 川 和 子 旧姓 佐藤︶ ︵ 。 お祓 いを し て いただ き ま し た 続 い 。 て境 内 の石段 で記念 撮 影 プ ロのカ 。 メ ラ マンも 同 期 生 東 照宮 の広 間 を 、 お 借 り し や は り 同期 生 のお店 か ら 、 お料 理 を ケイ タ リ ング し てと 全 て 。 手 作 り の会 です 、 ク ラ ス毎 に前 に出 て 一人ず つ何 、 ﹁中 学 の時 好 き か 話 す こと に な り だ った 人 は誰 ?﹂ な ど と いう 質 問 も 。 飛 び出 しま し た ち ょ っと した ハプ 、 エングは あ つたも の の 和 気 あ いあ いと した 雰 囲 気 を 醸 し出 し て いま し 、 。 見 た 日 は 年 齢 相 応 でも 旧友 に た 第 十 九 回生 同窓 会 総 会 開 催 お め で と う ござ いま す 。当番 幹 事 の皆 々様 ご 苦 労 様 です 。今 思う と 我 々も 十 数 、 年前 に当番 幹事 を した 思 い出 があ り 同 窓 会 を 設 立 し た初 代 木 皿前 会 長 様 、 と 役 員を し 十 年 後 二代 目佐 々木 現 、 そ の後 益 々 会 長 に バト ンタ ッチ し 我々 隆 盛 な 同窓 会 にな ってお ら れ る こと 。 は誠 に嬉 しく 思 っており ま す の同期 会 も 上 中 五十 周 年 を 記念 し て 同期 会 の 、 会 え ば 瞬 時 に中 学 生 当 時 の気 持 ち 。 に戻 れま す ど な た でも そう でし ょ 、 う が そ こ が こ の会 の醍 醐 味 。 あ の 、 時 はど う だ った こう だ った と 取 り 、 と めも な い話 で盛 り 上 が り 笑 いあ 、 い あ っと いう 間 にお 開き の時 間 に 。 な って いま し た 、 、 大 震 災 では 程 度 の差 こそあ れ 。 皆 が被 災 者 でし た 家 族 を 亡 く さ れ 、 、 。 た方 家 や職 場 を 失 った方 等 々 、 そ んな 体 験 を し た 後 だ け に た く さ 、 ん の友 と 再 会 し 言葉 を 交 わ せ る喜 。 び は ひ と し お でし た 。 ﹁み ん な に会 え て嬉 し か った 幹 。 事 さ んあ り が と う ﹂ と 声 を か け ら 、 、 れ 大 変 な 時 期 でし た が 量 向 祥 、 二 幹事 を や って良 か ったと 思 った瞬 間 。 でし た 奮 石 初 め て五十 名位 の出席 のも と 開催 し 七 十才 ・七 十 五才 と 五年 毎 に開催 す 。 る こと にし ま し た 私 も 五十 年 ぶり でな ごむ 町 内 会 の体 育 振 興会 の役 員 。 にな り ま し た こ こ で上 杉 のこと を 。 ち ょ っと 当 地 に生 ま れ育 って七 十 、 余 年 祖 父 の代 より 約 百年 住 ん でお り 、 北 六 通 り は堀 が ま だ あ り 、 上 杉 、 通 り は狭 い路 で そ の頃 の地 域 はま 。 だまだ自 然 と のふれあ いの場 でした そ の後 教 育 改 革 が行 な わ れ新 制 中 学 、 、 制度 になり 四中 は後 に上中 にな り 、 、 家 内 は 八 回生 娘 達 二 私 は 六 回生 。 人も 孫 も 家内 の姉 と 私 の姉 夫 婦 は 、 、 三 回生 兄嫁 も 四回 生 と 一家 皆 上 。 、 中 生 O B ・O G です 尚 現在 の上 、 杉 地 区 は 約 五 千 世 帯 四十 町内 会 か 、 、 ら成 り 立 っており 北 四通 り 北 六 、 通 り 上 杉 通 り が幹 線 道 路 にな って 、 。 おり 交 通至便 な地 区だと 思 いま す こ の度 勝 山 企業 様 の スケ ート場 が な く な ってしま いま し た が 、 アイ ス ス ケ ー ト発 祥 の地 と し て スケ ート場 を 、 再度 誘 致 し 以前 のよう に小 。中 学 、 生 の保 体 の授 業 の 一環 と し て 利 用 でき る よう にな れば い いと 思 って い 。 ると こ ろ です 同 17 玉 手 信 彦 上杉曲中近滉観告 博 伸 佐々木 茂 静 賀 塚 教 頭 志 戸 平成 二十 四年 度 の上杉 山 中学校 、 は 一学年 五 ク ラ ス 工学年 五 ク ラ 、 、 ス 三学年 四 ク ラ ス 杉 の子学級 16 一ク ラ ス計 十 五 ク ラ ス総 勢 四八九 、 名 の生 徒 職 員 三十 二名 で スター 、 ト しま し た。 ﹁ 未 来 に向 か って 同 生 き 生き と 心 豊 か にたく ま しく生 き る生 徒 の育 成 ﹂を 目標 に、生徒 ・ 寛 て 木誌題 ! ! にっい 梶!・ ﹄ ! ﹃ 酵戦盤! 、 第 四代 仙 台 藩 主 綱 村 公 は 東 照 宮 か ら 堤 町 の台 地 一帯 に杉 を 植 え て保 。 護し ﹃ 杉 山 墓﹄と称 し ま した 城 下 の ﹂の杉 山 各 街 か ら 武 家 屋 敷 を 通 って> かみしも ︶の位 室 に向 かう 道 を 上 下 ︵ 置 により ﹃ 上杉 山 通 ・中杉 山 通 ・杉 山 。 通﹄と呼 称 しま した これ らの町名 は 、 二本 杉 通 ・光 禅 寺 通 な ど 及 び北 番 、 丁 と と も に 江 戸時 代 か ら 昭 和 四 十 五年 ま で呼 称 さ れ ていた 歴 史 あ る 町 。 名 です 我 が 母 校 が所 在 す る学 区 地 域 の歴 、 史 を 振 り 返 ってみ た と き 校 名 と と も に、 現 在 に残 る上 杉 の地 名 が 生 ま れ る根 源 と な っている いにし え の地 名 。 ﹃ 杉 山 重 ﹄がそ こにあ るのです ︵一回生 芳 賀 ︶ ! ! ! ! ︲ ←十 一 雛争ま 前会 ! 一 一本 長木肘誰 ︲i ! 年推の ! 。 氏の揮墓 によるものです 、 ﹃ 杉 山墓﹄のこと で 何 度 か母校 を 訪 、 れま し た が 在 校 生 か ら自 然 な さ わ や 。 かな 挨 拶 を受 け ま し た と ても 良 い印 。 象 でし た 健 やか に成 長 し て いるな と 。 、 嬉 しく な り ま し た 又 二年 振 り で大 、 樹 祭 を 見 学 し て 若 い エネ ルギ ー に触 、 れ 私 も 元気 を いた だ き ま した 。後 輩 、 たち の貴 重 な 中 学時 代 を 私 達 は先 輩 く っ 行 き た いも の で とし て か て 温 見 守 。 す ︵ 十 九 回生 菅 原 ︶ 胴爾 密轟 仙台市立上杉山中学校 小 野 ]4 、 ま た 運動 面 では市 中総 体 を 勝 、 ち 抜 き 県 大会 へ 男女 バ スケ ット 、 ボ ー ルを 始 め 八 つの種 目 が出場 し ま し た 。 中 で も 、剣 道 男 子 団 、 、 体 水泳 個 人 体 操 個 人 が東 北大 、 。 会 ま で出 場 し 大 活 躍 しま し た 、 さ ら に 文 化 面 でも吹 奏 楽 部 が県 、 大 会 で金 賞 東 北 大 会 で も 銀 賞 と 、 ホ ー ル 一杯 に素晴 ら し い演奏 を響 か せ て いま した。本 校 の活 躍 、 は ホ ー ム ページ やブ ログ等 に掲 。 載 し て いま す のでご覧 くだ さ い 謙 伸 茂 賀 公 藤 佐 秀 阿 部 教頭 志 事務局 征 24 同 保 護者 ・地 域 社 会 か ら信 頼 さ れ る 学 校 を 目指 し て教育 活 動 を 進 め て 。 います さ て、今 年 度 も素 晴 ら し い伝 統 、 ﹃ 上 中魂﹄を受 け継ぎ 文 武 両道 で 。 皿 上中の最新情報が分 か ります。同窓会 の コー ナ ー もあ りますので、是非 ご覧下 さしヽ 。 同 司 康 監 事 子 和 菅 原 大 活 躍 し て いま す 木 上中ホームベー ジのご案内 子 19 友 大 常任 幹事 こ のよう に文 武 両道 で活 躍 し て 、 い る 上 中 生 で す が 九 月 の大 樹 、 十 月 の職 場 体 験 学 習 など の行 ] 坂 ― 山 横 29 同 飯 洪」 雅 国 賀 尾 邦 子 同 哉 欣 芳 驚 同 祭 同 長 学 習 面 では真 剣 な 眼差 し で授業 、 に取 り組 ん でおり 仙 台 市 標準 学 、 全 国 学力 調査 の結 果 にも 常任幹事 会 高 橋 同 子 也 早 英 同 由 山 克 江 一 藤 同 ] 副会長 彦 昌 須 松 ]4 名 氏 事 が決 めます。 当番幹事 は、 その年度 に還 た します。 是非 、 暦 を迎える回生 が担当しヽ お誘い合 わせの上 こ参 加下 さい。 子 小野寺 明 校 長 ⊃TA会 辰 顧 間 定期総会の ご案内 平成23・24年 度 同 窓会役員名簿 、 定期総会 │よ 毎年 1 0 月の 第 3 土 曜 日に ます。 開催 してしヽ て│よ 会 場 、時 間 に つ しヽ そ の 年 の 当番 幹 名誉会長 力検査 中総体壮行会 園 生 回 事 を 通 した 人 と の関わり の中 で人 、 間 的 にさ ら に成 長 し て いく た め 、 今 後 とも ご協 力 ご支 援 を よ ろし く お願 い いた しま す 。 2年 野 外活動 (秋田) 職 役 名 氏 生 ‐ 役 職 上杉 山 中 の学 力 の高 さ が顕 著 に現 。 れ て いま す ]年 校 外学習 (平泉) 平成 24年 (2012年)10月 20日 (4) 上杉山中同窓会報 第 5号
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