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2015 年 1 月 25 日
重症心身障害児の在宅支援研修会に参加される(た)みなさんへ
有限会社しぇあーど
NPO 法人地域生活を考えよーかい
李
国本 修慈
熊本(あるいは熊本以外)のみなさん、こんにちは。今回、「重症心身障害児の在
宅支援研修会」ということで、私からは「地域で活き居き生きる~いつまでもこ
こで~」というテーマでお話しをさせていただきます。
ステキな造語(?…^^;)「活き居き(いきいき)」という言葉に喜んでおりまして、
「いつまでも」という言葉も私の大好きな言葉です。更に「ここで」という音の
響きも大好きで(昔はよくコケコッコーっ!と鶏さんの鳴き声に朝が来た!と実感し
たものでした…^^;なんのこっちゃですいません)、ぜひ、今日は「ここ(で)」とい
う言葉等をぐぐっと深く考えていければと思っています。
で、話題のキーワードは「地域で生きる」ということ(よく聞く言葉になってい
ますが^^;)、
「活き活きと生きる」というこう(なんか難しいですねー^^;)、
「居る(い
る、ではなくって、おるっ!です^^;関西風に^^;)」ということ、そして「いつまで
も(一緒に)」ということ(なんかとってもいい響きですね^^;、愛を感じるといいま
すか^^;、と、しかし…みたいな現状もふまえて)としながら、まさに「此処がここ
であるために」(なんのこっちゃ?…かも知れませんが^^;)、ようするに、まずは「こ
こ」はどこやねん!?ということ、そして、そんな(どんなんや?ということも一緒に
考えましょう)「ここ」が「此処(ここ)」(逆でもよい^^;)であるため、在りつづけ
るために「私は」あるいは「私たちは」…ということをいっぱい(たくさん)考える
ことができればいいなーと思っておりまする^^;。そんなんで、くだらないダジャ
レ等も盛り込みながら楽しいひとときをご一緒できますよーに、よろしくお願い
いたします^^;。
では、
「地域で生きる」ということ、最近(と言っても、もー15 年以上も前から)
ほんとにありふれた言葉になっていますが、
「地域生活」だとか「在宅支援」って
なんやねん?みたいなことも考えたいところです。
「地域」って何処ですか?だとか、
「在宅支援」ってなんやねん?(そもそも私自身がよく解っておりません^^;、在宅?、
あるいは在宅生活を支援するのか?、そもそも何故ソコを支援せねばならないのか?
等々)というようなことも考えていければと思います。そこには「入院生活」であ
るとか「入所生活」という言葉(と言いますか、そもそもの、そういった生活形態)
があって…とか、更に、それらはほんとに「生活」と言っていいんだろうか? (仮
に私たちがその場での生活を強いられた際に、それはどうなんだ?とか…もちろん、
入院だとか入所という言葉を否定している訳ではなく…なんですが、少し生活と
いう文言と擦り合せながら考えたいものです)とか、そもそもの(なんども、そもそ
もですいません)「生活(=暮らし)」の意味を繰り返し考えていければと思います。
そーすると、やっぱり、それって「場所」(を変える、とか、場所によっての違
いだとか)の問題なのか…?だとか、
「生活」ということ、
「地域で生きる」というこ
とは…を例えば「障害者権利条約(の例えば第 3 条あたり)」等からも考えていきま
しょう。
で、「地域で生きる」ということは、いろいろ(たくさん)な意味があるのでしょ
うが、やっぱり(とどのつまり)「笑顔も(笑顔のみが、ではない^^;)在る」というこ
とだったりするのかな?と思ったりします。
だけど、「地域で生きる」なんてことを私らのような「福祉」や「支援者」等と
いう輩たちは(しょっちゅう)言いますが、実際はどうなんでしょうか…?。
例えば、「重い障害」だとか「医療ニーズが高い」などといわれる重症児だとか
超重症児といわれる(言われてしまう…なかなかお名前だけで呼んでもらえなかっ
たりですね)子どもたち(もちろん大人たちも)やご家族の多くは「福祉」にも遠ざ
けられたり、更に「医療」からも厳しい仕打ち(と言ってもいいように思います、
実際の体験を幾つも聴いてきた、なってない輩の私の実感として)を受ける訳です。
しかも、それは子どもさんが「産まれる前から」
、
「生まれてから」、更に「退院
する際」、「退院してから」…と、何段階にも渡り繰り返される…だとか、とか。
医療に福祉に教育に行政、その他諸々、本当の地域だとか社会ってなんなんだ
ろー??と考えていくことも時々は必要なのかと思います。
さて、とあるお嬢さん(ほのさんというかわいい女の子です)のお母さんが言いま
した。「超重症児って、誰の言葉なの…?」とか、「その(そう呼ばれてしまう)こと
によって、例えば学校に行けなかったり、あたりまえの楽しみだとかの経験がで
きなかったり…」だとか。本当に大切なコトを考えていきたいものです。
そして「活き活きと生きる」って…???、なかなか難しいですね。辞書等でその
言葉の意味を調べてみると「新鮮で生気があふれているさま」だとか「元気で活
気のあるさま」等と記されています。これらの言葉を私たちが関わらせていただ
いています超重症児などといわれる子どもたちに重ねてみるとどうでしょう…?。
もしかしたら、例えば「自発呼吸が出ない(自らのみで息ができない)」だとか「瞬
きができない(あるいは瞳孔すらも散瞳し難い)」とか、「刺激を感じていないので
は?(痛覚反射が見て取れない、とか)」等といわれる子どもさんを目の前にされた
際に、多くの人々が「活き活き」という言葉に合致していると思わないかも知れ
ません(悲しいですが)。されど私たちは、そんな彼女や彼らと共に長く居る(おる)
ことで、まさに彼女に彼ら(こそ)が『生気があふれ(過ぎやんっ!とか^^;)、活気溢
れ(まくりやんっ!とか^^;)るさま』であることに気付いて(感じて)いくわけですね。
「活き活きと生きるということ」、やっぱりそれは、あたりまえに、この世に生
まれてきた子どもたちみんなが、全ての人に「生まれてくれてありがとう」と言
われることなんじゃないのかなーと思う訳です。しかし、必ずしも(全ての人に)
そう言われ(思われ)ない現状(例えば〈無益な医療論〉だとか、
〈優生思想〉だとか
にみられるように)があるのだとしたら、私たちは何を思い何を行なっていけばい
いのでしょうか?。そんなことを考えてみたいものです。
次に、「居る(おる)」ということについて考えたいのですが、例えば重症心身障
害などといわれる方々の「思い」や「意思」はどうすれば解るのだろうか…?等と
いうことを考えていくと、この頃では法律にもその言葉が取り入れられたりして
います(意思決定支援だとか)が、なかなか解り難いことには違いないと思います。
しかし、これまで(もしかしたら、今も?)、多くの知的障害といわれる方々や重
症心身障害といわれる方々のそれ(意思?思い?)は無いものとされたり、あるいは(勝
手に)決められたり(例えば自らが暮らす場だとか食べたいものだとか等々が)とい
うことがあった(あるいは、今もある)のですが、本当にそんなことで良いのでしょ
うか?。「解らない(解り難い)ことを無い (あるいは勝手に決めてしまう) こと」に
してしまうことの愚かさを私たち支援者等という輩たちはもっと強く感じなけれ
ばならないと思っています。
例えば「親亡き後」という言葉を今も聴くことがあり、もちろんその言葉が今
のこの国の障害福祉(もう少し言うと社会保障施策全般)の現状がそう言わせてい
る訳でしょうし、親が子を思う気持ちを否定するつもりは全くありません(わたし
も一応^^;父親だったりします)が、決して彼女・彼らは親あるいは誰かに「護られ
て」だとか「託されて」(のみ)生きていく(生きてはいけない)存在ではなく、自ら
が自ららしく(自らなりに、ではなく)生きていこうという「人」であるということ
は確認したいものです。そして彼女・彼らは「重症心身障害」という言葉ににカ
テゴライズされる存在でもなく、彼女・彼らは当たり前にそれぞれの名前を持つ
人であることを繰り返し確認したいものです。
彼らが「居る(おる)」ということは、わたしたちと同様に、地域社会の中で「障
害者の」ではなく、何某という名の「人」として存在しているということなのだ
と思います。そして、彼女・彼らが私たちの地域にしっかり「居り(おり)」続ける
ことによって、周囲の人々の価値観を大きく転換させながら地域そのものを変化
させていくことを私たちは体験として実感しています(※1)。そんなことも考えてみ
たいものです。
そして、「何時までも一緒に居るために」、私たちは何を思い、何を考えて行っ
ていけばいいのでしょうか?。それこそが、今日ご紹介する(予定の)ご本人さんた
ちの生き様の中から感じ取っていただければ嬉しいところです。そのため(いつま
でも一緒に居る)には、制度だとか専門性だとかのみではなく、間違いなく必要な
モノがあると考えています。そんな「もうひとつの」大切なコト(※2)をみなさんと
一緒に考えていければと願っています。更に医療のこと、延命、ターミナル、グ
ループホームだとか本人主体等という言葉についても考えていきたいものです。
最後に「此処がここであるために」…、まさに「此処」は「どこ?」のようなこ
とを考えながら、あたりまえに全ての人の「此処」(あるいは「ここ」)は誰それに
決められるものでも決まるものでもないということ、即ち、その時々の「あなた
や私」にとって喜怒哀楽を含んだ「暮らし(生活)の場」であること、在りつづける
ことを考え続けたいものです。
なにかと普遍的・普遍性等という言葉とともに仕組み(システム)やカタチが作ら
れています(作られてきました)が、それだけでは無く(もちろん、そのことを否定
するものではありません、が…)、先に記した「もうひとつの」という意味や、む
しろそうした「作られたカタチ」に嵌まり込んでしまう(あるいは嵌め込まれる)
「あたなと私」を如何に解放していくのかも(あるいは、それこそが)大切な私たち
の役割ではないかと思っています。
2025 年問題という言葉も随分と身近になってきましたが、例えば「病院に死に
場所(ベット)が無い」から「在宅医療」だとか、
「NICU の満床問題(あるいは出口
問題)」を解消するために「小児在宅医療」等ということは背景に過ぎず(NICU の
出口問題という言葉はそれすらが間違った表現だと言えそうですが)、もちろんそ
ういった社会背景によって法制度が整備され、それによってインセンティブが働
くということ(を否定はしませんが)よりも、高齢者といわれる方々も、障害児・者
といわれる方々も、あたりまえに「何処で誰と如何」≪暮らしたいのか?≫という
コトこそに、我々のような支援者という輩はモチベーションを抱きたいものです。
そして 1990 年代からの社会福祉基礎構造改革という流れから現在に至る迄に制
度は整えられ、サービスや事業者は増えていきました。だけども、未だに当時と
同じように、そういった法制度から漏れ続ける方々がいらっしゃいます。繰り返
しますが、彼女・彼らには「周囲の人の価値観や地域そのものを変える力」があ
ります。そのことが彼女・彼らの「社会的はたらき」であるのですが、彼女・彼
らの「はたらき=力」にぜんぜん追いついていない福祉・医療・教育・行政・地
域社会をしっかりと見据えていかねばなりません。そんなことを今回の研修会で
少しでも感じ取っていただければ幸いです。ありがとうございました。
以下もご参考に^^;;
※1
西宮市においてたいへん障害の重い人たちが拓いてきた地域の暮らしの現状と
今後の展望
西宮市社会福祉協議会
清水明彦さん
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2010/05/dl/0518-1c.pdf
※2
もうひとつの福祉(ブログ)
五十嵐正人さん
http://mouhitotsunofukushi.seesaa.net/
2015/1/19
重症心身障害児の在宅支援研修会
居宅介護コース
有限会社しぇあーど
2015年1月25日(日)
NPO法人地域生活を考えよーかい
李 国本 修慈
くまもと県民交流館 パレア9F会議室
地域で生きるということ
居る(おる)ということ
活き活きと生きるということ
いつまでも一緒に居るために
此処がここであるために
地域で生きるということ
地域住民の一員として、
その中に居るということ
地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと
障害者権利条約第3条(抜粋)
1
2015/1/19
だけど、いろいろ
産まれる前から、生まれてから、
退院する際、退院してから・・・etc
活き活きと生きるということ
①新鮮で生気があふれているさま。 「 -した目」 「 -(と)描写する」
②元気で,活気のあるさま。 「 -(と)した表情」
Weblio辞書より
「ほのさんは、超重症児です」
といったところで、
いろんな「お世話」が必要なんだ、
というような、「お世話する側」を中心とした
情報がわかるだけであって、
それじゃあ、ほのさんが「どんな子なのか」
ということは、
全く表していないわけです。
障害があるから、「超重症児」だから、という理
由で、生活がままならなかったり、
通園、通学ができないとか、
贅沢をしようということではなく、基本的な活動
ができないということは、
制度云々のことではないからです。
2
2015/1/19
活き活きと生きるということ
1. 生まれてくれて ありがとう
唯(ただ) 生き抜く 君の姿に
We are dreaming
You are smiling
涙流れても 笑顔に変わるよ
Love しぇあーど
2. 君の 鼓動が 響き伝わる
We are dreaming
それが君たちと 僕らのちから
しぇあーど・・・
僕の こころに 染み入りこんで
You are smiling
生きていくことが 止められや しないさ
Love しぇあーど
そうさ 君たちの いのちが力
しぇあーど・・・
居る(おる)ということ
3
2015/1/19
いつまでも一緒に居るために
此処がここであるために
4
2015/1/19
此処がここであるために
2010年のクリスマス会
超重症児などと
いわれる彼女・彼らの暮ら
しって、。。
息すること、生きることの
意味だとか、彼等の「力」、
「はたらき」だとか
サンタのおばちゃんは、
言いました・・・・
彼等の力にぜんぜん追いついてない
福祉・医療・地域・社会
そんなんで^^;;
ありがとうございましたっ!!!
有限会社しぇあーど
NPO法人地域生活を考えよーかい
http://www.kangaeyo-kai.net/
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