水稲のヒ素吸収抑制(3)カドミウム低吸収品種の利用 国立研究開発法人農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 石川 覚 1.はじめに 水田土壌中のヒ素は湛水による土壌の酸化還元電位の低下(嫌気状態)に伴い、亜ヒ酸として 溶出し、それが水稲に吸収される。一方、落水などによる土壌の酸化状態はヒ素の溶出を抑制す るが、カドミウムの溶出を引き起こし、水稲のカドミウム吸収は高まる。このように水稲栽培に おいてヒ素とカドミウムはトレードオフの関係にあり、両元素を同時に低減させることは営農上 非常に困難である。我々は以前カドミウムをほとんど吸収しない水稲品種「コシヒカリ環 1 号」 を育成した 1)。この品種を節水などの土壌が酸化的な状態で栽培すれば、ヒ素とカドミウムを同 時に減らすことができると我々は考えた。本発表では、コメ中のヒ素とカドミウム濃度の同時低 減を目指し、複数の現地圃場で「コシヒカリ環 1 号」を栽培した結果について、紹介する。 2.コシヒカリ環 1 号の特徴 「コシヒカリ環 1 号」はコシヒカリの種子に放射線の一種であるイオンビームを照射して作製 「コシヒカリ環 1 号」の玄米カドミウ した突然変異体であり、2015 年 5 月に品種登録された 1)。 ム濃度は、通常のコシヒカリでは食品衛生法の基準値(玄米・精米で 0.4 mg/kg 以下)を超える 水田であっても、ほとんど検出されないほど極端に低い。その作用機序は根のカドミウム吸収抑 制に由来する。根から物質が吸収される際、 「トランスポーター」と呼ばれる膜タンパク質を経由 するが、その働きは遺伝子によって制御されている。カドミウムは、OsNramp5 という遺伝子の 働きによって水稲根から吸収されるが、 「コシヒカリ環 1 号」はその遺伝子に変異が起こり、カ ドミウムを吸収しにくいタンパク質に変化したために、コメ中のカドミウム濃度が著しく低下し た 2)。なお、この遺伝子はマンガンの吸収にも関与しており、コメ中のマンガン濃度の低下も認 められる。 「コシヒカリ環 1 号」を茨城県つくば市にある当研究所の水田圃場で複数年栽培した 結果によると、生育、収量、食味、病害耐性など農業上重要な形質はコシヒカリとほぼ同等であ った。それゆえ、従来のコシヒカリと全く変わらない方法で栽培可能である。コシヒカリの栽培 適地でない場合は、 「コシヒカリ環 1 号」を素材に、地域に適した低カドミウムタイプのイネ品 種を新たに育成することでコメ中のカドミウム濃度を低減できる。その場合、 「コシヒカリ環 1 号」が持つカドミウムを吸収しない遺伝子を簡易に判別できる目印(DNA マーカー)を使うこ とで、効率良く低カドミウムタイプのイネ品種を作ることができる 3)。現在まで 100 以上の品種 や系統にこの遺伝子を導入し、新たな低カドミウム品種の育成に国や県の研究機関が取り組んで いる。低カドミウム品種の開発・普及によって、日本人が食品から摂取するカドミウム量を大幅 に減少させることが期待できる。 3.コシヒカリ環 1 号を用いたヒ素とカドミウムの同時低減技術 コシヒカリ環 1 号はカドミウムの吸収抑制だけでなく、水管理と組み合わせることでヒ素濃度 も大幅に減らすことが可能と思われる。そこで、コシヒカリ環 1 号と対照品種としてコシヒカリ を 2013 年から 3 年間にわたり、東北から九州に至る 9 カ所の現地水田圃場で栽培した。水管理 はカドミウム対策用等で実施されている湛水管理、田面水の消失と共に入水を繰り返す間断灌漑 管理、田面水の消失後土壌表面の乾燥が見え始めてから入水する節水管理を実施した。各試験圃 場の土壌理化学性、栽培期間中の土壌の酸化還元電位(土壌 Eh) 、土壌溶液中のヒ素・カドミウ ム濃度、玄米の形態別ヒ素、カドミウムおよび重金属濃度、生育・収量、玄米品質、等の各調査 を行った。 生育期間中の土壌 Eh は各圃場でばらつきは大きいものの、節水区>間断灌漑区>湛水区で推 移し、節水区ではより酸化的な状態になった。土壌 Eh の変化に対応するように、土壌溶液中の ヒ素濃度は湛水区で高まり、カドミウム濃度は節水区で上昇した。玄米のヒ素濃度は品種にかか わらず、湛水区>間断灌漑区>節水区の順であり、平均すると間断灌漑区の玄米ヒ素濃度は湛水 区の約 27 %減、節水区は湛水区の約 45 %減であった。玄米に含まれる総ヒ素濃度のうち、平 均で 94 %が無機ヒ素の形態で存在した。なお、玄米の総ヒ素・無機ヒ素ともにいかなる水管理 においても品種間差は認められなかった。一方、コシヒカリのカドミウム濃度は節水区で有意に 上昇したが、コシヒカリ環 1 号はいずれの水管理においてもほとんど検出されなかった。玄米収 量は地域間差や年次間差があるが、平均すると湛水区>間断灌漑区>節水区であり、統計上有意 ではないが、節水栽培したコシヒカリ環 1 号で最も低下した(湛水栽培したコシヒカリの精玄米 収量の 6 %減) 。玄米品質に関しても同様の傾向が認められた。しかしながら、玄米収量や品質は 水管理に加え、土壌の性質、地域性、気象条件等が大きく影響するため、更なる検討が必要と思 われる。以上の結果、コシヒカリ環 1 号の節水栽培は、玄米収量や品質に多少負の影響を与える ものの、ヒ素とカドミウムの大幅な同時低減に有効であることが証明された 4)。 4.謝辞 本成果は農林水産省の委託プロジェクト「食品の安全性と動物衛生の向上のためのプロジェク ト」 (課題名:水稲におけるヒ素のリスクを低減する栽培管理技術の開発(As-110) )の予算によ って得られた(平成 25 年度~27 年度) 。共同研究者をはじめ関係者に心より感謝申し上げます。 参考文献 1)農業環境術研究所(2014): カドミウムをほとんど含まない水稲品種 「コシヒカリ環1号」 、 http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/press/140130/ 2)Ishikawa et al. (2012): Ion-beam irradiation, gene identification, and marker-assisted breeding in the development of low-cadmium rice. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 109 19166-19171. 3)農業環境術研究所(2015): ハイスループットな DNA マーカー選抜 ver1.0 実験プロトコール http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/kk1_marker_v1.pdf 4)Ishikawa et al. (2016): Low-cadmium rice cultivar can simultaneously reduce arsenic and cadmium concentration in rice grains. Soil Sci. Plant Nutr. DOI:10.1080/00380768.2016. 1144452
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