尼ヶ﨑彬著『近代詩の誕生――軍歌と恋歌』

『近代詩の誕生
』
定価=本体+税5%(2012年5月現在)
新刊紹介
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著 者 は、
「新体詩」とその創設者の一人
だった外山正一に目を向ける。文学史のな
尼ヶ𥔎
彬
著
かでは、どちらも軽視されてきた存在であ
る。しかし著者は、とりわけ外山の試みが
──軍歌と恋歌
含んでいた可能性に注目する。
外山が一貫して追求したのは、平易な表
現と感動という二つのものである。どちら
(四六判・上製・三
〇
六
頁・本体二
、
〇
〇
〇
円 大修館書店)
も、
「芸術のための芸術」派の目指したも
111111111111111111111111 のとは正反対である。
現代のわれわれ自身の先入観の問い直し
していた人たちである。批判者たちが正し 外 山 は、 庶 民 の 立 場 に 立 っ て 詩 を 書 き、
をさせてくれる本である。
い詩だと思ったのは「芸術のための芸術」 新しい見方を広めることができた。たとえ
らっ ぱ しゅ
着眼がすばらしい。著者が目を付けたの
の代表としての詩だった。これが、今の日
ば、 日 陰 の 存 在 だ っ た 陸 軍 の 喇 叭 手 ( 名 は
は、今の日本で「詩」と認識されているも
本で一般に「詩」だと思われているもので
白神)が、瀕死の重傷を負いながら喇叭を
のが、どのようにして生まれたのかという
ある。しかし、日本での「詩」の形成には
吹き続け、精神の尊厳を示したことへの感
動 を 表 す よ う な 詩 で あ る。「 …… 白 神 は た
問題である。
重大な問題が生じている。
時代が明治へと変わり、近代的な国民国 そ も そ も、
「芸術のための芸術」という
だただ喇叭手なりしなり。喇叭手の最期は。
実にかくの如くなりしなり。」
家にふさわしい「詩」を作ろうとした人た
考え方は、十九世紀という一時期に、西洋
ち が い た。 彼 ら は、 そ の 詩 は、 身 分 的 エ
社会のなかの一部で優勢になった立場にす 近年、たとえば美術研究の分野では、陶
リートのものだった従来の「詩」すなわち
磁器などを「工芸品」として、広告イラス
ぎない。それが、日本に移植された際に肥
漢詩とは異なる平易な言葉で、ひとまとま
大した。なんのことはない、身分的エリー
トなどを「商業美術」として「芸術」から
りの思いを綴るものでなければならないと
トの独占物だった「詩」が、精神的エリー
排除してきたことへの反省が進んでいる。
考えた。それを彼らは「新体詩」と呼んだ。 トの独占物としての「詩」になってしまっ
著 者 は、 同 様 の 見 直 し を 詩 に つ い て お こ
「新体詩」を世に送り出すにあたって彼ら たのである。
なったのである。
が参照したのは、西洋の詩である。
そ の 重 大 な 結 果 と し て、
「 芸 術 の た め の この重要な主題を扱う、豊かな内容の書
と こ ろ が、
「 新 体 詩 」 に は、 ま も な く 強
芸術」という枠組みから外れるものは
物を、著者は軽やかに説き進めている。
(鳥越輝昭・神奈川大学)
力 な 批 判 者 た ち が 現 れ る。
「 新 体 詩 」 の 作 「詩」でないものとして、切り捨てられて
者たちよりも西洋の詩に通じていると自負
きた。
「新体詩」自体がその一つである。
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