牧ロ常三郎著 『人生地理学』41の 書評

創 価教 育研 究第2号
牧 ロ常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
塩
原
将 行
2003年10月15目 は 、人 生 地理 学 が 出版 され て100年 の佳 節 を迎 え る。人 生 地 理 学 の 書評 は 牧 口
自身 が 触 れ て い るr地 学 雑誌 』 の小 川 琢 治 の 書評 と 『平 民新 聞』 の 書評 の み 知 られ て い た 。 し
か し、 以 下 の 書 評 を 見 て い た だ い て わ か る とお り、 当時 の 代 表 的 な 新 聞 雑 誌 を網 羅 して お り、
人 生 地 理 学 は 高 い評 価 を 得 て 迎 え入 れ られ て い た こ とが わ か る。 これ らの 書 評 は 、 同 時 代 の評
価 を知 る上 で 貴 重 で あ る と と も に、 人 生 地 理 学 の成 立 、 当時 の 牧 口の 交 遊 関 係 等 を知 る 上 で も
貴 重 な 資 料 で あ る。100年 の佳 節 を祝 う意 味 を込 め て 、現 在 収集 で き た書 評 を翻 刻 し紹 介 す る。
なお 、 出 来 るだ け原 文 の ま ま 紹 介 した い と考 えた が 、 ① 紀 要 が 横 書 きで あ るた め、 縦 書 き を
横 書 き に した 。 ② 変 体 仮名 を改 めた 。 ③ 旧字 体 にっ い て は 、 な るべ く原 文 の香 りを残 した い と
い う観 点 か ら、2003年 段 階 でJISコ ー ドに登 録 され て い る も の につ い て は 、極 力 、旧字 体 を用 い
た。 登 録 され て い な い もの にっ い て のみ 、新 字 体 に変 換 した 。 ④ 人 名 にっ い て は、 極力 旧字 体
を用 い る こ と と した 。⑤ 二 文 字 の返 り点 は 、Σ 』 と表 記 した 。⑥ 判 読 で きな い 文 字 は ■ と した 。
収 集 に あた り、 『文 庫 』 に つ い て は 秋 成 史 郎 氏 、 『大 阪 朝 目新 聞 』 にっ い て は淺 井 學 氏 の調 査
に よ る。 訂 正 増 補 に対 す る書 評 、地 方 新 聞 の書 評 の収 集 は今 後 の課 題 で あ る。
次
目
〈新 聞 の 部 〉
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
帝都 書籍新報
明 治36年10月10日
報知新 聞
二六新報
明 治36年10月19日
日出国新 聞
明 治36年!0月19日
都新聞
明 治36年10月20日
神戸新聞
明 治36年10月20日
時事新報
明 治36年10月21日
萬朝報
明 治36年10月21日
人民
明 治36年10月23日
明 治36年10月19日
11
12
13
!4
1
5
日本
明 治36年10A23日
東都 日報
明 治36年10月23日
大阪朝 日新聞
明 治36年10A26日
東京 日日新 聞
明 治36年10月28日
大阪朝 日新 聞
明 治36年11A3日
毎 日新 聞
明 治36年11H12日
MasayukiShiohara(創
価 教 育 研 究 セ ン タ ー 事 務 長)
一261一
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地理 学 』41の 書評
16平
民新 聞
明 治36年11月22日
17東
京 朝 日新 聞
明 治36年11月27日
18大
阪毎 日新 聞
明 治36年12月8日
19讃
売新 聞
明 治36年12月15日
く 雑 誌 の 部>
1地
學雑 誌
明 治36年10月15日
2読
書界
明 治36年10E15日
3東
京経濟 雑誌
明 治36年10E24日
4實
業 之 日本
明 治36年11月1日
5日
本人
明 治36年11月5日
6教
育學術界
明 治36年11月5日
7史
學界
明 治36年!1A5日
8教
育實験界
明 治36年11H10日
9慶
磨義塾學報
明 治36年!1月15日
10東
洋経濟新報
明 治36年!!月15日
11北
海道教育雑誌
明 治36年1!A25日
12歴
史地理
明 治36年12月1日
13濁
立評論
明 治36年12月3日
14實
験教授指針
明 治36年10月8日
15帝
國文 學
明 治36年12月10日
16日
本 之小 學 教 師
明 治36年12月15日
17文
庫
明 治36年12月15日
18地
學雑誌
明 治37年1月15日
19教
育 時論
明 治37年3月5日
20東
亜の光
明 治38年3月15日
<明
治41年10月5日
改 訂 増 補 第8版
の 書 評>
21教
育界
明 治42年IH1日
22地
學雑誌
明 治42年1月15日
本
文
く 新 聞 の 部>
1『
帝 都 書 籍新 報 』
明 治36年10月10日
◎ 人 生 地理 學(牧
第14号
・4面
帝 都社
寄 贈 書 紹 介(到
着 順)書
籍 類 之部
口常三 郎 著)
地 理 學 も他 の 科 學 の如 く成 るべ く原 因結 果 の 關係 に よ りて 説 明 せ ざれ ば 是 れ か 研 究 上 何 等 の趣
味 あ るな く、 勢 ひ 死 學 た る を免 れず とは 方今 學者 社 會 一 般 の輿 論 な れ共 、本 邦 に は未 だ 之 れ に
一262一
創 価教 育研 究第2号
慮 ず べ き書殆 ん どな く、 斯學 界 の爲 め甚 だ遺 憾 とす る所 な りしが 、 偶 々 『人 生 地理 学 』 の 著 述
出 で 、材 料 の 豊 富 と着 想 の警 抜 と、組 織 の整 然 とは 、曾 て 其 の 比 を 見 ざる と ころ 、是 れ 眞 に社
會 の 渇 望 を讐 す べ き 良 藥 た らん か 、聞 く所 に依 れ ば著 者 は久 し く北 海 道 師 範 學 校 に奉 職 せ しが 、
該 の 著 の 爲 め 辮 四 年 同校 の教 諭 を辞 し、爾 來 専 心 本 書 の著 述 に從 事 し、刻 苦不 屈 、幾 多 の 困 難
を排 して 薙 に 漸 く完成 を告 げ た る もの な りと云 ふ 、加 ふ る に彼 の斯 學 に有 名 な る志 賀 重 昂 氏 の
細 詳 及校 閲 を経 し もの とあ れ ば 亦 た 以 て 尋 常 一 様 の 著 書 に あ ら ざる を知 るに 足 らん 、次 に 其 の
体 裁 は 七 枚 の 地 圖 、二枚 の爲 眞版 、百 絵 の木 版 挿 圖 を挿 入 し、菊 版 一 千 余 頁 、紙 質 印 刷 共 に佳 、
定 債 金 武 圓 、 小 包 料 拾 五 銭 、神 田匪裏 沖保 町 富 山房 、 同 小 川 町 文會 堂
2『
報 知新 聞 』
報知社
明 治36年10月19日
▲人 生 地 理 學(牧
・1面
新刊紹介
口常 三 郎 著 述)著
者 が 多 年 の精 研 と教 育 上 の 理 論 と實験 とに よ りて 四 團 の
地 理 的 現 象 と人 生 の物 質 的 及 び 精 神 的 諸 方 面 との關 係 を細 説 し、 経濟 、 商 業 、政 治 、 國 際 、軍
事 、宗 教 、都 會 、文 明 等 地 理 上 の原 理 を聞 明 した る も の に して 結 構 の薪 新 に して 立論 の警 抜 な
る從 來 出 でた る地 理 書 中最 も異 采 を放 て る も の な り、地 理 學 の眞趣 味 と眞利 益 と を解 し而 して
之れ を研 鐙 す る に 多大 の精 力 を有 す る も の に あ らず ん ば何 人 も企 っ る能 は ざ る所 の もの を大 成
した る著 者 の 勢や 實 に 多 とす べ き も の あ り、菊 版 細 字 一 千 頁 の大 冊 子 に して 竈 頭 斯 學 に聲 望 高
き志 賀 重 昂 氏 の批 評 あ り本 文 と相 照 して 興 趣 愈 よ深 し一 般 の讃 書 子 に漿 推す(神
田小 川 町 一 文
會 堂獲 行 二圓)
3『
二六新報』
二 六新 報 社
明 治36年10月19日
▲ 人 生 地理 學(牧
・1面
口常 三 郎著)志
新 著 精鑑
賀 重 昂 氏 の 目本 風 景 論 、矢 津 昌永 氏 の政 治 地 理 を始 め と し
て 、人 生 と調 和 した る 地 理 を説 き た る の書 往 々 之れ あ りと錐 も、 之 を要 す る に罷 の 片 鱗 、 豹 の
一 班 に過 ぎず
、 今 著者 は 最 も廣 く多 く材 料 を蒐 集 して 、地 と人 との 關係 を細 説 した れ ば 、風 景
論 及 び 政 治 地 理 の 如 く精 力 を集 中傾 注 した る 妙慮 は 獲 見せ ざれ ども 、全 地 球 を根 擦 と して 全 人
生 との 關 係 を 明 か に し、 地 を離 れ て 人 な く人 を離 れ て事 な してふ 眞理 を ば如 何 に も善 く解 繹 し
得 た り、 志賀 重 昂 氏 が 竈 頭 に加 へ た る批 評 は 簡 明 に して善 く遺 漏 を補 綴 す(定 償 二 圓 、神 田 匪
小 川 町 一 番 地 文會 堂)
や
4『
ま
と んぶん
日 出國 新 聞 』
や ま と新 聞 社
明 治36年10月19日
・1面
新刊紹介
ゆ ◎ 人 生 地 理 學(牧
口常 三 郎 著)神
田
文
會
堂
著 者 は新 潟 縣 の人 明 治 廿 六 年 以 來 北海 道 師 範 學 校 に教 職 を奉 ぜ し も地 理 と人 生 との 關係 著 述 の
事 を思 立 ち其 志 を果 さ んが 爲 め三 十 四 年 職 を僻 して 本 書 の 著 述 に 着 手 し大成 した る原 稿 二 千 べ
一 ジ に達 せ る も出版 の都 合 に依 り是 を半 ば に縮 めて 公 行 す る に至 りた る と云 ふ 、 以 て其 如 何 に
大 著 述 た る事 を知 る に足 らん、 全 部 を五 編 三 十 四章 に分 ち 先 づ 地 と人 との 關係 よ り論 じ 「人 類
くママ ラ
の生 活 地 と して の地 」 「地 人相 關 の媒 介 と して の 自然 」 「地 球 を舞 毫 として の 人 類 生 活 現 象 」
を詳 細 論 述 し尚 地理 學 者 と して 知 られ た る志 賀 重 昂 の之 に封 す る批 評 を掲 げ た り(定慣 金 二 圓)
一263一
牧 口常 三郎 著 『人 生 地理 学 』41の 書 評
5『
都新 聞 』
都 新 聞社
明 治36年10月20日
・1面
新著紹介
ゆ む △ 人 生 地理 學
人 生 地理 學 とは何 よ り地 と人 との 關係 を 観 察 した る 地理 學 の意 な る が如 し即 ち
人 類 の 四周 を 團続 せ る 自然 は絶 えず 人 類 の 物 質 的 精 神 的諸 般 の 生活 に影 響 す る が故 に其 各 要 素
と人 類 の 生 活 との 關係 を観 察 した る も の 即 ち 此 書 な り著 者 牧 口常 三 郎 氏 は嘗 て 北海 道 師範 學校
に 地 理 學 の 教 鞭 を執 り講 鯨敷 年 の刻 苦 を積 ん で 此 書 を 爲す 元 來 乾燥 無 味 な る 地理 學 も人 の 生 活
問 題 と接 燭 す るに及 ん で は 多趣 味 に して 人 生 に 直 接 の痛 痒 を感 ず る 實用 緊切 の學 科 と爲 ら ざ る
を得 ず 島 と英 雄 及 罪 人 、 半 島 と文 明 、 山 脈 の 方 向 と人 生 、海 洋 と心 情 、港 濁 の盛 衰 よ り地 上 の
動植 物 、 産 業 地 、都 會 及村 落 地 等 に ま で も論 及 し二 千 頁 の 大 冊 を 成 す其 説 諭 の 斬新 と材 料 の 精
選 記 事 の 流 暢 な る蓋 し現 時 稀 に 見 る の 大 著 述 な り獲 行 所 は 東 京 神 田神保 町 富 山房
6『
神 戸新 聞 』
神戸新聞社
明 治36年10月20日
・5面
『人 生 地 理 學 』 の 著 者 に與 ふ
齊
藤
生
じんせい ち
り がく
ち よしやまきぐちえい く
ママ ラ
『人 生 地 理 學 』 の 著 者 牧 口
榮
らうくん き か
三 郎 君 貴 下。
栄旨、
灘 そ ル鮮 のた騨じんせい
たる籠
を氣 こして、¥は賢に瑛繋
たらざるを紮
る笹 鮮
が遡fよ
しん けっ
ち り がく
か うぜん
めいち
が くかい
くわっ ほ
いた
の 心 血 を漉 ぎた る 『人 生 地 理 學 』 は こ Σに 昂 然 として 、明 治 の 學 会 を潤 歩 す る に 至 れ り。予
た
じや くや く
う
なり
よ
そ くか
た
ま こ とに 、 これ が爲 め に 雀 躍 せ ざ らん と して得 べ か ら ざる 也 、 され ど も、予 の 足 下 の 爲 め に
しゆ く
ひと
とゴ
いなむ し
た
りいう
そん
なり
祝 せ ん とす る は 、 濁 りこれ に止 ま らず 、 否 寧 ろ他 の理 由 あ りて 存 す る也 。
幸の釜纏
に犬るや、講
ほうとうこうめん じっ
かい
く
忽 せる線
しよせ い
じぞく
の鎧
しふ
のみ、冑 萱騰
お
審 窺の鰐
い ささ
き
お
の職 漉 りて、
こ 》ろひそ
たの
蓬 頭 垢 面 実 に 一 介 の 書 生 の み 、時 俗 の 習 を逐 はず して 、 柳 か 氣 を負 うて 心 私 か に 樂 しめ
ぞ
み なゑ んてんたま
さい し
ひと
そく か
けいぜん
みや う じや う
り、夫 れ 皆 圓 轄 壁 の ご とき 才子 のみ 、濁 り足 下 は 榮
い さい
はな
と して 、 明 星 の ご と く、異 彩 を放 て
り、されども、入輪 しそ叡 血 萌蜀 無 程器 翻 巽 ぞ、赫 躁 闘 器 躯 ら、蒐
か
ねん
さ
むし
その とっ ぴ
お どろ
よ
ひと
そくか
た
これ
よろこ
下 が 一 年 な らず して 、去 るや 、 寧 ろ其 突 飛 に 驚 け るの み 、 予 は 濁 り足 下 の爲 め に 之 を 喜 ぶ
ふか
こ と 深 か り し。
こ
か
しも
みや こ
ふう
ひと
むし
は
みや うじや う
超 え て 二 日、 霜 は 都 を 封 じて 、 人 は 虫 の ご と くに這 へ る 時 、 明
らい
ニ
い かん
きみ ふ と こ ろ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
てん
はな
星 は 、 天 を離 れ て 、 わ れ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
を訪 へ り、来 意 如 何 、君 懐 よ り志 賀 君 の所 謂 六 寸 強 の古 原 稿 を 出 して 日 く、僕 の 愛 着 は則 ち
これ
み
いま
さと
このた うぜん
じんせ い
是 の み 、 人 生 の 事 ま た 問ふ の暇 あ らん や 、と りて 之 を見 る 、今 に して 悟 る、此 套 然 た る 『人 生
ち
りがく
ぺんこれな り
地理學 』一篇 是 也。
碧難
か
としていふ、辮
をざき し
なん
は爾群 徽
くわん
を識れり厄 事いふ序 藻 濃 を識れり、されど、覚
よ
ぐ
そく か
こし
けんもん
くっ
すん
下 と尾 崎 氏 と何 の 關 す る とこ ろぞ 。予 の愚 、ひ そ か に 足 下 が 腰 を灌 門 に 屈 して 、 この 六 寸 の
げんか う
じよ
え
そ くだん(マ
マ)そ の しき
いや し
あざけ
い さ》
ふ う
なり
きみ
原 稿 の序 を得 ん とす る もの な り と速 断 し 。 其 識 の 卑 き を 嘲 り 柳 か これ を調 せ し也 。君
いは
し
てん か
けっじんな りた ゴかれ
ふ うぼ う
せつ
よ
おい
きみ
なん
うち
た
曰 く、氏 は 天 下 の 傑 人 也 只 彼 の 風 貌 に接 せ ん とす る のみ 、予 こ \に 於 て 、君 が 万 難 の 中 に立
ちて、罷く群 の饗 鮪
をこの辮
に鞘
して倦まざるの舗 ある箭致の鑑を知れり、絆
は一 方 に 於 て 、 學 に學 び 、 一 方 に 於 て 人 に 學 ば ん とす る か 、 快 く一 書 を尾 崎 氏 に 添 へ た り。
是呈蜜蜜最鼻撮 翻 昊、尾幡民靴 紐 、由ま遂た會鹸 、覆籔旨、暑呈勝 麗 品§呈、
く
つ いは
欣 々 と して 曰 く、 さ き に 、 わ れ 人 を 失 ひ 、 今 、 學 に 遭 へ り 、 學 と は 何 ぞ 。 日 く 、 志 賀 矧 川 と相
よ た なごころ
見 た り と予
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
掌
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
を うっ て い ふ 。 足 下既 に 人 物 た り、 尾 崎 氏 に會 せ ざる を憾 みず 、 而 も學 者 と
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
そ く か はい
あ
め い ぢ
ね ん
ほ くか い
して矧 川 氏 を識 れ り、何 の 幸 ぞ 、乞 ふ 一 酌 を過 せ 、足 下 杯 を墨 げ て いふ 、明 治 二 十 四 年 、 北 海
濱1齢 簸
に繍
を勧 てより+二難r巽 塞縫 単』のこと彦 撫 ほ憲れず、さき1こ
脇
一264一
創価教育研究第2号
しよ し
はか
しつばい
かさ
しっぼ うきよく
たつ
こエろ ざし
書 騨 に諮 りて 、失 敗 を重 ね 、失 望 極 に 達 せ る も、な お
はげ
志
こんにち
いた
を働 ま して 、今 日に 至 り、二千
編
購 皐量£
蝕毘 器、冬漸ミ
晃萌路 ぞ、皐晶燥
○
暮叙 、阜騒
越 器賜
綴あひいだ
麗
く
つ よ て
と
そ くか
く しん
しや う
明 か に讃 む を得 た り、志 賀 氏 は 予 の爲 め に燈 な り。予 手 を執 つ て 、足 下 の 苦 心 を 賞 し、相 抱 い
きや う き
さくねん
なり
て 、 狂 喜 せ り、 こ れ は 昨 年 の こ と 也 。
そくか
よ
たう じ
すで
そく か
た
おそ
めいちよ
しゆっ ばん
ぎ けふ
足 下 、予 は 當 時 、 既 に 足 下 の 爲 め に い へ り。 恐 ら く は 、 こ の 名 著 を 出 版 す る の 義 侠 あ り 、
しきけん
しよ し
おい
よ
さうば
どろぼう
ひ ところ
なに ごと
識 見 あ る 書 璋 な か ら ん 。 こ ㌧ に 於 て 、 予 は 相 場 、 泥 棒 、 人 殺 し 、 何 事 を な して も 、 今 こ 》に
きん
レへ
う
こ
く
つ こ く
こ こ こ 万 金 を 有 せ ば予 の 身 死 して 、 足 下 の 光 榮 あ り苦 心 を生 か す こ とを 得 ん 、 小 購 愚 直 予 の ご とき
そく か
めん じや う
あ ぜん
うち
もの を友 とせ る足 下 は 不 幸 也 。相 顧 み て 唖 然 と して笑 ふ 、足 下 の 面 上 、こ の唖 然 の 中 、な ほ 、
あん しう
み なぎ
せい ざ
よ
がん ていいま
そん
暗 愁 の 漂 る ご とき も の あ り しは 、正 坐せ し予 の 眼 底 今 な ほ 存 す る と ころ。 これ も去 年 の こ と
亀。
騨 の蒙 三たび誹 と釜纏 に翫
誹 、鰍 ・せる灘 潮 一茎縁 翫 てい規 磐をふ
嬰んぜよ
。r雌 縫 し蜘 解し 盤
鎚 、
つ1畢
らかに、その痴
繰 をいふ、にんけふ
戯 ま窒よろく、
志餓
じんりよく
た
その しゆ ぎ
ぎや う ぼ
しよ し ぶんくわいどう
こ
の 壼 力 に なれ る を知 り、氏 の爲 め に、 其 主 義 を 仰 慕 し、書 騨 文 會 堂 の 任 侠 を 喜 び 、 これ
と じや うそ く か
あ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
よ り、途 上 足 下 に 逢 ふ も 、迫 りて例 の校 正 刷 を見 ん こ とを翼 へ り、朱 字 の批 評 は矧 川 氏 の 手 書 、
く
つ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
いま
よ
しよ
て
じや くや く
寧 ろ血 を以 て 書 け る が ご と くに輝 け り。そ れ か くの ご と し、今 、予 が こ の 書 を手 に して 、 雀 躍
り
いな
いな
よ
い
せ ざ るべ か ら ざ る も の 、 理 な し とす る か 。 否 、 否 、 予 の 言 は ん とす る と こ ろ は こ 》 に あ らず し
た
て 他 に あ り。
そく か
いちめん
おい
けんにん
がく し
ふう
そな
か ンわ
ず
めん
おい
じっ
足 下 は 一 面 に 於 て 、しか く堅 忍 に して 、學 士 の 風 を 具 へ た る に 拘 らず 、ま た 一 面 に 於 て 實
に職 の素を宥せり、鶏 の霧 轟 稼千薗、藪千箇、なほ、藻 、邑骸 に蒲っる蒔に努
りて、欝 は鰭 の主矯 っに瀧 齢 の繕 に諭へ 勤 の鳶めに、管 美、巖麦たり遊
簡に警しては藷 簾蘇 の縦 たりしことこれ範.軸 紬 葡 舷 薇1勤 麟 ミ、餓 届
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
性 格 の美 を抱 い て 、沈 着 に して 、寡 黙 な りし こ と これ 也 、予 は 學者 と して素 よ り足 下 を尊 敬 す 、
く
つ く
つ く
つ たゴ
き
くわん
そくか
ぜ んべ う
しか もま た 更 に深 く人 物 と して 足 下 を畏 敬 す 。 唯 、期 す 、 こ の一 巻 、 なほ 足 下 の 全 豹 な りと
さら
ばい
けんにん
もっ
ねん
たい さく
くはだ
い ふ べ か らず 、 更 に十 倍 の 堅 忍 を 以 て 百 年 の 大 作 を 企 て られ ん こ とを。
よ
む ゐ
しがく
ち しき
いはん
く しん
さく
ひ おや う
だいたん
しょ
予 、 無 爲 、 斯 學 の 智 識 な く、 況 や こ の苦 心 の 作 を批 評 す るの 大 謄 をや 、 い さ ㌧か この 書
そくか
くわつれき
し
ちなみ
もっ
これ
かうこ
せ うかい
よ
を 足 下 の 活 歴 を知 れ るの 因 を以 て 之 を江 湖 に 紹 介 し、世 の
こエろ ざし
志
あい
じん しや
むか
を 愛 す る 仁 者 に 向つ て一
栄 を薦 む るの瓶
7『
時事 新 報 』
時事 新 報 社
明 治36年10月21日
◎人 生 地 理 學
・1面
新刊紹介
著 者 牧 口常 三 郎 氏 は地 理 學 が 人 生 に必 要 な る學 な る に拘 は らず教 育 上往 々輕 視
せ らる 》の傾 き あ る を慨 し是 れ 畢 寛 我 國 從 來 の斯 學 が 人 生 に關 す る部 面 の 観 察 を怠 り しが 爲 め
な り とて專 ら雨者 の 關係 を研 究 し地 理 の人 生 に及 ぼす 感 化 影 響 の大 な る を明 にせ ん との 志 望 を
懐 き遂 に本 書 を著 した り著 者 の計 書 は甚 だ よ し而 か も本 書 の解 繹 す る所 未 だ 甚 だ 透徹 せ ざ る の
憾 な き能 はず 又 自 ら其 好 む所 に偏 して普 通 一 般 の感 興 を惹 く に足 ら ざ るべ き黒占を捉べ 今 更 の如
く嘆美 し推 稻 す る の嫌 な し とせ ず 但 し是 れ 所 謂 白壁 の微 蝦 に して大 膿 に於 て は好 著 た る を失 は
ざる べ し況 や 著者 が 此 志 望 に熱 心 な る筆 端 時 に 生氣 を帯 び 尋 常 一 様 の著 書 と異 な る もの あ る を
や 尚 ほ著 者 が本 書著 述 の 心 意獲 動 に 關 して 自己 の私 事 を語 りた る は頗 る興 味 あ る こ と な り斯 く
の 如 き事 實 は 多 く列 記 され た き もの な り(神 田小川 町文 會 堂 発 行 定 償 二圓)
一265一
牧 口常 三郎 著 『人 生 地理 学 』41の 書 評
8『
萬朝報』
朝報社
明 治36年10月21日
ゆ む △ 人 生 地 理 學(牧
・1面
新書略評
口常 三 郎 著)從 來 人 文 地 理 若 くは 政 治 地 理 と構 せ られ た る もの に して 、人 生
と 自然 現 象 との 關 係 を あ らゆ る方 面 よ り精 密 に周 到 に説 明 し論 究 した る の書 な り、 体 裁 美 麗 、
秩 序 整 頓 、 文 僻 流 暢 、 加 ふ る に新 工 夫 の 地 圖 を挿 入 し、 洵 とに趣 味 の津 々た る を畳 ゆ。 若 し夫
れ 著 者 が 本 書 を大 成 す る に如 何 に苦 心 せ しか は志 賀 重 昂 が 此 書 に序 せ る の言 僻 に 依 りて 知 る を
得 べ し、 志 賀 曰 く 「
既 成 の草 稿 厚 さ六 寸 に鯨 る も の を予 に示 し且 曰 く明 治 廿 六 年 來 北海 道 師 範
學 校 に教 職 を奉 ぜ しも此 志 を果 さん た め三 十 四年 職 を僻 し專 ら之 れ に當 れ り と、 … … 今 年 春
衆 議 院 選 暴 の 事 を以 て 三 河 に在 るや 君 三 河 に來 り、其 の 著 述 に批 評 せ ん事 を求 め ら る、 予 力 及
ばず と錐 ど も君 が 衣 食 の窮 乏 に耐 へ 、 而 か も乾 々 と して 其 志 を成 さん とす るに感 じ、 乃 ち之 を
諾 し、 躁 京 後 此 書 の 校 閲 及 び 批 評 に當 る事 鉱 に半 年 鯨 、 … … 抑 も此 著 原 稿 二 千 ペ ー ジ に上 ら
ん とす 、唯 だ 出版 の都 合 に よ りて 今 之 を其 半 に縮 めて 公 行 す 、之 れ 君 の爲 め に恨 む 云 々 」 と、
吾 人 は此 の 浩 辮 な る大 著 作 を萬 事 不 便 な る境 遇 の 中 に成 就 した る著 者 の耐 忍 と精 力 に深 く敬 服
せ ざる を得 ざ る な り(旭 川
9『
人民』
定 慣 二 圓 、小 川 町文 會 堂)
人 民 新 聞社
明 治36年10月23日
▲人 生 地 理 學(牧
・1面
新刊
口常 三郎 著)題 名 の一 見 滑 稽 な るが 如 き に 引換 へ 中 々趣 味 あ る書 な り由來 科
學 的 の書 の兎 角 乾燥 無 味 な る を以 て世 に飽 かず 思 はれ た る今 日此 如 き著 書 あ る先 づ 敷 迎 す べ し
之 は其 名 の示 す が如 く地理 的現 象 と人 生 の物 質 的 及 び 精 神 的 諸 般 の方 面 との 關 係 を細 説 し以 て
各 種 に渉 れ る 地理 學 の原 則 を確 定 した る もの志 賀 重 昂 氏 の批 評 及 び 追 補 あ る殊 に稗 益 す る所 あ
るべ し製 本 の美 紙 質 の豊 な る に比 して債 の廉 な る又 喜 ぶ べ し(定 債 金 二 圓)神 田匪 小 川 町文 會
堂 同神 保 町 冨 山房 獲 免
10『
日本 』
日本 社
明 治36年10月23日
・3面
新刊紹 介
○ 人生 地理 學(牧
口常 三郎 著
定債 二圓
神 田小 川 町 一 、文 會 堂 襲 行)
著 者 は 非常 な る篤 学 者 だ さ うで 、 此書 の如 き非 常 の苦 心 を経 て世 に 出 した 者 な る こ とは 、讃 者
の 直 に 首肯 す る所 で あ る、 山 、河 海 、 島 、 半 島 、氣 候 、生 物 等 の 地理 的 現 象 と、 人 生 の物 質 的
及 び精 神 的 諸 般 の 方 面 との 關係 を説 き 、政 治 地理 、軍 事 地 理 、経 濟 地 理 、商 業 地 理 、宗 教 地理 、
都 會 地理 等 の原 則 を確 定 した もの で 、 た しか に 地理 學 上 に一 生 面 を 開 い た も のだ 、 地 理 學 とい
ふ とス グ 引合 に 出 る志 賀 矧 川 が 、 半年 絵 もか ㌻つ て校 閲 した もの とあ る
11『
東 都 日報 』
東 都 日報 社
明 治36年10月23日
む △ 人 生 地理 學(全)神
・1面
新刊紹介
田匿 小川 町一 番 地
獲行所
文會 堂
牧 口常 三郎 氏 の 著 作 に係 り志 賀 重昂 氏 の校 閲批 評 に成 る 同 書獲 行 され た り九 百九 十 五 頁 に渉 る
法辮 に して 廣 く地 理 學 に關 す る事項 を落 ち な く網羅 せ り牧 口氏 は 嚢 に 教 育 の任 に在 り地 理 學 の
重 要 の 地位 に あ る べ き を兎 角輕 ん ぜ ら る \を深 く慨 し多 年 の 間 衣 食 の窮 乏 を 耐 え忍 び 而 か も
砿 々 と して 其 志 を成 せ しも の元 來 二 千 頁 に 上 らん とせ しを 出版 の都 合 に依 り其 半 ば に縮 め て 公
一266一
創 価教育研 究第2号
行 せ し もの な りと云 ふ 紙 質 堅 緻 印 刷 鮮 明 な るが 上 精 細 完備 せ る地 圖 挿 書 もあ り斯學 研 究 の 人 々
には座 右 訣 く可 か ら ざ る も の是 非 に一本 を購 求 す べ き債 値 充 分 な り と信 ず(松 渓記 す)
12『
大 阪 朝 日新 聞 』
大 阪 朝 日新 聞 獲 行 所
明 治36年10月26日
きんかん じゆっさ くち うとく
・6面
ひっ
讃書社會
まき ぐちっね圏國圏 う し ちよ
じんせい ち
りがく
とうきや うぶん くわいだ う
○ 近 刊 述 作 中 特 に筆 す べ きは 牧 口 常 三 郎 氏 著 の『人 生 地 理 學 』(東 京 文 會 堂)な るべ し、
箕腐馨如符を知るに莞だちてわれ奪はその智 搾の甫惹『
甚ま
だ籔誠なるを舘雰するを繋じ難
し、響 は饗 窪 し
を晟さんために継 の震 癬 し、
表寮 の輩薯碓_て 戦 庇1・
客 ひ、
げんか う
ぺ ジ
しよ
な
し が じゆ うかう し
こうえっ ひ ひや う
はん さい
っひや
はじ
こうかん
いた
原 稿 二 千 頁 の 書 を 作 し、 志賀 重 昂 氏 の 校 閲 批 評 ま た 半 歳 を 費 して 初 め て 公 刊 す る に 至
その じゆつ さく
たい
ちう じっ しん し
もと
が くしや
ほんぶん
げん か けいて うしや りうす くな
とく
れ り と、 其 述 作 に 封 す る 忠 實 眞 摯 は 元 よ り學 者 の 本 分 な が ら、現 下 輕 桃 者 流 少 か らぬ 讃
しよ しや くわい
お しい
すゐ しや う
ぼ うぜんた いさっ
よ ぺ ジ
へん
しや う
わか
書 社 會 には 大 に 推 奨 す べ き もの とい ふ べ し、彪 然 大 冊 一 千絵 頁 、四篇 三 十 四 章 に 分 ち 、
じんるゐ
せいかっ しよ
ち
ぢ じん さうくわん
ば いか い
しぜ ん
ち きう
ぶ たい
じんるゐせ い くわっ
人 類 の 生 活 庭 と して の 地 、 地 人 相 關 の 媒 介 と して の 自然 、 地 球 を舞 壼 と して の 人 類 生 活
げん しや うとうしよ ざいぶっ しや う
ひと
か うせふ
ぴロうん
ち りがく
ち
じんせ い
くわん けい
せっめい
くわが く
現 象 等 所 在 物 象 と人 との 交 渉 に 圏 論 し、 地理 學 は 地 と人 生 との 關 係 を 説 明 す る科 學
な りと籍諮 す 、繭 羅響 あ りて 蒔 に霰 讐 の酷 蕪きに罪 ざる も、1栄
難 に程 りて組 しよ憲 マ)騎に亀
蝉
を昊塞 に秦 けて謎
施 蝉
の懸
を犠
した るものは、釜 備
穿
銭 のr蹴
急
盗』 を発
鰹 として琵 の茄 く塾稀 せ るは茱 だ芝 あ らざるな り、われ尋蓑 に箪 鴇ρ焚塞 の饗 鞍 窃 誓 となれ
とくしよしや くわ い
けん しや う
くわんげい
いま
この りや うしよ
う
がくかい
かう
る 讃 書 社 會 の 現 象 を 歓 迎 し今 は 此 良 書 を得 、 ま た 學 界 の 幸 な り とい ふ べ し
13『
東 京 日 日新 聞 』
日報 社
明 治36年10月28日
●人生地理學
・7面
新刊雑書
牧 口常 三郎 氏が多年 の研究 に依 り得 たる慮 の著 に して地 と人 との關係 観察 の起
黒占としての郷土如何 に周 園を観察すべ きか地球 島喚半 島及 岬角地峡 山嶽及難谷平原河 川湖沼海
洋 内海及海峡港溝海岸 無生物大氣氣候植 物動物人類社會其分業生活 地理農業地論國家都會村落
生活競争文 明各 地論結論 等章を分つ もの三十 四斯學上有益 の書 といふべ し(神 田小川 町文會堂
債 二圓)
14『
大 阪 朝 日新 聞 』
大 阪 朝 日新 聞獲 行 所
明 治36年11月3日
◎ 人 生 地理 學
・11面
新刊紹 介
牧 口常 三 郎 著
此 書 の 近 來有 敷 の 著 な る こ とは 十 月 廿六 日月 曜 讃 書社 會 中 に略 記 した る が如 く地 理 學 を人 生 生
活 の 諸 方 面 に 繋 け て説 述 した る者 先づ 地理 學 とは如 何 な る もの か を 人 生 の 主観 的 方 面 よ り論 じ
更 に 客 観 的 に 天 文 に 關 した る人 生 の状 態 を 見 島 唄 山 川海 洋 港 濁 等 が各 人 生 に意 義 を有 す る こ と
を順 次 に説 述 し無 生 物 氣 象植 物 動 物及 人 類 の相 關 を述 べ 生活 現 象 と地 理 と關鍵 よ り文 明 地 論 に
及 び 究 す る に 地 理 學 は 地 人 相 關 を説 明す る科 學 な りとの 見 地 に到 達 す 挿 む に数 十 の精 細 な る 圖
書 を以 て し頁 敷 一 千 鯨 志 賀 氏 の 批 評 あ り此 書 出 で \地理 學研 究 の趣 味 は 蓋 し多 大 の進 歩 を一 般
社 會 に與 ふ べ き を疑 は ず 書 中な ほ 散 漫 の威 あ れ と兎 も角 も從 來 の 地 理 學 と人 生 との關 係 を説 き
た る もの これ ほ どに組 織 的 な る もの な け れ ば な り著者 の 苦 心 して 此 の 大 作 を なせ しは 此書 を 推
薦 す る と共 に記 す べ き こ とな らん(償 二 圓 、 東 京神 田小 川 町 文會 堂)
一267一
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
15『
毎 日新 聞 』
毎 日新 聞 社
明 治36年11月12日
◎姓 耀
・1面
新刊批評
〔牧口常三郎氏著
神田小川町文會堂獲行 〕
著 者 は 曾 て 師範 學校 に 教 鞭 執 りし人 、其 地理 學 に趣 味 を感 ず るや 遂 に職 を僻 して辛 苦 以 て殆 と
一 千 頁 の 大 作 を成 功せ し と云 ふ 、 地理 と人 文 と密 接 の 關係 あ る こ と言 ふ ま で もな し、本 邦 此 の
關 係 に筆 を容 れ た る著 作 な き に非 ず と錐 も其 の 能 く問 題 を 網羅 せ る もの 蓋 し本 書 を以 て 嗜矢 と
せ ん 、著者 が 眞 面 目の 人 に して 述 作 一 に誠 意 に出 で し こ とは各 章 末 に列 記 せ る引用 書 目 を見 て
其 一 端 を徴 す べ し街 學 流 行 して 英 米濁 佛 の 書 籍 を 引用 す る に非 れ ば 學 者 の不 名 暑 とす る今 日に
當 り、敢 て 自國 學 者 の 著 書 及 び 澤 書 を明 記 す る は常 人 の 爲 し能 は ざ る所 な れ ば な り、 地理 學 に
堪 能 な る志 賀 重 昂 氏 特 に親 切 な る校 閲 を行 ひ 間 々評 言 を挿 む讃 者 に感 興 を與 ふ る こ と一 層 な る
を貴 ゆ(定 償 金 二 圓
16『
平 民新 聞』
平 民社
明 治36年11月22日
▲ 人 生 地理 學(牧
・7面
口常 三 郎 著)地
新刊批評
と人 との關 係 を説 明 した る も の也 、 人 間 の 生 活す る 所 として
地球 を研 究 した る も の也 、別 に創 見 と構 す べ き黒占を認 めず と錐 も 、多 くの地 理 書 よ り掘 り出せ
し土塗 れ の材 料 を一 々 丁寧 に洗 ひ上 げて 之 を手 際 好 く排 列 した る勢 力 と技 術 は、 充分 著 者 に 向
っ て感 謝 を佛 ふ べ き償 値 あ り、菊 版 九 百 九 十 五 頁 の大 著 、全 編 簡 に して明 、 明 に して 透 、何 れ
の 頁 に 封す る も人 を して 冗 漫重 複 を覧 え しめ ざる も の 、斯 學 に素 養 あ る者 に あ ら ざれ ば 能 は ざ
る所 とす 、文 章 に堪 能 あ る者 に あ らざれ ば及 ば ざる所 とす(銀
17『
東 京 朝 日新 聞 』
東 京 朝 日新 聞 会社
明 治36年11月27日
朕 塞亀蝉
みつせっ
月)(定 債 金 二 圓 富 山房)
・7面
新刊 各 種
昊塞縫 て諾 管は一鯖 なる痂 しと蜜 も魁 と縫 との冨 も粛 篠
し
いまなん
うたがひ
はさま
すで
しや うげふ ち
り
せい ぢ ち
り
じんせい ち
り また これ
の 密 接 な る を知 らば 今 何 ぞ 疑 を 挿 ん や 既 に 商 業 地 理 あ り政 治 地 理 あ り人 生 地 理 亦 之 な
かるべからず蕃宥 繋縫 叢醜 蓮羅藩亀蓮薗蔭亀蓮螢輔 蓮崇籔亀躰 轡 亀蓮笠箭亀蓮
これ
そ うがふ
すなは
じんせい ち
りがく
ちよしゃ
その し か う
もとつ
た ねん
けんき う
その しよくせ き
之 を 綜 合 した る もの 即 ち 人 生 地 理 學 な り著 者 が 其 嗜 好 に 基 け る多 年 の研 究 と其 職 責 に
廊 る籔肴磨
の騰 とによりちて鞭 駿撫
んで一賄
字を晟したるもの籍諮よ麺
りて
じんる ゐ
せい くわっ しよ
ぢ じんそ うくわん
ばいかい
し ぜん
ち きう
ぶ たい
(一)人
類 の 生 活 庭 と して
の 地(二)地
人
相 關 の媒
介しやとうして
の 自然(三)地
球 を舞 毫
とし
じんるゐせい くわっげん しや う
へん
へ
けつ ろん
およ
いう
かん さう
やす
ち り がく
もっ と
て の 人 類 生 活 現 象 の 三 編 を経 て 結 論 に及 ぶ 三 十 有 四 章 、 乾 燥 な り易 き地 理 學 をば 最 も
しゆ み おほ
す こぶ
ゆ くわい
かき
しか
この しよ
な いよう い ぐわい
おい
さら
しや うさん
あたひ
趣 味 多 く 頗 る愉 快 に 書 な され た り而 して 此 書 の 内 容 以 外 に於 て 更 に 賞 賛 に 価 す るは
響 が琵観 笑箴せんが鷲に篇 彊縄 篁繍 諭 磯 を擁 ちて表寮 醗 の職・箕省
百
ξを遂げたると罐 蟹 蛾 が鰭 の響署の鳥めに1鞍 の冒字を翫 て穫鰍 塔鞠 ると笈
む めい
しよ し
む めい
ちよ しや
た
この ひ か くてきだい ぶ
ぺ ジ
び無 名 の 書 律 が 無 名 の 著 者 の爲 め に 此 比 較 的 大 部 九 百 九 十 五 頁(原
しよ
しゆっ ぱん
版 の都 合 にて 半 減 せ り と)の 書 を 出 版 せ る との 三 事 な りとす(牧
地文 會 堂 襲 行 、定 債 二 圓)
18『
大 阪 毎 日新 聞 』
明 治36年12月8日
◎ 人 生 地理 學
大 阪 毎 日新 聞 社
・8面
稿 は 二 千 頁 な り しも 出
じ
新刊雑 著
牧 口常 三郎 著
一268一
口常 三 郎 著神 田小 川 町 一 番
創価教育研究第2号
吉 田松 蔭 の 「
地 を離 れ て 人 な し人 を離 れ て 事 な し人 事 を論 ぜ ん とせ ば 先 づ 地 理 を究 め よ」 を 引
用 し地 理 的 智 識 を以 て 恰 も人 生 の最 要 義 とも思 惟 しらん が 如 き本 書 は 、 これ を地理 學 とい は ん
よ りも寧 ろ地 理 學 上 よ り観 た る人 文 獲 展 の關 係 を記 述 した るが 如 き 観 あ るは 特 に熱 誠 な る著 者
の た め に惜 む 所 な り然 れ ど も唯 これ あ り之 あ るが 故 にま た從 來 に於 け る地理 學 の狭 少 な る範 園
及 び乾 燥 無 味 な る常軌 を脱 して 政 治 地 理 學 上 優 に一 新 生 面 を開 け る が如 き感 あ るは吾 人 の 否 定
せ ん と欲 して 能 は ざる 所 な り唯 憾 む 其 分 類 法 の今 少 し くシ ス テ マ チ カル た らま ほ しき こ と を此
著 既 に定 評 あ り而 か も吾 人 の猶 ほ これ に付 て 望 蜀 の情 を述 ぶ る は一 面 明 に これ を敬 愛 す るの 念
を蔵 す れ ばな り(東 京 神 田小 川 町 文會 堂 同 裏 神 保 町 富 山房 獲行 、定 償 二 圓)
19『
讃 売新 聞 』
讃売新聞社
明 治36年12月15日
◎ 人 生 地 理 學(牧
・1面
新著梗概
口常 三郎 著)
人 生 の語 ハ 通 常 人 の 一 生 人 の 生 活 の 二 様 に使 用 さ る本 書ハ 其 の後 者 に取 り人 類 生活 に於 け る百
般 の事 情 と地 理 上 の 關係 を説 け る もの 千 頁 に近 き大 著 に して 人類 の 生活 庭 と して の地 、 地 人相
關 の媒 介 と して の 自然 、 地 球 を舞 嘉 と して の 人 類 の 三 大編 に分 ち各 編 敷 十 の小 項 目を掲 げ て ■
港 山河植 物 氣 候 の 地 に 關す る もの 國 家社 會 生 産 生 存 の 人 に 關す る もの皆 数 十 頁 を費 して詳 説 し
尚 ほ足 れ りとせ ず進 ん で研 究 に資 せ ん 爲 め各 章 の終 りに参 考 書 目を 附記 した る な ど著 者 の 用意
周 到 を極 む
〈雑 誌 の部 〉
1『
地 學雑 誌 』
第15輯 第178巻
明 治36年10月15日
東京地學協會
新刊紹介
●牧 口常 三 郎 氏 著 人 生 地 理 學
地 と人 との 關 係 に就 きて言 ふべ き こ とは 多 し、 此 の書 は 人 の 或
は謂 は ん と欲 し未 だ謂 は ざ りし所 、 或 は 謂 ひ て 未 だ 壼 さ \"る所 に就 き謂 へ る もの に して 、 其 思
想 の斬 新 に して 行 文 の 面 白き は 特 色 と して 紹 介 す べ き もの な り、徹 頭 徹 尾 志 賀 矧 川 先 生 の 手 に
て校 閲 と批 評 を加 へ られ た れ ば 、 更 に一 層 の 光 彩 を加 へ た るは いふ ま で もな し、本 編 は約 一 千
頁 に近 き一 大 冊 に して 近 來 の 大 著 作 な り、 著 者 の熱 心 と注 意 とは矧 川 先 生 の序 文 に も見 ゆ るが
如 く、稻 々 た る通 俗 の 著 書 と其撰 を異 にせ り吾 人 は 熟讃 せ る上 更 に詳 に批 評 を試 む べ し、(東京
文 會 堂 出版)(零
2『
丁)
読書界』
第1巻
明 治36年10月15日
◎人 生 地 理 學
第1号
冨 山房
雑報
人生地理學の出版
と題 せ し大 著 今 回 出 版 され た り。 著 者 牧 口常 三郎 氏 は篤 學 力 行 の 士 、沿 く内外
幾 多 の書 を渉 猟 し研 鑛 多年 、 あ ら ゆ る人 生 の 方 面 よ り地理 の観 察 研 究 を試 み 、從 來 乾 燥 無 味 な
り し地 理 學 の 上 に一 生 面 を開 か ん との 用 意 よ り本 書 を編せ られ た る もの な り。 され ば 、政 治 地
理 、商 業 地 理 、 軍事 地 理 、 交 通 地 理 等 荷 も事 の人 生 と地理 に 關す る もの は 、爬 羅 別 扶 蓋 さ ゴる
な く至 らざ る な し。眞 に近 來 出色 の好 著 な り。加 ふ る に地理 學 の上 に一 種 の眼 識 を炮 有 せ ら る \
志 賀 重 昂 氏 が 、一 々濁 特 の筆 を以 て 批評 校 訂 の勢 を執 られ たれ ば本 文 と批 評 と相 挨 て 一 段 の 光
彩 を放 て り。 尚 ほ詳 し くは 本誌 廣 告 にあ り。 就 て 看 られ よ。
一269一
牧 口常 三郎 著 『人 生 地理 学 』41の 書 評
『東京 経 濟雑 誌 』
3
第48巻 第1206号
明 治36年10月24日
⑳人生 地理學
経濟雑誌社
新刊紹介
牧 口常 三 郎 著
志賀重昂校閲
人 生 地理 學 とは人 文 地 理 若 くは政 治 地 理 に封 す る異 名 に して人 生 と 自然 との 關 係 を解 説 せ し も
の著 者 は三 年 前迄 北 海 道 師 範 學 校 に教 職 を奉 ぜ しが本 書 編 纂 を思 立 ち遂 に其 職 を馳 ち て 一 意 之
に從 ひ本 年 漸 く完 成 せ しも の な り と云 ふ 千 頁 に垂 ん た る大 冊 余 輩 未 だ 通 護 の 暇 を有せ ず と錐 著
者 の 勢 苦や 則 ち 多 とせ ざ るべ か らず(定 憤 二 圓 、 文會 堂獲 行)
4『
實 業 之 日本』
第6巻 第22号
明 治36年11月1日
實 業 之 日本 社
新刊紹介
む む む ◎人生地理學
浮誇 な る 出版 物 多 き 間 に 眞 面 目な る こ と本 書 の如 き蓋 し類 少 な か るべ き か 、緒
く
マ マラ
論 、 人 類 の 生 活 所 と して の 地 、 地 人相 關 の媒 介 と して の 自然 、地 球 を舞 台 と しての 人 類 の 生
活…
現象 、 結 論 の 五篇 三 十 四 章 に 分 ち 、 山 河湖 海 島 半 島 氣候 生 物 等 四 園 の地 理 的 現 象 と人 生 の 物
質 的 及 び 精 神 的 諸 般 の 方 面 との 關係 を細 説 し、 所 謂 地 理 學 の根 本 基 礎 を趣 味 あ る筆 に 書 き た る
も の な り。 特 に第 三編 地 球 を舞 台 と して の 人 類 生 活 現 象 の 如 き最 も趣 味 を以 て讃 ま るべ き もの
な り、全 部 約 千 頁 旭 然 た る一 大 冊 子 な り、 又 著 者 濁 特 の 考 案 に成 れ る 地 圖及 ひ挿 圖 あ り、 志 賀
農 學 士 か 精 確 な る校 正 と精 細 な る批 評 及 ひ 追 補 を加 へ た るか 如 き も此 書 の長 とす る所 な るへ し、
想 ふ に志 賀 氏 の地 理 學 講 義 は 斯 學 に一 新 機 軸 を 出 し普 く社 會 に歓 迎 せ られ た る もの あ り しが 、
本 書 は爾 後 に於 て 更 に豊 富 な る材 料 を整 然 た る系 統 的 に論 述 した る もの の 唯 一 な る可 し。 地 誌
を研 究 せ ん とす る もの は原 則 基 礎 た る可 き本 書 を播 くへ く、 實 業 家 教 育 家 亦 本 書 に依 りて 盆 す
る所 少 な か ら ざる可 し、吾 人 は 之 を以 て近 來 の 好 著 と して讃 者 に推 薦 す る に躊 躇 せ さ る な り(牧
口常 三郎 氏著 定 債 二 圓 、神 田旺 小 川 町 一 番 地 文 會 堂 書 店)
5『
日本 人 』
第198号
明 治36年11月5日
◎ 人 生 地理 學
政教 社
新刊
牧 口常 三郎 著
「
人 生 地 理 學」 とは實 に人 耳 に新 た な る名 構 な り、著 者 は之 を繹 して 曰 く世 には 「
政 治 地理 學 」
の名 稔 あ りて 「自然 地理 學 」 に封 して の意 義 に 用 ひ らる 、 され ど 「
政 治 」 とい ふ 一 般 の 概 念 よ
りす れ ば其構 の 不 當 な るは 明 か な る所 、是 に 於 て か 是 に代 は る に 「
人 文 地 理 學 」 の名 稻 あ り、
之 を軍 に 「地 文 學 」 に封 して の名 稻 とせ ば 可 な らん も、其 他 に於 て は精 確 に 内容 上 の 意 味 を表
は さず 、從 ひ て 世 間 の 之 に 封す る概 念 は頗 る廣 漠 た る を免 かれ ざる が如 し、然 らば 「
人 類 地理
學 」 とい は ん か 、 之 れ 比 較 的 本 書 の 内容 を表 は す に適 當 な り と錐 も、既 に 「
人 類 學 」 な る もの
あ りて特 別 の 意 味 に用 ひ られ 居 るが 如 き を奈 何 せ ん、 偶 々 「
人 生」 な る熟 字 は最 も本 書 の 内 容
に封 して適 切 に して 而 か も一 般 に漸 く用 ひ られ 來 れ るが 如 けれ ば 、寧 ろ断 然 之 に從 は ん に は と
… …乃 ら姑 らく之 を假 用 して 他 目適 當 な る名 稻 の 出つ る を侯 っ こ と とせ り と。 知 るべ し 「人 生
く
ママ 地理 學 」 とは純 乎 た る ポ リチ カ ル ・ゼ オ グ ラ フ 井 一 の 義 に して 、政 治 的経 濟 的 宗 教 的 軍事 的
學 術 的諸 方 面 に於 け る人 類 社 會 の生 活 と地 理 との 關係 を論 じた る もの な る こ とを。 一 千 頁 に近
か き 大 冊 、「緒論 」、 「
人 類 の 生活 庭 と して の地 」、 「
地 人 相 關 の 媒 介 と して の 自然 」、「
地 球 を舞 毫
と して の 人類 生 活 現 象 」、 「
結 論 」 の五 編 に大 別 し、更 に章 に小 別 し、節 に細 別 し、穏 健 に して
而 か も雅 致 あ る筆 もて 、 山河 湖 海 島半 島氣 候 生 物 等 の地 理 的 現 象 と人 生 の 物 質 的 精神 的 方 面 と
一270一
創価教育研究第2号
の 關 係 を説 き 、從 來 地 理 學 とい へ ば 唯 だ 國名 地 名 山名 川名 な どを羅 列 せ る乾 燥 無 味 な る もの と
の み 想 は れ た る に反 し、 蓋 き ざ る興 味 を感 ず る際 だ に於 て 、地 理 と人 生 とに 關 す る許 多 の 智 を
収 得 せ しむ 、 此 黙 に観 て 、 實 に 地 理 學 に 一 生 面 を開 け る もの と謂 ふ て 不 可 な らず。 特 に 此 の浩
溝 た る大 冊 子 、 我 國 に 於 け る地 理 學 と題 す る 書 中他 に 殆 ど類 を見 ざ る程 な る 此 の 大冊 子 が 、 地
位 名 聲 な き 一 個 の 隠 れ た る 篤 學者 の濁 力 に成 りし をい ふ に 至 りて は 、 余 は著 者 其 人 の辛 苦 と忍
耐 との必 ず や 非 常 な りしを 念 ひ 、衷 心 よ りの敬 意 を 以 て 本 書 に 接せ ざる 能 は ざる な り。 書 中各
庭 に散 見せ る 志 賀 矧 川 氏 の評 言 敷 十篇 は 又 た本 書 に 補 ひ あ る大 な る もの 、巻 頭 及 び巻 中 の諸 庭
に挿 入 せ る債 値 あ る敷 様 の 地 圖 と共 に 、本 書 とは離 る べ か ら ざる 關係 を有 す とや いふ べ き。 要
す る に本 書 は 蕾 に 其 の 外観 に於 て 大 な る の み な らず 、 内容 に 於 て も亦 た從 來 嘗 て他 に類 を見 ざ
る好 地理 書 た りとす べ し。(神 田匪 小 川 町 一 、 文 會 堂 獲 行 定 慣 金 試 圓)
6『
教 育學術界』
第8巻
第2号
明 治36年11月5日
◎人 生 地 理 學
東京 同 文館
新 刊紹 介
全一冊
志 賀 重 昂 校 閲批 評(東 京
文 會 堂 獲 免)
牧 口常 三 郎 著
人 生 地 理 學 とは從 來 未 た多 く聞 か ざ る名 稻 な り。 され は著 者 も本 書 に この 名 稻 を以 て す る こ
とに は 、 よ ほ ど躊 躇 し且っ 苦 心 した る も の と見 ゆ。 從 來 用 ひ 來 れ る政 治 地 理 學 若 し くは 人 文 地
理 學 な どよ りは 、今 一 層 廣 汎 に して 精 密 な る意 義 にて 人 生 地 理 學 と名 づ けた るが 如 し。 即 ち人
類 の生 活 上 に於 け る あ らゆ る事 攣 と地 理 學 と の關 係 利 用 を 、っ とめて 詳 述 せ ん と した る もの な
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
り。 全 編 三 十 四章 よ り成 り、地 人 の關 係 、 如何 に 周 園 を 観 察す べ き か等 を以 て 緒 論 と な し、第
ー 篇 に は人 類 の生 活 慮 と して の 地 を、 た 、"白然 の ま ンに述 べ 、第 二 篇 に は 、地 人 相 關 の 媒 介 と
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
マ マ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
して の 自然 と題 して 、無 生 物 及 び そ の 諸 攣 化 現 象 、動 植 物 、人 類 に就 き て述 べ 、第 三 編 に は 、地
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
球 を舞 毫 と して の人 類 生 活 現象 、即 あ らゆ る社 會 上 の事 攣 關係 機 關等 を説 明 し、結 論 として 地
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
理 學 の研 究 法 、地 理 學 の 意 義及 び範 園 、地 理 學 の豫 期 し得 べ き効 果 を明 か にせ り。 な ほ毎 節 そ
の贅 頭 に志 賀 學 士 の批 評 を加 へ た り。 菊 版 五 號 文 字 にて 約 千 頁 の 大 冊 、 鮮 明 な る 地 圖 爲 眞十 敷
葉 を添 ふ 。 著 書 の勢 亦 大 な りとい ふ べ し。(定 債 金 武 圓)
7『
史學界』
第5巻
第11号
明 治36年11月5日
人生地理學
史学界事務所
批評
志賀重昂校閲兼批評
牧 口常 三 郎 新 著
東 京 市 神 田匪 小 川 町
一 、 文會 堂(定 慣 二 圓)
著 者 は 嘗 て 北 海 道 師 範 學校 に職 を奉 じ、深 く地理 學教 授 の 必 要 な る を感 ぜ られ 、之 に よ りて以
ゆ の ゆ の み の ゆ ゆ ゆ ゆ の ゆ ゆ ゆ の ゆ の ゆ む む む む む の
て 教 育 上 の痛 疾 を讐 せ ん と欲 し、 断然 意 を決 して 己れ の教 職 を榔 ち再 來 潜 心 一 意遂 に 此 の快 著
お ゆ ゆ む
の ゆ
む
を見 る に 至 れ り、 斯 くの如 く して著 者 が多 年 の 精 研 と又 た 其 が教 育 上 の 経 験 に も とづ ける 此 の
む む
ゆ
の
ゆ
ゆ
ゆ ゆ
ゆ
む 書 は 、 人 生 地 理 と云 へ る包 括 的 名 稻 の下 に 山 、河 、湖 、海 、 半 島 、 島、 氣候 、 生 物等 吾人 に と
む
む
の
ゆ
お
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
む
む
り
む
む
ゆ
の
りて最 も必 要 な る 自然 的 現 象 を 豊 富 な る材 料 に よ りて論 ぜ られ た り、 而 して 從 來 地 理 學 の敏
器 蔽 蕪灘 薦 赫 綴 、籍鰭 薪にして錨 鋸 嵐詠 醜 幽 界鹸 そ、竺薪輪
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
を 開 き し もの と謂 ふ 可 し思 ふ に 此 の如 き書 は猫 り地 理 歴 史 捲 任 の教 育 者 及 び 受 験 者 に 向て 必 要
一271一
牧 口常 三郎 著 『人 生 地理 学 』41の 書 評
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
な る のみ な らず 、 其他 實 業政 治 の方 面 に從 事 す る人 に と りて も世 界 の 大 勢 を 考 察す る に就 き て
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
最 も必 要 な り
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ゆ
ゆ
お
ゆ
む
ゆ
ゆ
ゆ
ゆ
ゆ
ゆ
思 ふ に著 者 は未 だ 多 く世 に知 られ ざ る の人 、 然 か も敷 年 間 衣 食 の 窮 乏 に耐 え て 此 の書 を完 成 せ
む
む
ゆ
ゆ
ゆ
ゆ
お
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
られ し志 は 吾人 の深 く欽慕 に堪 へ ざる庭 な り而 して洛 陽 書騨 に て名 あ る も の敷 百其 の間 一 人 の
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ゆ
ゆ
む
ゆ
ゆ
立 ち て 此 の未 知 の地 理 學 者 を世 に紹介 せ し もの な き に際 して 、 書 緯 文會 堂 が 此 の著 の獲 行 を企
ゆ
ゆ
む
ゆ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
て し義 侠 的 精 神 に至 りて は著 者 の精 力 と共 に 吾 人 の 深 く感 謝 に堪 へ ざる庭 な り。
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
今 や 初 版 既 に費 切 れ 増 版 又 遂 に 出來 た りと燈 下親 しむ 可 きの 侯 、 讃 者 か 切 に 此 の快 著 を繕 か れ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
へ
ん こ とを望 む(灘 川)
8『
教 育 實 験 界』
第12巻 第9号
明 治36年11月10日
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
東京育成會
新 刊紹 介
へ
◎ 人 生 地理 學
牧 口常三 郎 著 志 賀 重 昂 校 閲 並 批 評
此 書 は本 邦 人 の 手 に な つ た 地理 書 中 の最 も有 趣 味 な る も の で あ る 、人 生 地 理 學 の名 既 に 奇 抜 で
あ る が 、 そ の 内 容 は 、一 に こ の現 在 人 生 と地 との交 渉 を論 じて筆 々活 躍 凡 て の方 面 に渉 り殆 と
鯨蒲 な しで あ る 、殊 に お も しろ い の は著 者 は久 し く師 範 學 校 に教 鞭 を とられ 、教 育 學 に 通 じて
居 る か ら、本 書材 料 の 排列 も頗 る教 育的 に 出來 て ゐ る 、純 粋 科 學 と して の批 評 は別 として 、地
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
理 書 と して 、殊 に 人 に護 ませ る 地理 書 として は吾 人 大 に賛 成 す る。 緒 論 に於 て 地 と人 との 關係
の概 観 、観 察 の 基黙 と して の郷 土 、如 何 に周 園 を観 察 す べ き か を論 じ、身 の ま わ りの話 か ら出
獲 して 、 人 間 に い か に 地 理 的 關係 の親 密 な も の あ る か を し ら しめ 、且 っ 着 眼 の威 を暗示 した の
な ど、人 を して 開巻 惜 く能 は ざ ら しむ る快 筆 て あ る 、 間 々著 者 の意 見 を主 張 して 問 題 外 に渉 る
の失 な き に 非 る も、 この 常識 世 界 に よ ませ る著 書 と してむ しろ大 に活 氣 と興 味 とを添 へ る傾 き
が あ り、 第 一 編 人類 の 生活 庭 と して の地 、第 二編 地人 相 關 の媒 介 庭 と して の 自然 、第 三 編 地 球
を舞 毫 と して の 人 類 生 活 現象 、 結論 に研 究 法 と定義 とを論 じて ゐ る 、殊 に感 ず べ き は本 書 の安
債 な こ とで 、 色 入 地 圖敷 様 爲 眞版 木 版 数 十 葉 頁敷 殆 と一 千 に達 して定 債 二 圓 で あ る。 地 圖 に は
現 今 世 界 文 明 の 大 勢 を窺 ふ に 足 る よ うな斬 新 な表 が あ る。
9『
慶鷹義塾學報』
第71号
明 治36年11月15日
人 生 地理 學
慶鷹 義塾
新 刊紹 介
菊版 九 五 五 頁 地 圖及 爲 虞版 木 版 数 十 枚 入 十 月
牧 口常 三 郎 氏 著
定償 金 試 圓
神 田小 川 町
文 會 堂 獲行
本 書 の校 閲 及 批 評 に任 じた る 志 賀 重昂 氏 の序 文 に 曰 く著 者 は 『明治 二十 六 年 來 北 海 道 師 範 學 校
に 教 職 を奉 ぜ し も、 此 志 を果 さん 爲 め 、 三十 四 年職 を辞 し、 専 ら之れ に當 れ り
予力及
ばず と錐 も、 君 が衣 食 の窮 乏 に 耐 え 、 而 か も砿 々 と して其 志 を成 さん とす る に感 じ、 乃 ち 之 れ
を 諾 し、 蹄 京 後 此 著 の 校 閲 及 び 批評 に當 る こ と鉱 に 半年 鯨 』 云 々 と、 以 て著 者 が 如 何 に 斯 學 の
研 究 に熱 心 な るか を 知 る可 く、 又 志賀 氏 が後 進 を誘 抜 す る こ との如 何 に親 切 に して 、從 て 其 校
閲 批 評 の 如 何 に町 嘩 な るか を察 す 可 し、輩 に地 理 學 と云 へ ば乾 燥 無 味 な る學 問 の 如 くなれ ど も、
そ は從 來 の 教 授 法 が 宜 しき に適 せ ず 、學 生 を して 強 い て 暗 諦 に のみ 憩 へ しめ た るが爲 め に して 、
地 理 學 其 物 は 決 して かSる 乾燥 無 味 な る學 問 に 非 る の み か 、本 書 の如 く廣 く人 生 と地理 と の 關
係 を詳 細 に 説 論 す る と きは 、 世 間 恐 ら く研 究 の版 園 潤 大 に して趣 味實 益 の 多 大 な る 、斯 學 に如
く もの あ ら ざ らん 、 著 者 は 博 く諸 書 を参 照 し、 文字 の修 飾 に も頗 る力 を致 した るが 爲 め、 讃 者
を して 面 白 く通 讃 せ しむ るの 側 ら、 自 ら地理 と人 生 との 關係 を知 悉 せ しむ る の ア ツ トラ ク シ ヨ
一272一
創価教育研究第2号
ンあ り、 唯 我 輩 の 少 し く本 書 に憾 み とす る所 は参 考 の書 類 邦 書 及 び 邦 繹 の書 に偏 して 、 メ ー ク
ル ジ ヨ ンの 比 較 地 理 書 等 二 三 の 外 、斯 學 に關 す る泰 西 諸 大 學 の著 書 を脱 せ しこ とこれ な り、然
れ ど も是 れ 或 は望 蜀 の 注 文 な ら ん、 兎 に角 本 書 が 地 理 學 趣 味 の 開獲 に稗 益 す る こ とは 少 小 に非
る可 し、 我輩 は 中學校 師範 學校 等 の 教 職 に在 る者 、若 し く ば文 部 省 の受 験 者 等 に は無 二 の参 考
書 と して推 畢 す る を憧 ら ざ る者 な り。
10『
東洋経濟新報』
第286号
明 治36年11月15日
東洋経濟新報社
新刊紹介
⑳ 人 生 地理 學(牧 口常 三郎 氏著)本
書 は 約 千 頁 の 大 冊 に して 、四 團 を團続 せ る 自然 即 ち山河 、
湖 海 、 島喰 、 氣候 、 生 物 等諸 々 の 地理 的 現象 と、 人 間 の 物 質 的 及 精 神 的 諸般 の 方 面 との 關 係 を
細 論 した る もの 、是 れ 即 ち本 書 の 特 色 とす る所 、 而 して其 包含 す る もの 、緒 論 に於 て 地 人 の 關
係 を概 論 し、 第一 編 人類 の生 活 威 と して の 地 、第 二編 地 人相 關 の媒 介 と して の 自然 、 第 三 編 地
球 を舞 壼 と して の 人類 生活 及 現 象 及 結 論 を以 て終 り、各 編 十 有 絵 章 に分 ち て卑 近 の實 業政 治 等
よ り深 遠 な る 哲學 、宗 教 に 至 る迄 で 、荷 も人 生 に 關す る 地理 的 干係 は 壼 く して鯨 す 庭 な し。 加
ふ る に斯 學 の 泰斗 と して稻 せ らる \志 賀 氏 の奇 警 な る観 察 を以 て毎 章 に精 細 な る批 評 及 び追 補
を加 へ 、 且 っ 数 種 の 地 圖 を挿 入 して 其 封 照 に 便 せ り。 差 し從 來 の 地 理 書 とは 全 く其 撰 を異 に
し、正 に斯 學 に一 生 面 を 開 き た る もの 、 地理 歴 史 の研 究 者 に取 りて は勿 論 、教 育 家 實 業 家 に取
りて好 個 の参 考 書 た る を失 はず(定 債 二 圓 、襲 行 所 、神 田小 川 町文 會 堂 獲 行)
11『
北 海 道 教 育 雑誌 』
第130号
明 治36年11月25日
北海 道 教 育會
新刊書紹 介
●牧 口常三郎 氏の著書
人生地理學
東京神 田旺小川 町
くマ マ ラ
獲責所
文 海 堂
定債武圓
曾 て 久 しく本 誌 編 纂 に力 を致 され た る牧 口藩 豊 氏 頃 日一 書 を著 は し、
題 して人 生 地 理 學 といふ 。
梓 成 るや 其 の 一 秩 を予 に贈 り、 且 つ 予 の批 評 を求 め らる。 予 は も と斯 學 の眼 な し、 敢 て 之 れ が
評 騰 を なす が 如 きは 、 予 の 任 に あ らず 。 然 り とい へ ども予 は深 く子 の経 歴 を知 り、 厚 く子 の性
行 に服 し、 又 克 く子 が 本 書 刊 行 の趣 旨 の存 す る所 を識 る も の な り。 即 ち子 の 成 功 を祝 し、 廣 く
其 の 由來 を世 に紹 介 す るは 予 の 義 務 た る こ とを知 る。子 は 明 治 二十 六年 本 道 師 範 學 校 を卒 業 し、
くマ マ 爾 來 職 を同校
を 奉 じ、篤 學 力 行 の名 あ り。子 が教 育學 に精 通 し、殊 に其 の 輩 級 教授 法 は 子 に
よ りて 、 殆 ん と始 め て 、 本 道 に 紹 介 せ られ た る功 は 、既 に 世 の 是認 す る所 な れ は 、舷 に 言 ふ の
要 な し。 子 は た だ に教 育 學 に造 詣 す る所 あ る のみ な らず 、 地 理 學 の 研 究 に 於 て 一 見識 を有 し、
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
常 に 曰 く若 し 此學 の 教授 法 に して今 少 し く改 良せ らる る を得 ば 、現 今 に於 け る教 育 上 の瘤 疾 の
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
大 半 は 之 を除 去 す るを得 べ し と、子 は實 に在 學 中 よ り斯 學 の 閲 明 にっ き大 に期 待 す る所 あ り し
な り。 吾 人 は 學 科 中最 も無 味 乾 燥 恰 も蝋 をか む の 感 あ りと して 、 常 に之 を嫌 厭 し、 只試 験 て ふ
關 門 を通 過す るた め に 、僅 か に 一 衣 の 記 憶 を拶裏 に 託 す る さへ 、 既 に無 上 の 苦難 とせ る 此 學 問
に封 し、 子 は 異 様(吾 人 の 考 よ り見 れ ば)の 趣 味 を以 て 之 を迎 へ 、 新 聞 に 、雑 誌 に 、官 報 に荷
も記 事 の 地理 に關 す る もの あ れ は 、 必 ず 精 讃 翫 味 し、 以 て 無 上 の愉 快 を感 す る もの \如 し、子
が 卒 業 間 もな く文 部 の試 験 に 鷹 じ、 地 誌 教 育 二 科 の免 許 を 得 た る も、 偶 然 に あ ら ざる な り。
子 は 師範 學校 に在 職 す る こ と九 年 孜 々 屹 々 益 々 斯 學 の研 鑛 に っ く し、 腹案 暑 ぼ な る 、 而 も子 は
一273一
牧 口常 三郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
尚ほ 之 を以 て 足 れ り とせ す 、 如 か す 一 た び 學 術 淵 叢 の東 都 に 出て 、 更 に漉 奥 を きは め之 れ か完
壁 を期 ぜ ん には と、 三 十 四 年 断 然 意 を決 して 上 京 せ り。 爾 來 斯 に圖 書 館 内 に萬 巻 の 書 を猟 り、
夕 に斯 學 の 大 家 を叩 い て 意 見 を戦 わ し、推 敲 幾 年 這 回終 に約 千 頁 に渉 る一 大 著 述 を公 にす る に
至 れ り。 子 は 固 よ り敢 て 資 財 の鯨 祐 あ る に あ らず 、將 又 學 界 に於 て 尚 ほ無 名 の士 な り、子 は 此
境 遇 に威 し、 あ ら ゆ る辛 酸 に堪 へ 、萬 難 を排 斥 し、終 に十 有 五年 間 の宿 志 達 せ られ た る も の に
して 、子 の胸 懐 快 然 禁 す る能 は さる を 察す べ し、予 等 同人 亦實 に満 腔 の誠 意 を以 て 其 の慶 祝 を
分っ に吝 な らず 。 鳴 呼 子 は實 に 多 年 一 日の如 く終始 一 貫遂 に 大成 を告 ぐ、其 堅 忍不 抜 の志 操 敬
服す る に堪 へ た り。
本 書論 す る 所 は 地理 と人 生 の 關 係 に して 、経 濟 的 、 政 治 的 、 宗 教 的 、 學術 的 其他 あ らゆ る、 人
類 社會 の 物 質 的 及 精神 的 雨 方 面 の 生 活 と地理 と相 交 渉 す る所 以 の原 則 を究 め 、複 雑 紛 糾 せ る社
會 人 生 の 問 題 をあ げ て 、 之 を地 理 上 の 事 實 に よ り解 説 を與 へ た り、 看 察 の 精 霰 に して 、 着 眼 の
抜 奇 な る、 信 に地 理 學 研 究 上 に一 生 面 を開 きた る も の とい ふ べ し。 文 章 亦 頗 る優 雅 に して 、而
も筆 力 勤 健 、往 々 時 事 問 題 に論 及 し奮 阻 の慨 筆 外 に溢 る ㌧も の あ り、 加 ふ る地 理 學 上 に一 種 の
眼 識 を有 す る志 賀 重 昂 氏 が 、一 々濁 特 の筆 を以 て批 評 を加 へ られ た れ ば 、本 文 と批 評 と相 侯 て
一 段 の光 彩 を放 て り。 惟 ふ に學 界 は本 書 に よ りて 多大 の稗 益 を受 け 、教 育 界 は此 書 に依 り教 授
法 上 に 至大 の 改 良 を與 ふ る指 針 な らん 、 吾 々教 育 に從 事 す る もの必 す 一 讃 す べ く、又 大 中小 其
他 各 種 の學 校 に於 て地 理 學 の参 考 書 に加 へ て嵌 くべ か ら ざる 良 書 な り と信 ず 。
(Y,W生)
附言
本 書 の 債 値 は東 京 諸 新 聞 に於 て遺 憾 な く襲 表 せ られ 皆 近 年 の一 大 著 述 に して 彼 の 時
好 を追 へ る行 々 た る 小 冊 子 と趣 を異 にせ る こ と を賞 せ さる は な し況 ん や 本 評 は 充 分 に本 書
の 眞相 を 穿 ち て一 言 の 間 然 す へ き な き が 故 に蛇 足 を要 せ さ る に似 た り吾 人 は著 者 が 観 察 精
細 に して 大 小 漏 ら さす 巧 に 之 を組 織 して 此 大 著 を爲 せ し を偉 な り と認 む 又 文 章 も流 麗 に し
て巧 に 人 生 と地 理 の 關 係 を 獲 揮 せ し を信 す 唯 着 眼 中 正 温 雅 に して 未 た 斯 界 に 新 機 軸 を 出 せ
し もの と謂 ふ へ か らず 著 者 が 將 來 の大 成 に待 つ も の深 し(扇 楡)
12『
歴史地理』
第5巻
明 治36年12月1日
第12号
日本歴 史地 理 研 究會
彙報及評論
『人 生 地理 學 』 を歓 迎 す
牧 口常 三郎 著
文
會
堂獲免
地理 學 と は何 ぞ 、そ の 言 葉 の 示 す が 如 くに、 も し輩 に之 を 『地殻 の記 述 』(γεo+γρ,oeφt.Ot)に
過
く
つ
ぎず とせ ば 、あ 》ま た 何 を か い はん 、わ れ らの 信 ず る庭 に 依 れ ば 、た ㌻に 地誌 を 以 て 、そ の最 終
あ脳 跨 雛 駕 争俊 、呈乳&蘇 鞭 呈、荷署絹 程程易呆鴛 撮 器又巳、みあ轟藻燕藤
癒甚噛茜&あ 記蓬愚、繋 箕呆齪 鵤 皇豊麗 鼻、£乳膿 腿 罷温§暑嗣 。
思ふに、地醒 繰 翻 舗 たるや、聴 呈覇 縫 器 擢 絡 羅 保、賂 鍵 晶、属齪
境象呈呂蘭篠暑暑棊暑器呈呈島9早 £呈イ
笥暑鼻、これ即ち、地理學の進歩したる分類中に、
膣墨品蓮墨、姦落亀鐘墨(假 に世間の稻呼に從ふ)の形に於て顯はれ來るものにして、甲は、
真遍会あ星藩を論{}、乙は魂誉あ快態を読ミもあ、時間の上に起る匪別たり。われらは、わが
學 界 に、 い ま だ これ らに 關 す る著 述 な き際 に 於 て 、 い ま 牧 口氏 の 『人 生 地理 學 』 を 得 て 、 之 を
歓 迎 す る もの 也 。
曜蜂 温、題呈錫 善蓮£笹父糸魯穂又舘 良糸器 暑墨籍錫 、
療るλミ多ミあλた翻 机 易
一274一
創価教育研究第2号
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
か ら しむ る を本 旨 とす る は 、他 の 多 くの 科 學 よ り も重 ず べ き庭 に して 、 この貼 に於 て 、 乾 燥 無
味 な る を避 くべ く、 この 邊 に意 を注 ぎた る牧 口氏 の著 を、 わ れ は 悦 び て 迎 ふ もの な り。
へ ヘ へ ヘ ヘ ヘ へ
四六 版 千 頁 の 著 述 、 た 、潭 に 著 述 と して も、 め ざま しき か な 其 内 容 の 如何 を い は ざる に 先 ちて
われ は ま つ そ れ の み に て も、 著 者 の 苦 心 を思 はず ば あ らず 、 志 賀 重 昂 氏 の 序 に依 れ ば 、 著 者 は
も と北 海 道 師 範 學 校 に 教 職 を奉 ぜ し人 、 こ の著 述 を完 成 せ ん た め、 職 を榔 ち て 、 務 む る こ と、
む ゆ む む ゆ の ゆ ゆ の の ゆ ゆ
ゆ ゆ ゆ お の お ゆ ゆ ゆ ゆ の ゆ の ゆ
前 後 十 年 一 夜 作 りの 小 冊 子 流 行 の 折 柄 、 あた ら地 方 の 教 員 に 甘 ぜ ず して 、 この 大 著 を完 ふ す 、
著 者 が 學 界 に 忠 な る、 わ れ は 、 最 深 の 敬 意 を表 す るに吝 な ら ざ る也 。
ゆ ゆ む む む む む 著 者 は 、い ま 一 本 を 、わ が 會 に 寄 贈 し て 、精 評 を 求 め ら る 、わ れ は 、世 間 に あ りふ れ た る が 如 く、
鎚 錫 齪 魯翻 器 鋳 呈霧 罰 、呈揺 暑愚紀鵠 継 艮§、卑界た向δセ ま、盤
鉄 く、 さ れ ば 、 精 評 は 、 他 日に 譲 り、 い ま 暫 ら く 、 わ れ を し て 、 其 内 容 を 紹 介 せ しめ よ 、 著 者
は 、 は じ め 、 地 理 學 の 世 に輕 視 さ る 払は 、 其 教 授 法 の 不 可 と な し 、 之 を 改 良 せ ん た め に 、 自 ら
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
教 授 せ ん とす るの 際 に 得 た りし材 料 を以 て 遂 に は、こ の書 を なせ しも の に して 、これ 迄 散 在 せ し
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
材 料 を輯 成 し、 之 に 系 統 序列 を與 へ た り、題 して 、『人 生 地理 學 』 とい ふ 、 頗 る新 しき命 名 也 、
從來 昌蕪晶鐘墨に封 して、最落晶晶墨 なる名稻 あ り、この最落晶鐘 墨 といふ名稻 は、まだ しも、
父隻鬼蓮墨な ど ㌧いふ呆是量易晶茗 星妥妥 亀易島 冒、さ らば、政治地理學 に代ふ る名稔 なきや
とは、われ らの常 に考慮す る所 な りしが 、書者 癒、『父簡呂星藩』といふ意 味 よらしそ 、こ \に
父星縫
墨 といふ名 稻 を附 した り、嫌
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
箭 鑓 兄、穣 諦 牡
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
越
へ
也。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
著 者 は 、緒 論 に 於 て 、まつ 地 と人 との 關係 を概 論 し、観 察 を郷 土 よ り初 め 、周 園 の 観 察 を説 きた
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
へ
り、 本 論 は 之 を三 編 に 分 ち 、人 類 の生 活 庭 と して 地 を論 じ、 次 に 地人 相 關 の 媒 介 と して 自然 を
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
へ
ヘ
へ
説 き、 最 後 に地 球 を舞 台 と して の 人 類 生 活 現 象 を述ぶ 、結 論 は 地 理 學 其 者 の説 明 をな した り。
挿圖十鯨、縛壼百鯨、以て亀 豊父 豊呂蘭篠 髪轟 實皇2轟 紬亀。
われ か っ て 志 賀 重 昂 氏 の 『日本 風 景 論 』 を讃 み 、『河 及 び湖 澤 』 を緒 き、地 と人 生 との 關 係 を見
ば 、興 味 あ る こ とあ らん と思 ひ た り、 の ち 内村 鑑 三 氏 の 『地 人 論 』 を得 て 、 な ほ この念 を昂 め
た りき、今 や 新 『人 生 地 理 學 』を得 る に迫 び て 、わ が意 を 得 る こ と少 な か らず 。わ らは 、この 快
雛 観{翼ぞ{縦罹薦銘 罰 嗣 。(楓)
13『
猫立評論』
第12号
明 治36年12月3日
人生地理學
猫立評論社
近 著一 班
牧 口常 三 郎 著
山 、河 、 湖 、 海 、 氣 候 、 生 物 等 の 諸 門 に分 類 し、其 れ に 地 理 的 現 象 と人 生 の 物 質 的 諸般 の 多 方
面 の智 識 を包 容 し、 而 して 著 者 多 年 教 育 上 の實 験 と理 論 と を以 て 成 り、 殊 に 地 理 學 を以 て 名 あ
る志 賀 矧 川 氏 が 精 細 な る校 閲 と批 評 とを加 へ た る を以 て讃 者 には 少 な か ら ざる 興 味 を與 ふ るべ
し、紙 質 、 印 刷 、 製 本 可 な り、 之 れ を世 の 篤 學 の士 に す 』む 。(定 債 武 圓文 会 堂 獲 免)
14『
實験 教 授 指 針』 第2巻12号
明治36年12月8日
◎人生地理學
金 昌堂
新刊紹 介
志賀重昂校閲兼批評牧 口常三郎著
東京文會 堂獲行
定償金 武圓
千頁 四十萬言 も本書は近來學界 の快書也人生地理は これ未曾有の學名 巻中の百鯨圖は これ薪新
の考案其説 く所地理學 を して純正科學 の位置 に進 めしめ立論警抜結構微然 として従來の地理學
形式 を革命せ しめ社會國家政治實業 と内外表裏 の關係 を看破 し間々文學趣 味 を獲揮 して志賀的
地理 を鼓吹 し地理學 を活動せ しめ地理學 を人生必修科學の一た らしめた り著者は蓋 し會 て地方
一275一
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
師 醤 の一 地 理 教 員 、其 斯 道 に 忠實 な る本 著 の た め に 人 爵 的 の 地位 を去 り家道 困 窮 の 裡 に其 唯 一
の 目的 を達 せ り此書 一 たび 出れ ば或 は 地理 學 を維 新せ しめ む 其 日本 の 學界 否 世 界 の 學 界 に貢 献
す るや 大 な らむ も し明治 三 十 六 年 の 出版 界 に 好 著 を求 め ば 本 書 は確 か に其 首位 か 次 位 か に あ ら
む。
15『
帝 國 文 學雌
第9巻 第12帝
明 治36年12月10日
○人生地理學
国文 學 會
雑報
批評
志賀重昂校閲批評
牧 口常三郎著
文會堂獲行
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
大 家 な るか な 、 大家 な るか な 、 大 家 の名 に擦 ら ざれ ば傑 著 も多 く購 はれ ず 、 大 家 の 名 を戴 けば
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
劣 作 も敷 迎 せ らる。世 の没 識 愚 悪試 に 吾人 の思 惟 の外 に あ り。是 に於 て か 書 緯 は 争 ひ て 大 家 の 門
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
に 走 り、叩頭 平 身 禮 を厚 うし、金 畠 を大 に して 、そ の空 名 を求 む 。所 謂 大 家 とは か くの如 くに して
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
え らき も の な り、か くの如 くに して 富 む も の な り、斯 の如 くに して聲 讐 赫 々 た る もの な り。現 時
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
の 出 版 界 を 一 瞥 せ よ 、 彼 の 大 家 の監 修 と いひ 或 は 編 著 といひ 或 は 校 閲 とい ふ もの ㌧中 果 して
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
其 實 あ る もの 存す るや 、十 中 八 九 迄 は 悉 く然 ら ざる 也。本 邦 學 者 が 良心 の 麻 痺 と 、書璋 の横 着 と
温是 £箕極£蓬甚 冒呈£黒苛 ε。 此間に立 ちて滞身 の力量 と一念 の研鐙 とに よ りて、一代の學
藝 に貢 献 した る もの 佐 村 八 郎 氏 の圖 書 解 題 あ りき、 これ 大 に人 意 を強 うす とに足 れ り。 此度 文
會 堂 とい へ る比 較 的 有 名 な ら ざ る書 騨 が 出版 せ る これ 迄 有 名 な らざ り し牧 口氏 の人 生 地理 學 は 、
其 性 質 と容 積 とに於 て 佐 村 氏 の著 書 と全 然 相 異 す と錐 も 、大 家 な らざ る人 が 大 著 を公 に した る
黒占に於 て 相 一 致 す 。 「人 生 地理 學 」は旭 然 た る 千ペ ー ジ の一 冊 に して 、緒 論 、第 一 編 人 類 の 生活
庭 と して の地 、第 二 編 地 人相 關 の 媒 介 として の 自然 、第 三 編 地 球 を舞 壼 と して の 人類 生 活 現 象 、
及 び結 論 の 四部 よ り成 り、更 に之 を三 十 四 章 数 百 節 に旺 分 せ り。人生 に 關係 して 地理 學 を説 き、
殆 ん ど鯨 蒲 な き に似 た り。 吾 人 は本 書 の 三分 の 二 を卒 讃 せ る に過 ぎ ざれ ど も、 本 書 の 長 所 は 左
記 の敷 黒占に存 す る を認 め得 た り。(一)著 者 の研 究 的 精 神 に富 み 、且 篤 學 謙 遜 毫 もペ ダ ン ドの 風
な き こ と、序 論 と各 章 の結 尾 に附 せ る参 考 書 目の列 記 とは之 を謹 して 鯨 あ り。(二)校 閲 者 の 親
切 忠 實 な る こ と、 世 の 多 くの校 閲 者 、 こ と に大 家 の校 閲者 が 通 覧 だ に爲 さ ゴる書 に封 して責 任
あ る校 閲 者 の 名 を貸 す の 随 風 に反 して 、志 賀 氏 は飽 迄 眞摯 な る 態 度 を以 て其 重任 を 果 た され ぬ 。
即 ち上 欄 には 加 筆 して 著 者 の 意 を補 ひ 、又 各 章 の終 に往 々長 文 の意 見 を附 せ り。(三)人 生 地 理
學 の廣 潤 雄 大 な る こ と、即 ち著 者 は此 大 主 題 の下 に所 謂 地 理 、地 文 、 鑛 物 、 動 植 物 、天 文 、 地
質 の諸 學 よ り美 學 、社 會 學 、政 治 學 ま で も網 羅 した り、 これ 從 來 の偏狡 な る 地理 學 に一 生 面 を
開 け る も の に 非ず や 。(四)叙 述 の 法 極 めて 文 學 的 に して趣 味 に 富 む こ と。著 者 は縦 横 に和 漢 の
詩 歌 を 引用 し大 に文 釆 を加 味 せ り、 そ の海 洋 論 の如 き は好 個 の美 文 と して も恥 る所 な き な り。
吾 人 が本 書 を 鉱 に紹 介 批 評 す る は 主 と して これ に 因す 。 も し強 い て 此種 の欠 黒占を い へ ば 泰 西 詩
歌 の 引用 に 乏 しき事 な り。 地理 に 解繹 暗示 を與 ふ る事 に於 て は洋 詩 は遥 か に 和 漢 の 詩 歌 を屋 倒
す 。 か の ロン グ フエ ロ・
一
一
・
の 如 き は 二 十巻 のPoetryofplaces(萬
國名 所 詩 歌集)を
編 纂 し置 け
り。 著 者 も し材 を此種 の 著 述 に 求 めた らん に は 錦 上 更 に花 を 添 うる こ と敢 て難 き に非 ざ りし な
るべ し。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
吾 人 は地 理 學 者 に非 ず 、故 に専 門 的科 學 的 批 評 を本 書 に 下す 能 ず と錐 も 、吾 人 は實 に幾 多 の暗 示
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
と感 激 と教 訓 と趣 味 とを 本 書 に 見 出 しぬ 。 吾 人 は今 更 の 如 く 地理 に 現 は れ た る 宇 宙 の 神 秘 を
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
瞑 想 しぬ。 吾 人 は また 巻 を措 い て 東 海 秋 津 洲 の 使命 を回顧 して 眼界 頓 に五 大 陸 洲 と五 大海 洋 に
一276一
創価教 育研 究第2号
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
向っ て 開 け る を感 じぬ。 吾 人 は 多 くの 人 々殊 に文 藝 の 士 に封 して本 書 の言雨讃 を薦 む 一 は本 書 の
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
償 値 の た め に一 は所 謂 小 家 の 實 力 に封 す る當 然 の 尊 敬 の た め に 。
16『
日本 之 小 學教 師 』
第5巻
明 治36年12月15日
第60号
國 民教 育 社
内 外彙 報
◎人生地理學
(出版 界 の一 大 快 事)
片 々た る小 冊 子 のみ の 出版 多 き今 日、 糊 と小 刀 的 の著 書 の み 多 き今 日に於 て 「
人生地理學 」 と
い ふ 大 著 書 に接 し得 た る余 輩 の愉 快 實 に甚 だ しき もの あ り、著 者 は牧 口常 三 郎 君 、 出版 社 は 文
會 堂 、共 に これ 世 に知 られ た る大 學 者 に も あ らず 、大 書 璋 に もあ らず 、著 者 牧 口君 は明 治 二 十
六 年 北 海 道 師 範 學 校 に職 を奉 じて 以 來 此 の研 究 と著 述 とを志 し十 年 間 の苦 心 経 螢 尚 自 ら以 て 足
れ り とせ ず 、 断 然 僻 職 して専 心 之 に從 事 し漸 く成 りた る な り と聞 く、東 京 市 中有 名 の書 煙 も少
か らざ る に此 等 書 犀 の躊 躇 せ る大 著 を出 版 した る文 會 堂 の牡 畢 共 に これ 一 大 美 事 と謂 ふ べ し。
「
緒 論 、人 類 の生 活 と して の地 、 地 人 相 關 の媒 介 と して の 自然 、地 球 を舞 壼 と して の 人 類 の 生
活 現 象 、結 論 」 の 五編 三十 四章 に分 ち、 山河 湖 海 半 島氣 候 生 物 等 地 球 上 の現 象 と人 生 の物 質 的
及 び 精 神 的 諸 般 の方 面 との各 關 係 を深 遠 な る學 説 と流 麗 な る筆 とを以 て詳 述 せ られ た る が故 に
千 頁 の大 冊 子 、而 も一 た び之 を讃 み 初 めた る人 の其 の趣 味 に駆 られ て讃 み 了 ら ざれ ば 止 ま ざる
や 必 せ り。 地 理 學 を研 究せ ん とす る者 の 爲 め に は勿 論 の こ と教 育 家 、政 治 家 、 實 業 家 等 に封 し
て も其 の貢 献 す る所 多 大 た るべ し、 吾 人 は 實 に 出版 界 の一 大 快 事 と呼ぶ を躊 躇 せ ず 。
17『
文 庫』
第24巻 第6号
明 治36年12月15日
内外 出版 協 會
論評
人 生 地 理 學 を讃 む
鳥
水
生
片 々 た る輕 薄 冊 子 、漸 く市 場 に を尋 ぬ可 か らず な りて 、大 冊 の豫 約 出版 廣 告 、 一 週 日の新
聞 に少 く とも一 二種 を 見 る に至 りた るは 、 讃 書 界 の漸 く眞 面 目 とな り、 自覧 に 反 へ りた る を謹
す る も の に して 、悦 ぶ べ き傾 向 なが ら、 そ の多 くは古 書 の翻 刻 、若 し くは 字 彙 類 聚 等 に 過 ぎず
して 、創 作 に あ らね ば 人 を して 多 少 の 簾 焉 た る も の な き を得 ざ ら しめ しが 、 こ 峯に 牧 口常 三 郎
氏 の手 に成 りた る 『人 生地 理 學 』 は、 近 來 稀 有 の大 著 作 と して喧 傳 せ られ 、加 ふ る に 之 を校 訂
批 評 した る人 は 、斯 學 に造 詣 遽 き志 賀 重 昂 氏 な り とい へ ば 、其 讃 む べ き書 な るは 明 か な り と、
さな き だ に地 理 學 に 多少 の興 味 を有 せ る余 は 、他 の紛 々た る雑 著 に封 す る よ りも、 以 上 の敬 意
を以 て こ の書 を迎 へ た りき。
志 賀 氏 の序 に糠 れ ば 、著 者 は明 治 二 十 六 年 來 、北 海 道 師 範 學 校 に教 職 を奉 ぜ し も、 此 書 著 述
の志 を果 さん が た め に 、三 十 四年 職 を辟 し、専 ら之 に當 り、衣 食 の窮 乏 に耐 へ な が ら吃 々 と し
て努 め られ た る な り といふ 。 而 して 此 書 を志 賀 氏 に示 され た る とき 、既 成 の 原稿 厚 サ 六 寸 絵 に
して 、 印刷 に 附す る に當 りて二 千 ペ ー ヂ に上 らん と した る を 、 出版 書 犀 との 關係 上 、 之 を其 半
に縮 め て公 行 す る に 至れ り、 しか も君 の此 著 を 出版 せ ん とす るや 、一 は君 が名 聲 の 未 だ 知 られ
ざる と、 二 は 草稿 の浩 潮 な る とを以 て 、 東 京 市 中数 百 の書 緯 中 、濁 り文 會 堂 な る、 これ 又 世 に
知 られ ざる書 騨 、君 及 び志 賀 氏 と何 等 の縁 故 な く して 、之 を 引 き受 け られ た るな りとい ふ 。
余 の如 き 、柳 か東 京 出版 書 犀 の 内情 を知 れ る も の 、斯 の如 き大 冊 を公 刊 す るに 當 りて 、 慮 さ
に起 こるべ き幾 多 の 困難 を轍 ち豫 想 す る も の は 、 こ の著 者 とこ の書 犀 との 志 を壮 と し、 一 層 の
一277一
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
敬 意 を 以 て 、 此 書 を粛 讃 せ ざ る能 は ざ りき。
エ キ ス ペ クテ シ ヨ ン
しか も讃 了 して 、 余 は大 に失 望 した りき、 そ は最 初 の
期
待
の あ ま りに大 な りした め
な る な か らん や と、 自 ら制 して 再考 した れ ど、 不 幸 に して 余 は 著者 十 年 の篤 學 が 、 何 故 に か 』
る杜 撰 の 書 を 産 み 、 志 賀 氏 半年 鯨 の校 閲 が 、 何 故 に 是 正 の 雌 黄 を吝 しみ た ま ひ しか の 疑 ひ な き
能 は ざ りき 。 さは い へ 斯 の 如 き 一 家 の 困 厄 を、 讐 肩 に 澹 ひ て 弧 々 の 聲 を墨 げ た る嬰 見 の 身 の上
われひ と
に、光 榮 あれ か し と翼 ふ も の は 、 自 他 倶 に違 ふ べ く もあ らぬ 人 情 なれ ば 、余 も幾 回 が 批 議 の舌
を縛 らま くお もひ しか ど、 聞 くが 如 くん ば こ の書 も市 場 に大 分 の 観 迎 を受 け た りとい ふ こ とな
れ ば、 余 が そ ゴろ言 の 、 今 とな りて俄 に そ の 前 途 を沮 む の患 ひ も あ らざ らむ と、 こ \にお もひ
っ きた るま 』を書 して 、著 者 に問 ふ こ と \は な りぬ、 著 者 乞 ふ 微 志 の在 る と こ ろ を諒 とせ られ
よ。
甜 愚 娯 曼ε是器 、舗 陥 覇 翻 薪継 総 捲 鍵 臆 鎚 、素より小識 曲
と違 ひて 、 地理 學 の如 き も の は 、其 性 質 上 何 等 の典 糠 な く して 、悉 く自家 の 月
薗頭 よ り按 排 組 織
せ られ 、我 よ り進 ん で オ リジナ リチ イ を作 る といふ が如 き は 、 い か な る天 才者 と錐 も難 んず る
と ころ なれ ば 、余 は著 者 が幾 百 千 の書 を 引抄 した る を横 議 す る もの に あ らざれ ども 、唯 之 を引
抄 して 、 手 際 よ く綴 り合 わせ た る に止 ま りた り とせ ば 、 書 を著 はす の本 義 は糊 と鋏 と筆 耕 の外
に、 幾何 を藏 ち得 る もの ぞ 、本 書 の毎 章 を讃 ん で試 に是 は某 の 文 よ り借 り、彼 は何 の雑 誌 よ り
轄 載 し來 る と瑞 摩 し、 翻 つ て毎 章 の 終 に 掲 ぐ る と こ ろの 引 用 書 目 と照緻 す る に 、お も し ろ き程
に的 中す 。 著 者 素 よ り例 言 中 に辮 じて 曰 く 『各 章 の 終 りに主 要 な る参 考 書 を 附記 した るは 、是
れ 實 は淺識 を表 白す る者 、余 の 深 く恥 つ る所 と錐 、 余 が 四 周 を観 察 す る上 に 、 直接 に間 接 に、
幾 多 の指 導 を受 けた る學 者 諸 君 子 に封す る感 謝 を表 は す の意 味 に於 て 、 予 が 當 然 な さ ゴる可 か
らず と信 ぜ し所 』 と、然 り、他 人 の説 を我 物 顔 に劇 籍 して 、腹 笥 の富 を誇 る街 學者 に 比 す れ ば、
著 者 の括 澹 な る 、 そ のべ ダ ンチ ツ ク な ら ざ る とこ ろ に於 て 、先 づ 頗 る愛 す べ き を覧 ゆ と錐 、 こ
の黒占に於 て の み 正直 な る を讃 嘆 せ られ て 止 む は 、お そ ら く著 者 の本 旨 にあ ら ざ るべ し。 か くの
如 く して 、天 文 、地 文 、地 質 、人 類 、動植 物 、社 會 等 万般 の 書 に 亘 りて 、余 は 著 者 が 能 く讃 み 、
能 く(マ
謄)爲
マ
し、能 く補 綴 した る 勢苦 を認 め たれ ど、そ れ ら の材 料 を嚥 下 し、消 化 し て こ 』に は
じめ て一 個 牧 口氏 の 胃腋 を借 りて醗 醸 せ られ た る新 ら しき滋 養i分は、 この 一 千 鯨 ペ ー ヂ の 大冊
子 の 、 い つ こに も獲 見せ られ ざ り しこ そ 千 古 の遺 憾 なれ 、 況 んや 其 引用 書 の大 部 分 は 、 邦 文 の
ム もの に して 、 しか も近 代 の公 刊 に係 は り、 少 し く斯 學 に 嗜 好 を有 す る も の 》、概 ね 過 眼 一 再 に
笈含儲 金全含麓 あ£像念稲 鉾 、支挽允鼻命訥矢搾念藻齢 錫 £鎚 争亡ぞ負盛
会余是あ£亡ぞ、硅倉全全鍵 余秀{豊
全参亡是£是鹸 盤 食ぞ菱る、イ
歌 鹸 愈薯暑余動墓
饒 葛鎚 全含ら鼻舶 轟あ全盒鹸 綬 、善齢 漁εぞ命汽念、△分食全余亀条含愈余亡急
敢 て 難 し とせ ざ る をや 。
錆2温 薯暑 あ蔓葦蒼 む、世 には本 邦科學家 の文 章が乾燥 無味、偶 ま催眠 の媒 たるに過 ぎ ざる
を哩 ふ も の あ り、余 も これ に悩 ま され た る一 人 な れ ど、 さ り とて 亦 この 著者 の 如 く、 文 學 者 な
らず して 例 の 六波 羅 や うを、この種 の著 書 に ま で及 ぼ され た る こそ な か 墨\に眉 を墾 め ら るれ 、
曰 く 『試 に天 魔 を傭 ひ 來 り、 巨鋸 を以 て 吾 人 の生 活 す る北 海 道 を横 切 りて 、 一 の 平 面 とな した
りと想 像 せ よ』 百 五十 頁(日 本 風 景 論 に 曰 く 『若 し夫 れ 天 魔 を賃 し來 り、 神 斧 を揮 ひ て 日本 國
土 の 上 よ り切 割せ しめ ん か 、其 横 載 面 は鋭 尖 な る三 角 強 を 作 らん』 文 章 ま で 「
文 學 」 を調 和 せ
ず と もの こ とな り)『殊 に石 炭 は 國 内 に延 長 す れ ば』 百 六 十 四頁(石 炭 層 と もあ るべ きか)『 山
中の 静淑 』百六 十 四頁(無 論 静粛 の誤 な らむ)『彼 の 坐禅
な る もの
は畢
尭 精 神 の 凝 結 す る方 法 に
ム 外 な らず 』百 六 十 五 頁(意 味 を成 さず)『 何 とな れ ば 非 常 な る非 凡 の超 出 に あ ら ざ る よ りは 、傾
一278一
創価教育研究第2号
斜 緩 慢な らん か 、 人 は 容 易 に之 を超 越 す べ けれ ば な り』 百 二 十 九 頁 等 の類 、余 は著 者 が今 少 し
く飾 りっ 氣 な く して 解 り易 き文 を作 らむ こ とを希 は ざ る能 はず 、殊 に文 中 に 引用 した る詩 歌 の
類 を大 方 は 『風 景 論 』 よ り孫 引 を試 み た る如 き 、又 同 じ も の を 引用 書 の殊 なれ る に よ りて 二様
の 語 を使 用 した る如 き(例 へ ば文 中支 那 山系 とい ふ か とお もへ ば 、 地 圖 に は毘 需 山系 となせ る
が 如 き)一 定 の 見 地 な き を見 るべ し。
以 上 は この 書 の 大 躰 に於 て 、根 本 的 に余 の首 肯 し能 は ざ る とこ ろ なれ ど、 尚 ほ少 し く細 節 に
亘 りて辮 ず べ し。
著 者 は 山が 高 度 に よ りて 、一 所 に多 種 の植 物 動 物 を共 生 せ しむ る も の あ る に道 ひ 及 ぼ し、
聞 説 らく 、 甲州 富 士 川 の難 谷 の邊 り、叢 竹 積 雪 の重 量 に堪 へ ず 、凄 ま しき音 を獲 して催 折
せ ら る \や 、 野猴 其 下 に在 りて是 に驚 き 、悲 鳴 を獲 す る こ とは 、 甲州 民 の常 に 聞 く所 な り
く
つ く
つ と、猴 も竹 も元 來 熱 帯 圏 中 の生 物 、然 る に寒 帯 の代 表 者 た る氷 雪 と共 に 、 同 一 の 場 所 に棲
こ 息 せ しむ 、 これ 到 底 他 國 、殊 に平 原 國 に於 て想 像 し得 べ か ら ざ る所 、蓋 し又 山嶽 の賜 な
り。(一 二 五ペ ー ヂ 圏鮎 原 文 の ま 」)
と引讃 した れ ど、 こ は いみ じき藪 睨 み な り、著 者 の所 謂 『富士 川 の難 谷 の邊 り』 とは どの 邊 を
指 した るか 知 れ ね ど、要 す る に 富士 川 難 谷 は海 抜 甚 だ 高 か らね ば 、熱 帯 と寒 帯 とを併 有 す る に
足 るべ き ほ ど の 山 を有 す る も の に あ らず 、然 る に そ の雨 代 表 者 を事 實 上 に 、併 有 せ る は何 ぞ と
いふ に 、そ は 本 土 の在 る とこ ろ の緯 度 線 が 、所 謂 温 帯 に して 、 こ の寒 帯 雨 帯 を或 程 度 ま で 緩 和
融 合 せ し めっ 」あ る た め に して 、決 して著 者 の言 ふ が如 き 山嶽 の賜 に は あ らざ る な り、 著 者 は
他 國殊 に平 原 國 に於 て 、想 像 し得 可 か らず といへ ど、實 際 著 者 が 「
平 原 國 」を以 て 呼べ る 支 那
に 、竹 も あ り、猿 も あ り、 雪 もあ る に あ らず や 、著 者 以 て如 何 となす 。
嫡 舳 愚 緩 輸 縫 齢 、箕継 あ茄鵤 敵 鍵 齢 茄鵠 編 ε、高サー万二
千 四 百尺 、 日本 第 一 の 高 度 を有 した る 富 士 山 が 、如 何 に 目本 人 を して 荘嚴 の感 を 起 さ しめ
た る か … … は 、 以 て 此 事 を説 明す る を得 べ き に あ らず や 。(一 二 六 頁 圏 黒占原 文 のま ン)
と、知 らず 著 者 は何 に よっ て この 断定 を得 た る 、 人 民崇 敬 の程 度 が 、必 ず しも 高低 に原 つ か ざ
る こ と、相 模 の 大 山 、遠 江 の秋 葉 山 等 、低 く して 、殆 ど山 と言 ふ 可 か ら ざる も 、年 々 幾 万 の 繰
索 、實 す る も の絶 えず 、信 飛 境 上 の大 嶺 崇 岳 、香 漢 を突 き て 、しか も祀 られ ざる も の甚 だ 多 し、
是 れ 蓋 し山 の形 状 、位 置 、 交 通 の 便不 便 、都 會 村 落 の遠 近 等 、頗 る複 雑 した る 關係 よ り來 れ る
もの なれ ば 、 著者 が 輩 に 山 高 き が 故 に崇 敬 の 度 益す 加 は る とい ふ 定 義 を 立 て 、一 富 士 山 をの み
畢 げ て 、 之 を 苦 もな く肯 定 せ む とす る は 輩純 な る こ と児 童 の 見 に 似 た り、 但 し高 き も の が 低 き
もの に 比 して 、 一 般 に 荘 嚴 の感 を 起 さ しむ る は 、 余 も之 に 同ず と錐 も 『何 故 に然 るや 』 の 問 題
に 至 りて 、著 者 が 半 句 を も酬 い ざ りしは 惜 しむ べ し、 こ の 間 、 人 生 地 理 學者 の 獲 見せ ざ る可 か
ら ざる 消 息 あ れ ば な り。
む む ゆ ゆ ゆ ゆ
ゆ ゆ ゆ ゆ ゆ ゆ ゆ ゆ ゆ
む 火 山 の 人 間 に 於 け る 重 要 な る影 響 は 、 特 殊 の 風 景 を顯 出 して 、 無 形 上 に人 心 を感 化 す る に
在 り、火 山 の 構 造 山(他 の 山?)と
異 な る所 の もの は 、 稜 々 た る 山骨 の 露 出 に あ り(一 四
六 頁 圏黒占原 文 の ま ㌧)
と、 然 れ ど も何 ぞ 火 山 に限 らむ 。 花 歯 岩 も石 灰 岩 も、 皆 「特 殊 の 風 景 を顯 出 して 、 無 形 上 に人
心 を感 化 す る」 な り 、皆 「
稜 々 た る 山骨 の 露 出」を有 す る な り、花 南 岩 の如 き 殊 に然 り、 著 者
この とこ ろ、 火 山 の 特 性 を畢 げ む と して 、却 つ て普 遍 性 を墨 げ た る を惜 しむ 。
支 那 山系 と樺 太 山系 と相 衝 突 す る(し た る?)慮
っ 富 士 帯 火 山脈 の大 破 裂 を なす(な せ る?)所(一
の 近 くは 、正 に此 國(信 濃)に
六 一 頁)
『衝 突 す る庭 の近 くは 此 國』 とい ふ 、 然 らば實 際 衝 突 した る とこ ろ は何 の 國ぞ 。
一279一
して 、且
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
著 者 は 日本 人 が懐 郷 の念 に 富 め る 實例 と して 、
或 は加 藤 清 正 が 、 朝鮮 の 二 王 子 を逐 ひ て感 鏡 道(感 は 成 の 誤植 な らむ)に 入 り、 日本 海 上
遙 か に 芙 蓉1峰を 望 み て 、想 はず 東 拝 無 限 の愛 敬 を捧 け た るが 如 き 、即 ち是 な り。(一 六 三
頁)
ヲラ ンカイ
を墨 げ た る に 至 りて は 骸 目に 値 ひ す 、 清 正 が 兀 良 恰 に於 て 富 士 を拝 せ る趣 は 『清 正 朝 鮮 記 』 等
に も載 せ られ 、確 か 『日本 外 史 』 に も出 て た るか と も記 憶 す れ ど、 そ の小 説 な るは 論 な し、余
は歴 史 家 な らぬ 著者 が 、 之 を 引 用 した る を怪 しま ず 、 た ゴ地 理 學 専 門 の教 師 た る著 者 が 、他 に
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
例 もあ るべ き に 、 眞 面 目に之 を畢 げ た る を喘 はず ん ば あ らず 、 富士 山 いか に 日本 一 の高 山 な り
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
と錐 も、 人 の 視 力 に は 限 りあ り、 地 球 には 窪 隆 あ り、 朝 鮮 よ り見 られ 得 べ き こ とは 、断 じて 無
ヘ
へ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
し、 抑 も著 者 は そ の 之 を仰 が れ得 べ し とす る何 等 か の理 由 を有 せ りや 、幸 ひ に蒙 を啓 くを得
へ
む 、 況 ん や 此 一 文 は 著 者 が 嘗 て 北 海 道 師 範 學 校 にて 學 生 に講 じ、後 に 同窓 會 雑 誌 に ま で 出 だ し
た り とい ふ に於 て をや 。
我 邦 に は會 津 、 甲斐 、信 濃 、飛 騨 、丹 波 の 中部 等 、庭 々 に 高原 性 の小 地 あ りて 、 皆 百 米突
以 上 の高 度 に あ り(二 〇 〇頁)
と百米 突 以 上 の高 地 を有 す る も の は 、本 邦 何 ぞ それ らの 四五 ヶ 國 の み に して止 ま ん や 、 然 れ ど
も百米 突 以 上 の 高度 に在 る が故 に必 ず し も高 原 性 の土 地 とは い ふ 可 か らず 、 日本 に 在 りて 眞 個
高原 性 の土 地 を學 げ む とな らば 、會 津 や 、 甲 斐や 、丹 波 な ん ど よ り も、 地學 者 が濃 飛 高 原 と呼
べ る とこ ろ 、即 ち美 濃 の 大半 、飛 騨 の 全 部 、及 び 之 に接 せ る越 中 、加 賀 、越 前 、 近 江 の 一 部 こ
そ そ の好 標 本 に な る べ け れ。 そ の他 に在 りて は 紀伊 四 國 の 雨 山 系 、 相 共 に 高原 性 を帯 ぶ 。
く
ママ ラ
我 邦 に は 天龍 川 、射 水 川 、球 摩 川 の如 き 日本 の三 急 流 と稻 せ らる ン もの 》如 き あ り。(ニ
ー 二 頁)
くマ マ ラ
俗 に 日本 の 三 急 流 とは 、富 士 川 、最 上 川 、球 摩 川 をい ふ な り、著 者 の 所謂 天 龍 川 射 水 川 與
くマ マ か らず 。若 し眞個 の 三急 流 を畢 げむ とな らば 、天 龍 射 水 は と もか く も、球 摩 川 の 如 き は選 に
入 ら ざ るべ し。
著 者 は川 の 上 流 、 中流 、下 流 を立 謹 す るた め に、 齋藤 拙 堂 の 「下 岐蘇 川 記 」を拉 し來 り、 そ の
文 を部 分 的 に抄 して 、云 々 の文 は上 流 を爲 す 句 、云 々は 中流 の景 、云 々は 下 流 の観 と、尤 も ら
し く三 段 に別 ちた れ ど(ニ ー 九 ペ ー ヂ)土 毫 科 學 的 観 念 な き漢 儒 の文 を 、オ ー ソ リチー と して
地理 を説 か む とす る は 、無 理 な話 に して 、拙 堂 の岐 蘇 川 を 下 るや 、伏 見 を獲 して桑 名 に到 る 間
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
の み 、而 して 出 立 黙 た る伏 見 が 、巳 に木 曾 川 の 中流 以 下 に して 、上流 に は あ らず 、い つ くん ぞ彼
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
の文 に よ りて 、上 流 の光 景 を看 取 す る こ とを得 む や 。
薙 に 降 雨 な く と も、 常 に湶 々流 れ て止 まず 、 さ り とて湖 源 の認 む べ き もの な し、 雪 水 氷 河
に 至 りて は 、 本 邦 に 於 て 越 中 の 立 山 山 中 に僅 か に其 に稽 近 似す る 流源 を 観 る の み とい へ ば 、
他 に 全 くあ る べ き な し。
グレシヤア
知 らず 、 著 者 は 何 の本 接 に立 ち て 、 か \る 断 言 を敢 て し得 るや 、 氷 河 に 至 りて は 日本 に 現 存
の もの は 、 絶 え て 是 な し、 然 れ ど も著 者 が 所 謂 『立 山 山 中 に僅 に 其 に稽 近 似 す る流 源 』 とい へ
く
つ るは 、 矧 川 氏 が 『風 景 論 』 に 畢 げ た る針 木 峠 の 雪 田の た ぐひ に して 、 この 類 及 び 山 上 の氷 が 、
隆 夏 融 けて 流 源 を成 せ る もの は 、信 濃 、飛 騨 、越 中 、越 後 の境 上 に蝿 腕 せ る 大 山 系 、到 る とこ ろ
緯
粥 、
呈踊 苦品泉編 程呂是腿 艦9争
疑 島総 器9罰 、
醐 泉 編 呈器
翌
甚葛
山 よ り、石 片 墜落 列 を 作 りて氷 河 の 中央 、も しくは 雨 端 に堆 を成 せ る もの 、英 語 の所 謂 「モ レー
く
つ
く
つ く
つ く
つ く
つ く
つ ン」も、この 附 近 の 山 中 に多 く認 め 得 る は 余 の確 言 しで 陣 らざ る とこ ろ な り、何 ぞ 輕 々 し くそ の
く
つ 雪水 氷 流 の 『他 に全 く あ るべ きな し』 とい ふ を得 む。
一280一
創価教育研究第2号
以 上 は書 中 の第 九 章 よ り第 十 一 章 まで 、僅 々 三 章 の 間 に 限 られ て 、指 摘 した る も の 、 そ の 他
に至 りて は繁 を厭 うて 紫 説 せ ず と錐 も 、湖 水 の分 類 法 の如 き 、宛 ら二 十年 前 の 地文 學 書 に 在 り
て 、始 め て見 らるべ き も の な り しを惜 む 。
と
之 を要 す る に 、本 書 は 『切 抜 の綴 ぢ込 み』 と して は 、容 量 以外 に 嵩 張 らず して便 利 な ら ざ る
に あ らず と錐 、『人 生 地 理 學 』の創 作 と して は獲 る とこ ろ幾 と無 し、著 者 が これ らの材 料 を 措
序 例 す る 勢苦 と、耐 忍 とは 、余 之 を諒 せ ざる に あ らず と錐 も、 軍純 な る按 排 以 上 を 望 む こ と余
輩 の如 き讃 者 に在 りて は 、寛 に 多 大 の遺 憾 を 抱 か ず ん ば あ ら ざ るな り。
18『
地学雑誌丑
第16年 第181号
東京地学協會
明 治37年1月15日
人 生 に及 ぼす 地 理 學 的影 響
(牧 口常 三郎 君 著 人 生 地 理 學 の 批評)
理學士
緒
小 川 琢 治(注)
言
明 治 二 十 九 年 四 月 二 十 四 日、 余 丹 後 大 江 山 を越 えて 宮 津 に到 り、旅 舎 荒 木 に投 じ、 其 夕志 賀
重 昂 氏 亦 た 來 り宿 す に會 し、 初 めて 刺 を通 じて 日本 風 景 論 の著 者 矧 川 先 生 を識 る を得 た り。
君 余 に語 りて 曰 く、地 理 學 の 社 會 的 方 面 の研 究 は趣 味 多 き好 問題 な らず や と。 其 後 果 して河
及 湖 澤 」其他 の諸 書 の君 の筆 に成 りし者 績 々 公 にせ らる。今 や 又 た 君 の 細 評 を添 え た る 「
人生 地
理 學 」の 一 大 著 書 は 君 に よ りて 世 は 紹介 せ ら る。余當 年 の快 談 を想 起 し、轄 た本 書 歓 迎 の 情 に堪
えず 。 余 は此 の一 千 頁 の大 冊 を完 成 せ る著 者 牧 口常 三郎 君 の 眞摯 と勤 勉 とを驚 嘆 して 措 く能 は
ざる もの に して讃 み 來 る に及 び 其 渉 猟 の該 博 其 着想 の斬 新 其 論 断 の 妥 當 、亦 た浴 々た る 操 触者
流 の及 ぶ 所 に非 ざる に服 せ り。 余 の大 膿 に於 て 此 の著 書 に封 す る感 想 此 の如 し、然 れ ど も余 亦
た 人生 に及 ぼす 地理 學 的影 響 に 關 して個 々 の 事 實 と考 説 を抱 け る もの な り。 試 に 此 の好 著 書 の
ママ 出 た るを機 と し 。
くママ エ
其 批 評 を兼 ね 。
此 に 其 二 三 を 掲 げ て 牧 口君 井 に 、 「
人 生 地 理 學 」愛 讃 者 諸
君 の 一 顧 を 乞 は ん とす 。
地理 學 の定 義
自然 の 人 類 の 身 蹉 井 に精 神 に 及 ぼ す 影 響 を 研 究 す る 地 理 學 の 一 科 を 呼 び て 人 類 地 理 學
Anthropogeographyと
呼 び 、 又 た 文 明 即 ち 人 文 地 理 學Kulturgeographie(Culturalor
くマ マ ラ
CivilisationalGeogragraphy)と
い へ る は ラ ッツ ェル氏 を以 て 其 鼻 祖 とす 。 是 れ 動 物 地 理 學 若
くは植 物 地 理 學 の如 く 、人 類 に及 ぼす 土 地 氣 候 其 他 の影 響 を研 究 せ ん とす る者 な り。 地 と人 と
の 關係 を論 ず る も の は此 の文 明 地 理 學 の範 團 を脱 出す る能 は ざ る な り。牧 口常 三郎 氏 の 新 著 「
人
生 地 理 學 」な る もの は 實 に此 の 定 義 に適 中 せ る もの な り。 然 れ ど も氏 は 其 例 言 に 於 て 「
人 文 地理
學 の名 稻 あ り。 之 を輩 に 「
地 文 學 」に封 して の名 構 とせ は可 な らん も 、其 他 に於 て は精 確 に 内容
上 の 意 味 を表 は さず 」とい ひ 、 之 を 斥 け られ た る は 吾 人 の 惜 む 所 な り。 氏 は 次 に 「人 類 地 理 學 」
とい は ん か 、 之れ 比 較 的本 書 の 内容 を表 はす に適 當 な り と錐 も 、既 に 「
人 類 學 」な る もの あ りて
特別 の意 味 に 用 ひ られ 居 る が如 き を奈 何 せ ん 」 と謂 ひ 、又 た 此 の 「
人 類 地 理 學 」な る名 稻 を も取
らず 、 以 て 人 類 學 と混 同す る の虞 あ り とせ られ た る が如 し。 此 の 二種 の名 稻 を 此 の如 き理 由 の
下 に 斥 け て 、別 に 耳新 しき 「
人 生 地 理 學 」の名 を本 書 に 冠せ らる ㌧に 至 りしは 多少 奇 に 走 るか の
如 き感 あ る を 覧 ゆ。固 よ り人 生 地 理 學 な る名 、吾 人 は 敢 て 之 を不 可 な り と謂 ふ もの に非 ざ る も、
人 文 又 た は 文 明 地 理 學 とい ひ 、 人 類 地 理 學 とい ひ 、 共 に 既 に判 然 た る定 義 あ りて 、何 等 の 混 雑
の 生 ず る虞 な き名 稻 た る こ とは 、 吾 人 先 づ 一 言 此 に之 を辮 ぜ ざ る を得 ず 。
一281一
牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
次 に 氏 の地 理 學 の定 義 と して提 出せ られ た る所 を讃 む に 、曰 く、「
地 理 學 とは 地 表 に分 布 す る
自然 現象 と人 類 生活 現 象 との 關係 を論 ず る もの 也 」(第四 一 頁)と い ひ 、又 は結 論(第 九 ノ)㌧頁)
に 於 て 更 に進 で 「
地 理 學 は 地 球 の 表 面 に一 定 の 規 律 をな して分 布 す る 自然 現 象 と人 類 生 活 現 象
(人生 現象)と
の 關係 的智 識 な り」更 に之 を約 言 す れ ば 、 「
地理 學 は 地 と人 生 との 關係 を説 明す
る科 學 な り」とい へ り。 氏 は是 等 よ りも更 に進 み(同 頁 の細 字 欄 に於 て)「 地 理 學 とは 地 理 的 分
布 を なす 人 生 現 象 を説 明す る學 を いふ 」と謂 へ り。而 して 吾 人 は 終 に氏 の所 謂 「
人 生 地 理 學 」な る
もの 墨定義 を看 ず 。 是 に 於 て吾 人 は 氏 を 以 て 「人 生 地理 學 」と 「地理 學 」と を同 一 の 意義 に 使 用 せ
る もの とせ ざる 可 らず 。 少 く も吾 人 の所 謂 「文 明 地理 學 」又 は 「
人 文 地理 學 」な る もの こそ 如 上 の
氏の 「
地 理 學 」の 定義 に符 合 す る もの なれ 。
此 等 の定 義 を 以 て直 に 地理 學 全般 の 定 義 な りとす るに は 、 吾 人 は 容 易 に首 肯す る能 は ざ る な
り 看 よ、 自然 現象 を 人 生現 象 に 關係 な く研 究 す る もの に して 、 地 理 學 の 一 部 門 た る も の甚 だ
多 き に 非ず や 。 氣 温 の分 布 、 雨 雪 の分 布 、植 物 動 物 の分 布 等 の 如 き研 究 は 人 類 な る もの に 關係
な しに研 究 す る も、 地理 學 の一 部 門 と して 現 存 し得 べ き な り。 自然 科 學 の 一 た る 地理 學 に於 け
る人類 の位 置 は 或 る意 味 に於 て猶 ほ動 物 學 に於 け る人類 の位 置 の 如 き者 な り。 若 し造 化 が 萬 物
の 霊長 と して 人 類 を造 れ りとの 、一 種 の 宗 教 的 観 念 を外 に して 、 地 球 上 に起 る無 生 、 有 生 の現
象 を通 観せ ば 、 地理 學 の範 園 は必 ず 人 生 現 象 に關 係 あ る事 項 の み と限 ら ざる こ とは 甚 だ 明 か な
インクーナシ3ナル、チ'オク'ラ フ井 一
らん 。「萬 国 地 理 學 」の 編 者 ビュ ー 、 ロバ ー ト、 ミル 氏 は 其 壁 頭 に 地理 學 に 定 義 を下 して 曰 く 、
地理 學 とは 「地球 表 面 の諸 現 象 の分 布 の 、精密 に して 、節 制 あ る智 識 に して 、人類 と其 地 上 の 四
園 との相 互 の 作 用 の説 明 を以 て最 終 とす 」と。此 の定 義 と錐 も尚 ほ 人 類 に重 き を置 く こ と梢 過 當
な る を免 れ ず 。 吾人 は 地理 學 其 も の 》定 義 と して は 、輩 に 「
地 球 表 面 無 生 、有 生 一 切 の 諸 現 象 の
分布 を系統 的 に研 究す る科 學」との一 般 の意 義 に止 め 、人 類 の 生 活 現 象 と地 球 の 諸 現象 の 關係 の
如 きは 其一 分 科 た る を主 張 す る もの な り。 吾 人 固 よ り人類 地理 學 を以 て最 も必 要 な る分 科 た る
こ と を認 む る もの な れ ど も、 固 よ り其 分 科 系 譜 の最 高位 を 占む る もの な る こ と を認 め 、 且 っ 、
固 よ り著者 其 人 と共 に 其研 究 を 以 て 地理 學 研 究 諸 項 中の最 も趣 味 あ る問題 た る こ と を認 む る も
の な れ ど も、 「人文 地理 學 」=「
地理 學」とは謂 ふ 能 は ざる な り。
地 理 學研 究 法 の 問題 に關 して は 吾 人 亦 た 説 あ り。 然れ ど も今 地 と人 との 關係 を 論ず る方 面 を
主 とす る を以 て 之 を論 ず る こ とは他 日 に譲 るべ し。(第 一 稿 完 結)
注
明 治38年10Aに
出版 され た 第8版 改 訂 増 補 以 降 の 『人 生地 理 学 』 に は 、 志 賀重 昂 の後 に 以 下 の 牧 口の
文 を添 えて 、 小川 琢 治 の 書 評 を掲 載 して い る。
〈
小川の書評の前に〉
本 書 の初 版 出つ るや 。 地 理 學 専 門 の 大 家 を以 て して 率 先 批 評 を加 へ られ しは 本文 な りき。 當 時 先 生 には
一 面 の識 な か り しが
、有 名 な る 大論 文 、 日本 地 質 構 造 論 に よ りて 、 心 窃 に 尊敬 措 く能 は ざ りき 。 然 る に深
厚 の 同情 を以 て虚 心 淡 快 、示 教 を惜 まれ ざ りし高 誼 は 余 の感 侃 に堪 へ ざ る 所。 文 中 の讃 僻 は却 って 恐 縮 す
る所 な るが 、 余 が考 の及 ば ざ り し所 、及 び記 述 の 不 備 の爲 めに 招 き し誤 解 の黒占は謹 ん で 之 を補 ひ 、 且 つ 訂
正 す る所 あ り。 先 生 今 や 京 都 帝 國 大學 に 在 りて 斯 學 の オ ー ソ リチ ー た り。 余 は 學會 の爲 め に先 生 の 健 全 を
祈 る(著 者識 す 。)
〈
小川の書評の後〉
著 者 申す 。 吾 人 が研 究 の成 果 な る 此 人 生 地 理 學 を本 邦 に於 け る從 來 の所 謂 一 般地 理 學 の 内容 に封 照 す る
に全 然 一 致 せ りと は 云ふ 能 は ず と も、 大 躰 の 黒占に於 て一 致 す る を認 む 。 而 して 其一 致 せ ざ る黒占は 一 方 の研
究 の足 らざ る か、 若 くは他 方 の 地理 學 の 範 園 外 と して排 斥 せ ら るべ き運 命 に あ る べ き が如 けれ ば、 爾 者 は
内容 に於 て 粗 ぼ一 致 せ り とい ふ を得 べ し。 依 て 爾 者 の 匪別 をな さ ゴ りき。 た ゴ これ が説 明 に就 き初 版 に て
は十 分 本 位 を 壼 さ ゴ り しか ば 第 八 版 の 第 四 編 の 各 章 に於 て 之 を補 ひ た り。 又 た 本文 中第 九ノ)、頁 と あ る は
増 補 の結 果 第 一 〇 六 五 と なれ り
一282一
創 価教育研 究第2号
19『
教 育 時 論』
第680号
明 治37年3月5日
開獲社
新刊書紹介
ゆ ゆ ◎人生地理學
牧 口常 三 郎 氏著
定償 二 圓
文
會
堂
地理 學 の 人 生 に須 要 な る は 、近 來 大 に世 に認 られ た り、 殊 に 教 育 に 關 して は 、 ヘ ルバ ル ト以 降
教 育 大 家 の 等 し く、教 科 と して の位 地 の 重 要 な る こ とに 同 意 す 、 而 し重 要 な りとせ ら る ㌻は 人
文 地 理 に あ る な り、何 とな れ ば これ は 人 生 と地 球 との 關係 を論 ず る もの に して 、 換 言 す れ ば文
科 と理科 との 關係 なれ ば な り、 人 文 地理 學 の 重 要 そ れ か くの 如 し、 然 る に我 國 に 於 け る此 種 の
著 述 は 、 小藤 博 士 の 地 理 學 教科 書 、 矢 津 昌 永 氏 の 政 治 地 理 、 志 賀 矧 川 氏 の 地 理 學 講 義 、 及 有 名
な る 日本 風 景 論 の籔 者 に過 ぎず 、 之 を 以 て 我 中初 等 の 教 育 場 裡 に於 て は 、 ま だ 山 川都 市 港 濁 の
名 稻 及 統 計 表 を 暗ぜ しめ て 、妄 りに児 童 の 拶 力 を徒 消 せ しむ る に過 ぎず 、 而 して 實 に これ 人 文
地 理 の何 物 た る か を知 ら ざ るに 由 るな り。
著 者 こ ㌻に慨 あ り、 多 忙 の 職 を参 考 圖 書 に乏 しき地 に奉 ず る に係 は らず 、 拮 据 経 螢 一 千 頁 の 大
著 述 をな した り、 「
人 生 地理 學 」 即 は ち これ な り、 其緒 論 に 於 て は 、 「
地 と人 との 關 係 の概 観 」
マ マラ
くマ マ ラ
「
観 察 の 基 黒占と し の 郷 土 」「
如 何 に周 園 を観 察 す べ き か」を説 き 、第 一 篇 に は人 類 の 生 活 的
と して の 地 、 第 二 篇 に は地 人 相 關 の媒 介 と して の 自然 、第 三 篇 に は地 球 を舞 壼 と して の 人 類 生
活 現 象 を論 じた り。
大 謄 よ り見 れ ば 、 この 書 は小 藤 、矢 津 、 志 賀 三 氏 の未 だ 爲 さ ゴ り し所 を爲 せ しも の多 く、 就 中
くマ マ ラ
社 會 學 に燭 接 せ し見 舞 多 き は多 とす べ し、若 し我 教 育 者 に して 之 を精 讃 せ ば、庶 幾 くは 地理
教 科 に生 命 を與 ふ る こ とを得 ん か 、(神 田小 川 町)
20『
東 亜 乃 光£
第3巻
明 治38年3月15日
○ 人 生 の地 理 學
第4号
舎 身庵
雑録
新 刊紹介
四版 定債 金 試 圓
本 書 は東 亜 女 學 校 の講 師 た る牧 口常三 郎 氏 の 著 に して 地理 學 に精 通 の 聞へ 高 き農 學 士 志 賀 重 昂
氏 の校 閲 と批 評 とを加 へ し もの な り出版 の 日尚淺 き に拘 らず 紙 数 一 千 ペ ー ジ 以 上 な る の 大 著 書
を既 に 四版 迄 も獲 行 せ し一 事 に よつ て も如何 に本 書 の有 益 な る か を推 知 す る に足 るへ し、 又 著
者 は 本 書 を著 さん が爲 め 北海 道 師範 學 校 の 教 職 を郷 ち 諸 有 の 困難 に 耐 へ漏 八 ケ年 間 の 苦 心 精 励
に依 て 漸 く大成 せ り と云 へ ば 尚 更 に斯 學 に志 す もの ハ 是 非 と も一本 を購 ひ其 の得 益 に 潤 は るべ
し
獲行所
神 田匪小 川 町 萱番 地
〈明 治41年10月5日
21『
教 育界 』
文會 堂
改 訂 増 補 第8版 の 書 評 〉
第8巻
明 治42年1月1日
第3号
金港堂書籍
紹介批評
⑧人 生 地 理 學
志賀重昂氏閲評
牧 口常 三 郎 氏 著
世 間 か ら好 評 を以 て 迎 へ られ た る本 書 は
今 や 著 者 の訂 正 増 補 を経 て第 八 版 を 出版 せ ら る ㌧
こ と と成 っ て 、余 に も著 者 か ら新 た に一 本 を 恵 まれ た。 今 同 の訂 正 増 補 は 、人 生 地 理 學 本 論 と
もい ふ べ き 第三 編 の諸 章 に増 補 を爲 し、新 た に 第 三十 章 「
人 情 風 俗 地論 」 を加 へ 、又 婁 き に結
論 とあ りし一篇 を 地理 學 絡 論 とな し、地 理 學 の概 念及 び 系統 上 につ い て数 章 を増 され た と の こ
とで あ る。元來 本 書 は人 類 の精 神 的 及 び 物 質 的 の
一283一
方 面 の生 活 、即 ち経 濟 的 、政 治 的 、軍 事 的 、
牧 口常 三郎 著 『人 生 地 理 学 』41の 書 評
宗 教 的 、學 術 的 等 諸 般 の生 活 と地 理 との 關係 を論 じ、一 般 地理 學 に通 ず る原 理 法 則 を説 明 せ ら
る ㌧のが 目的 で 、一 般 地 理 書 とは 、大 に其 の 内容 を異 に して を る。 此 の特 色 が 、大 に本 書 の世
に歎 迎 せ られ っ \あ る所 以 で あ ら う。 乍 序 、本 書 の 出版 につ い て は 、著 者 が貧 苦 と闘 ひ っ \本
書 を大 成 せ られ し堅 忍 不 抜 の精 神 、志 賀 氏 が公 私 の劇 務 を繰 合 せ 永 き 間本 書 閲評 の任 に 當 られ
し恩 情 とは、 雨 氏 が 斯 學 に封 す る熱 心 の絵 りに 出 で た る こ と とはい ひ乍 ら、誠 に學 界 の美 談 で
あ る とい はね ば な らぬ。 聞 け ば 、著 者 は 、 な ほ 、 「日本 人 生 地 理 學 」 「
海 洋 人 生 地 理 學 」 等 に筆
を採 っ て を ら る 』との こ とで あ る。著者 が 健 在 に して 、斯 學 の爲 め に益 々貢 献 せ られ ん こ と は、
余 の衷 心 切 望 す る所 で あ る。 △ 背 皮 ク ロー ス製 菊 版 一 一 四三 頁 △定 債 武 圓七 拾 銭(東 京 市 神 田
匠小 川 町一 文 會 堂 獲 行)(金 倦)
22『
地学雑誌』
第21年 第241号
明 治42年1月15日
◎ 訂 正 増 補 人 生 地理 學
東京 地 學 協會
新 刊紹 介
定債 二 圓七 十 銭
文會堂獲行
著 者 牧 口常 三 郎 氏 よ り本 書 を寄 せ 批 評 せ ん こ と を望 ま る一 見 千 百 四 十 三頁 を包 有 せ る一 大 冊 な
り。 顧 ふ に去 明 治 三十 六年 十 一 月本 書 の公 け にせ らる 墨や 世 の絶 大 な る歎 迎 を受 けた り き。 當
時予 は著 者 と一 面 の識 な く只 其 の書 に よ りて其 の名 を知 り しに過 ぎ さ り し も志 賀 先 生 の 序 辮 と
著 書 の 内容 とに よ りて 心窃 か に我 地 理 學 界 が 此 篤 學者 を得 た る を喜 び た りき。 後 互 ひ に 相識 り
る に及 び そ の 質 實清 節 自 ら持 し一 意 地 學 に 心 身 を委 ぬ る を知 る に 至 りて感 謝 と賛 僻 を禁 ず る能
は ざ る もの あ り。 然 れ ど も これ 著 者 に慮 す る人 格 観 の み乞 ふ左 に本 書 の 内容 を紹 介 せ ん か
緒論
く
ママ ラ
第一章
地 と人 との 關係 の 慨 念
第三章
如 何 に周 園 を 観 察す べ き か
第一編
第二章
観 察 の基 貼 と して の郷 土
人 類 の生 活 庭 と して の 地
第四章
目月 及 星(地 上 現象 の総 原 因 と して)第
第六章
島嘆
第七章
半島及 岬角
第八章
地峡
第九章
山嶽及難 谷
第十章
平原
第十一章 河川
第十二章 湖 沼
五章
地球
第十三章 海洋
第十四章
内海 及海 峡
第十五章 港濁
第十七章
無生物
第十八章
第十九章
氣候
第二十章 植 物
第二編
第二十一章
第十六章 海岸
地人相 關の媒介 としての 自然
動物
太氣
第二十二章
第三編
人類
地球 を舞 毫 として の人類生活現象
第二十三章
社會
第二十四章
社會 の分業生活地論
第二十五章
産業地論
上
第二十六章
産業地論
第二十七章
産業地論
下
第二十八章
國家地論
第二十九章
都會及村落地論
第三十章
第三十一章
生存競争地論
第三十二章
一284一
人情風俗地論
中
文明地論
創 価教育研究第2号
第 四編
地理學総論
く
マ マ 第 三十 三 章
地理 學 の 慨 念
第 三十 五章
地理 學 の名 稻 並 に 人 生 地理 學 の 科 學 的位 置 を論 す
第三十四章
第三十六章
地 理 學 の研 究 法
第三十七章
地 理 學 の 豫期 し得 べ き効 果 及 必 要
人生地理學の獲達
第 一 版 の序 に於 て予 が 師事 す る小 川 理 學 博 士 は 「
其 の渉 猟 の該 博 其 着想 の斬 新 其 の論 断 の 妥 當
亦 浴 々 た る操 触 者 流 の及 ぶ所 に非 る に服 せ り」 と予 は鉱
は著 者 が 如 何 に よ く 自然 と人 生 とを観 察 し之 を 咀囑 し之 を 同化 し以 て 地人 相 關 の婦 着 を求 め ん
とす る に腐 心 せ しか 如 何 に よ く乾 燥 無 味 な り と誤 解 せ られ っ 』あ る 地理 學 を趣 味 津 々 た ら しめ
くママ ラ
ん とす る に苦 拶 せ られ しか に在 り。 而 して 第 八 段 に於 て特 に第 四編 に大 な る追 加 を加 へ られ
た る苦 心 に あ り
由 來 地 理 學 者 の多 くは文 科 よ り出 で し もの は科 學 の知 識 に鉄 くる あ り理 科 よ り出 で し人 士 は
史 的 知識 に 敏 く る所 な きか 本 書 題 して 人 生 地 理 と云 ふ 護 者 或 は著 者 の知 識 が 前 者 に 偏 す る な き
や を疑 ふ もの あ らん 予 は其 の然 らざ るを 信 じ均 し く本 書 を以 て 此 の雨 種 の地 理 學 に 提 供 せ ん と
す る もの な り
著者 予 に 書 を 寄 せ て 云 ふ 「
境 遇 の 關係 上 充 分 の 増 訂 も出 來 不 申云 々 」 蓋 し第 二 十一 章 の 如 き
其一 な らん か これ 君 の 罪 にあ らず 我 が社 界 の 罪 な り鳴 呼 藤 山氏 巳 に あ らず 君 亦 そ の不 遇 を嘆 ず
る な る べ し然 れ ど も君 の 勢 氣 は 日一 日に 肚 な り他 日大 成 の 期 あ るや 必 せ り社 會 亦亦 しか く冷 淡
な る に 非 る べ し。(小 林 房 太 郎 妄 評)
付 記:新 聞雑 誌 の 人 生 地 理 学 の 広告 を見 る と、「
各 新 聞 雑 誌 社 の 公 評 御 申込 次 第 進 呈 ス 」(『日本 』
明治36年11月7日
増 刷 広 告)、 「
各 新 聞 雑 誌 批 評 四 十余 頁 の 冊 子 出 来す 郵券 二銭 御 送 金 次 第 贈
呈 す 。」(『日本』 明 治37年4E3日4版
広 告)と あ り、書評 の小 冊子 が作 成 され て い る こ とが
わ か る。
出版 側 が 重 視 した 書評 は 、 『北海 道 教 育 雑 誌 』、 『信 濃 教 育 会 雑 誌 』 の広 告 で は 、 萬 朝 報 、教
育 実 験 界 、報 知 新 聞 、 日本 之小 學教 師 の批 評 要 旨 を 、『目本 之 小 學 教 師 』、『帝 國 書 籍 新 報 』 の広
告 は 、地 學 雑 誌 、萬 朝 報 、大 阪 朝 日新 聞 、報 知 新 聞 、 目本 人 、 目本 、實 業 之 日本 、 日本 之 小 學
教 師 、慶 応 義 塾 學 報 、帝 國 文 學 の 批評 要 旨 を、『國 民 評 論 』で は 、地學 雑 誌 、東 京 朝 日新 聞 、萬
朝 報 、教 育 時 論 の批 評 要 旨 を掲 載 して い る こ とか ら知 る こ とが で き る。
一285一