「 一枚という次元 / 紙による彫刻」 矢部裕輔 紙による作品は、平面上に絵の具などを用いて即興音楽のような感覚で、実空間にすらすらとドローイ ングするような意識をもち、カッターで切り込み、着彩をしています。 私が素材の質以上に重要視したことは「一枚の紙」や「1 つの箱」といったような形状に関わることです。 基本的にはそれに何も「プラス」するのではなく、また「マイナス」するのでもなく、もともとの形状 をなんとなく思い浮かべられる範囲内で形を変化させ展開させていきます。 例えば鯛の活きづくりは、もとは 1 匹の魚ということが判別できる範囲内で作られます。ここに質量と してのプラス作業はありませんし、マイナス作業でいくらかの内臓などは捨てられますが、もとがまっ たく何かわからなくなる料理ではなく、展開される前の形状が想像できます。こういうことにより作業 の「過程」に無意識の想像が描けるのです。 形状には質量が変化していないのに、そのものが大きく見えたり小さく見えたりすることがあります。 例えば同じ人が黒い服を着たり、白い服を着たりした時に見え方が違うような場合です。また色による 変化だけではなく、形によっても大小にみえる変化があります。元が同じ質量(大きさ)であるのに、 それにかかわる面積や容積が変化して見える。これは周りに見える空間が違って見えるということとも いえます。古い日本庭園などに見られる手法は、このようなことを最大限に利用しています。おおまか にいえば借景がそうです。庭の石組や植木を通り越して、その先に見える山や森などの風景も「つくり」 の一部とすることにより景色が大きくみえる。これは実空間における領域が変化して「みること」がで きたということです。これは聴覚に関わることですが、空間は音にも存在します。相撲の拍子のタン タ ンタン…という音は、鳴っていない部分(余韻 間隔)があってはじめてリズムとして成立します。こ のようなことが日常の中に多く存在して、深層心理にはたらきかけています。またこのようなことを日 常のさまざまな場面に取りいれていることは日本の文化的特徴ともいえます。 人工的に、そして意識的につくられた余白や空間ではなく、もともと存在していた空間領域が作品によ って現れるということ、ものにはそんな人間の意識(意志)とは別に存在している領域のかたちがあり ます。それは本質にせまる過程上でいくつものかたちをとりながら現れます。ある一側面からいえば、 完成(作品化)ということは物事(答え)を限定してしまうことによって他を切り捨てていくというこ とでもあります。そういう意味では作品化とは、ぎりぎりのところでこのような危険をはらむというこ とともいえます。多くの条件の中から物事を限定(作品化)していくのではなく、限られた条件や状況 の中から展開していく、本質にせまる過程上というものはこのような一部があるということです。 (2007.10 やべ ひろすけ)
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