陳述書写し(請求者)(甲号証)

甲第 タ 号証
陳
述
書
平成 │『年 +1月)0日
ー
住所)受 節 県 当祐 キ 表 、
集 球 ユ 中― │(A)
磁 )h鳳
醐 輸
第 1当 事者
1 私
は、平成 12年 1月 31日 に 出日徳 久 と婚姻 し、平成 12年 8月 9
日に長男裕 大郎 (以下、 「
裕大郎Jと いい ます。)を 出産 しま した。
山田徳入 とは平成 13年 12月 25日 に離婚 が成立 し、私 が裕 大郎の
親権者 と定 め られ ま した。
離婚後、私 は裕 大郎 を連れて実 家 (愛知県豊 橋市弥生町字西豊 和 11
4番 地 の 2)に 戻 り、実 家 で父の井 上五 郎、母 の井 上れ い子及び兄の井
上 大介 とともに暮 らして い ま した。
父は以前か ら豊 橋市民病院で医師 として働 い てお り、母 は専業主婦で
あ り、私達家族 は主 に父 の収入で生活 していま した。ただ し、母 は家事
をほ とん どせず 、何 も しないで一 日中テ レビを見てい ることが 多 くあ り
ま した。
兄は、一 時期 は名 古屋で胸 い て い た ものの 、す ぐに仕事 を辞 めて しま
い 、平成 15年 末頃に実家 に戻 つて きま した。それ か らは全 く働 くこと
もな く部屋 に縫 もって い ま した。
第 2 裕 大郎 の拘束 に至 る経緯
1 平
成 1 6 年 8 月 頃、父 と母 との不 仲 が原 因 とな り、父 は一 人で勤務先
の病院 の官合 ( 愛知県豊橋市 束小鷹 野 二 丁 目4 番 地 の 1 ( A ) ) で
暮ら
し始 めま した。私 は比較的父 と仲が 良かった こ ともあ り、もともと母 と
兄 との 関係 は 良 くあ りませ んで したが 、この頃か ら特 に私 に対す る母 と
兄 の態度 が冷 た くな りま した。
平成 16年
12月 末頃、私が外 出先 か ら帰 る と、突然 、私 の持 ってい
る鍵 では ドアが 開 かない よ うに されてお り、私 は建物の 中に入れ な くな
りま した。私 が どれだ け頼んで も母 と兄は私 を 中に入れ よ うとしませ ん
で した。私 は裕 大郎 を残 して外 出 していま したので 、裕大部 を渡 して く
れ と頼 んで も拒絶 され ま した。
その 日か ら私 は実 家 で暮 らせ な くな って しまったので、やむ を得ず父
の官合 で生 活 し始 めま した。それか ら再三 にわた り母 と兄 に対 して裕大
郎 を渡 して くれ と頼 みま したが 、母 と兄 に拒 絶 され続 けま した。それ ど
こ ろか、母 と兄 は裕 大郎 を外 に 出 さな い よ うに して 、私 と裕大郎 が顔 を
合 わせ ることさえ も妨害 し続 けま した。
平成 17年 2月 末 頃には、私が実 家 へ 行 つて ドアを叩き、出てきた兄
に裕 大郎に一 目だ けで も会わせ て欲 しい と懇 願 した ところ、兄か ら突然
殴 る蹴 るの暴行 を受 けま した。私 は困 り果 てて児童相談所 に相談 しま し
たが 、親族 間 の 問題 なので話 し合 って解 決す るよ うに と言 われて しまい
ま した。
同年 3月 中旬 頃 には 、父 、伯父夫婦 (父の兄夫婦)、伯母 (母の姉)
の 5人 で連れ 立って 、母 と兄 と話 し合 うために実 家 へ行 きま した。私達
が外 か ら呼びか けて も無視 され たため、何 とか して建 物 の 中に入 ろ うと
した ところ、今度 は兄 が金 属 バ ッ トを持 ち出 し、私達 に殴 りかか っ てき
そ うにな りま した。私達 は驚愕 して逃 げ出 し、警祭 を呼びま した。 しか
し、駆 けつ けて きた警察官 に事 情 を説 明す ると、親族 間 の 問題 な の で警
察では介入 で きない と言 つて 帰 っ て しまいま した。
私 はやむな く父 とともに上記 官合 で生 活 し続 ける こと とし、平成 17
年 6月 には 、私 と裕 大郎 の住 民票 だけは同住所地 へ移 しま した。
2
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第 3 裕 大郎 の拘束後 の状況
1 私
は、兄 が金属 バ ッ トを持 ち出す な ど粗暴 な性格 であるこ とや 、母 と
兄 とが精 神 的に不安定な状態 にあることか ら、裕大郎が暴行や 虐待 を受
けて い るのではないか と心配 にな り、児童相談所 に改 めて相談 しま した。
しか し、児童相談 所 では、裕大郎が虐待 されてい る証拠 が な い 限 り、児
童 相談所 が介入す る こ とはできない と言われて しまいま した。警察に も
再度相談 しま したが 、ゃ は り親族間 の 問題 なの で警祭 は介入 できない と
言われて しまい ま した。
2 そ
の後様 々 な機 関 に相談 した ところ、家庭裁判所 での調停 を勧 め られ
たので 、平成 1 7 年 3 月 末頃、弁 護 士 には頼む ことな く、私 1 人 で 、母
と兄 に対 して裕 大郎 の 引 き渡 しを求 めるた めの調停 を名 古屋 家庭裁判
所豊橋支部 に申 し立てま した。
3 調
停 が 開 かれ る と母 は一 度 も出頭 して来ず、兄だ けが出頭 して きま し
た。 しか し、兄は調停上で 「
私 に裕 大部 を渡 して しま うと自分達が裕 大
郎 と会 えな くな って しま うJ な どと主 張 して 、裕大郎 の 引き渡 しを拒み
続 けま した。
4 そ
の後、裁判 所 の説得 によ り、兄 は次回 の調停期 日に裕 大郎 を連れ て
来て、私に一 日だ けで も合わせ て くれ る と約穴 しま したが 、約束 の期 日
になると裕大郎 を連れて来ず 「
絶対 に裕 大郎は渡 さない J と 言 い 出 しま
した。そ のた め話 し合 いで は解決 で きる見込みがない とい うことで 、平
成 1 7 年 8 月 頃 に調停 は不調 で終 わ りま した。
5 こ
れ以 降、母 と兄 とは全 く話 し合 うこ ともできず、連絡 も取れ ない状
態 が続 い ています。また 、私 はたびたび 実家付近 へ様子 を見 に行 きます
が 、実家は いつ もひ っそ りと静ま りかえってい ます。私が裕 大郎 を強引
に連れ 戻す こ とを警成 してい るた めだ と思いますが、母 と兄は裕 大部 を
ほ とん ど外 に 出 してい ない様子で あ り、裕 大郎の姿 を一 目見 るこ とさえ
できませ ん。
ダ
第 4現 在 の状況等
1 母
と兄 は現在 も働 いてい る様子 がな く、父が官合 で暮 らす よ うにな っ
てか ら一 時期 は父 の仕送 りで生活 していま したが、平成 17年 4月 頃に
父が仕送 りを止 めたので 、それ までの貯金等 で生活 してい るであろ うと
思 い ます。
2 母
と兄は近所 づ きあい もな く、日中 も殆 ど外 出す ることのない生 活 を
送 っ てい るよ うです。また 、上 述 の とお り、裕大 部 を連れ 戻 され ること
を警戒 してい るためか 、裕大郎 を極力 家 の 中に閉 じ込 めてお り、裕 大郎
が公 園等 で遊 んでい る姿 を見か けた とい う話 も聞 い た こ とがあ りませ
フ。
ム
3 裕
大郎は平成 1 6 年 当時 には幼稚 園 の年少組 に通 つ ていま したが 、そ
の後、母 と兄 が幼稚園 を退 園 させ て しまった ため、そ の後 は どこの幼稚
園 に も通 つてい ませ ん。 したがって 同年代 の友達 もで きて い ませ ん。
4 そ
れ ばか りか 、裕 大郎 は来年 4 月 に小 学校 へ入学 しなけれ ばな らず 、
私 の元 へ入学手続 の書類 が届 い ています が 、母 と兄が一 切連絡 に応 じな
いの で入 学手続 を取 ることがで きませ ん。この ままでは裕 大郎 は小 学校
へ通 うことがで きませ ん。
5 母
と兄が 2 人 とも精神 的 に不安 定 な状態 にあるこ とは 間違 い あ りま
せんので、私 は 、裕大郎が果行等 の虐待 も受 けてい な いか と心配 でたま
りません。
6 私
は現在 も父 とともに上記官合 で生活 してお り、豊橋元町病 院 で言語
聴覚 士 として働 い ています。父 も可能な限 りの協力 を約 束 して くれて い
ます の で 、一 日も早 く裕 大郎を連れ戻 し、小学校 に通 わせ て あげて 、普
通 の子供 として育 ててあ げた いです。
以上
4