1 ~モンテンルパ刑務所から天国に旅立った梶佐古兄~ 加村いずみ姉

~モンテンルパ刑務所から天国に旅立った梶佐古兄~
加村いずみ姉は11-12年前、MJCC がモンテンルパ訪問を始めた頃初めて梶佐古兄に会いました。
当時は所内の1人1人を訪ね、聖書の学びに誘っていったのですが、彼は持っていったお弁当を黙って
受け取るだけで学びに来ることはなかったそうです。昨年加村姉がご主人清治兄とご一緒に刑務所慰問
に“復帰”するようになって、以前とは”変貌“した梶佐古兄と再会しました。いずみ姉はこのようにこの1年
間の梶佐古兄のことを表しています。”彼は、訪問日を楽しみにしてくださったのでしょう。いつも入口の門
の所で他のメンバーの方とともに待っていてくださいました。学びを重ねるにつれ、彼の顔はおだやかに、彼の
目はやさしくなっていきました。学びの時を楽しんでみ言葉を心に蓄えて下さっているようでした。その背後
には、先にクリスチャンとなった兄弟たちが彼に働きかけ、主にある愛を示し続けたからでしょう。…毎月の
学びの後のランチのメニューを考え、料理することは私にとって幸いな時です。6人の男性がものも言わず、
子供のようにごはんをほおばる姿はほほえましいと思うのと同時に、彼らの置かれている状況は食事や環
境を含めて想像するに余りあるものであることを覚えるのです。”梶佐古兄は心から加村兄姉が用意してく
ださった一つ一つのお料理を楽しんでおられました。昔の頑くなな閉ざした態度はなくなり、心を開き家族
のような親しさで接してくれるようになりました。主が心を変えて下さったのです。
いろいろな方法で人間は創造主である神様に思いを持つように導いてくださいます。そのことに気が付
いておられたのが松谷兄です。お二人は収監されている寮の建物が同じで、この1年、特に入院する2
か月前までは毎晩のように一緒に語る時間が与えられていました。梶佐古兄の心の変化をこのように表し
ています。
“…梶サンは、あれ程キリスト嫌いと云われた人が…少なくとも6か月ぐらい前から、MJCC の皆様が月
一度学びと交わりの会に必ずや予定通りにお見えになることを彼は待ち焦がれるようになったのです。でも
キリストを信じます…とは言い出せなかった時に病気に没りました。病気になったからキリスト様を信じたの
ではないのです。もうその数か月前からすでにその徴候は私は感じていました。でも彼はイゴッソ(土佐の
男性)なので素直に「はい」とは云えない(云わない)人でしたから…”
梶佐古兄にとって一番気がかりなのは、二人のお嬢さんのことでした。複雑な手続きを終えてはじめて
日本の戸籍に入っていることを戸籍謄本で確認できたときに、今まで一度も人前でみせたこともない涙を
流したと松谷さんは語っています。“若い頃から、ヤクザの世界を歩いていたひとで、人一倍、見栄とツッパ
リで生きて来たひとですから…涙などとはほど遠い人でした。「二人の娘の前でもうこれ以上バカな真似は
出来ないよね、松ちゃん!」”と言ったのです。そして、神を真剣に求めだしたのです。
“最後まで彼らしい、気遣いを忘れず、苦しんだり、痛がって周りを不安にさせることなく、ゆっくりと静か
に眠りについたのです。彼は覚悟しきって、死に赴いたと、その姿を横でみていて、私は確信できました。”と
松谷兄は彼の最期のことを語っています。
末期の癌にもかかわらず、主は十字架でその痛みさえも負ってくださったことを覚えます。我慢ではなく、
主の愛の御手が最後まで兄弟を支えて天に召してくださいました。そして、医療的に環境的には非常に乏
しい刑務所病院の中でもお嬢さんたちが毎日のように来て、日本人のクリスチャンの兄弟やフィリピン人の
仲間が頻繁に身の回りの世話や励ましに来てくれるような暖かい光景がありました。
この10数年、奉仕者は変わってもみ言葉と主の愛を携えて教会として続けてこれた慰問における主
の恵みに感謝し、種まきをする大切さを私たちは教えられています。
1