東京ジャーミイ金曜日のホトバ 2015 年 8 月 14 日 死 ムハンマド 親愛なるムスリムの皆様。クルアーンの「誰で 念碑のように飾り立てます。墓地への訪問はそこに も皆死を味わうのである。」(イムラーン家章第1 眠る死者のためではなく、訪問者が警告を受け取る 85節)という句は、死が逃れることのできない事 こと、死を思い起こすために許容されているという 実であること、を思い起こさせます。この句の意義 ことを認識しておくことも意義があるでしょう。 は、既知の事実を繰り返すことではなく、死に対し 親愛なる兄弟姉妹の皆様。死に関する憎悪を帯 備えるよう、警告を与えることでしょう。預言者ム びた言葉については、地獄を恐れるようにそれを遠 ハンマドは次のようにおっしゃられました。「快楽 ざける必要があることを忘れてはいけません。死の を消し去ってしまう死を、 天使であるという理由でア よく想念しなさい」 ズラーイールを非難するこ 別のハディースでは、墓 と、鎌を手にしたような醜 にいる人々を思い起こすよ い絵にしたてることは、ム う求められています。「死 誰がそれをもたらしますか スリムにはふさわしくない と、死後には骨も体も腐っ 行為です。「アズラーイー てしまうことを思い起こし ルは彼の命を誤ったところ なさい。来世を求める者は、 で奪った。」とか、「彼は 現世での装飾を放棄す 今アズラーイールと戦って る。」 いる。」といったような言 ムスリムの皆様。死を、 葉は、ムスリムが決して口 無になること、終焉を迎えること、と見なす人は生 にしてはいけないものです。 の意味をも知ってはいないのです。そういう人にと そうです、死の天使は私たちをどこで待ってい って、生とは適当な玩具のようなものです。墓場と るかわかりません。そのため私たちは、あらゆる場 は闇に続く扉であり、人の最期とは、愛する者との 所で死を待ちましょう。この聖なる旅路への用意が できていますか?昨日食べたおいしい料理、昨日過 全体規則) 二度と出会うこともない、別離のようなものです。 可能な限り、その生活から死を追放しようとします。 ごした楽しい時間は、今日には何の価値もありませ このために、来世を信じない人の魂は、苦痛の中に ッラーが皆様にこの意識を与えられることを願い、 あるのです。このような人にとって何が慰めになり 今日のホトバを次の章句で締めくくりたいと思いま 得るでしょうか。人が、その死後は一掴みの土にな す。「あなたがた信仰する者よ、アッラーを畏れな ってしまう、ということを考えるのは、無情なこと さい。明日のために何をしたか、それぞれ考えなさ ではないでしょうか。人は死後、与えられていた恵 い」(集合章第18節) OF ISLAM IS EASY 死を思い起こす全てのものから遠ざかろうとします。 ん。明日に残るのはただ善行、もしくは罪です。ア みや、託されていた信託などによって審判を受け、 報奨もしくは罰を受けるため、天国もしくは地獄へ と送られるのです。 近代化した都市では、墓場は人を不快にしない ほど遠くに造られるようになりました。墓の中を天 国の庭とすることを考えられない人たちは、墓を記 www.tokyocamii.org
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