絵本が子どもに伝える 高齢者のこころとすがた (1)

小島 喜孝
されてきた。ここでは産業構造の変容と
過密過疎の同時進行に伴い、高齢者と子
いない。そこでまず、高齢者と子どもと
どもとの関係については目が向けられて
合に注目するものであって、高齢者と子
本の総人口に占める子どもと高齢者の割
数が増える一方だというものである。日
子どもの出生数が減る一方、逆に高齢者
「少子高齢社会」
、このことばは、すっ
かり世の中に定着している。
その意味は、
を伝え、ときには親からの厳しい叱責か
やわざ、あるいは戦争体験などの自分史
た。子どもにとっては、家庭内部で知恵
関係が切り離されていく過程でもあっ
進むことによって、高齢者と子どもとの
的労働への進出に伴う子育ての社会化が
われていた時代から、女性・母親の社会
は、子育てが家庭内部で自己完結的に行
しなくなったことが問題視される。それ
や「引きこもり」問題が沈殿していった。
と に よ っ て 自 己 を 守 ろ う と す る「 非 行 」
秩序に耐えられず、そこからはみ出すこ
なく、それを背景にした「家庭の学校化」
「評価」のまなざしにさらされるだけで
進展に伴い、子どもたちが学校でつねに
高齢者と子どもの関係
の関係に目を向けるとどのような問題が
らの「逃げ場」となっていたお年寄りの
このような、高齢者と子どもを家族生活
どもが同一家族・世帯として生活を共に
あるかを考えてみよう。
機能を失う過程でもあった。
核家族化のなかで
から切り離していく高度経済成長社会が
1991 年、保育園、中学校と合築した高齢者施設マイホームはるみ
が東京都中央区晴海に開設された(図は同ホーム HP より)。
「 核 家 族 化 」 の 深 部 で は、 競 争 社 会 の
家族問題として「核家族」問題が注目
ゆたかなくらし 2015 年 1 月号
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絵本が子どもに伝える 高齢者のこころとすがた (1)
特集
子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい
化 や 地 域 交 流 と と も に、
「子ども向け高
みとして、高齢者と子どもの施設の近接
どうみるか、その現実と期待をつなぐ試
状況への問題意識は、子どもが高齢者を
どもに高齢者(お年より)の世界をわか
ところで、およそこれらの出版文化に
は二つの分野がありそうだ。一つは、子
うなことをあらかじめお断りしておく。
あり、ここに紹介する本だけではなさそ
著者がほかにも刊行している絵本などが
示す。訳者の翻訳趣旨が、本稿が問題に
家族を幸せにするための二十一カ条」を
りられた本の奥付をみると、それぞれの
齢者理解」を企図する出版文化にもあら
りやすく知ってもらおうという物語。も
するところと同趣旨なのだ。このように
子どもの成長発達にも深刻な影をおとす
われている。
う一つは、子どもたちに主として高齢者
いう。「子育てや子どもの教育問題を扱っ
子ども向け高齢者関係出版文化
を介護することはどういうことかを理解
た本は書店に行けばいくらでも見つかる
……。でもおばあちゃんになる心構えや
孫への接し方を教えてくれる本は聞いた
齢者関係本」はさほど多くない。
れ行きが厳しいなかでも「子ども向け高
2 0 0 0) は、「 お ば あ ち ゃ ん に な る の
ドン・エルギン著、荒木文枝訳、求龍堂
あ ち ゃ ん に な っ た ら 』( ス ゼ ッ ト・ ヘ イ
冒頭から直接子どもを念頭においた作
品 で は な い 本 の 紹 介 で 恐 縮 だ が、『 お ば
そ の 通 り で、「 核 家 族 化 」 の 進 行 に 対
するオルタナティブ(もう一つの道)と
り抜け落ちています」(訳者あとがき)。
と成人した子どもたちとの関係はすっぽ
係ばかりで、祖父母と孫の関係や祖父母
高齢者の世界をあたたかく描く本
してもらおうとする書物。
ここで「子ども」というとき、その年
代はおよそ幼児期、小・中学生(ときに、
高 校 生 ) を 念 頭 に 置 い て い る。
「子ども
向け」の本は、だいたい、漢字にふりが
インターネットで検索したそれらしき
本を公立図書館から借りて、ここでそれ
は喜ぶべきこと……、おばあちゃんに対
して子ども向け高齢者理解出版は貴重で
ことがない。……問題になるのは親子関
らの本が、高齢者をどのように描き、子
する誤解を解き、三つの基本的主張をす
ながふってある。世の中、書籍出版は売
どもたちにどのようなメッセージを送っ
ある。
大 好 き 』( リ
るため」(著者はしがき)として、歳をとっ
ているかをみてみたい。子ども向けの高
ア メ リ カ の『 わ た し
て か ら の 固 有 の 役 割、「 お ば あ ち ゃ ん が
齢者関係本が少なさそうといっても、借
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の絵本の使い方」
)
。この絵本読みを楽し
て、読んでみようと声をかけます」
(
「こ
この絵本をふたりのひざの上にひろげ
あなたのひざを、くっつけます。そして
「 並 ん で す わ っ て、 認 知 症 の 人 の ひ ざ と
2006)
も直接子ども向けではないが、
フ リ ー マ ン 絵、 み ら い な な 訳、 童 話 屋
デ ィ ア・ バ ー デ ィ ッ ク 作 / ジ ェ イ ン・
うフレーズで繰り返される。
が、「 わ た し は …… が 大 好 き で す 」 と い
す」(同、読者の方に)。すべてのページ
世界に至るのだと感じることがありま
しずつ取り除いていって、ついに清明な
暮らしていると彼らは人生の夾雑物を少
氏は言う。「『ぼけ』ゆく人たちとともに
て下さい、というのがこの絵本のねらい
「 わ た し は あ た た か い お 風 呂 に は い っ
んで、一緒に有意義なときを過ごしてみ
である。作者はアルツハイマーの母親を
介護して、子どもの絵本には老いゆく姿
プホームに入居する自分の母の日常を4
コマ漫画で描いたユニークな高齢者理解
の本である。ペコロスとは、頭がはげた
著者の「小たまねぎ」を意味するペンネー
ムのようだが、酒乱だった父親とのこと
者の目を通した認知症の母親がとてもす
や母親の幻想、少女になった母など、著
大好きです。」「わたしは お日さまがし
ずんでいくのを見るのが大好きです」な
て か ら だ を あ ら う の が 大 好 き で す。」
「 わ た し は 窓 べ の 花 に 水 を や る の が を描く絵本がないことに気づき、自分で
母と読む絵本を作った。監修者の小澤勲
てきだ。これは、著者自身の心の窓が認
子ども向けの心あたたまる高齢者絵本
知症の母をそう見させている。
どなど。
身近な生活情景の中で自分が好きなこ
と、これを声を出して語るという作業の
中で、認知症の方の心の中には自己否定
『 お じ い さ ん の い え 』( 植 垣 歩 子 作 /
絵、偕成社、2010)は、ずっと前に
や憂鬱ではない自己肯定感・清明な世界
が広がるのではないか。
もいっしょにしてきた奥さんを亡くした
畑仕事も牛の世話もリンゴの木の手入れ
『ペコロスの母に会いに行く』(岡野雄
一著、西日本新聞社2012)は、グルー
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い く つ か ひ ろ っ て み よ う。「 わ た し は 顔をお日さまに向けるのが大好きです。」
特集
子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい
か 良 く で き て い る。 九 歳 の 女 の 子 ア ス
た「ここはシャスティンおばあちゃんの
部屋のドアにはアストリッドと妹が作っ
に暮らすようになった。おばあちゃんの
ト リ ッ ド を 主 人 公 に、 働 く マ マ と シ ャ
部屋です。どうぞお入りください!」と
ノルディック出版2006)は、なかな
ス テ ィ ン お ば あ ち ゃ ん が 主 な 登 場 人 物。
ろいろな場面に出会うが、それはみな動
り、ある日1匹の飼い犬と旅に出る。い
か村の人たちと笑い合うこともなくな
おじいさんが、さみしくて、いつの間に
「 5. 世 界 中 で 一 番 や さ し い お ば あ ち ゃ
ンチンカンなことをするおばあちゃん」
が 大 ぼ う け ん を し た 時 の こ と 」「 4. ト
ん の お か し な 病 気 」「 3. お ば あ ち ゃ ん
の 話 か ら 入 り な が ら、「 2. お ば あ ち ゃ
ママやおばあちゃんが子どもだったころ
徊の大冒険やトンチンカンをするおばあ
の葛藤する内心を提示する。そこから徘
うに見えて、実は悲しいのだというママ
い ま す 」 と、「 邪 魔 者 」 扱 い し て い る よ
でも「ほんとうはママは悲しいんだと思
り返すので、ママはイライラしはじめる。
おばあちゃんは昔のことはよく覚えて
いる。しかし食事中も同じ話を何度も繰
いうプレートがかかっている。
物たちが暮らす家。さいごにリンゴの木
ん」という構成で子どもがおばあちゃん
ちゃんの話に進み、認知症高齢者にみら
「1.おばあちゃんは、ママのお母さんで、
が見える、そこはかつて暮らしていた場
をどのように受け止めたらよいかを描
はじめは小さい女の子だったなんて」で、
所。おじいさんはもう1度家を作ること
る。例えば、おばあちゃんはかつてホー
れる「思い込み」の世界が繰り広げられ
はなく動物たちのすみかとの出会いを通
ム ヘ ル パ ー の 仕 事 を し て い た。「 お ば あ
く。おじいちゃんが亡くなってから一緒
して、生きていることは家という居場所
ちゃんは、時々、自分が働いていた、も
にした、というお話。旅に出て、人間で
があることだと感じさせてくれる。
う一つの仕事場にいると思っていること
げる歌 にんち症と共に生きる』
(アン
ナ=レーナ・ラウリーン〈文〉
、ネッテ・
た時に、おばあちゃんがこうたずねまし
おばあちゃんが三人で家のおそうじをし
もあります。……ある日、ママとパパと、
スウェーデンの『おばあちゃんにささ
ヨ ワ ン ソ ン〈 絵 〉
、 ハ ン ソ ン 友 子〈 訳 〉
、
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るのよ』
……
『病気になる前のおばあちゃ
こっていることが、分からなくなってい
はこのように示す。
「
『自分のまわりでお
を子どもがどう理解したらよいかをママ
生活を共にするなかで生じるさまざま
なズレや困りごとを描いたあと、それら
にきていると思っているんです。
」
できない年寄りで、私たちの家に手伝い
おばあちゃんは、わたしのパパが家事の
とも、次の家に行く時間ですか?』……
『 …… そ う じ き を か け ま し ょ う か。 そ れ
た。
『 さ あ、 次 は 何 を し ま し ょ う 』 ……
後 半 の 解 説「 ア ル ツ ハ イ マ ー 病 を 知 ろ
すると、少なくとも小学生後半であろう。
イマーの子ども向け解説という構成から
いないが、前半は物語、後半はアルツハ
向き合う絵本。ベンの年齢は明示されて
なったおじいちゃんにベンというぼくが
出 版 2 0 0 7) も、 ア ル ツ ハ イ マ ー に
ア作/絵、杉本詠美訳、アールアイシー
オーストラリアの『おもいではチョコ
レ ー ト の に お い 』( バ ー バ ラ・ マ ク ガ イ
示する一つのモデルといえる。
症高齢者に子どもがどう向き合うかを提
気持ちをともにリアルに描きながら認知
いいます。……アルツハイマー病になっ
らしさのことを『アイデンティティ』と
……」 で は、「 そ の ひ と だ け が も つ 自 分
切 な ひ と 」 で 終 わ る。「 た っ た ひ と り の
か た 」「 い つ ま で も、 た っ た ひ と り の 大
を も っ て 」「 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の と り
「だれかとつながっていたい」「思いやり
れるということ」「幻想、幻覚、つくり話」
ると」「むかしのことはおぼえている」「忘
た こ と、 以 下、「 ア ル ツ ハ イ マ ー 病 に な
か ら き て い ま す。」 か ら は じ ま り、 米 国
に行ってしまう』という意味のラテン語
ン シ ャ』 と い う こ と ば は、『 心 が ど こ か
たらおばあちゃんみたいになりたいと
に 言 い ま す。
」 ……「 わ た し が 年 を と っ
しくしましょう』とママは、わたしたち
けがえのない大切なひとであることに
なのか、よく考えてください。それがか
す。でも、仮面のむこうにいるのがだれ
たひとは、病気という仮面をつけていま
のレーガン大統領もこの病気と診断され
んを覚えるようにして、おばあちゃんが
う 」 で は、「 認 知 症 を あ ら わ す『 デ ィ メ
思っています。でも、できたら病気には
は、いつだって変わりはないのです。」
授、権利擁護センターれんけい理事)
〈以下次号〉
(こじまよしたか/元北海道教育大学教
なりたくありません。これがわたしのお
ばあちゃんのお話です。
」
これも九歳の子どもの本音だろう。こ
の絵本は、このように高齢者と子どもの
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いろいろわすれても、がまん強く、やさ
特集
子どもと高齢者―そのかかわりあいとまなびあい