■ショスタコーヴィチ/交響詩「十月革命」 「十月革命五十周年を迎えようとしている今年は、わたしにとって創作的⾼揚をつよく 感じる年である。かくべつの喜びをもってわたしは交響詩「十月」の仕事にとりかかってい る。それには、祖国を誇らしく思う自分の感情、その偉業におぼえる歓喜が込められている」 (レフ・グリゴーエフ、ヤーコフ・プラテーク編『ショスタコーヴィチ自伝―時代と自身を 語る』ラドガ出版所、日本語訳より) 。1967 年にこの文章をしたためたとき、ショスタコ ーヴィチの健康は必ずしも良好ではなかった。前年、還暦の誕⽣日を迎える直前に⼼筋梗塞 の発作を起こし、2年後には⼤好きなサッカーの試合を観戦するところまで回復するもの の、病院にいる時間がだんだんと⻑くなり、歩⾏もしだいに困難になっていく。 しかし、彼の⾔葉には創作への強靱な意志が現れている。革命の記念年は 10 年ごとに新 しい作品を書くことがソ連の作曲家にとっての義務ではあったが、こうした病状にあって も、ショスタコーヴィチにとって、十月革命五十周年記念のための作品を書きたいという衝 動は強いものだった。モスフィルム映画製作所で自分が以前に音楽をつけたワシーリエフ 兄弟の古い映画『ヴォロチェーエフ堡の日々』の公開準備が進められていて、その中の自作 「パルチザンの歌」を聴いたことが「これから先につくるべき交響詩をはっきりさせてくれ た」 (同)のだという。その結果、 「パルチザンの歌」を第2主題としたこの交響詩が出来上 がった。初演は同年 9 月、息子のマキシムが指揮をした。 交響詩とはいうものの十月革命の具体的な情景を表したものではない。また、単に政府の 宣伝として書かれたわけでもない。十月革命はショスタコーヴィチにとって、新たな自由社 会を作るという理想を象徴する出来事だった。暗から明へという構成の、典型的な革命歌の 調子による交響詩で、新しく作られた第1主題と「パルチザンの歌」による第2主題による。 華やかなクライマックスをもつ音楽である。 解説 音楽学者 白石美雪 ※掲載された曲目解説の許可のない無断転載、転写、複写は固くお断りします。
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