■ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第 1 番 ヴァイオリン協奏曲第 1 番は 1947 年から 48 年にかけて作曲されたが、初演は7年後、 つまりスターリンの死後2年を経た 1955 年までじっと待たなければならなかった。じつは この曲を作曲しているさなか、ショスタコーヴィチは共産党の中央委員会が出した決議で 「形式主義的」と批判され、まもなく中央検閲局は彼の交響曲第 6 番、第 8 番、第 9 番な どを演奏中止処分とするリストに掲載したのである。オラトリオや合唱曲、映画音楽でソヴ ィエト的な題材、あるいは大衆のための作品に限定することで、何とか批判の矛先を逸らそ うとした彼は、ユダヤ人への共感を秘めたこの協奏曲については発表をひかえたほうが良 いと判断したのだろう。53 年に交響曲第 10 番を初演し、楽壇から喝采をうけたあとで、よ うやくこの協奏曲を公にする。オイストラフが独奏し、ムラヴィンスキーがレニングラー ド・フィルを振った初演は大成功。以後、彼の協奏曲の中でも演奏機会の多いものとなった。 4 つの楽章はおのおの独⽴した楽曲を集めたような形態をもっている。 「夜想曲」と記さ れた第 1 楽章モデラートは導入部をもった三部形式。半音階的な音程を多く含んだメロデ ィが、全体にくすんだ色調と瞑想的な雰囲気をもたらしている。アレグロによる第 2 楽章 「スケルツォ」は、自分の名前を象徴する音名を織り込んだ軽妙な楽章。この音名象徴DS CHが体制への抗議の象徴であったことが、今では明らかになっている。三部形式で、中間 部はユダヤ舞曲の引用となっている。独奏ヴァイオリンが華麗な技巧を披露するコーダで 終わる。第 3 楽章「パッサカリア」 (アンダンテ)は主題と 8 つの変奏からなり、最後に⻑ 大な、技巧の限りを尽くしたカデンツァがある。休みなく、続いて演奏されるアレグロ・コ ン・ブリオの第4楽章「ブルレスケ」は、ロンド形式のフィナーレ。2 つのエピソードが挟 まれ、第 2 のエピソードでは第 3 楽章のパッサカリアの主題もすがたを現す。激しい掛け 合いによるプレストのコーダで曲が閉じられる。 解説 音楽学者 白石美雪 ※掲載された曲目解説の許可のない無断転載、転写、複写は固くお断りします。
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