1 <「校長室便り」50> 後生畏るべし 文化祭が終わった。既に本校HPに

<「校長室便り」50>
後生畏るべし
文化祭が終わった。既に本校HPにも記事と写真が掲載
されているが、私なりに感じたことを述べてみたい。
一般公開の二日目、歩いていると生徒たちから声をかけ
られ、何々を見に来てくれと言われる。言われてしまうと
一度見たものはともかく、行かなくては申し訳ないような
気になる。音楽部の生徒にも声をかけられ、こんな演奏会
をしますからぜひ来てくださいと言われた。
それで慌てて昼食を済ませ、行ってみると
出演者はピアノ(2名)とビオラとチェロだ
った。ピアノの一人が男性で他は女性、女性
たちは本校の生徒で顔にも見覚えがあった。
しかし、男性はプログラムの経歴をみてもど
こに所属しているかなど書かれていない。唯、
著名な音楽家に作曲やピアノを習い、第5回日本バッハピアノコンクールで2位入賞と
ある。
独奏では、それぞれ曲の一部だが、バッハ、ベートーベン、ドビッシーを弾いた。か
なりのものだ。歳もわからないが、まだ若手、20代の新進演奏家かなと思った。唯、
演奏の後聴衆に挨拶する様子などには大分ぎこちなさが感じられた。後で音楽部顧問に
あの男性ピアニストは本校の卒業生ですかと聞くと、いや在校生です、ということだっ
た。私は思わず聞き返してしまったのだが、これには驚いた。
音楽は書や美術と違い若くして才能を発揮することが多いし、そうでなくてはそれな
りの演奏家や作曲者、指揮者等にはなれないのだろう。だから高校3年生にしてこれだ
けの技量であることは、音楽の世界では特に不思議でもないことかもしれない。しかし、
このような生徒が本校にいることに私は驚いてしまった。
同時に、生徒諸君によく「教訓を垂れる」自分を振り返った。
「教訓を垂れる」ことは
立場上、また教員とい う職業上仕方ないこと だ。大変謙虚に、たま には皮肉交じりに、
「私は先生方のように人に教えられるほどの人間ではありませんが、
・・・」などと言わ
れて戸惑うことがあるが、私たち教職にある者も自分が人に教えを垂れるほどの人間で
はないことはよく自覚している。しかし、立場上、あるいは職業上そのような言動を取
る。
それでも、このような生徒を見ていると、この生徒が今までにどれだけの努力を重ね、
今またそうしているかと思い、一方自分が「教えを垂れる」だけのことをして現在生き
ているのかと自問してしまう。
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次は文化祭1日目のことである。今日の内にでき
るだけ校内を回っておこうとまだ準備が整っていな
い教室も含め、1号館から2号館、講堂からアリー
ナまで歩いてみた。1号館5階の作法室を覗いてみ
ると、講師であるお茶の先生と目が合ってしまった。
公開前日のことではあり、お客は誰もいなかったが、
どうぞ一服と中に招じ入れられ、しかも正客の席に
据えられてしまった。
やがて女子生徒が亭主になってお茶を点ててくれたのだが、お茶の飲み方も怪しい自
分が恥ずかしかった。後で先生方や部員と話したが、その中に一人男子部員がいて付属
中の時からやっているのだと言う。また家でもお母さんとおばあさんがお茶をやってい
て、先生によれば、本人の手前もすばらしいとのことだった。
お茶は、これは私的な印象だが、その所作が極めて理にかなっている。また伝統に磨
かれている。それゆえ美しい。お茶をたしなむ者の所作には、程度の差はあるが、その
ような所作の美しさが現れる。
子供たちに礼儀作法を説く自分たちが、言葉や動作の礼法をどれだけ身に付けている
だろうか。子供たち、その親御さんたち、更に祖父母の方々から見て恥ずかしくないも
のかどうか。そんなことも考えてしまった。
ところでお茶の外部講師の先生は、私の高校同級生のお母さんで既に卒寿を超えてお
られる。それでいて内稽古を行うと同時に出稽古にも行かれ、更に月に1回は東京の家
元のところまでご自身の稽古に行かれているとのことだった。自分の母親も90を超え
ているがとても先生のようにはいかない。「先生も畏るべし」である。
私たちは、教職にある者だけでなくどのよ
うな人も、常に先に生まれた者と後に生まれ
た者の間にあるわけだが、先に生まれた者、
つまり先生の教えに学ぶと同時に、後から生
まれた者、つまり後生に対しても敬意を払い
そこから学ばなければならないのだろう。本
校には多くの才能と個性ある生徒達がいる。
このことは、高校3年生のダンスを見ただけでもわかる。振り付けから実際のパフォ
ーマンスまでよくあのようにできるものだ。私などにはとてもできない。このほかにも
感心させられることは数多くあった。
後生畏るべし、そんなことを感じさせる文化祭であった。
(2015.9.9)
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