HIKONE RONSO_262-263_315

315
管理社会主義における科学技術政策
福 田 敏 浩
は じ め に
本稿の目的は,ソ連を例に取って管理社会主義は科学技術の発展にとって
ブレーキとならざるをえないことを論証することにある。以下ではソ連の事
例を引合いに出すが,ソ連の科学技術政策の実態に関する詳細な実証的研究
という形で議論を進めるのではなく,あくまでも管理社会主義体制と科学技
術(とくに産業技術)という角度から両者の関係を中位の抽象度をもって根本
1)
的に考察してみたい。なお,本稿は旧稿(「産業技術とソ連型管理社会主義」,『彦
根論叢』第260・261号)の続編をなすものである。
ソ連において科学技術政策が本格化してくるのは1960年代以降のことであ
る。その直接の引金となったのは経済実績の急速な悪化であった。労働力と
物的資源を一点(重工業)に大量に投下して高速度の経済発展を図る外延的発
展戦略が,とくに労働力の枯渇のため,壁にぶつかったのである。かくてソ
連では発展戦略の転換が余儀なくされ,内包的発展戦略が選択されてくる。
この戦略は,生産プロセスの集約化や労働生産性の向上といった,もっとも
広い意味での技術進歩を通して経済の発展を図ろうとするものである。その
一環として65年にコスイギン改革の名で知られる経済改革が開始された。こ
れは管理社会主義の部分的改革を柱としているが,その意味するところは内
包的発展戦略を可能にするための制度的条件の創出・整備にあったと言えよ
う。ソ連の指導者の目には,外延的発展戦略を可能にしてきた一一つまり,人
的・物的資源の大量動員と一点への集中投下を可能にしてきた 管理社会主義
1)こういう主旨なので,本稿では内外のソ連研究者の研究成果を活用させて頂いた。
316 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
はもはや時代の要請にそぐわなくなったと映ったのである。
こうした発展戦略の転換に伴ない,科学技術政策が本格化されるようにな
った。ソ連経済の質的改善や効率改善のためには,産業における科学技術の
有効利用が急務となったからである。以下,コスイギン改革以後に焦点を絞
って,科学技術政策のアウトラインを述べていくことにしよう。
1.科学技術政策の概要
1.科学技術管理制度
(1)ソ連における科学技術は,言うまでもなく国家によって管理される。そ
の管理制度は三層ピラミッドの形を取っている。すなわち,中央管理機関一
2)
中間管理機関一企業という構成である。この構成は前野で述べた管理社会主
義の構成とほとんど重なりあっている。つまり,これらの機関のほとんどは
管理社会主義の構成機関であり,本来は生産を主任務とするものである。し
たがって,ソ連の科学技術管理制度は独立した制度としてあるのではなく,
いわば管理社会主義という経済体制に包摂されているのである。科学技術政
策は管理社会主義の制度的枠組の中で展開されてきたと言える。
1965年のコスイギン改革以後,科学技術の振興のため,こうした管理制度
の拡充・整備が行われた。中央管理レベルでは65年10月に科学技術政策の主
担当機関として国家科学技術委員会が新設された。これは閣僚会議直属の機
関であり,ソ連における科学技術政策の統括を行う。その主要任務は次の五
つである。①科学技術政策の基本方針の決定,②ゴスプラン,科学アカデミ
ー,中央数理経済研究所および省の協力のもとでの技術進歩の予測計画(10−
20年)ならびに科学技術発展計画(5年)の作成,③研究開発の経済効率の算
定,④科学研究機関への資金および資材の配分,⑤省,その部局ならびに共
和国との科学技術政策上の協力。
中央管理レベルでは国家科学技術委員会のほかゴスプラン(国家計画委員
会)や科学アカデミーも科学技術政策の一翼を担っている。
2)この点の細目については福田〔3〕を参照されたい。
管理社会主義における科学技術政策 317
②中間管理レベルでは省が科学技術政策の実施面を担当する。すなわち,
省およびその部局は,中央管理レベルで立てられる基本方針やプロジェクト
を具体的かつオペレーショナルな計画に転換するとともに,この部門別計画
を傘下の企業へ分割・指令するという業務を行う。このような役割からして
科学技術政策の実施に占める省の比重は大きいと言わねばならない。
(3底辺レベルに位置する企業は,経常活動の中で所管の省から下達される
技術課題の実現に当る。65年の改革以後,企業レベルでのイノベーションが
重視されるようになり,新技術導入指標という計画課題が企業に下達される
ようになった。その達成を促すためさまざまの施策が講じられてきたが,こ
れについては後述することにしよう。
2.科学と生産の制度的分離
(1)ソ連では従来,産業技術の基礎研究やR&Dは生産現場たる企業ではな
く,そこから遠く離れた国家の研究機関で行われてきた。そのような研究機
関のうち主要なものは次の三つである。
①科学アカデミー。これは閣僚会議に直属する最高の科学研究機関であり,
科学技術の方面で多くの付属研究所を保有しているが,これらは基礎研究を
担当する。
②大学。大学は言うまでもなく最:高の教育機関であるが,科学技術の面に
おいてももっぱら教育のほうを担当している。
③省付属の研究機関。これには研究開発機関,設計機関および実験機関な
どがある。これらの機関は当該部門の企業で使用される産業技術の開発を担
当する。したがって,省の研究機関は企業にもっとも近いところに位置して
きた。
(2)以上の三つの研究機関の協力によって企業にとって役立つ産業技術を開
発するというのが本来の主旨であるが,実際には官僚制の壁,縦割り管理方
式などのゆえに有効な協力関係は樹立されていなかった。また,研究機関と
企業との間には直接的な情報交換システムが欠如しており,このため産業技
318 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
術の買手たる企業の欲求がストレートに売手たる研究機関に伝わらないこと,
研究機関は買手サイドからチェックされないこと,という問題があった。加
えて研究機関にも毎年,計画課題が下達され,企業と同様に「計画のために」
活動せざるをえないという事情があった。さらに,企業サイドにも前稿で述
べたようにイノベーション・マインドが欠如しており,研究機関が開発した
新しい産業技術を導入したがらないという問題も考慮に入れておかねばなら
ない。企業マネージャーは新産業技術の導入を たとえ生産性の向上が期待
されるとしても 忌避する傾向にあった。新産業技術の導入は付帯設備の改
造や新設を伴ったり,労働者の習熟訓練などを必要とし,産出課題の達成に
支障をきたすことになるからである。また,新産業技術の導入に伴う生産性
の向上は産出課題の引上げにつながるという恐れも抱かれた。こうして,ソ
連では新産業技術の開発から生産現場たる企業でのその実用化まで非常に時
間がかかるという事態が発生した。たとえば,アルカリバッテリーのばあい
3)
その開発から実用化まで15年もかかったという報告がなされている。
㈲以上のような理由から,研究諸機関はそれぞれ自己の利益を最優先にし
て行動してきた。すなわち,企業と同様の最適計画達成の行動がこれである。
とくに産業技術の開発に当る研究機関は,イノベーションが計画課題として
指令されるため,できるだけリスクの低いマイナーなイノベーションーた
とえばデザインの変更,模倣,既存技術の小幅な改良一に専念するということ
になる。しかも,買手たる企業の意向を無視するという形でそれが行われて
きた。その結果,イノベーションは量的には相当な実績を残してきたが,質
的には一一企業に役立つものが少ないという意味で一見るべき成果が少ない
という矛盾が生じた。ここにも「豊かさの中の貧しさ」の現象が生じたので
ある。
もっともソ連はいくつかの基礎的科学研究の分野では世界的にトップレベルに
ある。たとえば,数学,理論物理学,天文学,宇宙航行学,レーザー技術,素粒子
3) Schr6der (15) S.44e.
管理社会主義における科学技術政策 319
4)
物理学,分子生物学などがそうである。
このように研究機関の活動成果が生産現場たる企業で有効に活用できない,
あるいは研究成果の生産への転化が円滑にいかないという問題は「科学と生
5)
産の制度的分離」と呼ばれてきた。この問題が,ソ連での産業技術水準の相
対的立ち遅れを招いた根因のひとつであることは疑いない。コスイギン改革
以後,この問題の解決が科学技術政策の主要課題のひとつに数えられてきた。
以下では,この課題をめぐる諸施策を概観することにしたい。
3.研究成果の生産への転化をめぐる諸施策
(1)研究機関の改革。省付属研究機関の財源は従来国家予算であったが,こ
れに加えて契約制が導入された。つまり,研究機関とその産業技術のユーザ
ーたる企業との契約高に応じて財源を獲得する方式である。これは60年代初
頭から漸次導入されたものであるが,その狙いは研究機関をして企業のニー
ズに応じた産業技術の開発に向かわしめることにあった。
そのほか,「科学と生産の制度的分離」の解消を目指して科学生産合同が60
年代品から,部門際科学技術コンプレクスが80年代半ばから設立され,既存
の研究諸機関の再編が行われたが,これらについては後に改めて触れること
にしよう。
(2)企業レベルの改革。前言で触れたように,管理社会主義下の企業はイノ
ベーション回避の性向を強く示してきた。そこでコスイギン改革以後,企業
レベルにイノベーション・マインドを植え付け,新しい産業技術の導入およ
び自己開発を促進せしめるべく,企業に対して新たに新技術導入という課題
4)SchrUder〔15〕S.440.これらの分野で良好な実績を残している主要な理由としては第
1に優秀な人材の投入,第2に応用研究面での資材・機械・器具の不足および人員不足
のため研究機関(とくに科学アカデミー)が,人員・物的投入財をそれほど必要としな
い基礎研究に向かうこと,が考えられる。後者については次の箇所参照。Kneen〔8〕pp.
70−71,
5) Amann (1) S.35, Huntchings (7] p.247.
320 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
(ノルマ)が与えられ,その実現を図るためさまざまの施策が講じられてき
6)
た。主なものは次のごとくである。
①まず,生産発展フォンドがイノベーションの実現のために利用できる措
置が採られた。このフォンドはもともと既存設備の更新および取替え用の基
金であるが,改革以後設備の更新や新製品の導入や研究機関への支払にも利
用できるようになった。
②ソ連の価格体系は固定価格中心であるが,これは企業レベルでのイノベ
ーションにとって大きな障害となっていた。イノベーションの初期の段階で
費用が上昇するにもかかわらず,それを製品価格へ転嫁できないため,企業
は収入の減少を恐れて新しい産業技術および新製品の開発を忌避せざるをえ
なかったからである。このような問題の解決策のひとつとして価格の弾力化
の措置が採られた。価格割増および価格割引がそれである。生産物の品質改
善には一定幅の価格プレミアムを付け,逆に品質低下のばあいにはペナルテ
ィとして価格の引下げを行うという方法である。もとより,これは固定価格
制の中でのいわば便法であって,市場価格の導入というような根本的価格改
定を目指そうとしたのではない。
③第3に,生産物の品質にランクを付けることが試みられた。すなわち,
1972年に工業製品の品質を三つに等級化する措置が採られた。最高カテゴリ
ー,第1カテゴリーおよび第2カ日ゴり一がそれである。第1には世界最高
水準の製品,第2には国内最高水準の製品,第3には時代遅れの製品および
規準に合致しない製品が分類されている。最:高カテゴリーの製品には国家の
品質証明書が交付される。企業に対しては第2カテゴリーの製品を生産しな
いように刺激が与えられる。その方法には上に見た価格操作と物的報奨フォ
ンドの操作の二つがある。前者は,高品質の製品には価格プレミアムを与え,
低品質の製品については価格割引を行うものである。後者は,高品質の製品
の割合が増えるにつれて物的報奨フォンドの額を増加せしめ,もって従業員
のボーナスの支給に当てるものである。
6)細目については福田〔3〕を参照されたい。
管理社会主義における科学技術政策 321
アマン(R. Amann)によると,70年代半ばに200の工作機械と化学工業の総
7)
生産の19%に対して国家の品質証明書が与えられたという。ただし,アマン
も注意しているように,これらの数字は品質の改善を,したがってイノベー
ションの達成度を正確に反映しているのか,それとも粉飾が施されているの
か,慎重な判断が要求されよう。
(3)科学生産合同の設立。コスイギン改革以後,「科学と生産の制度的分離」
8)
の解消の一環として科学生産合同が設立された。その設立が公式に決定され
たのは1968年9月である。科学生産合同は,研究一開発一生産サイクルの全
プロセスを内蔵した完結的なコンプレクスであり,そこでは産業技術の研究
から開発を経て生産に至るまでの作業が一貫的に行われる。このコンプレク
スの中心に位置するのは各省の既存の研究機関である。そして,この研究機
関のまわりにはいわば同心円的に企画・設計機関,技術機関,試作機関およ
び量産工場などが集合している。
このように科学生産合同は,省または工業合同(かつてのグラフキ)の監督
下に置かれる。したがって,それは各産業部門内の産業技術の研究・開発・
生産を担当するいわば部門の科学技術センターなのである。科学生産,労働,
財務,資本建設などについて上級機関より計画課題(ノルマ)が与えられ,必
要な資材や機械等は国家配給機関より配分を受けることは一般の生産企業と
同様である。科学生産合同は70年代末に約150であったが,その後増加して80
年代半ばには390を数えるに至っている。
科学生産合同の設立の狙いは,ソ連の宿弊であった研究から生産現場での
その成果の利用までの時間のかかりすぎを是正することと,生産現場たる企
業に役立つ産業技術の開発にあった。これまでの経験によると,この所期の
目的は完全に達成されたとは言えないまでも,比較的良好な実績が記録され
ている。それはことに研究一生産サイクルの時間短縮について言える。たと
えば,ビューアー(U.Hewer)の指摘しているように,大型生産設備について
7) Amann (1) S. 43.
8)詳しくは吉井〔16〕を参照されたい。なお,
ここではこの論文に多くを負っている。
322 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
は4−6年が2年目,中・小型の生産設備については2−3年が1−2年に
9)
短縮されたのである。
(4)部門際科学技術コンプレクスの設立。最近ソ連では,上述のような科学
生産合同の良好な実績に触発されて多部門にわたる研究・開発・生産のコン
プレクスが設立されるに至っている。部門際科学技術コンプレクスがそれで
10)
ある。登場したのは1986年目あるが,この年にすでに16の部門際科学技術コ
ンプレクスの成立を見ている。
部門際科学技術コンプレクスは,一定の産業技術を中心にして多部門にわ
たる諸機関が集合したものである。すなわち,研究諸機関を中心にして同心
円的に多数の設計機関,開発機関および試作工場が配列されている。このよ
うなコンプレクスは,多部門の研究機関の協力を必要とするハイテクノロジ
ーの開発・実用化のために設立されたものである。87年現在,パーソナル・
コンピューター,総合オートメーション,グラスファイバー,重合薄膜,粉
末冶金およびバイオテクノロジーなどの分野を中心に21の部門際科学技術コ
11)
ンプレクスが設置されている。
部門際科学技術コンプレクスの設立権は閣僚会議が保有している。また,
その管理・監督は国家科学技術委員会が当る。部門際科学技術コンプレクス
の計画課題は,科学アカデミーとゴスプランの同意を得て国家科学技術委員
会によって与えられる。このコンプレクスはハイテクノロジーの開発に当る
ため,中心にくる指導的機関は科学アカデミーの研究機関である。したがっ
て,コンプレクス長の任免権は科学アカデミーが保有している。その他の所
属機関は出身省との従属関係を保持している。かくて,部門際科学技術コン
プレクスは国家科学技術委員会,科学アカデミーおよび省の三重の支配のも
とに置かれている。
9) Hewer (5) S.50.
10)部門際科学技術コンプレクスについては吉井〔18〕が詳しい。なお,ここではこの論
文に多くを負っている。
ll) Schrbder (15) S.444.
管理社会主義における科学技術政策 323
その設立の主旨は,科学生産合同と同様,研究一生産サイクルの時間短縮
と生産現場たる企業に役立つ産業技術の開発にある。科学生産合同との本質
的な違いは,科学生産合同の活動がもっぱら応用技術に特化されているのに
対し,部門際科学技術コンプレクスは基礎研究と応用研究の連結をめざして
いることにある。
(5)以上の諸施策のほか,ソ連政府はとくに西側先進諸国からの産業技術の
12)
導入にも力を入れている。ライセンスの購入,取得したサンプル製品のリバ
ース・エンジニアリング(分解工学)による模倣,機械・装置などの輸入,西
側諸国との技術協力のほか,次のような手段が講じられてきている。
①ターンキー・プロジェクト(turnkey project)。これは,すでに実証ずみ
の稼働経験を持つ工程一式をその据え付けを含めてまるごと導入する方式で
ある。つまり,(とくに西側の)外国企業が全工程 研究,設備の設計,建設
の監督,プラント引き渡し・据え付け,技術者の訓練,生産開始の支援一を供給
するやり方である。ソ連にとっては自力開発のコストがかからない安上がり
のやり方と言える。たとえば,世界最大規模を誇るカマ河トラック工場は第
9次5力年計画(1971−1975年)中にこの方式によって建設されたもので
13)
ある。設計とエンジニアリングはフランスのルノー社が,設備の建設・据え
付けばアメリカの企業団が担当した。ターンキー・プロジェクトは自動車,
製鉄,化学工業および非鉄金属工業などで活用されている。
②合弁企業(joint venture)。1987年1月に合弁企業法が制定され,ソ連山
の出資比率51%を条件にソ連領内に外国企業との合弁企業の設立が認められ
た。その狙いはとくに西側企業との合弁によって,産業技術を導入すること
と,外貨(ハード・カレンシー)を獲得することにある。今後,こうした合弁
企業の増加が予想される。
③以上のほか最近,中国で実績を示した経済特区の導入が検討されている。
筆者の考えでは中国の経済特区は,西側の産業技術および企業管理のノウハ
12)詳しくは吉井〔17〕を参照されたい。
13) Mttller (11) p.325.
324 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
ウの導入と普及の拠点,外貨獲得の基地,経済体制改革の実験場としての役
割を演じてきた。ソ連もそうした経済特区の導入に強い関心を示してきたこ
とは,科学技術政策の面ばかりでなく経済改革の面から見ても興味深い。近
い将来の導入が期待される。
II.科学技術政策の限界
「科学と生産の制度的分離」の解消に関する主要な諸施策は以上のとおり
であるが,これらによって一部に改善が見られたものの,期待どおりの成果
があげられたとは言いがたい。むしろ,多くの論者が指摘しているように,
それらは数々の限界にぶつかっているのが実情である。以下,そうした限界
を指i博していくことにしよう。
1.管理機関と研究機関の問題点
(1)まず,中央管理レベルでは管理諸機関の問の調整に問題がある。つまり,
縦割り管理からくるセクショナリズムのゆえに国家科学技術委員会,ゴスプ
ラン,科学アカデミーの間の情報交換がスムーズにいかず,統一的な科学技
術政策の実施面で支障をきたしていることは夙に知られたところである。と
りわけ,国家科学技術委下穿とゴスプランの連絡が悪く,このため前者の科
学技術計画と後者の生産・投資計画とがかみあわなくなり,科学技術政策の
実施が困難になるという事態が発生している。
(2沖間管理レベルにもセクショナリズムの問題がある。国家科学技術委員
会には部門聞の調整を行う部局があるが,この部局も省帝国の壁を破ること
ができず,多部門にわたる科学技術政策の実施面で困難が生じていると言わ
14)
れる。
省は割り当てられた科学技術計画課題の達成ばかりでなく,生産課題の達成
責任をも負う。従来からの生産第一主i義の戦略の中では,省の活動も企業と同
じく生産計画の達成度によって評価されることもあって,省は前者よりも後
14) Schr6der (15) S.438.
管理社会主義における科学技術政策 325
者を優先せざるをえない。その結果,省レベルでの科学技術計画の実現への
投資額は低く押さえられることになり,その実現は困難となってしまうので
ある。
(3)研究機関のレベルにもいくつかの間題があることが指摘されている。ま
ず,このレベルにもセクショナリズムの弊害が見られる。科学アカデミー,
大学および省の研究機関の所管を超えての協力,および省研究機関相互の協
15)
力も縄張りに阻まれて困難となっていると言われてきた。
このような官僚制の壁を突破しようとして導入されたのが先に見た部門際
科学技術コンプレクスであったのだが,これもまた現在の行政的管理機構か
ら独立した機関ではなく,むしろその枠内で設置されたものであるだけにセ
クショナリズムの壁を突破できない状態にある。すなわち,このコンプレク
スは上述のとおり国家科学技術委直会,科学アカデミーおよび省の三重の支
配のもとに置かれ,しかも構成諸機関は出身の省に従属しているために,そ
16)
の活動は空転していると言われる。
軍事技術研究機関の開発成果が軍官僚の抵抗に会って民生部門に普及して
いかないということも産業技術の停滞の一因となっている。ソ連ではトップ
クラスの科学者の60−70%が軍事技術の研究に従事し,R&D支出10ルーブ
ルのうち7−8ルーブルがこの方面の研究に向けられている。また,R&D
17)
に従事する150万の要員のうち100万は軍事産業で働いている(84年現在)。こ
うした軍民格差の中で民生用産業技術への転用が可能な軍事技術知識が民生
部門にスピルオーバーしていかないことは,とくに民生用ハイテクノロジー
の領域での停滞を加速することになろう。
(4)当該部門の産業技術の開発に当る省付属研究機関にもいくつかの間題が
18)
あることが報告されている。これらを要約しておくと,次のごとくである。
15) Schr6der (15) S.437.
16)吉井〔18〕70−71ページ。
17) Maier (10) S.236.
18)これについては福田〔3〕をも参照されたい。
326 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
①省レベルでの産業技術の開発に向けられる投資額が少ないため,研究機
関の設備が老朽化している。とくに,設計機関および実験機関でそれが著し
19)
いと言われる。
②研究活動に不可欠の資材,機械および工具などの入手が困難であること
も知られている。これらは大量生産に馴染まないものが多いためその入手ま
で1年から3年もかかり,しかも入手してもそのまま使えるものは少なく,
改造を必要とし,余分の支出を余儀なくされる。このため研究機関はその成
果の実用化よりもアカデミックな研究に傾斜するようになる。
③コスイギン改革以後も研究機関に対して計画課題が指令されるために研
究機関は従来どおり最:適計画達成の行動を取り,資材不足も手伝って包装を
かえただけのマイナーなイノベーションに走る傾向にある。旧弊は克服され
ていないのである。また,企業の欲求に応じた産業技術の開発を目的とした
契約制の導入も所期の成果をあげているとは言いがたい。研究機関は独占的
地位を利用してその成果を企業に高く売りつけたり,必要以上の契約を取ろ
20)
うとする傾向があることが報告されている。
2.企業レベルの問題点
(1)企業レベルでも事態はそれほど改善されなかった。コスイギン改革以後,
問題の多かった総:生産高指標に替えて利潤・利潤率・販売高指標が導入され,
これによって買手の欲求に応じた生産の促進とともに,企業レベルでのイノ
ベーションの促進を図ることが目指された。しかし,その後の経験が教える
ように,このような当局側の意図は実現されなかった。ひとつには買手の情
報が生産現場たる企業にストレートに伝わる,市場メカニズムのような情報
システムが制度化されなかったからであり,二つには新しい指標は依然とし
19)少々古い数字だが,1970年に独立採算制の806の設計機関のうち実験設備を完備したも
のはわずか30.6%であり,また設計作業に従事した要員は全従業員の12.5%にすぎなか
つた,と言われる。Hewer〔5〕S. 34.
20) Hewer (5) S.40−4L
管理社会主義における科学技術政策 327
てその達成をi義務づけられる計画課題だからである。したがって改革後も重
量至上主義の行動および近視眼的行動は温.存されたのである。
(2)たしかに,65年の改革以後,新技術導入という計画課題が導入され,企
業レベルでのイノベーションの促進が目指された。しかし,この課題の優先
順位は利潤や販売高などの産出指標よりも低いため,その達成水準は50%か
21)
ら80%にすぎないと言われる。非達成分は産出の超過達成によってカバーさ
れるのである。
(3)企業のR&Dにも問題がある。省や補給機関から配給されるR&D用の
資材や機器はわずかであり,しかもこれらは産出課題の達成のために転用さ
れることも稀でない。このため,企業の研究・実験・設計の設備は量的にも
質的にも低下する。またR&Dに従事する要員の数も極端に少ないと言われ
る。企業レベルで積極的にR&Dを推進しえないゆえんである。
(4)コスイギン改:革以後に導入された価格操作および品質のランクづけも企
業レベルでのイノベーションに有効な刺激を与えていない。価格割増が固定
価格制の中で行われているため,しかもその上げ幅が低く押さえられている
ため,新製品の開発や品質改善を誘発するに足る刺激とはなっていない。品
質のランクづけについても同様のことが言える。これらの新しい措置は,か
えって買手にとっては役に立たない包装を変えただけのイノベーションを加
速する結果となっているように思われる。
以上のような理由によって,企業レベルには依然としてイノベーション・
マインドは根づいていないと結論できよう。コスイギン改革以後も企業マネ
ージャーが自発的にイノベーションを行なえるような環境は整備されないま
まに終わっているのである。改革以後の諸措置は,結局は旧来からの指令方
式の制度的枠組の中で企業マネージャーに対しマイナーなイノベーションを
強制する結果に終わってしまっている。これについてゴールドマン (M.1.
Goldman)は次のように述べている。「たとえば,繊維工業では,製品のデザ
インを少し変え,たとえば『新しい』スーツのボタンをそれまでの三つから
21) OECD (13) P.89.
328 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
四つに増やすだけで,イノベーションと称して,賞与金の割増をはかる場合
が余りにも多いのである。米国では,イノベーションが本格的なものか,小
手先だけのものかを市場が見分けるが,ソ連にはまだそのようなシステムが
22)
ない」。小手先だけのイノベーションがいかに多くなされてきたかは,81年か
ら84年の問に約314万4千件のイノベーションが行われたが,1件当りの支出
はわずかに14,000ルーブルであったという事実がこれを証明している(ただ
23)
し,この数字には研究機関の分も含まれている)。
㈲研究一生産サイクルの時間的短縮の面で実績を残した科学生産合同にも
いくつかの問題があることが報告されている。主要な問題点は次の三つで
24)
ある。
①科学生産合同は省の管轄下に置かれているため活動範囲が当該部門に限
られている。したがって他の産業部門の企業との提携が不可能となっている。
しかも,科学アカデミーとの連絡が十分でないことも手伝って基礎研究の面
が弱く,その活動は応用研究に悪化されている。
②科学生産合同を構成する企業の3/4は独立しているために合同への帰
属意識が希薄であり,合同の統一化に支障が出ている。
③科学生産合同の活動は研究面よりも生産面にウエイトが置かれ,このた
め科学生産合同は実質的には生産合同化している。
3.産業技術の移転にかかわる問題点
(1撮後に,産業技術の外国からの導入にかかわる主要な問題点を指摘して
おこう。産業技術の輸入については外貨の壁や西側諸国のココム規制の壁や
ソ連の対外貿易の国家独占の壁などによってことに西側からの輸入がスムー
ズにいかないということは夙に指摘されてきたところである。
(2にうした産業技術の輸入上の問題よりももっと深刻なのは,輸入後のソ
22)Goldman〔4〕邦訳152−153ページ。
23) Maier (10] S.61.
24)吉井〔16〕132−133ページ。
管理社会主i義における科学技術政策 329
連国内での普及の問題である。産業技術の普及の速度と範囲が西の先進諸国
よりも一般に遅くかつ狭いということは周知のごとくである。たとえば酸素
心綱法を例に取ると,この技術がソ連,アメリカおよび日本で最初に導入さ
れたのはそれぞれ1956年,54年,57年であったが,1982年の普及率を見ると,
25)
それぞれ29.6%,62.1%,73.4%となっている。ソ連での普及率が相対的に
低いのは,主として官僚制の壁(セクショナリズム),垂直型の情報システム,
企業レベルでのイノベーション・マインドの欠如に因ると言える。言い換え
ると,ソ連の管理社会主義 とりわけ三層ピラミッド型の指令方式 が輸入
産業技術の普及の足枷となっている。
(3)このことはもちろん国産の産業技術にも当てはまる。ソ連国内で最初に
開発されながら,その実用化は外国でなされる一つまり外国企業のほうが先
にその産業技術を導入する一というケースも稀ではないのである。たとえば,
連続鋳鋼設備,溶接設備の一部,乾式セメント製法,制ニコチン・ガム,ア
ルミニウム鋳造工法,チタン窒化物コーティング工法,ダイ㌣モンド超薄膜
26)
による素材コーティング技術,多関節織機などがそうである。
III.おわりに
(1)以上,ソ連に例を取って産業技術と管理社会主義との関係を詳しく見て
きたが,本稿における筆者の結論はソ連の産業技術のイノベーションの停滞
の最大かつ根本的な原因は管理社会主義そのものにあるということに尽きる。
とりわけ,上下調整方式が直接,イノベーションのブレーキとしての役割を
演じている。その上下調整方式は,三層ピラミッド型の構成,行政的管理制
度,垂直型の情報システムおよび企業の非自立をもって特徴づけられる指令
方式である。このような指令方式の負の特性たる官僚のイノベーション回避
の性向,売手と買手との間の直接的情報交換システムの欠如ならびに企業レ
ベルのイノベーション・マインドの欠如が,結局は産業技術の停滞を招いて
25)吉井〔17〕104ページ。
26)Goldman〔4〕邦訳152ページ。
330 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
いるのである。
(2)以上のような結論はソ連型管理社会主義を制度化している東欧諸国につ
いても妥当するように思われる。むろん,こうした結論を引き出すにはこれら
の国の実証研究が必要となろうが,しかし,たとえそうした研究を行ったとし
ても,少なくともこれらの国ぐにでの産業技術のイノベーションが一般に誘
導資本主i義を制度化している西側先進国でのそれよりも優位に立っていると
いう結論は導き出せないだろう。たとえば,東の先進国たる東ドイツも産業技
術のイノベーションに関してソ連と同様の困難を抱えていることを解明した
のはマイアーであった。かれは,ことに官僚制のセクショナリズムと指令系統
(ノルマ制)に焦点を当ててコンビナートおよび企業でのイノベーションの
27)
問題点を詳しく指摘している。コンビナートは70年代末にかつてのVVB(人
民所有企業連合)に替わって設置された中間管理機関であり,その傘下に企業
群(最終製品企業と資材供給企業〉のほか研究開発機関を包摂している。コンビ
ナートは当該部門の省に従属する。このコンビナートや企業は,現行の管理
社会主義のもとでは「安全な事項のみに,それゆえ年次計画の達成および超
過達成を保証するより小さな生産物・生産プロセスイノベーションのみに熱
28)
目する」。また,現行の指令系統のもとではコンビナートや企業の自主性は失
29)
われ,それらのイノベーション戦略は阻害されていることも指摘されている。
(3)ソ連の指導者は,もちろん以上に述べた産業技術のイノベーションの諸
困難を十分に自覚している。だからこそペレストロイカが開始されたのであ
る。産業技術のイノベーションが当局の思惑どおりに加速するかどうかは,
今後の展開を待たねばならないが,しかし,当分の間は明るい期待は持てな
いように思われる。というのは,当局の意図している産業技術水準の西側先
進国レベルへの引上げのためには,現行の管理社会主義の抜本的な改革が必
要となるが,しかし今次の経済改革は現在のところ管理社会主義の部分的改
27) Maier (10).
28)Maier〔10〕S.131.コンビナートの時間的視野も2−3年に限られている。〔10〕S.134.
29) Maier (10) S. 168,
管理社会主義における科学技術政策 331
革の域を出ていないのである。経済改革プランを示す基本的文書の一つであ
る「国有企業法」(87年6月制定)では完全経済計算制という用語でもって企業
の自立化の推進が謳われているが,しかし他方では統制数字,ノルマチーフ,
国家注文,リミットといった実質的なノルマを温存することも明記されてい
30)
る。つまり,従来の指令方式を放i棄することは明言されていないのである。
このことに象徴されるように,今次のゴルバチョフの経済改革構想は,一レ
ーシュ(D.L6sch)によれば一(マルクス=レーニン主義を固守する)反動派
と,(集権体制を保持しようとする)テクノクラートと,(現行体制の抜本的改革
を目指す)改革派の三者のポリシー・ミックスであり,この意味で中途半端な
31)
改革(halbe Reform)と言えより。
(4にのようである限り,産業技術のイノベーションが飛躍的に進展するこ
とは当分望めそうもない。筆者の考えでは,ソ連吟童部は現行の管理社会主
義の枠内で西側先進諸国並のイノベーションを達成しようとしている。すな
わち,現行の指令方式を保持したままで,企業マネージャーには西の企業家
と同じような進取の精神とリスク・テイカーとしての役割を期待し,利潤原
則で行動する西の企業の効率原則を国有国営企業に要求しようとしている。
ゴルバチョフが理想として描いているのは,いわゆるホモ・エコノミクスな
のである。
しかし,このホモ・エコノミクスは資本主義という経済体制の中にその存
在理由を持っている。少なくとも市場メカニズムとハードな企業の予算制約
(企業の自立化と破産のリスク)が与えられないことには,かれの活動の余地は
ない。ところが,先に述べたように,現在のところソ連は全面的に市場メカ
ニズムを導入しようとはしていない。正確に言うと,サーヴィス部門の一部
や農業部門に市場を導入しているのは事実だが,しかしこれはまだ合法的な
第2経済(second economy)の域を出ていない。企業の自立化もそれほど進
展していない。たしかに独立採算制の一環として自己調達単なるものが導入
30)国有企業法の全文は大野〔14〕に訳載されている。
31) L6sch (9) S.283−287.
332 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
されつつあるようだが,しかしハンガリー並の自立化の措置は採られていな
い。ソ連の国有企業は依然として行政の付属物であって,その予算制約はソ
フトなままである。破産についても,たしかに最近一部の産業部門で業績の
きわめて低い企業の閉鎖が行われているが 研究部門についても86年から業
32)
績不振の研究機関の閉鎖およびその所属員の解雇が行われ始めたが しかし,
その適用範囲はごく限られているし,しかも破産は買手の「ルーブル投票」
によって宣告されるのではなく,中央機関のサイドから「ノルマ・クリアー」
基準によって宣告されるのである。破産は企業マネージャーをして最大収益
の最小費用という合理的行動と自発的イノベーションへ強制するほどのリス
クとはなっていない。
このように見てくると,ここ当分の間は前稿で見た最適計画達成原則で行
33)
動ずるホモ・エコノミクス・ソヴィエティクスがホモ・エコノミクスへ変身
するようなことは望めそうもない。ホモ・エコノミクス的行動と管理社会主
義は両立しえないのである。したがって産業技術のイノベーションについて
も多くを望むことはできないだろう。マイアーは皮肉を込めて次のように言
っている。「現在の経済メカニズムでもって革新度の高い生産物を作ろうとす
34)
ることは,ボクシングのグローブでピアノを弾くようなものだ」,と。
㈲これまでの東西諸国の経験を踏まえると,イノベーションを促進するの
に必要な最低限の条件は市場メカニズムの全面的導入であるように思われる。
このことによって「企業家精神を基本価値として考え,失敗を避けるのでは
なく,成功を目指し,市場によって生ぜしめられるトラブルを処理しうるよ
35)
うな社会環境を造り出さねばならない」。そうでない限り,飛躍的な産業技術
の発展は期待できない。将来においてソ連がこうした措置を採る可能性はあ
るが,現時点ではそうした動きを確認することはできない。しかも,ヒュエ
32)86年に七つの省研究機関が閉鎖されている。Kneen〔8〕p. 74.
33)Nove〔12〕邦訳9ページ。
34) Maier (10) S.182.
35) Antal, et al. (2) P. 197.
管理社会主義における科学技術政策 333
ット(A.Hewett)が指摘しているように,現時点のソ連には現存資本主義と
現存社会主義とは異なる新しい経済体制に関するブループリントが存在して
36)
いないのである。ソ連の産業技術は今後とも停滞を余儀なくされるであろう。
1989 ・ 9 ・ 18
参 照 文 献
(1) Amann, R.: Die Effizienz von Forschung und Entwicklung, in’ H. Vogel (Hrsg.):
VVirtschafitsProbleme OsteuroPas in der Analyse, Berlin 1982.
( 2 ) Antal, L., L. Bokros, 1. Csillag, L. Lengyel, G. Matolcsy : Change and Reform, in :
Acla Oeconomica, voL 38(3−4), 1987.
〔3〕 福田敏浩:「技術進歩の理論」,梅津和郎,福田敏浩,箱木禮子『現代ソ連経済の基
礎理論』晃洋書房,1984年。
(4) Goldman, M.1.: Gorbachev’s Challenge, Economic Reform in the Age of High
Technology, New York 1987,大}1出人一訳『ゴルバチョフの挑戦一ハイテク時代の経
済改革一』岩波書店,1988年。
(5) Hewer, U : Technischer Fortschritt als Probleme der Sowl’etischen Wi7’tschaLIZs−
Planung, K61n 1977.
C 6 ) Hewett, E. A. : Economic Reform in the USSR, Eastern Europe, and China : The
Politics of Economics, in : The Amen’can Economic Review, vol. 79, no. 2, May 1989
C 7 } Huntchings, R. : Soviet Economic DeveloPment, Second Edition, Oxford 1982.
(8) Kneen, P.: Soviet Science Policy under Gorbachev, in: Soviet Stzadies, vol. XLI,
no. 1, January 1989.
( 9 ) Lbsch, D, : So2ialistische vrirtschaftswissenschaLfi, Die PVirtscha]7stheorie im Sozialis−
mzts und ihre Bedeutung ftir die VVirtschaLfifspolitik, Hamburg 1987
(IO) Maier, H, : lnnovation oder Stagnation, Bedingungen der Wirtschaftsreform in den
sozlaltstischen Ldndern, KOIn 1987.
(11) MUIIer, A. L. : Soviet Technology and the West, 1945−1985, in : The South Afn’can
lournal of Economics, 56. 4. 1988.
〔12〕Nove, A.:The Soviet Economy, An lntroduction, London 1966,公文俊平訳『ソ連
経済』日本評論社,1967年。
(13) OECD: Science Policy in the USSR, Paris 1969.
〔14〕大野喜久之輔「新段階に入ったゴルバチョフ改革一国有企業法の制定を中心として
一」,『神戸大学経済学研究年報』34,1987年。
(15) SchrUder, H. 一H.: lnnovationspolitik in der Sowjetunion seit 1985, in:P.J.J,
Welfens, L. Balcerowicz(Hrsg.) : lnnovationsdynamik im Systemvergleich, Theorie
36) Hewett (6) p. 19.
334 井上洋一郎教授退官記念論文集(第262・263号)
und Prtzxts untemeh〃zerischer,9θsα〃ztwirtschafilicher zand Politischer八「euen‘㎎,
Heidelberg 1988.
〔16〕吉井昌彦「ソ連に於ける科学技術政策一科学生産合同の展開について一」,『神戸大
学経済学研究年報』33,1986。
〔17〕 「ソ連における技術移転問題一経済体制論的視点から一」,『神戸大学経済
学研究年報』34,1987年。
〔18〕 「ペレストロイカ下の新しい科学技術組織一部門際科学技術コンブレク
スの創設について一」,「国民経済雑誌』第158巻,第1号,1988年。