2015.4 No.165 ~身近な元素の話~ 2 種類の元素でできた化合物(2) 佐藤 健太郎 炭素は多数つながって丈夫な骨格を作れる上,多くの元素と安定な結合を作りうる。このため, 炭素プラスもう1元素の組み合わせだけで,極めて多彩な化合物世界が形成される。前回はハロカー ボン化合物を取り上げたが,今回は金属元素及び酸素との組み合わせを見てみよう。 炭素と金属元素 炭素と金属元素の組み合わせから成る化合物にも,いろいろなタイプが考えられる。2 種の元素 でできた物質という意味では,鋼鉄のような炭素を含む合金も,この範疇に含めることができる。 金属と炭素のみでできた化合物で有名なのは,カルシウムカーバイド(CaC2)だろう。比較的安 定な固体となるが,水と反応するとアセチレンを発生するため,古くから燃料源などとして用いら れてきた。ナトリウムや銅など多くの金属が,これに類似したアセチリド型の炭化物を作る。また Li4C3 や Mg2C3 のような組成を持った,「セスキカーバイド」と呼ばれる化合物も存在する。 これと全く異なった型の化合物も存在する。たとえば,グラファイトの層のすき間に金属イオン が入り込んだ形の, 「層間化合物」 (intercalational compound)がその一例だ。カリウム原子がグラファ イトの層の間に入り込んだ KC8 はその代表的なもので,高温でグラファイトをカリウム蒸気にさら すことで生成する。強力な還元剤となるため,重元素の多重結合形成反応などによく用いられる。 カリウム以外にも,多くのアルカリ金属やアルカリ土類金属が,グラファイトと層間化合物を作 ることが知られている。この中には超伝導性を示すものがあり,たとえば CaC6 は転移温度 11.5K と比較的高温で超伝導となることから,注目を集めている。 しかし超伝導といえば,カリウムなどの元素をドープしたフラーレンの方が有名だろう。1991 年, K3C60 の組成を持つ化合物が 33K というかなり高い温度で超伝導特性を示すことが発見され,フ ラーレンの特異な可能性を示す事例として大いに注目を浴びた。現在では,セシウムをドープした フラーレン Cs3C60 を加圧したものが,分子性超伝導体の転移温度の最高記録(38K)保持者となっ ている。 2 2015.4 No.165 カリウムをドープしたフラーレン K3C60 酸素と炭素から成る化合物 有機化合物において,酸素は水素に次ぐ,炭素の重要な相棒だ。では酸素と炭素だけから,どの くらいの化合物(オキソカーボン類)ができるだろうか?まず思いつくのは,一酸化炭素・二酸化 炭素などの単純な酸化物だろう。 この他,三酸化炭素及び四酸化炭素という化合物も知られている。もちろん極めて不安定であり, 二酸化炭素と酸素を放電などによって反応させた際の,反応中間体として観測されたのみだ。 O O O O O O O 三酸化炭素(左)と四酸化炭素(右)。三酸化炭素は,考えられる構造のひとつ。 この他,亜酸化炭素(または二酸化三炭素) C3O2 という化合物もある。O=C=C=C=O と,5 原 子が一直線に並んだ構造をとり,マロン酸が脱水した化合物とみなすこともできる。強い刺激臭を 持つ気体で,光などの刺激で容易に重合してしまう。 これより長い炭素酸化物としては,Maier らによって 1990 年に二酸化四炭素(O=C=C=C=C=O) が合成されたが,ごく不安定であることがわかっている。二酸化五炭素(O=C=C=C=C=C=O)は, やはり Maier らによって 1988 年に合成されている。純粋なものは重合しやすいが,溶液状態でな ら室温で保存可能な程度に安定だ。 これより短い炭素酸化物である二酸化二炭素(エチレンジオン,O=C=C=O)は,今に至るまで 生成・観測されたことがない。おそらく,最も単純な未踏化合物の一つだろう。直線状に炭素と酸 素が並んだだけの単純な化合物群だが,その性質はやはり容易に予測できるものではない。 3 2015.4 No.165 カルボニル基を環状につないだ形の (CO)n という化合物も考えられる。n が 3 から 6 のものが知 られているが,一酸化炭素へと分解してしまいやすいためにいずれも安定ではなく,質量分析など によって微量その存在が検出されるのみだ。 このうち n=6 のシクロヘキサンヘキソンは,「トリキノイル」(triquinoyl)の名でも呼ばれる。 試薬としても販売されているが,これは実際には水和物となっており,ドデカヒドロキシシクロヘ キサンの形をとっている。 O O O O O O シクロヘキサンヘキソン(トリキノイル) その他にも,紙の上では炭素と酸素のみから成る化合物をいくらでも考えることはできる。ただ しそのほとんどは合成不能か,できても極めて不安定だ。たとえば下図の化合物群は,いまだ合成 がなされていない。もし作られても,すぐさま一酸化炭素や二酸化炭素へと分解してしまうであろ うことは,容易に想像がつく。 O O O O O O O O O O O O O O O O O また,合成されてはいるものの,ごく短寿命のもの,NMR などで存在が確認されているのみの 化合物もある。下図の化合物はそうした例だ。 O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O 4 O O O O O O 2015.4 No.165 安定なオキソカーボン類としては,メリト酸無水物がある。ベンゼンヘキサカルボン酸(メリト酸) から 3 分子の水を除いた構造であり,C12O9 の分子式を持つ。発見者は有機化学の創始者といって もよい Liebig と Wöhler,発見されたのは 1830 年という,大変に歴史ある化合物だ。意外なことに, 蜜蝋石(mellite)と呼ばれる鉱物から得られている。蜜蝋石は,メリト酸のアルミニウム塩が主成 分という珍しい鉱石であるから,この化合物が得られても不思議ではない。 O O O O O O O O O メリト酸無水物 ナノカーボンの酸化物 こうしたオキソカーボン類の化学は,1990 年代以降にナノカーボンの時代を迎えて,より多彩さ を増すことになった。これら新しい炭素同素体の酸化物が,次々と報告されるようになったのだ。 たとえばフラーレン C60 は,各種酸化剤の作用によってエポキシド C60O となる。これは,さま ざまなフラーレン誘導体合成の起点となる。条件によって C60O2,C60O3 などのポリエポキシドも 生成するし,C70O の各種異性体なども知られている。その他,オキソラン環を介してフラーレン 骨格が 2 つつながった C120O など,各種のフラーレン酸化物が作り出されている。 2012 年には,フラーレンを酸化することで,骨格に穴が開いた形のビスラクトン C60O4 が作ら れた。また,ここから一酸化炭素が抜けた形のオキサフラーレン C58O2 なども質量分析で検出され ている。フラーレン由来のオキソカーボン類は,まだまだ数を増やしそうだ。 ビスラクトン C60O4(左)とオキサフラーレン C58O2(右) 5 2015.4 No.165 近年注目を集める材料に,酸化グラフェン(graphene oxide)がある。グラファイトを過マンガ ン酸カリウムなどで酸化して得られるもので,意外なことにグラフェン自身よりも半世紀近く前 (1958 年)に発見されている。 酸素がグラフェンの炭素に対してエポキシドの形で結合している他,アルデヒドやカルボン酸に なっている部分もあると見られるため,酸化グラフェンは正確には「炭素と酸素のみ」の化合物と はいえない。ただし,酸化度を変えることによって導電度などの性質を調節することができ,電極 材料等として期待が高まっている。また,他の官能基を導入する足がかりとしても重要だから,今 後さらに研究例が増えそうだ。 このような次第で,炭素と酸素だけでも実に多彩な化合物ができあがるものだと感心させられる。 次回は,炭素と窒素から成る化合物などを取り上げよう。 執筆者紹介 佐藤 健太郎 (Kentaro Sato) [ ご経歴 ] 1970 年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら, ホ ー ム ペ ー ジ「 有 機 化 学 美 術 館 」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html, ブ ロ グ 版 は http://blog.livedoor.jp/ route408/)を開設,化学に関する情報を発信してきた。東京大学大学院理学系研究科特任助教(広報担当)を経て,現在は サイエンスライターとして活動中。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社),「医薬品クライシス」(新潮社),「『ゼ ロリスク社会』の罠」(光文社),「炭素文明論」(新潮社)など。 [ ご専門 ] 有機化学 6
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