Crossroad vol2

Crossroad
九州栄養福祉大学・東筑紫短期大学図書館報 クロスロード Vol.2
巻頭言
真実と事実
北九州市立文学館で開催中だった特別企画展「夏目漱
石−漱石山房の日々」をのぞいてみた。貴重な展示資料
の中に、イギリス留学中の漱石にあてた正岡子規の手紙
があった。「もう僕はダメになってしまったよ…」から始
まっていたが、持病が進行し死期を感じているのか、親
友への冗談めいた言葉づかいがかえって気弱になった様
子を悲しくうかがわせていた。一方、慣れない外国生活
と創作活動の停滞による余裕のなさから、つい返事を書
かないままに子規が亡くなってしまったことを漱石は生
涯悔いたようである。実は少しばかり似たような状況に
ある友人をもつ私にとって、なんとも身につまされる書
面であった。自分の生活と仕事にかまけて、幾通かの親
友としての心づかいの手紙に対して長年の筆不精と無沙
汰をきめこんでいた自分がいまさらながら情けなく思え
たからである。
この友人とは学生時代、この世の真実や不合理などに
ついてよく安酒を飲みながら青い哲学論を交わしていた。
その頃、どこかの古い名画館で山本有三原作の映画「真
実一路」(1954 松竹)を一緒に見たことがあった。真実
一路を貫きながらも周囲の者を幸せにできない主人公の
生き方を描いた少々重たい小説だが、それは逆に青年時
代には格好の論点であり、当時お互いが抱えていた家庭
の事情等もあって一晩中の議論となった。今から思えば
他愛のない人生論や文学談義ではあったが、心意気は若々
しく懐かしい思い出である。劇中、「…そこには事実を越
えた大きな真実があるのだ。事実を語ることは誰にでも
できるが、真実で押し通すことは、そう誰にでもできる
ことではない…」というセリフが心に残った。「事実を越
えた真実」という表現にはいまだに人の心の難しさを考
えさせられる。
本来なら「事実」イコール「真実」なのだろうが、現
実世界ではそうはならないことが多いと作者はいうので
ある。あのプラトンも、「実際に起こったことである事実
に対し、それを個人や集団の心が理解したうえで見える
もの、それが真実である」とした。つまり事実とは正真
正銘、現実に起こった出来事であるが、真実とは人間の
心を通して見える事象だというのである。人の心の不思
議さや複雑さを考えると、事実と真実との兼ね合いが人
の世を優しくもするし、時にまた難しくもするようだ。
それもまた人間社会の機微というものかもしれないが、
私たちは誰もが人の世の現実に翻弄されることがある。
しかし、
「どうしてあの時あんなことをしたんだろう」、
「ど
うしてあの時そうしなかったんだろう」と後悔に苛まれ
ながらも、個々の 藤については人それぞれが黙って背
負って生きているのである。
知ってるつもりの無知より、自分自身のことすら知ら
ないかもしれないという意識こそが、人間に考えること
を覚えさせ、より豊かに生きようと自らを哲学する心を
生み出すものである。「汝自身を知れ」といったソクラテ
スを勉強していた先の友人は、その研究者の道を目指し
ていたが、大学紛争が続く当時の時代の流れの中で新聞
記者への道に人生の舵をきった。皮肉にも新聞記者の道
を断念した私の方が大学に身を置くことになった。私よ
りはるかに学究的だったかれが、本当の自分、他者に見
せている自分、そして理想の自分という三者の違いなど
に触れながら自己を見つめることの意味を熱く語ってい
たことを思い出す。体調も思わしくないことが聞こえて
くる今、研究室での研究とはいかなかったかれのソクラ
テス研究だが、事実と真実のはざまを生きる人間社会を
記者の目で見続けてきたかれの哲学論が必ずや深まって
いることを確信している。数十年の時が過ぎた今、今一
度若き日の熱い議論をしてみたいものである。
九州栄養福祉大学
東筑紫短期大学
副学長・図書館長
山田 千秋
Contents
1
巻頭言
9
2
Hello!!! 図書館
10 こんな本収集しています
3 4
学生読書感想文 5 6 7
8
教員寄稿文・わたしの好きな言葉
読書のススメ
貸出ランキング TOP10
11 From Librarian 図書館員がお届けするアレコレ話
12 おすすめ本棚特集一覧・図書館コラム
編集後記