コラム/メンタルの散歩道 (39)『味方と敵』 私の好きな作家の一人に、松浦弥太郎さんがいます。 近著「愛さなくてはいけない ふたつのこと」の文中に【味方が欲しかったら、 敵をつくれ】独立したとき、僕は父にこう言われました。 「北の情熱コーチ」の皆さんは、この言葉をどの様に受け止めますか? 松浦さん曰く『父からは細かい説明は無かったけれど、それは「自分の意思をは っきりさせる」ことだと僕は解釈しました。自分から敵を作る必要はないけれど、 敵をつくることを恐れて曖昧な態度をとってはいけないと。「友達のいない不安 と寂しさ」を抱えている人がいたら、僕は同じ言葉を贈りたいと思います。もち ろんマナー、礼儀作法、思いやりは守ります。その上で人にどう思われるかを気 にせずに、自分を素直に表現することです。最後に“友達をつくる力というのは、 生きる力でもあります”直接会って、目と目を合わせて話をする。恐れず、ひる まず、敵を作りましょう。素直さと勇気で、味方を作りましょう』と結んでおら れました。 私たちは、往々にして権力の持った組織や強い者に卑屈な態度をとることがあり ます。逆に弱い立場の人たちに対しては、傲慢な態度で接することがあります。 人が卑屈になっているときは、必ず功利打算が働いているときで、一面から見れ ば、その人間のずるさの証拠だとも言えます。 また人が傲慢に振る舞っているときは、つまるところ、その人が調子に乗ってい ると言うことであり、他から観れば滑稽にしか映っていません。 いずれにしろ、卑屈な態度や傲慢な態度は、人間性を高めるためにも、自分を律 するためにも、慎まなければなりません。 残念ながら人間という動物は、自己の判断でその時々に色んな顔を出します。 私自身を含め大いに反省をする必要があります。願わくはこれからの生き方に、 揺るがない一本筋の通った人間でありたいと思っています。 さて話を『味方と敵』に戻します。「北の情熱コーチ」の皆さんは、自分は敵と 味方どちらが多いと思いますか? 私自身、若い頃は自分の考えは正しい、結果 を出せば人は認めてくれると思い、多少の強引さを前面に出して生きていました。 自慢話もよくしたように思います。年齢を重ねた今、恥ずかしい思いでいっぱい です。しかし成長段階の一時期、自己主張も悪くなかったと考えています。 自分の考えを率直に正しく伝える。その内容が相手にとって不愉快なことでも、 一時的に嫌われることになっても、自分の生き方、信念に基づくものであれば、 それは幾つになっても、言い続けてもいいのではないでしょうか。 結果として敵を作ることになっても。ただし言い難いことを言ってくれる人は、 仲間内から信頼と感謝を勝ち取る場合があります。敵側から嫌われ者扱いになり ますが、味方側からはヒーロー扱いになる可能性があります。 しかし思い上がりはよくありません。立場によって考え方も違ってきます。 最近になって、やっと人の話に耳を傾けることが出来るようになってきました。 人の話には味があって、本当に面白いと感じるようになってきたのです。 不思議なもので出会い始めの頃は、敵として認識していた人も、会う回数が増え 本気の会話をするようになって、ある日から付き合い方が変わることがあります。 上手に質問をすると、とんでもない深い話に発展していきます。勉強になります。 その人が好きになっていきます。そしてお互いが味方になっていくのです。 2015.7.25. 椙棟(すぎむね)
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