チロエ島の教会群/チリの美しい景色

チロエ島の教会群/チリの美しい景色
三 菱 東 京 UFJ 銀 行
嘉屋本
敦
今 年 の 初 め に 、 ユ ネ ス コ 世 界 文 化 遺 産 の 一 つ 、 チ ロ エ の 教 会 群 を 訪 ね て み た 。 17-18 世
紀にイエズス会の布教活動により築かれたとても美しい木造教会で、ヨーロッパと先住民
の文化伝統が融合した「チロエ様式」と呼ばれているのは皆様ご存知の通り。
プエルトモンの空港でレンタカーをし、国道5号線をチロエ島へ向かう。途中、地図の
上では道路が海上を突っ切ってそのままチロエ島内へ続く。少し不思議に思ったが、カー
フェリーの航路だと知って納得。全く整備されていない未舗装道路をズンズン進む。せっ
か く 最 新 2014 年 版 の カ ー ナ ビ を つ け た の に 、多 く の 教 会 近 く の 道 路 は 地 図 が 表 示 さ れ ず 、
勘に頼っての運転になる。チロエ島からレムイ島に渡り、ダートロードをしばらく走った
後、海辺に向かってかなり急な坂を恐る恐る下ると、ひと気のないデティフ教会へ漸くた
どり着いた。鍵がかかっていて中へ入れない。世界遺産なのに看板もなければ土産屋も食
堂もない。しばらく外側から写真を撮っていると、どこからか近所のおばちゃんと思しき
人が歩み寄ってきて、「今日はお客さんが多いねぇ」と言いながら教会の鍵を開けて中へ
入れてくれた。こんなほったらかしの世界遺産、恐らく?、いや絶対ここしかない!
チ ロ エ 島 お よ び プ エ ル ト モ ン 、プ エ ル ト バ ラ ス 周 辺 に は 、教 会 が 200 以 上 あ る と 言 わ れ
て お り 、19 世 紀 に お け る チ リ の 人 口 は 2 百 万 人 程 度 を 現 在 の 人 口 比 率 で 引 き な お し て 、当
時 の チ ロ エ 島 の 住 民 は 2 万 人 程 度 だ っ た と 、か な り い い 加 減 に 推 測 す る と 100 人 に 対 し て
1件の教会がある計算だ。行きつけの美容院といった割合だろうか。イエズス会、恐るべ
し 。2 日 間 で 世 界 遺 産 に 登 録 さ れ て い る 14 の 聖 堂 の 内 12 か 所 を 巡 り 、小 さ な 教 会 を 含 め
合 計 で 50 余 り の 教 会 を カ メ ラ の フ ァ イ ン ダ ー に 収 め た 。う ろ こ 状 の 木 板 を 重 ね た 外 壁 に 、
黄色、緑、ピンク、スカイブルーと色もとりどりで、尖塔の形もバリエーションが多く、
これだけでちょっとした写真集が出版できそうだ。
世 界 遺 産 と い え ば 、 2014 年 の 6 月 に 、チ リ 、ア ル ゼ ン チ ン 、ボ リ ビ ア 、コ ロ ン ビ ア 、エ
ク ア ド ル 、 ペ ル ー に ま た が る 古 代 イ ン カ の 道 「 カ パ ッ ク ・ ニ ャ ン ( Qhapaq Nan) 」 を 6
か国共同で世界遺産に登録した。インカ帝国により建設された全長3万キロに亘る伝説の
道は、首都クスコとその周縁部を結んでいた。貿易商や軍隊などインカ帝国の約4万人に
利用され、後にスペイン人による南米大陸の征服にも使われたという。ネットで写真検索
すると、様々に表情を変える道程はとても美しく、いかにも旅愁を誘いそうだ。この世界
遺産登録は、関係国が政治的なしがらみを超えて協力しあった好事例で、文化・経済・観
光を問わず、こうした協力関係はどんどん実現して欲しい。
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サンチャゴのセントロにも歴史の息吹を感じる建物がたくさんあるが、その多くが落書
きされたり放置されたりしている。チリは、せっかく観光資源が沢山あるのに、うまく活
用していないのは少しもったいないと思う。蛇足ながら、個人的にサンチャゴで一番好き
な景色は、時折見せる夕焼け空だ。コスタネラセンターとサンクリストバルの丘をシルエ
ットに、真っ赤に焼ける夕日の美しさは、世界遺産ものだと思っている。
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※ こ の 記 事 は 、 カ マ ラ 会 報 236 号 ( 2014 年 11 月 発 行 ) に 掲 載 さ れ ま し た 。
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