China Shakes the World

ようなもので、漕ぎ続けずにスピードが落
ちると転倒して地球に地震を起こす存在に
譬えている。スピードを緩められない理由
は実質経済成長率が 9∼10%であっても、年
間新規労働力供給増の 24 百万人に職を与
えることができない雇用危機の恐怖に指導
者は囚われているからだという。
CHINA SHAKES THE WORLD
The Rise of a Hungry Nation
By James Kynge
Weidenfeld & Nicolson 244 pp. £12.99
はじめに
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フィナンシャル・タイムズ紙中国支局長
を勤めた著者の独立後第一作である。タイ
トルはジョン・リードの『世界を震撼させた
10 日間』を思わせるが 1 、副題が示すよう
に中国の驚異の経済成長が世界にどのよう
な影響を与えているかという視点から書か
れたルポルタージュである。中国の経済成
長のグローバルなインパクトが深刻に論じ
られるようになったのは 2003 年暮れから翌
年の初めごろで、それを象徴するのが鉄ス
クラップに対する需要増によって、世界中
の街からマンホールの蓋が消えたことだと
著者はいう。そして、現代中国の縮図とも
いえる重慶や浙江省義烏の世界最大規模の
アウトレットモールだけでなく、ドイツ・ド
ルトムント、イタリア・フィレンツェ近郊プ
ラートの中国人コミュニティ、中国製品に
競争で敗れて職を失うイリノイ州の町など
精力的な取材が本書を生き生きとしたもの
にしている。また、経済紙の記者だけにド
イツから製鉄所一式を購入した江蘇沙鋼集
団の沈文栄、IBM のパソコン部門を買収し
たレジェンド(レノボ)の劉傳志などの新
興資本家の企業家精神、CNOOC(中国海
洋石油総公司)傳成毛のような海外 MBA
教育を受けた新しい世代の CEO たちが語
られる一方で、成長の影の部分ともいえる
地方政府の腐敗、出稼ぎ労働者の悲哀、住
民票を盗まれて大学進学の機会を失う女性
などのインタビューも本書の厚みを増して
いる。著者は中国を自転車に乗った巨象の
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経済成長のコスト
しかし、2 桁に達する経済成長、特に製
造業の成長が払わなければならないコスト
も極めて大きい。著者は深刻な環境問題、
コピー製品の氾濫にみられる知的財産権意
識の欠如、経済成長にたち遅れる法律の整
備、国際的な資源争奪戦などを挙げている。
中央政府はようやく環境問題に取り組み
始めたが、環境破壊は中国国民の健康を蝕
んでいるだけにはとどまらなくなっている
ようだ。中国が大気に排出する水銀量は毎
年 600 トンに達し、世界の四分の一を占め
る。アメリカの土壌と河川に蓄積された水
銀の三分の一は外国から飛来したもので、
その太宗は中国の石炭の燃焼によるものだ
と推計されている。中国を汽車で旅をした
ことがある読者のなかには車窓からは森林
が見えないことに驚ろかれた経験をお持ち
のかたも多いことと思う。著者は 18∼19 世
紀の人口増加による過剰伐採による木材不
足が中国に産業革命の機会を奪ったと推測
しているくらいであるから、現在の急ピッ
チで進む住宅建設に伴う木材需要は当然海
外に求める以外ない。特にシベリアのツン
ドラ地帯での再生不可能な違法伐採は痛ま
しい事例である(孟子の牛山の故事が引用
されている)。
著者は共産主義のイデオロギーが消えた
後の精神的な空隙を埋めるものが見当たら
ないことに懸念を感じている。カネがすべ
ての世の中になって、人々の間の信頼関係
が希薄になっているのではないかという。
1
「中国は眠らせておけ、目覚めると世界を震撼
させるだろう」というナポレオンの言葉を引用して
いる。
1
メディアの世界ですら企業のプレスリリー
スの際に記者に数百元が入った封筒が渡さ
れるのが常態化しているというのだ。
1980 年代のなかばの山東大学への語学留
学から始まった中国語との長い付き合いか
ら、著者は消え去りつつある「老北京」
(昔
からの北京)胡同(路地)での市井の人々
の会話を懐かしんでいる。
一部の経済部門ではレジェンドの劉が言
うように、「WTO 加盟前の中国では中国
企業と外国企業は亀とウサギが泥田で競争
しているようなものだったが、今では競技
場での公正な競争になっている」ことがう
かがえる。しかし、経済と政治のミスマッ
チに改善はあまりみられない。なぜ、中国
の政治体制の改革は進まないのだろうか。
天安門世代の反体制インテリで破産法の権
威、一風変わった人物の曹思源は「改革の
スピードが速すぎれば混乱し、遅すぎれば
停滞する」という。中国共産党は成長と統
制という矛盾する両輪に足をかけた存在な
のだ。成長のために市場にすべてを委ねる
と自らの統制権限を放棄することになる。
著者はアメリカの論者に多い人民元の大
幅切り上げ、市場原理への移行、複数政党
制の導入など短兵急な改革には必ずしも組
していないような印象を受ける。しかし、
地方政府が党幹部と地元有力企業からなる
利権集団にハイジャックされ、この「シンジ
ケート」が甘い汁を独占していることが、各
地での暴動を引き起こしている元凶になっ
ていると著者は腐敗を厳しく糾弾している。
最も懸念されるのは米中間の資源獲得競
争がかつての冷戦のような状況をもたらし
はしないかという点である。中国の原油輸
入の 10%を占めるスーダンにおける民族浄
化に中国政府が関わっているのではないか
という疑念、ヴェネズエラのチャベスとの
友好関係、イランのヤダバラン油田開発へ
の投資はアメリカとの熱い対立をもたらさ
ないだろうか。さらに、中国はアフリカ、
中東からのエネルギー輸送路の安全確保を
着々と進めている。パキスタンのグアダー
ル海軍基地、バングラデッシュ・チッタゴ
ンでのコンテナー基地、ミヤンマー・ベン
ガル湾の通信傍受施設などの建設はインド
とアメリカ海軍のマラッカ海峡の動向をモ
ニターする目的でもある。
しかし著者はこのような将来の暗いシナ
リオに対して、外交部の友人の「長期的な
国益になるなら、譲歩の用意がある」とい
う言葉を引用し、中国の柔軟性・プラグマ
ティズムに賭けているようにみえる。「中
国はすでに世界と強い絆で結ばれ、国際的
な組織や条約に深く関わり、他の国々に依
存するようになっているので、もはや差し
伸べられた手を咬むことはできない」と結
んでいる。
本書は現代の中国の光と影を知るだけで
なく、悠久の中国史の理解にも役立つ。た
だし、ローマ字表記の人名・地名や中国語の
表現を漢字に置き換えないと小職は理解し
た気分にならないので、その労はとらなけ
ればならない。しかし、外国人とのコミュ
ニケーションに欠かせないローマ字表記の
記憶と、英人らしい英語表現によるボキャ
ブラリーの増加にも役立つという副次効果
も期待できる。自らの教養を試される一冊
である。
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