写真と芸術 - せめぎ合う「芸術観」 「琉球新報」1994 年 8 月 9 日 (下) ピクトリアリズムを推進したのはオスカー・レイランダー、ヘンリー・B・ロビンソン、 ロベール・ドマシー、コンスタン・ビュヨーらだが、彼らは複数のネガの合成や印画の修整 によって写真もまた絵画と同じ表現の域に達することができると考え、そして、実践したの である。例えば、ロベール・ドマシーの踊り子の写真や「赤の習作」という作品を見ると、 同時代に活躍したドガの絵を彷彿とさせるものがあるし、ロビンソンの写真もまたコロー やミレーなどバルビゾン派の画家たちが好んで描いた牧歌的な田園風景そのものなのであ る。 しかし、写真と絵画を隔てている決定的な違いが認識され、写真が絵画を真似る理由や必 然性が厳しく問われるに及んで、ピクトリアリズム運動は急速に衰えていく。もっとも、運 動としてのピクトリアリズムは終息したものの、ピクトリアリズムそのものが消え去った 訳ではなく、それは抽象主義、立体派、未来派、シュ ールレアリズムなど様々な美術思 潮に連動しなが ら、さらには、写真独自の歩みの中で、今日的写真の もう一つの大きな流れを形成しているのである。 サンディ・スコグランド 「赤子たち」(部分、1983 年) 深夜、ものの気配に起こされて窓の外を覗いてみたら、たくさんの赤子た ちが辺りの空間をハイハイしている。ここには夢と現実が交錯した不思議 な世界がある。スコグランドにとって写真とは表現のための単なるメディア でしかない。 (集英社刊 The Gallery of World Photography -- New Directions より転載) このように、写真もまた芸術史、ないしは、美術史 における摸写的芸術観と体験的芸術観の二つに分類 してこれを考えることができるのである。そして、こ の二分法は一九八〇年以降の、いわゆる、ニューウエイブ写真についてもそのまま当てはま るものと考えてよい。 一九八〇年代になって注目されるようになった写真家にシンディ・シャーマン、ベルナー ル・フォーコン、デビッド・ホクニー、サンディ・スコグランド、バーバラ・キャスティン らがいる。そしてこの系譜の写真家(?)(アーティスト?)で、日本を代表すると目され ている人に森村泰昌がいる。ホクニーを除いて、彼らの作品に共通しているのは被写体その ものが自らの手で作られた虚構の世界だと言うことである。 ごく常識的に言えば、写真は現実に在る現在進行形の世界しか写さないが、これらの作家 (写真家)が追求しているテーマは夢であったり、遠い過去の出来事であったり、少年時代 の追想であったり、心的イメージであったり、とおよそ従来の固定観念では写真にならない と思われてきた表象を写真化していることである。 シンディ・シャーマン 「無題」 (1982 年) 一九八〇年代になって注目されだした写真家の一人。彼女の被写体はさ まざまな人物に扮した自分。ここに写っているのは明らかにマリリン・モンロ ー。少女時代の着せ替え人形の遊びが写真というメディアを通して定着され ている。(集英社刊 The Gallery of World Photography -- New Directions より転載) 例えば、シンディ・シャーマンはマリリン・モンロ ーをはじめとする多くの有名人に扮装した自写像に よって作品づくりをしているし、サンディ・スコグラ ンドはさまざまな姿態の猫や金魚を実際に作り、これ らをオブジェとして一色に塗りつぶした室内につる して撮影し、いとも不思議な夢空間を再現している。 また、森村泰昌は泰西の名画の中に自ら納まるパロデ ィ風の作品づくりでその優れた才能を発揮している。 デビッド・ホクニーとバーバラ・キャスティンは最 も美術に近いところで制作している作家たちだが、そのうちホクニーは、さまざまにアング ルを変えて写した写真を裁断し、それらをコラージュした作品づくりをしている。 これらの写真家(?)(彼らは自分たちをアーティストと呼称するが、実際、彼らの多く は美術畑の出身者である)の出現によって、写真が「撮る時代」から新しく「創る時代」へ 突入したという見方がある。しかし、上述の二分法に従えば、それは体験的芸術観が盛り返 して来たというだけのことであり、これまで写真家達が遭遇したことのない全く新しい時 代の到来というものではないのである。なぜなら、「創る」写真の時代は十九世紀後半から 今世紀初頭のピクトリアリズム運動のなかで既に経験されたことであるからである。もち ろん、「創る」目的が当時と現在とでは大いに異なっているということは指摘しておかなけ ればなるまい。 ところで、一九八〇年代に現れたニューウエーブの写真は「創る」写真のみに限られる訳 ではない。ニュートポグラファーズと称されるアメリカの写真家たちは、実際には風景が素 材だが、彼らが撮る風景はかつてアンセル・アダムスやエドワード・ウエストンらが荘厳美 と神秘性を追い求めたようなアメリカ西部の大自然ではない。彼らはその呼称が示すよう に地理学者か風土記作者のような冷ややかな態度で風景に対峙するのだ。 そして、その提示する風景は、およそ美的という言葉とは無縁の、何の変哲もない日常的 な都市空間(郊外)であったり、工場団地であったり、ハイウエイであったりする。それは 正に「創る」写真とは対照的な「撮る」写真なのだが、摸写的芸術観が凝縮された形で提示 されていることは確かだろう。 このように、一九八〇年代に出現したニューウエーブの写真の一角においてさえ二つの 芸術観がせめぎあい、相拮抗しながら大きな渦をつくっており、、それがまた既存の写真の 世界に波紋を広げる結果を生んでいるのである。
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