左思 「白髪賦」 訳注

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Title
左思「白髪賦」訳注
Author(s)
横山, きのみ
Citation
横山きのみ:人間文化研究科年報(奈良女子大学大学院人間文化研
究科), 第30号, pp.198-191
Issue Date
2015-03-31
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3978
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二〇〇七年)第三章・揚雄「逐貧賦」論:第六段「白髪賦への影響」
(初
けた作品として分析している(福井佳夫『六朝の遊戯文学』
(汲古書院、
まとまった研究としては、福井佳夫が揚雄「逐貧賦」の影響を強く受
え、左思作品の中で特異なものと言える。白髪賦についてのある程度
義や容姿偏重といった当時の朝廷のありかたを諷刺する意識が垣間見
対話をえがいた遊戯的な内容であり、また滑稽な物語の内に、門閥主
言えない。その中でもこの白髪賦は、白髪を擬人化し、人と白髪との
雑詩・嬌女詩・悼離贈妹詩二首が残るばかりで、決して数が多いとは
ついても、三都賦のほかには斉都賦・白髪賦・詠史八首・招隠詩二首・
かは、
『世説新語』などに幾つか逸話が見つかる程度である。作品に
生涯に関する資料は『晋書』巻九十二・文苑伝中に短い本伝が残るほ
西晋の左思(字は太沖)は三都賦(『文選』巻四~六)を賦したこ
とで「洛陽の紙価を貴からしめた」故事で著名な文人であるが、その
なお、底本については『宋本芸文類聚』巻十七(宋紹興刻本影印、
上海古籍出版社、二〇一三年)を用い、『太平御覧』巻三七三(宋蜀
るための資料として作成したものである。
に反映しているか。本訳注は、左思作品全体から彼の隠逸観を考察す
髪賦はどのように位置づけられ、左思の出処に対する意識をどのよう
れた)隠逸への憧憬の念を表している。それらの中にあって、この白
左思は自身の生涯を詠史八首の中で、過去の著名人たちのすがたに
重ねてふりかえり、あるいは招隠詩二首の中で、(魏晋期的に美化さ
与できるような大きな出世は到底果たされなかった。
貌はみにくく、吃音)」(『晋書』本伝)であった左思には、政情に関
わめて偏重された当世において、寒門出身にくわえ、
「貌寝、口訥(容
に寒門なく、下品に勢族なし」と言われ、あるいは容貌の美しさがき
とからも、左思の出世に対する意欲がうかがい知れる。しかし「上品
左思「白髪賦」訳注
横 山 きのみ
出:
「中京大学文学部紀要」第三五‐三号(二〇〇一年三月))ものの、
刻本影印、中文出版社、一九八〇年)・厳可均校輯『全晋文』(中華書
比較文化学専攻 ( )
日本アジア文化情報学講座 博士後期課程
た賈謐の二十四友の一人として、その文才を以て権力におもねったこ
それ以外には僅少である。
再造善本)・『古文苑』巻七(章樵注本、宋端平三年常州軍刻本影印、
局、一九九一年第五版)・『古文苑』巻三(無注本、宋刻本影印、中華
左思は出世を望んだ人である。妹・左芬が後宮に召されたのに際し
て上京し、一度は官吏(秘書郎)の身分にもあった。当時権勢を誇っ
一
― 198
―
章樵注・
『全魏晋賦校注』
(韓格平・沈薇薇・韓璐・袁敏校注、吉林文
福井佳夫『六朝の遊戯文学』
(先掲)中の白髪賦全訳、および『古文苑』
中華再造善本)をもって校定した。また現代語訳・語釈にあたっては
おう、抜いてしまおう、よき官位はそれでこそもたらされる。
国政にたずさわろうというのに、これでは玉に疵となる。抜いてしま
ではないとはいえ、わが洗練された所作を穢すものである。献策して
二
史出版社、二〇〇八年)注釈を参照した。
曄、葉、鑷……入声二九葉部
訴、暮、素、惡、故……去声十一暮部
垂、儀、疵、縻……上平五支部
【押韻】
きを置いてくださいますよう。
の葉はたっとばれません。どうかあなたさまの手をおさめられ、毛抜
ものは白く、あるものはかがやかしく、その白き花がたっとばれ、緑
の罪によるものでしょう。わたくしが橘や柚の木を見るところ、ある
覧になったおり、驚き憎まれ、朝に生じ昼には抜かれる、いったい何
られるがごとく、生じた時から真っ白です。(あなたさまが)鏡をご
白髪はいまにも抜かれようという時、物憂げにみずから訴えた。わ
が天命は不幸にも、あなたさまの年老いた時にあたり、秋の霜にも迫
して國を觀んとするに、此を以て疵ら
策名
れん。
けぬ
星星白髮、生於鬢垂。 星星
たる白髮、鬢垂に生ず。
雖非靑蠅、穢我光儀。
に非ざると雖も、我が光儀を穢す。
靑蠅
そし
策名觀國、以此見疵。
は
然自訴。
將に拔かれんとし、 然として自ら
白髮
訴う。
にく
逼迫秋霜、生而皓素。
秋霜
に逼迫せられ、生まれながらにして皓
素たり。
白髮垂。」、梁・何遜「白髪詩」:「唯此星星髮、獨與 中殊。」
(『芸文
類聚』巻十七)などといった例があるほか、唐詩に比較的多く見られ
『文選』巻二二)の「慼慼感物歎、星星
その後、謝霊運「遊南亭」(
光る様子にたとえて解釈する。
る様子をいうほか、章樵注では「星星、明粲貌。」とし、白髪を星が
始覽明鏡、惕然見惡。
始め
て明鏡を覽るに、惕然として惡まる。 【語釈】
朝生晝拔、何罪之故。
朝に
生じ晝に拔かる、何れの罪の故ならん。 ●星星白髪
予觀橘柚、一皜一曄。
予 橘柚を觀るに、一は皜たり 一は曄た
「星星」は白髪の様子をいうのに用いられることの多い語であるが、
左思の例以前には用例が見られない。白髪が星のように点点と分散す
り。
ぽつりぽつりと白髪が、耳ぎわの毛に生じていた。こうるさい青蠅
戢
― 197
―
將拔將鑷、好爵是縻。
將た拔かんとし將た鑷かんとす、好爵 是
つな
れ縻がらん。
白髮將拔、
惄
稟命不幸、 君年暮。
稟命
不幸にして、君の年の暮るるに た
る。
惄
貴其素華、匪尚綠葉。 其の
素華を貴び、綠葉を尚ぶに匪ず。
おさ
けぬき
願 子之手、攝子之鑷。 願わ
くは子の手を め、子の鑷を攝られん
ことを。
戢
「策名」は古代の官吏が献策の際、自身の名を記して献上していた
ことから、転じて朝廷に仕官することをいう。『左伝』僖公二十三年
●策名觀國
「靑蠅」は『詩経』小雅・青蠅によれば君子に悪口する小人物をいう。
ここでは主人公にけちをつける些細なもの、程度の意味であろう。
厳可均『全晋文』では「於」を「于」につくる。
●雖非靑蠅
●生於鬢垂
る表現である。
『古文苑』は「暮」を「莫」につくる。
●始覽明鏡
●
「 然」は憂鬱なさま。
『説文解字』心部「 、飢餓也。一曰憂也。
从心叔聲。」
●
によって良き官位がついてくるという意。官職を得る上で容姿の美し
ここでは前句と併せ、白髪を取り除くことで身だしなみが整い、それ
然自訴
さが偏重された、魏晋期の意識が見える箇所といえよう。
に「策名委質、貮乃辟也。
」
『太平御覧』は「始」を「如」につくる。
●惕然見惡
えるに利あり、の意。
士曰賓卑聚、夢有壯子、……從而叱之、唾其面、惕然而寤、徒夢也。
「惕然」は『説文解字』心部「惕、敬也。从心易聲。」とあり、原意
はつつしむさま。用例としては、『呂氏春秋』離俗「齊莊公之時、有
君年暮
●將拔將鑷
髪賦」においては白髪を見つけてハッと驚く様子をいう。
「將A將B」は鄭風・女曰鶏鳴「將 將翔、弋鳧與鴈。」をはじめ、『詩
経』に何度か見られる句形。A・Bには同義語が入り、並立表現であ
●予觀橘柚
『易』観・六四爻辞に「觀國之光、
「觀國」は国情を観察すること。
利用賓於王。
」とあり、輝くように栄えた国を見て、光徳ある王に仕
る。
橘は、『楚辞』九章・橘頌においては君子に喩えられ、その葉や花
が「綠葉素榮、紛其可喜兮。
」と表現される。また『楚辞』七諌・初
三
『芸文類聚』は「一 一 」につくるが、ここでは『太平御覧』に
したがって文字を改めた。
『全晋文』『古文苑』では「一 一曄」につ
『太平御覧』では「觀橘觀柚」となっている。
●一皜一曄
苦桃(あるいは李)を佞臣にたとえた例が散見される。
放には、「斬伐橘柚兮(王逸注:橘柚、美木。)、列樹苦桃。(注:苦桃、
……」など、目がさめるさまに用いられることが多い語である。
「白
『太平御覧』では「將鑷將拔」となっている。
●好爵是縻
悪木。言君親近貪賊姦悪之人而遠仁賢之士也。)
」など、橘柚を良臣に、
惄
『易』中孚・九二爻辞「我有好爵、吾與爾靡之。」私によき爵位が得
られれば、
あなたと分かち合いましょう。「靡」は「ともにする」の意。
左思より後、南朝梁・周興嗣の撰した「千字文」には『易』をうけ
た「堅持雅操、好爵自縻。
(正しい節操を堅持すれば、ふさわしい爵
位がおのずからついてくる。
)
」ということばが見られる。「縻」は『説
文 解 字 』 糸 部「 縻、 牛 轡 也。 从 糸 麻 聲。」 牛 の た づ な が 原 意 で あ り、
転じてあるものと別のものとが紐(状のもの)でつながる状態をいう。
瞱
― 196
―
惄 惄
くる。
「皜」はしろい、
「曄」はかがやかしい。
●願 子之手
『太平御覧』では「之」字が脱し、四字句となる。
なんじ
『詩経』 風・撃鼓「執子之手、與子偕老。」
「子之手」の用例として、
などがある。
ああ
何我之冤、何子之誤。 何ぞ
我の冤ならん、何ぞ子の誤りならん。
甘羅自以辯惠見稱、 甘羅
自ずから辯惠を以て稱せられ、
ぬれぎぬ
英英終賈、高論雲衢。
たる終賈、雲衢に高論す。
英英
おの
拔白就黑、此自在吾。 白を
拔き黑を就く、此れ自ずから吾に在り。
白髮臨欲拔、瞋目號呼。 白髮
拔かんと欲さるるに臨み、目を瞋ら
し號呼す。
赫赫 闔、藹藹紫廬。
赫赫
たる 闔、藹藹たる紫廬あり。
弱冠來仕、童髫獻謨。
にして來り仕え、童髫にして謨を獻ず。
弱冠
甘羅乘軫、子奇剖符。
軫に乘り、子奇 符を剖く。
甘羅
咨爾白髮、觀世之途。
爾白髮、世の途を觀よ。
咨 靡不追榮、貴華賤枯。
追い、華を貴び枯を賤しまざるもの靡
榮を
し。
邶
閶
四
ああ なんじ白髪よ、世の道理を見てごらん。栄達を追い求め、栄
華を貴び枯槁をいやしまないものはない。かがやかしき城門、盛大な
王宮。弱冠にして仕官し、年若くして大きなはかりごとを献上する。
甘羅は(十二歳にして)王の使者として車に乗り、子奇は(十八歳に
して)官位を授かり、若き俊英たる終軍と賈生とは、朝廷にて立派に
議論した。白髪を抜いて黒髪だけをのこす、これはわが意のままであ
る。
白髪は抜かれそうになり、目をいからせて声をあげた。何というわ
たくしの冤罪でしょう、何というあなたさまのお考え違いでしょう。
甘羅はその雄弁さをもって賞賛されたのであり、髪が黒いことで著名
になったのではありません。賈生はその良才をもって非凡とされたの
であり、髪が黒いことで後世に名を残したのではありません。先人に
聞くところでは、国家は有能な老人を登用するものであり、
(伯夷と
太公望の)二老が周に帰属して、周の道は完全に治まり、四皓が漢を
補佐して、漢の徳は光明を得たのです。どうして必ずやわたくしを排
除し、しかるのちに栄達を求められましょうか。
【押韻】
途、枯、盧、謨……上平十一模部/符、衢……上平十虞部/吾……上
不以髮黑而名著。
髮の黑きを以て名 著れず。
平十一模部(模虞通用)
賈生自以良才見異、
賈生 自ずから良才を以て異とせられ、
呼、誤……去声十一暮部/著、舉……去声九御部(暮御通用)(※)
不以烏鬢而後舉。
烏鬢を以て後舉せられず。
成、清……下平十四清部/明、榮……下平十二庚部(庚清通用)
聞之先民、國用老成。
之を先民に聞かば、國 老成を用う。
(※)呼・誤・著・舉の韻は于安瀾『漢魏六朝韵譜』
(河南人民出版社、
二老歸周、周道肅清。
二老 周に歸し、周道 肅清たり。
一九八九年)説にもとづく。「擧」字は後世では上声語部に属するが、
四皓佐漢、漢德光明。
四皓 漢を佐け、漢德 光明あり。
もと
西晋ごろには既に著・舉の押韻する例が複数見られることから、ここ
何必去我、然後要榮。
何ぞ必ずしも我を去り、然る後に榮えを要
でも去声である「著」字と押韻しているとみなした。
めん。
― 195
―
戢
閶
【語釈】
●咨爾白髮
「 咨 」 は 感 嘆 の 辞。
『 尚 書 』 尭 典「 帝 曰、 咨 四 岳、 朕 在 位 七 十 載。」
とある。臣下に対して呼びかける表現。
もそのもの。
『太平御覧』では「髫」を「髦」につくる(意味は「髫」と同様)。
●甘羅乘軫
「甘羅」は人名。秦武王の側近であった祖父・甘茂の死去するに伴い、
十二歳にして秦の呂不韋に仕えた人物。『史記』巻七十一に本伝がある。
「軫」は車。甘羅は五乗の車を借りて趙に使いし、秦の領土を広げた。
『太平御覧』では「軫」を「軒」につくる。
●子奇剖符
『詩経』大雅・蕩には「文王曰咨、咨女殷商。」という二句が
また、
繰り返し現れる。
『太平御覧』
『古文苑』
(無注本)は「爾」を「尓」につくる。
●觀世之途
「子奇」は人名。『説苑』の佚文に「子奇年十八、齊君使主東阿、東
阿大化。」(『後漢書』胡広伝注)
、
「子奇年十八、齊君使治阿。」(
『文選』
『詩経』大雅・巻阿「藹藹王多吉士、維君子使、媚于天子。」(毛伝、
藹藹、猶濟濟也。
)
例は少ない。
賈誼は洛陽の人。やはり十八歳にして詩文をつくるのにすぐれてい
ることが郡中で知れ、河南太守呉宏の門下に召され、のち文帝によっ
六十四下に収められる。
●白髮臨欲拔
『太平御覧』は「欲」の字が脱ける。
●瞋目號呼
五
「雲衢」は青雲の路、ここでは朝廷をたとえていう。このような用
例としては左思以前に見られない語。
て博士となった。本伝は『史記』巻八十四に収められる。
●高論雲衢
『古文苑』は「弱冠求仕」につくる。
●童髫獻謨
●弱冠來仕
陋而寡識兮、
謬忝厠于紫廬。
」
(
『晋書』巻三十一)という例が見られる。
「紫廬」は宮中の官吏がいる建物のこと。西晋より前に遡ると他に
用例が無い語であるが、左思の妹・左芬が著した「離思賦」に「 愚
「終」は終軍、「賈」は賈誼(賈生)。ともに人名。
終軍(字は子雲)は済南の人。博識で文才に秀でていることが郡中
で知れ渡り、十八歳にして博士弟子に選出された。本伝は『漢書』巻
「剖符」は天子が諸侯や王を封ずる際に、割符の片方を与えること。
●英英終賈
潘正叔贈河陽詩注)といった記述がある。
『太平御覧』は「途」を「塗」につくる。
●赫赫 闔
「 闔」は王宮あるいは京都の城門を指す。
●藹藹紫廬
「赫赫」は盛んなさま。小雅・出車「赫赫南仲、 于襄。」など、『詩
経』に頻出する語である。
玁
狁
「髫」は七、八歳程度のこどもがする髪形(垂れ髪)、あるいはこど
― 194
―
閶
「藹藹」はたくさんのものが整然と並んでいるさま。「濟濟」と同義
で用いられる語であるが、
『詩経』に頻出する「濟濟」に比べると用
閶
『全晋文』では「瞋」を「瞑」につくる。
●何子之誤
●四皓佐漢
六
に逃げ隠れ漢臣とならなかったが、高祖からは重んじられた。のち、
「四皓」は東園公・夏黄公・ 里先生・綺里季の四名からなる隠士
のグループ。いずれも老人で、漢高祖が高慢であることを厭い、山中
『古文苑』では「誤」を「娯」につくる。
●甘羅自以辯惠見稱
召し出され、盈の後援をにない、高祖に盈を後嗣とすることを納得さ
せた。(『史記』巻五十五・留侯世家)
皇太子劉盈(のちの恵帝)を後嗣と定めさせたい呂后と張良によって
『古文苑』では「辯」を「辨」につくる。
●不以烏鬢而後舉
『太平御覧』は「烏」を「厚」につくり、髪の色ではなく量で若若
しさを表現している。
咨爾白髮、事故有以。 咨 爾 白髮、事 故より以 有り。
天下之大老也、而歸之、是天下之父歸之也。……」にもとづく。
し て あ る。
「 二 老 」 の 語 は『 孟 子 』 離 婁 上「 二 老( 伯 夷・ 呂 尚 ) 者、
六十一、呂尚については同じく『史記』巻三十二が、それぞれ本伝と
時の変わるにしたがう、これは孔子にも詠嘆されたことである。
白髪まじりの年寄りになるまで待っていても、事態は好転しないのだ。
いものはかろんじられる。栄啓期はいなかで年老いて髪を白くした。
ああ なんじ白髪よ、ものごとにはもとより道理がある。なんじの
言うことにも一理ある。以前は年寄りをたっとんでいたが、今では古
髮膚至昵、尚不克終。
髮膚 至りて昵きも、尚お克く終えず。
もっ
なぞら
聊用擬辭、比之國風。 聊か
用て辭を擬え、之を國風に比せん。
髮乃辭盡、誓以固窮。 髮 乃ち辭は盡き、誓うに固窮を以てす。
昔臨玉顏、今從飛蓬。 昔は玉顏に臨み、今は飛蓬に從う。
ちか
皤皤榮期、皓首田里。
皤皤たる榮期、首を田里に皓くす。
雖有二毛、河清難俟。
二毛有りと雖も、河清 俟ち難し。
隨時之變、見歎孔子。 時の變わるに隨うは、孔子に歎ぜらる。
爾之所言、非不有理。 爾の言う所、理 有らざるに非ず。
かろ
曩貴耆耋、今薄舊齒。
曩に耆耋を貴ぶも、今 舊齒を薄んず。
ゆえ
また「後舉」を「獲舉」につくる。
●國用老成
『詩経』大雅・蕩「雖無老成人、尚
「老成」は年老いて徳のある人。
有典刑。
」鄭箋に「老成人、謂若伊尹・伊陟・臣扈之屬。」とある。ま
た『後漢書』巻四・和帝紀注に同句を引き、「老成言老而有成德也。」
という。
●二老歸周
「二老」は伯夷と太公望呂尚(あるいは呂望)。ともに殷末、西伯(の
ちの周文王)の名声を聴き、これに帰属した人物とされる。西伯没後
はその子・発が武王を称し殷紂王征伐に赴いたのを、伯夷は諫めて周
から離れ、首陽山に隠遁したのち餓死し、呂尚は周の軍師として殷打
●周道肅清
白髪はそこで言葉が尽きてしまい、固窮に甘んじることを誓った。
昔は玉のようにうつくしい顔のそばにあったのに、今は飛蓬のように
倒 に 尽 力 し、 の ち 斉 国 に 封 じ ら れ た。 伯 夷 に つ い て は『 史 記 』 巻
「肅清」は国や世の中がととのうさま。『漢書』巻七十三・韋賢伝「王
朝肅清、唯俊之庭、顧瞻余躬、懼穢此征。」
― 193
―
甪
満に終わることはできなかった。今しばらくうたをつくり、このうた
乱れ髪になってしまう。髪と身体とは親密であったのに、それでも円
●雖有二毛
『周詩』有之曰、
『俟河之清、人壽幾何。』」
典拠は『左伝』襄公八年「
どれほど長久な時間をついやしても黄河の水が澄むことはなく、人間
●河清難俟
年「公曰、『君子不重傷、不禽二毛。……』」
「二毛」は白黒二色の毛。白髪まじりの老人を指す。いたわるべき
対象というニュアンスでえがかれることが多い。『左伝』僖公二十二
を詩経国風になぞらえよう。
【押韻】
以、理、齒、俟、子……上声六止部
窮、蓬、終、風……上平一東部
の寿命はどれほどのものだろう。いくら待ったところで状況は好転し
●隨時之變
ない。
●事故有以
【語釈】
「有以」は道理や理由のあること。『詩経』 風・旄丘「何其久也、
必有以也。
」
●髮乃辭盡
『易』随・彖曰「大亨貞、無咎、而天下隨時、隨時之義大矣哉。」ま
た『史記』孔子世家に「孔子 而喜易、序彖・繫・象・說卦・文言。」
とあり、彖辞は孔子がつけたものとされる。
『全晋文』では「故」を「各」につくる。
『太平御覧』
●曩貴耆耋
「營平」は漢宣帝によって営平侯に封ぜられた趙充国を指す。
『漢書』巻一百下・叙伝「營平皤皤、立
「皤皤」は白髪であるさま。
功立論、以不濟可、上諭其信。
」師古注に「皤皤、白髮貌也、音蒲何反。」
「舊齒」は老人を指す。
●皤皤榮期
●今從飛蓬
意味であろう。
『論語』衛霊公「子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣。」君子とて貧窮す
ることはあるが、君子は貧窮を安楽とし、小人は貧窮すればみだれる
『太平御覧』においては「白髮辭盡」につくる。
●誓以固窮
は栄啓期のこと。孔子と同時代の隠者の名。獣の皮を衣にし、
「榮期」
瑟を鳴らして歌っているところを見かけた孔子に何が楽しいのかと問
風にまかせて転がるよもぎのように、頭髪が乱れているさま。
『詩経』衛風・伯兮「自伯之東、首如飛蓬。
」(毛伝、婦人、夫不在、
無容飾。)
のだ、という意。ここでは苦しい立場を甘んじて受け入れる、程度の
われ、
「楽しみはたくさんある。一つめには人に生まれ、二つめには
●比之國風
『列子』天瑞などに説話が残る。
男に生まれ、三つめには長寿であることだ」と答えた。『説苑』雑言・
『太平御覧』は「貴」を「尊」につくる。
●今薄舊齒
晚
「國風」は『詩経』国風。四字句を基本とした構成や、賦に用いら
七
― 192
―
邶
れている語の出典など、
「白髪賦」には『詩経』を想起させるものが
多い。
『詩経』国風には民が当時の権力者をそしるなど、諷刺色の強
い歌が散見され、左思もまた国風になぞらえることで、当世の門閥主
義・容姿偏重といった朝廷を暗に諷刺しているのであろう。
八
― 191
―